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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の五重塔と西欧の教会の尖塔

2016年09月11日 | 学問・文化・芸術
   宗左近の「美のなかの美」を読んでいて、興味深い文章に出合った。
   この文章は、もう40年以上も前にかかれた美についての随想集で、その内の「凍った音楽」と言う章で、このタイトル通り、和辻哲郎の薬師寺三重塔の東塔を暗示させるように、塔と教会の尖塔との話である。
   
   
   
   
   

   この「凍った音楽」の章は、まず、冒頭で、
   日本の浮世絵や詩歌など江戸までの文芸などでは、殆ど、「星」が描かれたことはなく、写生はなかった。西洋の自然の見方が明治にはいって、美術で言えば外光派、文学で言えば自然主義、この二つを通して導入されて初めて、写生を日本が取りいれた。
   ところが、これ程の異文化異文明に遭遇した筈の島崎藤村はパリで、ドイツやイギリスに渡った鴎外や漱石が、石と木でできた高層の近代建築がびっしりと並び築き上げられた街の景観が、日本には全くなかったにも拘らず、少しも驚きの言葉を発していない。大変な驚きである。
   これは、日本人の感性と精神の歴史と伝統が、垂直性に弱かった、垂直願望を持ったことがなかった、そうだとしか思えない。と述べている。

   更に、これは、日本人が農耕民族で、地面べったりで、根深く局所的。移動性がない。大地を駆け巡らない。山や谷を上下して転進しないので、展望感覚や垂直運動意識の芽生えも成長もない。
   狩猟民族である西洋人は、こういう日本人と正反対である。
   この世界の捉え方が、そっくり宗教の中に現れている。
   キリスト教においては、天国は文字通り天、大空の上にある。ところが、仏教においては、極楽は西方浄土、遠く遠く横に移動した西方の十万億土にある。前者は垂直の遠方、後者は水平の遠方。この思想は、直ちに宗教建築を支配する。
   キリスト教の教会の内部には、必ず高い円天井があり、神に仕える天使や使徒などが天空を舞う絵姿や荘厳な風景で荘厳された天国が描かれていて、如何に西洋人が天国を実体視していたかが良く分かる。けれども、日本の寺院の内部には、そのようなものはなく、ただ水平にひらたい板の天井があるだけである。と言うのである。

   さて、両方とも、同じように高い塔や尖塔があるではないか、どう違うのかと言う点について、その違いの比較文化論を展開しているのである。
   第一の相違点は、キリスト教の塔は、教会の本堂の一部で、建物の上部に建つ付属物だが、日本の塔は、五重塔も三重塔も多宝塔も塔は独立物である。日本の塔の基部には仏舎利が納められていて、釈尊に対する尊崇と畏敬が形をとったものだが、教会の塔は、キリストを地上につかわされて神のいます天、それに対する上昇願望が形をとったものである。
   第二の相違点は、キリスト教の塔には、ゴシックを筆頭に、明らかに垂直上昇の運動感があり、教会の建物がスッと上昇しており、重くて鈍い量感が見事に消えている。日本の塔にも、垂直感がないわけではないが、垂直を殺す運動が塔の枢要な部分に設えられている。三重、五重と言う重なった階層が横に翼を伸ばして垂直性に拮抗する水平性を主張している。誇張した比喩を弄すれば、ゴシックの塔が噴射ロケットであり、それに対して法隆寺の五重塔は翼に風をはらんで舞い上がろうとする鳥である。
   第三の相違点は、西洋の塔には、頂上近くに視座がある。そこに上って、牧師が一歩高まって天にまします神に祈りをささげたり、俗界を見下ろす、すなわち、地上を、ひいては地球を、対象化する、または相対化する視座がある。ところが、日本の塔には、そのようなものがない。
   

   さて、日本の塔について言いたいのは、ここだと、他に2人の男を持つ勝手気ままな放埓な女と奈良に旅に出た時に、「こんな愛情など乗り越えてみせるぞ!」と、何を思ったのか、興福寺の五重塔に駆け寄って、扉を開いて内部の階段をよろよろ上って、梯子をあと一つで五層と言うところで呼び戻されて、「あの女なんか、どっちでも良いんだ。もう」と思って降りた。と、その時の印象を語る。
  その階段だが、想像とは違って、勾配が急で、二層目からは、左官屋が使う粗末な木の梯子と同じで、折れて曲がって、曲がって折れて、上に行くほど窮屈になって、木の作りもやわになり、各階層には部屋もなければ腰を下ろせる調度品もなく、梯子を上下に還流させるためのものだけであった。

