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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立小劇場・・・文楽「菅原伝授手習鑑」

2020年02月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
    錣太夫襲名披露狂言『傾城反魂香』土佐将監閑居の段の前に、「菅原伝授手習鑑」の車曳きから桜丸切腹の段が上演された。
    「桜丸切腹の段」は、大阪に出かけて、2014年4月の通し狂言で住大夫引退狂言という記念すべき公演を観劇して、私は、次のように書いている。
    住大夫と錦糸の浄瑠璃に乗って、浮世の未練をすべて清め捨て去って、従容と死に赴く桜丸を簑助が、悟りきれなくて号泣し続ける八重を文雀が、生身の役者以上に生き生きと人形を遣って演じ切っており、そのまわりを実直そうな白大夫のかしらをつけた玉也の父・白大夫が、撞木と鐘を打ちながらうろうろ右往左往する・・・正に、哀切極まりないこの世の終わりの光景であり、観客を忍び泣かせて、場内は水をうった様に静寂の極致。
   今回は、浄瑠璃は千歳太夫と富介、同じく簔助が感動的な桜丸を遣い、八重を勘十郎、白大夫を和生と言う非常に充実したキャスティングで素晴らしい舞台を見せて魅せてくれた。

   さて、冒頭の車曳きの段で、三つ子の兄弟である梅王丸、松王丸、桜丸が登場するのだが、三つ子であるから、同じようなものであるはずだが、長幼の序は、この順である。
   菅丞相の肝いりで、梅王丸は菅丞相の、松王丸は時平の、桜丸は斎世親王の、それぞれの牛飼いの舎人となっている。
   桜丸夫妻の取り持ちで斎世親王と菅丞相の娘苅屋姫の密会を実現させたのだが、これが、政敵の藤原時平に陰謀だと姦計を弄されて、菅丞相は、九州・大宰府に流罪になってしまい、この時点で、梅王丸と桜丸は、扶持離れすなわち浪人となっていて、その腹いせもあって、時平の牛車を襲って乱暴狼藉を働こうとしたのである。

   桜丸は、菅丞相の讒言の原因を作ったその責任を感じて、既に切腹を決意していており、その後の佐太村の舞台で、父親白大夫の喜寿の賀に三つ子の兄弟とその妻たちが帰って来て祝うのだが、皆が集う前にやってきた桜丸が、その決意を父に語っている。
   尤も、文楽では、この部分は暗示されているだけで、桜丸は、賀の祝いが終わって皆が退散した後で舞台に登場して切腹する。
   この伏線があって、固い覚悟を知らされた父白太夫も悩み抜き、何か助ける手はないか必死になって考えるのだが、氏神詣の神籤でも凶ばかりが出て、帰ってきたら兄たちの喧嘩で桜の枝が折れてしまって凶と出ており、運命と諦めて、わが子の切腹を認める。
   親としてしてやれることは撞木と鉦を打ちならすことだけだと悟るも、切腹する桜丸の周りを右往左往するばかりで、妻八重は、切腹を止めさせようと、桜丸にしがみ付いて必死に懇願して説得するが、それも叶わず、桜丸は切腹を遂げる。
   この哀切極まりない愁嘆場が、この桜丸切腹の段である。
   簔助の桜丸は、運命を従容と受けて立ち何の迷いもなく腹に刀を当てる、匂い立つような気品と様式美の美しささえ感じさせる迫真の芸で、どうしても桜丸の命を助けたい一心で縋り付いて断腸の悲痛を訴える勘十郎の八重の、寄り添って必死に耐える二人の姿が、儚くも輝いていて、実に美しくも悲しい舞台である。

   この劇は、菅原道真の絶対善と藤原時平の絶対悪の対立抗争が主題であるから、どうしても、松王丸が悪玉のような感じになって、ワリを食っていて、この佐太村の舞台で、白大夫が、松王丸の差し出した勘当願いはあっさりと認めて、主人の時平と敵対する親兄弟を心置きなく討つためではないかと非難さえして、松王丸の菅丞相への恩義を返したいという健気な心の内を理解できずに、早々に追い返す。
   この逆転劇を展開するのは、終幕に近い「寺子屋の段」。
   重要なテーマは、「梅は飛。桜はかるる世の中に。何とて松のつれなかるらん。」
   松王丸が、一子小太郎を管秀才の身替りに差し出して、武部源蔵に討たせた後で、いろは送りの前に、「管丞相には我が性根を見込み給ひ「何とて松のつれなからうぞ」との御歌を「松はつれないつれない」と世上の口に、かかる悔しさ。・・・」苦しい胸の内を吐露しながら、管丞相に恩を返す劇的な結末の述懐であり、
   さらに、管丞相の奥方御台所を救出して管秀才に対面させ、一気に、善玉として脚光を浴びる。
   松王丸は、この段で、小太郎の死を重ね合わせながら、桜丸の死を追悼して涙に暮れている。

   三つ子の父親白大夫は、三つ子の兄弟に対して、「生ぬるこい桜丸が顔つき。理屈めいた梅王丸が人相。見るからどうやら根性の悪そうな松王が面構え」と言っている。
   これを反映してかどうかはともかく、主役の桜丸は、一番若く見えて前髪立ちの童姿で、歌舞伎では女形が演じている。
   序段の「加茂堤の段」で、加茂川の堤に、桜丸が斎世親王の牛車を乗り入れ、妻八重が苅屋姫を連れてきて、二人を車の中に押し込んで愛の交歓をさせるのだが、刺激された桜丸が、”女房たまらぬたまらぬ”と身悶えし、”追っ付けお手水がいろうぞよ”水汲んでこいと言った調子の子供じみた夫婦で、思慮分別のある貴人の逢い引きの仲立ちとも思えないアクションだから、当然、露見しても不思議ではない。

   今回、しみじみと、桜丸を思う機会を得たが、この浄瑠璃、三つ子の兄弟のキャラクター一つとっても良くできた作品であると思う。
   天神さんの浄瑠璃であったが、今、国立劇場の前庭の3本の梅が、きれいに咲いていて舞台を荘厳している。
   
   
   
   
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国立小劇場・・・竹本錣太夫襲名披露狂言『傾城反魂香』土佐将監閑居の段

2020年02月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   東京の国立劇場の小劇場で、1月の国立文楽劇場での公演に引き継いで、竹本錣太夫襲名披露狂言『傾城反魂香』土佐将監閑居の段が上演された。
   先月、大阪に行って観劇済みで、このブログに書いているので、重複は避けるが、今回、後期高齢者のミーハーぶりを気にせずに、ロビーにおられた竹本錣太夫にプログラムにサインをもらって、写真を撮らせてもらった。
   

   芸術家に、サインをもらって写真を撮らせてもらった経験が、何度かあるが、それは、もう随分前に、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで、コンサートの後、楽屋に入って、ユージン・オーマンディに、そして、ロンドンのロイヤル・オペラで、ルネ・フレミングに、日本では、安野光雅画伯であった。
   
   
   サインをもらったのは、クラシック関係ばかりで、ほかに、ユーディ・メニューイン、アンネ・ゾフィー・ムターなどはレコードとCDに、
   METで、ビヴァリー・シルズのサイン本を見つけて買ったときには嬉しかったのを覚えている。
   別にサインが欲しいという訳ではなく、本やCDが、よりみぢかになると言う感じで、その場のムードで、サインをもらおうと言うことになるので、まあ、ミーハーである。
   
   さて、吃又だが、手水鉢に又平の自画像が浮かび上がるシーンが最も劇的なのだが、昔の舞台というか、歌舞伎だかどうだか忘れたが、少しずつ像があらわれてきて、まるで奇跡でも起こったかのように見せるていたが、これは、手水鉢の中に入った黒衣が又平の像を裏側から描いていたと言うことで、非常にリアルで臨場感があった。
   しかし、今回の舞台は、手水鉢が小さいので仕方がないとしても、ぱっと裏側に明かりがついて、像が、浮き上がるという演出で、どうも作為的で趣向に欠ける。

   ところで、又平とおとくが登場してから、喋るのはおとくで、又平は脇に座って卑屈な姿で相槌を打つだけで、太夫は、通訳という言葉で語るほど存在感のないだめ絵師だったが、弟弟子に先を越されて名字を許されたのを知って断腸の悲痛、ところが、舞台が急展開して、
   元信の弟子雅楽之介が飛び込んできて姫を奪われたと告げたので、その救出に行って手柄を立てようと、今度は、おとくを蹴散らして将監の前に進み出て、言葉にならない吃音で必死に願い出るも許されず、救出命令を受けた修理之介の前にはだかって、代わってくれと懇願する哀れさだが、ここで主客転倒、一気に舞台のテンションが高揚する。
   この後、将監に、絵の道の功によってこそ名字に値すると最後通告を突きつけれれて万事休す、
   おとくに、手水鉢を石塔と定め、自分の絵像を書いて自害して贈り名を待てと言われて、又平は、決死の覚悟で絵筆を握る。
   
