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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秋の鎌倉便り・・・長谷寺

2015年12月10日 | 鎌倉・湘南日記
   先週末に、NHKで長谷寺の紅葉のライトアップ映像を放映していた。
   9日天気が良かったので、出かけてみることにした。
   大通りから参道に入ると、山門の屋根越しに、大銀杏の黄色ともみじの赤い色が頭を出して居るのが見える。
   カメラを構えていたら、綺麗な女の子が横に立って、同じようにスマホをかざしたので、どこから来たのかと聞いたら、アルゼンチンだと言う。
   スペイン語で話そうと思ったのだが、何十年も経っていたので、とっさに出なくて、歳を感じたが、ディズニーのバンビのモデルとなったバリローチェへ行ったが、あそこの秋の紅葉も素晴らしいではないかと言ったら、喜んでいた。
   
   
   

   境内に入ると、高台にある本堂に向かって、一面、もみじが紅葉していて、美しい。
   もみじの上の方や先端部分が、やや、枯れたように黒ずんでいるので、最盛期が過ぎたのかと聞いたら、今、一番色付いて紅葉が美しいのだと言う。
   今年は、温かくて、紅葉の時期が遅れたのみならず、色づきが悪かったようで、少し散り始めて、やっと、鮮やかに紅葉したと言う事であった。
   眺望散策路への山の手の方には、あまり、紅葉は見られなかった。
   
   
   

   正面の石段を登り、地蔵堂の方に歩いて、本堂の方へ上る道は、正に、錦のトンネルの連続で、鬱蒼とした紅葉を下から見上げて、木漏れ日に揺らぐもみじの美しさは、格別である。
   本堂の前から、陽に輝く順光の紅葉も捨て難いが、やはり、紅葉は、逆光で見るのが良い。
   とにかく、美しいので、シャッターを切り続けたので、その一端だけを掲載しておきたい。
       
    
    
    
    
    
    
    
    
            
    
     
    
    
    
     
    
     
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秋の鎌倉便り・・・浄智寺

2015年12月09日 | 鎌倉・湘南日記
   寅さんの御前様・笠智衆が、愛していて、インタビューを受ける場所に指定していたと言う。
   源氏山から、急峻な化粧坂と分岐したやや緩やかな山道を一気に下ると、この浄智寺に行き当たって、林間の清楚な中国風の三門(鐘楼門)の佇まいにほっとする。
   ここからが北鎌倉の散策への第一歩としては格好のコースで、大通りに出て、左に行けば浄智寺、円覚寺、右に行けば、円明園、大覚寺、そして、鶴岡八幡宮に向かう。

   浄智寺へのアプローチは、街道から入って、「甘露の井」を右に見て、惣門をくぐって、林間の中を、なだらかな石段を、エキゾチックな三門を目指して登って行くのが良い。
   着飾った新婚のカップルが幸せ一杯で降りてきた。
   浄智寺は、鎌倉五山の第四位と言う極めて核の高い名刹でありながら、今では、惣門や鐘楼門のほかには、 室町時代の作の釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三仏が安置されている仏殿ほかが、残っているだけである。
   
   
   
   
   

   境内に入ると、右手の棟門のそばから、裏手の洞窟の布袋尊像前にかけて、もみじが色づいていて美しい。
   庫裏脇に、渋柿であろうか、一本柿の木が植わっていて、風情があって面白い。
   
   
   
   
   
   

   庫裏の裏には、かなり広い日本庭園になっているが、秋の気配は、あまりなくて、背後の山が色づいている。
   仏殿の前に、銀杏が奇麗に黄変していて、地面を黄色く敷き詰めている。
   円覚寺などと違って、シーズンでありながら、浄智寺を訪れてくる人は少なくて、ひっそりとしている。
   
   
   
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秋の鎌倉便り・・・東慶寺

2015年12月08日 | 鎌倉・湘南日記
   北鎌倉で、一番よく訪れるのが、こじんまりしているが、非常に清楚でしっとりとした雰囲気の東慶寺である。
   駆け込み寺として、歌舞伎の舞台にもなっている尼寺で、文人たちの墓所が山腹まで続いていて、対岸の円覚寺が遠望できる。
   小さな石段の上にある茅葺の山門にも鄙びた風情があり、境内には、ひっそりと季節の花が咲いている。
   この日は、ソシンロウバイが、咲き始めていた。
   
