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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場二月文楽・・・「大経師昔暦」2019

2019年02月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   丁度、9年前に、この国立小劇場で、「大経師昔暦」を見たのだが、比較的演じられる頻度は低い。
   ふとした過ちから、内儀のおさんと手代の茂兵衛が不義密通を犯した故に、逃避行の末に捕縛される悲しい話で、近松得意とするしっかりした大坂女とがしんたれの大坂男の演じる心中物とは違って、男女の哀歓を語ってしみじみとした余韻を残す。

   おさん(和生)が、借金の身代わりを買って出て窮地を救ってくれたお礼をと思って、下女の玉(簑紫郎)の部屋を訪ねたら、毎夜、夫の以春(玉勢)が夜這いして困ると訴えるので、それなら、逆に夫を懲らしめてやろうと、寝所を入れ替わる。真夜中、以春の印判の無断借用で窮地を救ってくれた玉の愛に報いようと、茂兵衛(玉志)が、玉の部屋に忍び込んで来て、お互いに相手が入れ替わっていることを知らずに契ってしまう。その時、外出先から以春が帰ってきて、出迎える行灯の光が部屋に差し込み、二人は事の重大性を知って驚愕する。
   ところが、西鶴では、おさんが、茂兵衛に恋をしたお玉にラブレターの代筆をしてやったのだが、そのつれないふざけた返事に腹を立てて、偲んで来ると返事が来た時に、悪戯心を起こして懲らしめてやろうと、お玉と寝所を入れ替わる。しかし、宴会の後の疲れで不覚にも寝入ってしまって、あろうことか茂兵衛と契ってしまうと言う話になっていて、その落差が面白い。

   いずれにしろ、玉の仲立ちで、幼な妻のおさんの軽はずみが、悲劇を招くと言うことは同じで、不義密通は加担者も含めて死罪だとする当時の法体制のなせる業。
   尤も、西鶴によると、この以春は、京都きっての遊び人四天王の一人で、男色・女色なく昼夜の別なく遊び暮らし、芝居の後、水茶屋・松尾に並んで道行く女を品定めして、その時見た13か14の超美少女・今小町にぞっこん惚れて、果敢にアタックして嫁にしたのが、このおさん。
   とにかく、今風に言うと、事の起こりは、色きちがいの以春であって、ほおっておかれて、孤閨をかこっていた幼な妻のおさんに悪戯心を起こさせて引き起こした悲劇なのかもしれないと思える。
   近松は、馬で京都の町を引き回されている途中、おさんに、「つまらない女の嫉妬から、何の罪もないそなたまで不義者にしてしまった」と詫びさせているのだが。

   さて、問題のおさんと茂兵衛の濡れ場だが、床本は至ってシンプルで、狸寝入りのおさんが、揺り起こされて目覚めた振りをして「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サァこれこそ』と頷けば」で頭巾で相手を確認して、真っ暗な中で「その手をとって引き寄せて、肌と肌とは合ひながら・・・」なのだが、
  茂兵衛は、玉への礼が主体であり、堅物で初心なのか、肩肘立ててじっと動かずに添い寝しているのだが、おさんの方が、仰向けに寝返って、茂兵衛の首に手を回して身を起こしてしがみ付き 肌と肌を・・・
   すぐに、衝立が引かれるのだが、人形ながらも、ぞくっとするようなリアルなシーンの展開
   おさんは、散々以春をいたぶって、朝になって、鼻を明かそうと言う心算なのだが、

   私が昔から知っていたのは、この二人の不義密通話だけなのだが、これは上之巻で「大経師内の段」であって、もっと質の高い見せ場のある中之巻と下之巻が続いていて、奥行きのある素晴らしい浄瑠璃なのである。

   次の「岡崎村梅龍内の段」では、玉は、伯父で講釈師の赤松梅龍(玉也)の家へ送り返され、また、おさんと茂兵衛も店から逃げ、玉を心配して様子を知るために、赤松梅龍を頼ってゆく。そこへ、娘の身を案じたおさんの親・道順(勘壽)夫婦が来あわせて恨み言を言いつつも、実は娘が救われることを願って路銀を与えて別れて行く。
   その後、「奥丹波隠れ家の段」で、おさんと茂兵衛は、茂兵衛の里奥丹波に隠れ住んでいたのだが、追手が迫り捕縛される。そこへ、梅龍が、不義の仲立ちをしたとして玉を犠牲にして首を持参するのだが、却って無実の証人を失うことになり、二人は護送されてゆく。

   西鶴は、おさんと茂兵衛との不義密通を主題にして男女の性愛を描いたのだが、近松門左衛門は、この「中之巻」を主体にして、おさんと道順夫妻との親子の情愛に重点を置いて、より多くの観客を意識して作劇しており、ここが戯作者西鶴との差であると、大谷晃一氏は語っている。

   近松の浄瑠璃は、もう少し先があって、
   歳は19と25、今日は八十八夜だが、その名残の霜がこの世の見納め・・・馬で京の町を引き回される道行。
   最後は、粟田口刑場の場で、道順夫妻が群衆を押し分けて身代わりを嘆願するが拒絶され、
   黒谷の東岸和尚が駆けつけてきて、持ってきた衣をふたりに打ち掛けて肘を張ってかばうと、諸人は歓声を上げ道順夫妻も喜んで幕。
   史実とも違って、近松は、観客を喜ばせるような脚色をしたのである。

   さて、今回は、おさんを、人間国宝の和生が遣っていたが、以前には、おさんを師匠の文雀が、そして、茂兵衛を和生と言う師弟コンビで演じていたので、今回のおさんは、人間国宝同士の芸の継承であろう。
   岡崎村梅龍内の段の奥を呂太夫、そして、三味線は團七
   先月、大阪で、「冥途の飛脚」を鑑賞できたが、やはり、近松門左衛門は良い。
   
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初春大歌舞伎・・・「一條大蔵譚」ほか

2019年01月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   白鷗の「一條大蔵譚」を観たくて、昼の部を鑑賞した。
   これまで、吉右衛門の舞台を何度か観ており、その指導を仰いだ幸四郎や菊之助の大蔵卿を観ているので、同じ系統であるはずの御大白鷗が、どのような舞台を見せてくれるのか、当然、吉右衛門とは違った芝居を演じるであろうから、それを観たかったのである。

   結果的には、吉右衛門スタイルの一條大蔵卿のイメージが定着してしまっていて、白鷗の大蔵卿に、違和感と言うか、一寸、違った印象で、不思議な感じがして観ていた。
   まず、門から登場して来る冒頭の大蔵卿の表情だが、吉右衛門の場合には、極論すれば、まさに、阿呆丸出しで、ニヤケタ相好を崩した愛嬌のある顔で出てくるのだが、白鷗は、心なしか、阿呆の表情なのだが、特に阿呆を強調するのでもなく、虚弱被膜と言うのか、それ程、表情を崩しては居なかった。
   しかし、以前に、仁左衛門の大蔵卿が、吉右衛門や勘三郎などのように、満面に笑みをたたえた阿呆姿で登場するのではなくて、どちらかと言えば無表情の腑抜けスタイルに近い姿で現れたのを覚えているのだが、それに近い、どちらかと言えば、阿呆は阿呆でも、昔、ロンドンで観たRSCの舞台での、ケネス・ブラナーの悩み煩悶するハムレットに相通じる芸の深みのようなものを感じたのである。

   服装や芸のスタイル、立ち居振る舞いにしても、舞台の進行にしても、白鷗も吉右衛門も、殆ど違いはないのだが、やはり微妙な差があって、大詰めの切り取った勘解由の首を、吉右衛門の時には、首を抱えながら甚振っていたし、仁左衛門の時には、舞台にほおり投げていたのだが、白鷗は、首を抱えたまま、同じスタイルで、相好を崩してガハッガハッと豪快に笑い飛ばしながら幕となった。
   この表情の差と言うか表現の違いが、文武両道に秀でながら源平どちらにも加担せずに阿呆を通しぬいて生きて来た大蔵卿が、「今まで包むわが本心」を爆発させて、鬼次郎夫妻に、苦衷を吐露して義経への檄を飛ばすシーンの激しさ凄さ、そして、その本心に秘められた悲しさ慙愧の思いの深さを表す、夫々の名優たちの思い入れなのであろうと思う。

   この舞台を支えたのが、魁春の風格のある常盤御前、梅玉の端正な鬼次郎と雀右衛門のその妻お京、錦吾の勘解由と鳴瀬の高麗蔵の高麗屋のベテラン、とにかく、きっちりと様式美の整った舞台であった。

   その前に上演された「廓文章」の「吉田屋」は、上方歌舞伎からは、吉田屋女房おきさの秀太郎だけ。
   簡略バージョンであったのか、最後に登場して、ハッピーエンドの提灯持ちだけであったが、高麗屋の三代襲名一周年のお祝で手締めの音頭を取っていた。
   扇屋夕霧を演じた七之助が、新鮮なヒロイン像を披露していて興味深かったし、近松の舞台など上方歌舞伎の優男を演じても様になる幸四郎の伊左衛門も楽しませてもらった。
   しかし、やはり、仁左衛門や藤十郎、鴈治郎たちの伊左衛門の世界で、どんどん、上方歌舞伎の世界が消えて行くようで、寂しさを感じざるを得なかった。
   まだ、文楽には、その雰囲気が色濃く残っているのだが、あの近松門左衛門の浄瑠璃の世界でも、大坂人独特の雰囲気なりムードがあって、それを表現できるのは、やはり、上方の歌舞伎役者。
   芸術は、普遍だと言っても、私など、啄木のそを聞きに行くために上野の停車場に行く、その心境で、浄瑠璃、ないし、浄瑠璃バージョンの歌舞伎を観たいのである。

   芝翫と魁春の「舌出三番叟」と、福助や芝翫の「吉例寿曽我」は、新春祝賀プログラム。
   
   

   正月だからと言うわけではないが、いつも賑わっているのは、地下鉄に直結した地下の木挽町広場。
   昔懐かしい日本の伝統的な店舗が目白押しで、歌舞伎ファン以外の客も結構多く、お祭り気分を味わえるのが良い。
   それに、日本の伝統工芸などそれなりの店が出ていて、面白いものが見つかることもあって楽しい。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    
   