   この間の激しい劇的な舞台展開を、緩急自在、錣太夫の義太夫と宗助・寛太郎の三味線が、情緒連綿とした感動的な浄瑠璃を語り、勘十郎の又平と清十郎のおとくが、夫婦愛の局地とも言うべき芝居を披露して観客の感動を呼ぶ。

   2012年に、この傾城反魂香を観ており、そのときは、又平が玉女、おとくが文雀、住大夫の語りと錦糸の三味線と言う素晴らしい舞台であったが、
   今回は、錣太夫襲名披露狂言であり、非常に思い出深い公演となった。
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国立文楽劇場・・・「加賀見山旧錦絵」

2020年01月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第2部は、「女忠臣蔵」と称される「加賀見山旧錦絵」で、「草履打の段」から「奥庭の段」まで、すなわち、全11段(実際は9段)の6段と7段目である。
   歌舞伎の「鏡山旧錦絵」は、この部分を脚色したのだが、草履打ちの前に、「別当所竹刀打ちの場」が挿入されていて、町人の娘で武芸の心得のない尾上に、竹刀の勝負を挑んで、代わりに立ち会った召使お初に負けると言うシーンが展開される。

   ストーリーは、
   局岩藤(玉男)が、弾上とお家横領を企んでいて、その陰謀に関わる密書を、忠臣の中老尾上(和生)に拾われてしまい、その腹いせに、尾上を侮辱して徹底的に苛め抜き、砂まみれの自分の草履を拭くように命じ、当惑する尾上をその草履で打ち据える。恥辱を受けた無念さに意気消沈した尾上は屋敷にかえってきたので、事情を聞き知っている召使お初(勘十郎)が、忠臣蔵の塩谷判官の話をして、それとなく短慮を起こさないよう示唆したが、母親への手紙を届けるように使いに出されたが、胸騒ぎがして手紙を読むと遺書、急いで取って返すが、時遅しで、尾上は自害。そばに落ちていた岩藤の謀反の手紙を見て、お家の一大事を知ったお初は、御殿の奥庭で、岩藤を待ち伏せて殺害して仇を討ち、忠節を誉めたてられて中老二代目尾上となる。

   6段で、この話の前に、岩藤が、家中の若侍桃井求馬に付文を届けており、求馬が、恋仲の腰元早枝がきて話をしている時、不義者見つけた、不義はお家のご法度と、うしろから岩藤が現れて、ふたりを連れてゆこうとしたので、求馬は、不義というのならこれは何かと先ほどの付け文を突きつけたので、さすがの岩藤も返答に窮し、大恥をかくと言う失態を演じており、
   岩藤は、自分が以前落とした密書を尾上に拾われ、その上今回の不首尾で、憤懣遣るかたなく、その不満の矛先を尾上に向けて、尾上が町人の出であるからどうせ武芸のひとつもできないのでお役が務まるかと散々に罵り、挙句の果てに自分の履いていた草履で尾上を何度も打つと言う挙に出たのである。
   この岩藤だが、あの憎々しい八汐の首で、歌舞伎では、立役の役者が演じるのは当然としても、人形にも拘らず、文楽でも、立役が遣うと言うのが興味深い。

   この文楽、岩藤の玉男、お初の勘十郎、尾上の和生と言う人形遣いのエース3人が三つ巴の緊張した重厚な演技を展開し、非常に質の高い舞台を作り出していた。
   浄瑠璃と三味線も、呂勢太夫は休演したが、靖太夫ほか清治、籐太夫・團七、千歳太夫・富助、織大夫・藤蔵、靖太夫・錦糸、それぞれ、凄い熱演であった。

   この後、「明烏六花曙」が上演されたが、前に舞台にかかったのは、1996年1月と言うことで、知らなかったのは当然だが、楽しませてもらった。
   
   
   一階の「資料展示室」では、文楽入門で、興味深い展示がされていた。
   
   
   
   

   記録録画のために、カメラが3台入っていた。
   
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国立文楽劇場・・・「曲輪ぶんしょう 吉田屋の段」

2020年01月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第1部の「曲輪文章」は、歌舞伎と違って、上演されることが非常に少ない。
   最近では、2013年2月に国立小劇場、2018年8月に国立文楽劇場でである。
   私が観たのは、東京の小劇場の方で、伊左衛門が玉女で、夕霧は勘十郎で、浄瑠璃と三味線は嶋大夫と富助、龍爾であって、玉男・簑助の黄金コンビの舞台は、前世紀で終わっていた。
   今回の舞台は、伊左衛門が玉男で、夕霧は和生、吉田屋女房おきさを簑助が遣っていた。
   興味深かったのは、切場を、これまでの嶋太夫一人と違って、伊左衛門を咲太夫、夕霧を織大夫、喜左衛門を籐太夫、おきさを南都太夫が語っていて、華やかで彩を添えていたことである。

   この舞台で面白いと思うのは、歌舞伎と違って、文楽の方では、主役は、伊左衛門ではなく、夕霧であって、座敷を抜け出して来たにも拘わらず、拗ねて炬燵を抱えて逃げ回る玉夫の女々しい伊左衛門に縋り付いて、恨み辛みの限りをかき口説く、この大詰めの長丁場の太夫の語りが限りなく魅力的で、豪華な衣装を纏った夕霧の実に女らしい見事な艶姿を、和生が、感動的に巧みに見せて魅せた。
   夕霧の口説きに、近松門左衛門の原作の名残が残っていて、夕霧が、7歳にもなる子をなした仲なのにと訴えるのだが、歌舞伎では特にそうだが、子を成した実質夫婦だと言う雰囲気よりも、身請け寸前の旦那と傾城だと言ったムードになってしまっている。

   文楽で、夕霧が、すねて真面に対応してくれない伊左衛門に縋り付いて胸の内をかき口説くのに、伊左衛門は、置炬燵を持って逃げ回る不甲斐なさは、
   歌舞伎においては極まっており、奥の座敷で客を相手にしている夕霧の方が気になって、居たり立ったり、帰ろかと言い出したと思ったら、なよなよと品を作って襖を何枚も開けて近づいて覗き見し、夕霧が登場すると拗ねてふて寝する伊左衛門の締まりのないイチビリ、オチョッコチョイぶりが見せ場になっているのだが、このあたりの藤十郎と仁左衛門、そして、鴈治郎の芸は秀逸である。
   がしんたれで骨のない色に弱い男は、また負けたか8連隊の大阪の役者でしかやれない芸なのであろうか。
   
   この吉田屋の段は、近松門左衛門の「夕霧阿波の鳴門」の冒頭の九軒吉田屋の段と、ハッピーな結末だけを合わせて改作した浄瑠璃なのであって、途中の深刻な話を端折ってちゃらちゃらしたハッピーエンドの身請け話になっている。
   しかし、原作では、7歳になる男の子を、夕霧の客である阿波の侍・平岡左近の子供だと嘘をついて預けて・・・、どうしても子供に会いたい一心の夕霧は乳母になり、伊左衛門は親子を名乗ったので、二人とも左近に追い出されて乞食になって彷徨い、吉田屋に戻って瀕死の状態になっていた夕霧に再会して、最後に、左近の妻雪からの夕霧養生のための身請け金800両と、伊左衛門の母「妙順」の調達した金で、伊左衛門は目出度く許されて、花嫁、初孫と認められ、喜んだ夕霧が本復する。
   そんな話なので、近松は、結構、シリアスな浄瑠璃を書いたのである。
   この床本でも、伊左衛門への口説きでも、・・・コレ死にかかってゐる夕霧じゃ・・・と言っており、この文楽の方が、原作の雰囲気を継承している。

   ところが、二人の深刻な痴話喧嘩の最中、打ち解ける間もなく、喜左衛門たちがなだれ込んできて、伊左衛門の勘当が解け、夕霧の見受けが決まったと一気にハーピーエンド。
   人形の和生も玉男も、戸惑いながら、ラブラブに転換、とにかく、魅せる舞台に仕立てていて、それなりに面白いのだが、むしろ、ストーリー性が豊かな近松の原作を通しで観たいと思っている。
   
   玉男も和生も素晴らしい舞台を演じているが、主役ではなく脇役に回って簑助の遣ったおきさのにじみ出る様な女らしさ色香、そして、品格は、格別であった。
   それに、今回の浄瑠璃と三味線の名調子は、新趣向なのか、とにかく、素晴らしかったのである。
   
