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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日経・・・若者たちにレコード人気と言う

2017年09月10日 | 生活随想・趣味
   昨日の日経夕刊に、「レコード 若者に響く」と言う記事が1面に掲載されていた。   レコードの人気が再燃したと言うことらしい。
   これまでにも、タワーレコードがレコード売り場を拡充したとか、ソニーがレコードを再生産するとか、よく似た記事が報道されていた。

   よく考えてみれば、SPレコードの経験はないが、私たちの若かりし頃の音源は、すべて、33回転のレコードとプレイヤーであった。
   クラシック音楽に興味を持ち始めて、レコードを買い始めた頃は、1枚2000円と、結構高価で、月給が2万円台後半であったから、手取りの10%したので、そうそうは買えなかったが、まだ、ワルターやトスカニーニの全盛時代で、カラヤンが人気レコードになり始めた頃であった。
   クラシック音楽喫茶と言うものがあって、玄関に新譜のジャケットを掲げて、店内で、そのレコードを聴かせると言う喫茶店が人気を得ていた頃でもあった。
   
   その後、このレコードが、カセットテープになり、CDになり、映像の方は、ビデオが、レーザーディスクになりDVDになり、今やアップルの登場以降、音源は多彩を極めている。
   私の場合は、若くて元気な頃は、せっせとクラシック音楽のコンサートに通い、新譜が出れば出たで、レコードを随分買い揃えた。
   勿論、ビデオもレザーディスクも、そして、CDは勿論DVDも、主に、クラシック音楽ばかりで、オペラが結構多くて、同じオペラでも気に入ったものは、何種類かのセットを揃えたので、コレクションが膨大になった。
   忙しくて、十分に鑑賞する時間もなかったが、揃えておけば、後で聴ける観られると思って買い続けたのだが、ヨーロッパにいた頃は、劇場やホールでの実演の方に興味が移り、その後も、読書の方が熱心になって、CDやDVDさえも殆ど手を付けなくなってしまった。
   ビデオとテープの方は、カサがあって時代でもないと思ってすべて処分したのだが、レコードやレーザーディスク、そして、CDやDVDは、殆ど残している。

   レコードとレーザーディスクも結構嵩高くて保存には大変だが、レコードセットケースや大型の書棚に収納できたし、青春と壮年時代の思い出が充満していた所為もあって、何となく、残ったと言うことであろう。
   何度も転居を重ね、それに、長い海外生活の間も、会社の施設や倉庫に預けるなど、点々としながら残っているのである。

   今度の鎌倉への転居で、後はどうするのか、娘たち家族次第だと思って、納戸の奥に収容して、容易に手にすることが不可能になってしまったが、比較的手前にあったレーザーディスクでも、100枚くらいはあるので、少なくとも、4~500枚くらいは残っているだろうと思う。
   

   面白いのは、レコードのかなり多くは、アメリカのウォートン・スクール留学時代に、フィラデルフィアで買った洋盤で、新譜が2~3割引きくらいで売り出されていて、オペラのセットものなど、日本よりはるかに安かったので、買い揃えることが出来たのである。
   同じことは、ロンドンにいた頃もそうで、普段は勿論、帰国前にも、全集物など、クラシックやオペラのCD(DVDはシステムが違うのでダメ)を随分買って帰った。
   このCDは、セット棚に並んでいるのだが、手を付けることもないので、1歳の孫娘のオモチャになって、引き出されてセット物の箱など、哀れな姿になり果てている。

   さて、レコードだが、レコード復活と言う話題性もあって、それに、最近、安くて簡便なプレイヤーが出ているので、買ってきて、レコードを聴いてみようかと思ったことがある。
   しかし、CDでさえ聴かないし、DVDさえ殆ど観ないので、まず、面倒であることを考えれば、二の足を踏み、その気になれなかったのである。

   このレコードブームは、我々、シルバーのノスタルジア回帰というのではなく、デジタルネーティブ世代が、デジタルに慣れすぎて、逆に、アナログに新鮮さを感じて起こっていると言うことのようである。
   大分前のことになるが、地方都市の商店街の片隅の小さな喫茶店で、古いジャズなどのレコードを背後の棚にびっしりと並べて、初老のマスターが、昔を懐かしみながらジャズを流して、コーヒーサイフォンを眺めながら、ウエッジウッドのカップを愛しんでいた姿を見ていて、これが文化だと思ったことがある。

   それでは、レコードをどうするのか。
   そのままにしておいて、娘たちに任そうと思う。

   音楽を聴くのなら、今、したいことと言えば、やはり、DVDでオペラを観ること。
   私の場合には、やはり、ブルーレイで、ハイビジョンでなければならないので、殆ど、市販品では探せないのだが、これまでに録画し続けて大変な量になっているWOWOWからのMETのライブビューイングとNHK BSからの世界の名だたるオペラ劇場からのオペラであろう。
   馴染み深いのは、欧米でオペラハウスに通い詰めていた頃、ひと昔前の、一寸昔のオペラだが、残念ながら、ビデオは処分してなくなってしまったし、レーザーディスクは、手持ちのプレーヤーが使えるのかどうか。
   いくらかは残っていると思うので、若かりし頃のパバロッティやドミンゴ、キリ・テ・カナワ、ミレッラ・フレーニ、ヘルマン・プライと言った名歌手の歌声が聴ける古いDVDを、倉庫をかきわけて探そうと思っている。