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国立文楽劇場・・・「冥途の飛脚」

2019年01月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門の心中物の名作「冥途の飛脚」
   亀屋忠兵衛を玉男が、遊女梅川を清十郎が、丹波屋八右衛門を玉輝が遣い、「封印切りの段」の義太夫と三味線は、呂太夫と宗助、素晴らしい布陣である。
   今回の初春文楽公演の第二部を、この曲と「壇浦兜軍記」とでプログラムを組んだのであるから、非常に楽しみであった。

   東京の女性ファンに聞いたら、心中物は嫌いだとか、じゃらじゃらした舞台は好きではないと言う人が多いのだが、私自身は、元関西人の所為か、好きだと言うほどではないけれど、むしろ、歌舞伎などでも、オドロオドロシイ怪奇モノやアウトローが主役の任侠モノや荒事と言った作品にはそれほど興味がないので、ストーリーがしっかりしていて、人情の機微などを描いた和事の世界の方が性に合っているようである。
   と言うよりも、近松門左衛門の世界に思い入れがあると言うことかも知れない。
   尤も、落語なら、「井戸の茶碗」のように、善人ばかりで悪人が登場しないような作品が好きだが、そうも行かないところが、歌舞伎や文楽の世界である。

   最初に、この文楽の「冥途の飛脚」を観たのは、2002年11月の大阪国立劇場で、次は、2005年5月に国立小劇場で、両方とも、忠兵衛は初代玉男、梅川は簑助で、2005年には、玉男の最晩年に近く、「道行相合かご」では、忠兵衛は勘十郎に代わっていた。
   玉男の人形を最初に観たのは、それより10数年前にロンドンでの「曽根崎心中」であり、日本に帰って1993年以降からであるから、幸いにも、大星由良助など、随分、名場面を観ている。
   その後、玉女の忠兵衛と紋壽の梅川、和生の忠兵衛と勘十郎の梅川、二代目玉男の忠兵衛と清十郎の梅川で、今回は、この最も最近2017年2月のキャストと同じ、玉男と清十郎の舞台である。
   ほかに、別バージョンの「傾城恋飛脚」の「新口村の段 」を観る機会もあった。
   同じ題材をあつかった、しかし、近松とは関係のない興味深い「傾城三度笠」が、1986年1月に、朝日座で公演されたと言う記録があるが、紀海音の作とかで、文学性に欠けるが面白い作品のようである。
   尤も、今日上演されている「冥途の飛脚」も、近松門左衛門のオリジナルからは、大分、改作されてはいるのである。

   この「冥途の飛脚」は、淡路町の段、封印切りの段、道行相合かごの段で形成されているのだが、封印切の段が頂点で、この70分弱の舞台を、語り続ける太夫と三味線の浄瑠璃語りは、大変なもので、今回、呂太夫と富助の熱演は感動的であった。
   以前には、人間国宝の嶋太夫や綱太夫(源太夫)が語っていた。

   今回、橋本治の「浄瑠璃を読もう」の”これはもう「文学」でしかない「冥途の飛脚」”を読んでいて、すこし、「冥途の飛脚」の見方が変わった。

   まず、最初の指摘は、忠兵衛も八右衛門も友人でありながらお互いをよく知らなかった、特に、忠兵衛は、大阪商人のスタイルは知っていても、「自分はなり切った」と思いこんでいた大坂と言う大都会での「一人前の商人としてのあり方」を良く知らなかったと言うこと。
   義母妙閑を安心させるために鬢水入れを50両と見立てて、忠兵衛の窮地を救った八右衛門が、越後屋で、この一件を満座の前でばらして、忠兵衛に恥をかかせて追い詰めたのは、辻褄を合わせた八右衛門が裏切ったのではなく、大坂商人のメンタリティを知らなかった忠兵衛の咎で、近松は、こう言う恐ろしい落とし穴を忠兵衛の前に用意したと言うのである。

   軽い気持ちで、八右衛門に届いた50両を勝手に借用しており、もう、この段階で、御法度の封印を切っており、それに、鷹揚だと思った八右衛門が、金のない、切羽詰まった忠兵衛が差し出した鬢水入れを50両として受け取って急場を救ってくれたので、一件落着と大きな気持ちになってしまって、堂島の屋敷に届けるための300両を懐にして家を出るが、途中で、「行こうか戻ろうか」と迷いながらも、結局、新町の廓へ行ってしまう。
   忠兵衛の窮地を知っている八右衛門が、皆に、忠兵衛を廓に寄せ付けるなと説得しているのを、立ち聞きしていた単細胞の忠兵衛が、友人でありながら自分を裏切って暴露し、男の顔を潰したと言って、雪崩れ込んできて抗弁して、阿呆であるから、後先を考えずに切れてしまって、八右衛門や梅川の説得にも耳を貸さず、奈落へ突き進んでしまうと言うのは、この大坂商人未発達のメンタリティの所為だと言うことであろうか。

   次の封印切りの段の冒頭、「・・・烏がな、浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めてな、遭ほう遭ほうとさ」の義太夫、
   近松は、幻影の烏の鳴き声「遭ほう」に引っ掛けて、「阿呆」「阿呆」と鳴かせた、浮っついて廓にやってきた忠兵衛を、突き放したこの冷淡さこそ、主人公忠兵衛に対する近松の愛情である。
   忠兵衛を、「状況の被害者」としてではなく、やがてはそのようなものになってしまう、状況を動かしてゆく普通の人間として、ドラマを淡々と、そして冷淡までの距離を置いて書き進めた、と言うのである。
   「封印切りと言う事件に巻き込まれてしまった忠兵衛と梅川の美しくも哀しい運命劇」ではないのである。

   義理と人情によって調和的に成り立っている世界、現実からはみ出しても不思議がないような人間のあり方を描き出すのがリアリズムであって、近松は、一気呵成に破綻への道を滑り落ちて行く、そうなって行くしかない経緯を冷静かつ明確に記して、終着点は、「なんと哀れな・・・」。
   「なんと愚かな・・・」を「なんと哀れな・・・」の一言に変えるために、近松門左衛門の浄瑠璃は存在している。と言うのである。

   そのような軸線で、この作品を観ると、逆に、梅川の哀れさ悲しさが、新鮮に浮き上がってきて、お涙頂戴の恋愛劇と言う印象よりも、どうしようもない人間の業と言うか、性が見え隠れして、一層、身につまされてくる。
   忠兵衛は、ごく普通に何処にでもいる阿呆な若者に過ぎない、その愚かな、そして、哀れな物語が、この「冥途の飛脚」であると、そのまま、はいそうですかと言えないのだが、そんな視点から、もう一度、近松の「曽根崎心中」や「心中天の網島」などを読み直してみようと思っている。
   義理と人情によって調和が成り立っていた世界からはみ出さざるを得なかった愚かな若い男女が、どんどん奈落の底へ突き進んでいく。そんな逃げ場のない冷淡で厳しい浄瑠璃を近松が描いたために、人気が出ずに、長い間、舞台にかからなかったり、観客迎合型の改作が相次いだと言うことも、分かるような気がしている。
   
   
   
   
   
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国立文楽劇場・・・「壇浦兜軍記」

2019年01月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の歌舞伎座の玉三郎の「壇浦兜軍記」の感激が冷めやらぬうち、大阪で、文楽の舞台を観ることになった。
   最初に観たのは、簑助の阿古屋で、その時は、勘十郎が左を遣っていたのだが、その後、勘十郎の主遣いの阿古屋を観ており、今回は、2度目の鑑賞である。

   「壇浦兜軍記」は、全五段の浄瑠璃だが、普段は、この第三段目の「琴責めの段」だけしか演じられないので、良く分からないが、悪七兵衛景清のストーリーで、
   屋島での源平合戦での錣引きの遺恨から始まって、東大寺大仏殿再興の落慶法要に、頼朝が来ると言う噂を聞いて、平家一門の敵を討つ好機到来と忍び込むが、政子が代参して果たなかったことから、舞台が展開する。
   その景清の行方を追求すべき、景清と馴染みの傾城阿古屋を詮議するのが、この「阿古屋琴責め」で、その後、捉えられた景清が、牢破りを行い、自ら眼をえぐり取って、阿古屋に手をひかれ杖をつきつつ戻り、頼朝が、景清に、日向勾当の官位を与える。と言う話で終わる。
   この浄瑠璃では、頼朝は、かなり、善人として描かれているのだが、主役の景清にしても、歌舞伎・文楽は勿論、能やその他の古典芸能では、格好のキャラクターで、随分、バリエーションを重ねながら、あっちこっちに登場しており、実像はなへんにあるのか、分からないところが面白い。

   
   ついでながら、この「琴責め」で、岩永左右衛門(文司)が、詮議者の悪役として登場して、秩父重忠(玉助)に嫌がらせをして盾突き、途中浮かれて、阿古屋の胡弓に合わせて、刀を爪弾くと言う、狂言回しを演じているのだが、最後の結末シーンでは、帰ってきた景清を討とうとして逆に殺されると言う冴えない役回りを演じるカリカチュア的な存在ながら、   
   この話の冒頭、根井大夫の娘白梅に横恋慕していて、箕尾谷を娘婿とする根井に、錣引きの当事者である景清と戦った源氏方の美尾谷十郎国俊を臆病者と罵って、東大寺への参詣への出立時に喧嘩する。と言うストーリーからも、景清を憎み通して討とうとする重要な登場人物として描かれているのである。

   さて、最も関心のある三曲、琴、三味線、胡弓の演奏だが、歌舞伎の舞台では、本格的なプロをも凌駕する玉三郎の至芸を聴き見て、魅せて貰った。
   文楽では、この三曲は、前回同様に、寛太郎が弾いた。
   驚嘆すべきは、勘十郎と、左を遣った一輔の指使いが、寛太郎の演奏と殆ど違っておらず、劇場の音響効果も良いのであろうが、実際に人形が弾いているように、正面から聴こえてきて、正に、感動であった。
   もう一つ、歌舞伎の三味線のパートで、ソロの玉三郎のサウンドを、義太夫の三味線が邪魔していた感があったのだが、これは、三味線の共演なので、良かった。

