台風22号が関東近辺の太平洋を北上中のためか、かなり、雨足の強い中を、京成とメトロを乗りついて東京に出た。
時間に余裕があったので、神保町に寄り道して、1時開演の国立能楽堂に向かった。
台風襲来の時には、風や雨の激しさよりも、交通機関にトラブルの起こることが多いので、結構、観劇やセミナーなどを諦めることが多いのだが、今年は、今のところ順調に出かけている。
今日の国立能楽堂は、定期公演で、狂言「茫々頭」と観世流の能「白楽天」。
「白楽天」は、公演時間が2時間近い大作で、日本の知力を確かめに来た白楽天が、漁翁に姿を変えた住吉明神と、詩歌問答をして負けて、神風に吹き飛ばされて中国へ帰ると言う奇想天外な話。
当時の「蒙古来襲」を話題に取り入れた話で、尖閣問題をテーマに、国威発揚の戯曲など作れば面白いと思って観ていた。
狂言「茫々頭」は、茂山千五郎七五三兄弟の太郎冠者が京都見物をした話。
ところで、この公演が終わったのが、3時35分で、次の歌舞伎座の夜の部の開演が、4時15分。
東京のタクシーは、あてにならないので、メトロを乗りついて向かったのだが、急いだけれど、歌舞伎座に着いた時には、一幕目が開いたところだった。
能・狂言の公演では、シテやワキが退場しても、最後に橋掛かりを帰って行く囃子方が揚幕に消えるまで、見所から客は立ち上がらないので、いくら急いでも、さっと会場を出るわけに行かないのである。
メトロは急いだので、北参道47分発に間に合ったのだが、明治神宮前、日比谷で乗り継いで東銀座に着いたのは、4時15分。
別に遅れても問題はないのだが、やはり、遅刻常習犯の私でも、開演前には席に座っていたいと言う気はある。
歌舞伎座の夜の部は、通し狂言「義経千本桜」の後半で、「木の実・小金吾討死」「すし屋」「川連法眼館」で、前半は、仁左衛門のいがみの権太が主演の舞台で、後半は、菊五郎の源九郎狐・忠信が主演の舞台で、今や、現在の歌舞伎の決定版とも言うべき舞台である。
劇評は、後日に譲るが、何度観ても、仁左衛門と菊五郎の至芸は素晴らしい。
ところで、今日一寸気になったのは、能の舞台を観た後で、すぐに、歌舞伎を鑑賞すると言う観劇者としての心構えの落差の激しさである。
例えば、今日の能「白楽天」の場合には、最後のシーンで、白楽天が乗った唐船が、漢土に帰るところだが、舞台の上では、囃子方の楽に乗って、シテの住吉明神が、ゆっくりと歩いているようなスタイルで舞っているだけ(?)なのだが、地謡の歌う「住吉明神が現われると、伊勢石清水賀茂春日、鹿島三島諏訪熱田等々日本中の明神が参集して舞い、厳島明神の舞って起こる手風神風に吹き飛ばされて白楽天が帰されて行く」と言う壮大な絵巻を想像しなければならないのである。
一方、いがみの権太が、若葉の内侍と六代の身替りに、自分の妻と息子を差し出して、捕手に引かれて行くその後姿に号泣する仁左衛門の断腸の悲痛や、父母狐の皮で出来た初音の鼓との永久の別れに、全身のたうち回って悲しさを表現する菊五郎の源九郎狐の悲しさ哀れさなどは、舞台を観ていて直に胸を打つ。
当たり前だと言えば当たり前だが、同じ、パーフォーマンス・アーツでも、表現が全く違うと、中々、すぐに、気持ちを切り替えろと言われても、中々、難しいのである。
今日は、歌舞伎座に行ってから、一気に分かり過ぎた感じがして、一寸、不思議な気分であった。
この頃、東京に出ることも少なくなったので、どうしても、ダブルヘッダーで観劇することが多いのだが、やはり、これまでのように、歌舞伎の昼と夜とか、文楽の一部と二部と言った形で同じ種類の観劇にするとか、多少気が置けないクラシック・コンサートや落語との組み合わせにするとか、考えた方が良いのかも知れないと思っている。
ロンドンにいた時には、時間が取れなかった所為もあって、バービカン劇場で、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピア戯曲「マクベス」やギリシャ悲劇のマチネーを観て、夜、コベントガーデンで、ロイヤル・オペラのワーグナーなどを平気で観ていたのだが、若かった所為だったからかも知れない。
