この日22日の国立能楽堂の公演は、
令和元年度(第74回)文化庁芸術祭協賛 ◎演出の様々な形
狂言 鐘の音 茂山 千三郎(大蔵流)
能 橋弁慶 笛之巻 観世 喜正(観世流)
来月も同じ演目で、他流派の違った演出を演じようとする「演出の様々な形」の公演。
狂言「鐘の音」は、アド主に、千作がキャスティングされていたが、惜しくも逝去されたので、千五郎に代わった。
息子の成人祝に、黄金の熨斗付けの太刀を作るために、鎌倉へ行って、金の値を聞いて来いと言われた太郎冠者が、鐘の音と勘違いして、鎌倉の名刹の鐘の音を聴いて帰ってきて、頓珍漢な報告を仕方話で演じると言う愉快な狂言。
とにかく、太郎冠者の千三郎の芸が細かくて、実に上手い。
鎌倉の鐘だが、この大蔵流では、五大堂、寿福寺、極楽寺、建長寺だが、和泉流では、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺。
それに、この曲では、仲裁人が登場して、中に入るのが面白い。
今回の能「橋弁慶」で、興味深かったのは、観世流にしかない小書き「笛の巻」と言う演出である。
別な記事で引用させて頂いたので、再録するが、粟谷の会によると、
”通常の前場と様相がガラリと変わり、前シテが常磐御前、ワキが羽田秋長となり、ワキが牛若の千人斬りを常磐御前に伝えます。常磐御前は牛若を呼び、涙を流して悲しみ、弘法大師伝来の笛を渡して牛若を諭します。牛若は母の仰せに従い、明日にも寺へ登って学問に励むと約束して、今宵ばかりは名残の月を眺めて来ると出かけます。しかし実際には五条で月を見ると言いながらも、謡では「通る人をぞ待ちにける」と、最後の相手を待ち望んでもいる・・・”と言うことになって、
このストーリー展開だと、通常の能の舞台に、すんなりと話が繋がるので、小書き「笛の巻」のかたちの方が、本曲の原型ではないかと言われている。
また、「笛の巻」が、観世流のレパートリーに入ったのは明治期で、小書の扱いになったのは昭和で、それ以前は、「笛の巻」の形は、本曲とは別の作品と言う扱いであったと、「能を読む」では述べている。
この舞台では、前シテ常盤御前は、三の松近くに鎮座して牛若に対峙して、牛若への説教は、橋掛かりで演じられていた。
五条の橋の上で、千人切りをしていたのは、弁慶だとか、牛若丸だとか言われているのだが、この舞台では、牛若丸が、常盤御前に説教されているのだから、人切りは、当然、牛若丸であろう。
まして、切り納めだと言って、説教の後、五条へ行って弁慶と対決するのだから、鞍馬では勉強もせずに武術修行ばかりに明け暮れていたのであろう。
私は、「笛の巻」の演出は初めて観たので、非常に興味深かった。
「橋弁慶」の上演が比較的少ないのだが「笛の巻」の上演は、国立能楽堂では、2000年8月、2010年12月の2回なので、私が能楽堂へ通い始める以前のことであったのである。
後シテ武蔵坊弁慶の観世喜正の格調高い舞いに、子方牛若丸の長女観世和歌の初々しく爽やかな舞の流れるような調和が、感動的であった。
能の義経は、殆ど子方で登場するのだが、西国下向へ大物浦から船出した「船弁慶」などと違って、この「橋弁慶」は、少年期の牛若丸なので、子方にとっては、格好の舞台なのであろう。
令和元年度(第74回)文化庁芸術祭協賛 ◎演出の様々な形
狂言 鐘の音 茂山 千三郎(大蔵流)
能 橋弁慶 笛之巻 観世 喜正(観世流)
来月も同じ演目で、他流派の違った演出を演じようとする「演出の様々な形」の公演。
狂言「鐘の音」は、アド主に、千作がキャスティングされていたが、惜しくも逝去されたので、千五郎に代わった。
息子の成人祝に、黄金の熨斗付けの太刀を作るために、鎌倉へ行って、金の値を聞いて来いと言われた太郎冠者が、鐘の音と勘違いして、鎌倉の名刹の鐘の音を聴いて帰ってきて、頓珍漢な報告を仕方話で演じると言う愉快な狂言。
とにかく、太郎冠者の千三郎の芸が細かくて、実に上手い。
鎌倉の鐘だが、この大蔵流では、五大堂、寿福寺、極楽寺、建長寺だが、和泉流では、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺。
それに、この曲では、仲裁人が登場して、中に入るのが面白い。
今回の能「橋弁慶」で、興味深かったのは、観世流にしかない小書き「笛の巻」と言う演出である。
別な記事で引用させて頂いたので、再録するが、粟谷の会によると、
”通常の前場と様相がガラリと変わり、前シテが常磐御前、ワキが羽田秋長となり、ワキが牛若の千人斬りを常磐御前に伝えます。常磐御前は牛若を呼び、涙を流して悲しみ、弘法大師伝来の笛を渡して牛若を諭します。牛若は母の仰せに従い、明日にも寺へ登って学問に励むと約束して、今宵ばかりは名残の月を眺めて来ると出かけます。しかし実際には五条で月を見ると言いながらも、謡では「通る人をぞ待ちにける」と、最後の相手を待ち望んでもいる・・・”と言うことになって、
このストーリー展開だと、通常の能の舞台に、すんなりと話が繋がるので、小書き「笛の巻」のかたちの方が、本曲の原型ではないかと言われている。
また、「笛の巻」が、観世流のレパートリーに入ったのは明治期で、小書の扱いになったのは昭和で、それ以前は、「笛の巻」の形は、本曲とは別の作品と言う扱いであったと、「能を読む」では述べている。
この舞台では、前シテ常盤御前は、三の松近くに鎮座して牛若に対峙して、牛若への説教は、橋掛かりで演じられていた。
五条の橋の上で、千人切りをしていたのは、弁慶だとか、牛若丸だとか言われているのだが、この舞台では、牛若丸が、常盤御前に説教されているのだから、人切りは、当然、牛若丸であろう。
まして、切り納めだと言って、説教の後、五条へ行って弁慶と対決するのだから、鞍馬では勉強もせずに武術修行ばかりに明け暮れていたのであろう。
私は、「笛の巻」の演出は初めて観たので、非常に興味深かった。
「橋弁慶」の上演が比較的少ないのだが「笛の巻」の上演は、国立能楽堂では、2000年8月、2010年12月の2回なので、私が能楽堂へ通い始める以前のことであったのである。
後シテ武蔵坊弁慶の観世喜正の格調高い舞いに、子方牛若丸の長女観世和歌の初々しく爽やかな舞の流れるような調和が、感動的であった。
能の義経は、殆ど子方で登場するのだが、西国下向へ大物浦から船出した「船弁慶」などと違って、この「橋弁慶」は、少年期の牛若丸なので、子方にとっては、格好の舞台なのであろう。