   レコードと言うことで、クラシック音楽を聴きながら青春時代を歩き、オペラやクラシック音楽を聴きたくて劇場を行脚しながら馬車馬のように走っていた壮年時代において、私にとって、音楽が如何に活力の源であったか、久しぶりに、しみじみと遠い昔に思いを馳せている。
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国立能楽堂・・・狂言「蟹山伏」能「天鼓」

2017年09月09日 | 能・狂言
   本日は、普及公演で、プログラムは次の通り。

   解説・能楽あんない「天の申し子、天上の楽」  梅内 美華子(歌人)  
   狂言 蟹山伏  善竹 隆司(大蔵流)
   能  天鼓   當山 孝道(宝生流)

   「蟹山伏」は、大峰葛城山での修行を終えた山伏が、従者の強力を連れて、故郷出羽ノ国羽黒山へ帰る途中江州蟹が沢で、突然、化物(蟹ノ精)に出くわす。退治しようと金剛杖を振り上げた強力は、耳を挟まれたので、強力を助けようと懸命に祈るが、祈祷が利かずに、山伏まで耳を挟まれて散散な目に合うと言う話。
   大変な修業を終えた山伏でも、その法力が利かないと言うことか、威張り散らして、ぼろろんぼろろんとか、いろはにほへととか、いい加減な呪文を唱える山伏が登場して、恥をかくと言うのが譲渡手段の狂言の山伏もの。

   シテ/山伏 善竹隆司、アド/強力 善竹隆平 アド/蟹の精 善竹忠亮

   この狂言は、冒頭、囃子方が登場して次第を囃す。
   そして、面白いのは、蟹の精が、黒頭に賢徳と言う狂言面をつけた出立で、親指と人差し指で挟みの形をした両手を左右に広げて上にあげて横跳びしながら移動する。
   大蟹伝説をベースにしているようだが、山伏は、蟹に何者だと問うてその返答で蟹の精だと見破っており、呪文が利かないだけで、蟹に突き飛ばされてそのまま逃げられると言うストーリーは、すんなりしている。
    15分の短い狂言であったが面白い。

    能「天鼓」は、結構、何回も鑑賞している。

    中国 後漢の世。母・王母が、天から鼓が降って胎内に宿るという夢を見て授かった少年・天鼓は、天から降ってきた妙なる音色の鼓とともに育ったが、噂を聞いてその鼓を召し上げようとした皇帝の命令を拒否したので、殺害されて呂水川に沈められる。しかし、召し上げた鼓は鳴らなくなってしまったので、勅使(ワキ)は天鼓の父・王伯(シテ)を召し、鼓を打つと見事に鳴ったので、皇帝も心打たれ、天鼓を弔うことにする。「管絃講」の音楽法要で弔っていると、天鼓の霊(後シテ)が現れ、鼓を軽やかに打ち、星空の下、興に乗じて遊び戯れる。
    こんな話であるが、中国にも原典はなく、創作能だと言う。
   天鼓が子供だからかどうかは分からないが、多くの夢幻能の様に、恨み辛みを持って無念にも死んでいったとか、成仏できずに苦しんでいる亡霊や怨霊を後シテとするのではなく、この能の後シテは、「管弦講」に誘われて登場して、喜んで、興に乗って遊び戯れて舞い続けて消えて行く、と言うのが、非常にユニークで興味深い。

   能の囃子方の楽器は限られているのだが、歌舞伎や文楽の様に、三味線や琴、胡弓などが加われば、「管弦講」と天鼓の喜びの雰囲気が、もっと良く醸し出されたであろうと思った。
   能は、イマジネーション、想像を豊かにして鑑賞すべきだと思っていても、鑑賞初歩の私には、まだまだ、無理である。

   解説の梅内さんが、天鼓は、マリアに宿ったイエス・キリストを連想させると語っていたが、秀吉や金太郎にも、そんな話を聞いた感じがするが、母親が、どんな啓示を得て子供を宿したか、庶民でも庶民なりにあるであろうと思うと面白い。

   解説の梅内さんは、馬場あき子さんが先生。
   非常に丁寧で分かり易い説明で、有難かった。
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秀山祭九月大歌舞伎・・・「ひらかな盛衰記 逆櫓 」「再桜遇清水」

2017年09月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回、歌舞伎座は、夜の部を鑑賞した。

   演目は、
   ひらかな盛衰記 逆櫓
   再桜遇清水

   「ひらかな盛衰記 逆櫓」は、旭将軍木曽義仲の重臣樋口次郎兼光が、義経を討つために、義経の御座船に乗ろうと、漁師権四郎の入り婿になって逆櫓の技術を身に着けたのだが、そこへ、腰元お筆がやってきて、巡礼先で権四郎が取り換えっ子になって育てている孫の槌松が、木曽義仲の遺児駒若丸であるから返してくれと言ってきたので、船頭松右衛門で通していた樋口が、自分の素性と義経追討の意思を明かす。と言う話。
   その後、義経の乗る船の船頭になる命令を受けていたので、逆櫓の指導を受けにやってきた同僚船頭たちに、既に素性がばれていたので、襲われ捕らわれるのだが、権四郎の機転と畠山重忠の恩情で、槌松(駒若丸)の命が救われたので、縄目にかかる。
   海上での「逆櫓」の練習と組み討ちでは、体の小さい子役を使っての「遠見」の演出が面白い。

   吉右衛門の初舞台が、この槌松だったと言うことだが、今回の舞台は、久方ぶりの上演だと言う。
   これ程、吉右衛門が大きく偉丈夫に輝く舞台も少ないと思うのだが、前後に変わって行く世話と時代の使い分けの素晴らしさも、特筆ものである。
   孫を身代わりに殺されて断腸悲痛の義父権四郎に、義理故に、駒若丸を死守して武士道の誠を貫かせて欲しいと血の滲むような懇願、この父子の人間としてのギリギリの命の交感が感動的である。