   
   
   
   
   

   境内に入ると、左手に鐘楼があり、短い参道は、露天に置かれた金仏のところで、右に折れて山の墓所に向かう。
   塔中越しに見る背後の山の木々が美しい。
   途中、右手にある本堂の庭園が、京都の古寺の庭園の雰囲気で、しっとりとした佇まいが心地よい。
   
   
   
   

   この本堂の庭に、大きなもみじの木が植わっていて、今、一番華やかに紅葉していて、陽を浴びて錦に煌めくグラジュエーションが美しい。
   円覚寺のもみじは、単色気味であったが、このもみじは、京都や宇治のもみじのように、緑、黄色、橙、赤と錦の彩を見せてくれている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   山手の墓所のもみじは、北斜面で日当たりが悪いのか、まだ、早いのか、おとなしい紅葉気味であった。
   
   
   
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秋の鎌倉便り・・・円覚寺

2015年12月07日 | 鎌倉・湘南日記
   かなり温かくて天気も良かったので、北鎌倉に行こうと思って出かけた。
   豪快な紅葉を見たかったので、やはり、境内が広くて空間の豊かな寺院と言えば、円覚寺と大覚寺である。
   まず、北鎌倉で下りると、すぐ隣接しているのが円覚寺なのだが、総門の前の紅葉が真っ赤に色付いていて、正に、秋たけなわであり、観光客で賑わっている。
   丁度、午後の明るい陽を浴びているので、逆光に映えると鮮やかにきらめく。
   
   
   
   
   
   

   総門をくぐって境内に入ると、巨大なもみじの大木が色付いていて秋を感じさせるが、広い空間なので、彩りを添える程度である。
   右手の鐘楼へ向かう参道の入り口の大銀杏が、真っ黄色に輝いていた。
   
   
   

   その銀杏を右に見て参道を上がり、右手の急な石段を上ると、国宝の鐘楼に達し、その横に、弁天堂があって、展望台には茶店があるのだが、開かれておらず閑散としていた。
   ここからは、富士山が遠望できるのだが、この日は、霞んでいて見えなかった。
   横須賀線の谷間を隔てて、向こうの山の麓の東慶寺が良く見えるので、私は、この展望が好きである。
   銀杏などの紅葉が良く見えて、山の木々の光のコントラストが美しい。
   
   
   
   
   

   このお寺では、まず、豪壮な山門が威容を誇っているのだが、その後の仏殿は、昭和の再建とかで、内部は非常にオープンで明るく、宝冠釈迦如来坐像の頭上の雄渾な龍の天井画が面白い。
   この堂を左に出ると、選仏場の前から、その山の手の龍隠庵にかけて、一面に紅葉が、真赤に色付いていて、陽を浴びて輝いていて美しい。
   仏殿の犬走りに居を構えて、絵筆を走らせている俄か画家が風景を楽しんでいる。
   
   
   
   

   建物の蔭の細い石段を上って行くので、殆ど訪れる人はいないのだが、質素な山小屋風の龍隠庵の背後は、切り立った岩場になっていて、日当たりがよく寒暖の差が激しいのか、紅葉は美しい。
   高台にあるので、紅葉越しに、山門や仏殿など伽藍の甍が映えている。
   崖の上には、場違いながら、ススキや雑木が生い茂っている。
   
   
   
   
   
   

   仏殿を右に見て、左側の参道を登って行くと、左手に国宝の舎利殿があり、一番頂上の黄梅院に至る。
   この参道の左右に、紅葉が植えられていて、紅葉していて、散策道としては格好である。
   舎利殿の門の左右の紅葉も色づいていて、手前の池や庭園が風情があって良い。
   
   
   
   
   
   
   

   黄梅院への参道の右手に竹林があって、紅葉とのコントラストが美しかった。
   院の小さな庭には、色々な下草が植えられていて、ひっそりと、万両や南天、紫式部などが顔をのぞかせていて面白い。
   
   
   

   このあと、横須賀線の踏切を渡って、東慶寺と浄智寺に向かって歩いた。
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国立劇場・・・十二月文楽「奥州安達原」

2015年12月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   平安時代の末期、源頼義・義家父子が、奥州で勢力を誇っていた安倍頼時等一族を、反乱や前九年の役で討伐するのだが、戦に敗れた息子の安倍貞任・宗任兄弟が、義家を討とうとするストーリーが主題の浄瑠璃が、今回の「奥州安達原」である。

