熟年の文化徒然雑記帳

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PS:ハロルド・ジェームス「最初のポリクライシス The First Polycrisis」

2023年08月12日 | 政治・経済・社会時事評論
   プリンストン大学の歴史と国際問題専門のハロルド・ジェームス教授のPSの論文、「最初のポリクライシス The First Polycrisis」
   今日、世界中に吹き荒れているポリクライシス、一見制御不能な環境危機、地政学的危機、経済危機の時代に、1848 年にヨーロッパを襲った革命の波が多くのことを教えてくれる。 それはまた、相互接続された世界の混沌とした可能性、統治の限界、そしてより管理しやすい未来への道を明らかにしている。と言うのである。

   まず、ポリクライシス(polycrisis)とは、複数の世界的な危機が絡み合い、個々の事象の単純な合算以上の大きな影響を及ぼす状況を指す。世界経済フォーラムが、毎年発行しているグローバルリスク報告書で警鐘を鳴らす「ポリクライシス」やイアン・ブレマーのユーラシアグループがレポートする10大リスクなどが、今日の「ポリクライシス」を示しているであろう。
   いずれにしろ、グローバリズムの進展とICT革命デジタル革命によって進化発展して、雁字搦めに結びついた人類社会のクライシスの複合錯綜、
   解消など至難の業である。と思うのだが。

   歴史家クリストファー・クラークの新著『革命の春: 新世界のための闘い、1848-1849』を引用して、1848年から1849年にかけてヨーロッパの大部分を席巻した革命に関するこの権威ある研究、そして、歴史上の遠い時代が切迫感を持って語りかけ、現在の出来事の最も情報に基づいた分析よりも優れたガイドとなる可能性があり、私たちの時代への共鳴に驚かされるという。
   クラークは、1848年の革命の年も、今日の危機も同じくらい多大な危機で、当時も今も複数の危機が同時に発生し、相互につながった世界の混沌とした可能性が露呈した。 そしてまた、この時代は「民主的条件下での結束の喪失、対話の失敗、議論を通さない正統性の硬化、重要な目標に優先順位を付け、それを追求する目的で団結することができない」という特徴を持っていた。人々は「方向性が定まらないままの混乱と変化」に引き裂かれていた。と指摘する。

   さて、1848年危機だが、旧秩序が脆弱だったのは、オーストリア首相メッテルニヒが非常に恐れていた陰謀家や革命家たちのネットワークのせいではなく、暴動が自発的に勃発したためで、 感情はジャーナリストによって煽られた。
   大陸規模の陰謀という考えは、革命的な想像力と旧秩序の悪夢の両方を引き起こした。 しかし、この物語は基本的に気を散らすだけで、 大陸を実際に結びつけていたのは、不作と作物の疫病、特に北ヨーロッパを壊滅させたジャガイモ菌類(アイルランドで最悪の影響を及ぼした)に続いて起こった不足によって煽られた、社会的不平等の共有であった。 反乱主義者の任務は、政府の期待に応え、誘導する方法で政府のプロセスを再調整するという目の前の本当の任務から当局の注意をそらすことであったので、 社会はますます政治化し、批判的になって行った。
   1848 年は、政府が何をし損ねたか、そして何をすべきかについてのヨーロッパの議論から生まれ、それが結果的にヨーロッパ全体の意識を生み出した。 その結果、すべての新しい政府は、国家の効率性の向上、経済発展の促進、貿易と通信の開放、銀行と金融機関の改革に重点を置く必要があった。 1848 年以降の体制は、ナポレオン戦争の終結を正式に承認するためにウィーン会議で外交官によって画策された 1815 年の和解を単に復元したものではなくて、 むしろ、彼らは、管理者や知識人が他所で行われていることを寛大に観察する新時代の幕開けとなった。 1848 年の効果は、議論を目的 (何をするか) の問題から手段 (どのように行うか) の問題に移すことであったのである

   それでは、今日のポリクライシスは改善できるのであろうか? これが今日の中心的な課題だが、クラークは、すべての政府は解決できない問題に直面しており、 政治問題は本質的に『解決』できないものであって、解決策を探すという事業全体が気晴らしに過ぎないことを意味している。 19 世紀半ばの偉大な成果は、明らかに解決不可能な過去のすべての問題を単に置き去りにすることができるように、新しい発展と機会をつかむことができる社会を創造したことであった。と言うのである。

   ジェームスは、1848年以降のヨーロッパの社会の展開につて、論述しており、
   ここには、EU離脱とドナルド・トランプの2016年以降の世界における我々への教訓が確かにある。 1848年と2016年にリベラル派の指導者たちは、苦しみと混乱を抱えたより広範な社会を理解できず、意思疎通もできなかったために敗北した。 政治的理解を深めていくには、ギャップを埋めることが必要がある。と言う。

   最終的に、クラークの言を引いて、リベラリズムに対する響きのある、そして、説得力のある擁護を行っている。 それは依然としてこれまでと同様に関連性を持っており、「左派では植民地暴力と市場主導の経済学、右派では左翼の流行と社会的ライセンスと同一視される」ため、現在脅威にさらされている。 リベラリズムの強みは、自己修正能力と、反対派の懸念や考えを受け入れる能力にある。 そういう意味では粘り強い。
   独裁国家については同じことは言えない。
   と結んでいる。

   今日のポリクライシスは、リベラリズムが健全である限り、ほおっておいても、新時代の到来によって、自然に解決すると言うことであろうか。
   極右勢力の台頭やポピュリズム勢力の隆盛、独裁的な専制主義的な国家体制の伸張で、益々後退する民主義体制の退潮を考えれば、リベラリズムの世直し政策など信じられるであろうか。
   
   人類は、最初の「ポリクライシス」は、1848年に経験済みで、その解決に成功したと言うのだが、今日の深刻な「ポリクライシス」を、どのようにして解決するのか。
   地球温暖化で宇宙船地球号が危機に瀕し、ウクライナ戦争を筆頭にして核の危機が再燃するなど、人類の存続、その命運が問われており、牧歌的な19世紀の「ポリクライシス」とは雲泥の差、
   人類の思想や哲学は勿論、気性や気質などが、たとえ変っていなくても、地政学的物理学的科学的に大きく変質してしまったこの人類社会において、19世紀の「ポリクライシス」解消法が役に立つのかどうか。
   ジェームスは、何も処方箋を提示していない。
   
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