   私自身は、最前列で観ていて、時々、振り返って寛太郎の演奏を観ていたのだが、来月の東京公演では、右正面のやや後方の席なので、もっと、そのコラボレーションが、良く分かるのであろうと思う。

   義太夫は、阿古屋が津駒太夫、重忠が織太夫、岩永が津國太夫、榛沢は小住太夫、水奴は碽太夫、
   三味線は、清助、清志郎、

   先月の歌舞伎の舞台同様に、素晴らしい「琴責め」の文楽を楽しませてもらった。
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国立文楽劇場・・・「伽羅先代萩」

2019年01月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの大阪の文楽公演の鑑賞である。
   やはり、文楽は大阪が本拠で実際の物語の舞台にも近くて雰囲気があり、大阪公演の方が充実しているような感じだし、また、先行する場合が多いので、時々、この劇場で観劇している。
   普通、早朝に羽田を発って、その日、朝昼二部連続で夜まで観劇して、大阪に泊まり、翌朝、京都か奈良の古社寺を散策して、夜の便で鎌倉まで帰ることにしているのである。

   今回の「伽羅先代萩」は、竹の間の段と御殿の段と政岡忠義の段。
   この文楽は、江戸の歌舞伎を文楽バージョンに変えたというから、成り立ちから言っても興味深い。

   「政岡忠義の段」は、急病で休演していた咲太夫が、元気な姿を見せて、燕三の三味線で、感動的な切場を語り切った。
   また、この段だけ登場した簑助の栄御前が、堂々たる貫禄。梶原景時の妻で、頼朝の見舞い菓子を持参したのであるから、陣中の将軍のように大股を開いての着座。
   実子千松(玉翔)が、八汐(勘壽)に嬲り殺しにあっているのに、殆ど表情を変えずに鶴千代(簑太郎)を案じて微動だにしない和生の政岡を、キッとした表情で見据えて対峙する緊張感漲る決定的瞬間の凄さ、そして、微かに浮かぶ微笑。
   栄御前は、「血筋の子の苦しみをなんぼ気強い親々でも、耐えらるるものじゃない。若殿にしておく我が子大事、そなたの顔色変わらぬは取り換え子に相違はない、」と誤解して、自分たちの御家乗っ取りの悪事を、政岡にばらすのである。

   このように、浄瑠璃「伽羅先代萩」では、栄御前が取り替え子を信じるのは、八汐の手下として登場した小槙(簑紫郎 本当は忠臣方に連なる)が栄御前に予め嘘を吹き込んでいたという設定であり、この段の幕切れに小槙が登場しそのことを告げているのである。
   ここで興味深いのは、歌舞伎では、その後、栄御前が、弾正一味の連判の巻物を、政岡に預ける。
   この巻物を、仁木弾正が化けて出てきた鼠に取られて幕切れとなって、次の「床下の段」に続く。

   普通には、何故、栄御前が、この大切な巻物を、政岡に渡すのか、いつも疑問に思っていたので、巻物などが登場せず、政岡が千松の亡骸を抱きしめて必死になって苦悶を掻き口説く断腸の悲痛を、傍らで聞きつけた八汐が、自分たちの悪の巧の妨げとなると政岡に立ち向かうのを、沖の井(文昇)が小槙を証人にして御家乗っ取りの企みを白状せよと迫ったので、切羽詰まって、政岡に切りつけ、逆に殺されてしまう。
   この方が、筋が通っていると思っていたのである。

   最も、鼠が出なければ、「床下の段」はどうなっていたのか。
   讒言によって遠ざけられ、御殿の床下で警護をしていた忠臣・荒獅子男之助が、巻物をくわえた大鼠を足下に踏まえて「ああら怪しやなア」といいつつ登場して、鉄扇で打たれた鼠が逃げ去ったと思ったら、スッポンの煙のなかから、眉間に傷を付け巻物をくわえて印を結んだ仁木弾正が現れる。弾正は巻物を懐にしまうと不敵な笑みを浮かべて去っていく。と言う、歌舞伎では、松本幸四郎の名演技で魅せた超有名な場面が生まれないことになる。

   ほかに、一寸雰囲気が違った感じを受けたのは、千松が奥から出てきて、栄御前が持ってきた菓子を食い散らすのだが、歌舞伎だったら、その直後千松は苦しみだすのだけれど、床本「・・・蹴散らかしたる折は散乱八汐はすかさず千松が首筋片手に引き寄せて懐剣ぐっと突っ込めば ワッとひと声七転八倒・・・」のごとく、千松の苦しみを表現せずに、八汐は千松の首に刃を刺す。
   とにかく、歌舞伎の舞台よりも、何度も何度も繰り返す、政岡への挑発ともいうべき八汐のえげつなくて残酷な殺戮シーンは、人形だからできる芸なのか、異常ともいえる激しさである。

   それだからこそ、千松は、毒入りの菓子を食べ、犬畜生にも匹敵する下賤な悪人の八汐によって目の前でなぶり殺しにされながらも、政岡は平静なまま、涙一つ見せずに耐えて、若殿を守護するのだが、
   そんな気丈夫な政岡でも、一人きりになると、人目を忍びながら号泣を抑えて我が子の亡骸を掻き抱き、よう死んでくれた、でかしたでかしたと国の命運を命にかえたと褒めながら、「三千世界に子を持った親の心はただ一つ、子の可愛さに毒なもの喰うなと言うて叱るのに、毒と見えたら試みて死んでくれと言うような胴慾非道な母親がまたと一人あるものか」と自らを責めつつ深く嘆き悲しむのだが、この断腸の悲痛、遣る瀬ない真情を切々と訴える咲太夫の「クドキ」に合わせて、和生の政岡は、舞うように、あらん限りの表現を駆使して悲しみ苦しみを演じ続けて、感極まっての後ろ振り姿の華麗さ美しさは、泣きたくなるほど感動的であった。

   歌舞伎では、この栄御前登場から始まる「政岡忠義の段」も、「御殿の場」に集約されているのだが、前半の「飯焚き」の場は、下手な舞台だと、冗長すぎて飽きてしまうのだが、なぜか、この文楽では、それほど気にならなかった。
   この段の義太夫と三味線は、千歳太夫と富助、
   竹の間の段は、織太夫と團七

   初春文楽は、名作のオンパレードであったが、まず、この「伽羅先代萩」に感動したのである。
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国立劇場・・・初春歌舞伎「姫路城音菊礎石」

2019年01月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   正月の国立劇場の歌舞伎は、菊五郎劇団の通し狂言。今回は、並木五瓶の「袖簿播州廻」を、菊五郎と国立劇場とで脚色したとかで、「ひめじじょうおとにきくそのいしずえ」というタイトルであるから、音羽屋菊五郎の歌舞伎である。

   この歌舞伎は、江戸時代、播州姫路城の城主・桃井家が、御家乗っ取りを策する悪者たちに将軍家に献上すべき家宝の香炉を奪われると言う歌舞伎の常套テーマを軸にして、家来印南大蔵(彦三郎)たちに唆されて廓遊びにうつつを抜かして病気と称して将軍への謁見を断っている嫡男陸次郎(梅枝)の締まらない当主がメインで、身請けした傾城尾上(尾上右近)が生んだ国松(寺島和史)への相続というのが筋であるから悪者の暴れ放題で、最後には、追放された前城主の子である印南内膳に対峙されて幕という芝居。
   この忠臣面した家老で、どんでん返しで大悪と化す内膳を演じるのが、菊五郎であるから、貫禄十分、見せて魅せる芝居である。

   姫路城の天守にまつわる怪異物語の歌舞伎は、玉三郎の妖艶なお姫様が、若くて凛々しい鷹匠と恋に落ちる幻想的な物語、泉鏡花の「天守物語」のファンタスティックな舞台を思い出すのだが、この歌舞伎では、お家再興のため、没落した桃井家の後室・碪の前(時蔵)が、荒廃した姫路城で、侍女たちと妖怪姿で現れて、妖怪が出現するという噂を広め、妖怪退治に挑む腕試しにやってきた勇者を味方につけようとするストーリーになっていて、発想がユニークである。
   忠臣を装う家老の印南内膳(菊五郎)に殺されたはずの忠臣主水(松緑)が蘇生して百姓の平作に成り代わって、女房のお辰(菊之助)と力を合わせて、桃井家の遺児たちを悪者から守るのだが、桃井家から以前受けた恩義に報いる与九郎(松緑)・小女郎(菊之助)の夫婦狐の健気な助っ人姿が、白衣の狐衣装で展開されるなど、動物譚を交えた舞台展開が、さらに怪異さを増す。

   この歌舞伎では、菊五郎に伍して舞台を引き締めているのが、颯爽とした侍姿の生田兵庫之介と風格のある碪の前を演じる時蔵で、この舞台でも、菊五郎との相性の良さを示して輝いている。
   それに、桃井修理太夫の楽膳をはじめ、團蔵、萬次郎、権十郎などのベテランが舞台を支えており、花形の菊之助や松緑の、それぞれの個性満開の華麗でエネルギッシュな芸は抜群の冴えで感動的である。
   面白いのは、悪者を演じた飾磨大学の片岡亀蔵のドスの利いた迫力に加えて、大蔵の彦三郎と久住新平の坂東亀蔵の兄弟の性格俳優ぶりを前面に押し出した新鮮な演技が素晴らしい。
   もう一つ、なよなよした締まらない若殿の梅枝は、女形故の会心の舞台で、それに、右近の傾城姿と変身した奥方の美しくて風格のある姿が印象的で、観客を喜ばせていたのが、菊五郎の孫二人、和史と福寿狐の寺島眞秀の達者な可愛い舞台姿である。

   新作ともいうべき舞台で、通し狂言としては、色々な歌舞伎特有の工夫を凝らした見せ場を各所に展開する意欲的な、非常に面白い歌舞伎であるにも拘わらず、やはり、親しみに欠ける所為か、残念ながら空席がかなりあって、大向こうの掛け声も散発であった。
   
   
   
   
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国立劇場・・・12月文楽「鎌倉三代記」「伊達娘恋緋鹿子」