   4年前に、この劇場で、「奥州安達原」が上演されたが、その時は、枝折戸外に締め出された悲痛な袖萩とその娘お君と父母との再会、その夫であり父である貞任との最後の分かれの物語であるメインの「環の宮明御殿の段」の前に、「外が浜の段」と「善知鳥文治住家の段」があって、南兵衛と偽って仮の姿の弟・宗任が、義家にまみえるべく、罪人となって都へ引かれて行く経緯までが語られている。
   今回は、代わって、「朱雀堤の段」が上演されて、京都七條の朱雀堤で盲目の物貰いに落ちぶれた袖萩とお君が、父親・平丈直方の切腹と言う一大事を知って、居合わせた儀仗の後を追うと言う話が展開されている。
   この「奥州安達原」では、他にも、能の「黒塚(安達原)」を脚色した「黒塚」の素晴らしい舞台がある。

   桂中納言則氏が来訪して、儀仗が、預かっていた宮の弟・環の宮が、安倍兄弟の陰謀で誘拐されて、期限内に探し出せなくなったので、切腹を申し渡す。
   雪の中を、父の身を案じた袖萩が、氏素性の分からぬ浪人と駆け落ちしたことを責められて勘当されているために、人目を忍びながら、お君に手を引かれて御殿に来る。、
   突っぱねる両親に必死に縋り付こうとする母娘の悲しくも哀切極まりない対面が、簡素な枝折戸を隔てて展開される。
   袖萩の夫が、書き物で安倍貞任と分かるのだが、敵であるから、尚更許せない丈。娘の変わり果てた姿と寄り添う幼い孫娘の哀れな姿を見て、激しい嗚咽を忍びながら、知らぬふりをしておろおろする母・浜夕。
   母に門付けとして歌を謡えと言われて、袖萩は、お君が手渡した三味線を爪弾き、歌祭文に託して、親不孝を詫び、子を持って初めて知った親心の有難さを切々とかきくどく。    寄り添ってじっと聞き入るお君が、何の望みもないけれど、一言言葉をかけてくださいと、枝折戸に縋り付いて祖父母に訴える。

   冷たく突き放された袖萩が、持病の癪が起こり倒れ伏すと、お君は、雪を口に含んで溶かせて母に含ませ、自分の着物を脱いで母に着せて背をさする。娘が、自分は温かいと言って裸同然で居るのに気付いた袖萩は、(わしがやうな不幸な者が、そなたのやうな孝行の子を持った、これも因果の内か)としっかりと抱きしめて泣き伏す、それを見て堪らなくなった浜夕は、せめてもと、垣根越しに打掛を投げ
   (さつきにから皆聞いてゐる、まゝならぬ世じゃな、町人の身の上なれば、若い者じゃもの淫奔もせいじゃ、そんなよい孫生んだ娘、ヤレでかしたと呼び入れて、婿よ舅と言ふべきに、抱きたうてならぬ初孫の顔もろくに得見ぬは、武士に連れ添ふ浅ましさと諦めて去んでくれ、ヨ、ヨ)
   儀仗に呼ばれて、(娘よ、孫よもうさらば、可哀の者や)と老いの足、見返り見返り、奥へ行く

   何回聴いても、このくだりが身に染みてたまらなく切ない。
   燕三の三味線に乗って文字久大夫の慟哭を地で行く名調子が肺腑を抉る迫力で、清十郎の袖萩、勘次郎のお君、簑次郎の浜夕が命の限りの悲哀を演じて感動的である。
   この日、住大夫が鑑賞されていたが、跡を継いで大きく羽ばたいた文字久大夫の浄瑠璃をどのように聴いておられたであろうか。

   さて、この後、突然、宗任が現れて、貞任の妻ならば、儀仗を討てと懐剣を渡す。義家が声をかけたので、宗任は覚悟を決めるが、逃がしてやる。
   儀仗は、責任を取って切腹し、袖萩もわが身を嘆き懐剣を胸に刺す。
   夫と娘を亡くした浜夕は嘆き悲しむ。
   二人の自害は仕方がないと現れた桂中納言を、義家が、貞任だと見破ったので、戦いを挑むが、義家は、それを止めて、袖萩との最後の別れを促す。
   瀕死の状態の袖萩が一目だけでも顔が見たいとお君とともに貞任に縋りつく。
   宗任も現れるが、義家は、二人に、後の戦いを約して別れる。

