大垣市の 親切ていねいな ふすまと内装工事のお店 【創業80余年 林文香堂】 三代目店主の前向きな日記 

明るく朗らかに、人に親切に、素直に、謙虚に、感謝して の五つの基本を胸に、日々の小さなよろこびを綴ります。

一宮の叔父がこの世を去る

2015年10月30日 | 日記
叔父が他界した。85歳。がんとのたたかいの末の、静かな最期だった。

これで父方の、私からみたおじ、おばは、みなどちらか片方になってしまった。
高齢の、夫が単独、妻が単独。そんな家ばかりになってしまった。

うちも10年以上母が単独だ。
が、うちの場合、職場と実家が同じで、歩いて3分のところに自分たちが住んでいるので
母はほぼ独居ではないといえる状態ではある。

通夜・葬儀には親族がたくさん集った。

もうすでに、いとこの子どもたちもほとんどが成人していて、彼ら彼女らにとっての自分は、
「おばあちゃんの実家の跡取りのおじさん」ということになる。

時間の経過。世代の交代。親・自分がいつしか歳をどえらいこと重ねてしまっている、ということ。
これらを痛切に感じざるを得なかった。

こんなときにしか、いとこ同士が顔を合わせられない、そんな現実も感じた。
しかしこれもまさに現実なのだ。

斎場の喫煙ルーム。
何の申し合わせもなく自然にいとこ5人が集まった。

昔は夏休みに親族家族で旅行したり、互いの家に泊まりに行ったりしていた、くそガキどもが今、
みな家庭を持ち、ほとんど大人の子どもを持つ、おっさんになっている。

子ども時代から今までが、あっというまだ。と思った。

叔父は骨と灰になった。
酒が好きで、仕切り屋で、自慢したがりの、それでも頼りがいのある人だった。

時は流れ、時代は変わり、世界の環境も変わり、それでも人は世代を代えながら生き続けていく。

人ひとりの人生なんて時間にすればわずかに限られた短いものだ。

50を過ぎた今、日々頑張りつつ、人生の仕上げに向かって完成度を高めていきたいところだが

なにがなにが。

ひと晩 明ければ また いつもの日常だ。

ひとり苦が笑いしている。

でも

これでいいのだ。






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ダブルブッキング

2015年10月26日 | 新長沢町自治会
25日(日)は少年団キャンプ二日目と安井小校下の行事がカブった。

町内で青少年育成員の役をもらっていて、この日は休めない。

朝6時。日の出とともに起床。
前日から風が強く、寒さを感じた。





粕川キャンプ場を後にして揖斐川堤防を南下。
朝食はセブンイレブンのホットコーヒーとサンドイッチ。

一旦事務所に寄り、帰宅してシャワー、着替え、はみがき、ひげそり。

9時半から町内クリーン活動実施。

10時に「歩け歩け大会 新長沢町ご一行」出発。
自分が先導。老若男女が29人参加。

途中、大垣市消防団安井分団・防災倉庫を見学。
同じ町内の渡辺さんが親切に説明してくださった。





子どもたちは消防車に乗せてもらい大喜び。
いい勉強になったと思う。



東前の神社を経由して、11時前に安井地区センターに到着。
地区センター祭を見学。青少年育成員はごみの分別担当。

11時半すぎ、安井地区センターを出発。
12時すぎ、新長沢町集会場へ無事到着。

ここから町内の親睦焼きサンマ大会で、例年なら自分も昼間からビールを
飲めるのだが、ここで町内から離脱、ふたたびキャンプ場へ。

1時ごろキャンプ場に到着。昼ごはんに間に合った!
やっぱり飯盒で炊いたご飯はうまい!