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国立文楽劇場・・・錣太夫襲名披露公演「傾城反魂香」

2020年01月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの大阪である。
   来月、錣太夫襲披露名 は、東京の2月公演でも、行われるのだが、大阪の雰囲気を味わいたくて、やってきた。
   
   国立文楽劇場開場三十五周年記念 初春文楽公演 第1部は、
   七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)
   竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲披露名狂言
   傾城反魂香(けいせいはんごんこう)土佐将監閑居の段
   曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう)吉田屋の段

   六代目竹本錣太夫襲名披露狂言は、傾城反魂香の土佐将監閑居の段で、錣太夫は、奥を、三味線 宗助、ツレ貫太郎で語る。
   口上は、呂太夫が、威儀を正して丁寧に行い、
   エピソードとして、稽古中に、師匠に、「おいど(お尻)をめくれ」と言われたのを、床本の末尾と言うのを何を勘違いしたのか、立って自分の着物のうしろを捲って、カンパチに、「あんたのおいどとちゃう、床本のおいどや」と言われたと言う話をして笑わせていた。

   土佐将監閑居の段、ポピュラーな舞台だが、次のような話、
   主君筋の勘当を受けて山科の国に蟄居している絵師・土佐将監T(玉也)が奥方(文昇)と住む屋敷の裏の藪に巨大な虎が出現して、この虎は狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものだと喝破し、弟子の修理之助(玉勢)が、自分の筆力でかき消したので、その実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書を与える。
一方、絵の腕は抜群ながら吃音の障害を持つ兄弟子の浮世又平(勘十郎)は、大津絵を描いて生計を立てているシガナイ貧乏絵師で、妻のおとく(清十郎)を伴って見舞いに訪れて、弟弟子が土佐の名を許されたと知って、師に必死になって免許皆伝を頼み込むが、絵で功績をあげよと拒絶される。妻のおとくが口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。
そこへ、元信の弟子の雅楽之助(一輔)がやってきて、元信が襲われて姫を奪われた一大事を告げたので、将監は姫を助けるために、弁舌の立つ者を使者と偽って送り込もうとしたので、又平は、功をあげるべき絶好の機会と助太刀を願うが、断られ、修理之助が向かう。
悉く拒絶されて絶望した又平夫婦は、涙にくれ自害を決心して、この世の名残に絵姿を描き残そうと決死の覚悟で、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。ところが、その一念が通じたのか、描いた絵が手水鉢を通して反対側に浮き上がる。将監は驚嘆して、又平に土佐光起の名を与え、使者となることを命じる。
将監は、仏像を真っ二つに切って病を治したと言う故事に倣って、手水鉢を二つに割ると、又平の口から、師への感謝の言葉が滑らかに流れて吃音が治り、喜んだ又平は、将監の前で舞い、謡い、おとくを供にして姫を救い出しに出立する。

   この最後の部分だが、この舞台は改作とかで、近松門左衛門の歌舞伎などの本作では、又平の吃音を将監は案じるのだが、又平は、将監の前で舞い、謡いだすと、節が付けば言葉が滑らかに出ることを見せて奇跡をしめしている。
   手水鉢を刀で真っ二つにするなど、「梶原平三誉石切」の舞台でもお馴染みだが、この芝居自身、元信が描いた虎がやぶの中に逃げ込み、修理之助の筆でかき消されるとか、手水鉢の石を通して絵が反対側に透視するなどと言った、奇想天外もいいところだが、いわば、夫婦愛を観る芝居だと見れば、それなりに納得する。

   大分、シチュエーションは違うが、この舞台を見ていて、いつも、幸田露伴の「五重塔」ののっそり十兵衛のことを思い出す。
   力があっても、世渡りが下手なために埋もれていく人は多く、艱難辛苦に辛苦を重ね、苦渋を嘗め尽くしながらでも、芽が出た人は幸せであり、芝居になるのであろう。
 
   日頃とは、一寸違った緊張した面持ちの錣太夫、この舞台では、吃音で表現の難しい又平のセリフや、立て板に水の、出しゃばりおとくの長セリフと言ったバリエーションの棲み分けが巧みで、流石に、緩急自在で上手い、
   それに、淡白ながら、肺腑をえぐるような無念さ悲しさを随所に滲ませる語り口も秀逸で、私など、歌舞伎の「土佐将監閑居の場」を見慣れているので、人形の感情移入の素晴らしさを味わって新鮮な驚きを感じた。

   人形は、又平の勘十郎、おとくの清十郎が双璧、とにかく、泣かせて笑わせ、感情表現が豊かであり、又平の喜びの舞など、人形だから出来る芸当であろう。
   愛嬌のある惚けた調子の又平の首が、土佐光起に出世した絵師には似つかわしくなくなったが、悲しみも喜びもない交ぜ、中々面白く、勘十郎が、縦横無尽に躍らせていた。
   
   
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国立劇場・・・通し狂言「 菊一座令和仇討」

2020年01月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   正月興行は、菊五郎劇団の華麗な舞台。

   四世鶴屋南北の「御国入曽我中村」をアレンジして、「菊一座令和仇討」と題した復活通し狂言と言う事だが、
   曽我兄弟の仇討ちを題材にした「曽我物」の時代設定を踏襲し、「鈴ヶ森」でお馴染みの幡随院長兵衛と白井権八、それに、近松門左衛門の浄瑠璃「鑓の権三重帷子」の主人公・笹野権三を登場させて活劇を演じさせると言う良く知られた複数の物語の世界を組み合わせて創作した「綯交ぜ」もいいところで、
   執権・大江広元の家に伝わる重宝「陰陽の判」を、跡目相続の許可を得るためには、将軍家に献上しなければならないのだが紛失、そこで、大江の家臣・笹野権三と白井権八は、重宝詮議の依頼を受ける。
   この二人が、お互いの妹を妻にすると言う話も出来すぎているが、広元の妾腹・志摩五郎が、頼朝の弟・蒲冠者範頼の力添えを得て、御家横領を企てており、その陰謀に、権三・権八の養父たちも加担していることが分かって、権三と権八は、養父に諫言するも拒絶されたので、互いの養父を殺害し、親の敵として互いに討たれようとする争いを、大江家と懇意な俠客・幡随院長兵衛が止めに入り、重宝の詮議を優先すべしと説得、とってつけたような話である。
   「陰陽の判」を盗んだのは志摩五郎の配下だが、謎の女・三日月おせんの手に入って、おせんの夫・寺西閑心の手に渡る。傷療治の名医として有名なので、閑心の許へ、道中で負傷した権八、そして、権三が訪れて治療を受けるが、素性を知っている関心、すなわち、蒲冠者範頼は、二人の毒殺を図る。それを、関心の秘薬を与えて助けたのはおせんで、自分は、実は佐々木の娘風折で、二人は兄弟で自分の弟だと明かして自害する。
   終幕は、威儀を正した蒲冠者範頼に、対峙する権三と権八のところへ、将軍や政子たち鎌倉幕府の面々が登場して舞台に整列して、本日はここまで、勝負は時を改めてと言う、芝居の常套手段で、大見えを切って幕。

   鎌倉からは、中々富士は見えないのだが、背景は、奇麗な富士山。
   何となく、町の風呂屋の絵のような感じがするのだが、これも、小市民的な芸術。
   ボリショイ劇場では、華麗で豪華な映像を使って背景を荘厳していたが、歌舞伎も、多少冒険して、最新のICTによる映像芸術を活用してダイナミズムを演出するのはどうであろうか。

   主な役どころは、
幡随院長兵衛/寺西閑心実ハ蒲冠者範頼       尾上  菊 五 郎
三日月おせん実ハ佐々木の娘風折/頼朝御台政子御前    中 村  時   蔵
笹野権三                      尾 上  松   緑
白井権八                     尾 上  菊 之 助
大江志摩五郎/梶原源太景季            坂 東  彦 三 郎
江間小四郎義時/おせんの手下長蔵         坂 東  亀   蔵
権八妹おさい                   中 村  梅   枝
大江千島之助/笹野の家来・岩木甚平        中 村  萬 太 郎
安西弥七郎景益                  市 村  竹   松
権三妹八重梅                   尾 上  右   近

   とぼけた調子の関心と、威厳のある剛直な堂々たる井出達で舞台を占めた菊五郎の座頭としての風格と貫禄、
   活劇の立役者を演じた松緑と菊之助の登場して華麗な仇討シーンを魅せるためには、当然、両花道が必要。
   少し、動きに無理が出てきた人間国宝の菊五郎や吉右衛門の風格と深み、芸の粋には及ばずとも、華麗な芸を見せて楽しませてくてた。
   菊之助が、奇麗な女形を披露して好感。
   彦三郎の進境著しく、坂東亀蔵、梅枝、尾上右近なども好演、ベテランのわき役陣の活躍も舞台の奥行きを増して素晴らしい。