      女房およしが、もう少し若々しい雰囲気を醸し出して居れば、もっと良かったのにと思うのだが、相変わらず、老成したいぶし銀の様に光る歌六の権四郎、特に、お筆に理不尽な要求をされて苦悶し慟哭する祖父としての生き様が素晴らしい。
   特に目立たず奥ゆかしく、感情を押し殺して誠実にお筆を演じる雀右衛門は、素晴らしい秀山祭の貴重な女形。吉右衛門の従兄弟と言うだけの関係以上である。

   このブログでは、「逆櫓」は、2年前の芝翫の舞台と、玉男と勘十郎のそれぞれの文楽の舞台について書いているのだが、歌舞伎でも、結構見ているような気がしている。
   前場の「大津の宿」で、お筆とその父鎌田隼人が、山吹御前と駒若丸を連れて泊まっているところを賊に襲われて、丁度、そこに権四郎と槌松も同宿していて、取り換えっ子になると言う舞台も観ているので、よく覚えている。
   12月の国立小劇場での文楽では、「ひらかな盛衰記」が通しで上演されるので、楽しみである。

   この舞台のキャスティングは、次の通りだが、恐らく、最高の手堅い布陣であろう。
   左團次は適役だが、又五郎、金之助、松江などは、ちょい役と言った感じで惜しいくらいである。

   船頭松右衛門実は樋口次郎兼光 吉右衛門
   漁師権四郎 歌六
   お筆 雀右衛門
   船頭明神丸富蔵 又五郎
   同 灘吉九郎作 錦之助
   同 日吉丸又六 松江
   松右衛門女房およし 東蔵
   畠山重忠 左團次

   松貫四の名で書いた吉右衛門の作品「再桜遇清水」は、金丸座20周年記念に初演されたとかで、13年後の今日、歌舞伎座では初めての上演である。
   これまでは、主役の清水法師清玄/奴浪平または清水法師清玄を、吉右衛門が演じていたが、今回は、芸の継承であろうか、代わって、染五郎が演じている。
   ストーリーが、恋に落ちて煩悩を断ち切れずに、奈落の底に転落して行く高僧の悲惨な生き様をテーマとした歌舞伎なので、吉右衛門が演じるとどうなるのか分からないが、久米川で洗濯する若い女性の白い脛に見惚れて、神通力を失い、墜落した久米仙人とは違った深刻な物語でありながら、もっと、泥臭い若いエロチックな雰囲気の濃い世界なので、染五郎の方が、適役ではないかと思って観ていた。

   鎌倉の桜が満開の新清水観音を舞台に、源頼朝の厄除けのため、「薄縁の御剣」の奉納が行われ、その奉納役の千葉之助清玄が、北条時政の娘桜と恋仲。
   一方、荏柄平太胤長と言う男も、この桜姫に御執心なのだが、門前での逢引き中に、清玄が、桜姫からもらった誘いのラブレターを落として荏柄に取られて、二人は窮地に立つ。
   ところが、機転の利いた桜姫の腰元波路が、これレターは、清玄(きよはる)に当てられたものではなく、清水法師清玄(せいげん)に当てられたものだと言いつくろい、丁度、通りかかった僧清玄に、桜姫の思い人は清玄だと言い含めて納得させて、人目見て圧倒されていた手前もあって、人助けも修業の内とそれを認める。
   一方、こうなった以上生きていく甲斐がなくなったと悲観した桜姫が、清水の舞台から飛び降り自殺を図るが、気絶していたのを下にいた清玄が、口移しで水を飲ませて助け起こして、思い余ってものにしようとするところを、千葉之助清玄が助ける。
   逃げて行く桜姫からもぎ取った左袖を後生大事に曼陀羅の様に、破戒僧となって落ちぶれて、廃寺の様な寺にかけて、桜姫を思い、抱きたい抱かれたい成仏させてほしいとのたうつ悲惨さで、天国を見せるとだまして参寺者を殺害して金を奪うなど、見かねた弟子たちも悲観して入水する。
   色々あって、追っ手から逃れようと、葛篭を背負った惣兵衛が、葛篭を一時預けて去ったので、この葛篭を開けてみると、中には恋しい桜姫が入っていた。清玄は、今度こそ思いを遂げようと桜姫に迫るのだが、奴磯平が駆けつけてきて、清玄を切り殺す。
   亡霊となった清玄が、無間地獄に落ちても抱くと桜姫を我が物にしようと襲い掛かるのだが、その時、千葉之助清玄が「薄縁の御剣」を手に現れて、御剣の霊験のおかげで、桜姫は危ういところで助けられる。
   舞台上手上段の洞穴から、邪鬼と化した清玄の亡霊が、二人を咆哮し威嚇して幕。

   この歌舞伎は、次の段の順に進行する。
   桜にまよふ破戒清玄
   新清水花見の場
   雪の下桂庵宿の場
   六浦庵室の場

   歌舞伎座のチラシには、「陥れられた僧の執念を描いた一幕」と銘打たれているのだが、陥れられたのではなく、恋の魔力に負けて邪恋に身を焦がして自ら地獄へと転落して行った破戒僧の壮絶な軌跡である。
   よく台詞を覚えていないのだが、一度で良いから抱きたい抱かれたいと極めて現代的なストレートな表現で、染五郎の清玄が、凡人と変わらずに煩悩にノタウツ新鮮さは、面白い。
   先にダンテの「神曲」を読んだが、同じ人間でも、ベアトリーチェへのダンテの思いと、随分違うものだなあ。と思って観ていた。

