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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウォルター アイザックソン 著「レオナルド・ダ・ヴィンチ 下」(3)

2019年06月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   レオナルドの最高傑作は、「モナ・リザ」。
   この作品は、絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンダから、24歳の妻リザの肖像画を頼まれて描いた。
   芸術のパトロンとして絶大な権力を誇っていたイザベラ・デステの度重なる肖像画依頼にもガンとして撥ねつけていたレオナルドが、何故、有名な貴族あるいはその愛人でもない、一介の絹商人に過ぎないジョコンダの依頼を受けて、「モナ・リザ」を描く気になったのか。
   自分が描きたかったからで、無名に近い存在であったから、有名なパトロンにおもねる心配もなく、思い通りに描くことが許されるし、何よりも重要だったことは、リザは美しくて魅力的で、人を惹きつける微笑の持ち主であったからだと言う。

   この絵は、単なる絹商人の妻の肖像画ではなければ、勿論、注文主に応えるための絵でもなく、自らのため、永遠に残すための普遍的作品として描いたのであって、対価を受け取ってもおらず、フランチェスコに納めることもしなかった。
   着手してから16年後の亡くなるまで、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、そしてフランスへと、ずっと持ち歩いて、死の間際まで、完璧を期して油絵の具の薄い層を重ねながら修正を続け、人間と自然に対する深い理解を反映させていた。
   新しい洞察、新しい理解、新しいひらめきを得る度に、ポプラ画版の上に柔らかな筆を重ねながら、レオナルドが人生の旅路を重ねて深みを増して行くとともに、「モナ・リザ」も深みを増していった。と言うのである。

   私は、1973年晩秋に、初めてルーブルを訪れて、この「モナ・リザ」を観て、その後、ヨーロッパで生活していたので、5回以上は観ているのだが、レオナルドが、最期まで持ち歩いて筆を加えていたと言うのは驚異であった。
   この絵を観れば、モナリザの顔の表情ばかり観ていたのだが、自然観察を徹底的にし続けたレオナルドにとっては、背景の自然風景は、非常に大切で、アイザックソンは、この風景が、体に流れ込み永遠を象徴しているのだと言う。
   風景が、リザの体に流れ込むようなイメージは、レオナルドが好んだ地球と言う大宇宙と人間と言う小宇宙のアナロジーの究極の表現で、風景は、生きて呼吸をし、脈を打つ地球の体を表している。川はその血管であり、道は腱、岩は骨で、地球は、単なるリザの背景ではなく、リザの体に流れ込み、その一部となっていると言うのである。

   そう言われれば、岩窟の聖母を筆頭ににして、レオナルドの絵画の多くには、地球の大自然をイメージした峻厳で神聖を帯びたような風景が描かれていて、人物像と一体となっている。

   この「モナ・リザ」だが、今では、ルーブルの至宝として観光客の注目の的だが、100年ほど前に、イタリア人であるレオナルドの作品はイタリアの美術館に収蔵されるべきだと信じていたイタリア人愛国者ペルージャに盗まれて、フィレンツェのウフィツィ美術館館長に『モナ・リザ』を売却しようとして発覚して逮捕されたと言う話が残っており、この経緯を描いた本を読んだが面白かった。また、この「モナ・リザ」は、何度も物を投げつけられたり被害にあっていると言う。
   「日曜はダメよ」のメリナ・メルクーリ大臣が、大英博物館のパルテノン神殿のフリーズ彫刻エルギン・マーブルをギリシャに返せと噛みついた話とよく似たており、ペルージャは、イタリヤでは英雄扱いだったと言うから面白い。
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