2018年12月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   最近、東京の文楽公演は、チケットのソールドアウトがあり人気が高くなっている。
   以前には、東京の12月公演には、寒くて大変なのであろう、住大夫、初代玉男や簑助と言った人間国宝のエース級は上京せず、大阪の新春公演に満を持していたのだが、最近は、多少事情が変わって来ており、また、橋下補助金打ち切り以降、東京の文楽人気は、上昇している。
   大阪の国立文楽劇場は、太夫にとっては、少し大きくて語り難いようだが、しかし、文楽発祥の地であり、浄瑠璃は大阪弁であるから、そして、何となく古い文化と伝統、その雰囲気が残っているような感じがして、私は、あの劇場の佇まいが好きで、正月公演も大阪に行って、先に、「壇浦兜軍記」を聴きたいと思っている。

   「鎌倉三代記」は、「局使者の段」から「高綱物語の段」までで、三浦之助(玉助)の死への出陣と母(和生)の死を見送る時姫(勘彌)の悲痛な別れと、高綱(玉志)の登場と旗揚げがメインだが、大坂城落城の大坂方の悲劇をテーマに据えた、真田幸村をモデルにした佐々木高綱の物語である。
   物語全体は、大坂の陣の故事なので、ほかに、徳川家康を北条時政、千姫を時姫、木村重成を三浦之助、後藤又兵衛を和田兵衛、淀君を宇治の方、豊臣秀頼を源頼家にしているが、最後には、時姫は父時政を討とうと決心したが果たせず自害し、高綱は頼家とともに琉球へ逃れると言うことになっているとかで、その発想が興味深い。

   
   この舞台で、やはり、重要な役割を果たすのは、「三姫」の一つの時姫で、「赤姫」と呼ばれる華麗な深紅の衣装が眩いばかりに美しく、天下の為政者の姫君であるから、落ちぶれて田舎に引き籠っていたとしても、凛とした風格と気品、それに、初々しさと可憐さ、さらに、愛する夫三浦之助に迫られて実父を殺す約束までする剛毅さを併せ持つ奥の深いキャラクターを演じなければならない大変な難役である。その上に、面白いのは、赤姫の豪華な衣装を着て手ぬぐいを姉様被りにかぶってタスキ掛けで、ぎこちなく米を炊いだり、大根を切る姿で、
   この教授をするのが、女房おらち(簑一郎)で、大坂のおばはんを彷彿とさせる近所の田舎の主婦であるから、お姫育ちの時姫の台所仕事を見ていると、じれったくて仕方がないので、井戸水の汲み方からコメの研ぎ方まで実演して教える。大酒は飲むは、ガラも悪いが、実に温かくて人情味豊かな憎めぬおばはんで、この悲劇の舞台では一服の清涼剤。2015年の舞台では、在りし日の紋壽が遣っていたが、流石にベテランの冴えが光っていた。
   しかし、時姫で見どころは、母の身を案じて帰ってきたのに面会さえ叶わず、母に咎められて泣く泣く出陣しようとする三浦之助を、愛しい一心で時姫が必死に止めようとする儚くも美しいシーンで、時姫のかき口説きに死を決して苦悶する三浦之助の美しい男女の絵のような舞台、文字久太夫と藤蔵の義太夫と三味線が胸に迫る。
   

   もう一つ、清涼剤となるコミカルな舞台は、百姓の安達藤三郎に扮した高綱で、時姫を口説くなど軽妙洒脱な道化役を演じているのだが、井戸の中に追い込まれて、再登場した時には、豪華で貫禄充分な英雄姿で現れて、坂本城に進軍の檄を飛ばすフィナーレ。
   やっと心から打ち解けた義母の臨終を見守りながら、同じく断腸の思いで、母と時姫を残して出陣する三浦之助を見送る時姫が悲しくも美しい。
   織大夫と清助の名調子が、さわやかで感動を呼ぶ。

   後半の「伊達娘恋緋鹿子」は、八百屋お七(簑紫郎)と小姓吉三郎(玉勢)の物語。
   吉三郎の命がかかっている殿から預かった天国の剣を手に入れたが、九つの鐘が鳴って江戸の町々の木戸がすべて閉ざされので、届けられない。  
   しかし、吉三郎を助けたい一心で、火炙りの刑を承知で、お七は、出火と思って木戸が開けられるので、火の見櫓に駆け上がって半鐘を打つ。
   
   以前に歌舞伎「松竹梅湯島掛額」の大詰めの「四つ木火の見櫓の場」で、別なバージョンのこのシーンを観た。
   吉右衛門の紅長の方が印象的で、この記憶が鮮明なのだが、猿之助(当時亀治郎)の人形振りのお七が面白かった。
   歌舞伎の場合には、火の見櫓の梯子は、下手側の側面にあって、お七の駆け上がる様子が良く分かるのだが、面白いことに、文楽では、正面に梯子があって、人形遣いの主遣いだけが背後に回って人形を遣うので、あたかも人形が梯子に張り付いて登って行く姿が、実にリアルで美しく演じられており、非常に感激する。
   このシーンでは、人形遣いの姿が全く見えないので、人形が自力で生きているように梯子を上って行く感じで、やはり、生身の役者が演じる歌舞伎とは違った文楽の良さがあって面白い。
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国立劇場・・・Discover BUNRAKU(菅原伝授手習鑑)

2018年12月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   12月文楽鑑賞教室のうち、今回は、Discover BUNRAKU-外国人のための文楽鑑賞教室-を鑑賞。
   プログラムは、
   解説 文楽の魅力 解説=ステュウット・ヴァーナム‐アットキン
   菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
     寺入りの段
     寺子屋の段
   で、団子売(だんごうり)は、省略されている。

   能・狂言の場合にも、同じような鑑賞教室で、外国人用の公演があって、英語の解説がつくのだが、特に、英語に拘ることはないので、私は、日時の都合で、このプログラムを選ぶことがある。
   能・狂言の方が多いと思うのだが、結構、白人系の外国人観客が鑑賞していて、かなり、日本の古典芸能にも興味を持つ人が多くなってきていることが分かる。
   それに、能狂言とはちがって、アジア系の観客も結構見えていた。

   この文楽の「寺入りと寺子屋の段」は、人形浄瑠璃でも決定版中の決定版で、ほかにも素晴らしい段があるのだが、時折、上演される通し狂言の「菅原伝授手習鑑」(最近では、14年に大阪の国立文楽劇場で、その前は、02年5月にこの小劇場で鑑賞)で観ると、格別の感動があり、日本古典芸能の奥深さとその真価が痛いほど実感できる。

   この日の舞台は、寺子屋の段の義太夫と三味線は、千歳太夫と富助、睦太夫と清友、
   人形は、松王丸が玉男、女房千代が清十郎、武部源蔵が玉也、女房戸波が文昇、春藤玄蕃が玉輝、と言う素晴らしい布陣で、最初から最後まで、熱気を帯びた意欲的なパーフォーマンスで、大詰めのいろは送りの哀切極まりない幕切れまで、感動の連続である。

   私が、最初に観た松王丸は、文吾の豪快でありながら実に繊細で人形とは思えないほど感情豊かな舞台であり、残念ながら、2回くらいで、その後、勘十郎や当代玉男の松王丸の素晴らしい舞台に代わっている。
   あの当時は、簑助や紋壽たちが、文吾の舞台を支えていて素晴らしかった。
   特に、今回の玉男もそうだが、松はつれないと言われ続けて苦悶していた人間松王丸の激しい肺腑を抉るような慟哭と心情吐露が聴きどころであり見せ場で、その後のいろは送りの浄瑠璃に乗って、悲しくも儚い思いに悶えながら舞い続ける千代の姿が涙を誘い、ラストの後ろ振りの美しさに感動する。
   今回の「文楽鑑賞教室」では、勘十郎が松王丸を遣う別バージョンが上演されたのだが、これも、素晴らしい舞台であったのであろう。

   「文楽の魅力」の解説、How to Appreciate BUNRAKU in English は、ステュウット・ヴァーナム‐アットキンが担当で、文楽を良く知り、日本語も堪能なので、立て板に水、
   私は、30分近く遅れて入場したので、希太夫たちの人形の解説パートだけしか見れなかったのだが、これなど、日本語の分からない人には、非常に助かるのではないかと思う。
   それに、イヤホンガイドも、日本語のほかに、英語、中国語、韓国語、スペイン語、フランス語があって、至れり尽くせりである。

   私は、ずっと以前に、ポルトガルのリスボンで、国立劇場で、フランスの芝居を観たことがあるのだが、英語のパンフレットもなくて、まったく分からなかった経験がある。
   オペラも同じで、ハンガリーのブダペストで、国立歌劇場ほかで、何度かハンガリーのオペラを観たのだが、舞台と音楽は楽しめたが、何のことかサッパリ分からず、オペラのタイトルも、読み方を隣の青年に聞いたほどであった。
   尤も、イギリスでは、RSCやロイヤルシアターのシェイクスピア戯曲に通い詰めた時には、小田島雄志の翻訳本を小脇に抱えて予習をして行ったので、問題はなかった。
   その点、アルゼンチンタンゴ、フラメンコ、ファドなど劇場やバー・レストランで聞く民族芸能など音楽は、万国共通なので、楽しめたが、やはり、言葉が絡む芸術鑑賞は、ハードルが高い。

   それに、今回の文楽「寺子屋」などは、主に忠誠を尽くすために、自分の子供を、主の子供の身代わりとして殺してしまうと言う、今の日本人でさえ理解できないような深刻なテーマ、を核とした芝居なので、果たして、異文化異文明の外国人観客に、どのように鑑賞されたかである。
   ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」や「ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来」が説くように、人類の自由意志、意識、知能の発展推移を分析して、神になりつつあると言う現代人からは、あまりにも落差が激しい。
   しかし、この公演は、早くからチケットはソールドアウトで、多くの外国人が詰めかけて大好評。
   このあたりに、日本の古典芸能の秘密があるのかも知れない。
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国立劇場・・・12月歌舞伎:「通し狂言 増補双級巴―石川五右衛門―」

2018年12月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
    12月歌舞伎は、吉右衛門の「通し狂言 増補双級巴―石川五右衛門―」。

