熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

マイケル・ポーラン著「雑食動物のジレンマ」(2)・・・オーガニックと地産地消

2009年12月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アメリカでは、工業的農業が強い力を持つようになってから、その代替的な方法は、有機あるいはオーガニックと呼ばれている。
   有機と言う言葉は、19世紀の英国で、産業革命がもたらした社会の崩壊と原子論と、愛と協力と言うつながりが依然として存在する有機的社会との対比で生まれた表現で、有機は産業の正反対の概念であり、従って、農業では、機械ではなく自然であることを意味する。 
   人間には、バイオフォリア(生物への愛着)と言う遺伝子が組み込まれていて、自身がともに進化してきた動植物や景観に惹かれる性向があるので、緑したたる牧場や農場で生産された農産物に対しては、限りなく愛着を感じているので、有機は心地よい響きを持つ。

   しかし、現実には、オーガニックは、スーパーオーガニック(オーガニックを超えたもの)と言う工業的オーガニック食品が主流を占めていて、殆ど自然とは無縁の、例えば、牧場で牧草を食むことなく育てられた乳牛や鶏の肉でも、条件さえ満たして生産さえされていれば、オーガニック食品として認定されてスーパーで売られている。
   ウォルマートの世界制覇にも果敢に挑戦し、エクセレント・カンパニーとして経営学書を賑わせて快進撃を続けているオーガニック商品スーパーのホールフーズだが、実は、田園の物語を売っているのだと言う。自らが属する有機食品業界の工業化と、業界の基盤となってきた田園的な理想との調和を取れなくなっている。
   有機食品を買うことによって、消費者は、ユートピア的過去に戻ることを演じているのだと言うのだが、経営政策上、ホールフーズが食品業界のお決まりの地域流通システムを利用するために、小規模農家の支援が現実的ではなくなって、カリフォルニアの二大オーガニック巨大企業から、有機農産物を調達せざるを得ず、その製品が須らく工業的オーガニックだと言うのである。

   有機牛乳だが、何千頭ものホルスタイン牛が一本の草を目にすることもなく、毎日ドライロットと呼ばれる柵に閉じ込められて、穀物(有機認定済み)を与えられて、一日三回搾乳機につながれる。この牛乳の殆どに、超高温殺菌処理(栄養分を損じる高熱処理)がされて、遠隔地まで搬送されて消費される。
   オーガニック肥育場で育つオーガニックビーフや高果糖コーンシロップも勿論あり、オーガニックTVディナーなどは、多くの工業的オーガニック食品原料に、政府の有機食品の規定で許可されている合成添加物を加えて製造されており、著者ポーランは、ホールフーズ(手を加えない食品)が聞いて呆れるとまで言う。
   オーガニック・チキンでも、有機認定済みの飼料を与えられている以外は、工業製品化した鶏と全く変わらない育てられ方をしていると言うのであるから、有機として認定されている肥料や農薬など使って生産された野菜や果物はすべて有機食品であり、有機飼料で育てられた食肉などもすべて有機食品だと言うことであり、生産方法などは、一切関係ないと言うことであろうか。

   工業的有機農場は、カリフォルニアのほかの工業的農場と何ら変わっているようには見えず、同州の最大規模の有機農場は、この工業的農業をしている慣行栽培の巨大農場が運営していると言うことである。
   尤も、工業的規模での有機農業において、化学除草剤なしで雑草を駆除することなど難題があるのだが、製造業者は、政府レベルでの有機農業の基準制定に圧力をかけて、純粋にエコロジー的な農法を法制化するよりも、単に許可・非許可物資のリストづくりとしている。
   合成化学物質に限らず、どんな種類のものでも購入したものは投入してはならず、自然から取り去った分だけ自然に変換する――自然をモデルにした持続可能なシステムを謳う、オーガニックの理想の実現は、あまりにも難しいのである。

   ところで、そのような自然のエコシステムを、そのまま活用して農牧を営んでいるバージニアにポリフェス農場と言うのがあって、ポーランは、そこで体験農夫として働き、その詳細を克明にレポートしている。
   工業的大規模農業より、小規模農業の方が、生産性が高いことが立証されているのだが、この農家は、牧草農家と称して、牧草生産性に着目して、適切な時期に適切な数の反芻動物を利用することによって、牧草地は本来考えられているよりははるかに多くの量の草、ひいては、肉と牛乳を生産すると考えて実践している。
   この牧草農家は、肉や卵、牛乳、羊毛のために家畜を育てるが、それらを食物連鎖だとみなしており、この食物連鎖の要は草であり、草はすべての食物連鎖の原動力となる太陽エネルギーと家畜を結び付けるので、太陽農家とも呼べると言うのである。
   現在の牧草農法の原則は、毎日の光合成にあり、環境的な美徳だけではなく、食料を生産するために無料の太陽エネルギーを捕らえて、人間用の高い価値のエネルギーに転換すると言う健全な経済にあるとする。地球温暖化対策のみならず、持続可能な地球の維持と人類の生存のためには、自然のエコシステムの活用以外には有り得ないということであろうか。

   さて、このポリフェス農場で生産されている食物だが、飛び切り美味で素晴らしいので、遠くからでも難路を厭わず消費者たちが直接買いに来るということだが、あくまで、大規模にはならないので、地産地消である。
   多少は高いのだが、顧客の大半は普通の庶民である。
   農場主は、「今の社会では、水質汚染、抗生物質の耐性や、植物感染や、穀物に石油に水の助成金やらの、環境と納税者が払っている代償が隠されているから、安い食品は安く感じられるが、実際は高い。ここのは、全部の経費が入っているから高く見えるが一番安い食べ物なのだ。」と言う。
   政府が、大規模工業的農業ばかりを優遇する農政を布いており、小規模農業への締め付けを外せば、1ドルや2ドルは、単価がすぐに下がるとも言う。
   
   オーガニックへの動きが食品改革運動の口火を切り、更に、このようなエコシステムに根ざした地産地消が、オーガニックを超えた新しい経済体と農業の形を提示しているのであろう。
   地産地消農業は、否応なしにバラエティにとんだ多品種の食物を生産しなければならないので、食体系の大半の問題を引き起こしている単一栽培からも開放されて、持続可能な地球環境の保持にも役立つ。

   問題は、今日の文明社会。
   人間の食体系が工業的な生産ラインに従って厳密に管理され、安定性や機械化、予測性、互換性、規模の経済、を要求し、補助金、食物汚染や肥満などの食糧管理、環境基準など法体系等で雁字搦めで、それに、軍産複合体的な癒着が暗躍するのであるから、分かっていても、緑したたる牧場や農場で生まれるエコ食品の賞味は夢の夢。
   デンマークでは、スーパーの肉に二つのバーコードがあり、その第二のバーコードには、その動物が育った農場の写真や、遺伝子的特性、飼料、薬剤、処理日等が記されているが、アメリカのスーパーでも同じように、大規模畜産経営体の様子や飼料や投薬情報まで見せて透明性を義務付ければ、そんな肉を誰も買わないであろうと言うポーランの指摘が面白い。
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1 コメント

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いつも面白く読ませていただいています (雷蔵)
2009-12-25 15:11:41
いつも面白く読ませていただいている54歳、ベンチャー企業で働くビジネスパーソンです。最初このコラムに出会ったときに、とても自分の体質に近いところを感じ、それはコンサルタント的なマインド、物の見方、そして芸術好きのところではないかと合点しています。
今回の有機農法の話も本質を突いた良いコラムだと感心しました。
これからも毎日読ませていただきます。

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