ここから大忙し。
テントの撤収はじめ、後片付けの時間だ。元の何もない状態にしなければならない。
しかも3時15分には揖斐駅で団員たちを電車に乗せなければならない。

2時ごろ佐藤リーダーの引率でリュックを背負った団員たちが徒歩で駅に向かって出発。

杉野・市川・私の3名のリーダーで残りの後片付け。

市川は揖斐駅担当、杉野・私は大垣駅で団員を保護者に引き渡し。
それぞれの分担を確認して別れた。

3時40分。
無事に団員たちを乗せた電車が大垣駅に到着。

駅には矢橋副団長が来てくださっていた。お忙しい中ありがとうございました。

迎えの母親には高学年の団員たちが、ちびっこ軍団を相手にそれはよく頑張ってくれたと
報告した。女子二人で3m四方のテントを建てて、撤収もしてしまうのだからすごい。
彼女らの成長をうれしく思う。

野外活動の基礎技能の実力が身についているか。
団体生活の中で、自分の身の回りは当然のこと、それ以外のことに目配り気配りができるか。
それらはキャンプをすると一目瞭然だ。
あやめ。ひなこ。たいへんよくできました。ほめてあげます。


なかなかハードな一日で、夜は酒を飲んで8時半には寝てしまった。

イベントごとの多い10月。
避けられないダブルブッキングは避けたいものだ。(変な日本語。)


昼前の10時台。
突風が吹いて安井地区センターの駐輪場の自転車が将棋倒しになり、あわてて復旧した。

同じ時刻、同じ突風がたぶんキャンプ場も通過したらしく、
うちのテントが一張、ペグを引っこ抜いて横転したと、あとで杉野リーダーから聞いた。

ふたつのアクシデントが容易に頭の中でくっついたのは
世界の中で自分だけだろう。









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第3回 ザ・オヤジの会 開催

2015年10月21日 | 北高校
1年に1回、10月の第一土曜の夜に開催される(こととなった)オヤジの会。

高3当時の級友が今年も集った。

ホストはヒロと愛犬クッキー。ヒロは会場(と、寝る部屋)を提供してくれて、
肉・野菜・炭を担当。



ヒロと同じ池田町出身のタジマはたくさんのビールとズブロッカを持ってきた。

マコトはデザートを、ハルは珍味の海外の缶詰とバゲットを持ってきた。

ヤノは大阪から豚まんを陸送してきた。

自分は焼きそば(粉末ソースつき)。みんな担当が決められていた。

すでに10月の夜は こ寒いので、自然みんな炭火の周りに集まる。

だらだらと飲み、だらだらと食べる。だらだらとしゃべる。

だらだらとした時間が、だらだらと過ぎる。。

腕時計は現地到着と同時に外している。

この、だらだら の、なんと貴重なことか!

この、だらだら を確保するために、その週どれだけ頑張ったことか!