    この歌舞伎は、初代吉右衛門の手がけた五右衛門ものの傑作を通し狂言として、当代が公演するというものだが、私など、太閤秀吉に捕らえられて、釜煎りの刑になった大盗賊と言うイメージしかなかったので、この歌舞伎は、五右衛門を題材にした複数の作品を繋ぎ合わせたとかで、五右衛門の生涯を綴った一つの物語として構成されていて、嘘か本当かわからないのだが、盗賊としての五右衛門よりも、家族への情愛や胸中の葛藤に焦点を当て、五右衛門の人間像を描いていて、面白い。
   團十郎が嫌っていた宙乗りを、吉右衛門が演じるというのも時代の要請であろうが、大きな葛籠を背負った五右衛門が、舞台下手から3階奥に消えて行くのも国立劇場としては、異例のサービスなのであろう。

   木屋町二階の場では、二階の五右衛門が、下にいる久吉(菊之助)に手裏剣を投げて、久吉が柄杓で受けるというあの「金門五山桐」の「南禅寺山門」の場のパロディ版が演じられて、先月の吉右衛門と菊五郎の舞台を思い出した。
   先の「葛籠抜け」の宙乗りは、この二階で寝ていた五右衛門の夢だというから面白い。

   冒頭、壬生村の次左衛門(歌六)がひょんなことで殺した道中の奥女中から生まれた子供が五右衛門で、(発端 芥川の場で幕が引かれた後で、オギャーと言う声だけが流れる)、26年ぶりに壬生へ帰ってきて、持っていた系図から西国大名大内義弘の遺児だと分かって、大泥棒(?)として大成していたので、天下を狙う野望を抱いて、勅使に化けて、将軍足利義輝(錦之助)の館に乗り込むというところから面白い。
   そこに、奇想天外と言うか、竹馬の友・此下藤吉郎久吉がいて、見破られるのだが、懐かしくなって、寝転がって頬に手を当てて戯れるあたり、真面目な芝居なのかどうか、とにかく、全編、ストーリーのある物語として見ていると、肩透かしの連続である。
    五右衛門の隠れ家の場では、一気に、五右衛門は夫と父と言う世話物の世界に早変わりして、先妻の子五郎市を邪険にする後妻のおたき(雀右衛門)を誤って殺してしまうなど、五右衛門の隠れた人間像が描かれていて、盗賊の世界とは全く雰囲気が変わって面白い。

   最後の藤ノ森明神捕物の場は、追い詰められた五右衛門と取り手たちの立ち回りで、久吉の温情を蹴って五右衛門が縄を打たれるフィナーレ。
   何となく、歳を感じさせる吉右衛門の動きが気になるのだが、千両役者の大泥棒石川五右衛門の多彩な、一寸、人間の弱さを滲ませた味のある舞台を見て楽しませてもらった。

   石川五右衛門の芝居にしては、かなり、バリエーションのあるごった煮の豊かな芝居であったが、やはり、通し狂言の良さで、裏表面白い舞台の連続であり、見取り公演よりは面白いのが良い。
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十二月大歌舞伎・・・玉三郎の「阿古屋」ほか

2018年12月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座では、どうしても、玉三郎の「壇浦兜軍記」の「阿古屋」を観たかった、聴きたかった。
   歌舞伎での「阿古屋」は、何回か観ているのだが、このブログの記録では、2007年9月と2015年10月に、玉三郎の阿古屋で観ている。歌右衛門以降、玉三郎しか、この舞台を務め得る女方は皆無であったので、当然ことだが、今回は、ほかに、玉三郎の指導で、梅枝と児太郎が、ダブルキャストで阿古屋を務めている。

   「阿古屋」は、文耕堂らの合作の時代物義太夫狂言『壇浦兜軍記』の3段目で、平家の残党を詮議する京都堀川の評定所で,岩永左衛門(松緑)は平景清の愛人阿古屋を拷問して,景清のゆくえを白状させようとするが埒が明かず,秩父庄司重忠(彦三郎)は、阿古屋に琴,三味線,胡弓を弾かせ,その音色に乱れがないことから,彼女の心に偽りはないとして許す。と言うシンプルなストーリーだが、文楽では、人形に三曲を弾かせる趣向がおもしろくて、楽しめるのだが、歌舞伎では、この「琴責め」では、三曲を、一人の女方が、義太夫に合わせて華麗に弾き通すのであるから、大変な舞台である。
   文楽では、簑助(左勘十郎)と勘十郎の「阿古屋」を観ているのだが、前回の舞台では、実際の三曲は、三味線の人間国宝故鶴澤寛治の孫である鶴澤寛太郎が弾いていた。

   さて、玉三郎の三曲だが、河竹登志夫が、琴と胡弓の大家川瀬白秋との対談で、玉三郎への胡弓など三曲の指導について興味深い話を聞きだしている。
   舞台で阿古屋の胡弓を弾くのは、滅法難しい。玉三郎の舞台で、川瀬先生が弾いているのかと聞かれて、「玉三郎さんご自身です。もし裏で弾くとしたら、あの速さに合わせるのは大変ですよ。」と応えたと言う。また、歌右衛門は元々器用なうえに勉強家だったが、「玉三郎さんはただごとじゃない勉強家でしたよ。」胡弓は、左側の本体の動かし方も、左利きで上手なので、自分でも「胡弓は合っているみたい」と言っていたと言う。
   この胡弓は、中国製の胡弓とは違って、三味線を小型にしたような和製の胡弓で、毛を沢山張った弓で外側からチェロのように演奏するのだが、重清が「胡弓擦れ」と指図するところが面白い。
   
   琴はある程度弾けたので、三味線を、一寸上手いくらいではダメだと勧めたら、「やりたい」「やりなさい」で、朝から晩まで弾き続けた。と言う。
   玉三郎は、努力の人で、勘三郎が、旅の途中で、朝起きてあくびをしながら電気を点けたらもう弾いている、あんなに弾かなきゃダメかね、と言ったら、これだけ弾いてもこれっぽっちしか上手くならない。と言っていたと言う。
   いずれにしろ、阿古屋にかけるプロ以上の玉三郎の芸の昇華は特筆もので、これを聴くだけでも、鑑賞の値打ちがある。

   玉三郎の舞台の印象は、2007年の私の印象記とほとんど変わらないので、それを多少修正して記しておきたい。
  多くの捕り手に前後を囲まれて花道を静かに登場する豪華な打掛と俎板帯の傾城姿の阿古屋の何と艶やかで素晴らしいこと、もうこの花道での見得から舞台が展開しており、この時と、階で仰け反って殺せと迫って中空を仰ぐ艶姿と見紛うような姿、それに、舞台最後の玉三郎の後姿の華麗さ美しさ。私は、簔助や文雀の後ぶりの美しさに何時も感激しているので、この玉三郎の華麗な見返り美人姿を舞台に移したような、前足に比重を乗せながら大きく体を後ろへ引いて見せて魅せる艶姿にいつも感激している。

   どんな責め苦や拷問にも動揺しない阿古屋が、重忠の情けある問い掛けが辛かったと心情を吐露する。実際に、景清の行方など全く知らないのだから、「いっそ殺してくださんせ」と言って、きざはしにかけ上がり、中段に腰を下ろして身を投げ出し下手側に反り返って訴える玉三郎の姿は、正に、絵画の世界そのもので、帯の鮮やかな孔雀が格別に美しい。
   私は、この阿古屋の舞台は、玉三郎の三曲の素晴らしい演奏と随所に魅せる玉三郎の阿古屋の錦絵から飛び出したような傾城姿、それに、景清に対する女心の機微を三曲の演奏に託して語りかける玉三郎の芸が総てで、裁き手である重忠や岩永など素晴らしい人物が登場するが、狂言回しに過ぎないと思っている。

   総てを弁えて風格のある凛々しい判事の重忠の颯爽たる井出たちに対して、権力に胡坐をかいて少し教養と知性の足りない岩永を人形ぶりのパペット演出で演じさせるあたり、非常に面白く、彦三郎がいい味を出している一方、松緑の新境地を開いたような、厳つい赤顔の惚けた表情が絵になっている。
   この岩永の人形振りだが、実際の文楽の人形は、時に生身の歌舞伎役者以上にスムーズでリアルなので、むしろ、人形には悪いくらいであって、ジャック・オッフェンバックのオペラ「オフマン物語」での人形のオランピアなどは、もっとぎこちない人形振りを披露するものの、一寸、異常な感じはしている。
   もう一つ、私などは、玉三郎の音曲、サウンド・パフォーマンスを聞きたくて劇場に来ているので、阿古屋の三曲は、義太夫、特に、三味線との協奏曲であるものの、阿古屋が、ソロ・プレーヤーであるから、4丁の三味線は、サウンドをトーンダウンするなり協力すべきだと思っている。

   本来の義太夫の舞台、文楽の阿古屋が、新春早々、大阪と東京で、上演される。
   勘十郎が阿古屋を遣って、華麗な舞台を見せてくれるようで、大いに期待している。
   
   「阿古屋」が終わって、劇場の外に出たら、13夜の月が、歌舞伎場のファサードの上空に輝いていた。
   
   

   「あんまと泥棒」は、あんまの秀の一(中車)のあばら家に、泥棒の権太楼(松緑)が、あくどい金貸しで小金を貯めこんでいるといううわさを聞いて、入り込む。
   しかし、悪知恵の働く秀の一に丸め込まれて、投げ捨てて埃を被っていた師匠の位牌を、亡くなった妻の位牌だと言って、仏壇も買ってやれないと泣きつかれて、なけなしの金を置いていく話。
   一枚上手のあんまの口車にまんまと乗せれて、人の好い泥棒が、少しずつ陥落して行く対話の妙が面白い。
   こんな芝居になると、中車は、歌舞伎を超えた上手さと芸の奥行きが炸裂して独壇場の世界で、これに受け答えして振り回される松緑の芸の冴えも凄くて、先の人形振り岩永と好対照で、大車輪の活躍。
   三年前に、おなじ「あんまと泥棒」を、秀の一は、同じ中車で、猿之助の権太楼で観たが、面白かったのを思い出す。