   とにかく、正月気分で楽しむためには、格好の舞台。
   しかし、芝居の中身を考えれば、ずっと、昔、ロンドンにいたころには、シェイクスピア戯曲を見て年末年始を過ごしていたのと雲泥の差、
尤も、歌舞伎にも、いろいろバリエーションがあり、音楽や舞台設定にも力が入っている総合芸術でありながら、歴史の重みと伝統を大切にする性質上、オペラの意表を突いた超モダンな演出や舞台設定には、まだまだ、付いていけないのであろうが、どのように変化してゆくか、興味深いところである。
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国立劇場・・・幸四郎の「蝙蝠の安さん」

2019年12月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   チャップリンの映画「街の灯」を脚色した素晴らしい歌舞伎。
   和製チャップリン宜しく、幸四郎が、泣き笑いのしみじみと心に染みる芸の新境地を開いた素晴らしい舞台で、チョビ髭を付けて、小さな帽子に大きな靴、ひょこひょこ歩く特異な姿で、世界中の人々を笑いの渦に巻き込んだチャップリンを彷彿とさせる至芸を披露している。

   「街の灯」は1931年1月にアメリカで公開され、この歌舞伎の原作の「蝙蝠の安さん」を、木村錦花が読売新聞に連載を始めたのは同年7月で、歌舞伎は8月で、この映画が日本で公開されたのは、権利金の折り合いがつかず、1934年だと言うから、実際に映画を見た15代市村羽左衛門や、2代目市川猿之助から、荒かたの筋を聞いて、それに基づいて書いたのだと言う。
   主人公は、歌舞伎の人気作「与話情浮名横櫛」の「蝙蝠の安五郎」とかで、映画「街の灯」の舞台を江戸に置き換えた形だが、放浪者の安さんが、街で出会った盲目の花売り娘お花に一目ぼれして、目の治療代を工面するために奔走する泣き笑いのラブコメディは、「街の灯」そのままである。

   放浪者の蝙蝠の安さんは、街角でひっそりと花を売る盲目の花売り娘のお花に出会って、一目惚れする。安さんが、橋の下のドヤで憩っていると、金持ちの上総屋新兵衛が、妻に先立たれて絶望し、酒に酔って身投げしようとしたので、止めて助ける。安さんを気に入った新兵衛は、友人として家に迎え入れ歓迎するのだが、酔いが醒めると酔っていた時の記憶を全く失う悪い癖がある。安さんは、酔っ払って機嫌が良くなった新兵衛から、お花の目の治療費の5両をもらうのだが、寝込んで入る隙に、泥棒が入って、正気に戻った新兵衛が5両がないと言い出し、泥棒と勘違いされたので、遁走する。 逃げながら、出会ったお花に、その5両を手渡す。
   その前に、お花の治療代欲しさに、賞金付き相撲に登場して負けると言う何とも締まらないドタバタ喜劇があって面白い。
   その後、目が治って立派な花屋を営んでいるお花の前に、相変わらず見すぼらしい風来坊姿の安さんが現れ、可哀そうにと、菊の花と小銭を貰うのだが、触れた手と声の感触で、お花は、その風来坊が、裕福な大人だと思い込んでいた恩人であることに気付いて、ハッとするが、安さんは、苦し紛れの微笑をお花に返して、静かに消えて行く。
   この何とも言えない悲しくも甘酸っぱい複雑な表情に、幸四郎は、万感の思いを込めて、チャップリンに思いを馳せたのであろう。

   花売り娘の坂東新悟、上総屋新兵衛の猿弥、大家勘兵衛の大谷友右衛門などの助演陣が、良い味を出していて楽しませてくれる。

   さて、チャップリンだが、色々、若い頃に観たが、最も印象深いのは、
   1940年『独裁者』The Great Dictator
   流石に、チャップリンで、あの時代に、反ヒトラー映画を、よく作ったと思う。
   初期の無声映画に何とも言えない懐かしさがあって、好きである。
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国立小劇場・・・玉男と勘十郎の「平家女護島」

2019年12月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   12月文楽鑑賞教室のプログラムは、
   伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
     火の見櫓の段
   解説 文楽の魅力
   平家女護島(へいけにょごのしま)
     鬼界が島の段

   12月の東京公演には行かないのだと、初代玉男が語っていて、この公演には、人間国宝などトップ演者は上京しないのだが、最近の12月公演でも、本公演の文楽よりも、この文楽鑑賞教室の方に、人気演者が登場する。
   AとBの2公演立てになっていて、今回、私が鑑賞したのは、思うように席が取れる「社会人のための文楽教室」のBプロの方で、俊寛僧都は玉男、蜑千鳥は勘十郎であった。
   前座の「伊達娘恋緋鹿子」が上演されたが、やはり、1時間の凝縮された「平家女護島」の鬼界が島の段が、圧巻である。

   この平家女護島の鬼界が島の段の文楽は、随分前のことになるが、大阪の文楽劇場に行って、最晩年の初代玉男の俊寛僧都の舞台を観た。
   大詰めの岩山に這い上って、船影を追うラストシーンは、玉女(今の玉男)に代わったのだが、その後、初代は休演した。
   やはり、俊寛僧都は、初代の芸を継承した玉男の当たり役だが、勘十郎の俊寛僧都も魅せてくれる。
   蜑千鳥は、簑助の舞台を観続けていたが、今回は弟子の勘十郎で、両者とも至芸があたらしい時代に移ったのである。
   
   俊寛の物語は、文楽のみならず、能「俊寛」や歌舞伎の舞台でも、結構、観続けてきており、このブログにも随分書いてきたので、蛇足は、避けて、近松門左衛門の創作した蜑千鳥について、書いてみたい。

   今回も、最前列の真ん中で舞台を観て、人形遣いの芸を具に観ていた。
   まず、玉男の俊寛の印象だが、非常に興味深い。
   平家物語の俊寛の足摺でも、能「俊寛」でも、本来、絶海の孤島に3年間も飲まず食わずに極貧生活に生きてきたので、末路は非常に悲惨で、弱弱しい俊寛が演じられることが多い。
   しかし、玉男の俊寛は、その衰弱した弱い俊寛を丁寧に描きながらも、やはり、時の権力者清盛を敵に回して謀反を画策した旗頭で、後白河法皇の側近で法勝寺執行と言う傑物であるから、随所に、その強さと気迫を表現すべく、剛直で迫力のある俊寛像を、隠し味のように垣間見せていて感激するのである。
   言い方は悪いが、腐っても鯛は鯛であることを、玉男は、俊寛像に籠めようとしたのだと感じている。
   妹尾との対決も真剣勝負での対決であるし、妹尾の首を掻き切る凄さ、岩山を蔦を必死に手繰り寄せながら上る気迫、
   エネルギーを凝縮して爆発させながら、表面には決して表さない抑えに抑えた丁寧な演技の凄さ、玉男の額は、汗びっしょりに輝いていた。
   玉男の俊寛のラストシーンは、絶海の孤島に一人残された乞食坊主の哀れな俊寛ではなく、人生を諦観しきった仙人のような風格さえ感じるのは、私だけであろうか。

   さて、蜑千鳥だが、
   近松門左衛門が、この鬼界ヶ島の海女で成経の妻千鳥と言う架空の女性を紡ぎ出したのだが、この舞台では準主役であり、都での成経との生活を夢見た喜びもつかの間、乗船を許されなくなって一人で島に取り残された千鳥の悲嘆のクドキのシーンが秀逸で、
   哀調を帯びた浄瑠璃と三味線の音に乗って、流れるように悲痛の絶頂を歌い上げながら舞う千鳥の姿は、まさに感動の舞台で、簑助譲りの芸を踏襲しながら新境地を見せる勘十郎の芸が凄い。

   この舞台では、俊寛は、限りなく愛していて今も思えば恋心と述懐する妻のあづまやが、瀬尾から、自害したと聞いて、生きる望みを完全に失って、帰郷への思いを断ち切って、千鳥に乗船権を譲って、自分は一人で絶海の孤島に残る。

   近松のこの「平家女護島」では、清盛が、俊寛僧都の美人妻あづまやにぞっこん惚れ込んで、義朝の愛妾常盤御前のように、邸内に囲って執拗に言い寄るのだが、潔しとせずに、あづまやは、自害することになっている。
   しかし、平家物語では、あづまやは、命を懸けて操を守り抜いたのではなく、鞍馬の奥に移り住み、鬼界が島に連れて行けと俊寛に纏わりついた幼女を亡くして悲嘆にくれて亡くなっており、
  「有王島下り」の章で、俊寛が可愛がっていた童・有王が、鬼界が島を訪れて、俊寛にこの話をすると、妻子にもう一度会いたいばっかりに生きながらえて来たのだが、たどたどしい文を書いてよこした12歳の娘を一人残すのは不憫だけれど、これ以上苦労をかけるのも身勝手であろうと、俊寛は、絶食して弥陀の名号を唱えながら息を引き取る。