みんな確実にオッサンになっているので酒も弱くなっている。
量がすすまない。タケシの異常なハイテンションもなければ、ヤノとマコトのケンカもない。

誰とは言わないが、白髪、頭髪後退、腹ボテ、老眼、痛風予備軍、いろいろある。

それを酒の肴にして、苦笑して、自嘲して、慰めて、まあええがやと、なし崩しにして、また飲む。



だらだらと夜が更けていく。

オカモト・プロジェクトは具体的進展なし。

やがてタジマとマコトは翌日の予定のため奥様がお迎えに・・。

ヒロんちで3年連続お泊りはハル・ヤノ・タケシと、また同じメンバーとなった。

翌朝。

ヒロは部の公式戦があるため早朝からユニフォームに着替えて、我々を放置して、そっとご出立。

ほぼ同時に目覚めた3人のうち、ヤノとタケシは二日酔いで頭が痛かった。

うん。

名実ともにオヤジの会だ。名前に偽装や粉飾は一切ない。まんまだ。

年に一回の七夕のような会だが、前回開催からの一年の経過が早すぎて、一同当惑している。

オヤジ化が加速することは避けたいものだ。


オヤジばかり6人が集うだらだら会に「七夕」の例えは不適切だな。。



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お客様と共有する「昭和」

2015年10月20日 | 日記
とても忙しい毎日。
9月の長雨に対抗するように10月は秋晴れ続き。
こんなに連日秋晴れの年も珍しいのではないだろうか。

秋は自分がいちばん好きな季節なので、気分も爽快、毎日頑張っている。

今はクーラーもストーブも必要ない貴重な時期。
この時期にふすまや障子の張り替えを依頼してくるお客様は多い。

マンションにお住まいでアルミ障子2本の張り替えのみというお客様もみえる。
「離れ」の障子をすべて、大小あわせて20本超というお客様もみえる。

共通するのは皆さん昭和の方々だということだ。

ある方は身体を悪くされ外出もままならない。
ある方は健康そのもので観劇、落語、コンサート、と多趣味。
様々だ。

お客様の様子をみて、できるだけ会話をするよう心掛けている。

築何年というお話からはその当時のエピソードがいくつも出てくる。
その家の歴史だったり、苦労話だったり。

自分は昭和の話が好きだ。
20歳下と話すより、20歳上と話すほうが、内容がわかるし楽しい。
だからお仕事で家に上がらせていただくのもわくわくする。

昭和のお客様、昭和の家はとても大切。
お客様にとっても。うちの仕事にとっても。
もっと言うなら日本の歴史や文化にとっても。

しかし。
大好きな「昭和」が先細っていく事実は避けて通れない。

どうする。


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アジカン ライブ in 岐阜

2015年10月16日 | 音楽・グルメ
10月2日。忙中閑を縫ってライブに行ってきた。

ASIAN KUNG-FU GENERATION。

Tour2015 「 Wonder Future 」。

長良川国際会議場メインホール 1階16列目。

息子と一緒。初めて。

ずっと70~80年代洋楽ロックのライブばかり行っていたので純国産は久しぶり。
サラリーマン時代に行った「ARB」以来か。



開演から総立ち。
演奏された全28曲のうち、知らなかったのは2曲だけだった。
時々、拳を突き上げて大声で歌った。
久しぶりに大音響のビートに身を浸してタテ揺れし続けた。めっちゃ気持ちよかった。
アジカンはいい。

息子はさすがに30年若いからか、隣でタテ揺れしているとーちゃんには目もくれず、
ガンガン拳を上げながら、跳ぶように、やはり大声で歌いまくっていた。

175cm超の息子と10cmくらい身長のちがうオヤジが並んで立って、
ともに身を反らして大声を張り上げる様は、ロックライブ以外では異様な光景でしかない。
息子とシンクロしている自分をうれしくも思った。

自分が20のとき50の親父と音楽の趣味が合ったか?
二人で一緒にコンサートに行ったことがあるか?
答えはNOだ。

酒を特に好まない息子とは一緒に飲みに行くこともまず無い。


だから、短いひとときではあったが、とーちゃん的には超絶ハッピーな時間だったと
断言しておこう。







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バーボン

2015年10月14日 | 音楽・グルメ
バーボンウィスキーが昔から好きだ。
といっても日常飲んでいるわけではない。

シングルモルトを好む人たちがいる。
しかし自分はまだその境地に踏み込めていない。
無論きらいではないが。

30年ほど前、大垣にSOLE・SOLEというレストランバーがあった。

自分はそこのファンであった。
各種パスタ、ピザをはじめ、シーフードサラダ、コキール、エスカルゴ・・・
マスターの手料理は、それはそれは美味しかった。

就職後の週末、関西から営業車で帰垣し、よくそのまま店に直行したものだ。
その店も今は無い。。

当時、アーリータイムズ、フォアローゼス、ワイルドターキー、ジムビーム、IWハーパーなどは
すでにメジャーで、自分はあえてそれ以外のバーボンを飲んだ。

いつもボトルキープだったので、メーカーズマークとかブラントンとか
高価なバーボンはキープせず、そのときの気分でショットで飲んだ。

よく飲んだのは、エヴァンウィリアムス、オールドクロウ、グランダッド、エズラブルックス、など。
もちろん一般的な7~8年もの。

エヴァンの12年もの(赤ラベル)はお気に入りだった。(高かった。)

バーボンには独特の香りがあり、12年ものくらいになると口あたりも香りも
ぐっと高級に感じられる。当時の自分には10年超えは「ぜいたく品」だった。

そもそもバーボンを飲んでみようかと思ったきっかけは
吉田拓郎の「ペニーレーンでバーボンを」という曲があったり、
柳ジョージのレーベルが「バーボン・レコード」だったり、歌詞に出てきたり。
(バーボンってどんなんや)と思っていたことだ。