   「二人藤娘」は、藤娘に扮する梅枝と児太郎の華麗な舞踊の世界。
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国立劇場11月歌舞伎・・・通し狂言「名高大岡越前裁」

2018年11月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   通し狂言「名高大岡越前裁」を観るのは、この舞台と同じであったかどうかは定かではないのだが、2回目だと思う。
   越前一家の切腹の場のシーンだけは記憶にある。

   この話は、享保13年、天一坊改行が、八代将軍・徳川吉宗の御落胤と称して、大勢の浪人を集めて捕らえられ、その翌年に獄門に処せられた実在の事件を脚色した歌舞伎である。
   実際には、大岡越前とは関係ないのだが、「大岡政談」として、初代神田伯山が講釈としていたので、それを基に河竹黙阿弥が改作して、明治8年(1875)初演されて、明治150年記念として、国立劇場が、通し狂言「名高大岡越前裁」として上演した。と言う。
   ご落胤を騙って江戸に乗り込んだ右團次演じる天一坊を、梅玉の越前守が、紆余曲折を経ながら、大岡裁で破却すると言う話である。

   ストーリーは、国立劇場のHPから大略借用すると、次の通り、
   しかし、史実とは関係なく、一寸毛色は違うが、ラスプーチンや弓削道鏡などと言った極悪人が実在する世の中であるから、かなり、良くできたフィクションであって面白い。
   紀州平野村感応院の小坊主・法沢(右團次)は、隣村の老女お三(歌女之丞)から、亡き孫が実は八代将軍・徳川吉宗の落胤だという話を聞き、偶然にもその孫と自らの生年月日が同じだったことから、悪心を抱き、お三を殺して証拠の墨付と短刀を奪い、師匠の感応院も毒殺してその罪を下男・久助(彦三郎)になすり付け、出奔する。
将軍の御落胤になりすまして美濃国常楽院に現れた法沢は、元関白家の家来・山内伊賀亮(彌十郎)に出会い、朝廷や武家の礼式に詳しいので味方に引き入れる。法沢は、一味に加わった住職・天忠(嵐橘三郎)[の機転で過去を塗り替え、天一坊と名を改め上京して幕府と対峙する。
老中の調べを受けて御落胤と決まった天一坊だが、大岡越前守(梅玉)だけは納得せず、再吟味を願い出るが、却って謹慎を申し渡される。大岡は池田大助(彦三郎)ら家来の力を借りて秘かに屋敷を抜け出し、水戸藩主・徳川綱條(楽善)に助力を求めて、再吟味に漕ぎつけるが、伊賀亮が巧みな弁舌で大岡の鋭い追及をかわし、大岡は、将軍と天一坊の親子対面の実現を約束するも、十日の猶予を得る。
猶予期間中に家来を紀州へ調査に向かわせたが、一向に報告が入らず、猶予の刻限を目前に控えた大岡は妻・小沢(魁春)と嫡子・忠右衛門(右近)とともに覚悟を決め、切腹しようとする。最早最期と言う直前に、家来が紀州より戻り、天一坊の騙を暴く証言と確証を得たので、大岡は、再び天一坊と対峙し、悪事の一切を暴き屈服させる。

   私は、この歌舞伎を観ていて、1956年の映画「追想」を思い出していた。
   17歳で、ニコライ2世皇帝と共に殺害されたはずのロシア皇帝の末娘アナスタシア皇女が生き残っていると言うアナスタシア伝説をもとにした素晴らしい映画で、
   ロシアの元将軍のユル・ブリンナー演じるパヴロヴィッチ・ボーニンが、 アンナ・コレフ役のイングリッド・バーグマンを教育してアナスタシア皇女に仕立て上げて皇太后と対峙する話である。デンマークで甥のポール王子の下で暮らす皇太后・アナスタシアの祖母(ヘレン・ヘイズ)との劇的な対面が成功して、ポール王子とアンナの婚約も決まったのだが、ボーニンとアンナが愛し合っていたと言う驚天動地の結末で、結婚発表披露の場に二人は現れなかった。皇太后の「芝居は終わった」と言う幕切れの言葉は、正に、ドラマチックで、言い得て妙であった。
   「追想」の場合は、皇太后に、少女時代のことを聞かれ、アンナは、ドギマギして帰ろうとするが、皇太后は、アンナが時々する妙な咳に気づき、彼女が本物のアナスタシアと知ると言う意外な展開をするのだが、
   本物を装って、首実検の場に及んだ当事者が、息を呑むような丁々発止、虚々実々の駆け引きを演じるシーンの迫力は、格別であり、この歌舞伎の緊迫した舞台にも相通じて興味深い。

   この舞台の越前守は、加藤剛演じるテレビの胸のすく様な格好の良いお裁きではなく、再吟味を願っても謹慎を命じられたり、水戸公の執り成しで再吟味に臨んだ絶好の機会に、伊賀亮ごときに論破されて舌を巻き、切羽詰まって10日間の猶予を得て家来を紀州に差し向けて証拠を暴こうとするも成功せず、切腹しようとするまでに追い詰められると言う体たらく、
   芝居だから良くできたもので、正に、切腹寸前に紀州から家来が証拠と証人を携えて駆け込んでくると言うドラマチックな展開で、
   その後は、天下の大岡裁きで、梅玉の天下一品の晴れ舞台。

   このように、颯爽たる品格のある大岡越前は、梅玉のはまり役だと思うが、その傍に付き添う魁春の妻小沢の存在も貴重で、それに、右近の凛々しくて可愛いい嫡子・忠右衛門が出色であり、何よりも、悲愴な舞台を、ドラマにしていて素晴らしい。

   それに、凖タイトルロールを、風格のあるしっかりとした役どころにし立てて、面白い舞台にしていた天一坊の右團次の活躍も、見逃せない。

   歌舞伎座では、顔見世興行で、華やかな舞台を展開していて、この国立劇場は、空席が多くて、少し寂しい感じだが、彌十郎や楽善などのベテランが舞台を支え、彦三郎や松江など若手の活躍もあって、纏まった芝居となって、通し狂言の魅力を見せて楽しませてくれた。
   
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吉例顔見世大歌舞伎・・・猿之助の「法界坊」

2018年11月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の吉例顔見世大歌舞伎は、夜の部を観た。演目は、次の通り。
   猿之助の「法界坊」を観たかったからである。

   一、楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
     石川五右衛門 吉右衛門
     真柴久吉   菊五郎
   二、文売り(ふみうり)
     文売り 雀右衛門
   三、隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)
     法界坊
     序 幕 向島大七入口の場より
     大喜利 隅田川渡しの場まで
     浄瑠璃「双面水澤瀉」
   〈法界坊〉
     聖天町法界坊 猿之助
     おくみ    尾上右近
     手代要助   隼人
     野分姫    種之助
     おらく    門之助
     番頭長九郎  弘太郎
     大阪屋源右衛門 團蔵
     道具屋甚三  歌六
   (双面水澤瀉)
     法界坊の霊/野分姫の霊 猿之助
     渡し守おしづ 雀右衛

    タイトルは、「隅田川続俤」
    悪党ながら茶目っ気とユーモアのあるどこか憎めない法界坊
    あの凄みの利いたお数寄屋坊主河内山宗俊とは違って、所詮は巷の小賢しい悪徳坊主の悲しさが見え隠れして面白い
    色と欲におぼれた聖天町の法界坊は、浅草龍泉寺の釣鐘建立の勧進と称して、集めた金を道楽や飲み食いに使ってしまう生臭坊主。永楽屋の娘おくみに恋慕しモーションを賭けるも、おくみは手代の要助と恋仲なので、相手にされない。要助は、実は京の公家吉田家の嫡男松若丸で、紛失した御家の重宝「鯉魚の一軸」を探すために身をやつしている。許嫁の野分姫が奴五百平を供に江戸にやってくるのだが、要助は、おくみの母おらくの尽力でようやく一軸を取り戻す。しかし、要助とおくみがいちゃついている間に、法界坊が、大事な一軸をすり替えた挙げ句、源右衛門と婚礼が決まっていたおくみの間男の嫌疑をかけるのだが、この恋愛騒動の証拠だと法界坊が懐から出した恋文を、甚三が、法界坊が書いておくみに差し出したが投げ捨てられていた恋文とすり替えて、皆の面前で大声で読んだのだから、法界坊は周章狼狽。甚三に万座の前で読まれて恥をかかされ、苛立ちが収まらない法界坊は、松若丸を追ってきた野分姫まで無理やり口説いて殺してしまうのだが、法界坊も、甚三憎さに掘った落とし穴に自分が落とされて、甚三に殺される。助け出された要助とおくみは、甚三に指示されて、妻おしづの待つ隅田河畔の渡し場へ逃げて行く。
   舞踊「双面」では、この渡し場から始まって、おしづと要助とおくみの前に、おくみの姿をした法界坊と野分姫の合体した霊が現れて3人を苦しめるが、おしづの術で調伏されて退散する。
   まず、猿之助は、おくみとそっくりの娘姿で登場して、妖艶な仕草で舞い踊り、女形の巧手であったことを思わせて、中々、魅せてくれる。
   この霊を猿之助が、おくみに対しては法界坊、要助に対しては野分姫の霊となって対峙し、顔の表情を変えてそれぞれに挑み、最後には、厳つい隈取をした悪鬼スタイルで登場して見得を切る。
   取って付けたような演出だが、ストーリーなどどうでも良くて、江戸時代の錦絵、歌舞伎絵の世界を見せればそれでよし、江戸歌舞伎の良さであろう。

   「えー浅草龍泉寺釣鐘の建立 おこころざしはござりませぬか」と、よれよれの僧衣をまとって妖しげな掛け軸の幡を持った、大きな銭禿を頂いた汚い坊主が花道に現われる、この「釣鐘」の建立寄進金を集めて、その金で遊びまくる尊い名僧だと称する助べえの悪徳坊主が、この舞台の主人公「法界坊」。
   勘三郎と、吉右衛門の法界坊を二回観ているのだが、同じ出で立ちながら、三人三様、微妙にニュアンスが違っているのが面白い。
   蜷川シェイクスピアでも、器用な芸を見せて、マルチタレント・タッチの器用さを見せる猿之助の芸は、何処までが地でどこからが芸なのか判然としないのだが、滲み出る可笑しさ滑稽さが出ていて、中々魅せてくれる。

