熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

牡丹は楊貴妃が愛でて中国の名花になった

2017年01月27日 | 生活随想・趣味
   宇野直人の「李白」を読んでいて、李白の「清平調の詞」の説明のところで、”・・・この時代、牡丹の花が中国に入って来て、定着したんです。”と言う文章に出会った。
   とにかく、中国画や掛け軸などを見れば、花と言えば、牡丹、牡丹なので、秦やそれ以前から、中国人が最も愛でる中国の花は、牡丹だと思っていたので、この文章は意外であった。

   因みに、ウィキペディアには、
   ”原産地は中国西北部。元は薬用として利用されていたが、盛唐期以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。たとえば、『松窓雑録』によれば、玄宗の頃に初めて牡丹が愛でられるようになったものの、当時は「木芍薬」と呼ばれていたと記載される 。”と記されている。
   中国が原産地であることは、間違いないようだが、広い中国のことで、長い間、牡丹は、原産地だけの花で、今日のように、牡丹があれほど、中国で、愛される花になったのは、極めて、最近のことだと言うことである。

   宇野先生の説明では、
   ”それを玄宗皇帝がたいへん好み、宮中に植わっていた牡丹を4本を、沈香亭というあずまやの前に移植し、その花がたくさん咲くと、玄宗は楊貴妃と一緒に、花を愛でるお花見の会を開いた。”
   牡丹と言う新しい花を観賞しているので、こういう時に、古びた歌詞の歌を聞きたくないと言って、李白が呼ばれて、新作の歌詞を作って、宮廷歌手の李亀年が、オーケストラをバックに、歌ったのだと言う。
   その後、白楽天など中国文学では詩歌などで格好のテーマとなり、日本では、清少納言の枕草子が最初のようだが、その後、牡丹灯籠等々、花の王様となった。

   クレオパトラとバラの話は有名だが、玄宗皇帝と言うよりは、絶世の美女であった楊貴妃が、牡丹をこよなく愛したと言った方が、詩的でもあるので、そうしておこう。
   ところで、偉大な詩人李白は、この楊貴妃に疎まれて、折角得た役人の地位を3年弱で離れると言う悲運を味わうこととなる。
   
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