   要するに、日本の塔の階段を上るのは、修理のための大工や警備員くらいで、決して、僧侶ではない。日本の塔は、教会の様な視座では、あり得ないと言うことである。
   それぞれ祈りが形をとったのが塔であり芸術品だが、日本の塔は、人間の日常の役に立つ代物ではなく、仰ぎ見ていればそれで足りる純粋芸術品であって、教会の塔は、牧師が上って世界をあらたに対象化しなおすことが出る道具であって、実用芸術品である。
   西洋の教会の塔は、高い山の尖った峰や鋭い岩に似て具象的であるが。日本の寺院の塔は、現実の世界の何物にも似ていない。両方とも、人間の日常生活と異質なのだが、日本の塔の方が、断絶度がうすくて、脅かしも持たず、柔らかな透明度を与えると言う。

   ところで、興福寺の五重塔は、階段だけかもしれないが、スケールにもよるのであろうが、法隆寺の五重塔の一階には仏像などが安置されており、このような五重塔が普通であろうし、装飾されている空間のある五重塔もあるし、二階くらいには空間がある場合もある。
   いずれにしろ、本来はインドのお釈迦さまのお墓ストゥーパ(仏舎利塔)であるから、基部に仏舎利が納められておれば、それで完結するので、美しけれ美しいほど良いのであろうと思う。
   私は、国宝の五重塔は、羽黒山の塔以外は見ており、西欧の教会も結構見て回っており、宗左近の説には、ほぼ、納得している。

   ケルンの大聖堂などは、入り口から見上げると、空高く聳え立っていて途轍もない威容であり、内部に入ると、「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」を思わせる雰囲気で、また、北欧の木製のシックで家庭的な雰囲気の教会やエキゾチックなギリシャの教会を見れば、全く雰囲気は違ってくるし、一概に、西洋の教会とは、と言えない。
   日本の寺院でも、シンプルなモノばかりではなく、華麗に装飾された天井画や壁絵、壁面を飛翔する飛天や菩薩像などで荘厳された寺院もあって、洋の東西を問わず、宗教の場として相似た雰囲気を創り出してもいるのである。
   
   Wadaフォトより借用

   宗左近は、仏文学者であるから、東西文化に詳しいのであろう。
   昔、学内の講演で、桑原武夫の話を聞いたことがあるが、実に含蓄があり教えられることが多かったのを思い出す。
   この宗左近の40年前の本を読んでも、少しも時代を感じさせずに、縦横無尽に、芸術文化を語り、美を語っていて、読んでいて、楽しい本である。
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シーボルトが紹介した日本文化

2016年01月30日 | 学問・文化・芸術
   人間文化研究機構主催で、【公開講演会・シンポジウム】 第27回「没後150年 シーボルトが紹介した日本文化」が、ヤクルトホールで開催されたので聴講した。

   基調講演は、ボン大学のヨーゼフ・クライナー名誉教授の「シーボルト父子の日本コレクションとヨーロッパにおける日本研究」
   続いて、
   大場 秀章東大名誉教授の「ジャポニズムの先駆けとなったシーボルトの植物」 
   松井 洋子東大教授の「近世日本を語った異国人たち:シーボルトの位置」の講演
   最後に、歴博の大久保純一教授の司会で、講演者全員に、歴博の日高薫教授が加わって、
   パネルディスカッション 「シーボルト研究の現状とこれから」が行われた。

   もう、20年以上も前の話になるが、オランダに住んでいた時に、ライデン大学は、シーボルトゆかりの土地なので、ライデン大学付属の植物園を訪れたことがある。
   シーボルトが日本から持ち帰ったイチョウやフジなど、日本の花木が、そのまま生育していて、無性に、懐かしさを覚えた思い出がある。
   今、素晴らしい日本博物館のシーボルトハウスが建設されて、人気を博しているようだが、あの時、何か、その前のシーボルトの遺品などを集めた展示施設があったのか、それを見る機会があったのか、全く、覚えていない。