   何と言っても面白いのは、法界坊が、間男の証拠として出した要助からおくみへの恋文を、客席までにじり出て表書きを見せて確認して甚三に渡すのだが、すり替えられたのを知らずに、自分の書いた恋文を読まれ、茶々を入れて聞きながらも、少しずつ自分の書いた恋文らしいと気づき始めて、表情を変えて慌てて制止するも、最後の自分の名前を読みだされて、頭を隠して地面に俯せになって伸びあがり、逃げようとする醜態と哀れさ。
   この恥が余程こたえたと見えて、法界坊は、一気に、甚三を恨んで悪の本性を現して甚三に対決して抗うも殺されてしまうのだが、歌六の貫禄が猿之助の芸を深堀して興味深い。
   この甚三を、吉右衛門の時に、富十郎と仁左衛門が演じていたが、法界坊と甚三の芸が拮抗していると、他の雰囲気の異なった場面と好対照となって面白くなる。

   この舞台で、法界坊のコミカル・イメージに呼応するのが、おくみに聟入りして永楽屋を継ごうと目論む番頭だが、歌舞伎定番の惚けた調子の道化役者よろしく、弘太郎が、いい味を出していて面白い。
   要助と恋仲で、源右衛門に嫁にと望まれ、番頭にも思われ、法界坊にも執心されるモテモテで、許嫁の野分姫をも突っぱねるおくみを演じるのが尾上右近、中々、クールでしっとりとした女ぶりである。
   なよなよした優男の要助を演じる隼人を見るのは初めてだが、右近のおくみと相性がぴったり合っていて好ましい。
   
   さて、世話物の「法界坊」に続いて、「浄瑠璃 双面」の常磐津連中と竹本連中の楽に乗せての華麗な舞踊劇に転換するのか、一寸、不思議な感じがするのだが、吉右衛門の時には、最初は、今の幸四郎が代わって演じていたが、秀山祭の時には、吉右衛門自身が演じて、久しぶりに吉右衛門の女形を観た。
   この時は、「双面水照月で、猿之助の今回の舞台は、「双面水澤瀉」なのだが、三囲土手で法界坊が宙乗りするのと同様に、澤瀉屋の型なのであろう。
   ラストシーンの猿之助の厳つい隈取姿とは違って、確か、吉右衛門の双面の霊は、白塗りの女姿であったように思う。

   「楼門五三桐」は、吉右衛門の石川五右衛門と、菊五郎の真柴久吉の名セリフと颯爽たる絵姿を観る舞台。
   「文売り」は、雀右衛門の舞踊、男女の良縁を願う恋文を売り歩くとは面白い。
 
 
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芸術祭十月大歌舞伎・・・白鸚の「佐倉義民伝」

2018年10月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   最近は、歌舞伎座には月に1回だけ行くことにしており、今回は、仁左衛門の助六については、襲名公演が最高の舞台であったであろうから封印して、もう一度、白鸚の「佐倉義民伝」を見ることにした。
   1851年に、江戸中村座で初演されたと言うから、本当は、勘九郎あたりが、宗吾を演じれば、勘三郎追善興行になるのであろうが、まだ、もう少し年季が要るのであろう。
   しかし、弟の七之助が、宗吾の妻おさんを演じて、若さを抑えた円熟味さえ感じさせる味のある芸を披露して、感動的であった。
   前に観た時には、このおさんを福助が演じていたのだが、やはり、芝翫の血であろう、流石に上手い。

   この宗吾は、宗吾霊堂の主神であるから、正に、神性をおびさえした高潔な役柄であるのだが、菅丞相や良弁上人は、仁左衛門が適役だとしても、この宗吾は、白鸚でなければならず、白鸚の極め付きの舞台だと思う。

   宗吾霊堂にほど近い、この物語の故地である佐倉に、長く住んでいたのだが、残念ながら、まだ、行ったことはない。
   しかし、佐倉は、江戸時代には江戸の東を守る要衝の地であり、徳川一族・譜代大名が入封する重要な藩であって、
   幕末の藩主で老中でもあった堀田正睦が、蘭学をはじめ学問を奨励し、順天堂を開き、また、ペリー来航以降、外国事務取扱の老中として、ハリスとの日米修好通商条約締結などで奔走するなど、幕末の日本開国時代の立役者の一人であり、津田塾大の津田梅子の出生地だとかで、非常に文明開化した素晴らしい藩であったと言う印象を持っていたので、藩主の悪政に百姓一揆的な戦いを挑んだ佐倉惣五郎が、将軍に直訴までして、義民として祀り上げられたと言う物語に大いに興味を感じた。  
   

   歴博の資料によると、
   佐倉藩と"惣五郎一揆"については、証明しうる史料はない。彼が行ったとされる将軍直訴の年代も、いくつかの説がある。ただ公津台方(こうづだいかた)村に惣五郎という百姓がいたことは、地押(じおし)帳、名寄(なよせ)帳の記載から確かである。この惣五郎が藩と公事(くじ:訴訟)して破れ、恨みを残して処刑されたこと、その惣五郎の霊が祟りを起こし、堀田氏を滅ぼしたことがあり、人々は彼の霊を鎮めるために将門山(まさかどやま)に祀ったという話が、公津村を中心に佐倉領内の人々に伝えられており、
   宝暦二(1752)年は惣五郎の百周忌にあたる延享三(1746)年、山形から入封した堀田正亮(正信の弟正俊の家系)は、惣五郎を顕彰するために口の明神を遷宮し、涼風道閑居士と謚した。
藩が認めた惣五郎の話は、十八世紀後半に一挙に体裁を整えた。
『地蔵堂通夜物語』・『堀田騒動記』という惣五郎物語が完成した。
この物語は、苛政→門訴(もんそ)→老中駕籠(かご)訴→将軍直訴→処刑→怨霊という筋を持ち、化政期から幕末にかけて盛んに筆写された。
   明治30年代ごろから、「佐倉義民伝」として定着し、見せ場は宗吾と叔父光然の祟りと、歌舞伎で挿入された甚兵衛渡し・子別れという宗吾の苦悩、甚兵衛の義心である。嘉永のヒットの要因は祟りの場であったが、明治以降次第に減少し、甚兵衛渡しと子別れが物語の中心となる。
   と言うことだが、歌舞伎では、印旛沼渡し小屋、木内宗吾内と裏手、東叡山直訴の場となっており、クライマックスは、最終場面の直訴の場であろうが、芝居として感動的なのは、厳しい囲いを搔い潜ってやっと自宅に辿り着いた宗吾が、親子対面の名残も尽きぬまま、間を置かずに泣き縋る妻子を振り切って江戸へ旅立つ「子別れ」の場であろう。

   ウィキペディアによると、惣五郎は、上野寛永寺に参詣した四代将軍の徳川家綱に直訴したということで、この直訴の結果、訴えは聞き届けられ、佐倉藩の領民は救われたのだが、、惣五郎夫妻は磔となり、男子4人も死罪となった。成田市の東勝寺(宗吾霊堂)の縁起では、澄祐和尚が公津ケ原の刑場に遺骸を埋葬し、その地が寺地内にある現在の「宗吾様御廟」だと言うことであり、宗吾霊場の由縁である。
   この歌舞伎で、実に健気で優しい子役が3人、子別れの悲哀を演じて観客を釘づけにしていたが、徳川幕府は、そのいたいけない子供たちを死罪にしたと言うのだから、赤穂浪士の切腹と同様に、どこかタガがは外れていたと言うことであろうか。

   この歌舞伎だが、最終幕の松平伊豆守(高麗蔵)が、大音声で、将軍徳川家綱(勘九郎)に向かって全文を読み上げて、許し難いと言いながら、直訴状の中身だけ抜いて懐に収めて、封書だけを投げ捨てるシーンなど、感動的で、風格と気品を湛えた勘九郎の将軍もそうだが、先の大江山酒呑童子で濯ぎ女若狭を演じた両刀遣いの高麗蔵の重臣姿も絵になって素晴らしい。
   それを見上げて、一部始終を実感して、万感胸に迫る感動を噛みしめる白鸚の横顔は、実に清々しくて美しい。

   冒頭の印旛沼渡し守甚兵衛は、前には段四郎が実に人情味豊かな老船頭を演じて感動的であったが、当代では、この甚兵衛は、歌六以外には、演じきれる筈がないと思っていたので、この白鸚の宗吾との邂逅シーンは、秀逸であった。
   勿論、ヤクザな幻の長吉を演じた彌十郎の性格俳優ぶりの凄みも舞台のツマ、面白い。

   勘三郎の七回忌追善興行でもあったのだが、昼の部では、
   三人吉三巴白浪で、七之助がお嬢吉三、大江山酒呑童子で、勘九郎が酒呑童子、佐倉義民伝で、勘九郎が徳川家綱、七之助がおさんを演じて、素晴らしい舞台を見せており、まだ、20年以上の活躍を棒に振って逝った勘三郎の早世が、悔やまれて仕方がない。
   
   
   
   
  
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国立劇場・・・十月歌舞伎「平家女護島」

2018年10月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   開幕した国立劇場の歌舞伎は、近松門左衛門の「平家女護島」の通し狂言。
   芝翫が俊寛と清盛の二役を演じ、東蔵が後白河法皇、孝太郎が俊寛妻・東屋を演じているのだが、海女千鳥(坂東新悟)、俊寛郎等有王丸(中村福之助)、丹左衛門尉基康(中村橋之助)、丹波少将成経(中村松江)など、若手役者が清新な舞台を務めているものの、非常に意欲的な舞台ながらも、もう一つ舞台が盛り上がらず、惜しくも、空席が目立つ。