   キャスティングは、次の通りで、染五郎、雀右衛門、錦之助を軸にして、ベテランと若手の脇役が頑張って良い味を出していて面白い。
   魁春が良い味を出して好演していた。
   清水法師清玄/奴浪平 染五郎
   桜姫 雀右衛門
   奴磯平 歌昇
   奴灘平 種之助
   妙寿 米吉
   妙喜 児太郎
   大藤内成景 吉之丞
   石塚団兵衛 橘三郎
   按摩多門 宗之助
   荏柄平太胤長 桂三
   千葉之助清玄 錦之助
   山路 魁春

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国立能楽堂・・・狂言「狐塚」能金春流「大江山」

2017年09月06日 | 能・狂言
   朝、鎌倉を出て、13時からの国立能楽堂の定例公演に出かけた。
   プログラムは、次の通り。
   狂言 狐塚(きつねづか)  三宅 右矩(和泉流)
   能  大江山(おおえやま)  本田 光洋(金春流)

   いずれの演目も、これまでに、別の公演で鑑賞しているのだが、公演時間が短くて、3時に終演するので、歌舞伎座4時半開演の夜の部に十分に間に合うので、両方ブッキングしたのである。

   狂言「狐塚」は、秋もたけなわ、狐塚にある田に稲がたわわに実ったので、鳥に荒らされないように、主が、太郎冠者に鳴子を持たせて田の見張り番を命じる。太郎冠者は、鳴子を用いて群鳥を追い払っているのだが、夕暮れ時に広い田んぼで、一人で居るのは寂しくて、そこは狐塚なので、狐が出ないかとビクビク。そこへ、心配した次郎冠者、続いて、頼んだ主がやってきたので、てっきり狐が化けて出て来たと思って、恐怖にかられた太郎冠者が二人を縛り上げてしまう。二人は、青葉を燃やして燻しあげられて苦しむが、太郎冠者が、皮を剥ごうと鎌を取りに行っている留守に縄を解いて、戻ってきた太郎冠者を捕らえて打ち倒す。

   私の子供の頃、宝塚の田舎の田んぼには、このような懐かしい日本の故郷の原風景が残っていた。
   狐が何故、霊性を持っていて人を化かすという俗信が生まれたのか、伏見の稲荷は神様だし、日本では、狐は独特の動物であり面白い。
   この狂言「狐塚」は、結構、随所で観客の笑いを誘っていたが、私には、しみじみと、日本人のこころのふるさとのような懐かしい思いを呼び起こしてくれた。

   シテ/太郎冠者 三宅右矩、アド/主 三宅右近、小アド/次郎冠者 三宅近成 
   狂言師たちの世界も、随分、豊かになったと言うか、層が厚くなった感じがする。

   能「大江山」は、金春流の名能楽師本田光洋師の素晴らしい舞台。
   大江山の酒呑童子の物語であるから子供頃からお馴染みの話である。

   大江山の鬼退治の勅命を受けた源頼光の一行が、山伏に扮して大江山に赴き、酒呑童子の隠れ家に一夜の宿を求める。酒呑童子と呼ばれるのは酒が好きなためと上機嫌で一行に酒を勧め、重代の住家であった比叡山を追われて、国々を転々とし、この地に隠れ住むようになった、この隠れ家を他言してくれるなと言って、酒に酔って寝床へ行く。頼光がその閨をうかがうと、酒呑童子は恐ろしい鬼神の姿をしてを寝ているので、頼光は独武者とともに鬼神に斬りかかって倒し首を打ち落として都へ帰る。

   「夢幻能」でもなければ、亡霊なり死者の魂が成仏するストーリーではなし、足柄山の金太郎のように、鬼を成敗して目出度し目出度しと言った話の展開で終わっているので、何となく、日頃の能と違った感じで面白い。
   面は、前シテ酒呑童子は、酒呑童子そのもの、後シテ鬼は顰。
   顰は、獅噛、歯噛と書かれたこともあるとかで、獅子が上歯、下歯で噛んだ状態をあらわす言葉で、凄い形相であり、敗れたが、鬼の怒り憤りを象徴しているようで興味深い。

   酒呑童子は、比叡山に住み着いていた地主神で、最澄が比叡山延暦寺建立の邪魔になったので追い払われたと言うことのようである。
   当時、もともとそこに住んでいた多くの異界の地主神(地霊)、異界の存在は、中央の権力者や統治者達にとっては邪魔であり、退治されるべきものであり、領土拡大を謀るときも、それと敵対するものはすべて悪であって、追討、成敗すべきであると言う考えであったから、そんな話が、能や物語の恰好のテーマになっている。
   それに、世の乱れや都の混乱など、政治が悪いにも拘らず、これら異界の鬼神の仕業だとして、やり玉に挙げられる。

   後場で実体は鬼神として退治征服されるものであると皆に知らしめる必要があったのは、見物者は体制側の人々であり、そうしなければおさまらなかったからだが、能『大江山』では、酒呑童子を単なる悪者ではなく、気の良い誠実な鬼として描き、むしろ偽りがあるのは寝込みを襲うなど退治する側にあることを見せ、征服する側にささやかな抵抗を示している。中世の時代では、童子を演ずる猿楽役者も酒呑童子と同じ階級に属するで、征服者に調伏される運命にあり、それを自ら演じなければならない悲しさがあった。
   と、このあたりの思いを、粟谷明生師が、「能『大江山』の酒呑童子について」 で書いていて興味深い。
   前場では、童子姿の酒呑童子が、頼光たちを気前よく宿に泊め酒を振舞って酒宴でもてなしたにも拘わらず、後場では、頼光たちの裏切りに、怒り狂った酒呑童子が挑むも、多勢に無勢で、ついに屈する。
   落差が激しいのだが、そのような弱者からの思いが込められた作能であったとすると、日本の古典芸能も捨てたものではない。

