熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新橋演舞場・・・笑う門には福来たる 〜女興行師 吉本せい〜

2019年07月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに、喜劇を見た。
   少し上等な劇場で、少し洗練された演出の喜劇なのだが、なんばグランド花月の吉本新喜劇を見ている感覚である。
   藤山直美が登場しているので、藤山寛美ばりの喜劇かと思えば、そうではなく、紛うことなく吉本のドタバタ劇であり、当然、シェイクスピア戯曲の対極にある。

   今、不祥事でテレビで話題沸騰の吉本興業の創立者の吉本せいをモデルにした喜劇なので、2017年後期(10月~2018年3月)NHK朝の連続小説テレビ『わろてんか、』と殆ど同じテーマをフォローしているので、良く知っている話。

   私は、生まれも育ちも、西宮、宝塚、伊丹の阪神間であり、大学も京都で、入った会社の本拠地も大阪なので、こてこての関西人であり、20代後半まで、大阪弁べったりの生活をしていた。
   万博が終わって、少しして、本社が東京に移ったので、それ以降、海外に居るか東京に居るか、関西に帰ることはなくなったのだが、意識なり考え方なり、関西人から抜け切れず、いまだに、元関西人を通している。

   東京に移って、一番寂しかったのは、日曜日のテレビで見ていた藤山寛美などが演じる松竹新喜劇の番組がまったくなくなり、それに、吉本の漫才などの放映を全く見られなくなってしまったことである。
   大阪に居た頃は、クラシックコンサートやオペラ鑑賞にもせっせと通っていたが、吉本の梅田花月や道頓堀の中座などにも良く出かけて、漫才やドタバタ劇を見に行って楽しんでいた。
   エンタツ・アチャコはラジオでしか聞いていないが、ミヤコ蝶々南都雄二、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、森光子などが舞台に立っていたのである。
   その後は、欧米が長い所為もあって、クラシックとオペラが主体になり、シェイクスピアに入れ込み、日本に帰ってからは、歌舞伎文楽、それに、能狂言に通い続けているが、落語を聞きに行き始めたのも、先祖かえりであろうか。
   残念なのは、大阪に居ながら、とうとう、米朝の高座を聞けなかったことである。
   
   藤山直美の舞台は、初めてであったが、流石に、寛美の娘で、全く表情を変えずに、さらりと、鋭いパンチの利いたギャグを発する巧みさが、堪らない魅力である。
   この舞台で面白かったのは、亡き夫の供養塔として通天閣を買うと言う奇想天外なせいの行動であり、この発想とパワーが吉本興業のお笑いの世界を生み出した原動力になったのであろう。

   NHKの朝ドラ「わろてんか」では、若くて溌溂とした葵わかなと松坂桃李が、清新で爽やかな演技で、実に器用に晩年までの一生を演じていて楽しませてくれたが、、
   後半生が舞台になったこの劇場版だと、年季の入ったキャリアを積んだ藤山直美と田村亮の芸の確かさ上手さが、断然、魅力を増して客を喜ばせる。
   藤山直美のせいは、一寸個性が豊かだが、何となく大阪の女の象徴のような雰囲気を醸し出していて、せいらしさは抜群であり、余人をもって代えがたいであろう。
   田村亮は、阪妻子息四兄弟の末弟で二枚目役者であったはずだが、歳を取った所為か、一寸タガが外れた大坂男のがしんたれぶりも上手い。大坂男と言うと、どうしても、近松門左衛門の世界のイメージが強いのだが、この芝居も、しっかりした大坂女と一人ではしっかりと立てない大坂男との組み合わせで、面白いと思う。

   春団治で登場した往年のイケメン俳優の林与一が、これも、年季の入った老長けた演技で、中々渋い軽妙洒脱な味を見せてよかった。
   舞台袖で、ミヤコ蝶々追悼の漫才で、松竹の舞台であるから、吉本ではなく、松竹芸能の漫才コンビ・ミヤ蝶美・蝶子を登場させていて、面白かった。
   それに、登場人物全員が、結構、真面目な人生劇場の舞台でありながら、軽いノリで、心地よいテンポで愉快な芸を演じていて、毒にも薬にもならない人畜無害な芝居を楽しませてくれた。

   私にとっては、若かりし頃の思い出に、一気に引き戻されたような感じで、非常に懐かしさを覚えたのだが、前日に、渋くて厳粛な能狂言を鑑賞した後、デザートと言う位置づけであろうか。
   長女が、我々夫婦を招待してくれたのである。
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六月大歌舞伎・・・「恋飛脚大和往来 封印切」ほか

2019年06月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回は、仁左衛門と松嶋屋中心の上方歌舞伎の近松門左衛門の「恋飛脚大和往来 封印切」を観たくて、歌舞伎座に行った。

   主な配役は、次の通りで、こてこての大阪弁の封印切りである。
   亀屋忠兵衛 仁左衛門
   傾城梅川 孝太郎
   丹波屋八右衛門 愛之助
   井筒屋おえん 秀太郎

   10年ほど前に、これは、NHKの京都南座公演の放送だったが、忠兵衛を藤十郎、梅川を秀太郎、八右衛門を仁左衛門と言う関西歌舞伎の重鎮が勤めた「封印切り」を観たのだが、それ以来の感動的な舞台であった。
   同じ上方の「封印切り」でも、鴈治郎家の舞台と松嶋屋の舞台とでも、かなりの違いがあって興味深く、今回も、その差の面白さを楽しませて貰った。
   
   仁左衛門の忠兵衛の素晴らしさは、言うまでもないので蛇足は避けるが、今回、注目すべきは、愛之助の八右衛門である。
   チンピラヤクザの風体で登場した愛之助の八右衛門が、散々毒づいて忠兵衛を棚卸ししたので、おえんの秀太郎が怒ってゲジゲジとやじり倒す親子の気のあった掛合いなど出色の出来だが、何よりも面白いのは、忠兵衛の懐の金が公金であることを重々知りながら、どんどん、忠兵衛を煽りに煽って追い詰めて行き窮地に立たせて、直前で制止するも間に合わず、封印を切らせれしまう、このあたりの悪口雑言の微妙なニュアンスは、意地の悪い大坂男の大阪弁でないと表現し難いので、生粋の大阪人の愛之助は上手い。
   受け身の仁左衛門が顔を歪めながら苦渋に泣きつつ、男の面子と恥に耐えながら遂に切れて行く、この阿吽の呼吸の二人の至芸が、悲劇の深刻さを浮き彫りにして哀れである。

   秀太郎が自著「上方のをんな」の中で、
   上方の匂いのする役者が、上方の言葉で、上方風に演じる。義太夫は、上方言葉で物語が繰り広げられており、上方歌舞伎のニュアンスや風情に欠かせない上方の言葉は、やはり、関西で暮らして関西の文化に触れていないと身につかないものであり、それ程、義太夫狂言には、上方の言葉が大切である。と語っているのだが、近松門左衛門の世界こそ、当然であろう。

   吉右衛門の「梶原平三誉石切」も、正に、吉右衛門一座播磨屋の感動的な舞台。
   今回、歌六の青貝師六郎太夫の娘梢に、実子の米吉が登場して、素晴らしい親子共演を実現しており、前には雀右衛門が演じていたのだが、初々しい米吉の清楚な演技が出色。
   悪役の大庭三郎を又五郎、その弟の俣野五郎を子息の歌昇が演じていて、灰汁の強い演技が素晴らしく、歌六又五郎兄弟あっての吉右衛門歌舞伎の凄さを感じさせてくれる舞台である。

   「寿式三番叟」は、
    松本幸四郎 尾上松也 三番叟相勤め申し候 と銘打った舞台。
    翁に東蔵、千載に松江が登場するのだが、能の「翁」の舞台を踏襲している筈が、さにあらず、三番叟の派手な踊りを見せる舞台である。
   能「翁」のように、千載が面箱を持って登場して、翁の前に面箱を置くのだが、翁は、箱を横に除けて、直面で舞って退場して行く。箱は、後見が片付ける。
   冒頭の「とうとうたらり…」は、翁ではなく竹本が謡う。
   竹本に、囃子も、笛太鼓が複数になり三味線が加わるので、音曲が豊かに成り、正に、見せて魅せる舞台である。
   文楽の「寿式三番叟」を偶に見ることはあるが、何度も観ているのは能の「翁」。
   厳粛で厳かな「翁」と違って、能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」以上の落差の激しさに、一寸、戸惑いながら観ていた。

   「女車引」は、「菅原伝授手習鑑」の「車引」の3人の登場人物の女房たちが踊る舞踊で、松王丸の妻千代を魁春、梅王丸の妻春を雀右衛門、桜丸の妻八重を児太郎。
   奇麗な舞台である。
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国立劇場・・・「神霊矢口渡」

2019年06月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
  2019年6月歌舞伎鑑賞教室「神霊矢口渡」を観た。
  高校生などの団体鑑賞を目的とした公演なので、解説 歌舞伎のみかた(中村虎之介)
  があって、簡易な普及公演である。

  神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし)  一幕 頓兵衛住家の場
  (主な配役)
  渡し守頓兵衛  中 村 鴈 治 郎
  娘お舟       中 村 壱 太 郎
  船頭八助     中 村 寿 治 郎
  傾城うてな    上 村 吉 太 朗
  新田義峰     中 村 虎 之 介
  下男六蔵     中 村 亀   鶴

