熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

山田庄一著「上方芸能 今昔がたり――昭和の舞台覚え書き」

2020年05月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のBOOKデータベースによると、
   「戦前の大阪・船場に生まれ、幼い頃から芝居通い。舞台の世界にどっぷり浸かって見て聞いて、戦後の上方芸能の危機にはジャンルを超えて多くの演者を結束し立ち向かい、後には国立劇場理事・演出家として、自ら舞台を創る立場となった著者。歌舞伎・文楽をはじめ上方芸能の生き字引である著者が、来し方八十年超の波瀾万丈の道のりと戦前から現代までの芸能の変遷を、名舞台の思い出や、名立たる豪華な顔ぶれとの楽しく親しい交遊のエピソードを織り交ぜて語り尽くす。」
   確かに、その通りだが、上方芸能 今昔がたりと言うことで、昭和の舞台覚え書きであるから、後期高齢者の、そして、歌舞伎や文楽に25年ほども通っている私に取ってさえも、書かれていることが、随分古すぎると言うのは当然かも知れない。
   興味を感じはめたのは、第3章の終戦直後からの戦後の芸能くらいからであって、また、多少自分自身が観劇経験のある記述の最後の2章で、少し、接点を感じたと言うのが正直なところである。
   
   第一章の「道頓堀と芝居小屋」は、安土町にあった呉服屋の実家水落家の生活や周りの芝居小屋風物など、古き良き時代の情緒を活写しており、第二章の「決戦下の顔見世」で、戦中の上方歌舞伎の盛衰などを語っていて、資料価値は、非常に高い感じである。

   さて、私は、読書中に興味を持ったところに付箋を貼っているのだが、真っ先の付箋は、武智歌舞伎の幕開けで、扇雀(現在の藤十郎)についての話。
   びっくりしたのは扇雀の脱皮。藤の方ももう一役のお染も、これがほんの少し前まで「扇雀に台詞を言わせるな」と、父鴈治郎の人形遣いに助けられて「狐火」の人形振りを見せていたのと同じ役者かと思うほどイキの積んだ台詞と動き、お染では莚蔵の久松を相手に溢れるような色気、とにかく醜い毛虫が一瞬にして美しい蝶に変ったような印象を受けた。と言う。
   私の履歴書で、藤十郎は、武智からの薫陶を語っているが、今や歌舞伎界の最長老の偉大な人間国宝でも、そんな時代があったのかと思うと興味深い。

   もう一つの武智で面白いのは、依頼されて書いた武智能「夕鶴」、
   つうが片山幽雪、与ひょうが千之丞、惣どと運づが野村萬と万作という信じられないようなキャスティングだが、シャックリが止まらなくて東京の新橋演舞場の公演に行けなかったという話。

   流石に上方で、主導して手がけたという、二条城で開催した「京都文華典」や大阪テレビ開局記念事業などの、ジャンルを超えた芸術文化を糾合した事業など異彩を放っており、極めつきは、雑誌「上方風流」発刊に集まった同人たちの豪華さで、能狂言、文楽、歌舞伎演劇、落語漫才、舞踊、評論に亘っており、如何に奥深い話題が、会を沸騰させていたのか、考えるだけでも恐ろしいくらいである。文楽など、人間国宝5人の参加で、宴会写真に、住大夫や簔助や文雀が、藤十郎や米朝たちと並んで、ニコニコして写っている。
   同人が集まって催した「上方風流まつり」の模様が、藤山寛美の定九郞やおつるの写真も添えて、抱腹絶倒「滑稽俄安宅新関」など、克明に描かれており、どんなに凄かったか。
   ジャンルを超えて日本の古典芸能の役者や演者が自由に交流できる場が作り出せたというのは、上方気質や文化風土のなせる世界であろう。

   興味深かったのは、シェイクスピアの「テンペスト」の文楽版「天変斯止嵐后晴」を、ロンドンでの日英協会百周年の公演のために書いたようだが、文楽協会の準備が間に合わなかったために取りやめられた話。
   このとき、丁度、ロンドンに駐在していて、歌舞伎の「ハムレット 葉 武 列 土 倭 錦 絵」、狂言の「ファルスタッフ 法螺侍」、を観たのだが、シェイクスピアのジャパニーズ・バージョンであったので、文楽もその意向であったのであろう。
   私は、会社名で、1日、幸四郎主演の「ハムレット」を後援して、公演の後、レセプションを開いてお世話になった方々をお招きしたのだが、良い思い出になった。
   結局、文楽は「曽根崎心中」になって、住大夫、玉男、文雀の出演で、大成功して、招いたイギリス人夫妻たちも、大喜びであった。

   その文楽の「天変斯止嵐后晴」だが、その後、日本に帰ってきてから、国立劇場で観て、非常に感激して、このブログにも書いている。
   ロンドンに居た時、ロンドンのバービカン劇場とストラトフォード・アポン・エイヴォンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台に通い詰めていたので、私にとっては、シェイクスピアを日本の古典芸能で楽しめるのなど、二重の喜びなのである。

   さて、著者は、国立劇場の開場にあたり創立メンバーであり、国立劇場理事として国立文楽劇場を担当し、国立能楽堂主幹をも務めたというから、日本古典芸能については生き字引のような存在で、その上、米朝に、「大阪の古いことは何でも彼に聞きなはれ」と言わしめるほど、大阪、上方通。
   国立劇場には、歌舞伎も文楽も落語も能狂言も、随分通っているので、裏話を聞いたようで面白かった。
   とにかく、ドナルド・キーンの話まで出てくる興味深い本である。
コメント
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