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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

80歳でも脳が老化しないためには睡眠が大切

2023年06月04日 | 健康
   アマゾンの㌻を叩いていて、脳科学者西 剛志の「80歳でも脳が老化しない人がやっていること」に行き当たった。
   「試し読み」を開いて、目次を見たら、殆ど中身が推測できたので、感想を書くのだが、
   要するに、何もしなければ、脳の老化、すなわち、老人脳になると言うことだが、脳の老化は、老人になってから起こるのではなく、脳のピークは機能によっては若年から起こっていると言うことである。
   情報処理能力のピークは18才 人の名前を覚える力のピークは22才 集中力のピークは43才 と言った調子で、老年にとっての救いは、語彙力のピークは67才で、50才を越えても伸び続けているのである。
   ピークを長く保てる人は、老人脳にならないために、脳の老化を緩やかにしたり(スローエイジング)、積極的に若返らせる工夫(ダウンエイジング)しており、そのピークを70代、80代にも伸ばせる。ことが可能だという。

   脳を元気にして、人生を充実するのは大切な行為だと指摘して、真っ先に言及するのは、「歳を取ると睡眠が短くなるのも老化現象の一つ」として、睡眠の重要性を説いている。
   睡眠時間の短い人は、脳のゴミであるアミロイドαが脳に蓄積しやすくなり、結局、アルツハイマー認知症の発症リスクが高くなる。この脳のゴミを貯めないために、良い睡眠が必要である。と言うのである。

   睡眠時間は、10才毎に10分ずつ短くなるが、睡眠の質は変らないという。
   良い睡眠を取るためには、①30分以内の昼寝をする ②いびきを改善する ③歯を大切にするなどと処方が記されていて興味深い。

   さて、私の場合だが、この処方に対しては、昼寝はしないが書斎で本を読んだりTVやビデオを見ているときには時々居眠りをしており、いびきは横向きに寝て避けており、歯は8020運動をクリアーして80才を越えても25本以上の歯が健在である。
   その他、日光を浴びるとか、寝る前にカフェインやアルコールを避けるのなどは普通だし、寝付きが悪いだけで不眠症には縁がない。
   孫娘の幼稚園への送り迎えが必要だったときには、それなりに、早く朝起きが必要だったが、もう、それが終ったこの頃では、むしろ起床時間が遅くなり、何十年も深夜過ぎの就寝のリズムは同じだし、8時間を越すこともあって、睡眠時間の短さは解消している。
   就寝途中に2回くらい小用に立つことがあって、途中で、嫌なことを思い出したりして眠れなくなることもあるが、何日も続くわけでもないので、寝不足という程にはならない。
   もう、この歳まで、問題なく寝続けてきたのだがら、眠れないはずがないと高をくくっている。

   さて、実際にこの本を読んでいないので、これ以上言及できないが、脳の能力のピークが、かなり、若年に達していることからすれば、老化現象の減速努力や回避に対しては、相当人生の早い段階から手を打っておかなければならないような気がしている。
   私の知人友人の中で、認知症に罹っている人の多くは、現役引退前後の生活環境の変化に上手く適応できなかったような気がしている。それまでの職場人生に慣れきって、先のことなどを何も考えずに、同じ人生のリズムが続くものと何の疑問も抱かずに突っ走ってきたのであろう。

   私自身は、傘寿を越えた今でも、大学や大学院時代の専門書を普通に読んでいて不自由はしていないし、このブログも、それなりに18年間続けていて、それ程程度は落ちていないと自負している。
   何も変ったことをしてきたわけではないが、学生時代と変らずに、新しい本や難しい本にも挑戦して、何十年も同じペースで読書三昧に明け暮れてて来たことや、かなり自分勝手ながら、知りたい観たい聴きたいと思ったことども真善美を求めて趣味に生きてきたことなどが、頭の活性化に役だったのではないかという気はしている。
   メガネは、遠中近と3つ使い分けてはいるが、目に故障がなかったのが幸いしている。
   尤も、歳には勝てず、耳も目も少しずつ老化しつつある。頭は、まだ、持つであろうと期待しているのだが、いずれにしろ、老いとの闘いである。

   今日も、阪神が勝った。
   わが生まれ故郷西宮の誇りであり、阪神の快進撃は私の健康にとっても良いことである。
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株主総会の季節がやって来た