  強欲非道な父親と恋しい人を命がけで守ろうとする娘のドラマを描いたのが、「神霊矢口渡」。
  自分の命を犠牲にして好きになった新田義峰を救う哀れなお舟に対して、父の頓兵衛は義峰を捕らえようとする強欲非道な敵役で、その対照的な人間模様が面白いのだが、あのエレキテルの平賀源内の作だと言うから、興味深い。

   1991年(平成3年)8月にこの国立劇場で、「神霊矢口渡」が、現市川猿之助のお舟、父である4代目市川段四郎の頓兵衛で演じられたようで、今回、壱太郎も、猿之助の教えを受けたということで、同じシーンの「娘のお舟に切りかかる頓兵衛」の写真が残っている。
   
   
   微かに記憶に残っているのは、文楽の「神霊矢口渡」で、お舟が、火の見櫓に上って太鼓を叩くシーンで、八百屋お七とよく似た切羽詰まった乙女の心意気を感じた。
   平成14(2002)年 9月の舞台で、桐竹紋壽のお舟、吉田文吾の渡し守頓兵衛であった。

   今回の舞台で興味深かったのは、お舟の人形振りのシーン。
   父頓兵衛に刺されて瀕死の状態でのたうつお舟、
   祖父・坂田藤十郎が八重垣姫を人形振りで演じた際に、吉田文雀の指導を受けたという縁があって、壱太郎は、その弟子で人間国宝の吉田和生の指導を受けている。
   普通、歌舞伎の人形振りは、あのオペラ「ホフマン物語」のオランピアのように、ぎこちなく動くのだが、流石に、和生の振り付け指導であるから、そのような取ってつけたような人形振りではなく、結構滑らかな動きでありながら、普通の役者の演技では見られないような、人形独特な仕種や敏捷な動きなどをみせて、非常に面白く楽しませてもらった。

   一目惚れで、ゾッコン行かれてしまう乙女を、上手く演じながら、今回の人形振り・・・壱太郎の進境を感じさせる舞台である。
   文句なし理屈抜きの極悪非道で、金と意地のためには、娘の命さえ犠牲にして厭わない頓兵衛、しかし、歳の所為もあって、足がもつれてよろよろ、このあたりのチグハグサを器用に演じ分けながら、芸の質を守り見事な見得の冴え、やはり、鴈治郎は上手い。
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国立劇場・・・神々の残照-伝統と創造のあわいに舞う-

2019年05月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ジャンル等の垣根を越えて広く舞踊(ダンス)の魅力を見せるプログラムだと言う。
   今回の「神々の残照」では、「神」をキーワードに、日本舞踊、インド舞踊、トルコ舞踊、コンテンポラリーダンス(新作)を上演すると言うことで、プログラムは次の通り。

【日本舞踊】
長唄 翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)
翁   尾上墨雪
千歳  花柳寿楽
三番叟 若柳吉蔵
【インド古典舞踊】
オディッシー
マンガラチャラン/バットゥ/パッラヴィ/パシャティ・ディシ・ディシ/モクシャ
小野雅子
シルシャ・ダッシュ
ラシュミー・バット
アビシェーク・クマール
【トルコ舞踊】
メヴラーナ旋回舞踊〈セマー〉
トルコ共和国文化観光省所属 コンヤ・メヴラーナ楽団
【コンテンポラリーダンス】
構成・振付・演出=笠井叡 衣裳=萩野緑
マーラー作曲〈交響曲第五番〉と群読による
古事記祝典舞踊
いのちの海の声が聴こえる (新作初演)
テキスト=古事記~大八島国の生成と冥界降り~
 近藤良平・酒井はな・黒田育世・笠井叡/
 浅見裕子・上村なおか・笠井瑞丈/
 岡本優・小暮香帆・四戸由香・水越朋/
 〔群舞〕ペルセパッサ・オイリュトミー団/
 〔群読〕天使館朗唱団

   若い頃に、ロイヤル・バレエやニューヨーク・シティ・バレエなどで、チャイコフスキーの「白鳥の湖」などを観に結構劇場に通ったり、家族が好きであったので、クラシック・バレエの舞台を観ており、海外の劇場で、古典劇や古典舞踊、民族ダンスなどを見てはいるのだが、いずれにしても、舞踊と言う分野の観劇経験も希薄だし、感心も薄い。
   従って、今回の舞台でも、インドとトルコの舞台では、バックの民族音楽的な楽団演奏の方に興味を持って楽しませてもらった。

   【インド古典舞踊】オディッシーは、バックのどこか神秘的で哀調を帯びたサウンドに乗って踊り続ける優雅な舞踊は、やはり、素晴らしかった。
   この日は、やや上手よりの最前列で鑑賞していたのだが、小野雅子はじめ奇麗な民象衣装に着飾ったダンサーたちの、目や手や腰の微妙にモノ言う表情豊かな動きを、感動して観ていた。
   シタールのもの悲しい優雅な流れるようなサウンドに呼応して、女性歌手の祈るような朗詠、マルダラが単調なリズムを軽快に刻む・・・そんなエキゾチックな音楽が、魅力を倍加する。
   私は、タイとインドネシアの民象舞踊しか観ていないのだが、何となく雰囲気が似ていた。

   【トルコ舞踊】のメヴラーナ旋回舞踊〈セマー〉は、これも、独特なサウンドの民族楽器と歌い手が奏する素晴らしい古典音楽に乗って、5人の男性舞踊手が、くるくる、時計回りと逆方向に舞い続ける群舞で、楽団員は黒衣、舞踏手は白衣、
   羊毛の粗衣(スーフ)を身にまとって、アラーへの絶対的な服従を実践する修道士が起源となったスーフィー教団の踊りだと言うことで、音楽や身体的表現によって神を祈念し、白い布の裾を翻して旋回する。
   この典礼音楽で、最も重要な楽器は葦笛のネイで、神が創った人間が、別離の悲哀・苦痛に咽び泣くような葦笛のサウンドに、世界観を象徴させているのだと言う。
   宗教色の色濃い旋回舞踊なのだが、優雅で哀調を帯びた一心不乱の舞と音楽が胸を打つ。

   さて、冒頭は、能「翁」を、基礎にして生まれた【日本舞踊】長唄 翁千歳三番叟。
   遅刻常習犯である私は、1時間鎌倉を出るのを遅れて、開演に間に合わず、劇場に入った時には、翁の舞に入っていた。
   能なら、翁が退場して三番叟の舞が始まるまで、見所への入場は禁止だが、入場OKで、後方立ち見を許してくれた。
   能の「翁」と、この舞台と、どのように差があるのか、微妙なところは分からないのだが、見られなかった前半は、能と殆ど変わらないのであろう、
   三番叟の「鈴ノ段」の後,千歳が舞い、その後、千歳と三番叟が相舞いが続いた。
   舞も唄も三味線も囃子も、最高峰の舞台だと思うのだが、私には、もう、10回以上も観て、頭にしっかりと入り込んでいる能「翁」の印象が強くて、一寸、別バージョンの優雅な舞台を観ているような気持であった。

   【コンテンポラリーダンス】の、古事記祝典舞踊 いのちの海の声が聴こえる (新作初演)は、今回の最大の話題作であったのであろう。
   テキストが、古事記~大八島国の生成と冥界降り~構成・振付・演出=笠井叡 衣裳=萩野緑で、
マーラー作曲〈交響曲第五番〉をバック音楽として、群読によるストーリー・テラーが加わって、舞台狭しと、神々のソロダンサーを中心に華麗な群舞が展開されて、古事記の冒頭の国造りから、天岩戸伝説までが、繰り広げられる。
   月初に、能「絵馬」で、天岩戸隠れした天照大神が、天鈿女命の裸踊りで岩戸から出てきて光が戻ったと言う舞台を観たところなので、興味深く観ていた。
   チャイコフスキーの古典バレエしか、楽しんで見たことのない私には、コンテンポラリーダンスは、ちょっと無理で、聞き慣れたマーラー、特に、ラストのアダージョなどの美しいサウンドに乗った素晴らしいソロダンサーの踊りや群舞に見とれていたが、ストーリーとバレエの関わりや群読には、十分には付いて行けなかったのが、一寸、残念ではあった。
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国立小劇場・・・文楽:通し狂言『妹背山婦女庭訓』(2)

2019年05月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この浄瑠璃の興味深いところ、ヒーローたる主役がおらず、殺される大悪人蘇我入鹿が主役であると言うことについて、橋本治は、別な表現をしている。
   三大浄瑠璃のすべて、この「妹背山婦女庭訓」もそうだが、「善なる人、あるいは善であってしかるべき人達が、不幸に遭遇してのたうち回る話」だと言う。
   善なる人は、運命に弄ばれて、襲い掛かる不幸を回避することが出来ず、「悲劇」としか言いようのないゴールに真っ逆さまに突き進む、「不幸な結果を甘受することしかない者への鎮魂」を謳い上げる。と言うのである。
   例えば、「菅原伝授手習鑑」は、藤原時平の謀略によって、菅丞相の一族は不幸のどん底に追い込まれ、梅王丸・松王丸・桜丸は、切腹したり子供を見殺しにしたり、不幸の中でのたうち回る。
   確かに、悪の権化が特定されなくても、忠君愛国、義理人情など、当時の社会の規範に雁字搦めに縛られて、不幸に沈んでいく人々を活写することが多いのだが、これは、シェイクスピアなど欧米の劇や芝居と比べても、多少、異質と言えば異質であろう。