   この歌舞伎では、袖萩が、親の許さぬ契りを結んだ故に勘当されるのだが、これは、伊賀越道中双六の唐木政右衛門の妻であるお谷と同じケースで、封建思想では、侍の世界では許されぬ基本的な規律であったのであろうか。
   ここで、母の浜夕が、「町人の身の上なれば、若い者じゃもの淫奔もせいじゃ」と言っているのが面白い。
   浄瑠璃や歌舞伎の世界では、この武士と町人の恋を描いた和事の世界の違いが、例えば、近松門左衛門の心中物など、芝居を面白くしているようで、興味深い。
   
   さて、この舞台としては、格調の高い豪快な人形を遣った玉志の貞任が主役であり、文司の儀仗や幸助の宗任が、メインキャラクターなのであろうが、私には、清十郎の袖萩が、最も、印象に残っている。
   前には、勘十郎が、素晴らしい袖萩を遣っていて魅せてくれた。
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アルヴィン・E・ロス「100年後には」

2015年12月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   パラシオス=ウエルタ著「経済学者、未来を語る」で興味深いのは、マッチング理論でノーベル経済学賞を取ったアルヴィン・E・ロスの「100年後には」と言う論文である。
   現在は嫌悪されている取引で、100年後にどれが一般的な取引として認知されるか、予想を立てようと言うのである。

   まず、前提として、環境破壊、テロの広がり、大量破壊兵器を使った戦争などに妨害されずに、世界経済は成長を継続して結束をさらに強め、豊かになり、人口は増加し、健康は改善し寿命が延びるであろうとしている。

  論旨を要約すれば、
  ”スポーツではドーピングなどで禁止されているが、集中力や記憶力や知能を向上させるなどと言った能力向上ドラッグが一般化する。
   遺伝学や生殖作用や胎児成長の仕組みについて理解が進み、親の選択肢が広がり、生殖技術の分野では、国際市場が発達して行く。生殖サービスがコモディティ化し、健康で長生きすれば、子育ての期間が人生のほんの一部になるので、離婚率が増えて複婚が新たな婚姻関係になる。
   しかし、生殖技術の発達とともに生殖医療は一般に普及するが、遺伝子操作などは嫌悪されるかも知れない。

   一方、コンピュータを通じたデータ取得が、今は当たり前になっている行為の一部が、個人データのプライバシーが、市民的権利に関わる問題として俄然注目されるので、嫌悪される。
   コンピュータ化された市場では、優れたものを適切に配分するためのマーケティングデザインが、更に重要になる。
   教育の一部がコモディティ化して、エリート大学への入学者の選択や、研究の協力者やビジネスパートナーを見つけたりするためにも、マッチング市場は、ネットワーキングや出会いの場を提供するであろう。”
   と言ったところであろうか。

   後半は、専門のマッチング理論を展開しているので、良く分からないが、第一印象としては、100年経っても、あまり、世の中は変わらないのかと言う事である。

   先の生殖についてだが、実際の性行為を伴わない様々なオプションが広くコモディティ化され、精子や卵子の提供にふさわしい人物を選ぶ苦労から解放される。その結果、家族は主要な生殖単位の一つとして残るが、伝統にとらわれない形の結婚や子育て、晩婚、母子父子家庭など、同性婚や一夫多妻など代替的な手段多くは嫌悪の対象ではなくなり、法的障害も解消されるであろう。言っている。

   この傾向などは、100年もかからずに、単純に変わってしまうような気がしている。
   これは、私自身の経験だが、以前に、ヨーロッパにいた時に、セクレタリーが、オランダでもイギリスでも、まず、若い男女が同棲してから、結婚するかどうかは、たとえ、子供が生まれていても、その後で決めるのが普通であって、親の時代には、考えられなかったことだと言っていた。からである。

   経済学者と言うのは、やはり、即物的な現象だけを考えて、精神的な問題をあまり考えないのであろうが、重要なのは、人類が幸せになるのかどうか、心の推移、文化的な方面が、どのように変わって行くのかであるような気がしている。
   社会が、経済成長して益々豊かになっていくのなら、あるいは、労苦から解放されて行くのなら、家族や男女の関係においても、本当に、人々は幸せになって行くのかどうか、その方が、大切な問題のように思う。
   過去の歴史を見れば、確かに、生活環境なり、社会制度など、今から考えれば、随分悪かったが、しかし、人々は、その社会の中のその時代の価値観で生きていたので、幸や不幸の感覚なりその程度などは、ある意味では、今日の我々と変わらなかったのではないかと思っている。
   健康の心配がなくなり、寿命も延びる、と言うのだが、人々の幸せ感はどうなるのかと言う事である。
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秋の鎌倉便り・・・長勝寺