2023年06月03日 | 経営・ビジネス
   細やかな少数株主だが、人並みに株を持っているので、株主総会招集通知が送られてくる。
   以前は、興味を持って、株主総会にも出て、このブログでも経営雑感を書いていたが、最近では、招集通知さえ見ないし、勿論、総会にも行かなくなった。

   私も、一部上場企業の監査役を務めていたので、株主総会が何たるかは、曲がりなりにも知っているつもりだが、株主総会を取り巻く経営環境の大変化には驚いている。

   今日の日経一面には、「株主提案、最多の32社 セコムなど 還元・統治改善求める」
   株主は資本効率の改善や脱酸素への取り組みなどはば広く改善を迫る。機関投資家は、株主提案であっても内容次第で賛成投票を投じるようになっており、企業価値向上を巡る攻防が激しくなっている。テーマは資本効率だ。と言う。

   一方、先行するアメリカでは、
   「株主提案最高水準 両派が「乱発」米社総会、ESG是非争う」
   企業に気候変動や人種格差などへの対応を求めるESG関連の提案が隆盛を極めて企業に経営改善を迫っていると思っていたら、今や、逆に、米国社会で広がる社会の価値観の対立「文化戦争」の流れが株主総会にも反映されて、「反ESG」の提案が出てきたと言うのである。
   SEC委員長が交代して、株主提案のハードルを低くして、かっては、企業が社会的影響などが小さいと判断した提案については委任状から除外できたが、今年から基本的に企業は提出された提案を総べて株主の投票にかける必要がでた。乱発される株主提案に迫られる企業の「株主提案疲れ」が出ており、「提案の内容を審査し、対応を協議するなど、取締役会や経営陣は多くの時間とコストを費やすこととなる」と言うことである。

   私が、株主総会を取り巻く経営環境の大変化だと言うのは、私が現役であった頃、すなわち、世紀末から21世紀初年頃にかけては、株主対策は、「総会屋対策」が、その殆どであった。と言うことである。
   どんなに優秀な企業でも、叩けば埃が出ることもあれば、不祥事に見舞われることもあるのだが、そんな企業の弱点を論って、時には、あることないことお構いなしにスキャンダルをでっち上げて、株主総会を大混乱させる。ある大企業など、朝10時にスタートした総会が深夜になっても終らないこともあった。
   普通は、脅し揺すり専門の総会屋が主体であったが、多少経営知識がありバランスシートの初歩くらい分かるインテリ(?)総会屋に荒らされると手が付けられない。私など、米国製MBAの知識で論破すればと思っても、そんな次元の話ではない。
   それ以前は、事前に裏側で各企業とも総会屋対策を講じて収めていたが法制度が厳しくなり、金づるを絶たれたので、総会の場での熾烈な闘いとなった。
   弁護士事務所や信託銀行のベテランの指導を仰いで、想定問答集を一生懸命勉強して、何度もリハーサルを続けた。

   まったく、ナンセンスであった当時の総会対策を思えば、まだ、理論的にも正論であり納得のいく株主提案も出ており、今の方が、少し進歩したのではないかと思っている。
   プロの高度な経営理論によって企業に迫る機関投資家などの存在は貴重であって、経営効率の向上に資すれば、社会の進歩発展にも繋がる。
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60年ぶりの大学ゼミの同窓会

2023年06月01日 | 生活随想・趣味
   1964年卒であるから、切り上げて60年ぶりの同窓会である。
   他のメンバーは、何らかの同窓会に出ているとかで、それほどあいてはいないようだが、私の場合は、海外勤務も長かったし、殆ど同窓会には縁がなかったので、卒業前後には経済学部の同窓会の司会をするなどしていたのだが、それらの初期の記憶も欠落してしまっていて、正に60年ぶりの印象であった。
   京都大学経済学部 岸本誠二郎教授のゼミナールで、同期生12名、物故者が4名、行方不明1名、存命で連絡がつくのが7名で,今回集まったのは残りの5名である。
   同窓会が順調に継続するかどうか、成功するかどうかは、有能な世話役がいてキチンと面倒を見てくれるかどうかに、すべてが掛かっており、学生時代にも律儀に世話を焼いてくれていた元銀行員で今でもアクティブに活躍しているI君が当たってくれた。

   一寸遠いのは、ひたちなか市と愛知県新城、ほかは、都内とさいたまと鎌倉なので、再会場所は東京、
   新丸ビルの京大東京事務所で、小一時間雑談にして、同ビル内のレストラン街の四川料理で会食し、三々五々家路につくと言うスケジュール。
 