   比較ついでに、この「妹背山婦女庭訓」の若い恋人同士の久我之介と雛鳥の恋愛劇は、不仲で敵対している両家の悲恋を描いたシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」と相通じるものがある。
   しかし、「ロミオとジュリエット」の方は、若い二人は一直線に死へと突き進む展開で終わっているのだが、「妹背山婦女庭訓」の久我之介と雛鳥の恋の顛末には、両家の親、すなわち、久我之介の父大判事と雛鳥の母定高が、大きく関わっており、むしろ、両家の不仲を背負って呻吟する親の方が重要な役割を果たしていて、むしろ、ストーリーとしては、この方が、深みと奥行きがあるような感じがして、素晴らしい作品であるような気までしてくる。

   2時間の大舞台「山の段」の冒頭は、吉野川を挟んで、上手の「背山」の久我之介と、下手の「妹山」の雛鳥が、成さぬ恋心の交感、その後、入鹿より難題を命じられて苦悶する大判事と定高が登場。入鹿は、鎌足の娘采女に執心で、その行方を詰問するために拷問すべく、大判事に久我之介を差し出せと出仕を命じ、久我之助との関係を知りながら、定高に、雛鳥を側女として入内させよと命令するのだが、子供たちが自害することを承知の両方の親が、二人の首を討つ決心をする。定高が、雛鳥の首に死化粧を施して、その首を小さな籠に乗せて、雛人形と一緒に、吉野川を流して悲しい嫁入りが行われる。この時、下手の妹山の仮床に、琴があしらわれて悲しくも美しい雛流しの名曲が奏されるのだが、日本古典芸能の美の極致と言うべきであろう。籠を引き寄せた大判事が、瀕死の状態の久我之介に雛鳥の首をかき抱かせて、首を討ち、両首を抱えて、吉野河畔に仁王立ち。

   歌舞伎のこの舞台は、上手にも花道が設えられて、左右の両花道から大判事と定高が登場して、客席が吉野川と言う設定で掛合いが展開されるのだが、
   文楽の「山の段」は、上手に背山を語る本床と、下手に妹山を語る仮床がしつられられて、竹本座系の力強い染太夫風と、豊竹座系の華やかな春太夫風の義太夫の共演と言う凄い舞台が展開される。
   背山の大判事は千歳太夫、久我之介は籐太夫、三味線は前・藤蔵、後・富助
   妹山の定高は呂勢太夫、雛鳥は織太夫、三味線は前・清介、後・清治、琴は清公
   プログラムで、千歳太夫と呂勢太夫が、意気込みなど芸について語っているが、両者必死の競り合いで、丁々発止で火花の炸裂する凄い共演を見せて魅せて貰って感激であった。
   私など、簑助の雛鳥と和生の定高を間近に観たくて、下手前方の席に居たので、この義太夫の凄い共演の直近で聴くと言う臨場感たっぷりの幸せを噛み締めることができた。
   勿論、大判事の玉男、久我之介の玉助も、最高峰の人形を遣って観客を魅了し、これだけの素晴らしい文楽を魅せるのであるから、チケットが、早々に、ソールドアウトになっていたのは当然であろう。

   3年前の秀山祭歌舞伎で、「妹背山婦女庭訓 吉野川」を大判事清澄に吉右衛門、その子久我之助に染五郎(現幸四郎)、そして、太宰後室定高に玉三郎、その娘雛鳥に菊之助、さらに、腰元桔梗に梅枝、小菊に萬太郎と言う願ってもない布陣で、素晴らしい舞台を魅せて貰ったのを思い出す。
   理屈はともかく、この「山の段」「吉野川」は、凄い舞台なのである。
   

   感動の舞台を、国立劇場のHPから、写真を借用して掲載しておく。
   
   
   
   
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国立小劇場・・・文楽:通し狂言『妹背山婦女庭訓』(1)

2019年05月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   通し狂言『妹背山婦女庭訓』。
   五段目 志賀都の段、入鹿が討たれて帝が復位し、平和が訪れ、新都志賀の都で忠臣たちへ恩賞が授与され、久我之助と雛鳥の供養が行われる。 と言うこの段だけは、省略されているのだが、全段、丁寧に上演されたので、今回の通し狂言は、朝10時半から、夜の9時までの長時間にわたる非常に意欲的な舞台であった。
   しかし、20何年も、劇場に通って、歌舞伎や文楽に通い詰めていると、みどり公演ではあるが、殆どの舞台を、切れ切れだが観ていることが分かって、その鑑賞履歴を、つなぎ合わせながら観ていると言うことであって、不思議な感じがした。
   それに、朝から晩まで、連続して観ていると、いくら期待の通し狂言だと言っても、正直なところ、三段目の、あまりにも充実した素晴らしい「山の段」が頂点で、その後の「道行恋苧環」の冴えない義太夫に興ざめして、大舞台である四段目の「三笠山御殿〈金殿〉の段」さえ、苦痛になって来た感じで、先日のワーグナーとは、違った思いだったが、緊張は、5時間が良いところだと、一寸、歳を感じてしまった。

   昼の部は、義太夫を聴こうと思って、上手側前方に席をとったのだが、夜の部は、簑助の遣う雛鳥をじっくりと観たくて、妹山に直近の下手前方の席に移った。
   好都合だったのは、右手に設えられた演台にも直近で、凄い義太夫の掛合いを、臨場感たっぷりに堪能できたことである。

   通し狂言としては、「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」と言った三大浄瑠璃が傑出しているのだが、「妹背山婦女庭訓」も、人気浄瑠璃で、みどり公演では、三段目の「山の段」や、四段目の「杉酒屋の段」や「道行恋苧環」や「三笠山御殿〈金殿〉の段」などは、文楽でも歌舞伎でも、頻繁に上演されていてお馴染みである。
   今回は、傍若無人の蘇我蝦夷が息子の入鹿の策謀で自害に追い込まれて、その後、入鹿が帝位を簒奪すべく更なる巨悪となって台頭する初段と、宮中に乱入した入鹿を避けて、盲目の帝を、鎌足や息子の淡海が、猟師芝六じつは家臣玄上太郎の山中の家に匿って目を治し、鎌足たちによる反撃準備が始まると言う二段目が加わったので、面白くなっている。
   入鹿は父蝦夷が白い牡鹿の血を妻に飲ませて産ませた子供なので超人的な力を持っており、芝六は、入鹿を滅ぼすためには、爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要と知って、この二段目で、禁を破って葛籠山で爪黒の神鹿を射殺す。
   疑着の相の女の血は、四段目で、騙し抜かれて嫉妬に狂ったお三輪が鱶七に殺されて、その血と爪黒の鹿の血とを混ぜて注いだ笛を吹いて、入鹿の正気を失わせて殺すと言う手はずになっているのである。

   さて、橋本治の「浄瑠璃を読もう」によると、この浄瑠璃は、「超人的な悪人である入鹿が対峙される話である」。誰が、入鹿と対峙して殺すのか、その他大勢が寄ってたかって入鹿に立ち向かうので、誰だかよく分からないし、ストーリーを支える主役がいない。入鹿を退治する話でありながら、全編の主役が、退治される入鹿なのである。と言っている。

   もう一つ、面白い指摘は、入鹿と対峙したのは誰だか分からないと言いながら、誰が大悪人入鹿に立ち向かうのかと言うと、男ではなく、女の入鹿の妹橘姫なのであると言う。
   確かにそうで、鎌足も淡海も大判事も、男らしく入鹿に対峙している人物は誰もおらず、淡海に至っては、お三輪を誑し込むだけの卑怯な優男で、座頭役者が重々しく格好をつけて演じる大判事など、何処が偉くて立派なのか、全く分からないほど骨がない。
   強いて、男らしく筋を通してい生き抜いたのは、久我之介くらいであろうか。
   
   それでは、何に感動して、この「妹背山婦女庭訓」を観るのであろうか。
   
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團菊祭五月大歌舞伎・・・夜の部「京鹿子娘道成寺」ほか

2019年05月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   團菊祭五月大歌舞伎は、菊之助の長男尾上丑之助襲名初舞台公演で話題を呼んでいる。
   私が観たのは夜の部で、プログラムは、
   令和慶祝 鶴寿千歳、
   絵本牛若丸、
   京鹿子娘道成寺、
   曽我綉俠御所染 御所五郎蔵

   「絵本牛若丸」が、その初舞台公演で、
   この作品は、昭和59年の六代目尾上丑之助(現 菊之助)初舞台披露のため、村上元三によって書き下ろされた作品で、時を経て、今回、新丑之助が牛若丸となって、源氏の再興を夢見て旅立つ舞台である。ポスターのように、中央でしっかりと足を踏ん張って、六韜三略虎の巻を手に持つ牛若丸は、頼もしい立ち姿を見せて、祖父の両人とも人間国宝と言う歌舞伎界最高峰の菊五郎と吉右衛門、そして父の菊之助をはじめとした多くの俳優らが舞台に登場し、丑之助の歌舞伎俳優としての門出を華やかに祝う。と言う趣向である。
   牛若丸と弁慶のイラストは、宮崎駿監督による絵で、意匠の原画はロビーに展示されていたとかだが、見過ごしたけれど、
   祝幕には、この宮崎駿監督の意匠を背景に、鞍馬山と京の都、そして音羽屋の家紋が描かれていた。
  
   
   