   いずれにしろ、俊寛が、都に残した妻と幼い娘のことを思い続けながら鬼界が島にいたと言うことで、この俊寛の妻子への恩愛の情を、近松は、蜑千鳥と言う架空の女性を創作することによって、妻への思いを成経の妻千鳥に体現し、また、千鳥を自分の子供と認めて縁を結ぶシーンに託して、描こうとしたのだと思っている。
   蜑千鳥を紹介された俊寛が、にこにこと、「・・・俊寛も故郷にあずまやといふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、語るも恋、夫婦の中も恋同前、聞くも恋、聞きたし聞きたし、語り給へ」と相好を崩して、二人の馴れ初めを聞こうとする。
   赦免船が到着する前の実に平穏無事な幸せ、
   近松は、恋、恋と言う台詞を、何度も詞章に書き込んだのである。

   さて、この蜑千鳥だが、清盛が、厳島への御幸途中に、後白河法皇に入水を迫った挙句、海に突き落としたので、それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すと、怒った清盛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
   天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先にあずまやと千鳥の怨霊が現れる。
   俊寛は、早々に鬼会が島で舞台から退場したが、二人の女性が最後に登場するのも、近松門左衛門の思いやりであろうか。
   
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国立小劇場・・・12月文楽「一谷嫩軍記」

2019年12月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「一谷嫩軍記」は、並木宗輔の作だが、宗輔は、三段目までを執筆して病没したので、浅田一鳥らが四段目以降を補って上演したと言うことだが、歌舞伎や文楽で、良く上演されるのは、二段目の「陣門の段」「須磨浦の段」「組討の段」と三段目の「熊谷陣屋の段」で、歌舞伎などは、みどりで、ぶつ切りの舞台が主体で、フラストレーションを感じる。
   しかし、今回は、エッセンスとも言うべき「陣門」から「熊谷陣屋」までの通し舞台なので、筋が通っていて楽しめる。
   あまり見る機会のない「熊谷桜の段」が「熊谷陣屋の段」の前に上演されていて、よく分かって面白い。

   何よりも、今回の文楽で楽しめるのは、熊谷桜から熊谷陣屋にかけての2時間の舞台、特に、熊谷陣屋である。
   この熊谷陣屋は、何回観たであろうか。
   文楽では、玉男襲名披露公演で観たし、勘十郎の舞台も、今は亡き文吾の舞台も観ている。
   歌舞伎では、幸四郎(白鷗))の熊谷次郎直実の舞台が一番多いのだが、仁左衛門、吉右衛門、團十郎、染五郎(幸四郎)、襲名披露での芝翫の熊谷次郎直実を観ており、このブログでも、ずっと、観劇記を書いてきた。
   蛇足を避けて、熊谷の妻の相模の印象記だけにとどめる。

   やはり見せ場は、熊谷(玉志)が義経(玉佳)にさしだす敦盛の首検分。
   熊谷は義経の前に首桶と義経より託された制札を置き、制札の文言に従って首を討ったと述べて首桶を開けた時、その首の顔を見た相模(簑二郎)が、我が子小太郎の首と知って仰天して首に駆け寄ろうとするのを、熊谷は右足で組伏して物も言わせず、わが子の顔見たさに駆け寄ろうとする藤の方(勘彌)を、右手に握った制札で抑え込む。
   お騒ぎあるなと二人を右手右足で静止して、左手で首桶に乗せた首をすっくと伸ばして、義経に見せる。
   義経は首を検分し、よくぞ討った、縁者にその首を見せて名残を惜しませよと述べるのだが、階から蹴落とされた相模と、まだ敦盛の首だと思っていて制札に抑え込まれて身動きの取れない藤の方の断腸の悲痛はいかばかりか。
   
   熊谷は、相模に、藤の方に敦盛卿の首を見せよと首を渡すのだが、この相模の愁嘆場が涙を誘う
   「・・・あへなき首を手に取り上げ、見るも涙に塞がれて、変はる我が子の死に顔に、胸はせき上げ身は震はれ、持つたる首の揺るぐのを頷くように思われて・・・」
   変わり果てた愛しい我が子の小さくなった首を丁寧に拭ってしっかりと抱きしめて、嗚咽を押し殺して慟哭の限りを尽くして舞うように悲しさを表現する簑二郎の芸の上手さは感動的、私は拍手を送った。
   靖太夫と錦糸の義太夫と三味線が泣かせる。
   相模は嘆き悲しみながら藤の方に見せると、藤の方は首を見て驚く。それは敦盛ではなかったからである。

   さて、この相模は、舞台大詰めで、熊谷に向かって、「どうして、敦盛と小次郎を取り換えたのか」問い詰めて、熊谷が、「手負いと偽って敦盛を連れ去り、平山を追っかけて駆け出した小次郎を呼び返して首を討った、知れた事」と答えたのに、「胴慾な熊谷殿。こなた一人の子かいなう。」逢うのを楽しみに千里の道を尋ね来たのに、訳も話さず、首討ったのは小次郎さ知れた事をと没義道に叱るばかりが手柄かと、と声を上げて泣き口説く。
   これを道理なりと言う浄瑠璃。

   宝暦元年(1751年)11月に大坂豊竹座にて初演と言う太平天国とはいえ、封建制度の最たる価値観が世相を支配していた時代に、忠君愛国、主君に絶対服従のサムライ社会で、独りよがりの価値観で滅私奉公が当然だと信じて生きていた武士たちをどこかで笑い飛ばしながら、この浄瑠璃を書いた並木宗輔のしたたかさに、私は、感じ入った。

   最近、人形遣いの芸を鑑賞したくて、文楽は最前列で観ている。
   この日も、やや下手側の席であったので、相模と藤の方の人形振りは至近距離である。

   玉志の熊谷次郎直実の素晴らしさは、言うまでもないが、今回は、女一谷嫩軍記と言うか、相模と藤の方に注目して鑑賞させてもらった。
   勘彌の藤の方は、非常に風格があって、美しく、この二人はダブルキャストで、後半入れ替わるようだが、簑助師匠の凄さを改めて垣間見た舞台であった。
   
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国立劇場…11月歌舞伎「孤高勇士嬢景清― 日向嶋」

2019年11月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場は、吉右衛門主演の通し狂言「孤高勇士嬢景清― 日向嶋」。
   9月の文楽「嬢景清八嶋日記」の、謂わば、歌舞伎バージョンである。
   通し狂言なので、文楽の「花菱屋の段」と「日向嶋の段」の前に、「鎌倉大倉御所の場」と「南都東大寺大仏供養の場」が加わって、景清と頼朝との絡みが良く分かる。

   国立劇場HPを借用すると、
   平家を滅亡させて権力を掌握した源氏の大将・頼朝は、平家によって焼き払われた奈良・東大寺の大仏殿を再興し、秩父庄司重忠ら家臣と共に落慶供養に臨む。そこへ、頼朝の命を狙う景清が斬り込むが、頼朝は、平家への忠誠を貫く景清を称え、自分に仕えるよう説得する。景清は、頼朝の仁心に感じつつも、源氏へ従うことを潔しとせず、二度と復讐をしない証に両目を刺し貫き、立ち去る。
   一方、幼少の時に景清と別れた娘の糸滝は、父が盲目となって零落し、日向国に暮らすと聞き、駿河国手越の宿の遊女屋・花菱屋に身を売った金を携えて、肝煎の左治太夫を伴い、 景清の許を訪ねる。景清は、頑なに頼朝への帰順を拒み続けていました。しかし、糸滝の献身的な愛情を知り、激しく苦悩するが、頼朝に帰順し、鎌倉へ向かう。

   感動的なシーンは、左治太夫が、景清に、官を取らせるために、糸滝が身を売って工面した金だと言うわけには行かないので、大百姓に嫁いで舅が提供した金だと言ったので、何故、百姓の嫁になった、食えなくなればなぜ死なぬ、武家の身分を全うしなかったことに激怒して、あざ丸の名剣を投げ与えて追い返すのだが、書置きで、糸滝が身を売ったことを知って、愕然自失、船を戻せと、半狂乱になって慟哭する命の叫び。
   分かれの悲痛に泣き崩れる糸滝を、邪険に追い帰した景清は、糸滝らの船が見えなくなると、船影を追って、今叱ったのは間違いであった、夫婦仲良く暮らせよと叫ぶ、ふつふつと目覚めた親心を思うと、その断腸の悲痛はいかばかりか、
   千両役者吉右衛門の頭を掻きむしって振り乱し、地団太を踏む慟哭の悲痛、先の人形浄瑠璃のどこか人間離れをした景清とは違った、人間国宝吉右衛門の生身の愁嘆場の凄さ烈しさは、想像を絶する迫力。

