サピエンスの歴史来歴を克明に描写してきたハラリが、最終章で、人類の未来について、深刻な問題提起をした。
7万年前、ホモ・サピエンスは、まだ、アフリカの片隅で生きて行くのに精一杯の、取るに足らない動物だった。ところが、その後の年月に、地球全体の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な納涼区さえも手に入れかけている。
これまで、波乱万丈ではあっても、ある意味では、どこか牧歌的な感じさえする実録としてのサピエンスの歴史を語り続けていたハラリが、一気に、新しいステージに躍り出た我々人類の行く末に、「私たちは何を望みたいのか?」を問いかけたのである。
過去40億年近くにわたって、地球上の生物は一つ残らず、自然選択の影響下で進化してきたし、サピエンスは、どれだけ努力しても、生物学的に定められた限界を突破できないと言うのが暗黙の了解であった。
しかし、21世紀の幕が開いた今、これは最早真実ではなくなった。
ホモ・サピエンスは、自然選択の法則を打ち破り始めており、知的設計の法則をその後釜に据えようとしている。と言う。
世界中の生物学者は、インテリジェント・デザイン運動との戦いを展開しており、知的設計は、次の三つ、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学、のどの形でも、自然選択に取って代わり得る。と言うのである。
生物工学については、冒頭で、牛の軟骨細胞から作った「耳」を背中に生やしたマウスを紹介して、近年、細胞や核のレベルまで、生物の仕組みの理解が深まっており、性転換など、かっては想像も出来なかった可能性が開かれて、科学者が自然に取って代わって神の役割を強奪するのに、倫理、政治、」イデオロギー上の問題が多数発生している。
ネアンデルタール人ゲノム計画が完了したので、復元したDNAを人間の卵子に移植してネアンデルタール人の子供を誕生させられるとか、神の製図版にまでさかのぼって、もっと、優れたサピエンスを設計すればよいとさえも、言われている。
第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい種類の意識を生み出して、サピエンスを全く違ったものに変容させることになるかも知れないのだが、倫理的な異議や政治的な異議で、人間についての研究が遅れている。
しかし、科学的に次のステップに進むことは可能であり、人間の寿命を際限なく伸ばすとか、不治の病に打ち勝つとか、認知的な能力や情緒的な能力を向上させたりする可能性がかかっている場合には、あまり、長く妨げることはできないであろうが、健康な人の記憶力を劇的に高める余力まで伴うアルツハイマー病の治療法が開発された場合、健康人が超人的な記憶力を獲得するのを防ぐことが出来る執行機関など生み出せるのであろうか。
更に、バイオニック生命体とのなれば、脳とコンピューターを直接結ぶ双方向のインターフェースを発明する試みが進行していると言うのだが、「インター・ブレイン・ネット」を生み出したら、どうなるのか。
また、ヒューマン・ブレイン・プロジェクトでは、コンピューター内の電子回路に脳の神経ネットワークを模倣させることで、コンピューターの中に完全な人間の再現を目指していると言う。
碁や将棋、チェスで、コンピューターがトッププロに勝つと言うのも、コンピューターが東大入試に受かりそうだと言うのも、私には脅威だが、サピエンスを越えたものが、この世に生まれ出るなど、絶対あってはならないと言う石頭状態なので、今のままで、この世からサラバしたいと思っている。
いずれにしろ、ハラリの予言の如何に拘わらず、人類は、科学の力によって神の領域を犯すまでの力をつけて来たことは事実で、嫌でもオウでも、神となった、あるいは、リバイヤサンになった人類を、できる能力のある間に、コントロールし、ダイレクトしなけばならない。
さあ、どうするか、AI,IOT,日進月歩に進化するコンピューターに雁字搦めに組み込まれたサピエンスの将来は?
壮大な人類の歴史序説だと思って楽しみながら読んでいたハラリの本が、一気に豹変した感じで、驚きもあり感動さえしているのが不思議である。
7万年前、ホモ・サピエンスは、まだ、アフリカの片隅で生きて行くのに精一杯の、取るに足らない動物だった。ところが、その後の年月に、地球全体の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な納涼区さえも手に入れかけている。
これまで、波乱万丈ではあっても、ある意味では、どこか牧歌的な感じさえする実録としてのサピエンスの歴史を語り続けていたハラリが、一気に、新しいステージに躍り出た我々人類の行く末に、「私たちは何を望みたいのか?」を問いかけたのである。
過去40億年近くにわたって、地球上の生物は一つ残らず、自然選択の影響下で進化してきたし、サピエンスは、どれだけ努力しても、生物学的に定められた限界を突破できないと言うのが暗黙の了解であった。
しかし、21世紀の幕が開いた今、これは最早真実ではなくなった。
ホモ・サピエンスは、自然選択の法則を打ち破り始めており、知的設計の法則をその後釜に据えようとしている。と言う。
世界中の生物学者は、インテリジェント・デザイン運動との戦いを展開しており、知的設計は、次の三つ、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学、のどの形でも、自然選択に取って代わり得る。と言うのである。
生物工学については、冒頭で、牛の軟骨細胞から作った「耳」を背中に生やしたマウスを紹介して、近年、細胞や核のレベルまで、生物の仕組みの理解が深まっており、性転換など、かっては想像も出来なかった可能性が開かれて、科学者が自然に取って代わって神の役割を強奪するのに、倫理、政治、」イデオロギー上の問題が多数発生している。
ネアンデルタール人ゲノム計画が完了したので、復元したDNAを人間の卵子に移植してネアンデルタール人の子供を誕生させられるとか、神の製図版にまでさかのぼって、もっと、優れたサピエンスを設計すればよいとさえも、言われている。
第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい種類の意識を生み出して、サピエンスを全く違ったものに変容させることになるかも知れないのだが、倫理的な異議や政治的な異議で、人間についての研究が遅れている。
しかし、科学的に次のステップに進むことは可能であり、人間の寿命を際限なく伸ばすとか、不治の病に打ち勝つとか、認知的な能力や情緒的な能力を向上させたりする可能性がかかっている場合には、あまり、長く妨げることはできないであろうが、健康な人の記憶力を劇的に高める余力まで伴うアルツハイマー病の治療法が開発された場合、健康人が超人的な記憶力を獲得するのを防ぐことが出来る執行機関など生み出せるのであろうか。
更に、バイオニック生命体とのなれば、脳とコンピューターを直接結ぶ双方向のインターフェースを発明する試みが進行していると言うのだが、「インター・ブレイン・ネット」を生み出したら、どうなるのか。
また、ヒューマン・ブレイン・プロジェクトでは、コンピューター内の電子回路に脳の神経ネットワークを模倣させることで、コンピューターの中に完全な人間の再現を目指していると言う。
碁や将棋、チェスで、コンピューターがトッププロに勝つと言うのも、コンピューターが東大入試に受かりそうだと言うのも、私には脅威だが、サピエンスを越えたものが、この世に生まれ出るなど、絶対あってはならないと言う石頭状態なので、今のままで、この世からサラバしたいと思っている。
いずれにしろ、ハラリの予言の如何に拘わらず、人類は、科学の力によって神の領域を犯すまでの力をつけて来たことは事実で、嫌でもオウでも、神となった、あるいは、リバイヤサンになった人類を、できる能力のある間に、コントロールし、ダイレクトしなけばならない。
さあ、どうするか、AI,IOT,日進月歩に進化するコンピューターに雁字搦めに組み込まれたサピエンスの将来は?
壮大な人類の歴史序説だと思って楽しみながら読んでいたハラリの本が、一気に豹変した感じで、驚きもあり感動さえしているのが不思議である。