  両祖父の菊五郎の鬼次郎、吉右衛門の鬼一法眼と一緒に舞台中央にせり上がって夜叉王義経の丑之助が登場、劇中で、父の菊之助が加わって、口上になって「宜しくお願いします」と挨拶する丑之助に盛大な拍手と「音羽屋!」の掛け声、攻め来る平家の侍に「ちょこざいな。牛若丸の手並みを見よ!」と言い放って、派手な立廻りを披露して薙ぎ倒して、奥州へと旅立つべく、菊之助の弁慶に肩車されながら花道を去って行く。
   30分一寸の短いご祝儀舞台だが、時蔵、雀右衛門、海老蔵、松緑、左團次など人気役者が登場して、華を添える。

   随分、前に、文楽で、鶴澤寛太郎の披露口上で、初代吉田玉男が、サラブレッドと言う表現で披露していたが、この表現はともかくとして、伝統継承の最たる日本古典芸能の家が総ての梨園としての歌舞伎界での七代目丑之助の恵まれた境遇は、素晴らしい未来を予言しているようで、非常にエポックメイキングな舞台であったような気がしている。

   次は、女方舞踊の大曲、「京鹿子娘道成寺」で、これを美しくて格調の高い華麗な舞台として見せて魅せるのは、玉三郎と菊之助以外にはいないであろう。
   その菊之助の白拍子花子が、衣装を取り換え引き換えて、引抜きで衣裳を替えて日本芸術の極致を披露し、優美で美しい踊りで観客を魅了、
   ラストシーンで、鐘の上によじ登って見せる執念の化身として蛇体に姿を変えた花子の妖艶な美しさ、
   私は、歌舞伎や能の衣装の凄さ美しさに、途轍もない日本文化の美意識と美的感覚の極致を実感して感激し続けている。

   夜の部の團菊愛祭と銘打って演じられた夜の部で、團菊らしき舞台は、丑之助披露公演とこの菊之助「京鹿子娘道成寺」。
   昼の部の海老蔵の「勧進帳」や菊五郎の「め組の喧嘩」の方が、團菊祭と言えたのであろう。
   「令和慶祝 鶴寿千歳」と 「曽我綉俠御所染 御所五郎蔵」も、興味深い舞台で楽しませてもらった。
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四月大歌舞伎・・・新版歌祭文 座摩社・野崎村

2019年04月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座には、昼の部に出かけた。
   プログラムは、次の通り。
   
   平成代名残絵巻
   新版歌祭文  座摩社・野崎村
   寿栄藤末廣 鶴亀
   御存 鈴ヶ森

   「平成代名残絵巻」は、平成最後の歌舞伎座公演の幕引きを飾る新作の華やかな舞台とかで、平家の建礼門院や時子や徳子、知盛が登場したかと思うと、源氏方の遮那王や常盤御前が登場して白旗が・・・
   何故、これが、平成の世を讃える一幕なのか、私には良く分からない舞台であった。
   福助が、座ったままだが常盤御前で元気な姿を見せて、遮那王(義経)の児太郎と親子共演。

   「寿栄藤末廣 鶴亀」は、藤十郎の米寿を祝う絢爛な舞台で、女帝の長寿と弥栄を願って舞う祝儀舞踊。
   猿之助が、亀で、鴈治郎の鶴とともに、色を添えていた。

   「御存鈴ヶ森」は、夜の鈴ヶ森が舞台で、白井権八(菊五郎)と幡随院長兵衛(吉右衛門)とが運命的な出会いを交わす一連のシーン。
   任侠の大親分幡随院長兵衛はともかくとして、前髪の美少年と言う設定の白井権八を、大勢の雲助たちを見事な刀さばきで次々と切り倒して、その様子を見ていた幡随院長兵衛が感服して見とれると言う肝心の筋書きだが、いくら決定版だとしても、果たして、歌舞伎界最高峰の人間国宝二人が・・・
   隣に座っていた二人連れの婦人は、何時も見慣れた舞台なのか、幕開き前に帰ってしまった。

    私が観たかったのは、新版歌祭文 座摩社・野崎村 であった。

   今回の「新版歌祭文」は、「野崎村」の前段の「座摩社」の場が、約40年ぶりに上演されたとかで、錦之助の丁稚久松が、雀右衛門の油屋の娘お染との忍び逢い、しっぽりと濡れた後で、久松を追い出して油屋を我が物にしようと企む又五郎の手代小助に、集金してきた商い銀を贋金とすり替えられて、紛失した罪を着せられて油屋を追われると言う経緯が描かれていて、次の場で、何故、久松が「野崎村」に帰えされてきたのかが良く分かる。歌六の育ての親久作のもとに帰ってきた久松は、久松に思いを寄せていた時蔵の久作の娘お光と祝言を挙げようとした直前に、お染が、久松を追ってやって来る。久作に意見されて分かれる決意した二人だが、心中する決心であることを見抜いたお光は、出家を決めて嫁入り衣装ではなく尼姿で登場する。そこへ、秀太郎のお染の母である後家お常がやって来て、事情を呑み込んで二人を連れ帰ることにして、お染が舟で、久松は駕籠で、大坂に帰っていく。お光と久作は、断腸の悲痛で、去り行く二人を見送り、お光は、崩れ落ちて久作にしがみ付き親子で慟哭する。

   養い子の久松と妻の連れ子お光とを夫婦にしたいと思っていた久作は、なくした金と同額を小助に突き出して叩き出し、久松の帰りを幸いと、二人の祝言を進め、また、お染が久松恋しさにて来た時にも、お染と久松に、お夏清十郎の話をして別れるべく説得するのだが、このあたりの義理と人情の鬩ぎあいや親子の情愛の辛さ悲しさなどを掻き口説いて泣かせる名優は、歌六が最右翼であろうと思う。
   それに、この舞台の主役は、何と言ってもお光を感動的に演じた時蔵で、健気で真実一路の哀切極まりない乙女の奥ゆかしさと固い心根、しかし、弱くて儚い女心を覗かせながら切々と演じぬいた至芸。
   お染の雀右衛門と久松の錦之助は、誠心誠意、純愛を貫けばよい役柄で、地を行く熱演、
    真山青果 の「元禄忠臣蔵」の、「大石最後の一日」での、浪士の磯貝十郎左衛門とその許婚のおみのの純愛を演じた二人の素晴らしい舞台を思い出して観ていた。
   悲劇でありながら、前半、この舞台を面白くするのは、惚けた調子の小賢しく悪知恵の働く手代小助の又五郎のコミカルタッチの演技、凛々しい侍をやらせれば天下一品の役者でありながら、ぬけ作をやらせても、実に上手い。

   ところで、今回の野崎村は、省略版で、お光が髪を切って尼姿になって登場した後に、別室で病気で寝ていた何も知らない母が出てきて、目が見えないので取り繕うとするのだが、ばれてしまう、悲しくも切ない愁嘆場のシーンが省略されている
   その様子に耐えらなくなったお染や久松が死のうとする。
   お光の心が分からなければ自分が死ぬと久作、そして、久作が死ぬのなら自分もとお光と母も一緒に死ぬと取り乱す。義理と人情と恩愛の板挟みで死ぬことも出来ず窮地に立ったお染久松・・・そこへ、お園の母お勝が登場する。
   このシーンは、そのまま、今回の舞台の終幕へも繋がって行く。

   ところで、お染久松の浄瑠璃で別バージョンがある。
   5年前に見た文楽の菅原専助の「染模様妹背門松」。
   その時のブログを引用すると、
    油屋の娘お染(清十郎)が、主家筋の山家屋清兵衛(玉志)への嫁入が決まっているのだが、丁稚の久松(勘彌)と相思相愛で、久松の子を身籠っていて、切羽詰っている。
   お染の母おかつ(簑二郎)や久松の父百姓久作(和生)の説得で、久松は在所へ帰り、お染は嫁ぐことを了承したのだが、心中を恐れて閉じ込められた蔵の中で久松が、座敷でお染が、夫々命を絶つ。
   大恩あるお主の家に疵を付けた身は死ぬしかないと久松、久松を死なせて嫁入して生き恥を晒すよりは、一緒に死んで未来で契りを交わした方が良いとお染、世に出ることのないお腹の子を不憫に思いながら、二人はあの世へ旅立つのである。
   今回、「座磨社」の舞台で、二人が、山伏法印(松之助)の留守宅に忍んで逢引き中に、覗き見た法印が、床を擦るような音がすると言っていたから、お染が身籠る可能性を示唆してはいたが、そこまでは踏み込んではいない。
   とにかく、近松の世界同様、積極的でまっすぐな大坂女お染の爽やかさが、一服の清涼剤で良い。
   
   
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三月大歌舞伎・・・「盛綱陣屋」「弁天娘女男白波」

2019年03月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大分、歌舞伎界も世代交代してきた感じで、「盛綱陣屋」は、まだ、ベテランの重鎮が中心となっているが、「弁天娘女男白波」の方は、一世代若返って面白くなってきた。

