熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

三月大歌舞伎・・・伽羅先代萩

2011年03月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の伽羅先代萩は、六世中村歌右衛門追善狂言なので、当然のこととして二人の養子、魁春が乳母政岡、梅玉が八汐を演じており、また、芸養子の東蔵が松島、松江が澄の江、玉太郎が千松と三代揃っての登場で、芝翫が実に重厚な栄御前を演じて華を添えているのだが、沖の井の福助を加えて、一門総出の舞台で、歌右衛門追善としては、最高の舞台かも知れないと思う。
   劇場内に歌右衛門の舞台写真が展示されていて、御殿の場で、悲劇が終わって我に返って横たわる千松の姿を見て慟哭する直前の険しい表情のワンカット(口絵写真 劇場のパネルからコピー)が印象的なのだが、私自身、歌右衛門の政岡を見たことがないので全く想像も出来ないが、魁春が、「なるべく父の通りにやるつもりですが、なかなかそうはいきませんので、やはり"魁春の政岡"でと思っています。」と言っているので、案外、雰囲気などは似ているのかも知れない。

   私の知っている政岡は、菊五郎と藤十郎と玉三郎の舞台だが、夫々、全く雰囲気も印象も違っており、興味深いのだが、今回の魁春の政岡は、非常にオーソドックスと言うか癖のない舞台で、単調で退屈だとも言われている飯炊きの場も、何故か、それ程気にはならなかったし、それに、舞台に引き込まれて時間を忘れてしまうと言った感じで、最後まで中弛みなしに楽しませて貰った。
   ところどころ、スローモーションのビデオを見ているような感じで、型どおりに筋を追っているような、多少、稚拙と言うか不器用な仕種もあったが、これはこれで、歌右衛門の印象を追っての演技であろうから、そのムードは悪くない。
   「父の政岡は、子供に対する情、殿様に対する従が伝わってきまして、本当の政岡という人はこういう人かなと思わせるものでした。」と歌右衛門の政岡像を自分なりに解釈しての芝居であろうが、感情移入の激しいリアリズムに徹した藤十郎などと比べれば、淡泊すぎるのだが、客観的で突き放した理知的な舞台と言うのは、こう言う形なのであろうか。

   梅玉の八汐も、極めて憎まれ役の悪役なのだが、同様に、非常にクールで、舞台にのめり込まずに、あくまで客観的なので、灰汁の強い仁左衛門や團十郎の八汐のような憎々しさは陰に隠れて、非常に後味の良い印象を後に残していて、興味深い。
   歌舞伎では、乞食でも錦の衣装を着けて演じるので、乞食だと分かれば良いので、観客にいやな印象を残さないようにするようだが、私自身は、話の筋が、そして、芝居の展開が感動的であれば良いので、このような舞台の方が好きである。
   虚実皮膜とは違うが、私は、人間が弱い所為なのか、残酷だとか悪辣だとか正視に堪えないようなシーンは出来れば見たくないので、芝居でも映画でも、美しければ美しいほど良く、残酷だとか悪辣だとかと言うのは、その物語のシチュエーションで、それだと分かれば良いのだと思っている。
   物語性のない芝居は好きではない一方、あまり、筋書きがしっかりしていてリアル過ぎるのも嫌いと言う天邪鬼な観客なので、自分ながら始末に負えないのだが、これも芝居好きの一つであろうか。

   さて、東北関東大震災のために、殆どの演劇や音楽など芸術の舞台は、キャンセルになっているが、今月の歌舞伎は、幸いと言って良いのかどうか、昼夜とも、その前に見ることが出来た。
   しかし、国立劇場の通し狂言 絵本合法衢の方は、(公演は中止いたします。)と言うことで、予約していたが、見ることが出来なかった。
   また、フィレンツェ歌劇場「運命の力」も、14日の初日は舞台にかかったが、その後、私の予約していた16日以降の公演中止のお知らせが東京文化会館のホーム・ページに出た。
   「東北関東大地震の影響を受け、フィレンツェ市長からフィレンツェ歌劇場に対して帰国命令があり、当公演は中止となりました。」と言うことで、その後、日経の朝刊に、指揮者のズービン・メータの、そのあたりの経緯を書いた大震災被災に対するお見舞いと激励の文章が掲載された。
   結構沢山のオペラを見ているのだが、このヴェルディの「運命の力」はまだ見る機会がなく、何回かフィレンツェを訪れながら、当地でのオペラ鑑賞の機会をもミスっていたので楽しみにしていたのだが、致し方ない。
   もう一つ、東京都交響楽団の定期公演であるエリアフ・インパル指揮のベラ・バルトークのオペラ「青ひげ公の城」もキャンセルになった。

   先は、どうなるか分からないが、当分、東北の被災地の人々のことを考えれば、芸術鑑賞などと気楽なことを考えるべきではないかも知れない。
   しかし、こんな時こそ、被災地では、出来るだけ早く芸術の世界が蘇ることを切に祈りたいと思う。
   第二次世界大戦で荒廃したベルリンの廃墟の中、ベルリン・フィルの野外コンサートで、セルジュ・チェリビダッケが、ベルリン・フィルを振って、敗戦のどん底に意気消沈していたドイツ人を奮い立たせた。曲はロッシーニのセビリアの理髪師序曲とウェーバーのバスーン協奏曲、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」であったと言う。
   素晴らしい音楽ほど、人々を鼓舞して奮い立たせるものはないと思っている。







          

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