熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

経済格差は縮小するのか・・・I・ブレマー対The Economist

2018年04月21日 | 政治・経済・社会
   昨日の日経のコラムで、イアン・ブレマーが、「格差の収束、反転する懸念」と言うタイトルで、このまま、世の中が推移して行けば、格差が収束するどころか、むしろ、格差が益々拡大して行くと言う論調を展開した。

   ブレマーの主張は、ほぼ、次の通り。
   現在、職場の技術変革は、人工知能(AI)などが経済分野などに幅広く導入されることで、人々の雇用に、より高い教育や訓練が必要になることは確実で、金銭的に余裕のある人が教育を受け、知識と技術を身に着けた人が高賃金の機会を得る。高い教育や訓練の結果、経済的に苦しいなど、職に就くと言う流れから外れた人の将来は苦しくなる。
   また、新たな技術と言う経済・社会的な現実に人々が適応するのを可能にする教育制度、労働者の再訓練ができるのは豊かな国だけになる。我々の生きる時代において、このような豊かな国と貧しい国の富の収束が、完全に反転することになりかねない状態が起こる。

   ブレマーは、更に、
   貧困から脱出する道を塞がれる中、多くの途上国で、若い世代が労働力から政治的な脅威に変わる可能性がある。若者が現役の労働力になれなければ、新たな雇用に必要な教育や訓練へのきっかけさえもらえない。変化の波で敗れる人々が、どのような政党を支持するかは分からないが、システムそのものに宣戦布告するかも知れない。と、社会不安の可能性をも示唆している。

   この教育の困難さについては、アメリカでも、大学の授業料が異常に高騰して、奨学金地獄に陥って苦しんでいる学生やその返済で破綻する人々が増加の一途を辿っていて問題となっているのを考えれば、貧富の格差拡大は必致であり、ましてや、貧しい新興国家や途上国との格差拡大は収束しようがなかろう。

   ところで、英「エコノミスト」誌は予測する「2050年の世界」の中で、ザニー・ミントン・ベドーズは、「貧富の格差は収斂していく」と言う章で、「世界の貧富の差は、2050年には今よりはるかに縮小されている」と論じている。
   
   多少、タイムスパンの差はあるのだが、殆ど同じ論点について語っているので、比較しながら、考えてみたいと思う。

   まず、べドーズ論だが、
   その指摘で興味深いのは、国内の差だけではなく、各国間の差を論じており、夫々が影響されるとして、まず、富裕国と貧困国の貧富の差は、どの国の国内格差の拡大よりも著しいので、新興経済国が先進国より急速に成長するとともに、劇的に縮小し、今後数十年間で全世界の生活水準の壮大な均一化が起こるであろう、と想定している。

   べドーズの新興国の急速な経済成長については、日本の戦後復興に追随した韓国や台湾などの四小龍の経済成長や、1978年の中国、1990年代初期のインドの経済革新の開始が、各国間の所得格差の転機となったとして、より多くの国々が市場改革を受け入れ、グローバリゼーションを技術が後押しするにつれて、収束傾向がより強まって行った。1990年以降、新興経済国の大多数がアメリカより急速に成長し、キャッチアップのペースが上がってきている。と言うのである。   

   しかし、”We are 99%.ウォール街を占拠せよ!”運動で明らかなように、アメリカは勿論、平等主義的なスエーデンやドイツでさえ格差が拡大し続けて、ブラジルなど一部を除いて、ジニ係数が悪化しているのだが、国内格差とは逆に国家間格差の縮小が大きいがために、全世界レベルで、各国間の所得差の縮小の方が強力なので、世界のジニ係数が下がり始めていると言う指摘は、非常に興味深い。

   ところで、現在、益々進行しつつある国内の格差拡大についてだが、それは、新興国経済と同様に、政策決定と根底の経済動向の組み合わせ次第だと言う。
   格差拡大要因となる技能の向上については、何よりも教育に左右されるが、教育へ上手く投資する国家程、不平等度の上昇は少ない。
   最大の不確定要素は、どれくらいの数の政府が再分配を行なうかで、現代の先進、新興経済国の両方における不平等への注目は、政策が極度の格差に取り組む方向へ転じて行くことを示唆している。と言う。

   なぜ、そうなるのかと言う理由は、判然としないのだが、上手く行けば、今後数年で20世紀初期のような改革が繰り返されて、全世界的な規模で、貧しい国が富裕な国に追い付く傾向と並行して、格差拡大が収束して行き、将来に期待されるのは”壮大な平準化”だと言えようと結んでいる。

   ところで、国内の格差縮小については、ジニ係数が向上したと言ってブラジルを高く評価しているが、これは、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領が、「飢餓ゼロ計画」を立ち上げ、貧困層への支援を積極的に行って、貧困層への家族手当である「ボルサ・ファミーリア(Bolsa Família:家族賃金)」を創設するなど積極的に平等化政策を実施した結果であって、実質的な経済格差は、はるかに、深刻な筈である。
   そして、アメリカを筆頭にして、国内の格差拡大は、現在の民主主義的な資本主義経済体制を敷いている限り、悪化しこそすれ、良くなるはずはあり得ないと考えた方が正しいのではないかと思う。
   アメリカの場合、いくらか、リベラルで厚生経済的な平等化政策を取ろうとしたオバマ大統領時代でさえ、一歩も前進できず、時針を逆回転させるようなトランプ体制に戻ってしまっており、また、国家財政の悪化で、既にない袖を触れなくなってしまった先進国においては、格差縮小への政治経済政策の実施など不可能だと思われる。

   唯一、望み得るのは、中国やインドで実現したような経済大躍進によって、多くの最貧人口が貧困から脱出して、経済生活人口に参入されたような現象、すなわち、最貧困層の撲滅が、他のアフリカや中南米など発展途上国で起こり得るかとどうかと言うことであるが、あれもこれも、すべて、政治経済政策次第と言うことであるから、哲人政治が実現しない限り無理であるから望み薄である。

   私自身は、ブレマーの考え方に近い考え方をしているが、AIやIOTが、人間にとって代わって仕事から人間を駆逐して行くのかどうかと言うことについては、よく分からないし、勉強中である。
   机上に、「ザ・セカンド・マシン・エイジ」や「ロボットの脅威」等々、それらの関連本が積読なので、もう少し、考えを整理してから論じてみたいと思っている。  
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