3株庭植えしてあるマーガレット・ディビスが咲き始めた。
白地に紅覆輪が入る牡丹咲きの、かなり大輪の派手な椿で、オーストラリアで作出されたという。
3株ずつ、花の姿形が微妙に違うのだが、育種家では、挿し木で増やしているので、雑種であるから、枝変わりなどで変化が起きるのであろう。
勿論、同じ木の花でも、咲く時期によって花が変ってきて面白い。
待っていた椿の至宝も、固かった蕾が色付いて、開花寸前にスタンドバイしている。
急に温かくなってきたので、沈丁花が、一気に咲き出して、甘い芳香を放ち始めた。
春の沈丁花と、秋のキンモクセイは、良い香りで、季節の訪れを知らせてくれるので、目に見えなくても季節の移り変わりを一気に感じさせてくれる。
急に芽吹き始めたのは、バラと牡丹、
ほんの少し前に、寒肥を施したと思ったら、もう、芽吹き、
2ヶ月ほど経てば花が咲く。
わが庭では、この1ヶ月ほどは、色々な椿の花が、一気に咲き乱れる。
草花の世話を厭って、チューリップもヒヤシンスもないわが庭では、スノードロップとハナニラくらいだが、椿が代替してくれるので、月末くらいから、桜と競って華やかになる。
さて、春と言えば、私には、オランダの春が強烈な印象として残っている。ヨーロッパの冬は長くて厳しいので、皆春を待ち望む。
転機を迎えるのはクロッカスホリディで、クロッカスが咲き始めると一気に春の到来で嬉しくなる。
オランダには梅雨がないので、草花の球根は腐らないので植えっぱなしで、公園の緑地や道路縁や空き地に一斉に咲き始める。
まだ、結構寒いのだが、その頃には、牧場に生まれたばかりの子羊がよちよち歩きし、畑の小川の畔に、白鳥が子白鳥の群れを引き連れて移動する。
もう少し温かくなると、チューリップの季節となり、東京や大阪と違って、ヒヤシンスやムスカリなど春の草花だけではなく、菜の花も桜も、須く春の花は同時に咲き乱れる。
キューケンホフ公園は賑わうが、私は、その近郊のリセの広大な球根畑に出かけて、周り360度が極彩色に輝く花畑に飛び込んで、時を過ごすのが好きで、多忙を押して寸暇を惜しんで出かけていた。不思議に、殆ど人影はなかった。
公害のアムステルフェーンに住んでいて、オランダが、ほんの数分車で走れば、畑や緑地で運河が広がっていたので、毎日が田園地帯での生活であったので、自然との触れ合いは生活そのものであったのである。
そんなとき、1986年4月26日午前1時23分にチェルノブイリ原子力発電所事故が発生して、ヨーロッパが震撼した。
ウクライナについては、世界有数の工業地帯のドンパスと肥沃な穀倉地帯と言うことくらいしか知らなかったのだが、一気に関心を持って、Britannicaを引っ張りだして、ウクライナやキエフを調べた。
それから殆ど記憶から消えていたウクライナが、焦臭くなり始めて、だんだん気になってきた。
毎日、TVや新聞、インターネットで、ウクライナ戦争の記事を追って、心を痛めている。ヨーロッパに長くいて、戦争の世紀を身近に感じているので、信じられないような悪辣な戦争、殺戮暴挙が勃発していて慚愧に堪えない。
ウクライナは、敗色濃厚になっても降伏することはなくゲリラ戦争を戦ってでも耐え抜くと思う。
米欧が有効なアクションを取らなかったら、ロシアの国民的反戦運動なり、ロシアの経済の崩壊なり、プーチンの失脚なり、いずれにしろ、ロシア帝国の終焉で片がつくような気がしている。
白地に紅覆輪が入る牡丹咲きの、かなり大輪の派手な椿で、オーストラリアで作出されたという。
3株ずつ、花の姿形が微妙に違うのだが、育種家では、挿し木で増やしているので、雑種であるから、枝変わりなどで変化が起きるのであろう。
勿論、同じ木の花でも、咲く時期によって花が変ってきて面白い。
待っていた椿の至宝も、固かった蕾が色付いて、開花寸前にスタンドバイしている。
急に温かくなってきたので、沈丁花が、一気に咲き出して、甘い芳香を放ち始めた。
春の沈丁花と、秋のキンモクセイは、良い香りで、季節の訪れを知らせてくれるので、目に見えなくても季節の移り変わりを一気に感じさせてくれる。
急に芽吹き始めたのは、バラと牡丹、
ほんの少し前に、寒肥を施したと思ったら、もう、芽吹き、
2ヶ月ほど経てば花が咲く。
わが庭では、この1ヶ月ほどは、色々な椿の花が、一気に咲き乱れる。
草花の世話を厭って、チューリップもヒヤシンスもないわが庭では、スノードロップとハナニラくらいだが、椿が代替してくれるので、月末くらいから、桜と競って華やかになる。
さて、春と言えば、私には、オランダの春が強烈な印象として残っている。ヨーロッパの冬は長くて厳しいので、皆春を待ち望む。
転機を迎えるのはクロッカスホリディで、クロッカスが咲き始めると一気に春の到来で嬉しくなる。
オランダには梅雨がないので、草花の球根は腐らないので植えっぱなしで、公園の緑地や道路縁や空き地に一斉に咲き始める。
まだ、結構寒いのだが、その頃には、牧場に生まれたばかりの子羊がよちよち歩きし、畑の小川の畔に、白鳥が子白鳥の群れを引き連れて移動する。
もう少し温かくなると、チューリップの季節となり、東京や大阪と違って、ヒヤシンスやムスカリなど春の草花だけではなく、菜の花も桜も、須く春の花は同時に咲き乱れる。
キューケンホフ公園は賑わうが、私は、その近郊のリセの広大な球根畑に出かけて、周り360度が極彩色に輝く花畑に飛び込んで、時を過ごすのが好きで、多忙を押して寸暇を惜しんで出かけていた。不思議に、殆ど人影はなかった。
公害のアムステルフェーンに住んでいて、オランダが、ほんの数分車で走れば、畑や緑地で運河が広がっていたので、毎日が田園地帯での生活であったので、自然との触れ合いは生活そのものであったのである。
そんなとき、1986年4月26日午前1時23分にチェルノブイリ原子力発電所事故が発生して、ヨーロッパが震撼した。
ウクライナについては、世界有数の工業地帯のドンパスと肥沃な穀倉地帯と言うことくらいしか知らなかったのだが、一気に関心を持って、Britannicaを引っ張りだして、ウクライナやキエフを調べた。
それから殆ど記憶から消えていたウクライナが、焦臭くなり始めて、だんだん気になってきた。
毎日、TVや新聞、インターネットで、ウクライナ戦争の記事を追って、心を痛めている。ヨーロッパに長くいて、戦争の世紀を身近に感じているので、信じられないような悪辣な戦争、殺戮暴挙が勃発していて慚愧に堪えない。
ウクライナは、敗色濃厚になっても降伏することはなくゲリラ戦争を戦ってでも耐え抜くと思う。
米欧が有効なアクションを取らなかったら、ロシアの国民的反戦運動なり、ロシアの経済の崩壊なり、プーチンの失脚なり、いずれにしろ、ロシア帝国の終焉で片がつくような気がしている。