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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ゲーテ著池内紀訳「ファウスト 第一部 」

2019年01月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ヨハン・ヴォルフガング・フォン ゲーテの「ファウスト」、
   池内紀新訳の二巻本、2000年に出版された訳者のサイン本で、20年近く積読であったのだが、倉庫の奥に隠れていたのを引っ張り出して読み始めた。
   今は閉店されている青山ブックセンターのブックカバーに包まれていたので、本は新本そのままの保存条件で、幸いであった。

   全編韻文で書かれて長編の戯曲だが、池内紀は、散文調で訳していて分かり易いのが良い。
  「ファウスト」は二部構成で、第一部は1808年、第二部はゲーテの死の前年1831年に完成されたのだが、私の知っていたグレートヒェンとの恋の物語は、第一部で、第二部については、殆ど知識がなかったので、面白かった。
   ダンテの「神曲」ほど、複雑ではなく、大分時代も下っているので、感覚がモダンで、絵画や音楽などでも多くの作品が残っているので、親しみ易いのである。

   ゲーテは、ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家と言った偉大なマルチタレントなのだが、読んだのは、学生時代に、「若きウェルテルの悩み」、それに、旅行記「イタリア紀行」くらいである。
   ゲーテが、ブレンナー峠を越えアルプスの南イタリアに入ると、一気に明るい、君知るや南の国、感激した様子を書いていたのを思い出して、一度、スイスから自家用車で、ブレンナー峠を越えたことがあるのが、国境の交通の集積場のような感じがしただけで、本当は、そこから1時間くらい車で下れば、美しい南アルプスが展望できたのであろうが、その日に、ドイツを突破して、アムステルダムに帰らなければならなかったので、ゲーテの興奮を味わい損ねたことがある。

   ストーリーは、私なりに要約すると、
   ファウストは、あらゆる知識をきわめ尽くしたい偉大な学者であったが、十分な知識欲求を満たしきれずに歎き失望していた。
そこに悪魔メフィストが、黒い犬に変身して書斎に忍び込み、言葉巧みに語りかけ、自分と契約を結べば、この世では伴侶、召使、あるいは奴隷のようにファウストに仕えて、享楽の限りを提供しよう、あの世で会った時には、ファウストに同じように仕えて欲しいと提案する。あの世に全く関心のなかったファウストは即座に承諾し、“時よ、とどまれ、おまえは実に美しい!”("Verweile doch! Du bist so schön.")という言葉を口にしたならば、メフィストに魂を捧げる約束をする。
メフィストは、ファウストを魔女の厨に連れて行き、魔女の作った若返りの薬を飲ませる。若返って旺盛な欲を身に付けたファウストは、様々な享楽に耽るが、恋愛の情熱も強く、魔女の厨で見かけた魔の鏡に、美しくて高貴な理想の女性が映っているのを見て、その面影を追い求め、街路で出会った素朴で敬虔な少女マルガレーテ(通称グレートヒェン)を一目見て恋に落ちる。
メフィストが、グレートヒェンに高価な宝石を贈るなど、ファウストとの仲を取り持って、同じく当初から好意を感じていたグレートヒェンと結び付け、二人は恋に没頭し床を共にする。しかしある夜、この恋物語を聞きつけたグレートヒェンの兄ヴァレンティンが怒って、ファウストとメフィストと決闘し、ヴァレンティンは殺される。
一時の気晴らしに、メフィストはファウスト博士を魑魅魍魎達の饗宴である、ワルプルギスの夜へと連れて行き、ファウストは、この乱痴気騒ぎの中で、首に”赤い筋”をつけたマルガレーテ(グレートヒェン)の幻影を見て彼女に死刑(斬首刑)の危機が迫っていることを悟り、メフィストがそのことを隠していたので激怒する。グレートヒェンは身籠っており、彼の不在で、産まれた赤ん坊を沼に沈めて殺してしまい、婚前交渉と嬰児殺しの罪を問われて牢獄に投じられていた。
ファウストはメフィストと共に獄中のグレートヒェンを助けに駆けつける。狂って朦朧としたグレートヒェンは、なおも信仰心熱く、メフィストの姿を見て逃亡を拒否する、メフィストが「裁きが下りた!」と叫ぶと、このとき天上から「救われた!」と声が響く。ファウストはマルガレーテを牢獄に残し、メフィストに引っ張られて去ってゆく。

   ファウストが、メフィストに魂を捧げると約束した“時よ、とどまれ、おまえは実に美しい!”("Verweile doch! Du bist so schön.")という言葉を発していないので、この時点では、話は完結しておらず、当然、第二部につながるのだが、原ファウストを構想して下書きが残っているのは20歳代で、第一部が完結したのは59歳、第二部完結が82歳の時だと言うから、正に、驚異的である。
   どうしても、グレートヒェンを、ダンテの「神曲」のベアトリーチェと比べてしまうのだが、あのダンテを天国に導いた神聖を帯びた永遠の女性イメージとは違って、グレートヒェンの場合には、もっと身近な生身の乙女と言う感じで、ファウストとの恋の描写も、ある意味では、殆ど現代小説と変わらない感じである。
   尤も、これは第一部の話であって、最後には、ファウストは、死後、メフィストに敗北した筈ながら、グレートヒェンの天上での祈りによって救済されることになるのだが。
   
   「原ファウスト」は、可憐な町娘の恋愛悲劇で、恋をし、身籠って、その子を殺した罪で裁かれる。嬰児殺しは当時好んで取り上げられたテーマで、教会や世俗の道徳がいくら見張っても止められるものではなく、若い男女が愛し合って子供ができるのは必然、モラルと言うか男女関係の価値観が違うだけで、今のドイツでは、当たり前のことで、小説にもならないし、「ファウスト」など生まれなかったはずなのである。

   若返り薬を飲ませた後、鏡に映った美しい乙女像に執着して離れないファウストを見て、メフィストは、「もういい、もういい。いまにホンモノが目の前に現れる。(小声で)あの薬がからだに入ったからには、どんな女も絶世の美女に見えようさ。」と言っており、実際は、メフィストが作り上げた女性像を、ファウストが熱愛したと言うことかも知れないのである。
   かなり、男女関係の描写も大胆で、山本容子の銅版画も面白い。
   

   ワルプルギスの夜のところには、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に登場する懐かしいキャラクターたちが登場して興味深かった。
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