   終演後、早々に、会場を出て、北参道、明治神宮前、表参道、銀座と言うルートで、歌舞伎座に向かった。
   色々なルートがあるのだが、今日のように、時間があると良いのだが、半蔵門の国立劇場は兎も角、上野や東銀座などでの観劇梯子は、難しい。
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国立小劇場・・・九月文楽「 玉藻前曦袂 」

2017年09月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第二部は、「 玉藻前曦袂 」。
   勘十郎が、妖狐が乗り移った玉藻前と妖狐を遣って素晴らしい舞台を魅せて見せる大舞台である。

   この文楽は、玉藻前と言う鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)をモデルにした伝説上の寵姫が主人公で、実は、妖狐の化身であって、正体を見破られた後、下野国那須野原で殺生石になったという玉藻前伝説がメインストーリーである。
   この殺生石は、那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩のことで、付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しているので、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られていて、松尾芭蕉も「奥の細道」の道中に訪れたと言う。のである。

   この文楽は、ベースとしては、能の「殺生石」と同じテーマを踏襲してはいるのだが、、雰囲気が随分違っていて、視覚的な見せ場は、狐の変化である。
   勘十郎の狐の早変わりや七化けが、観客を楽しませる。

   さて、能の「殺生石」は、銕仙会の概要を借用すると、
   曹洞宗の高僧である玄翁(ワキ)が那須野を通りかかると、ある巨石の上で空飛ぶ鳥が落ちてしまうのを目撃する。そこへ里の女(シテ)が現れ、その石は殺生石といって近づく者の命を奪うのだと言い、いにしえ女官に化けて帝を悩ませた玉藻前という妖怪の執心が凝り固まったものだと教える。女は、実は自分こそその執心だと言うと、石の陰に姿を消す。玄翁が殺生石に引導を授けると、石は二つに割れて中から狐の姿をした妖怪(後シテ)が姿をあらわし、朝廷の追討を受けて命を落とした過去を物語り、玄翁の弔いに回心したことを告げ、消え去ってゆく。

   この文楽では、日食の日の生まれと言うことで帝位につけなかったので、簒奪を狙う薄雲皇子(玉也)と組んで、玉藻前(妖狐の化身)が、天皇を苦しめて暗躍するのだが、その目的は、
   天竺では斑足王后花陽夫人、唐土では紂王の后妲己に化けて世を見出し、今は、玉藻前に身を変えた妖狐で、日本を魔界にして、神道と仏道を滅ぼし魔道の世界にするのだと本心を明かす。
   この玉藻前の正体を九尾の狐だと、陰陽師の安倍泰成(玉輝)が暴いて、魔剣である師子王の剣の威力に負けて、玉藻前は妖狐の本性を現して、那須野が原へ飛び去って行くのである。九尾の狐に戻ったキツネ色の黄金の妖狐を遣う勘十郎が、宙乗りで中空を舞って上手に消えて行く。

   尤も、これが本筋だが、実質4時間弱の通しなので、物語はもっと込み入っていて、前半には、薄雲皇子が執心の玉藻前(文昇)の姉桂姫(簑二郎)の恋物語や、薄雲皇子の家来金藤次(玉男)が、その桂姫を実子と分かって殺さざるを得ない話が展開される。
   桂姫姉妹の母右大臣後室萩の方(和生)と対峙する金藤次は、丁度、自分の娘を名のりも出来ずに殺すと言う「弁慶上使」の弁慶張りの悲劇の偉丈夫を演じるのだが、この「道春館の段」だけでも、和生と玉男の名演を楽しめて、ストーリーも結構充実していて面白い。
   また、後半では、薄雲皇子が、水無瀬への御遊時に、傾城亀菊(勘彌)に入れ込んで連れ帰り、酒色に溺れるのみならず、政務まで任せて、金の貸借や色恋沙汰の裁判を裁かせるなどと言った頓珍漢があるも、信用して、神器の八咫の鏡を預けてしまう失態を犯すなど、取ってつけたような話もあって面白い。

   最終の「化粧殺生石」では、那須野が原に逃げ去った妖狐が、滅ぼされて殺生石になるのだが、妖狐の霊魂が石に残って、毎夜様々な姿に化けて踊り狂うと言う面白いシーンが展開される。
   この舞台は、七化けをして、勘十郎が、入れ替わり立ち代わり、人形を変えて達者な芸を披露するのだが、何故か、座頭、在所娘、雷、いなせな男、夜鷹、女郎、奴と言った訳の分からない七化けなので、お祭り気分になる。
   主遣いの勘十郎は、すべての人形を遣うが、手伝い(左遣い、足遣い)は何組かあって、人形を持って待機していて、次から次へ、勘十郎がその人形を受けて遣うと言うことで、歌舞伎のように役者本人が早変わりすると言う切羽詰まった演技ではないので、少しは楽なのかも知れないが、大変な熱演である。
   フィナーレは、妖狐の首で十二単の豪華な美しい玉藻前の姿で、殺生石の頂に現れた勘十郎に、万雷の拍手。