   クライナー教授は、ヨーロッパにおける日本学について語った。
   最初は、文献、書物、文学なおど献学的な文学中心の日本学が、社会学的な側面を加え、更に、VISUAL TURN 美術芸術を包含するように進展していったと言う。
   しかし、最初に体系的・総合的に日本研究が試みられ、それを成功させたのは、1820年代に、ヨーロッパに渡ったシーボルトコレクションであったり、著作NIPPONだったと言うから、非常に最近のことなのである。

   大場教授は、シーボルトが、日本の庭園が、多様な自生植物を取り入れた豊かな多様性の高い庭園植物相を具えているのを実感して、貧弱な庭園植物相しかもっていなかった庭を、日本の植物で変えたいと考えて、沢山の鑑賞用に供される日本植物をオランダに移送したとして、その後の推移など、興味深く語った。
   ユリ、つつじ、アジサイ、もみじ等々、オランダで品種改良された話などを含めて興味深い話が続いた。

   ところが、チューリップがオランダで注目され始めたのは、1620年で、チューリップバブルの崩壊は、1637年2月3日であり、実際に、チューリップの品種改良が全盛期を迎えたのは、1700年代と言われている。
   また、花を中心に描く静物画が脚光を浴びたのもこの頃だが、まだ、オランダでも、非常に富裕な家庭でさえもデルフト陶器のチューリップ用花挿しに一本ずつ花を飾るのが精いっぱいだったと言われており、シーボルトの時代でさえ、今のように、家の内外に花が咲き乱れる風景は、皆無だったのである。

   余談だが、シーボルトの日本植物の移送は、かなり、プリミティブであったようで、移植できたのは非常に限られていたと言う。
   世界中の植物の収集移植などに関しては、イギリスのキュー・ガーデンの右に出るものはないはずで、地球上のあらゆるところにプロのプラント・ハンターを送り込んで植物を採集して、船舶に温室や特別な保蔵設備を設置したり、イノベーションにイノベーションを重ねて珍しい植物を集めて運び込んで、育成し品種改良するなど学術的な調査研究を行っている。
   私は、近所に3年以上住んで通い詰めたので、良く知っているが、桜は季節には咲き乱れるし、もみじや椿など、多くの日本の花木が、広大な庭園のあっちこっちに、土地の種のように普通に植えれれていて、全くの異質感がない。

   松井教授は、出島を通じての日蘭関係や当時の交易や情報収集状況などの仕組みや歴史などを語りながら、シーボルトはじめ日本に関係した外国人たちの資料を通して、江戸時代以降の日本像を語った。
   私には、出島の組織や機能、その歴史など、初めて聞くような話が多くて非常に興味深かった。

   私が、一番気になっていたのは、今回のシンポジウムで、シーボルトの日本学への貢献など偉大な業績については、全く、頭が下がり、尊敬に値するのだが、以前にNHKのドキュメントで放映されていた伊能忠敬の作った日本地図を持ち出そうとした所謂シーボルト事件に対する疑問である。
   その目的は、何だったのか、クライナー教授に質問したら、教授は、シーボルトは、何でも熱心に集めて研究する人間であって、地図もその中の一つであり、スパイの意図はなかったと回答されていた。
   興味深かったのは、これほど、詳細で精密な地図が出回っているのであるから、最早、日本は鎖国の意味がないと言う考えがあったと言う指摘であった。

   さて、日本学と言うか日本に対するヨーロッパの感心だが、ドナルド・キーン先生が、
   ケンブリッジで勉強していた頃、(1950年代の前半のよう)何を勉強しているのかと聞かれて「日本文学」だと答えると、何故、猿真似の国の文学を勉強するのだと、10人中9人から聞かれたようで、当時、日本に関して欧米人が知っていた唯一のことと言えば、日本が猿真似の国であると言うことだったと語って、それ程、日本のことが知られていなかった。と語っている。
   私が、アメリカの大学院で勉強していた1970年代には、少しずつ、日本に対する関心が高まり始めて、日本経済が台頭し始めた1980年代、JAPAN AS NO.1の頃には、一気に日本人気が世界中を駆け巡ったのだが、1990年代に入ると、欧米の新聞やメディアのASIAのタイトルのトップはCHINAで、JAPANは消えてしまった。
   私のこれまでの経験では、日本学の方は良く分からないが、日本人が思っているほど、世界の人々は、日本にもそれ程関心を持っていないし、日本のことを知らないと言うことである。
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イスラム国同様に中国も文化遺産破壊?

