熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

図書館は無料貸本屋なのであろうか

2022年09月27日 | 生活随想・趣味
   日本の古書のメールマガジンを読んでいる。
   中村文孝氏が、自著「私たちが図書館について知っている二、三の事柄」を読むにあたって、小論を書いている。

   ”公共図書館は地方自治体が税金を原資に運営している関連施設のひとつで、利用されたことのない人はほとんどいないはずだ。が、多くの利用者は、税金で運営されている他の公共施設と同様に、図書館を「無料」の貸本屋としてしかみていないのではないか。”
   ”図書館の貸出冊数が書店の推定販売冊数を超えたのが、2010年だが、それ以降は差が拡がるばかりだ。今や本を読むとは、本を買うことから始まるのではなく、借りることからになってしまった。”という。

   何故、そうなってしまったのか。
   この他にも、現在の逼塞した出版状況では、応援購入(消費ではなく)が必要になってきていること、
   導入する本の選書を含め、公共図書館と地元書店との関係性を構築出来なかったこと、
   図書館が主要業務の外部化を推進して、図書館も自らの選書能力を外部に委ねてしまったこと 
   などにも依るという。

   難しい出版業界の事情は分からないが、私の学友の何人か、それも、京大経済卒の多少知的水準も有り経済的にも困っていない筈の人間が、読みたい本があると、図書館にリクエストして手配されるのを待って読んでいるのだという。
   恥ずかしいから止めろと忠告するのだが、余程のことがないかぎり本を自分で買うことはなさそうで、本は自分で買ってしか読まない私には、その心境が分からない。
   これが、常識人の本に対する対応なら、本が売れるはずがない。

   さて、まず、私自身の図書館利用だが、高校の図書館には、時間つぶしもあって結構通ったこともあるが、京大の図書館には行ったこともないし、ペンシルバニア大学やウォートン・スクールの図書館には、論文の資料集めに少し通ったくらいで、それ以外に図書館でお世話になったことはない。
   本を他人から借りたことも殆どないし、読む本はすべて自分で買い続けてきた。
   読書ファンを自認しているので、買った本も、数千冊と膨大だが、海外を含めて何度も宿替えをしているので、その都度処分しており、今、手元にあるのは500冊くらいだと思うが、もう、平均寿命を越えたので、読み切れるはずがない。
   それでも、毎月、読みたくて、新刊を数冊ずつ買い続けている。
   生活のリズムというか、悪く言えば、一種の病気かも知れないが、趣味とはそう言うものであろうし、読書が生きがいのようなものであるから、倒れるまで続けて行きたいと思っている。
   私が逝けば、どんなに大切にしていた本でも、瞬時に処分されて消えてしまうことは分かってはいるが、後のことは気にしていない。

   ところで、本の価格だが、決して高くはないと思っている。
   私が買い続けている経済や経営の専門書だが、もう、60年以上も前になるが、1冊500円以下であったと思うのだが、1500円だったシュンペーター「経済発展の理論」の第5巻を買えずに涙を飲んだ思い出がある。
   現在、これらの普通の専門書は、2~3000円台くらいなので、当時と比べて、そんなに高くなったと思えない。

   本が売れないのは、根本的には、極端な本離れで、真面な本を、年に1冊も読まない日本人の大人が、過半だという報告もあり、先の学友のような読者が多くなれば、書店がドンドン消えて行き、本が売れなくなってくるのは、当然であろう。
   いずれにしても、人それぞれで、何かを期待して本を読むのであろうから、本に対して、その価値を認めて、大切だと思って敬意を払って接する気持ちがあるのかどうか、その人の趣味趣向なり、習慣なり、生き様や姿勢の問題だと思っている。
コメント (2)
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