2015年12月04日 | 鎌倉・湘南日記
   安国論寺を南に下り、横須賀線の踏切を渡ると、すぐに、長勝寺がある。
   山門の前の大銀杏が綺麗に色付いている。
   手前の民家の柿の実とのコントラストが面白い。
   
   
   

   この寺も、日蓮大聖人ゆかりの寺で、本堂の正面に、「日蓮と蒙古大襲来」で、日蓮を演じた長谷川一夫の勇姿を彷彿とさせる大きな高村光雲の日蓮像が建っている。
   
   

   参道の左手高台にある法華堂の前のもみじが綺麗に紅葉していて、前方にある鮮やかに黄変した銀杏をバックに、そのコントラストが美しい。
   夕暮れで曇りなので、紅葉の鮮やかさが出にくいが、木漏れ日を受けて、逆光に輝くと、もっと美しいであろう。
   
   
   
   
   
   

   今回は、鎌倉の小さなお寺を回ったので、学生時代によく歩いた京都の銀閣寺から哲学の道を経て永観堂、丸山公園、清水寺、そして、宇治の平等院や宇治河畔と言った錦に染まった華麗かつ豪快な紅葉ではなく、ひっそりとした鎌倉の秋を味わった。
   
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国立劇場・・・十二月文楽:紅葉狩

2015年12月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに文楽の「紅葉狩」を鑑賞する機会を得たのだが、先々週、国立能楽堂で、能「紅葉狩」を観て、9月に歌舞伎の染五郎の「紅葉狩」の舞台も見ているので、その違いを感じて、非常に興味深かった。
   勿論、オリジナルは能であって、その後、歌舞伎化され、文楽は、歌舞伎版を脚色したのだと言う。
   ところが、歌舞伎は、かなり、能に沿った舞台となっていると思っていたのだが、結構、加わったシーンもあり、少しずつ変わってきており、文楽に至ると、かなりの違いが出てきて面白い。

   能の「紅葉狩」は、大体、次のようなストーリーで、歌舞伎もこれに近い。
   信濃国戸隠で、若い美女が数人連れ立って紅葉見物にやってきて宴会となる。そこへ、馬に乗り供の者を従えた平維茂がやってきて、楽しげな宴会が開かれているのを見て、供の者に様子を見て行かせる。美女一行は素性を明かさないので、維茂は馬を降り通り過ぎようとするが、美女が一緒に紅葉と酒を楽しもうと誘惑するので、無下に断ることもできず宴に参加する。維茂は、美女の舞と酒に酔って不覚にも前後を忘れて寝入ってしまうと、美女は本性を覗かせキット睨みつけて消える。そこへ八幡宮の神が現れて、夢中の維茂に、目を覚まして、あの美女は鬼が化けたもので討ち果たせと告げて神剣を残して去る。目を覚した維茂は、鬼を退治すべく身構えて、嵐と共に炎を吐いて現れた鬼と激しく戦って、神剣の威光によって鬼を切り伏せる。

   ところで、文楽の方だが、
   戸隠山の時雨に濡れて輝く錦の紅葉の山道を、平惟茂(一輔)が、ともも連れずに上ってくると、琴の音が聞こえる。木の間から幔幕が見えるが、通り過ぎようとすると、呼び止める声がして、更科姫(勘彌)と言う気高く美しいお姫様が現れて、酒宴に誘う。一度は断るが、尚も引き留めるので、誘いを受けて、酒を酌み交わして姫とも打ち解けて、酒の肴にと優雅に舞う姫の姿にうっとりとして寝込んでしまい、姫は消える。日が暮れると、寝こんでいる惟茂のもとに山神が現れて起きるよう警告する。目が覚めると、強風が吹き、凄まじい鬼と化した姫が、討たれた仲間の鬱憤を晴らすためと襲い掛かり、激しい戦いの末に、惟茂は鬼を退治する。

