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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

教育は効率の良い投資なのか?

2007年06月02日 | 生活随想・趣味
   ”海外体験をさせること。小学校の段階では、詰め込み教育を積極的に行うこと。理数系の勉強を文系の人間もしっかりすること。”
   これらのことが、子供たちが成人して社会にでるようになった時に重要な資質になる、と榊原英資早大教授が「経済の世界勢力図」で書いている。

   「知価社会化」して行くので、最も効率良い投資は「教育」である。
   専門的な技術や知識を持つ人は高い収入を得、反対に普通の、そういうものを持っていないホワイトカラーは没落して行く。
   「年収300万円」になって行く訳で、社会主義国の様な平等主義が一般的であった日本も、これからは次第に、(階級社会とは少し違う、)教育度が意味を持つ実力主義の社会になって行く、と言うのである。

   この本の中で、戦後の日本の教育、特に教育委員会が、教養主義的な美風を維持していた日比谷高校等を潰し、エリート教育の芽を摘んでしまったと糾弾しつつ、これからのグローバル化された世界において、世界に通用する優秀なエリートを育てる教育が如何に大切かを説いている。
   「イチローのバットだけは、何時も血が滲んでいた」と言われていたが、今、脚光を浴びているスポーツ選手にしろ芸能人にしろ、常人では理解し得ないような筆舌に尽くしがたい過酷な修練と苦難を経験して今日を築いて来た筈である。
   勉強も全く同じで、初等中等教育は勿論、学生は、「ゆとり教育」などはあって良い筈がなく、徹底的に知識・教養を叩き込まれるべきだということである。

   今の教育制度では、数理系の知識なしに経済学や経営学を学んでいる大学生が相当居ると言うことだが、これは、一般的な基礎知識さえなくて大学生になっている学生が多いと言うことと同根で、日本の若者達の教育水準が非常に低くなってしまったことを意味している。
   アメリカも、日本と全く同様な初等中等教育の水準の著しい低下に苦しんでおり、国際競争力の弱体化を非常に危惧し始めているのだが、所詮、いくら頑張っても、中国やインドの理数系技術教育と比較して、質はとも角としても量においては及びもつかないのが現状であり、早晩凌駕されてしまう。

   ところで、今日の知識情報産業化社会において、知識・教養と言えば、最もプロフェッショナルとしてその資質と能力を求められているのは、企業の経営者を筆頭に組織体の長であろうと思われる。
   昨日の日経夕刊に、野中郁次郎教授が、阿部謹也氏を引用して、教養とは「人と人との関係性のなかで自分の立つ位置と社会のために何ができるかを知ろうと努力している状態」で、その根底にあるのは「いかに生きるべきか」という構えである、と書いていた。
   経営においては、自らの生き方に照らして、特殊(個別)のなかに普遍(本質)を見る教養の能力が必要だとして、
   小林陽太郎氏を中心に集まった古典に学ぼうとする経営者有志の研修会「キャンプ・ニドモ」に、十数年参加して、参集した人々に啓発されたお陰で、物事を原点で捉える感覚が磨かれたと言う。

   昨年のウォートン・スクールの同窓会で小林氏が私に「日本の経営者に欠けているのはリベラル・アーツの知識・教養である」と言っていたのを思い出したが、欧米のエリート経営者と付き合いの長い小林氏の偽らない気持ちであり、そのためにも、キャンプ・ニドモを主宰されているのかと思うと興味深い。

   革命で貴族制度がなくなったフランスでは、今様貴族とも言うべき超エリートは、あのパリ祭で凱旋門からシャンゼリーゼを先頭で行進するポリテクの卒業生。理工系だが、経済学は勿論リベラル・アーツも、そして、国家を背負って立つ為の知識と素養を徹底的に学ぶ。
   イギリスでのエリートは、オックスブリッジ(エジンバラが最高だと言う識者も居る)で教育されると言われているが、ラテン語から、哲学、歴史学と言った浮世離れした専攻のトップが結構多くて、アメリカのように実利に傾斜した専門大学院プロフェッショナル・スクールと一寸違うが、知識と教養の深さは底知れぬほど深い。
   アメリカ流のプラグマティズム教育もそれなりに現代的にマッチしているが、教養主義に徹したヨーロッパの教育の質とふところの深さを見習うことも重要であろう。
   ヨーロッパでの仕事を通じて付き合って来た私自身の経験だが、彼らから啓発されることが多かった。

   大学の入試に出ないから必須の世界史の授業を端折ると言うような教育現場を抱えているような日本では先が暗い。
   余談だが、先日のHPのセミナーで、伊藤教授が、その1週間くらい前に日経に掲載された「コーポレートブランド ランキング」を見たか、自分の著書の「コーポレートブランド経営」を知っているかと聴衆に聞いたら、殆ど反応がなかった。日経さえ読まないのかと教授は呆れ返っていた(?)が、CIOやIT関連サラリーマンが詰め掛けていたので、もし、この人たちがこの程度の経営情報にさえ無関心でアプローチしていないとすれば、開発を担当しているIT経営管理システムや内部情報システムの出来栄えは推して知るべしであり、恐ろしい限りである。
   アホな弁護士と会計士の言いなりになって無意味な内部統制システム構築に膨大な金を払っていると毒舌を吐いていた木村剛氏の声が聞えてくるような気がした。

   格調のある話に話題を戻そう。
   知識の配電盤と司馬遼太郎が言っていた東大では、今、知の集積と同時に社会に門戸を開いて知の伝播を図っている。
   今日の経済社会において、国際社会で名誉ある地位を築く為には、最も価値のある知の集積と創造において世界に冠たる日本を目指すことが肝要である。
   その為には、今様のメディチ・インパクトを爆発させ得るような知の十字路を日本に作り出すことである。
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