熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十二月大歌舞伎・・・「瞼の母」「楊貴妃」

2017年12月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の大歌舞伎は、3部編成だが、私が観たのは、第3部だけで、玉三郎と中車の舞台を観ようと思ったのである。

   演目と配役は、次の通り。

   長谷川 伸 作 石川耕士 演出
  一、瞼の母(まぶたのはは)

   番場の忠太郎 中車
   金町の半次郎 彦三郎
   板前善三郎 坂東亀蔵
   娘お登世 梅枝
   半次郎妹おぬい 児太郎
   夜鷹おとら 歌女之丞
   鳥羽田要助 市蔵
   素盲の金五郎 権十郎
   半次郎母おむら 萬次郎
   水熊のおはま 玉三郎

   夢枕 獏 作
  二、楊貴妃(ようきひ)

   楊貴妃 玉三郎
   方士  中車

  『瞼の母』は、幼い頃に経験した自分自身の母との別れを題材にした長谷川伸の新歌舞伎で、渡世人となった番場の忠太郎が、幼い頃に別れた母を一途に思い続けて、母を訪ねて旅を続けて、江戸で、やっと探し当てて母おはまと対面する。しかし、娘の将来のことを考えて冷たい態度をとる母おはまは母と名のらず、突っぱねられた忠太郎は涙を飲んで家を出て、親子は再び別れてしまうと言う、実に悲しい、あまりにも有名な親子の物語である。
  一心に母の面影を求め続ける息子と、娘可愛さにヤクザを許せない母との肺腑を抉るような心の葛藤と命の鬩ぎ合い、激しい言葉の応酬が胸を打つ。

   この「瞼の母」を、6年前に、一度だけ見ている。
   場末の劇場と言う感じの日本青年館の舞台であったが、獅童の忠太郎、秀太郎のおはま、笑也の娘お登勢と言う素晴らしいキャスティングで、今でも、感動的な舞台の印象が鮮明に残っている。
   この時に強烈な思いがあるので、今回の舞台への感慨は、大分違っていたのである。

   さて、凄い役者であり、歌舞伎役者へ転身後も必死に頑張って快進撃を続けている中車だが、今回、中車の忠太郎で注目したのは、中車自身が、同じような親との関係、すなわち、実父猿翁との不幸な確執を経験しており、普通の役者以上に、感情移入もあって、凄い芝居を演じるのではないかと言う思いがあった。
   中車が、1歳の時に父が家を捨て、3歳の時に両親が離婚以来、父子は没交渉となった。
   しかし、中車が、大学を卒業して俳優デビューした25歳の冬、思い切って公演先の父を訪ねて行ったのだが、大事な公演の前にいきなり訪ねてくるなど配慮が足りないと叱責され、家庭と訣別した瞬間から関係を断ち、父でも子でもない、と冷たく言い放たれ、その後、長い間確執が続いていた。
   しかし、中車は、それでも、父の舞台を何度も観続けていたと言う。
   父の偉大さ、血の騒ぎ・・・煮え盛る芸術への疼きをじっと耐えていたのであろう。

   この芝居「瞼の母」でも、繰り返し出てくる親子の血のつながりと言う切っても切りきれない宿命が、そうさせるのかどうかは分からないが、中車の父親への思いは、この番場の忠太郎とダブルのである。
   作者の生い立ちと中車の父への思い、ダブルの親への愛憎が綯い交ぜに渦巻いて、慟哭を押し殺した肺腑を抉るような感動的な芝居、 
   これを受けて立つ人間国宝の玉三郎の至芸が、正に絶品である。
   健気に、二人の間を取り持とうとする娘お登勢の梅枝が泣かせる。
   二時間弱の素晴らしい「瞼の母」であった。

   次の歌舞伎舞踊「楊貴妃」は、
   長編詩「長恨歌」と能「楊貴妃」を題材として、夢枕獏が坂東玉三郎のために書き下ろした作品だと言う。
   しかし、白居易(白楽天)の「長恨歌 」にすべてうたわれているので、パーフォーマンス・アーツとして、どう表現するかと言う違いが重要なのである。

   馬嵬で亡くなった楊貴妃への思いがつのった玄宗に、楊貴妃の魂を探すよう命じられた方士(中車)が、蓬莱山の宮殿で楊貴妃を呼び出すと、楊貴妃の魂が在りし日の美しい姿で現れて、玄宗との幸せな日々を回想しながら舞い続ける。名残は尽きないが、去ろうとして行く方士にかんざしを渡して静かに消えて行く。
   能舞台の作り物のような宮殿から現れた楊貴妃が、二輪の牡丹を描いた艶やかな二枚扇を巧みに遣って華麗な舞を舞い続ける、これが実に優雅で、天国からのサウンドの様に浄化された美しい、琴5、十七絃3、笛1、胡弓1、謡いをバックに、正に、夢幻の境地へ誘う燦爛たる舞台を見せて魅せてくれるのである。
   「長恨歌」の
   在天願作比翼鳥 在地願爲連理枝「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」
   の詞章を、素晴らしい謡と楽の音に乗って舞い続ける玉三郎の艶やかで優雅な舞姿を観ながら聴いていると、感慨ひとしおである。

   以前に、一度、玉三郎の「楊貴妃」を観たように思うのだが、記憶と言うものは悲しいもので、いつか消えてしまう。
   脳裏に焼き付けようと、舞台を観続けていた。
     
   今回は、年末最後に、素晴らしい歌舞伎を観た。
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