   「盛綱陣屋」は、仁左衛門の佐々木盛綱、微妙の秀太郎、早瀬の孝太郎とも、重要な役どころは松嶋屋が抑えおり、それに、雀右衛門の篝火や左團次の和田兵衛秀盛などが加わった感じだが、興味深いのは、子役の活躍で、勘太郎の小四郎と寺嶋眞秀の小三郎が、栴檀は双葉より芳しで、達者な芸を見せてくれていることである。
   特に、小四郎は、子役の中でも傑出した大役でありながら、勘太郎の素晴らしい芝居は特筆もので、20年も早く逝った名優勘三郎が観れば随喜の涙を流したのではないかと思えるほどの出来である。
   10年以上も前に、吉右衛門が盛綱の舞台で、微妙の芝翫に当時の橋之助の三男宣生が小四郎を演じ、実際の祖父と孫との感動的な舞台や、歌舞伎座柿葺落公演での仁左衛門の盛綱での金太郎の小四郎の素晴らしい舞台、中村芝翫の襲名披露興行での尾上左近の小四郎の凄い好演等々、梨園の子孫の格好の舞台を観ていて、感心しきりでもあった。

   この「盛綱陣屋」は、大坂夏の陣を鎌倉時代の近江源氏に仕立てた歌舞伎で、佐々木盛綱が真田信幸、佐々木高綱が真田幸村で、盛綱の主君の北条時政が徳川家康、高綱側の源頼家は豊臣秀頼と言う設定であるから、ストーリー展開が分かり易く、面白い。
   兄弟分かれて、敵対する両方に味方しておれば、どちらかが生き延びて家の断絶は免れると言う戦国時代の知恵であろうか、敵味方でありながら、信幸・幸村兄弟の仲が良かったように、この歌舞伎で、弟高綱の名誉を思う盛綱の心情も良く分かる。
   ただ、高綱が、名将の誉れ高い幸村なら、いくら知将と雖も、非情にも、自分の子供を人質として犠牲にして見殺しにしたかどうかは疑問である。
   敵を欺くため、人質となっっていた弟高綱の子小四郎が、言い含められたとおりに、にせ首を父だといって切腹し、この健気な心に打たれた盛綱は、高綱の戦略を理解して、切腹覚悟で、首実検で主人時政を欺く証言をする。これが、この歌舞伎のメインテーマなのである。
  
   さて、この「盛綱陣屋」は、このブログでの記録は、2005年以降なので、歌舞伎座へ通い始めたのは、その10数年前からであるから、何回も見ているのであろうが、記憶にあるのだけでも、秀山祭での吉右衛門、歌舞伎座柿葺落公演での仁左衛門、芝翫の襲名披露興行での芝翫など、極め付きの名舞台で、仁左衛門の素晴らしい舞台は、これで2度目と言うことになる。
   柿葺落四月大歌舞伎の仁左衛門が盛綱を演じた時には、吉右衛門が和田兵衛秀盛で、篝火は時蔵、早瀬は芝雀(雀右衛門)、微妙は東蔵で、小四郎が金太郎(染五郎)であり、流石に記念すべき素晴らしい舞台であった。
   今回特に感じたのだが、見慣れている筈のこの舞台ながら、仁左衛門の盛綱は、実に端正で様式美の美しさのみならず、大きくうねるような感動を醸し出し、メリハリの利いた澱むことのない芝居展開が心地よく、更に新鮮な物語として蘇って来て、二重にも三重にも楽しませてくれたことである。
   
   Kabuki Webによると、近江源氏先陣館~盛綱陣屋は、
   戦場で心ならずも敵同士となった兄と弟。兄は弟を案じ、弟は子を犠牲にしてまでも再起を図り、母は兄弟の板ばさみに苦悶する。戦のために引き裂かれる家族の悲劇。
   盛綱は、弟高綱の名誉のために、母微妙に、人質の小四郎を切腹させてくれと頼み、止む無く承知して小四郎に迫る微妙だが、逃げ回る孫の小四郎に手を下せない肉親の苦悩を秀太郎は実に感動的に演じ、
   逃がすべく忍んで来た母篝火:雀右衛門尾の苦悩、兄嫁早瀬:孝太郎の思いやり、・・・とにかく、盛綱をはじめ、戦国故に、引き裂かれた肉親の忠君、義理人情の板挟みに泣く姿を描いて悲しくも心に染みる舞台を展開する。

   さて、「弁天娘女男白波」だが、面白かった。
   奇麗なお姫さま然として登場した弁天小僧菊之助が、強請りと男だと見破られて、もろ肌脱いで、「 知らざあ言って 聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が 歌に残せし盗人の 種は尽きねぇ七里ヶ浜・・・」名調子で啖呵を切るこのシーン、
   菊五郎の専売特許のような舞台で、これが、決定版であろうが、一寸砕けた感じで、違った雰囲気の猿之助の弁天小僧も、楽しませてくれる。
   私など、女形の亀治郎から観ているので、花道から登場する乙女姿の方がシックリ行くのだが、一変して、べらんめえ口調と言うかパンチの利いた口調の男に早変わりすると、目も覚めるような鮮やかな啖呵、
   その後の居直った強請りと掛合いが面白い。

   これに、花を添えたのが幸四郎の南郷力丸、
   奇数日には、この幸四郎が弁天小僧を日替わりで演じているののだが、お嬢様を押し出して、浜松屋を強請ろうとする悪であるから、知能犯なのだが、脅しと惚けた雰囲気綯交ぜのキャラクターで、このあたりの軽い芝居も実に上手くて、猿之助との絶妙な共演が出色である。
   この舞台、重鎮白鷗が、日本駄右衛門で登場して舞台を締めているが、菊五郎の舞台のように、名優やベテランで固めた決定版とは違って、亀鶴や笑也が、白波五人男に加わるなど、新鮮な舞台で、楽しませてもらった。
   
   
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3月琉球芸能公演「組踊と琉球舞踊」

2019年03月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日の国立劇場は、「組踊と琉球舞踊」、天皇陛下御在位30年記念、国立劇場おきなわ開場15周年記念、組踊上演300周年記念実行委員会共催事業と銘打っての記念公演で、第2部の琉球舞踊の「汀間美童」から、天皇皇后両陛下がご来臨になり天覧公演となった。
   客席総立ちで、拍手喝采、お迎えお見送りをして、両殿下は、丁寧にお応えになっておられた。
   両陛下を間近に拝見するのは、1978年に、ブラジルで、日系ブラジル移民70周年記念の時の記念行事と晩餐会の時で、これが二度目、感激である。

   プログラムは次の通り、人間国宝以下、国立劇場おきなわが総力をあげての満を持しての大舞台であった。
   これまで、組踊は、能舞台で観た方が多いのだが、大劇場の大舞台にもしっくりフィットする素晴らしいパーフォーマンス・アーツなのである。

【第1部】 組踊「辺戸の大主(へどのうふぬし)」
辺戸の大主 宇座仁一
辺戸の大主の妻 阿嘉修
辺戸の比屋 石川直也
辺戸の子  川満香多
孫(娘) 大湾三瑠・東江裕吉・新垣悟・宮城茂雄・大浜暢明・田口博章・
伊野波盛人・仲村圭央
孫(若衆) 上原信次・玉城匠
孫(二才) 天願雄一・上原崇弘

地謡=<歌・三線>新垣俊道・仲村逸夫・仲村渠達也、
<箏>池間北斗、<笛>入嵩西諭、<胡弓>新城清弘、<太鼓>比嘉聰

【第2部】 琉球舞踊
浜千鳥(ちじゅやー)
松田恵・山川昭子・宮城りつ子・上原美希子
むんじゅる
玉城節子
汀間美童(てぃーまみやらび)
志田房子
花風(はなふう)
宮城能鳳
くば笠の鳩間節(くばがさのはとまぶし)
 大湾三瑠・阿嘉修・東江裕吉・新垣悟・田口博章

地謡=<歌・三線>新垣俊道・仲村逸夫・仲村渠達也/花城英樹・玉城和樹・神谷大輔、
<箏>池間北斗、<笛>入嵩西諭、<胡弓>森田夏子、<太鼓>宮里和希

【第3部】 組踊「二童敵討(にどうてぃちうち)」
あまおへ 玉城盛義
鶴松 佐辺良和
亀千代 宮城茂雄
母 海勢頭あける
供 石川直也・宇座仁一・玉城匠
きやうちやこ持ち 上原信次

地謡=<歌・三線>西江喜春・花城英樹・玉城和樹・神谷大輔、
<箏>宮里秀明、<笛>宮城英夫、<胡弓>新城清弘、<太鼓>比嘉聰

   今回は、最前列ほぼ中央の席を取ったので、存分に楽しませてもらった。
   今年11月の国立能楽堂の組踊の舞台を楽しみにしている。

   組踊「辺戸の大主」は、120歳の太主の祝で、家族全員が集まって、踊り歌って長寿を寿ぐと言う祝祭ムード全開の組踊で、大主の前で、琉球舞踊の「女舞」を中心に、「若衆踊」「二才踊」そして、最後に、太主たちが踊る「老人踊」が踊られると言う、組踊と琉球舞踊が、一気に楽しめると言う興味深い組踊である。
   松竹梅と鶴亀をあしらった紅型模様の薄膜の幕をバックにして優雅な踊り風景が展開されるのだが、その薄膜の陰に陣取った地謡の人々の姿が微かに見えて、サウンド効果を存分に楽しませてくれる。
   とにかく、すべて男性であるはずなのだが、「女舞」の優雅さ美しさ、
   沖縄出身の美人女優が多いのだが、この「女舞」の達人たちは、びっくりするほど美しくて魅力的である。