親父の「サントリー・オールド」をかくれてこっそり飲んでいた自分には
バーボンは、未開の地、未知の領域だった。

高校3年のときだったか。(?)
つらい日常から逃亡したくなり、拓郎や柳ジョージを思い出し、
○○商店でエイシェント・エイジを一本買い込み、
週末の夜中にこっそり飲んで、飲み過ぎて窓から外へゲロした思い出がある。

酒のうんちくは自分には似合わない。
所詮下衆な男だ。

今夜たまたま家の棚の奥に「ターキー・スタンピード」が飲みかけのまま
放置してあるのを見つけ、ひと口飲んだとたん、
記憶の引き出しがいくつも開いた、
それだのことだ。




ひとり酒は慰労と逃避のためにある。


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土佐和紙壁紙を貼る

2015年10月12日 | 内装工事
現在施工中の銀行の支店新築工事。

設計事務所の指定により、応接室、渉外室などに土佐和紙壁紙を貼った。

メーカーは香川県の「ハウス・システム」。
採用商品はHW-08F こうぞ入り和紙壁紙。

このメーカーの和紙壁紙の存在は以前から知っていたが、
実際に現場施工するのは初めて。

パテ透けはないか、タッカーの凹みが表面に出るか、ジョイントのおさめをどうするか、
などの課題があった。

会社の作業場で試験貼りを行ない、パテ透けはないと判断した。
タッカーの頭はパテでひろうことにした。

ジョイント部のおさめかたは「みみ残し、右上前、四分重ね」でどうでしょうかと
設計事務所に打診し、了承を得た。

実際の施工。

パテ処理。
パテのエッジ部が表面に出ないよう留意した。



壁紙貼り。
通常と反対に左から貼っていく。右上前にするため。これは表装の世界の常識でもある。
クロスの糊付け機で糊付けができてよかった。
和紙貼りのときにはローラーや刷毛で糊付けしなければならないケースもある。



ジョイント部のおさまり。
「みみ」を残してそのまま重ね貼りしたので、重なり部分が丸く柔らかく仕上がっている。
自然な感じでとてもいい。
施工後のジョイントの目隙きの心配は皆無だ。




設計事務所や、銀行関係者の方々に喜んでもらえるといいな、と思う。


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~あなたの街の 親切ていねいな ふすまと内装工事のお店~
(有)林文香堂 http://h-bunkoudou.com
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あとすこしで完成。

2015年10月09日 | 内装工事
9月末からずっと、ある銀行の支店の新築工事にあたっている。
当社にとって今年最大規模の物件。目下最優先だ。



いよいよ各業種の仕上げ工程も佳境に入った。

一時はどうなることかと思ったが、なんとか先が見えてきた。

毎日夕方、監督さんと工程を調整し、関連業種間も横の連携をとりつつ、
とりあえず今日までは大きなトラブルもなく来た。

当社はこの三連休(世間では)のあいだにスパートをかける。
そうすることで後の工程が間違いなく楽になるはずだ。

現場では、みんなきちんと挨拶し、きちんとした言葉で話しをする。
30年前に比べれば、建築の現場はすべてのレベルがあがっている。
当然そこで仕事をする職人たちの質も。

大きい現場は職種も多く、職人も車両も材料も工具も、床を這う電気コードも何もかも多い。
ひと言で言えば「大変」なのだが、見方を変えれば、
建築の現場は、男の世界、大人の世界、美学とプライドの象徴かもしれない。


この銀行の支店が完成すれば、その地域の人たちはたくさん利用するだろうし、
歴史のある街並みに溶け込む外観や、ピッカピカの内装に、きっと喜んでくださるはずだ。
旧中山道をハイキングする人たちにも目を引く存在になるに違いない。


そう信じて、あと数日、気を引き締めて臨みたい。
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ノーベル賞 大村 智さんの言葉

2015年10月08日 | いい言葉
今年のノーベル生理学医学賞に、大村 智さんが選ばれた。
まことに喜ばしい。国民の誉れだ。

インタビューに答える大村さんの言葉の中に

「 幸運は 強い意志を好む 」

とあった。

うむむ。なるほど。なるほどである。
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