   この景清も、最後には、付きつ離れつ監視していた鎌倉からの目付の説得と糸滝の孝心とに心を打たれて、勧めに応じて、鎌倉への船に乗る。
   文楽では、控えめな船出であったが、この歌舞伎では、一気に舞台が変わって明るくなり、舞台中央に、豪華に飾った巨大な宝船のような船がスポットライトを浴びて、その舳先に、威儀を正した景清が鎮座し、右に糸滝に寄り添われて、目付や随身たちが居並ぶと言う華やかさ。
   平家女護島では、平家物語と同様に、俊寛は一人孤島に取り残されると言う悲劇に終わっているが、この日向嶋の景清は、ハッピーエンド。
   景清については、史実がはっきりとしていないので、どうでも良いのだろうが、やはり、剛直で、平家でも傑出した豪傑忠臣であった景清であったから、取ってつけたような、ハッピーエンドは、似つかわしくないと思う。
   まして、凱旋将軍のように豪華絢爛たるいでたちで、景清を荘厳するようなラストシーンは、私には、違和感以外の何物でもない。

   もう一つ、日向嶋で、大切にして、命日には合掌して菩提を弔っていた重盛の位牌を鎌倉への船旅で海中へ投じるシーン。
   頼朝に復讐しないと言う証に、両眼を刺し貫いた程信義に熱い景清であるから、当然、鎌倉への転身で、平家との絆を切る道具立てとしては、格好の小道具なのであろうが、景清なら、こんなことをやる筈がないと思うので、蛇足だと思って観ていた。

   さて、この舞台は、歌六や又五郎をはじめとした播磨屋の面々やその所縁の役者、東蔵や雀右衛門や錦之助などの吉右衛門一座でお馴染みの名優たちの出演で、実に充実した舞台で、国立劇場バージョンの秀山祭と言った位置づけであろうか。
   勿論、吉右衛門を観に行く芝居だが、とにかく、役者が揃っていて、非常に素晴らしい舞台であった。
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国立劇場・・・10月歌舞伎:芝翫の「天竺徳兵衛韓噺」

2019年10月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の歌舞伎は、通し狂言「天竺徳兵衛韓噺」。
   20年前の公演では、お家の芸として菊五郎が天竺徳兵衛を演じたが、今回は、芝翫が豪快で派手な素晴らしい芸を披露した。

   この歌舞伎は、文化デジタルライブラリーによると、鶴屋南北の作品で、主人公の天竺徳兵衛は、播州高砂の船頭・天竺徳兵衛で実在の人物であり、江戸幕府の鎖国以前の寛永年間に御朱印船で2度、天竺に渡り、長崎奉行所に提出した若き日の渡海記録「天竺徳兵衛物語」が「異国話」の原典だと言う。
   この作品の初演時代には、ロシア使節レザノフが長崎に来航しており、庶民の間でも外国の存在感が徐々に増してきた時期で、異国の匂いを感じさせる演出が、随所に取り入れられて、大当りした。
   例えば、天竺徳兵衛が唱える「デイデイ、ハライソハライソ」という呪文は、「主イエス」「天国」という意味の隠れキリシタンのオラショ(祈祷)であったり、水中の早替りは「切支丹の妖術ではないか」という噂まで呼んで話題をさらい、座頭・徳市の演奏する木琴は中国から輸入されたものを演奏するなど、天竺徳兵衛が語る異国話から、異国情緒満点である。
   この天竺徳兵衛の父吉岡宗観は、朝鮮国に仕えた木曽官で、日本に侵略された恨みをはらすために密かに来日して復讐の機会を待っていたので、実は日本名大日丸であったことを知らされた徳兵衛は、日本国転覆の野望を受け継ぐために、蝦蟇の妖術を伝授され、暴れまくると言うスケールの大きな芝居となっている。

   ところで、徳兵衛の異国話だが、現在風にアレンジして、最初に漂着したのが琉球で、「沖縄美ら海水族館」や国立劇場おきなわの話になり、天竺インドとは反対の方角のハワイのオアフ島にたどり着いて、ワイキキの波乗りやダイヤモンドヘッドの頂上からの展望など、期待を裏切った話ばかりだったが、観客は大喜び。
   中国には蝦蟇仙人の逸話があるのだが、日本では、筑波山の蝦蟇がお馴染みだが、他にも、大蝦蟇の怪異話があり、江戸時代の奇談集『絵本百物語』や、北陸地方の奇談集『北越奇談』などに見られると言うが、この脚色であろうか。
   舞台では、徳兵衛が繰り出す奇想天外な妖術の数々――屋敷を押しつぶす大蝦蟇の出現と“屋体崩し”、捕手を翻弄する蝦蟇からの突然の変身と“水中六方”、本水を用いた意表を突く早替りなど、芝翫がダイナミックな芸を披露していて面白いし、縫い包みを着た蝦蟇が器用に飛び跳ねて、取り手たちと演じる軽快なバトルシーンも面白い。
   

   ところが、この歌舞伎は、
   将軍・足利義政の治世で、将軍家の重臣佐々木桂之介(橋之助)が、将軍家より管理を命じられた宝剣「浪切丸」の紛失と梅津掃部(又五郎)の妹・銀杏の前(米吉)との不義を咎められ、あわや切腹寸前のところ、掃部の計らいによって宝剣詮議のための百日の猶予を与えられ、家老の吉岡宗観(彌十郎)の屋敷に預けられ、詮議の期限の翌日に、桂之介の気晴らしに、天竺帰りの船頭徳兵衛が宗観の屋敷に連れて来られ、見聞してきた異国の話を面白く語り聞かせる
   と言う話で、それ以降は、本筋が曖昧になって、徳兵衛の活劇舞台が主体になる。
   梅津掃部の奥方・葛城(高麗蔵)は巳の年・巳の月・巳の日に生まれており、色仕掛けで徳兵衛に近づいて殺され、その巳の年月日の揃った生血によって、徳兵衛の蝦蟇の妖術は挫かれてしまい、徳兵衛が所持していた雲切丸も取り戻され、追い詰められた徳兵衛も蝦蟇の術が使えず、
   歌舞伎の常套手段で、この対決は、また次に、と全員華麗な見得を切って幕。

   鑑賞のポイントは、序幕の最後の、天竺徳兵衛の花道の「引っ込み」で、「水中六法」という、水の中をくぐり抜けていく様子を見せたものとかで、豪快な勧進帳の弁慶の飛び六方とは違って、芝翫は、優雅で美しく六方を踏んで揚幕に消えて行く。
   もう一つは、座頭・徳市の演奏する中国の木琴演奏で、下座音楽の伴奏に乗って、芝翫が器用に演じて秀逸。

   芝翫の素晴らしい芸が光る重厚な舞台だが、橋之助の進境も著しく、宗観妻夕浪の東蔵や彌十郎、又五郎、高麗蔵などのベテランたちが脇をしっかりと固め、松江、歌昇、米吉、廣太郎などの清新な芸が舞台を引き締め、楽しい舞台となっている。
   国立劇場の公演は、意欲的な通し狂言の魅力である。
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芸術祭十月大歌舞伎・・・玉三郎の「二人静」

2019年10月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   芸術祭と銘打った十月歌舞伎、夜の部では、同時に、河竹黙阿弥の通し狂言「三人吉三巴白波」が上演されていたが、私が興味を持ったのは、玉三郎の「二人静」。
   勿論、オリジナルの能「二人静」との関係で、どのように、物語が展開されているのか、「現し世と常世の交わる幻想的な舞」と言う歌舞伎の舞台での舞踊の美しさに、期待したのであるが、流石に、歌舞伎で、玉三郎と静の霊が乗り移った若菜摘の児太郎の舞踊の華やかさ美しさは、格別であった。

   舞台は、勿論、鏡板を模した豪華な老松がバックで、その前に、能舞台同様に、笛・小鼓・大鼓・太鼓の囃子方が並び、後半には、その後ろに筝曲連中が居並び、右手の地謡座側には、長唄囃子連中と竹本連中、・・・豪華なサウンドが、華やかな舞台を荘厳する。
   