   琉球舞踊は、組踊と違って、最後の「ば笠の鳩間節」以外は、全員女性の舞踊家の舞台で、組踊の踊りと一寸した差があって興味深かった。 
   創作舞踊の「汀間美童(てぃーまみやらび)」は、志田房子師の自作自演で、ダークブルー一色ののバックに、やや上手よりの中空に大きな満月、優雅で静かな踊りから始まる素晴らしい踊りであった。
   花風(はなふう)は、人間国宝宮城能鳳師の凄い踊り。
   愛しい人を思いながら、「私は一人どうしてお待ちしましょうか」地謡の楽に乗って、後ろを向いて、広げてさした傘の端を左手で摘まんで、静かに静かに下手に消えて行くラストシーン。

   組踊「二童敵討」は、私など知識不足なので、「曽我兄弟」の仇討物語がオリジンだと思ったのだが、能「放下僧」だと言う。
   能「放下僧」は、
   下野国の牧野小次郎は父の仇利根信俊を討とうと、兄の加勢を頼んだところ、出家の身故に断られるのだが、中国の故事を引用し説得して、2人は仇討ちを決心する。敵に近づくために、放下になって故郷を後にする。利根信俊は夢見の悪いので瀬戸の三島神社に参詣する途中で 浮雲・流水と名乗る2人の放下に出逢い、2人は団扇の謂れや弓矢のことを面白く語り、禅問答を交わしたりして取り入る。2人は曲舞や鞨鼓、小歌などさまざまな芸を見せて相手を油断させ、その隙をついて敵討ちを果たす。

   一方、組踊「二童敵討」は、
   天下取りの野望に燃える勝連城主の按司[城主]阿麻和利(あまおへ)は、首里王府に偽りを言って、邪魔な中城城主・護佐丸を攻め滅ぼし、同時に、その子ども達も皆殺しして根絶やししたと豪語して、天下取りのため近く首里王府へも攻め入ろうと考えて、野に出て酒宴を広げ遊び惚けて、勝ち戦のための願等家来に準備を命ずる。
ところが、殺したはずの護佐丸の遺児鶴松と亀千代の兄弟は、落城の際に敵の目を逃れて生きていて、母のもとで成長し、敵を討つ機会を狙っていた。仇討を決心した2人は、阿麻和利が野遊びをすると聞きつけて、酒盛りをしているところに、踊り子に変装して近づく。美少年の踊りを見て感激した阿麻和利が、踊りを所望し、杯を注がせ、2人の踊りに良い気持ちになって酒をあおって酔いつぶれて、気が大きくなって、褒美に、自らの大団扇と太刀を与え、さらに、自ら着ている羽織なども、次々に与える。2人の兄弟は、丸腰になって醜態を晒した阿麻和利のすきを見逃さずに追い込んで、首尾よく父の敵を討つ。

   仇討ものでは、良く似た有名曲で、組踊「万歳敵討(まんざいてきうち)」があり、
   浜下り(はまおり)を聞きつけた謝名兄弟が、旅芸人に姿を変え浜遊びの場に近づいて高平良御鎖を追い詰め、見事父の敵を討ち果たす。と言う物語である。
   組踊には、仇討物が多いようだが、歴代朝廷の支持を得、政治権力と一体となって中国の社会・文化の全般を支配して儒教の影響もあって、接待される中国人冊封使には、大変喜ばれたのだと言う。

   この組踊の「二童敵討」だが、殆ど能に近い動きの少ない舞台なのだが、しかし、阿麻和利(あまおへ)は、能ほどセーブした立ち居振る舞いではなくて、動きも表情もかなりリアルに演じているので、その意味では、見得の美しさも含めて歌舞伎の舞台にやや近いと言う感じはするのだが、そのあたりの微妙な差は、非常に興味深い。
   それに、阿麻和利のトドメを刺すシーンは、舞台上では表現せずに、舞台の陰に追い込んで、その後、兄弟が登場して成功を述べ「踊って戻ろう」と舞台を後にして終わると言う、舞台を綺麗に終わらせると言う感じで、これまで見た組踊の舞台も、ハッピーエンドないし綺麗なエンドであったような気がする。
   これが、沖縄芸術の美意識なのであろう。
   この舞台での見せ場は、阿麻和利の登場の名乗りと見得、母と兄弟との別れ、兄弟の優雅な踊り、阿麻和利が酔っ払って次から次への「取らそう、取らそう」と丸腰になっていくところ等々、これも、能より動きや表現が、ビビッドであるところが、面白い。

   組踊は、優雅で美しくて、何度見ても感激するのだが、どこか、もの悲しい哀調を帯びたサウンドと独特な抑揚の口調に、琉球と言うか沖縄のイメージとダブって感慨を禁じ得ない。
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国立劇場二月文楽・・・「桂川連理柵」

2019年02月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   学生時代に、東一条に行かずに、途中の桂で下車して、嵐山や嵯峨で古社寺散策に沈没していたので、桂川は、馴染みの川である。
   1761年4月に、この桂川の川岸で、38歳の男性と14歳の女性の遺体が発見されて、これを題材にしたのが、浄瑠璃の「桂川連理柵」である。
   この文楽では、心中話になっているが、実際は、殺人だとも言われている。

   作者は、菅専助で近松半二も関わっていると言われているが、暗くて行き場のない近松門左衛門の心中物とはだいぶ趣を変えていて、ストーリーとしてはすっきりとして筋が通っていて分かり易い。
   それに、必ずしも、明るい話ではないのだが、登場人物に適度なバリエーションもあって、チャリバで、人形が笑い転げるシーンもあって面白い。

   信濃屋の娘お半が、伊勢参りから戻る途中に、遠州から戻る帯屋の跡取り長右衛門に出会い、同じ石部の宿屋出刃屋に泊まったのだが、丁稚長吉が夜這いを掛けて迫るので、困ったお半が、夜中に長右衛門の部屋へ逃げ込んでくる。子供だと思っていたので、自分の布団の中に入れて寝るのだが、不覚にも契ってしまう。
   この噂が広まって、長右衛門を追い出して乗っ取ろうとしている帯屋の後妻おとせ(勘壽)と連れ子の儀兵衛が、お半が長右衛門にあてた手紙を証拠に、執拗に、紛失した金の詮議に託けて追及するのだが、妻のお絹が、宛名長さんまいるは、長右衛門ではなくて長吉だと言いくるめて、親・隠居繁斎(玉輝)が、金の話は主人は長右衛門なので長右衛門の勝手だと言って収まる。
   苦しい胸の内を掻き口説くお絹の誠意に涙してうたた寝したところへ、身籠って切羽詰まったお半が死を覚悟して最後に会いたさにやってくる。労って返すが、気になって門口に出ると、書置きが落ちていて桂川で身を投げる覚悟であることが分かる。
   長右衛門は、父繁斎やお絹への申し訳なさ、お半が自分の子を身籠っていること、お屋敷から預かった脇差が偽物にすり替わっていることを嘆き、自分に愛想がつき、15年前に芸子と桂川で心中を図って自分だけ助かったのを思い出して、お半が芸子の生まれ変わりのような気がして、桂川での心中を決心する。
   ラストシーンが、お半を背負った長右衛門、二人が桂川を上ってゆく「道行朧の桂川」。
   悲しくも切ない幕切れである。

   帯屋長右衛門を玉男、お半を清十郎が遣い、「帯屋の段」を、呂勢太夫と清治、咲太夫と燕三の、実に感動的な義太夫と三味線が、更に感動を呼ぶ。
   上質な西洋映画を見ているような感じがして、何故か、イギリスで通い詰めたロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台を思い出していた。

   この帯屋の段の冒頭部分は、お半の長右衛門への手紙を手に入れた儀兵衛(玉佳)が、皆にその手紙を読んで聞かせて、お絹(勘彌)に、長さんは、長右衛門ではなくて長吉(文昇)だと言われて、鼻たれ小僧の長吉が、お半の相手である筈がないと思いながらも、呼び出してきて、笑い転げながら掛け合い、長吉は、お絹に言いくるめられているので、もじもじしながら、お半は自分の女房だと答える。
   この舞台は、20分ほど続くのだが、太夫の語りも人形の遣い手も大変な熱演で、感動ものである。
   YouTubeで、このシーンを、儀兵衛を先代の勘十郎、長吉を簑助、義太夫を住大夫と言う人間国宝そろい踏みの至芸を観ることができる。この舞台、長右衛門を初代玉男、お絹を文雀、これも人間国宝が遣っていた。

   後半の長右衛門とお絹が二人で交わすしっとりとした人間模様、そして、貞女の鏡ともいうべきいい女のお絹のクドキなど秀逸で、長右衛門とお半の別れのシーンなども、しみじみと余韻を残す、咲太夫と燕三の名調子が胸に染みる。

   余談になるが、この「桂川連理柵」で思い出すのは、落語の「胴乱の幸助」。
   桂雀三郎の上方落語で、この「胴乱の幸助」を聴いて面白かった。
   仲裁好きの幸助が、浄瑠璃「お半長」の稽古を聴いて、本当の話だと早合点して、京都の「帯屋」へ行って仲裁すると言う奇天烈な話である。