2015年07月05日 | 学問・文化・芸術
   昨日の日経に、イスラム国が、パルミラの貴重な遺跡を、破壊し始めたと報道していた。
   ”世界遺産のシリア・パルミラ 「イスラム国」が彫像破壊 存在感を誇示”と言うタイトルの記事で、
   ”少なくとも6つの像が破壊されたとみられ、この中には高さ3メートル、重さ15トンの「ライオン像」も含まれているという。シリア政府で遺跡を管理する当局者は2日、仏メディアに「(ISが)パルミラで実行した最も深刻な犯罪だ」と非難した。”と言う。
    ISは「偶像崇拝」を許さないので、支配地域で貴重な歴史的文化遺産を破壊し続けており、破壊行為を通じて存在感を誇示し、支持者から寄付金を集め、戦闘員を獲得する一方で、貴重な文化財は破壊せずに切り取って、シリアやイラク外に持ち出して売却し、資金源にしていると言うことである。
   巨大な建築物等パルミラ遺跡の破壊には至っていないであろうが、最早、時間の問題であろう。
   実に嘆かわしい限りで、このような、格好よく言えば文明の衝突だが、許し難い蛮行によって、歴史の風雪に耐えて生き続けてきた貴重な人類の遺産が、どんどん、消えて行くのは忍び得ない悲しみである。
   第二次世界大戦時に、日本の宝ともいうべき歴史的遺産である文化財を破壊しないように、米軍が、京都を爆撃目標から外したのは、民度文化度の差ではあろうが、戦争だけは絶対にやってはダメである。
   ISのパルミラ破壊行為の日経の写真を借用して載せておきたい。
   
   

   さて口絵写真は、アフガニスタンにある5000年の歴史を誇る古代都市メス・アイナク遺跡だが、この遺跡を、中国国営企業によって、露天掘りの銅の採掘によって山もろとも丸ごと破壊されようとしていると、ニューズウィークが、”ISがまたアフガン遺跡を破壊? いや、中国が 5,000-Year-Old Afghani Historic Site Under Threat”と報じている。
    首都カブールから南東へ約40キロ離れたこのメス・アイナク遺跡では、古代都市の住居址のほか、多数の仏像や仏塔、寺院が見つかっている。これまでに発掘作業が完了したのは遺跡全体のごく一部にすぎないが、現状ではこの貴重な歴史遺産は永久に失われかねない。遺跡の下に膨大な銅の鉱石が眠っているためだ。と言うことである。

   この遺跡は、これまでに発掘されたのは遺跡全体の10%程度で、「さらに発掘が進めば、アフガニスタンの歴史ばかりか仏教の歴史そのものが書き換えられる可能性がある」と言われているのだが、
   アフガニスタン政府は、鉱物資源の開発資金を調達するため中国の国有鉱山会社と契約し、この中国企業は30億ドルで採掘権を獲得して、メス・アイナク鉱山の開発で1000億ドル相当の銅を採掘する計画だと言うことである。
   シルクロード沿いの多くの仏教遺跡では、偶像崇拝を禁止しているイスラム教徒によって、多くの仏像や仏画などの頭部や顔が破壊されてはいるが、遺跡全体の破壊は、なさそうで、あのバーミヤン大仏破壊の比ではない愚挙と言えよう。
   シルクロードの要所に位置するアフガニスタンには、他にも、東西文化交渉史において貴重な文化遺産が点在するが、現在、地政学上最も不安定な位置にあると言うのは、悲しいかな、人類の悲劇であろう。

   遺跡の保存に奮闘する若いアフガニスタン考古学者を追ったドキュメンタリー映画『メス・アイナクを救う』の製作チームが、「SaveMesAynak Day」キャンペーンを実施して、ソーシャルメディアを通じて世界中の人々に遺跡保全運動への協力を呼び掛けて、集めた署名を政府に提出したが、返事がなく、開発計画を見直すのか、人類の貴重な歴史遺産をみすみす失うのか、ガニ政権の決断が問われる。と報じている。