   まず、能と歌舞伎では、大分、演出など違いはあるのだが、能自体にも、相当、差があるので、判断は難しいのだが、「二人静」と言う意味においては、最もオーソドックスな二人静の相舞の能舞台に近い感じである。
   しかし、歌舞伎の場合には、登場人物が、静御前の霊と若菜摘の他には、神職(彦三郎)しか登場しないので、能の冒頭のシーンが省略されていて、若菜摘が直接舞台に登場して、揚幕から登場して橋掛かりで自分の弔いを依頼する里の女(シテ)に当たる静御前の霊が、花道のスッポンからセリ出ると言う演出になっている。
   若菜摘が、舞台で、神職に里の女の不思議な依頼を伝えていると、急に、若菜摘に、静御前の霊が憑りついて舞い始め、判官殿に仕えたものとの仕草で、吉野の勝手神社の神職は、弔いの依頼主は静御前であると察して、静なら舞を見せてくれと、神社の宝蔵に納められている舞の衣装(鳥烏帽子と長絹)を持て来て、若菜摘に手渡す。
   この若菜摘への静御前の憑りつき方だが、途中、里の女姿のままの静御前の霊が、下手から登場して来て、若菜摘の肩に手を触れて憑依を示して、その後は、舞台で、乗り移った影の静は、全く、若菜摘と同じ仕草で舞い続ける。
   能舞台では、舞の衣装を受け取った若菜摘は、後見座に行ってこの衣装を着ける物着となるのだが、歌舞伎の舞台では、二人とも舞台下手に退場して、それまでの能舞台のような衣装から、舞姫の衣装に着かえて再登場して、華麗に舞い続ける。
   

   竹本や長唄の詞章が聞き取れなかったので、良く分からないが、能と同じだとすると、相舞いしながら、義経一行の海路の逃避行の失敗を謡い、義経主従が吉野山に入り、更に奥地へ逃げ延びた様子、そして、捉えられて、頼朝の前で心ならずも、「しづやしづ・・・」白拍子の舞を舞ったことを述懐し、憂きこの世を諦観しながら、弔いを依頼したのであろう。

   さて、この「二人静」だが、同装の二人の舞がピッタリ揃うことを目的に作られた曲だが、視野の利かない面をつけているので、非常に難しい。
   勿論、少しずれることを楽しんだり、舞ぶりの対照的な二人の演者を組み合わせたり、両者の演技の呼吸が合い舞台が統一的に感じられれば成功であるとか、バリエーションはあるのだろうが、明治の名人宝生九郎知英は、名手二人が揃うことはないと言う理由で、廃曲にしたと言う。

   「立出ノ一声」の小書きのある舞台では、相舞が揃わないと言う難点を解消すべく、江戸中期の観世元章が、菜摘女をシテにして舞台で舞わせて、ツレの静御前の霊を、揚幕前橋掛かりで床几にかけさせて、結末のキリで、初めて相舞することになっており、また、その中間の演出もあると言う。
   私が、最初に観た舞台は、通常の二人の相舞であり、その後、別の舞台を観ているが、やはり、最初から最後まで、凄い能楽師が、相舞いする華麗な舞台の方が素晴らしい。

   さて、玉三郎と児太郎の相舞だが、歌舞伎であるから、別に合う必要がないのであろうが、微妙なところで多少のズレがあって、ピッタリ合うと言う感じではなかった。
   しかし、象徴的な能と違って、ハッキリと、舞踊の華麗さ美しさを見せて魅せる舞台であるから、非常に楽しませてもらった。
   
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国立小劇場・・・9月文楽「心中天網島」

2019年09月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門の心中物「心中天網島」、早くから、チケットはソールドアウト。歌舞伎の「河庄」「時雨の炬燵」の人気が増幅したのであろう。
   近松の原作は、あまり上演されなかったようで、シェイクスピアもそうだが、浄瑠璃の常として、その後変更が加えられて、近松半二が「心中紙屋治兵衛」に改作し、その後の半二の「天網島時雨炬燵」は今でも舞台にかかっているがストーリーは変わっており、現在の「心中天網島」や歌舞伎の「河庄」などは、先祖返りして、人気を博している感じである。

   念のために、近松門左衛門のオリジナル浄瑠璃「紙屋治兵衛 きいの国や小はる 心中天の網島」を読み返してみたのだが、大筋では、殆ど変化はない。
   上之巻 すなわち、河庄の段では、オリジナルにはない、河庄で、折悪しくやってきた太兵衛が、善六を相手に金のない治兵衛を散々笑いものにするコミカルなシーンが追加され、太兵衛が、店の格子に括りつけられた治兵衛に借金の証文を見せて煽り、孫右衛門が、その20両を叩きつけると言った挿話があるなど、多少、面白くした形跡はある。
   しかし、中之巻 天満紙屋内の段は、殆ど原文そのままである。
   最も、大きく変わっているのは、下之巻 橋尽しの段で、大和屋の場は、殆ど変化がないが、後半の 死出の道行と心中の場の「名残の橋尽し」は、この文楽では、「道行名残の橋づくし」となって、床本は非常に短縮されていて、視覚的で魅せる道行シーンとなっている。
   名文で名高い橋づくしが消えているのは残念だが、網島の大長寺での心中まで、随分長い詞章が続いているので、いくら近松門左衛門の名文でも、舞台にすると、見せ場がなくてダレてしまうのであろうと思われる。
   曾根崎心中でも、冥途の飛脚でも、簡潔で情緒連綿たる美しい死への道行の方が、良い筈なのである。
   

   今回の舞台の主な配役は、次の通り。
   人形
   紙屋治兵衛  勘十郎
   粉屋孫右衛門 玉男
   江戸屋太兵衛 文司
   紀の国屋小春 和生
   舅五左衛門  勘壽
   女房おさん  勘彌

   義太夫・三味線
   北新地河庄の段  三輪太夫 清志郎、呂勢太夫 清治、
   天満紙屋内の段  津國太夫 團吾、呂太夫 團七、
   大和屋の段    咲太夫 燕三、

   2015年、国立文楽劇場と国立小劇場での二代目吉田玉男襲名披露公演で「天網島時雨炬燵」を観ている。
   その前は、2013年、同じく両劇場で、「心中天網島」を観ていて、それぞれ、観劇記を書いている。
   興味深かったのは、10年前に、大阪の厚生年金ホールで、日経主催の「文楽の夕べ」が開かれ、住大夫と山川静夫さんとの対談、そして、近松の文楽作品・心中天網島のおさんの口説きのシーンの文楽ミニ公演であった。
   文楽ミニ公演は、おさん二題で、心中天網島と天網島時雨炬燵の夫々同じ天満紙屋内の段を実演。治兵衛が炬燵に入って、遊女小春のことで涙ぐむのを見て、おさんが、女の幸せを踏みにじっている夫に酷いつれないとかき口説く核心部分である「あんまりじゃ治兵衛殿。それほど名残惜しくば誓紙書かぬがよいわいの。」と言うくだりで、勘十郎のおさん、簔二郎の治兵衛で演じられた。
   大夫は、文字久大夫と呂勢大夫、三味線は、清志郎と清二郎。
   勘十郎が、「近松は字余り字足らずで、私きらいでんねん。近松、おもろまっか。」と言う住大夫を前にして、指を折って指し示し、半二の改作で、七五調に変わって良くなったと説明していた。

   さて、今回の通し狂言とも言うべき「心中天網島」は、恐らく、現在期待し得る最高の舞台ではなかったかと思っている。
   玉男が治兵衛なら、勘十郎が小春、和生か清十郎がおさんと言ったキャスティングであったと思うが、今回は、玉男が、渋い治兵衛の兄粉屋孫右衛門を遣っていた。
   どうしても、格調高い侍姿をイメージしてしまうのだが、舞台が進むにつれて、少しずつ町人ムードに変わって行って治兵衛の目線に近づいて行った。我當の孫右衛門は、刀を忘れて取りに引き返すと言った俄かサムライ姿を苦笑しながら上手く演じていたのを思い出す。
   どうしようもないガシンタレの大坂男治兵衛を勘十郎が、健気で優しい大坂女小春を和生が、感動的に遣い、情感豊かな道行名残の橋尽くしの美しくも哀れな余韻は忘れがたい。
   この舞台の主人公とも言うべきおさんを遣った勘彌の活躍は特筆ものであろう。

   人間国宝に認定された咲太夫や人間国宝の清治を筆頭に最高の布陣で演じられた義太夫と三味線の素晴らしさは、言うまでもなく、近松門左衛門の凄さを改めて感じ入ったひと時を過ごさせて貰った。
   
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秀山祭大歌舞伎・・・仁左衛門の「勧進帳」

2019年09月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   團十郎や、白鷗・幸四郎の高麗屋、吉右衛門の「勧進帳」で、傑出した弁慶を観続けてきたが、仁左衛門の弁慶には、何となく、上方歌舞伎の雰囲気が出ていて、今回で2回しか観ていないが、非常に味があって好きである。
   花道に立って六方を踏み出す仁左衛門の決死の形相を観ていても、この前の女殺油地獄の河内屋与兵衛を一世一代で演じたように、この弁慶も、まさに、その思いで、これが白鳥の歌、最後の弁慶の舞台となるのではないかと思っている。
   それだけ、鬼気迫る心魂を傾けた凄い舞台であった。
   富樫は、幸四郎、義経は、孝太郎。
   

