熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

トーマス・K. マクロウ「シュンペーター伝」(1)

2024年02月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   トーマス・K. マクロウの「シュンペーター伝―革新による経済発展の預言者の生涯」
   600㌻にも及ぶ大著で、正に、巨人シュンペーターの詳細な伝記である。
   マクロウは経営学者であるので、シュンペーターの経済学理論については踏み込んではいないが、「経済発展の理論」「景気循環論」「資本主義・社会主義・民主主義」等の大著に関しては、歴史的背景や理論展開の詳細などにも触れていて興味深い。「景気循環論」の出版が、ケインズの「一般理論」とかち合って人気をさらわれて、評価されなかったと言うのは興味深い。
   創造的破壊のイノベーション論は、シュンペーターの経済学の根冠だが、初期の大著「経済発展の理論」から、生涯にわたってシュンペーターの経済的思想のバックボーンであったことを、マクロウのこの伝記で感じ続けて感動さえ覚えた。
   
   さて、これまで、シュンペーターのイノベーションについては随分書いてきたので、書評などはおこがましく、産業革命時期の個人的イノベーターに関するシュンペーターの記述が面白いので考えてみたい。

   まず、興味深いのは、マルクスは階級構造として資本と労働の分離を説いたが、シュンペーターは、本当の分裂は新しい産業秩序の中にあると考えた。産業界の巨頭と中規模工場の所有者との大きな格差である。
   しかし、この両者に共通している特質は、その社会的地位が他の階級よりも不安定であると言うことで、「上流階級における一族の急激な変化を見ると、非常に民主的で効率的な頭脳の選択が起こっていることが明確である」。経済は能力主義の領域に入っており、それは本来的に世襲階級にとって敵対的であり、企業家精神は階級を造るものではなく機能になったのである。と説いている。
   支配階級も、強力なイノベーターの新規参入によって、瞬時に追い落とされてしまうと言うのである。

   現代の産業社会では、「階級の地位が固定しているというのは幻想である。階級の障壁はトップだけではなくボトムでも克服可能であるに違いない」。上の階級に上昇する鍵は、「個人が非伝統的な道を歩み始めることにある。これまでもずっとそうであったが、資本主義社会ではまさにそれが妥当する」。ほとんどの大企業家は労働者や職人の間から台頭している。「何か新奇なことをしたお陰であり、事実上、それが自分の階級から大躍進できる唯一の道である」。
   シュンペーターが、イギリス貴族を称讃した一因は、まさにその多様性と参入可能な性格にあった。それは動きの遅い堕落した者で構成されるウィーンの静態的な社会とは全く異なっていた。イギリスの方が、ウィーンよりずっと早く上の階級に上っていくことが出来る。と言うのである。

   重要なのは、経済は、頭脳の選択競走となって能力主義となり支配階級の地位が不安定になる下克上社会の到来と、企業家は、非伝統的な道を歩み、何か新奇なことをやる、と言うイノベーターの指摘である。
   今なら、誰でもが納得する、これこそが、シュンペーターの創造的破壊理論の骨子だが、この本を読んでいると、全編、この思想が、主旋律として変奏を繰り返しながら聞こえてくる。

   学生時代に、「経済発展の理論」と「資本主義・社会主義・民主主義」は読んだが、もう、半世紀以上も前のことで、その後、随分シュンペーター関係の本を読んできた。経済成長に興味を持って勉強し続けてきたので、当時誰もが入れ込んでいたケインズ経済学より、私にはシュンペーターで、イノベーションを勉強し続けてきた。
   大学院では、経営学に変ったが、ドラッカーやクリステンセンでも、やはり、イノベーションであった。

   今では、誰もがイノベーション、イノベーションと言って流行り言葉になっているが、随分長い間、シュンペーターもイノベーションも鳴りを潜めた時代があったが、時代が暗くなってくると、起死回生、救世主を求めるのであろうか、不思議な感じがしている。

   
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