叔父が他界した。85歳。がんとのたたかいの末の、静かな最期だった。
これで父方の、私からみたおじ、おばは、みなどちらか片方になってしまった。
高齢の、夫が単独、妻が単独。そんな家ばかりになってしまった。
うちも10年以上母が単独だ。
が、うちの場合、職場と実家が同じで、歩いて3分のところに自分たちが住んでいるので
母はほぼ独居ではないといえる状態ではある。
通夜・葬儀には親族がたくさん集った。
もうすでに、いとこの子どもたちもほとんどが成人していて、彼ら彼女らにとっての自分は、
「おばあちゃんの実家の跡取りのおじさん」ということになる。
時間の経過。世代の交代。親・自分がいつしか歳をどえらいこと重ねてしまっている、ということ。
これらを痛切に感じざるを得なかった。
こんなときにしか、いとこ同士が顔を合わせられない、そんな現実も感じた。
しかしこれもまさに現実なのだ。
斎場の喫煙ルーム。
何の申し合わせもなく自然にいとこ5人が集まった。
昔は夏休みに親族家族で旅行したり、互いの家に泊まりに行ったりしていた、くそガキどもが今、
みな家庭を持ち、ほとんど大人の子どもを持つ、おっさんになっている。
子ども時代から今までが、あっというまだ。と思った。
叔父は骨と灰になった。
酒が好きで、仕切り屋で、自慢したがりの、それでも頼りがいのある人だった。
時は流れ、時代は変わり、世界の環境も変わり、それでも人は世代を代えながら生き続けていく。
人ひとりの人生なんて時間にすればわずかに限られた短いものだ。
50を過ぎた今、日々頑張りつつ、人生の仕上げに向かって完成度を高めていきたいところだが
なにがなにが。
ひと晩 明ければ また いつもの日常だ。
ひとり苦が笑いしている。
でも
これでいいのだ。
これで父方の、私からみたおじ、おばは、みなどちらか片方になってしまった。
高齢の、夫が単独、妻が単独。そんな家ばかりになってしまった。
うちも10年以上母が単独だ。
が、うちの場合、職場と実家が同じで、歩いて3分のところに自分たちが住んでいるので
母はほぼ独居ではないといえる状態ではある。
通夜・葬儀には親族がたくさん集った。
もうすでに、いとこの子どもたちもほとんどが成人していて、彼ら彼女らにとっての自分は、
「おばあちゃんの実家の跡取りのおじさん」ということになる。
時間の経過。世代の交代。親・自分がいつしか歳をどえらいこと重ねてしまっている、ということ。
これらを痛切に感じざるを得なかった。
こんなときにしか、いとこ同士が顔を合わせられない、そんな現実も感じた。
しかしこれもまさに現実なのだ。
斎場の喫煙ルーム。
何の申し合わせもなく自然にいとこ5人が集まった。
昔は夏休みに親族家族で旅行したり、互いの家に泊まりに行ったりしていた、くそガキどもが今、
みな家庭を持ち、ほとんど大人の子どもを持つ、おっさんになっている。
子ども時代から今までが、あっというまだ。と思った。
叔父は骨と灰になった。
酒が好きで、仕切り屋で、自慢したがりの、それでも頼りがいのある人だった。
時は流れ、時代は変わり、世界の環境も変わり、それでも人は世代を代えながら生き続けていく。
人ひとりの人生なんて時間にすればわずかに限られた短いものだ。
50を過ぎた今、日々頑張りつつ、人生の仕上げに向かって完成度を高めていきたいところだが
なにがなにが。
ひと晩 明ければ また いつもの日常だ。
ひとり苦が笑いしている。
でも
これでいいのだ。