   仁左衛門の弁慶は、11年前、「四月大歌舞伎」で、勘三郎の富樫、玉三郎の義経で、一度だけ観ている。
   剛直な弁慶の雰囲気濃厚な張り詰めた舞台と言うよりは、パンチの利いた華麗な美しい舞台であったように覚えている。

   富樫や義経は、代わっているが、一番多く観ている弁慶は白鷗で、殆ど目に焼き付いている感じだが、古くは、團十郎の弁慶、菊五郎の富樫、梅玉の義経の舞台や、吉右衛門の弁慶、菊五郎の富樫、梅玉の義経の舞台も印象に残っており、近年では、幸四郎や海老蔵の弁慶など、結構、沢山の勧進帳を観ているのだが、
   筋書きは同じでも、役者によって、大きく、舞台の印象のみならず、ストーリー展開に差が出てくるのが興味深い。
   勧進帳や山伏問答でも、役者に大変な緊張と負荷を課すようで、その上、延年之舞、最後に、六方を踏んで揚幕に消えるという大技を演じるのであるから、おそらく、今後は、幸四郎や海老蔵の弁慶の時代となろう。

   この勧進帳の舞台については、文楽も含めて、随分書いてきており、オリジナルである能「安宅」についても、何度も観劇記を綴っているので、これ以上書くこともないのだが、やはり、勧進帳を観る度に、能「安宅」の舞台を頭の中で反芻している。
   2012年12月19日 | 能・狂言に書いた「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」が、結構、読まれているのだが、これが、その問題意識の発端で、勧進帳が、能「安宅」の舞台に影響を与えているのを知って、やはり、そうかと、歌舞伎の舞台でのアウフヘーベンと言うか、深掘り進化とも言うべき芸術の妙を感じている。

   能「安宅」について、九世観世銕之丞が、「能のちから」で、先代が、喝采を浴びた「勧進帳」に影響を受け、歌舞伎から逆輸入して「安宅」の演技を再構築した部分もあるのではないか、と言う言い方をしていた。と語っている。
   また、観世清和宗家は、「能を読む⓸」の「能の劇的身体」で、能役者が「安宅」を演じる時には、歌舞伎の「勧進帳」を意識せざるを得ない。「瀧流之伝」などをやる時に、「尾上松緑がこんなふうにやっていたな」とか、あのような華やかさを能にも逆輸入で取り入れようかなあなどと思ったりする、と語っている。「安宅」と言うのは、歌舞伎の「勧進帳」と相関関係にある、意識していないと言えば嘘だと思う、と言うのである。

   能と歌舞伎の違いは、色々あるのだが、大きな違いは、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、男の情けで、安宅の関を通させるのだが、能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言うことになっている。
   今回の仁左衛門の弁慶も、幕が引かれた後、花道に一人佇んで、富樫が見送って立っていた舞台に向かって深々と頭を下げて、富樫の切腹覚悟の武士の情けに感謝し、六方を踏んで退場する。

   さて、力の対決で安宅関を突破するとする能「安宅」を舞う能役者が、義経と弁慶一行だと分かって演じているのかと言うことだが、かって書いたように、弁慶の清和宗家も、富樫の宝生閑も、分かっていたと言っており、そのあたりの微妙な感触を、清和宗家が、「能を読む⓸」の「能の劇的身体」で、その舞台での対応で、非常にビビッドに表現していて興味深い。
   「虎の尾を踏み、毒蛇の口を、逃れた心地して」と言った時に、脇座から富樫が弁慶をスッと、その危うい心地そのものの眼差しで見ておられるわけです。・・・ただ弁慶をスッと見ているあの眼差しというのは、拝見していて、情は見せないとは言いつつ、そこに人間としての無言のメッセージを送っているのです。・・・その時の閑先生の眼差しというのが、情があってはならないのだけれど、正に情をもって舞台でやっておられる。

   私は、清和宗家が、「一期初心」で、富樫もハナから義経一行だと喝破し、弁慶も見破られていることに気付いていて、お互いに相手の心を読み、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかり合っている。表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマが進んでいる。この二重構造が「安宅」の特徴であり、演者にとっての醍醐味だと言っていて、。
   「安宅」が大曲と言われるのは、展開する舞台の華々しさによるのではなく、背後で同時に進んでいる緊迫した心理劇をどう表現するか、そこに演じるものの力が問われているからだ。と述べているのが正しいと思っており、
   それに、宝生閑が、「幻視の座」で語っているように、富樫が、弁慶に心酔したと言う伏線があって、そのアウフヘーベンが、この感動的な歌舞伎の「勧進帳」に昇華されたのだと思っている。

   弁慶が、勧進帳を読み始め、富樫がにじり寄ると、弁慶が身構えて、両者の緊迫した見得が演じられるが、その後、幸四郎の富樫は、中空の一点を凝視しただけで身動きもぜず聞き入っていたが、既に、偽勧進帳であると見破った所為の仕草だと思って観ていた。
   第一、真面な勧進帳であれば、弁慶が隠す必要もなく身構えることはない筈なのである。
   尤も、能「安宅」には、このシーンはなく、弁慶の、高らかに、天も響けと大音声の勧進帳の読み上げに、「関の人々肝を消し、恐れをなして通しける」と言う展開であるから、これは、歌舞伎演出のドラマチックな脚色なのである。

   以前に、勘十郎の弁慶を観たのだが、義太夫の魅力を味わいながら、文楽の「勧進帳」を久しぶりに観たいと思っている。
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秀山祭九月大歌舞伎・・・吉右衛門の「寺子屋」

2019年09月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座の9月公演秀山祭は、凄い舞台の連続である。
   今回は、吉右衛門の「寺子屋」、仁左衛門の「勧進帳」、歌六の「松浦の太鼓」を期待して、夜の部に出かけた。
   

   それぞれ、何回も観ている演目だが、吉右衛門の寺子屋は案外少なく、仁左衛門の勧進帳は2度目だが、流れるような造形美の感動的な弁慶をもう一度観たくて、そして、初役だという歌六の好々爺ぶりの松浦のお殿様に滋味深い味のある芸を期待して、夜の部に出かけた。
   最近、若手の歌舞伎役者の台頭が著しく、歌舞伎座は賑わっているが、私には、少なからず違和感があって、古い世代の、ある意味では、古色蒼然たる伝統の染みついた歌舞伎の舞台の方が、本来の姿だと思っているので、このような定番歌舞伎の舞台が好ましいのである。

   まず、寺子屋だが、時間の関係であろう、その前の「寺入の段」がなくて、直接、「寺子屋の段」に入って、すぐに、戸浪が小太郎を紹介するので、味も余韻もなくて気がそがれる。
   同じ兄弟でありながら、芸風の違いと言うのか、白鷗と吉右衛門では、かなり、雰囲気が違った松王丸で、興味深かった。
   まず、子供たちの顔検分のシーンでも、吉右衛門の場合には、春藤玄蕃(又五郎)の問いかけには、殆ど無表情に近く目立った派手な受け答えをしないのだが、小太郎の首を討たれた直後の断腸の悲痛、しかし、首実検では小太郎の机の存在で顛末が分かっているので特に表情を強張らせずに首を凝視し、源蔵(幸四郎)から、小太郎がにっこり笑っていさぎよく首を差し出したと聞くと、感極まった泣き笑い表情で、「でかしおりました、利口なやつ立派なやつ、健気な…」と万感胸に迫る心情を吐露・・・感情表現が実に緩急自在で、その落差をうまく際立たせて表現し、
   自分だけ運命の悪戯で、菅丞相に報いられない松王丸の苦悩を、「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松の つれなかるらん」で苦しかった胸の内を、
   小太郎の死の断腸の悲痛を、菅秀才の身代りとして野辺送り、
   このシーンのいろは送りの情緒連綿たる美学は、日本語の素晴らしい美しさがあってこそであろう。
   

   配役は、次の通り。
   園生の前 福助、千代 菊之助、戸浪 児太郎、涎くり与太郎 鷹之資、菅秀才 丑之助、百姓吾作 橘三郎、春藤玄蕃 又五郎、武部源蔵 幸四郎

   幸四郎の格調高き源蔵、存在感十二分の又五郎の玄蕃、
   菊之助の品格と児太郎の初々しさ、
   福助は姿を観られるだけでも幸運、
   涎くり与太郎の鷹之資、菅秀才の丑之助の成長を感じた舞台、
   今、考え得る最高の配役陣の寺子屋ではなかったかと思っている。







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