8月11日は、圓朝の命日だと云うことで、この日、国立演芸場の中席のトリで「怪談牡丹燈籠」の「お札はがし」を語った桂歌丸は、圓朝の墓参りをしてから、ここに来て高座に上がったと語った。
4月の公演を病気で休演したので、聴く機会を失って残念だったのだが、意外に元気で、何時もの名調子で、怪談噺をしっとりと語り始めた。
当然、満員御礼である。前で「ドクトル」を語った桂小南治が、毎回、国立演芸場から大入袋が出るのだと言って、一年ごとの11枚ずつの大入り袋を見せて披露していた。
私も、チケットの手配が遅れたので、最後に残った僅かなチケットの1枚を取得したので、最後列の一番左端12の1。ところが、少し遠いのだが、十分傾斜があって斜めなので前の障害物が気にならなくて、結構、良い席なのである。
歌丸の三遊亭圓朝作『怪談牡丹燈籠』の噺は、11日~15日は「お札はがし」16日~20日は「栗橋宿」となっている。
「お札はがし」は、前半の山場の噺で、
恋焦がれて死んだ旗本の娘お露が、幽霊になって、相思相愛の好男子の浪人萩原新三郎宅に、牡丹芍薬のついた燈籠を持って、夜毎通い詰めて恋情を交わすのだが、新三郎が幽霊を抱いて寝ているのを垣間見た店子の伴蔵がびっくり。新三郎は、名僧良石から死霊除けの金無垢の海音如来と幽霊を家に入れなくするお札を貰って方々に張り巡らす。お札を張られて新三郎の家に入れなくなったお露と女中お米が困り果てて、伴蔵に百両を与えると言う条件で、如来を盗ませお札を剥がさせる。お露たちは、新三郎宅に入り込んで新三郎を殺して冥途へ連れ去る。
この牡丹燈籠は、中国の「剪燈新話」、「伽婢子」や「奇異雑談集」などから想を得た圓朝の創作だが、青年期から、幽霊に関心を持って、文芸、宗教、心理などの各方面から真摯な解明を志したと言うから、圓朝の怪談物は筋金入りなのである。
牡丹燈籠を持って新三郎を訪ねてくるところの描写で、面白いのは、
カラコン/\と珍らしく下駄の音をさせて生垣の外を通るものが・・・牡丹芍薬などの花の附いた灯籠を提さげ、・・・十七八とも思われる娘が、髪は文金の高髷に結い、着物は秋草色染の振袖に、緋縮緬の長襦袢に繻子の帯をしどけなく締め、上方風の塗柄の団扇を持って、ぱたり/\と通る姿を・・・
「圓朝は贅沢だ、幽霊に下駄を履かせるんだから」と松林伯円を嘆息させている。
歌丸は、お露の幽霊が、寝静まった伴蔵宅を夜毎訪れて、新三郎宅のお札を剥がしてくれと頼み込むところから語り始める。
亭主が夜中に起きて女(幽霊)と話し込んでいるのを怪しんだ女房が問い詰め、それなら、百両を持って来れば引き受けろと入れ智慧する。嫌がる新三郎を行水させて如来を盗みだし、百両を受け取ってお札を剥がすくだりを、歌丸は、人情噺を語るような静かで穏やかな口調で淡々と語り続ける。
この日、NHKが夜9時のニュースで、この歌丸が圓朝の墓を訪れ、国立演芸場の公演や楽屋での様子を放映していた。
その時のスナップ写真を掲載すると次の通り。
私が、落語を本格的に聞き始めたのは、まだ、2年少しで、古典芸能でも、歌舞伎・文楽などの20年以上から比べれば、ほんの駆け出しだが、それでも、歌丸の圓朝ものを含めて、4~5回は聴いている。
圓朝物は、「真景累ヶ淵」から「深見新五郎」と「湯灌場から聖天山まで」「双蝶々雪の子別れ」、それに、しっとりと聞かせる人情噺「小間物屋政談」や「ねずみ」。
昭和と平成の名人肌の国宝級の語り部とも言うべき歌丸の話術には、感激のしっぱなしで聴いている。
