久しぶりに、喜劇を見た。
少し上等な劇場で、少し洗練された演出の喜劇なのだが、なんばグランド花月の吉本新喜劇を見ている感覚である。
藤山直美が登場しているので、藤山寛美ばりの喜劇かと思えば、そうではなく、紛うことなく吉本のドタバタ劇であり、当然、シェイクスピア戯曲の対極にある。
今、不祥事でテレビで話題沸騰の吉本興業の創立者の吉本せいをモデルにした喜劇なので、2017年後期(10月~2018年3月)NHK朝の連続小説テレビ『わろてんか、』と殆ど同じテーマをフォローしているので、良く知っている話。
私は、生まれも育ちも、西宮、宝塚、伊丹の阪神間であり、大学も京都で、入った会社の本拠地も大阪なので、こてこての関西人であり、20代後半まで、大阪弁べったりの生活をしていた。
万博が終わって、少しして、本社が東京に移ったので、それ以降、海外に居るか東京に居るか、関西に帰ることはなくなったのだが、意識なり考え方なり、関西人から抜け切れず、いまだに、元関西人を通している。
東京に移って、一番寂しかったのは、日曜日のテレビで見ていた藤山寛美などが演じる松竹新喜劇の番組がまったくなくなり、それに、吉本の漫才などの放映を全く見られなくなってしまったことである。
大阪に居た頃は、クラシックコンサートやオペラ鑑賞にもせっせと通っていたが、吉本の梅田花月や道頓堀の中座などにも良く出かけて、漫才やドタバタ劇を見に行って楽しんでいた。
エンタツ・アチャコはラジオでしか聞いていないが、ミヤコ蝶々南都雄二、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、森光子などが舞台に立っていたのである。
その後は、欧米が長い所為もあって、クラシックとオペラが主体になり、シェイクスピアに入れ込み、日本に帰ってからは、歌舞伎文楽、それに、能狂言に通い続けているが、落語を聞きに行き始めたのも、先祖かえりであろうか。
残念なのは、大阪に居ながら、とうとう、米朝の高座を聞けなかったことである。
藤山直美の舞台は、初めてであったが、流石に、寛美の娘で、全く表情を変えずに、さらりと、鋭いパンチの利いたギャグを発する巧みさが、堪らない魅力である。
この舞台で面白かったのは、亡き夫の供養塔として通天閣を買うと言う奇想天外なせいの行動であり、この発想とパワーが吉本興業のお笑いの世界を生み出した原動力になったのであろう。
NHKの朝ドラ「わろてんか」では、若くて溌溂とした葵わかなと松坂桃李が、清新で爽やかな演技で、実に器用に晩年までの一生を演じていて楽しませてくれたが、、
後半生が舞台になったこの劇場版だと、年季の入ったキャリアを積んだ藤山直美と田村亮の芸の確かさ上手さが、断然、魅力を増して客を喜ばせる。
藤山直美のせいは、一寸個性が豊かだが、何となく大阪の女の象徴のような雰囲気を醸し出していて、せいらしさは抜群であり、余人をもって代えがたいであろう。
田村亮は、阪妻子息四兄弟の末弟で二枚目役者であったはずだが、歳を取った所為か、一寸タガが外れた大坂男のがしんたれぶりも上手い。大坂男と言うと、どうしても、近松門左衛門の世界のイメージが強いのだが、この芝居も、しっかりした大坂女と一人ではしっかりと立てない大坂男との組み合わせで、面白いと思う。
春団治で登場した往年のイケメン俳優の林与一が、これも、年季の入った老長けた演技で、中々渋い軽妙洒脱な味を見せてよかった。
舞台袖で、ミヤコ蝶々追悼の漫才で、松竹の舞台であるから、吉本ではなく、松竹芸能の漫才コンビ・ミヤ蝶美・蝶子を登場させていて、面白かった。
それに、登場人物全員が、結構、真面目な人生劇場の舞台でありながら、軽いノリで、心地よいテンポで愉快な芸を演じていて、毒にも薬にもならない人畜無害な芝居を楽しませてくれた。
私にとっては、若かりし頃の思い出に、一気に引き戻されたような感じで、非常に懐かしさを覚えたのだが、前日に、渋くて厳粛な能狂言を鑑賞した後、デザートと言う位置づけであろうか。
長女が、我々夫婦を招待してくれたのである。
