熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の若者は世代障害の犠牲(NYT:In Japan, Young Face Generational Roadblocks)

2011年02月10日 | 政治・経済・社会
   このタイトルは、先月末、S&Pが日本の国債の格付けを下げた直後に、ニューヨーク・タイムズに掲載された記事で、日本の大學生の異常な就職難を皮切りにして、年寄り重視社会構造が若者の就業機会を妨げるなど、現在の日本の経済社会が、如何に若者たちの生活と将来を窮地に追い込んでいるかについてレポートしている。
   記事そのものは、日本人なら誰でも知っている現状の若者たちの窮状が述べられているだけで、それ程目ぼしいインパクトはないのだが、日米の若者たちが多くのコメントを寄せており、正に、身につまされて、慙愧の思いに堪えない。
   フランスなら、学生たちが立ち上がって強力なデモを打つのだが、日本の若者たちは、諦めてしまって人生を棒に振るのを覚悟で、沈潜してしまっている。

   冒頭、 MARTIN FACKLERは、年寄りが年寄り世代の利益ばかりを重視した階層社会にしがみついて、成熟した日本経済を活性化するために必須の時に、若者たちが起業したり新しいモノを生み出すの妨害してきた。ソニーやトヨタやホンダを生んだ国が、若いアンテルプルナーを育てるのを怠り、20代にグーグルやアップルのような革命的な会社を生み出す芽を摘んでしまった。と指摘する。
   アメリカ人とすれば、経済社会の活性化のためには、経済成長が必須で、その牽引者となるのは、20代の有能なアンテルプルナー兼イノベーターであると考えるのは当然で、何故、シリコンバレーのようなイノベーションを生み出す環境を作り出せないのか、大いに疑問に思うのは当然であろう。
   
   この記事でも、ホリエモンのことを話題にしているのだが、私は、若者たちが、ホリエモンにインスパイヤーされて起業に夢を抱いていたころには、ベンチャー起業の息吹を感じて、経済成長の可能性と、日本産業の再生の可能性を感じていた。
   しかし、それと同時に、日本の社会が、新しい時代にキャッチアップ出来ずに、ホリエモンや村上ファンドを叩き潰した時点で、夢は終わってしまったと思った。
   昔、「悪い奴ほどよく眠る」と言う映画があったが、法律を犯すと言うことは悪いことではあるが、ホリエモンや村上以上に、会社法を筆頭に、もっともっと悪質な違法行為を犯しながら、不問に付されているケースが無数にあることを考えれば、日本ほど出る杭は叩かれる国はなく、こんなに社会が閉塞状態になってしまったら、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブなどは、まかり間違っても、生まれないであろうと思う。

   私は、これまでに、失われた10年、いや、20年が、如何に、日本の若者を、職や修業機会から放逐して成長の芽を摘んでしまうなど、日本の次代を背負う人的資源を浪費してダメにしてしまったかを論じてきたが、若者たちに、チャレンジ&レスポンス、アーノルド・トインビーが大著「歴史の研究」で説いた挑戦と応戦のチャンスを与えないと、如何に、国家の命運にとって致命的なダメッジを与えるかを、日本人総てが肝に銘じなければならないと思っている。
   20年以上も膨大なフリーターを生み出して人的資源を浪費し、最近では、就職できないので仕方なく留年する学生が多くて、そのパラサイト・シングルを親が養わねばならないので、親も職から離れられずに、消費もままにならず、経済が益々縮小して行くと言う話を聞くと悲しくなる。

   愚痴はこれまでにして、私が疑問に思っている点が、一つある。
   それは、学生の就職難と言うことだが、確かに大企業は、皆がここばかりを狙うので就職率は悪いが、本当に新卒者を採用したい中小企業の求人数は、はるかに求職者数を上回っていて、満足に求人を満たせないと言う異常なミスマッチ現象である。
   何のことはない、一度も二度も潰れかかったメガバンクや先行き希望の薄い老舗の大企業に、いまだに、大学生が殺到して、その挙句に、就職浪人となると言う不条理である。
   今時、新人を採用したいと言う中小企業は、前途に可能性と希望があるから、有能な若者を求めるのであって、年寄りが羽振りを利かす頭でっかちで成長が止まった、所謂、親たちが就職すれば喜ぶような有名企業よりは、はるかに将来性があって有利だと思うのだが、それが分からない保守的でコチコチ頭の親子だから、先は暗いと言う以外にないと思う。
   中小企業の求人を満たしてから、新卒者の就職難を云々して欲しいと思っている。
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2 コメント

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Unknown (新卒どころか社会のアブレ人)
2011-02-12 03:09:55
時々記事を拝見させていただいています。
企業は悲しいかな新卒者にだけを日本はターゲットにおいていますが、新卒でなければ就職活動がままならないというのも構造として人的資源を滞留する大きな社会の固定観念ですよね。でもそのことをわかっているくせに企業は姿勢を変えない。安い小難しいことは言わない労働力ばかりを欲する(移民賛成経団連とか)。人材が欲しいと言う中小ですらその意識を方向転換できないでいることを身につまされる社会からのアブレ人です私は(笑)。でもまだ男に生まれてたら銀行も起業に金を貸してくれてたかもしれませんが女性には貸さないしねぇ(^^;)日本には健全なマイクロクレジットはなく、ヤバイ黒い貸しばっかりだしw。社会は誰の為にあるのか考えないで放棄してきたツケを、それを作ってきた世代が自分たちの手で責任とってくれるのなら、ちょっとは若者も先が見えるとは思いますが。そんな気は更々無いのだけは、自分の親世代を見てて愕然とするのだと思います。過激な表現ですが生き残るためにはぶっちゃけ年寄りを殺してしまう社会政策を取るべきなのかもしれませんね(笑)。
期待半分諦観半分 (若者)
2017-11-24 16:08:19
コメント失礼します。正直な話、もう行くところまで行かないと日本は変わらないと思います。現代社会で最も恐ろしいのは無関心と不理解、無寛容を複合したものだと思います。何というか、意識しないようにしているか全く意識していないんです。人の痛みや苦しみを。誰かを犠牲にして利益を得てもその罪悪感を感じたくないとても善良な人々が多いのです。というかむしろ当たり前だと思っているのかもしれません。合理性は若者世代にはない仮初めの道徳性から非難されます。自分の身を守ろうとすれば非道徳と謗られます。助け合いを主張するのはいつだって助けられる側です。社会保障然り、細かく言えばキリがありません。若くて身体的に健康なら身を切れと言わんばかりです。僕達の声は届きません。

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