   私は、あっちこっちを歩きながら、人類の素晴らしい遺産である廃墟や残像の前に佇んで、人類の偉大さとその歴史に夢を馳せて、何度も、感動し続けてきた。
   1972年のユネスコ総会で、世界遺産条約が採択されて、世界遺産が、世界中に広がって行き、維持保存されるのが嬉しく、旅の途上で、訪れるのを楽しみにしていた。
   マヤ、アズテック、インカから、アメリカやヨーロッパやアジアの歴史遺産の数々、
   しかし、中近東は、サウジアラビア、アラブ首長国、バーレン、それに、東はトルコまでしか行って居ないので、イラン、イラクは勿論、パルミラも知らない。

   初めて、パルテノンを見上げた時には、感動に打ち震えた。
   パルテノンが真正面に良く見えるヒルトンホテルの部屋からの朝夕の光の移り変わりを、今でも、鮮明に覚えている。
   先日、ギリシャの経済危機の記事で、ニューヨークタイムズの電子版に涙がこぼれる程感動的な美しい写真が掲載されていた。
   今日5日に行われるEUに残るか残らないかの国民投票にシンタグマに結集した群衆の、はるか向こうに、薄暮に微かに浮かび上がるパルテノンが映っている。
   トルコ軍に破壊されたが、全壊を免れた人類史上最高峰の文化遺産の勇姿である。
   大切に残して置きさえすれば、人類にとって最高の道標になるのに・・・
   パルミラの悲劇に胸を痛めながら、そう思っている。
   
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イスラム国:世界遺産パルミラ風前のともしび

2015年05月22日 | 学問・文化・芸術
   パルミラは、1980年、ユネスコの世界遺産に登録されたシリアにある中東屈指の歴史的遺産で、ローマ様式の建造物が多数、非常に綺麗な形で残っており、ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門など、膨大な文化遺産が残っている。
   このパルミラは、古代から、地中海沿岸のトルコ、シリアやフェニキアと、東のメソポタミアやペルシアを結ぶ交易路となっており、その後、ギリシャ、ローマからインド、中国に通じるシルクロードの要路として非常に重要な中継点であり、ローマの属州となるなどパルミラ王国を築き上げ隆盛を誇った。
   
   
   

   この口絵写真は、NHK BSニュースのフランス2の画像の借用だが、数日前から、イスラム国(ISIS)がパルミラに接近しつつあると言うニュースが気になっていたのだが、今朝のニュースでは、完全にパルミラを占拠して、パルミラ遺跡に近づきつつあり、この貴重な世界遺産が、破壊の危機に瀕していると言うのである。
   

   ISISは、イスラム経の偶像破壊を徹底させようとして、これまでに、モスルの博物館で、幾多の文化遺産を破壊し、イラクでは、アッシリアの貴重な古代遺跡であるニムルドやニネヴェ、ハトラ、コルサバード等々、シリアのマリなど、貴重な文化的歴史遺産を破壊し続けている。
   偶像破壊と言うよりも、異文化異文明を排除排斥と言うことであろう。
   フランス2は、ニムルドの爆破の模様や、モスル博物館の目も当てられないようなバンダリズムを放映している。(モスル分は、NYTより転写)
   タリバンが、バーミヤンの巨大大仏遺跡を破壊した時に、大きなショックを受けたが、今回のISISの破壊行為は、空前絶後の人類の遺産の破壊である。
   パルテノン神殿の破壊に匹敵すると言うのだが、あの神殿も、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたので、ヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などひどい損傷を受けたのだが、やはり、人間の愚挙である。
   
   

   シリア政府は、パルミラから、重要な何百と言う歴史的遺産や骨董物を持ち出したと言うが、現実にパルミラに残っている古代遺跡など、その現物そのものが重要なのである。
   NYTは、パルミラには、膨大な未発掘の遺産が残されていて、これまでと同様に、これらの膨大な文化遺産が、ISISの資金源になることを憂えている。
   パルミラ遺跡の平安を祈るのみだが、もし破壊されるようなことがあれば、人類は何をしていたのかと言うことになろう。

   思想による洗脳が如何に恐ろしいことかと言うことだが、これは、イスラムだけの問題ではなく、日本も明治期の近代化の途上で、廃仏毀釈で、多くの貴重な仏像など文化財を失い、終戦直後の荒廃時代には、今の国宝仏が寺院の庭に野ざらしであったし、ロシアも、共産革命で、多くの文化遺産を破壊して来ており、世界のどこの国も似たり寄ったりであった。
   このような現実を思えば、何時の時代でもどこの国でも、このようなバンダリズムが起こり得るのであって、人類が営々として築いてきた貴重な文化的歴史遺産を、一瞬のうちに葬り去って来たのである。
   悲しい人間の性かも知れない。

