都響の定期公演Cで、東京芸術劇場コンサートホールに出かけた。
コロナ以降、東京に通い続けていた能狂言や歌舞伎文楽などの古典芸能鑑賞は、全くご無沙汰してしまったが、この都響定期Cのコンサートだけは続けている。
プログラムは、次の通り。
指揮/大野和士
ヴァイオリン/アリーナ・イブラギモヴァ
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op.73
ブラームスのバイオリン協奏曲は、四大バイオリン協奏曲としてクラシック音楽ファンにとっては、最初に聴く曲で馴染みのある音楽なので、メロディがすぐに頭を駆け巡る。
私など、ダビッド・オイストラッフやアイザック・スターンと言った男性の老巨匠のコンサートから聞き込んだ年代であるから、最近のように、若くて溌剌とした女流バイオリニストの演奏など、夢にも想像できなかった。
宮城道雄の伴奏をしたシュメーと言う女流の存在は知っていたが、私が、はじめてコンサートで聴いた女流バイオリニストは、カラヤンに見出されたアンネ・ゾフィー・ムターであった。
さて、今日のソリストは、アリーナ・イブラギモヴァ
1985年ロシア生まれ、モスクワのグネーシン音楽学校で学び、1995年には家族とともにイギリスに移住。ユーディ・メニューイン・スクールと王立音楽院で学び、クロンベルク・アカデミー・マスターズ・プログラムのメンバーとなった。と言うから、ロシアオリジンのイギリスのバイオリニストと言うことであろうか。
バロック音楽から委嘱新作までピリオド楽器とモダン楽器の両方で演奏するアリーナ・イブラギモヴァは、その演奏の多才さ、そして「臨場感と誠実さ」(ガーディアン紙)で高い評価を確立した。と言う。
女流には珍しいほどメリハリの効いた激しいボーイングで、実にダイナミックな演奏でありながら素晴しく美しく、観衆を魅了。
ブラームスの交響曲は、欧米でも、第1番と第4番を聴くことが多く、第2番を聴いたことがあるのかないのか記憶がない。
ブラームスの「田園」と言われているようだが、ベートーヴェンの「田園」とは、イメージが全く違う。
私が感動したのは、第4楽章、
上手く表現できないので、寺西基之氏の解説を引用すると、
喜ばしさに満ちて前進的に運ばれるソナタ形式のフィナーレ。その推進力あるエネルギーはコーダで圧倒的なクライマックスを築き上げ、全曲は輝かしい明るさの内に締めくくられる。
とにかく、天をつくような強烈なサウンドと凄い迫力のフィナーレ。
大野和士氏は、指揮を終えると、左右の拳をしっかりと握りしめて会心の演奏に興奮気味で仁王立ち、
コンサートマスターに向かって、その前も後も、肘タッチで握手代替だったのに、
我を忘れたように素手でしっかりと握手、
久しぶりの素晴しいブラームスの1日であった。
コロナ以降、東京に通い続けていた能狂言や歌舞伎文楽などの古典芸能鑑賞は、全くご無沙汰してしまったが、この都響定期Cのコンサートだけは続けている。
プログラムは、次の通り。
指揮/大野和士
ヴァイオリン/アリーナ・イブラギモヴァ
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op.73
ブラームスのバイオリン協奏曲は、四大バイオリン協奏曲としてクラシック音楽ファンにとっては、最初に聴く曲で馴染みのある音楽なので、メロディがすぐに頭を駆け巡る。
私など、ダビッド・オイストラッフやアイザック・スターンと言った男性の老巨匠のコンサートから聞き込んだ年代であるから、最近のように、若くて溌剌とした女流バイオリニストの演奏など、夢にも想像できなかった。
宮城道雄の伴奏をしたシュメーと言う女流の存在は知っていたが、私が、はじめてコンサートで聴いた女流バイオリニストは、カラヤンに見出されたアンネ・ゾフィー・ムターであった。
さて、今日のソリストは、アリーナ・イブラギモヴァ
1985年ロシア生まれ、モスクワのグネーシン音楽学校で学び、1995年には家族とともにイギリスに移住。ユーディ・メニューイン・スクールと王立音楽院で学び、クロンベルク・アカデミー・マスターズ・プログラムのメンバーとなった。と言うから、ロシアオリジンのイギリスのバイオリニストと言うことであろうか。
バロック音楽から委嘱新作までピリオド楽器とモダン楽器の両方で演奏するアリーナ・イブラギモヴァは、その演奏の多才さ、そして「臨場感と誠実さ」(ガーディアン紙)で高い評価を確立した。と言う。
女流には珍しいほどメリハリの効いた激しいボーイングで、実にダイナミックな演奏でありながら素晴しく美しく、観衆を魅了。
ブラームスの交響曲は、欧米でも、第1番と第4番を聴くことが多く、第2番を聴いたことがあるのかないのか記憶がない。
ブラームスの「田園」と言われているようだが、ベートーヴェンの「田園」とは、イメージが全く違う。
私が感動したのは、第4楽章、
上手く表現できないので、寺西基之氏の解説を引用すると、
喜ばしさに満ちて前進的に運ばれるソナタ形式のフィナーレ。その推進力あるエネルギーはコーダで圧倒的なクライマックスを築き上げ、全曲は輝かしい明るさの内に締めくくられる。
とにかく、天をつくような強烈なサウンドと凄い迫力のフィナーレ。
大野和士氏は、指揮を終えると、左右の拳をしっかりと握りしめて会心の演奏に興奮気味で仁王立ち、
コンサートマスターに向かって、その前も後も、肘タッチで握手代替だったのに、
我を忘れたように素手でしっかりと握手、
久しぶりの素晴しいブラームスの1日であった。