大垣市の 親切ていねいな ふすまと内装工事のお店 【創業80余年 林文香堂】 三代目店主の前向きな日記 

明るく朗らかに、人に親切に、素直に、謙虚に、感謝して の五つの基本を胸に、日々の小さなよろこびを綴ります。

バーボン

2015年10月14日 | 音楽・グルメ
バーボンウィスキーが昔から好きだ。
といっても日常飲んでいるわけではない。

シングルモルトを好む人たちがいる。
しかし自分はまだその境地に踏み込めていない。
無論きらいではないが。

30年ほど前、大垣にSOLE・SOLEというレストランバーがあった。

自分はそこのファンであった。
各種パスタ、ピザをはじめ、シーフードサラダ、コキール、エスカルゴ・・・
マスターの手料理は、それはそれは美味しかった。

就職後の週末、関西から営業車で帰垣し、よくそのまま店に直行したものだ。
その店も今は無い。。

当時、アーリータイムズ、フォアローゼス、ワイルドターキー、ジムビーム、IWハーパーなどは
すでにメジャーで、自分はあえてそれ以外のバーボンを飲んだ。

いつもボトルキープだったので、メーカーズマークとかブラントンとか
高価なバーボンはキープせず、そのときの気分でショットで飲んだ。

よく飲んだのは、エヴァンウィリアムス、オールドクロウ、グランダッド、エズラブルックス、など。
もちろん一般的な7~8年もの。

エヴァンの12年もの(赤ラベル)はお気に入りだった。(高かった。)

バーボンには独特の香りがあり、12年ものくらいになると口あたりも香りも
ぐっと高級に感じられる。当時の自分には10年超えは「ぜいたく品」だった。

そもそもバーボンを飲んでみようかと思ったきっかけは
吉田拓郎の「ペニーレーンでバーボンを」という曲があったり、
柳ジョージのレーベルが「バーボン・レコード」だったり、歌詞に出てきたり。
(バーボンってどんなんや)と思っていたことだ。

親父の「サントリー・オールド」をかくれてこっそり飲んでいた自分には
バーボンは、未開の地、未知の領域だった。

高校3年のときだったか。(?)
つらい日常から逃亡したくなり、拓郎や柳ジョージを思い出し、
○○商店でエイシェント・エイジを一本買い込み、
週末の夜中にこっそり飲んで、飲み過ぎて窓から外へゲロした思い出がある。

酒のうんちくは自分には似合わない。
所詮下衆な男だ。

今夜たまたま家の棚の奥に「ターキー・スタンピード」が飲みかけのまま
放置してあるのを見つけ、ひと口飲んだとたん、
記憶の引き出しがいくつも開いた、
それだのことだ。




ひとり酒は慰労と逃避のためにある。


コメント (6)
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