   私は、隣のトルコとサウジアラビアまでは、何度か行ったが、シリアには行ったことがないので、残念ながら、パルミラを知らない。
   NYTの記事の写真を借用して、パルミラに夢を馳せたい。
   
   
   
   
   
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中国人の「象牙愛好」がアフリカ内戦を激化

2013年07月20日 | 学問・文化・芸術
   表記のような記事が、産経電子版に載っており、ケニアで急増する象牙密猟の現実をフジテレビで、放映していた。
   以前に、「死に追い詰められたシルバーバックのマウンテン・ゴリラ」と言うタイトルで、このブログで、殺された巨大なゴリラを、20人近くの現地人が運んでいる写真を口絵にして論じたことがあるが、アフリカの野生動物を保護する運動と裏腹に、激しい殺戮との戦いに、文明社会を悩ませていると言う。
   何故、絶滅寸前のゴリラが殺されるのか。ゴリラの生息地である森林を伐採して木炭を製造する為に、守護神であるべき筈のコンゴのヴィルンガ公立公園のディレクターHonore Mashagiroが、部下に命令して殺させたと言うのである。から、正に、無法地帯である。
   アマゾンの熱帯雨林の崩壊についても論じて来たが、自然環境の破壊によって利益を追求しようとする悪徳事業家によって、地球上の貴重な天然資源の枯渇を促進するのみならず、動植物の多様性が、どんどん、失われているのである。

   ところで、このアフリカ象の殺戮だが、この目的は、象牙で、豊かになった中国で「ホワイトゴールド」と呼ばれ、富の象徴でもある象牙を得ようとする動きが加速化して、アフリカに進出して来ている多くの中国人による違法な持ち帰りなど、象牙密輸で空港で逮捕される90%は中国人だと言うことである。
   WSJによると、象牙の中国での売買価格だが、2008年には1キロ157ドル(約1万2千円)だったのが、11年には最高7000ドル(約56万円)に跳ね上がっており、アフリカに入る中国人労働者の、象牙への誘惑が益々強まっていると言うのである。
   この動きが、ケニアなどアフリカの経済社会を攪乱し、内乱の遠因となっていると言うのだから恐ろしい。

   中国人が、アメリカ人並に、大きな家に住み、大きな車に乗り、高度な消費生活を行うようになれば、地球は破滅してしまうと、新マルサス論を展開して恐怖心を煽る欧米の識者が後を絶たないが、少なくと、中国のGDPが、アメリカのGDPを追い抜くのは、そう遠い話ではないことは、大体のコンセンサスを得ている。
   前世紀には、殆ど誰も考えなかったことなのだが、現実に、もう一つのアメリカが、近い将来生まれようとしており、このままでは、天然資源の枯渇のみならず、宇宙船地球号の命運さえ危うくなると考えても、あながち間違いではなかろう。
   いずれにしろ、異文化異文明の中国の経済的な台頭は、これまでなかった歪な天然資源への需要圧力を喚起して、象牙に止まらず、第二、第三の象牙問題が、起こって来ることは必定であろう。

   さて、毎年のことだが、今年も、土用の丑を前にして、ウナギの高騰が騒がれている。
   マグロもそうだが、結局は、人工養殖に頼る以外、道はないと思うのだが、日本の貴重な伝統的な食文化であるので、大切にしたいと言う思いもあろう。
   しかし、クジラもそうだが、天然資源、自然資源の枯渇が騒がれ、宇宙船地球号のエコシステムが危機に瀕している時に、何故、ウナギやマグロやと言って拘る必要があるのか、と、私は、何時も思っている。
   私の子供の頃には、また、マツタケご飯かと思ったり、頻繁におかずに出るカズノコが嫌で仕方がなかった思い出があるが、庶民の伝統とは、そう言うものなのである。
   品薄になって食べられなくなったら、無性に懐かしくなって食べたくなる。