   文楽も、歌舞伎と同様に、全山紅葉の華やかな舞台の幕開きで、やや、赤みが勝った濃いオレンジ色一色の紅葉風景が、華やかさを醸し出して素晴らしい。
   ストーリー展開が、単純化されているのか、上演時間が33分と、能や歌舞伎と違ってかなり短くなっているのだが、登場する人形に比べて、大夫と三味線が豊かで、華やかさを増している。
   前半の演目が、「奥州安達が原」と言う重厚かつ2時間半と言う大舞台であったので、気分展開としては、恰好の舞台であった。
   鬼女の頭は、「増補大江山」にも使われる頭とかで、迫力があるけれど、能の面や歌舞伎の隈取と比べて、何となく、可愛くて愛嬌のある感じで、鏡獅子のように、長い毛を豪快に振って舞い狂うところなど、中々愛嬌があって面白いと思った。

   文楽では、冒頭、惟茂一人で登場すると言うのも面白いが、更科姫の誘惑もかなり激しくて、袖を引いてしなだりかかると言うアタックぶりであるから、美女にこのようにされれば、いくら朴念仁でも、陥落間違いない。
   それに、能でも歌舞伎でも、寝入った惟茂の前に、山神が現れて、神剣を残すと言うのもストーリー展開として分かり辛いが、文楽では、惟茂持参の剣の威徳と言う事になっていて現実的である。

   能の美しい装束に身を固めた美女たちの華やかな相舞など華麗で素晴らしいが、歌舞伎になると、豊かな音曲と背景の豪華さや登場人物の華麗さなど、想像の世界である能とは違って、魅せる舞台となっているのだが、文楽の方も、姫の二枚扇の艶やかさを踏襲しているのみならず、この舞のシーンでは、人形遣いは出遣いで、素晴らしい至芸を披露してくれる。

   最後の「・・・斬り掛け斬り伏せ惟茂が、たちまち鬼神を滅ぼして・・・」と言うシーンでは、能の場合には、シテが倒されて退場すると言う字義通りだが、歌舞伎では、斬られた筈の鬼神が、舞台中央の大きな松の幹に上って、惟茂と一緒になって、その上で大見得を切ると言う見せ場になっていて、文楽も、これを踏襲している。
   能でも、最後の惟茂と鬼神の決闘シーンは、流派によって違っていて、普通は、1対1のようだが、前に観た金春流では、全女性たちが全員鬼女となって一人ずつ惟茂に戦いを挑んで舞うと言う華麗な見せ場のあるダイナミックな能舞台を展開して素晴らしかった。
   
   いずれにしろ、歌舞伎は、最も演劇的な芝居の世界であるから、非常に分かり易い。
   それに比べて、能の場合は、シテやワキの謡はセリフと言うよりもナレーションに近くて地謡と呼応して謡に乗って演じられている舞台芸術であり、文楽の場合は、大夫がすべてを語って人形遣いが登場人物を演じると言う、どちらかと言うと、両方とも、役者がリアルに演じる実際の芝居の舞台と言うよりも、謡と語りをベースにしそれに乗った舞台芸術でありながら、これほど、違っているのが、私には、興味の対象でもあって、何時もそう思いながら、そんな我流の観劇を楽しんでいる。
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秋の鎌倉便り・・・安国論寺、妙法寺

2015年12月02日 | 鎌倉・湘南日記
   妙本寺から住宅街を南に少し歩いて、ぼたもち寺と八雲神社を右に見て、通りを東に取ると、安国論寺の山門が見える。
   大銀杏は、綺麗に黄変する前に散り始めていた。
   
   
    
    
 
   この寺は、日蓮大聖人が、「立正安国論」を著した法窟の跡に建てられた寺で、境内の急な石段を上って行くと、富士見台から由比ヶ浜の向こうに、長谷寺や稲村ケ崎が遠望できる。
   新田義貞が渡ったと言う稲村ケ崎は、極めて急峻な崖のようである。
   残念ながら、この日は、曇り気味で富士山は見えなかった。
   
   
   

   山門を入って、本堂までの石畳の参道脇の銀杏ともみじが、綺麗に紅葉していて、美しい。
   本堂前の、海棠と妙法桜が有名なようだが、海棠は古木が枯れたのか小さな木になっていた。
   それよりも、天然記念物だと言う大きな白いサザンカの方が威容を誇っていた。
   何故か、インドか東南アジアの国から持って来たような仏像と彫刻が置かれていた。
   
