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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

会社は誰のものか

2005年08月19日 | 経営・ビジネス
   「会社はこれからどうなるのか」を3年前に出版して、会社と言うものを、掘り下げて、易しく解説した東大の岩井克人教授が、ホリエモン事件に触発されて、「会社とは誰のものか」を出版した。

   法人である会社を、本来ヒトでないモノを、ヒトとして扱う所に目をつけて、会社を、モノの側面と、ヒトの側面の2階構造と捉える。
   株主主権論を重視するアメリカ型の会社は、株主がモノとして所有するモノ部分を強調した会社論で、ヒトの面を強調したのが日本型会社の有り方である。
   従って、会社は株主のモノでしかないと言う株主主権論は、2階建ての会社のモノ部分のみしか見ていない、法理論上の誤りだ、と言う。

   岩井教授の論点の根幹は、所有と経営の分離していない個人企業も、公開会社も総て同じ企業と捉えることの誤りで、「コーポレート・ガバナンス」を企業統治と訳していることで、これは「会社統治」であるべきだと言う。
   面白いのは、会社は文楽人形と同じだと考えていることで、人形遣いが本来木偶に過ぎない人形に命を吹き込まなければ芝居にならないように、会社は、法人としてヒトとして扱われているが、経営者が会社を経営によって息を吹き込まなければ、実社会で活躍できる本当の会社にならないのである。

   この場合重要なことは、会社の経営者は「倫理的」に行動することを要請されていることで、会社法では、経営者の「忠実義務」と「善管注意義務」の2大義務が規定されている。
   会社と経営者の関係は、「委任関係・信頼関係」、すなわち、法人である会社は、自らの総ての行動を、「信頼」によって経営者に任せており、「信頼」を受けた経営者は、会社に対して倫理的に行動することを義務付けられているのである。

   岩井教授は、信頼関係であるべき関係を契約関係のように看做して、株主主権論を隠れ蓑にし、会社を私物化して、自己の利益のみを追求しうる仕組みを作り上げたのがエンロンの経営者だとしてアメリカ型会社統治を糾弾する。
   しかし、同じ経営者の不祥事は、日本でも、カネボウや三菱自動車などで起こっており、これは、会社に対する日米制度の違いではなく、正に、会社経営者の信頼・信任関係の対する倫理性の欠如の問題ではなかろうか。
   そして、法は、会社は経営者に経営を委託するのであるから、会社の経営者はプロの経営者であることを期待し要求している。
   アメリカの経営者に対しては倫理性が最大の問題だと思うが、日本の経営者の場合は、経営者の経営者たる所以であるプロとしての経営能力の欠如が最大の問題で、次に倫理性の希薄さだと思う。
   総てのステイクホールダーが大切だと言う経営者に限って、会社を「わが社」と言うが、本当に「我が会社」なのであろうか。

   自己利益の追求を原則としている資本主義が、その中核である会社に対して倫理性を要求すると言う逆説。資本主義とは、人間が倫理的であることを必要とし、それがなければ永続して行けない社会なのである。

   衆議院議員選挙も近い。政治の世界も同じ、信任と信頼関係。
   忠実義務も注意義務も形は違うが同じこと、会社のところで触れなかったが、情報公開と説明責任を充分に果たす倫理性の高いプロの政治家が1人でも多く出てくれば、日本も安泰であろう。
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