熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ステファニー ケルトン:財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生(2)

2022年09月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   MMTの理論、すなわち、「現代金融理論」「Modern Monetary Theory」だが、ケインズ理論などをルーツとするマクロ経済理論ながら、主流派経済学を根底から否定して、「自国の通貨を持つ国家は、債務返済に充てるマネーは際限なく発行できるので、政府債務や財政赤字で破綻することはない」と言うのであるから、そのまま、新しい経済理論として信じて良いのか逡巡する。
   賛否相半ばしていて、定説には程遠い。
   やっと、MMT論に慣れ始めた私見だが、
   東洋経済には、各論入り交じって記事が掲載されている。例えば、小幡 績 慶大准教授は、ワイズスペンディングやクラウディングアウトやインフレ論などを展開して、「日本では絶対に危険な「MMT」をやってはいけない」と反論しているが、概して多くの反対論は、主流派経済学の理念が染みついて、真面に、MMT論に対峙していないような気がしている。

   再説するが、管理通貨制度の下で政府が独自に法定通貨を発行している国家では、政府に通貨発行権があるので、自由に通貨発行で支出可能である。政府が通貨発行して、必用な支出ができるのであるから、政府が自国通貨での財源不足や枯渇に直面することはなく、財源のために徴税をする必要もない。
   すなわち、今日本で深刻な問題となっている国家債務については、円建ての債務であるから、政府は債務返済に充てるお金を際限なく発行できるので、政府債務や財政赤字で破綻することはない。と言うのである。

   ケルトンが、MMTの財政政策で、一番推薦しているのは、政府の裁量的財政政策を補完するものとしての、政府による就業補償プログラム(JDP)である。いわば、完全雇用と物価安定を促す非裁量的な自動安定化装置である。
   政府は、希望する条件に合った仕事を見つけられないすべての求職者に、仕事と賃金と福祉厚生のパッケージを提供する。政府が、求職者に、人と地域社会、地球を大切にケアするような仕事を必ず見つけると補償することで、雇用市場にパブリック・オプション(公的雇用という選択肢)を設けることである。有給雇用を求める人は誰でも、政府の設定した賃金水準で就業機会を得るので、非自発的失業は消滅して完全雇用が達成される。
   就業補償があれば、経済が不振に陥ったり、一気に崩壊することがあったとしても、数百万が失業することを免れ、政府が避けられない好況と不況の波を潜り抜けるなかで、その衝撃を和らげることが出来る。景気の波が抑えられるために、物価の安定にも寄与する。
   JDPは、経済の安定化装置として自律的に機能し、財政支出を増減して景気を調整する。
   なぜ、就業補償を政府の資金で行う必要があるのか、理由は単純で、政府の資金は尽きることがないからである。と言う。
   ケルトンとしては、当然の論理であろうが、ベーシックインカムよりは、潜在労働の掘り起こしであるからマシではあろうが、そんなことまでして、完全雇用しても、経済の健全性は守られるのであろうか。

   もう一つ、ケルトンが主張するのは、本当に解決すべき人類に取って必要な「赤字(不足)」に対する積極的な支出である。
   前述の雇用の他に、真っ当な医療サービス、質の高いインフラ、クリーンな環境、気候変動対策などである。
   政府の予算プロセスは、長期的な財政均衡をゴールにすると言う根本認識で齟齬を来しているので、選択肢を絞り、血の通った人間のニーズよりも帳簿上のニーズを優先させて、経済社会を窮地に追い込んでいるのである。
   MMT論では、資金の心配はないので、人類の真のニーズを満足させ得る手を十分に打てるというわけである。

   いずれにしろ、MMT論では、その国の国家の通貨建ての債務となるので、いくら増えても資金の心配はないという見解であるから、インフレを引き起こさない限り、大判振る舞いが出来ると言うわけで、気前の良い政策を提言している。
   そのインフレ抑止策だが、増税で対処するというのは分かるが、ここでは、これ以外に、
   財源はあっても、問題は、それを満たし得る必要な人材や実物資源などの経済の生産能力があるかどうかと言うことで、これら労働力、工場、機械、原材料等には限界が有るので、不足すればコンストレインとなるのみならず、インフレ要因となるので、これらの管理と、更なるイノベーションなど科学技術の涵養が必要だと説く。
   サプライサイド経済学に踏み込んで、需給両面から、マクロ経済分析を深掘りして行けば面白いと思うのだが、ここで止まっている。

   MMT論では、いくら節度を守って正しく運営すると宣言しても、どうしても放漫財政なり恣意的な財政出動が常態化する心配があり、理論以前に、政府なり運営当事者の姿勢なりモラルが問題となるような気がしている。
   まだ、半信半疑なので、判断に迷っているが、MMTを推進するとしても、現行のような予算に縛られるというような、あるいは、暴走を抑止するプログラムなど歯止め効果をビルトインしたシステムを組み込む必要があるような気もしている。
コメント
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