   この舞台では、勘十郎が、人形の首を振った瞬間に、玉藻前が妖狐に、妖狐が玉藻前に瞬時に変わってびっくりするのだが、これは、「両面」と言うかしらで、黒髪の玉藻前と、白髪の狐の顔を、前後両面に持った本作用の専用かしらだと言う。
   フィナーレのかしらは、「両面」ではなくて、「双面」だと言うのだが、私には、マジックのようで、からくりがよく分からなかった。
   美しい娘のかしらが瞬時に恐ろしい鬼女に変わる「ガブ」があるのだから、それ程難しくはないのかも知れないが、文楽の人形遣いの奥深さでもあろうか。

   とにかく、この文楽は、勘十郎の独壇場の舞台で、第1部での萩の祐仙の至芸と言い、正に、勘十郎あっての9月の文楽であったような気がする。  
   
(追記)口絵写真は、国立劇場のHPより借用。
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山川静夫著「文楽思い出ばなし」

2017年09月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    国立小劇場で、「本公演限定 直筆サイン入り」と書かれた山川静夫の新しい本が出ていたので、買って、帰りの電車の中で読んだ。
   何のことはない、この本は、国立劇場の文楽公演のパンフレットに最近まで連載していたエッセイ集で、私など、1993年以降、ずっと、欠かさずに毎回、文楽公演には皆勤して、必ずパンフレットを買っているので、読んでいるべき筈だったが、どこを読んでいたのか、殆ど記憶にないので、飛ばしていたのであろう。

   連載エッセイであるから、その時の公演や演者に関する記事が多いのかと思ったら、必ずしもそうではなく、中身の相当部分は、昭和37年から大阪のBKの若き放送記者時代からの既に鬼籍に入った名文楽師たちの話であり、私が公演に接した人々は、住大夫、嶋大夫、源大夫、二代の玉男、簑助、咲太夫と言ったところくらいである。
   著者さえ聞いたことのない太夫の話なども交えての芸談や、芸の神髄や苦難の修業など、名文楽師が開陳した文楽の奥深さが、随所に語られていて、非常に面白い。

   著者は、学生時代に歌舞伎にハマって、歌舞伎を唯一無二の芝居と奉っていたので、最初は、文楽には関心がなかった。と言っているのが面白い。

   私事ながら、私が歌舞伎や文楽に興味を持ち始めたきっかけは、ロンドンにいた時、1991年秋に開かれたジャパンフェスティバルの時に、歌舞伎は、玉三郎と勘三郎の「鳴神」や「鏡獅子」、染五郎の「葉武列土倭錦絵 歌舞伎ハムレット」、それに、玉男と文雀の近松門左衛門の「曽根崎心中」を鑑賞したことに始まる。
   それまでは、オペラとクラシック音楽に明け暮れていたのだが、日本に帰れば、一気にその機会が減るであろうから、日本の誇る古典芸能に比重を移そうと考えたのである。

   それから、歌舞伎座や国立劇場通いが始まったのだが、荒事やアウトローを英雄化した芝居、見え透いた勧善懲悪もの、南北などの怪奇噺など江戸歌舞伎については、何となく馴染めず、どちらかと言えば、近松門左衛門には学生時代から興味を持っていたし、それに、ストーリー性が豊かで大阪弁で語られている文楽や、歌舞伎でも、浄瑠璃を底本とした和事の芝居が多い上方歌舞伎の方に興味があった。
   今でも、やはり、文楽の方が好きで、時々だが機会を見て、大阪の国立文楽劇場で文楽を鑑賞して、浄瑠璃にゆかりの故地を訪ねたいと思ってでかけており、学生時代を過ごした京都へも、センチメンタルジャーニーを続けている。 

   さて、この本に、”九世竹本源太夫 恩師を強く感じつつ語った「近松物」”と言う章があった。
   住大夫が、「わしは近松は苦手や。字余り字足らずばっかりで・・・」と言っていたのを覚えているのだが、義弟の源太夫は、師匠の八世綱太夫の影響を受けて、「近松物」を得意として、「近松物をやらしてもらってるときは、師匠の面影を追いつつ語っているので、舞台がとっても楽しいです。」と言っている。
 
   人間国宝になり、綱太夫から源太夫に襲名披露したのだが、晩年は体調を崩して休演が多くなった。
   最後に聴いた近松門左衛門は、曽根崎心中の「天満屋の段」、2013年5月であったが、私は、「この段は、久しぶりに、源大夫が、藤蔵の三味線で語ったが、声量に無理があり、やや、迫力に欠けてしまったのが、残念であった。」と書いている。
   いずれにしろ、源太夫が、近松物の第一人者であったことを知っておれば、もっともっと心して聴いておくべきであったのにと思っている。

   文楽好きで義太夫を習ったと言う湯川博士が、「浄瑠璃は、たんに書かれた文学として鑑賞されるべきではなかった。作者は最初からそれが節をつけて語られ、それにともなって人形が動くことを意識していたのである」さすが湯川さんです。と書いているのだが、流石も何も、浄瑠璃とは、そう言うものであるから、当たり前じゃないのか。
   近松門左衛門だって、竹本義太夫の依頼で、大坂道頓堀の竹本座の文楽のために心中物など浄瑠璃を書いたのであって、当然、太夫の義太夫、人形遣いの人形あっての浄瑠璃なのである。
   言うならば、文学作品としても十二分に価値のある物語文学であったと言うことであって、湯川博士は、それを、逆説的に表現したと言うことであろう。

   余談が過ぎたが、ここで触れたのは、ほんの一端で、興味津々の話題が充満している本で、元々歌舞伎に入れ込んで、NHKと言う最高のメディアを通して最前線で古典芸能に通じた山川さんが、さらりと、思い出を反芻しながら語りとおしたエッセイ集なので、非常に、興味深くて面白い。
   素晴らしい文楽公演を堪能した後のこの本なので、ご馳走であった。
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国立小劇場・・・九月文楽「生写朝顔話」