   60年の歳月を越えて、彷彿とする学生の頃の懐かしい面影を見つけて、嬉しさがこみ上げてくる。
   あっちこっち、それぞれに、持病を抱えているとかで病歴を語るのだが、話し始めると一気にテンションが上がって、元気溌剌、
   懐かしい思い出話が弾んで、時を忘れるくらい楽しい一時であったことは言うまでもない。
   
   些細なことだが、
   懐かしかったのは、友が大切に保存して持ってきてくれた学生時代の写真、
   3回生の夏に,秋の東京での全国学生経済学大会での発表の準備のために出かけた、長野県湯田中での合宿の時に撮った写真の数々、
   話になると、思い出の記憶が不鮮明なので、途切れたり霞んでいるのだが、写真は、一目瞭然、一気に、懐かしい当時の思い出をビビッドに再現してくれる。
   私など、写真は随分ある筈なのだが、海外は勿論、国内でも頻繁に宿替えをしていたので、殆ど残っていなし、海外で撮った膨大な数の写真は、100冊をはるかに超えるアルバムには、私の写真などなく娘たち中心の家族写真ばかり、

   保存の良さでもビックリしたのは、ゼミ当時のテキストの経済学書を今でも持っている友がいると言うことである。
   ゼミで使った第1年目のテキストは、R・C・マシューズ著「景気循環 (1961年)」
   残念ながら、2年目は分からない
   東京大会で発表した経済論の種本は、ジョーゼフ・シュタインドル著「アメリカ資本主義の成熟と停滞―寡占と成長の理論」
   今古書で買えるのは、1988/11/1版だが、原書のMaturity and Stagnation in American Capitalismは、 (1952)刊なので、我々が使ったのは旧版である。
   この本は、今問題になっているスタグフレーション(Stagnation )を論じているであろうから、非常に興味深い。
   1960年代末から1970年代末にかけて英米を中心に起こったオイルショックに起因するコストプッシュ型の二桁台のインフレに、深刻な経済不況が重なったスタグフレーションが、一番記憶に残っているのだが、その前の時期であり、結構貴重な勉強をしていたようで、嬉しくなってきた。

   余談ながら、気になったのは、日米の大学の勉強量の差である。
   私自身の経験で、この京大経済学部と全米屈指のビジネス・スクールのウォートン・スクールと比べてであり、学士と修士との差はあるのだが、
   京大の場合には、岸本教授が経済原論の教授であり、ゼミでは、幅広い経済学分野をカバーした学説や知識の開陳で大いに勉強できたと思っているが、関連する経済学書や副読本を積極的に読んで勉強するという言った雰囲気はなかった。
   ウォートンでは、ゼミはなくて、ゼミに似たコースはあったが、どのコースも定まったテキストなどはなくて、授業は、それぞれのコースに沿った経営学・経済学関連書を網羅して進行して、コース終了時には最新の知識まで持ってくると言う感じであった。従って、毎回、膨大な専門書や資料のリーディング・アサインメントがあって、毎夜、100㌻200㌻などは少ない方で、時には何百㌻を読み通して授業に臨むのは当たり前であって、これが、2年間続く。
   サミュエルソンのエコノミクスなど、最初の授業の2~3回くらいで終了して、最後には最新の経済学論文を読み説くのであるから、正直なところ、
   ミクロとマクロの2コースの経済学の受講だけで、京大の4年間の勉強に匹敵すると思っていて、まさに、驚異的な差であった。
   後20コースくらいの経営学分野の単位取得が必要だったが、勿論、経営学においては日米の落差ははるかに大きくて、質量共に、当時の京大の比ではなかった。
   京大とウォートンとでは、10年の時間差はあるのだが、アメリカなら、岸本ゼミの勉強では、少なくとも10冊以上の専門書や副読本を駆使しなければならなったのであろうと思うと、勉強不足を痛切に感じる。
   
   しかし、当時は、日本は戦後復興期で、まだまだ貧しかったし、テキストを買うのがやっとであった。
   いずれにしろ、全国から古都京都に集まって、肩を寄せ合って切磋琢磨した友がいて、必死に頑張って、青春を謳歌した、あの懐かしい岸本ゼミ時代を過ごせた宝物のような経験があったからこそ、フィラデルフィアの大学を卒業して、ロンドンパリを股に掛けて、欧米人と切った張ったの熾烈なビジネス競争に明け暮れて来れたのだと思って感謝に堪えない。
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