   
   
   
   
   
   
     

   安国論寺を出て、細い道を西に向かって住宅街を少し歩くと、妙法寺がある。
   この寺は、日蓮大聖人が、安房から身延に至るまでの鎌倉での20数年間の法華道場の跡だと言うことで、立正安国論の建白のために焼き討ちにあった松葉谷の小庵跡も残っていて、境内の頂上に、鎌倉宮の屈に幽閉されていた護良親王の墓があり、ここも、先の安国論寺と同じように富士見台になっている。
   
   
   

   この寺は、鎌倉の苔の寺としても知られている。
   鎌倉駅からは、それ程遠くはないのだが、ここまで訪れて来る人は少ない。
   本堂を左にして迂回し、山の方に向かうと、朱塗りの仁王門があり、その門をくぐったら、山の中腹まで石段が一直線に上っている。
   この石段が苔生していて、鬱蒼とした林間に、しっとりとした静寂を醸し出し、厳粛な面持ちにさせる。
   
   
   
   
   
   
   
   

   日本では、石段が普通だが、ヨーロッパでは、スロープが多いようで、あのセビリアの聖堂の大鐘楼も、階段ではなく、頂上まで坂道が四角い螺旋状に上っていて、ゆっくり歩いて上ったことがある。
   スペイン騎士が、アラブ馬で一気に駆け上がったのだと言う。

   以前には、その上に釈迦堂が建っていたようで、今では、右手に法華堂、左手に鐘楼があり、その横を更に上ると小庵跡、更に上ると大塔宮の墓石が建っていて富士見台となる。
   今は、この苔の石段は歩けなくなっていて、右手に法華堂方向に歩道用の石段が上っているのだが、これも、それなりに苔生して風情が出ている。
   鐘楼前に、石像の釈迦仏が鎮座ましまして、その静かな佇まいが良い。
   
   

   この寺には、紅葉はないのだが、岩に絡みつく赤い蔦やミカンや木の実が秋を感じさせてくれている。
   
   
   
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秋の鎌倉便り・・・まだ紅葉には早い?妙本寺

2015年12月01日 | 鎌倉・湘南日記
   愈々、12月に入ったので、紅葉を見に行こうと思って、鎌倉駅に向かった。
   天気が良かったので、鎌倉駅からすぐの本覚寺から、妙本寺、安国論寺、妙法寺、長勝寺と、比較的紅葉が美しいと言われている古寺を回ったのだが、今年は、温かかった所為か、まだ、紅葉には早いようで、それに、紅葉していても、色が冴えないばかりか、イチョウなどは、黄変せずに、青いままで散っているような状態である。

   まず、本覚寺のイチョウは、まだ、黄変には間がある感じであった。
   興味深かったのは、栴檀の巨木に、沢山の実がついていたことで、初めて見たので、面白かった。
   

   ほんの1丁も山側に歩けば妙本寺で、ここは、勢力拡大を恐れた北条氏によって滅ぼされた比企一族の寺であり、立派な山門もあり、境内もかなり広い。
   表参道ではなく、左手の静かな細い石段を登って行くと、鬱蒼とした林間の奥に方丈があり、サザンカが奇麗に咲いていて、木陰に、ひっそりと椿が彩を添えている。
   
   
   

   このかなり大きな木が茂っている林の中のモミジが、何本か、少し色づいていて、木漏れ日を浴びて、美しい。
   もう少しすると、一面に紅葉して美しくなるであろう。
   
   
   
   
   
   この寺には、比企氏一族の墓があり、ひっそりと静まりかえっている。
   その墓のたもとに、大イチョウの木が立っているのだが、まだ、少し、緑が勝っていて、完全に色づくと、黄色い葉が地面に敷き詰めて比企氏の墓石を荘厳するであろう。
   上の墓所への石段が、苔むしていて、訪れる人がいないのか、殆ど通れないように埋もれている石段もあって、風雪を感じる。
   
   
   

   何故、ここが、結婚式を挙げたカップルの記念写真場になるのか分からないが、この日も、二組の新婚が、写真を撮っていた。
   花嫁は、ショットが変る毎に、メイクの調整や着付けで大変だが、新郎は手持ち無沙汰、それでも、カメラを向けられると、幸せ一杯の表情。
   幸多かれと、祈りたい。
   
   
   
   
コメント
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