熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響定期C・・・インバルのショスタコーヴィチ

2019年11月17日 | クラシック音楽・オペラ
   この日の都響C定期公演は、次の通り。 

   指揮/エリアフ・インバル
   ヴァイオリン/ヨゼフ・シュパチェク
   曲目
   ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op.77
   ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 op.112 《1917年》
   アンコール(ヴァイオリン)イザイ無伴奏ヴァイオリンソナタ 
       第2番より第2楽章 田舎の踊り

   すべて、初めて聞く曲であった。
   もう半世紀以上になるが、私が学生の頃のクラシックコンサートでは、ショスタコーヴィチの曲がプログラムに載ることなど皆無に近く、ヨーロッパに居て聴いた前世紀の後半のヨーロッパの著名楽団のコンサートでも、殆ど記憶にない程だが、インバルの演奏で、熱狂する都響の観客を見ていると、まさに、今昔の感である。
   マーラーでは、ブルーノ・ワルターから、レナード・バーンスタインの系譜で、聴く機会が多かったが、昔は、ベートーヴェンやブラームスなど馴染みの曲でないと客を集められず、ブルックナーなどの長大な交響曲などは埒外であったし、ショスタコーヴィチなどは論外であった。
   曲そのものが変わったわけではなく、やはり、聴衆の嗜好が変わったと言うことであろうか。
   詳述は避けるが、クラシック音楽の曲目に対してもそうだが、指揮者や楽団、ソリストなどに対する感覚も、欧米と日本では、かなり違っているのを実感してきている。

   ヴァイオリン協奏曲第1番は、1948年に作曲されたのだが、共産党中央委員会による偏向的なジダーノフ批判が始まったので、発表されたのは、7年後で、スターリン死後、初演は1955年10月29日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団で、ヴァイオリン独奏はダヴィッド・オイストラフだったと言う。
   ムラビンスキーは、フィラデルフィアで、レニングラードフィルの演奏を聴き、オイストラッフは、宝塚歌劇場でのコンサートなどを聴いているので、間接的ながら、私と同じ時代の曲なのである。
   特に異質感なく聴いていたが、交響曲のような雰囲気で、ソロヴァイオリンが、休むことなく殆ど演奏しているのが印象的であった。
   楽章の最後に置かれた長大なカデンツァが実に印象的で、高揚すると、ティンパニの一撃によって第4楽章「ブルレスク」(アレグロ・コン・ブリオ)へ流れこむ壮大な盛り上がりは強烈であった。民俗舞踏風のリズムが粗野なまでの生命力を発散させる、自由なロンド形式の終曲。と言うことだが、
   ヴァイオリンのヨゼフ・シュパチェクの素晴らしくエネルギッシュで流麗なボーイングが、観客を魅了する。
   チェコ・フィルのコンサート・マスターから転身したソロだと言うことだが、テクニックが凄いので、聴きごたえ十分である。
   アンコールも手抜きなし。

   交響曲第12番 ニ短調は、1917年のウラジーミル・レーニンによる十月革命(ロシア革命)を扱っている曲だと言う。
   当局の体制に迎合した作品と見做されたために作品の評価は低く、演奏会機会も少ないと言うのだが、私には、大仰過ぎて感興が乗らず、インバルがタクトを下ろして、舞台から消えた直後に席を立ったので、観衆の熱狂ぶりは分からない。

   芸術劇場を出ると、広場で、西池袋公園関連行事で、ブラスバンドが、「花が咲く」を演奏していた。
   その後、聖者の行進などジャズの演奏をしたので聴いていた。
   聖者の行進だと、何十年も前に、ニューオーリンズのプリザベーション・ホールでのスイート・エンマ楽団の演奏を思い出した。
   何故か、リクエストで、この聖者の行進だけは、料金を取って、それも、1ドルだった。
   誰もが聴きたかったのは、名にしおう老婦人エンマと数人の黒人楽師の奏でる聖者の行進だったのであろう。
   狭い小屋の土間に置かれた数列の床几にかけた観客の後ろにはたくさんの人、
   こんなにジャズが美しくて感動的であったのを感じたのははじめてであったので、バーンスティンが、入れ込んだも分かった気がした。
   
コメント
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