   「平家女護島」と言えば、普段は、二幕目の俊寛僧都が島に取り残される「鬼界ヶ島の場」のみが、「俊寛」として上演されるのだが、今回は、冒頭に、俊寛の妻・東屋が俊寛に迫られての自害を描いた序幕「六波羅清盛館」が演じられるので、俊寛が、自分の乗船を諦めて、その権利を、丹波少将成経の新妻・海女千鳥に譲って、島に残る心情がよく分かって面白い。
   平清盛が、東屋を、わがものにしようと迫るのだが、自分は常盤御前とは違うと毅然たる態度で清盛の邪恋をはねつけ、能登守教経(中村橋之助)の情けある言葉を聞いて自害して果てるので、それを、上使・瀬尾太郎兼康(中村亀鶴)に聞いた俊寛は、最愛の妻を失って帰京の夢断たれて絶望するのである。
   
   残念ながら、いつもの遅刻癖が災いして、冒頭の俊寛が、縛り上げられた東屋を前にして、俊寛を島から戻すかどうかは東屋の返事次第と言い放つ決定的な次のシーン(HPより借用)をミスって、ただ一人取り越された東屋が蹲る場面から見ざるを得なかった。
   大体、歌舞伎の舞台は、ninagawa歌舞伎など特殊な舞台を除けば、冒頭の10分くらいは、どうでもよい舞台展開なのだが、今回は、冒頭から核心的シーンが展開されていたのである。
  

   三幕目「敷名の浦磯辺の場 御座船の場」で、
   清盛は、厳島への御幸は、後白河法皇(中村東蔵)抹殺が目的だったと、法皇に入水を迫った挙句、海に突き落とす。それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すのだが、怒った俊寛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
   天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先に東屋と千鳥の怨霊が現れる。
   驕る平家は久しからず、悪行の報いが清盛の身に迫ってくる予感であろうか。

   この「敷名の浦の段」は、昨年2月の文楽で観ており、多少記憶が残っているのだが、その時のブログをそのまま引用すると、
   備後の敷名に赦免船が到着すると、丁度、厳島に参詣の途中の清盛に遭遇するのだが、平家追討の院宣を出されてはかなわないと、同道した後白河法皇を海中に突き落とすのを、俊寛の身代わりに船に乗って都へ向かう成経の妻千鳥が助けたので、清盛は熊手で千鳥を引き上げて頭を踏み砕く。俊寛を迎えに来ていた有王が、清盛の軍平を蹴散らして、千鳥から法皇を受け取って逃げ去る。千鳥の死骸から怨念の業火が上がって清盛の頭上にとりつくので、恐れをなした清盛は都へ逃げ帰る。

   浄瑠璃なので、文楽の方が近松の原作に近いと思うのだが、手持ちの近松門左衛門の浄瑠璃全集には、「平家女護島」が入っていないので、まだ、読む機会を得ていない。
   今回の舞台で、取って付けたような感じの有王の派手な立ち回りも、これなら、よく分かるし、ラストの東屋と千鳥の怨霊の登場なども、歌舞伎としての舞台の見せて魅せる演出だと言うことが分かって面白い。
   「鬼界ヶ島の場」の舞台設定は、やや、貧弱な感じであったが、三幕目の舞台に設えられた御座船は、豪華で立派に出来上がっていて、素晴らしかった。
   

   芝翫の俊寛は、どうしても、見慣れている幸四郎や吉右衛門と比較してしまうので、多少老成さと言うか芸に円熟味が不足気味で、むしろ、芸の風格から言っても、清盛の方が、適役のような感じがして観ていた。
   東蔵は、ベテランの味、孝太郎は、やはり、毅然たる風格を示して好感。
   松江の芸の確かさ、亀鶴の偉丈夫、中堅の手堅さで舞台を支え、
   今回、芝翫の子息橋之助と福之助、そして、千鳥を演じた新悟の活躍が目立ったが、無難にフレッシュな舞台を見せていた。

   鬼界ヶ島の「俊寛」の舞台を観ているだけでも、興味深いが、やはり、今回のように通しで観る「平家女護島」の方が、はるかに面白い。
   
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秀山祭九月大歌舞伎・・・昼の部「河内山ほか」

2018年09月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の秀山祭歌舞伎で観たのは「昼の部」。
   演目は、
   祇園祭礼信仰記 金閣寺
   鬼揃紅葉狩
   天衣紛上野初花 河内山

   当然、吉右衛門の大舞台であって、「河内山」も「俊寛」も何回か観ており、「俊寛」は、来月の国立劇場での芝翫の「俊寛」に期待していることもあって、今回は、吉右衛門自身が地で行って名演を見せる「河内山」と、五年ぶりに舞台復帰を遂げる福助の「金閣寺」の慶寿院尼を観たくて、「昼の部」に出かけた。
   一日中雨が降って寒い日であり、こんな日は、観劇に限るのかも知れないが、その後、しばらく時間があったので、東京駅azoaの丸善で、本を探して過ごし、向かいの神戸ベーカリーで、軽食を取って、能楽堂に向かった。
   
  
   吉右衛門は、歌舞伎美人で、「河内山」について、黙阿弥が講談を元に書いた作品で、「(それを芝居として)立体的にお見せするわけでございますから、皆さんに喜んでもらって最後に溜飲を下げていただくもの。巨悪に対する庶民の味方の悪人の生きざまが描かれた作品です。自分が楽しんでやらなければいけません。野村萬さんが和楽の気持ちという言葉をおっしゃったのを聞き、私も和楽の気持ちで河内山をやらせていただけたらと思っております」。と言っている。
   和楽とは、「みんなでなごやかに楽しむこと」と言うことで、確かに、毒にも薬にもならないと言うか、人畜無害の芝居で、正体を暴かれても抗弁できずに、手も足も出せずに玄関口で見送る松江公以下重臣たちをしり目に、「馬鹿め!」と捨て台詞を残して花道を去って行く幕切れまで、とにかく、河内山宗春の小悪人らしからぬ悪賢さ、知恵と頓智に興味津々で、楽しい舞台である。
   腰元に手を懸ける出雲守の一寸した出来心が天下の名藩松江18万石に傷が付くと、じわりじわりと慇懃無礼に甚振りながら締め上げる宗俊、威厳と強がりを見せながらも、切羽詰まってぐらりと揺れて臍を噛む松江候、その後、宗春は、饗応の御膳を拒否して、「山吹色のお茶」を所望して金を強請る強かさ、とにかく、ネズミを前にした猫を演じる宗春が痛快で面白い。

   歌舞伎では、九代目市川團十郎がつとめた型が現在に伝わっていると言うから、これまでに、その芸の継承である團十郎、そして、最近では、海老蔵の河内山を観ており、そのほか、複数回観たのは、当然、吉右衛門で、それに、白鸚であるから、同じ伝統芸の舞台であろう。
   この18万石を背負った色好みながら威厳と風格を備えた松江候を、幸四郎は、実に上手く演じていたが、その直前の舞台では、「鬼揃紅葉狩」で、妖艶で美しい更科の前と変身した戸隠山の鬼女を演じて観客を魅了していたのであるから、大した役者である。

   「鬼揃紅葉狩」は、普通に演じられている歌舞伎の「紅葉狩」と一寸趣が異なっていて、能「紅葉狩-鬼揃」を、殆ど踏襲している松羽目ものの舞踊劇。
   したがって、大きく違っているのは、後場では、更科姫の侍女たちも、みんな鬼になって、束になって、惟茂たちと立ち回りを演じると言う舞台で、冒頭のシーンも、更科姫たちが紅葉狩りの宴を張っているところに惟茂たちが行き会うのではなくて、惟茂たちの紅葉狩りに更科の前たちが行きかう。
  厳つい隈取をしているのだが、女形の侍女たち(米吉、児太郎、宗之助)の、子供のように可愛い鬼たちの表情と姿が、ご愛敬である。

   ストーリーは、
   平維茂たちが、戸隠山で紅葉狩で憩っているところへ、美しくて妖艶な更科の前とその侍女たちが行き交う。女たちに酒宴に誘われた維茂は、誘いを受けて楽しむうちに眠りこけてしまう。寝込んだのを確認して、女たちが引っ込むと、男山八幡の末社の神が現れて、惟茂たたちを起こして妖魔を斃す刀を授けて去る。女たちは戸隠山の鬼女の正体を現して登場して、維茂たちを倒そうとと大立ち廻りを繰り広げる。

   戸隠山の鬼女は、玉三郎の舞台が、今でも目に浮かぶほど印象的であったが、3年前に、染五郎時代の「紅葉狩」の更科姫を観ているので、幸四郎の妖艶な女形は、久しぶりである。
   最初に幸四郎の女形を観たのは、もう、30年ほども前のロンドンでの公演「葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとのにしきえ)」で、染五郎は、確か、ハムレットとオフェリアを演じた筈で、そのオフェリアの赤姫姿を見たように記憶しているが、二十歳前だったと思うので、美しかった筈である。
   その後、「春興鏡獅子」のお小姓弥生を観ており、とにかく、高麗屋の艶やかな女形は貴重だが、新しい染五郎にも、大いに期待できるのではないかと思っている。
   相変わらず、惟茂の錦之助の男ぶり、侍女かえでの高麗蔵の風格、が素晴らしい。
  
   豪華絢爛な義太夫狂言の傑作と言う「金閣寺」。
   今回は、三姫の一人と言う雪姫を、先代芝翫の孫、福助の長男の児太郎が、挑戦し、福助が、5年ぶりに復帰すると言う記念の舞台である。
   児太郎は、流石に、両先輩の薫陶を受けた成駒屋の伝統の芸を踏襲し披露して、しっとりとした素晴らしい舞台を務めあげて感動的。降りしきる桜吹雪に浮かび上がる、桜の木に縛り付けられて優雅に独演する雪姫の姿が、正に、浮世絵錦絵の世界である。
   幽閉されていた慶寿院尼役の福助が登場すると満場の拍手喝さい、凛とした口調も、美しくて品のある風貌も、以前と全く変わらず、ただ、まだ、右手と足が不自由のようで、左手で数珠を捧げ持っていた。
   児太郎の雄姿を眺めながら、歌右衛門・福助のダブル襲名披露の舞台が待ち遠しいと思った。

   舞台を支えたのは、此下東吉 実は 真柴久吉を演じた梅玉の貫禄と風格、そして、松永大膳を演じた松緑の偉丈夫などベテランの演技。

   とにかく、楽しい秀山祭のひと時であった。   
   
   
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