長谷寺への参道のほんの20メートルほど北側の路地を上って行けば、光則寺に通じるのだが、訪れる人は少ない。
派手ではないのだが、境内一面に色々な花木や草花が植えられていて、季節の移り変わりによって、様相や雰囲気を変えて行く花の寺なのである。
山門そばに幼稚園があって、生活の息吹が感じられて面白い。
山門を入ったところ右手に、真っ赤に色づいたオオモミジが、燃えるように輝いていて華やかで良い。





入山して、最初に感じたこの寺の紅葉だが、少し、来るのが遅れたのではないかと言う感じで、日当たりのよいところなどは、もみじの先端や上部は、かなり、縮んだようななっていた。
しかし、その意味では、境内のもみじの殆どは、黄色っぽいもみじが多かったが、まずまず紅葉していて、十分に色づいていて、奇麗であった。









この寺の境内の良さは、京都の古寺の日本庭園のように、哲学があって本格的に造形されたような庭園ではなくて、イングリッシュ・ガーデンのような自然を重視したような大らかさと言うか、飾らない自然の美しさが漂っていて、心地良いことである。
どこと言う事がなくても、シャッターを切れば、そのまま、絵になるところであろうか。





境内には、今、ところどころに、サザンカが咲いていて、彩を添えていた。
それに、万両が、奇麗な実をつけていて、小鳥が啄まないのかと思うほど、どの木もたわわに実がなっていた。
古寺には、ミカンまで、庭木になるのであろうか。





そのあと、長谷寺を右に見て、御霊神社に向かった。
前に来た時に、見過ごして、安楽寺に行ってしまったので、今回、立ち寄ったのである。
ひっそりと静まり返っていて、殆ど、訪れる人はいなかったが、境内の大銀杏が奇麗に紅葉していて、美しかった。
丁度、大通りから参道への道を、江ノ電の線路が横切っていて、電車が走っていて、興味深かった。
切通しに並行して走っているので、トンネルがあって、江ノ電が出てきたので、シャッターを切った。





前のように、成就院と極楽寺に足を延ばしたが、両寺ともに、秋色全くなしの、珍しい雰囲気であった。
ところで、昨夜からの大暴風雨で、わが庭のもみじの葉の70%くらいは散ってしまった。
鎌倉の紅葉の名所のもみじも、相当散ってしまったのではないかと思うのだが、元気で綺麗な葉だけが残っているのなら、それも良いかも知れない。
派手ではないのだが、境内一面に色々な花木や草花が植えられていて、季節の移り変わりによって、様相や雰囲気を変えて行く花の寺なのである。
山門そばに幼稚園があって、生活の息吹が感じられて面白い。
山門を入ったところ右手に、真っ赤に色づいたオオモミジが、燃えるように輝いていて華やかで良い。





入山して、最初に感じたこの寺の紅葉だが、少し、来るのが遅れたのではないかと言う感じで、日当たりのよいところなどは、もみじの先端や上部は、かなり、縮んだようななっていた。
しかし、その意味では、境内のもみじの殆どは、黄色っぽいもみじが多かったが、まずまず紅葉していて、十分に色づいていて、奇麗であった。









この寺の境内の良さは、京都の古寺の日本庭園のように、哲学があって本格的に造形されたような庭園ではなくて、イングリッシュ・ガーデンのような自然を重視したような大らかさと言うか、飾らない自然の美しさが漂っていて、心地良いことである。
どこと言う事がなくても、シャッターを切れば、そのまま、絵になるところであろうか。





境内には、今、ところどころに、サザンカが咲いていて、彩を添えていた。
それに、万両が、奇麗な実をつけていて、小鳥が啄まないのかと思うほど、どの木もたわわに実がなっていた。
古寺には、ミカンまで、庭木になるのであろうか。





そのあと、長谷寺を右に見て、御霊神社に向かった。
前に来た時に、見過ごして、安楽寺に行ってしまったので、今回、立ち寄ったのである。
ひっそりと静まり返っていて、殆ど、訪れる人はいなかったが、境内の大銀杏が奇麗に紅葉していて、美しかった。
丁度、大通りから参道への道を、江ノ電の線路が横切っていて、電車が走っていて、興味深かった。
切通しに並行して走っているので、トンネルがあって、江ノ電が出てきたので、シャッターを切った。





前のように、成就院と極楽寺に足を延ばしたが、両寺ともに、秋色全くなしの、珍しい雰囲気であった。
ところで、昨夜からの大暴風雨で、わが庭のもみじの葉の70%くらいは散ってしまった。
鎌倉の紅葉の名所のもみじも、相当散ってしまったのではないかと思うのだが、元気で綺麗な葉だけが残っているのなら、それも良いかも知れない。