2017年09月02日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日は、朝から夜まで、文楽鑑賞で過ごした。
   非常に意欲的なプログラムなので、初日のチケットを取り、一日中、国立小劇場で過ごしたのだが、連日殆ど満席だと言うことからも、言うまでもなく素晴らしい舞台の連続で、楽しませてもらった。
   昼と夜とには分かれてはいるのだが、「生写朝顔話」「 玉藻前曦袂 」ともに、殆ど通し上演なので、歌舞伎などでも見てはいるが、ミドリ公演なので、迫力と物語としての奥深さといった感激は格段の差で、強烈な印象を残す。

   第一部の「生写朝顔話」だが、宇治川の蛍狩りで、儒学修業中の若侍宮城阿曾次郎(玉男)に恋に落ちた家老秋月弓之助の娘深雪(一輔、後に、簑助、名前が朝顔に変わって、清十郎)の、運命の皮肉に翻弄されながらも必死に生き抜いて行く純愛がテーマである、悲しく切なくも珠玉のように美しい物語である。
   常識的に考えれば、深雪の溢れんばかりの恋情を痛いほど知っていて自分も恋している阿曾次郎の方が、何らかの積極的なアクションを取れば、ハッピーエンドになる筈だが、そこは、雁字搦めに縛られた宮仕えの武士の悲しさで、歯車が狂って、どんどん、すれ違いの悲劇が続く。
   縁談話が飛び出して、その相手が、名前を変えた阿曾次郎であることを知らずに拒絶して、阿曾次郎一途の思いを胸に抱いて家を出奔するのだが、艱難辛苦に目を泣きつぶして、三味線を弾いて街道筋を乞食同然の姿で旅する運命の皮肉が悲しい。
   道成寺の「日高川」の舞台を思わせる狂乱状態の深雪の「大井川の段」のラストシーンでは、奇跡的に両眼が開くなどハッピーエンドを匂わせて終わるのが、せめてもの救いであろうか。

   悲劇のヒロイン深雪、そして、朝顔を遣う一輔、簑助、清十郎の3人の人形遣いの素晴らしさが、物語の感動を増幅して素晴らしい。
   その深雪に影となり日向となり付き添うのが健気な乳母浅香で、人間国宝となった和生が、師匠文雀譲りの格調高い風格のある人形を遣っていて、感動的である。
   特に、この口絵写真で国立劇場のHPの写真を借用させてもらった「浜松小屋の段」での、盲目の辻芸人に落ちぶれた簑助の遣う深雪との再会場面で、呂勢太夫と清治の肺腑を抉るような悲哀と慟哭の義太夫に乗って演じた、哀切極まりない命の交感の発露とも言うべき舞台。
   何故か、清治の三味線が、ふっと、琴の音色に変わったような一瞬を感じて、感動しきりであった。
   簑助の人形は、正に至宝、一挙手一投足の動きに目を凝らして鑑賞しているのだが、この深雪と浅香の感動的な再会シーンは、この舞台での白眉ではないかと思っている。

   女形の一方の旗頭清十郎の朝顔も、正に、感動もので、辻芸人に落ちぶれた朝顔が、座敷に呼ばれて芸を披露し過ぎ越し日々を述懐したので、武士の手前、深雪と知りながら名乗れない夫の優しい言葉が気になって引き返し、その後、真実を知って、駒沢を追って、大井川へこけつ転びつ突っ走るラストシーンまでだが、悲劇のヒロインの面目躍如である。

   もう一つ、印象的な場面は、「嶋田宿笑い薬の段」で、悪徳医者萩の祐仙を遣った勘十郎の素晴らしい舞台で、この物語の筋には殆ど関係がないちゃりばなのだが、捧腹絶倒と言うか、それを、唯一のキリバ語りの咲太夫と三味線の燕三が醸し出す浄瑠璃の凄さも抜群で、正に、文楽の独壇場のシーンの連続である。
   この萩の祐仙は、勘十郎の実父で先代の人間国宝勘十郎の得意芸だったと山川さんが語っているのだが、芸の継承と言うこともあろうが、勘十郎は、このようなちゃりばやズッコケた、あるいは、型破りの庶民など端役とも言うべきキャラクターをも、実に上手く感動的に遣う。
   今回も、後の「 玉藻前曦袂 」の「七化け」で遣った座頭のひょうひょうとした姿も面白かったし、立役女形のタイトルロールは言うに及ばず、どんな人形でも、自由自在に遣う実力の冴えは、末恐ろしいものがある。

   この笑い薬の段だが、駒沢次郎左衛門(宮城阿曾次郎と同一人物)を亡き者にしようとする岩代多喜太(玉志)が、萩の祐仙と語らって、しびれ薬を洩った茶を点てて毒殺しようとするのだが、それを立ち聞きした宿の主人戎屋徳右衛門(勘壽)が、しびれ薬を笑い薬に差し替えて起こる悲喜劇である。
   人形だから演じ分けられる、舞台所狭しと七転八倒、笑い転げて必死に笑いを堪えようと悪戦苦闘する祐仙の人形も見ものだが、目を閉じて、アハハハ、ヒヒヒヒ、暫くお待ちくだされ、ホホホ、ヘイヘイ、アハハハ・・・と、到底真似のできないような口調で語り続ける咲太夫の表情も格別で、その間、三味線の燕三は音なしの構え。
   この祐仙、神妙に茶を点てて仕上げを御覧じろとほくそ笑むも、密かに毒消しを飲んで、毒見試飲を引き受けたは良いが、何が何だか分からない拍子に、笑い魔に魅入られて正体なく醜態をさらすと言う落差の激しさが、観客を喜ばせて、爆笑の渦。
   藪医者然とした剽軽で惚けた表情の大江已之助が彫った首「祐仙」が、素晴らしいので、益々、滑稽さを増す。