来年の四月には、この国立演芸場で、圓朝の「塩原太助一代記」をやるようだが、元気で、語り続けて欲しいと願っている。
4月の公演を病気で休演したので、聴く機会を失って残念だったのだが、意外に元気で、何時もの名調子で、怪談噺をしっとりと語り始めた。
当然、満員御礼である。前で「ドクトル」を語った桂小南治が、毎回、国立演芸場から大入袋が出るのだと言って、一年ごとの11枚ずつの大入り袋を見せて披露していた。
私も、チケットの手配が遅れたので、最後に残った僅かなチケットの1枚を取得したので、最後列の一番左端12の1。ところが、少し遠いのだが、十分傾斜があって斜めなので前の障害物が気にならなくて、結構、良い席なのである。
歌丸の三遊亭圓朝作『怪談牡丹燈籠』の噺は、11日~15日は「お札はがし」16日~20日は「栗橋宿」となっている。
「お札はがし」は、前半の山場の噺で、
恋焦がれて死んだ旗本の娘お露が、幽霊になって、相思相愛の好男子の浪人萩原新三郎宅に、牡丹芍薬のついた燈籠を持って、夜毎通い詰めて恋情を交わすのだが、新三郎が幽霊を抱いて寝ているのを垣間見た店子の伴蔵がびっくり。新三郎は、名僧良石から死霊除けの金無垢の海音如来と幽霊を家に入れなくするお札を貰って方々に張り巡らす。お札を張られて新三郎の家に入れなくなったお露と女中お米が困り果てて、伴蔵に百両を与えると言う条件で、如来を盗ませお札を剥がさせる。お露たちは、新三郎宅に入り込んで新三郎を殺して冥途へ連れ去る。
この牡丹燈籠は、中国の「剪燈新話」、「伽婢子」や「奇異雑談集」などから想を得た圓朝の創作だが、青年期から、幽霊に関心を持って、文芸、宗教、心理などの各方面から真摯な解明を志したと言うから、圓朝の怪談物は筋金入りなのである。
牡丹燈籠を持って新三郎を訪ねてくるところの描写で、面白いのは、
カラコン/\と珍らしく下駄の音をさせて生垣の外を通るものが・・・牡丹芍薬などの花の附いた灯籠を提さげ、・・・十七八とも思われる娘が、髪は文金の高髷に結い、着物は秋草色染の振袖に、緋縮緬の長襦袢に繻子の帯をしどけなく締め、上方風の塗柄の団扇を持って、ぱたり/\と通る姿を・・・
「圓朝は贅沢だ、幽霊に下駄を履かせるんだから」と松林伯円を嘆息させている。
歌丸は、お露の幽霊が、寝静まった伴蔵宅を夜毎訪れて、新三郎宅のお札を剥がしてくれと頼み込むところから語り始める。
亭主が夜中に起きて女(幽霊)と話し込んでいるのを怪しんだ女房が問い詰め、それなら、百両を持って来れば引き受けろと入れ智慧する。嫌がる新三郎を行水させて如来を盗みだし、百両を受け取ってお札を剥がすくだりを、歌丸は、人情噺を語るような静かで穏やかな口調で淡々と語り続ける。
この日、NHKが夜9時のニュースで、この歌丸が圓朝の墓を訪れ、国立演芸場の公演や楽屋での様子を放映していた。
その時のスナップ写真を掲載すると次の通り。
私が、落語を本格的に聞き始めたのは、まだ、2年少しで、古典芸能でも、歌舞伎・文楽などの20年以上から比べれば、ほんの駆け出しだが、それでも、歌丸の圓朝ものを含めて、4~5回は聴いている。
圓朝物は、「真景累ヶ淵」から「深見新五郎」と「湯灌場から聖天山まで」「双蝶々雪の子別れ」、それに、しっとりと聞かせる人情噺「小間物屋政談」や「ねずみ」。
昭和と平成の名人肌の国宝級の語り部とも言うべき歌丸の話術には、感激のしっぱなしで聴いている。
来年の四月には、この国立演芸場で、圓朝の「塩原太助一代記」をやるようだが、元気で、語り続けて欲しいと願っている。