少し上等な劇場で、少し洗練された演出の喜劇なのだが、なんばグランド花月の吉本新喜劇を見ている感覚である。
藤山直美が登場しているので、藤山寛美ばりの喜劇かと思えば、そうではなく、紛うことなく吉本のドタバタ劇であり、当然、シェイクスピア戯曲の対極にある。
今、不祥事でテレビで話題沸騰の吉本興業の創立者の吉本せいをモデルにした喜劇なので、2017年後期(10月~2018年3月)NHK朝の連続小説テレビ『わろてんか、』と殆ど同じテーマをフォローしているので、良く知っている話。
私は、生まれも育ちも、西宮、宝塚、伊丹の阪神間であり、大学も京都で、入った会社の本拠地も大阪なので、こてこての関西人であり、20代後半まで、大阪弁べったりの生活をしていた。
万博が終わって、少しして、本社が東京に移ったので、それ以降、海外に居るか東京に居るか、関西に帰ることはなくなったのだが、意識なり考え方なり、関西人から抜け切れず、いまだに、元関西人を通している。
東京に移って、一番寂しかったのは、日曜日のテレビで見ていた藤山寛美などが演じる松竹新喜劇の番組がまったくなくなり、それに、吉本の漫才などの放映を全く見られなくなってしまったことである。
大阪に居た頃は、クラシックコンサートやオペラ鑑賞にもせっせと通っていたが、吉本の梅田花月や道頓堀の中座などにも良く出かけて、漫才やドタバタ劇を見に行って楽しんでいた。
エンタツ・アチャコはラジオでしか聞いていないが、ミヤコ蝶々南都雄二、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、森光子などが舞台に立っていたのである。
その後は、欧米が長い所為もあって、クラシックとオペラが主体になり、シェイクスピアに入れ込み、日本に帰ってからは、歌舞伎文楽、それに、能狂言に通い続けているが、落語を聞きに行き始めたのも、先祖かえりであろうか。
残念なのは、大阪に居ながら、とうとう、米朝の高座を聞けなかったことである。
藤山直美の舞台は、初めてであったが、流石に、寛美の娘で、全く表情を変えずに、さらりと、鋭いパンチの利いたギャグを発する巧みさが、堪らない魅力である。
この舞台で面白かったのは、亡き夫の供養塔として通天閣を買うと言う奇想天外なせいの行動であり、この発想とパワーが吉本興業のお笑いの世界を生み出した原動力になったのであろう。
NHKの朝ドラ「わろてんか」では、若くて溌溂とした葵わかなと松坂桃李が、清新で爽やかな演技で、実に器用に晩年までの一生を演じていて楽しませてくれたが、、
後半生が舞台になったこの劇場版だと、年季の入ったキャリアを積んだ藤山直美と田村亮の芸の確かさ上手さが、断然、魅力を増して客を喜ばせる。
藤山直美のせいは、一寸個性が豊かだが、何となく大阪の女の象徴のような雰囲気を醸し出していて、せいらしさは抜群であり、余人をもって代えがたいであろう。
田村亮は、阪妻子息四兄弟の末弟で二枚目役者であったはずだが、歳を取った所為か、一寸タガが外れた大坂男のがしんたれぶりも上手い。大坂男と言うと、どうしても、近松門左衛門の世界のイメージが強いのだが、この芝居も、しっかりした大坂女と一人ではしっかりと立てない大坂男との組み合わせで、面白いと思う。
春団治で登場した往年のイケメン俳優の林与一が、これも、年季の入った老長けた演技で、中々渋い軽妙洒脱な味を見せてよかった。
舞台袖で、ミヤコ蝶々追悼の漫才で、松竹の舞台であるから、吉本ではなく、松竹芸能の漫才コンビ・ミヤ蝶美・蝶子を登場させていて、面白かった。
それに、登場人物全員が、結構、真面目な人生劇場の舞台でありながら、軽いノリで、心地よいテンポで愉快な芸を演じていて、毒にも薬にもならない人畜無害な芝居を楽しませてくれた。
私にとっては、若かりし頃の思い出に、一気に引き戻されたような感じで、非常に懐かしさを覚えたのだが、前日に、渋くて厳粛な能狂言を鑑賞した後、デザートと言う位置づけであろうか。
長女が、我々夫婦を招待してくれたのである。