時間に余裕があったので、神保町に寄り道して、1時開演の国立能楽堂に向かった。
台風襲来の時には、風や雨の激しさよりも、交通機関にトラブルの起こることが多いので、結構、観劇やセミナーなどを諦めることが多いのだが、今年は、今のところ順調に出かけている。
今日の国立能楽堂は、定期公演で、狂言「茫々頭」と観世流の能「白楽天」。
「白楽天」は、公演時間が2時間近い大作で、日本の知力を確かめに来た白楽天が、漁翁に姿を変えた住吉明神と、詩歌問答をして負けて、神風に吹き飛ばされて中国へ帰ると言う奇想天外な話。
当時の「蒙古来襲」を話題に取り入れた話で、尖閣問題をテーマに、国威発揚の戯曲など作れば面白いと思って観ていた。
狂言「茫々頭」は、茂山千五郎七五三兄弟の太郎冠者が京都見物をした話。
ところで、この公演が終わったのが、3時35分で、次の歌舞伎座の夜の部の開演が、4時15分。
東京のタクシーは、あてにならないので、メトロを乗りついて向かったのだが、急いだけれど、歌舞伎座に着いた時には、一幕目が開いたところだった。
能・狂言の公演では、シテやワキが退場しても、最後に橋掛かりを帰って行く囃子方が揚幕に消えるまで、見所から客は立ち上がらないので、いくら急いでも、さっと会場を出るわけに行かないのである。
メトロは急いだので、北参道47分発に間に合ったのだが、明治神宮前、日比谷で乗り継いで東銀座に着いたのは、4時15分。
別に遅れても問題はないのだが、やはり、遅刻常習犯の私でも、開演前には席に座っていたいと言う気はある。
歌舞伎座の夜の部は、通し狂言「義経千本桜」の後半で、「木の実・小金吾討死」「すし屋」「川連法眼館」で、前半は、仁左衛門のいがみの権太が主演の舞台で、後半は、菊五郎の源九郎狐・忠信が主演の舞台で、今や、現在の歌舞伎の決定版とも言うべき舞台である。
劇評は、後日に譲るが、何度観ても、仁左衛門と菊五郎の至芸は素晴らしい。
ところで、今日一寸気になったのは、能の舞台を観た後で、すぐに、歌舞伎を鑑賞すると言う観劇者としての心構えの落差の激しさである。
例えば、今日の能「白楽天」の場合には、最後のシーンで、白楽天が乗った唐船が、漢土に帰るところだが、舞台の上では、囃子方の楽に乗って、シテの住吉明神が、ゆっくりと歩いているようなスタイルで舞っているだけ(?)なのだが、地謡の歌う「住吉明神が現われると、伊勢石清水賀茂春日、鹿島三島諏訪熱田等々日本中の明神が参集して舞い、厳島明神の舞って起こる手風神風に吹き飛ばされて白楽天が帰されて行く」と言う壮大な絵巻を想像しなければならないのである。
一方、いがみの権太が、若葉の内侍と六代の身替りに、自分の妻と息子を差し出して、捕手に引かれて行くその後姿に号泣する仁左衛門の断腸の悲痛や、父母狐の皮で出来た初音の鼓との永久の別れに、全身のたうち回って悲しさを表現する菊五郎の源九郎狐の悲しさ哀れさなどは、舞台を観ていて直に胸を打つ。
当たり前だと言えば当たり前だが、同じ、パーフォーマンス・アーツでも、表現が全く違うと、中々、すぐに、気持ちを切り替えろと言われても、中々、難しいのである。
今日は、歌舞伎座に行ってから、一気に分かり過ぎた感じがして、一寸、不思議な気分であった。
この頃、東京に出ることも少なくなったので、どうしても、ダブルヘッダーで観劇することが多いのだが、やはり、これまでのように、歌舞伎の昼と夜とか、文楽の一部と二部と言った形で同じ種類の観劇にするとか、多少気が置けないクラシック・コンサートや落語との組み合わせにするとか、考えた方が良いのかも知れないと思っている。
ロンドンにいた時には、時間が取れなかった所為もあって、バービカン劇場で、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピア戯曲「マクベス」やギリシャ悲劇のマチネーを観て、夜、コベントガーデンで、ロイヤル・オペラのワーグナーなどを平気で観ていたのだが、若かった所為だったからかも知れない。