   とにかく、お家騒動を隠し味にした、悲劇のラブロマンスながら、ちゃりばあり、現在にも十分通用する、実に、モダンな4時間弱の素晴らしい舞台で、楽しませて貰った。

   更に、次の第二部は、勘十郎の狐が暴れまわって、宙乗りまでして中空に消えて行く「玉藻前曦袂」。
   能の「殺生石」の文楽バージョンだが、物語性が豊かになって、更に、面白い。

   この文楽、1日、どっぷりと観劇堪能しても、合計14000円。
   歌舞伎座の夜昼を観劇すれば、席種にもよるが、その半分であるから、舞台の質は当然遜色なく、コストパーフォーマンスは極めて高い。
   尤も、チケットは、ソールドアウト。
   世界遺産である文楽の文化価値を評価できずに、補助金をぶった切った橋元元知事は、どう思うか、敵が恩人となったケースかも知れないと考えると面白い。
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ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(3)農業革命の罪?

2017年09月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   長い間、狩猟採集民であったサピエンスの生活が、1万年ほど前に、農業革命によって、すべてが一変した。
   農耕への移行は、紀元前9500ー8500年頃に、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で、ゆっくりと始まった。
   紀元前9000年頃までに、小麦が栽培植物化され、ヤギが家畜化された。
   紀元前3500年頃までには、我々が今日摂取するカロリーの90%以上は、栽培化家畜化されて、過去2000年間には、殆ど目ぼしいものはなかった。と言う。
   興味深いのは、殆どの動植物種は、家畜化や栽培化に適したものはほんの僅かで非常に難しく、それらは、特定の地域に生息しており、中東や中国や中央アメリカのみが農業革命の舞台になったのだと言うことである。

   ところで、この農業革命であるが、言うまでもなく、サピエンスが利口になり、自然の秘密を解読できた、すなわち、頭脳の力を原動力として成し遂げた大躍進であった。
   こうなると、これまでの身にこたえ、危険で、簡素なことが多い狩猟採集民の生活を捨てて腰を落ち着け、農耕民の落ち着いて満ち足りた暮らしを楽しみ始めたと思いきや、ハラリは、これは、夢想に過ぎなかったと言うのである。

   農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるには程遠く、農耕民は、狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。
   確かに、手に入る食糧の総量は増えたが、その食糧の増加は、より良い食生活や、より良い余暇に結びつかずに、むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながり、平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民より苦労して働いたのに、見返りに得られた食べ物は劣っており、農業革命は、史上最大の詐欺だった。
   その犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種で、ホモ・サピエンスが、それらを栽培化したのではなく、逆に、それらに家畜化された。と言うのである。

   サピエンスは、1万年前までは、狩猟採集に明け暮れていたので、農作業のために進化してはおらず、ガゼルを追いかけたり、リンゴの木に登ったりするのに適応していたし、狩猟採集民の時には、何十もの種に頼って生きてきたが、小麦に特化してくると、自然環境の厳しさで必ずしも経済的安定を保障してくれない。

   永続的な村落に移り、放浪の生活様式を放棄したお陰で、女性が子供を産みやすくなり、死亡率の増加を出生率の増加が上回り、食料の供給が増えるたこともあって、人口が増加し始めた。
   しかし、前より一所懸命働けば、前より良い暮らしができるとの胸算用で、少しずつ改良を加えながら働いたが、子供の増加が負担となり、旱魃などの直撃を受けると、単一の食糧源への依存の悲しさ、食に窮し、定住地が感染症の温床になり、豊作になればなったで、盗賊や敵の襲撃を受けて、防衛体制を整えねばならず、苦労の連続であったが、最早、農耕民生活に慣れ、人口が増えてくると、後戻りは出来なかった。
   より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。幸せになった筈の人類は、今日もアクセク、「贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる」と言う歴史の数少ない鉄則に追いまくられるようになってしまった。と言うのである。

   食べたい時に、野山を駆け巡って獲物を追いかけていた狩猟採取時代は、丁度、丁寧に言葉を選んで手紙を書き、遠くのポストに入れたあの懐かしい頃の様なものだが、今日は、インターネットやスマホ、フェイスブックやツイッターで追いまくられ、AIやIOTでコンピューターに完全にコントロールされて、はずみ車のハツカネズミのように、休む暇も憩う暇もなくなってしまった。
   何も、農業革命によって定住し始めたことだけが、人間の運命をままならずしてしまった筈はないのだが、いずれにしても、この人類にとって最大の大変革が、進歩発展成長と言う錦の御旗を掲げた人類を、馬車馬のように駆り立ててしまった。と言うことであろう。

   アルヴィン・ハンセンの「経済成長の諸段階」説に触発されて、経済は段階的に一本調子で成長するものだと信じて、経済成長と景気循環論を勉強していた京都での学生生活を思い出しながら、それだけではないことを知った所為でもあろうか、一寸、複雑な気持ちになった。

   生活空間を、一極集中的に、どんどん、拡大して行ったサピエンスは、巨大な専制国家、そして、帝国主義へと突っ走て行く。
   丁度、アリやハチのような国家を目指して。
   
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