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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初秋の千葉の田舎を歩く

2009年09月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   飼っていた愛犬が亡くなって久しいが、最近、その散歩道であった田舎道を歩くことが殆どなくなった。
   土手に彼岸花が咲いている筈だと思って、カメラを持って歩き始めたのだが、思ったより早く、秋の気配が濃くなって来ている。
   私の庭を訪れるトンボは、まだ、赤みが付き始めた程度だが、刈り取られた水田の切り株の上を飛び交うトンボの中には、真っ赤な赤トンボが混じっている。

   田んぼの畦道を草を踏み分けて歩いていたら、絡み合った二匹のトンボが、私にぶち当たり、また、激しく飛び交いながら去って行った。
   ところが、再び、近くに戻ってきた時には、番って一体となって、田んぼの切り株に降りて止まった。
   必死で追っかけていたオスのトンボが、ランデブーに成功したのである。
   近づいてカメラを構えたら、番ったまま飛び去って行って、少し離れた稲の切り株から出ている葉っぱに止まった。
   
   近づきながら、ふと、交尾中に空中を飛ぶ時には、一緒に翅を羽ばたいて飛べるわけがないので、オスとメスどっちが主導権を握って飛ぶのだろうか、と変なことを考えてしまった。
   この口絵写真は、その時のトンボの交尾中のものだが、二匹のトンボが弓なりになって、ハート型になって繋がっている姿が、自然の摂理とは言え実に風雅で面白い。
   ピンボケ写真を避けるために、かなりシャッターを押して写真を撮り続けて途中でそばを離れたのだが、じっと静止したままだとは云え、トンボの交尾が随分長いのに驚いた。
   
   川岸の土手には、まだ、夏草が鬱蒼と茂っていて川面は見づらいのだが、野がもの番が草むらから飛び出した。
   野鳥の姿は殆どなく、蜂類や小さな昆虫が、夏草の花の上を飛び交いながら蜜や花粉を集めている。
   ピンクのクローバーの花であろうか、夏草の間に彩を添えているのだが、虫たちには関心がないらしい。
   
   毎年、同じ所に咲いている彼岸花の群落が、遠くからだと、半分、白っぽくなっていて、もう、時期遅れで枯れかけているのだろうと思った。
   しかし、近づいてみると、そうではなく、赤い彼岸花の花が、脱色したように赤色の部分が少なくなっている。
   長い蘂が真っ白になって、菊のように蒔いた長い花弁の中央だけが赤色で、周りが白く変色して筋状になっていて、遠くから見ると、白っぽく見えたのである。
   そんな花がかなりの数なので、一寸変わった雰囲気なのだが、これまで、真っ赤か真っ白の彼岸花しか見たことがないので不思議な感じがした。
   気候の変化か、土壌が変質したのか、突然変異なのか、とにかく、赤と白のミックスした彼岸花の群落風景も、また、風情があって面白い。

   住宅街の小道と田んぼの土手との間のかなり広い空間に、花壇とも思えないし自然とも思えないような状態で植わっている朝顔やコスモス、それに、ひまわり、オシロイバナなど雑多な草花が思い思いに花を咲かせて、風になびいている。
   黄色くなった稲の切り株が広がる田んぼ、川辺の生い茂った夏草の緑、遠くの林の茂みなどをバックに、色鮮やかな秋の草花の咲く田舎道の風景は、昔のままの懐かしさそのものである。
  
   休日になっても、昔の若い頃のように、西へ東へと動かなくなってしまったが、涼風に吹かれ秋の気配を感じながら、庭のイスに座って、モンブラン・ケーキとブルーマウンテン・コーヒーを楽しみながら、花を渡りながら飛び交う蝶の舞を眺めているのも、悪くないものである。

(追記)先に、トンボの交尾について、多少、書いていたのだが、オスとメスとを取り違えていたのを、コメントでご指摘頂き、教養のなさに恥じ入り、本文を修正しました。
コメント (1)
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