   喧嘩の仲裁をするのが道楽の割り木屋の親父の幸助が、浄瑠璃の稽古屋の前で、「桂川連理柵」お半長右衛門「帯屋の段」の嫁いじめの所の稽古を聞いて、浄瑠璃を知らないので本当の話だと思って、大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降りて、尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に行って仲裁をしようとして、お半と長右衛門をここへ出せと言う噺で、桂川で心中したと言われて、オチが、「汽車で来れば良かった。」と言うとぼけた話。
   丁度、「帯屋の段」で、長右衛門の継母・おとせが、長右衛門の妻・お絹をいびるシーンの稽古中で、思い余った幸助が、稽古屋に飛び込んで上がり込み、驚いた義太夫の師匠が、「ここのうちがもめてンのと違いまンねん。京都の柳馬場押小路虎石町の西側に『帯屋』いう家がおまンねん。・・・」と、「桂川連理柵」と言う浄瑠璃の話だと説明するのだが、熱心にメモを取った幸助はフィクションだと分からずに、「そうか。わしはこれから京へ行て、帯屋のもめごとを収めてやる」と宣言して、淀川の夜船で京へ向かう。 と言う噺である。
   桂川で心中したと言われて、オチは、汽車で来れば良かった。

   米朝の名調子を、YouTubeで見られるが、ここでは、いくら説明しても、浄瑠璃の話だと言うことが理解できないので、稽古屋の方でも、そやったら京へ行って下さいと煽っており、浄瑠璃ぶち壊しだが、幸助が「帯屋」を見つけて頓珍漢の話をするのも面白い。

、  「お半長」は、子供でも知っている話とか、浄瑠璃人気もホンモノであったようである。
   
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二月大歌舞伎・・・「名月八幡祭」

2019年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   尾上辰之助三十三回忌追善公演で、「名月八幡祭」の主役縮屋新助を子息の松緑が演じた。
   私としては、松緑の新境地の舞台を観た感じで、楽しませてもらった。

   河竹黙阿弥の作品を土台に、人間の明暗を描く愛憎物語の新作歌舞伎だと言うのだが、ストーリーは次の通り。
   越後の真面目一方の行商人縮屋新助(松緑)は、深川芸者の美代吉(玉三郎)に一目ぼれして正気を失うほど思い詰めるのだが、美代吉にはに、藤岡慶十郎(梅玉)と言う旦那があり、その上に、船頭三次(仁左衛門)という箸にも棒にもかからないどうしようもないヤクザな情夫までいる自由気ままで奔放な女である。美代吉は、三次にたかられ続けるなど生活にまで困窮して、深川大祭に必要な100両が用意できずに困ってしまい、母およし(歌女之丞)の入知恵で、思い詰めて心の丈を掻き口説く新助に、所帯を持つ約束をして金の工面を頼む。天にも昇る思いで、新助は、江戸に来ていた同業者に故郷の家や田畑を売り払って金を工面して喜び勇んで帰ってくるが、その直前に、旦那からの手切れ金100両が届いていて、美代吉は、金の心配がなくなったので、急に態度を変えて新助を追い払う。
   裏切られ狂乱した新助は、八幡祭の日に、美代吉を殺害する。
   
   物語の筋なり主題は、「籠釣瓶」と瓜二つで、あばた面の田舎商人次郎左衛門が新助に代わり、吉原の花魁八つ橋が、美代吉に代わっただけであり、遊び人でヤクザのヒモの栄之丞が三次に代わっただけであり、世間知らずで純粋無垢のいなか商人が、思い詰めた女に袖にされて、最後には殺害してしまうのも全く同じ。
   バリエーションとしての変化には、それなりの魅力はあるのだが、たとえば、今回の舞台には、新助の美代吉への恋心は本物だとしても、殆ど話をしたことのない当事者同士が、行き当たりばったりと言うか、一気に一緒に住む約束までして、金の工面にすがるストーリー展開が、唐突過ぎる感じがして、物語全体としても、「籠釣瓶」ほどの深さはないような気がした。

   しかし、そんな野暮な話は別として、そこは名優の名優たる所以で、最初は遠慮気味に抑えに抑えて話し始めて、少しずつテンションをアップして、成り行き任せで、新助をその気にさせてゆく玉三郎の芸のうまさ。
   それに、実直で商売以外には能のないいなか商人の松緑では、これまで、このようなキャラクターの舞台を観たことがなかったので、中々、いいムードを醸し出していて面白いなあと思って観ていた。 

   この美代吉や八つ橋を見ていて、高尾は別だが、なぜそんなに、行き当たりばったりで都合よく生きようとするのか、近松門左衛門が描く大坂女のお初や梅川など、下級の遊女が如何に誠を生き抜いたか、その落差が何なのか、一寸考えさせられた。

   この舞台で、さらに面白かったのは、遊び人で何のとりえも魅力もないヒモ三次を演じた仁左衛門で、美代吉に会うべく登場してくれば、必ず、5両都合してくれと金をせびる役どころで、最後は、振られて泣き崩れている新助を踏んだり蹴ったり毒ずく役まわり。
   しかし、結末シーンで、心配してやってきた魚惣(歌六)に促されてすごすご引き上げていく新助を見送る美代吉と三次が、下を向いてシュンとしているシーンを見て、まんざら、根っからの悪人ではなさそうだと思わせるあたりは、さすがに、庶民のストーリーであって面白いと思った。

   昔、玉孝時代を築いて一世を風靡した玉三郎と仁左衛門だが、今回の両人間国宝で東西きっての名優の舞台としては、異質であったと思うのだが、私には、意表を突いた舞台で興味深かった。
   
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国立劇場二月文楽・・・「壇浦兜軍記」

2019年02月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の大阪国立文楽劇場に続いての「壇浦兜軍記」の鑑賞である。
   先月は最前列で観ていたが、今回は、3曲を弾く寛太郎の演奏を身近に鑑賞したくて、舞台右寄りのややバックした前方の席を取った。
   当然のことだが、太夫も三味線も、舞台の人形とは関係なく、浄瑠璃を演じており、人形が義太夫に合わせると言うことで、寛太郎も、客席の方を向いて、琴、三味線、胡弓を弾いているので、まったく、義太夫のペースで、独演と言った風情である。
   それに、今回気付いたのは、三味線パートのメインプレイヤーは、あくまで、鶴澤清介であって、この3曲の演奏も、清介がリードして伴奏しており、ソロパートの寛太郎を際立たせていると言う感じであった。

   そう思って、勘十郎と一輔(左)の弾く人形の遣い方を観ていると、実に上手いし、実際に人形が演奏している感じに見えるのだが、微妙なところで、寛太郎の手とは違っていて、プロが見るとその差が分かって気になるのではなかろうかと思ったのである。
   尤も、私の場合には、寛太郎のソロ演奏を聴きたくて、今回は劇場に来ており、それに、楽器の使い方など全く知らないので、そんなことには関係なく、寛太郎の演奏も、人形の至芸も存分に楽しませてもらった。
   そう思えば、文楽の三業のコラボレーションによる文楽も凄いが、歌舞伎で実際の3曲を地で演奏して観客を唸らせる玉三郎の芸の卓越振りが、身に染みて分かろうと言うものである。

   興味深かったのは、この3曲の爪弾き用に、人形の手が、特別誂えの手に代わっていて、臨場感たっぷりに演奏しているような感じになって、非常に面白かった。
   勘十郎が説明していたが、左手の3本の指がパタパタ交互に動く仕掛けなど、実際に三味線や胡弓の弦を爪弾いているように見えて中々のものであった。

   ところで、胡弓だが、私など、三味線様の楽器の弦を弓で横に弾くので、中国の二胡の親戚だと思っていたのだが、全く違っていて、日本古来の擦弦楽器、和楽器であり、この舞台でも、重忠が「胡弓擦れ」と命令するのである。
   ニシキヘビの革を張った二胡や沖縄の三線などとは違って、三味線の小型と言った作りなのであって、小型の胴にも拘らず、弓の毛の量も非常に多く、それを緩やかに張ってあって、殆ど、胴の天井に擦りつける様に弾いているのが印象的であった。
   「生写朝顔話」など義太夫節では胡弓が用いられる曲もあって、独特なムードを醸し出していて感興をそそるのだが、琴や三味線の演奏とは違って、胡弓を聴く機会は少なく、まして、今回のようにソロパートが長いのは珍しく、美しい音色に、うっとりとして聴いていた。

   今回は、勘十郎の阿古屋の3曲演奏の様子以外に、舞台の展開によって微妙に変化して行く阿古屋の表情を注視していたが、やはり、心の襞の揺れを人形に託して遣っていて流石に上手い。
   阿古屋の豪華な衣装について、勘十郎は、今回は新調して、奇麗な帯の飾りに2羽の蝶の姿をデザインしたと語っていたが、玉三郎の凄い阿古屋の衣装とはまた違った、豪華さと美しさがあって素晴らしいと思った。

   今回の舞台も、三業とも、先月の舞台と全く同じ(ただし、重忠のダブルキャストは、玉助に)で、感動的な舞台を再現させてくれて、感激して魅せて貰った。
   
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国立劇場二月文楽・・・「大経師昔暦」2019

2019年02月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   丁度、9年前に、この国立小劇場で、「大経師昔暦」を見たのだが、比較的演じられる頻度は低い。
   ふとした過ちから、内儀のおさんと手代の茂兵衛が不義密通を犯した故に、逃避行の末に捕縛される悲しい話で、近松得意とするしっかりした大坂女とがしんたれの大坂男の演じる心中物とは違って、男女の哀歓を語ってしみじみとした余韻を残す。

   おさん(和生)が、借金の身代わりを買って出て窮地を救ってくれたお礼をと思って、下女の玉(簑紫郎)の部屋を訪ねたら、毎夜、夫の以春(玉勢)が夜這いして困ると訴えるので、それなら、逆に夫を懲らしめてやろうと、寝所を入れ替わる。真夜中、以春の印判の無断借用で窮地を救ってくれた玉の愛に報いようと、茂兵衛(玉志)が、玉の部屋に忍び込んで来て、お互いに相手が入れ替わっていることを知らずに契ってしまう。その時、外出先から以春が帰ってきて、出迎える行灯の光が部屋に差し込み、二人は事の重大性を知って驚愕する。
   ところが、西鶴では、おさんが、茂兵衛に恋をしたお玉にラブレターの代筆をしてやったのだが、そのつれないふざけた返事に腹を立てて、偲んで来ると返事が来た時に、悪戯心を起こして懲らしめてやろうと、お玉と寝所を入れ替わる。しかし、宴会の後の疲れで不覚にも寝入ってしまって、あろうことか茂兵衛と契ってしまうと言う話になっていて、その落差が面白い。

   いずれにしろ、玉の仲立ちで、幼な妻のおさんの軽はずみが、悲劇を招くと言うことは同じで、不義密通は加担者も含めて死罪だとする当時の法体制のなせる業。
   尤も、西鶴によると、この以春は、京都きっての遊び人四天王の一人で、男色・女色なく昼夜の別なく遊び暮らし、芝居の後、水茶屋・松尾に並んで道行く女を品定めして、その時見た13か14の超美少女・今小町にぞっこん惚れて、果敢にアタックして嫁にしたのが、このおさん。
   とにかく、今風に言うと、事の起こりは、色きちがいの以春であって、ほおっておかれて、孤閨をかこっていた幼な妻のおさんに悪戯心を起こさせて引き起こした悲劇なのかもしれないと思える。
   近松は、馬で京都の町を引き回されている途中、おさんに、「つまらない女の嫉妬から、何の罪もないそなたまで不義者にしてしまった」と詫びさせているのだが。

   さて、問題のおさんと茂兵衛の濡れ場だが、床本は至ってシンプルで、狸寝入りのおさんが、揺り起こされて目覚めた振りをして「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サァこれこそ』と頷けば」で頭巾で相手を確認して、真っ暗な中で「その手をとって引き寄せて、肌と肌とは合ひながら・・・」なのだが、
  茂兵衛は、玉への礼が主体であり、堅物で初心なのか、肩肘立ててじっと動かずに添い寝しているのだが、おさんの方が、仰向けに寝返って、茂兵衛の首に手を回して身を起こしてしがみ付き 肌と肌を・・・
   すぐに、衝立が引かれるのだが、人形ながらも、ぞくっとするようなリアルなシーンの展開
   おさんは、散々以春をいたぶって、朝になって、鼻を明かそうと言う心算なのだが、

   私が昔から知っていたのは、この二人の不義密通話だけなのだが、これは上之巻で「大経師内の段」であって、もっと質の高い見せ場のある中之巻と下之巻が続いていて、奥行きのある素晴らしい浄瑠璃なのである。

   次の「岡崎村梅龍内の段」では、玉は、伯父で講釈師の赤松梅龍(玉也)の家へ送り返され、また、おさんと茂兵衛も店から逃げ、玉を心配して様子を知るために、赤松梅龍を頼ってゆく。そこへ、娘の身を案じたおさんの親・道順(勘壽)夫婦が来あわせて恨み言を言いつつも、実は娘が救われることを願って路銀を与えて別れて行く。
   その後、「奥丹波隠れ家の段」で、おさんと茂兵衛は、茂兵衛の里奥丹波に隠れ住んでいたのだが、追手が迫り捕縛される。そこへ、梅龍が、不義の仲立ちをしたとして玉を犠牲にして首を持参するのだが、却って無実の証人を失うことになり、二人は護送されてゆく。

   西鶴は、おさんと茂兵衛との不義密通を主題にして男女の性愛を描いたのだが、近松門左衛門は、この「中之巻」を主体にして、おさんと道順夫妻との親子の情愛に重点を置いて、より多くの観客を意識して作劇しており、ここが戯作者西鶴との差であると、大谷晃一氏は語っている。

   近松の浄瑠璃は、もう少し先があって、
   歳は19と25、今日は八十八夜だが、その名残の霜がこの世の見納め・・・馬で京の町を引き回される道行。
   最後は、粟田口刑場の場で、道順夫妻が群衆を押し分けて身代わりを嘆願するが拒絶され、
   黒谷の東岸和尚が駆けつけてきて、持ってきた衣をふたりに打ち掛けて肘を張ってかばうと、諸人は歓声を上げ道順夫妻も喜んで幕。
   史実とも違って、近松は、観客を喜ばせるような脚色をしたのである。

   さて、今回は、おさんを、人間国宝の和生が遣っていたが、以前には、おさんを師匠の文雀が、そして、茂兵衛を和生と言う師弟コンビで演じていたので、今回のおさんは、人間国宝同士の芸の継承であろう。
   岡崎村梅龍内の段の奥を呂太夫、そして、三味線は團七
   先月、大阪で、「冥途の飛脚」を鑑賞できたが、やはり、近松門左衛門は良い。
   
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初春大歌舞伎・・・「一條大蔵譚」ほか

2019年01月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   白鷗の「一條大蔵譚」を観たくて、昼の部を鑑賞した。
   これまで、吉右衛門の舞台を何度か観ており、その指導を仰いだ幸四郎や菊之助の大蔵卿を観ているので、同じ系統であるはずの御大白鷗が、どのような舞台を見せてくれるのか、当然、吉右衛門とは違った芝居を演じるであろうから、それを観たかったのである。

   結果的には、吉右衛門スタイルの一條大蔵卿のイメージが定着してしまっていて、白鷗の大蔵卿に、違和感と言うか、一寸、違った印象で、不思議な感じがして観ていた。
   まず、門から登場して来る冒頭の大蔵卿の表情だが、吉右衛門の場合には、極論すれば、まさに、阿呆丸出しで、ニヤケタ相好を崩した愛嬌のある顔で出てくるのだが、白鷗は、心なしか、阿呆の表情なのだが、特に阿呆を強調するのでもなく、虚弱被膜と言うのか、それ程、表情を崩しては居なかった。
   しかし、以前に、仁左衛門の大蔵卿が、吉右衛門や勘三郎などのように、満面に笑みをたたえた阿呆姿で登場するのではなくて、どちらかと言えば無表情の腑抜けスタイルに近い姿で現れたのを覚えているのだが、それに近い、どちらかと言えば、阿呆は阿呆でも、昔、ロンドンで観たRSCの舞台での、ケネス・ブラナーの悩み煩悶するハムレットに相通じる芸の深みのようなものを感じたのである。

   服装や芸のスタイル、立ち居振る舞いにしても、舞台の進行にしても、白鷗も吉右衛門も、殆ど違いはないのだが、やはり微妙な差があって、大詰めの切り取った勘解由の首を、吉右衛門の時には、首を抱えながら甚振っていたし、仁左衛門の時には、舞台にほおり投げていたのだが、白鷗は、首を抱えたまま、同じスタイルで、相好を崩してガハッガハッと豪快に笑い飛ばしながら幕となった。
   この表情の差と言うか表現の違いが、文武両道に秀でながら源平どちらにも加担せずに阿呆を通しぬいて生きて来た大蔵卿が、「今まで包むわが本心」を爆発させて、鬼次郎夫妻に、苦衷を吐露して義経への檄を飛ばすシーンの激しさ凄さ、そして、その本心に秘められた悲しさ慙愧の思いの深さを表す、夫々の名優たちの思い入れなのであろうと思う。

   この舞台を支えたのが、魁春の風格のある常盤御前、梅玉の端正な鬼次郎と雀右衛門のその妻お京、錦吾の勘解由と鳴瀬の高麗蔵の高麗屋のベテラン、とにかく、きっちりと様式美の整った舞台であった。

   その前に上演された「廓文章」の「吉田屋」は、上方歌舞伎からは、吉田屋女房おきさの秀太郎だけ。
   簡略バージョンであったのか、最後に登場して、ハッピーエンドの提灯持ちだけであったが、高麗屋の三代襲名一周年のお祝で手締めの音頭を取っていた。
   扇屋夕霧を演じた七之助が、新鮮なヒロイン像を披露していて興味深かったし、近松の舞台など上方歌舞伎の優男を演じても様になる幸四郎の伊左衛門も楽しませてもらった。
   しかし、やはり、仁左衛門や藤十郎、鴈治郎たちの伊左衛門の世界で、どんどん、上方歌舞伎の世界が消えて行くようで、寂しさを感じざるを得なかった。
   まだ、文楽には、その雰囲気が色濃く残っているのだが、あの近松門左衛門の浄瑠璃の世界でも、大坂人独特の雰囲気なりムードがあって、それを表現できるのは、やはり、上方の歌舞伎役者。
   芸術は、普遍だと言っても、私など、啄木のそを聞きに行くために上野の停車場に行く、その心境で、浄瑠璃、ないし、浄瑠璃バージョンの歌舞伎を観たいのである。

   芝翫と魁春の「舌出三番叟」と、福助や芝翫の「吉例寿曽我」は、新春祝賀プログラム。
   
   

   正月だからと言うわけではないが、いつも賑わっているのは、地下鉄に直結した地下の木挽町広場。
   昔懐かしい日本の伝統的な店舗が目白押しで、歌舞伎ファン以外の客も結構多く、お祭り気分を味わえるのが良い。
   それに、日本の伝統工芸などそれなりの店が出ていて、面白いものが見つかることもあって楽しい。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    
   
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