   日本文化と伝統の維持は、大切だと思うし、貴重なことだと思う。
   しかし、もう、20年以上も経つが、赤坂の料亭に、イギリス人夫妻を連れて行って、会食した時に、それ程、日本人が大切にするマツタケだが幾らするのかと彼らが聞くので、中居さんに聞いたら、半切れのマツタケの吸い物が、当時の交換レートで50ポンドだと言われて、ロンドンなら、まずまずのフランス料理をフルコースで食べられると呆れていたことがある。
   私の、在欧時代に、あっちこっちのミシュランの星のついたレストランをはしごして歩いたことがあるが、実に美味しくて雰囲気抜群なのだが、赤坂程異常なレストランは皆無であった。
   マグロやウナギ、そして、クジラなど、旬のものなど伝統の食文化への日本人の拘りは、少し、異常かも知れないと思うこともあるのだが、
   そんなことを考えながら、中国人の象牙偏愛文化の行方を考えていた。
   
   

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本の沢山ある家の子は教育年限が長い

2013年07月02日 | 学問・文化・芸術
   このタイトルは、T・フリードマンとM・マンデルバウムの「かっての超大国アメリカ」で、「27ヵ国における学問文化と教育の成果」と題する米豪4人の研究者の20年間のデータを引用して語られている要約である。

   もう少し、この部分を詳しく引用すると、次のようになる。
   ”本がたくさんある家の子は、本がない家の子より、3年長く教育を受ける。これは、親の受けた教育、職業、階級とは関係がない。このことは、親にあまり教育がなくても子供が大学教育を受け、親が低スキルであっても子供が知識職業に就くなど、極めて大きな利点になっている。豊かな国でも貧しい国でも同じで、過去も現在も変わりなく、共産主義、資本主義、アパルトヘイトのいずれでも見られる。そして、中国で最も顕著である。
   この研究は、さらに、家に500冊かそれ以上の本がある中国の子供は、本がない家の子供より6・6年長く学校教育を受けると述べている。家に本が20冊あるだけでも、はっきりと分かる差が生じる。”

   この指摘は、一般論としても、分かるような気がするので、恐らく正しいのであろう。
   最近では、電子ブックの登場やインターネットなど別媒体の普及で、日本人の本離れが急で、東京の中心街でも、あっちこっちで、大型書店が閉店に追い込まれているのを見ているので、これが真実だと、別な意味で、教育にとってネガティブ要因となるのではないかと言う心配が起こる。

    私は、4年前に、このブログで「本を読まない日本の大人、特に四国人」と言う記事で、
   ”日経のセミナーで、法政大諏訪康雄教授が、学力低下は子供だけではない・・・として、文化庁の国語に関する世論調査「読書量の地域格差」を示して、日本の大人が、如何に本を読まないかを示した。
   月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
   仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。”と書いた。
   本と言うだけで、その質を問うていないので、色々な本があり、その実際の知的文化水準は、かなり低いのではないかと言う思いがして、日本の凋落と考え合わせると、背筋が寒くなって来る。

   同じことを、ジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋」の中で憂えている。
   ”若者の間では、読書を楽しむ習慣が消え、書籍の購入は10年ほど前から急速に減り始め、アメリカ人が読書をしなくなり始めて、基礎的な知識を持たない人が増えてきた。特に気候変動のような政治論争の的になっているような問題について、科学的な事実を知らない人が多すぎる。読書力も急激に落ち込んでいる。
   新たな「情報の時代」と言われる今、実は国家の重大事と言う時に、市民として私たちも危機に直面している時に、国民の間で、基礎知識の崩壊が起こっている。”と言うのである。

   ”アメリカ人の大多数に基礎知識が欠けていると言うことは論証されてる。歴史や公民について殆ど知らず、本を読んだことも博物館に行ったこともない人の、知識から隔絶した考えが急速に一般論として広まると言うのは恥知らずの事態である。
   連邦予算の赤字解消や人間が原因の気候変動への対策に取り組むと言った難題に取り組むべき時に必要不可欠な知識を十分に共有することができなければ、私たちの市民としての資格は完全に崩れ落ち、正しい情報を持たない国民は、プロパガンダによって簡単に動かされ、ワシントンを陰で操る特殊権益団体のずるがしこい策略にあっさりと引っかかる。”
   正に、民主主義とアメリカの美徳の崩壊だと危機意識をつのらせているのである。

   さて、前述のケースでの中国の件だが、これは、戦後成長期の日本がそうであったように、国民全体が勉強意欲に燃えている段階で上昇志向が強いのだが、アメリカも日本も、社会そのものが成熟段階に達すると、苦労をしてまで本を読んで勉強や知識情報を得なくても、と言う気持ちになってしまうのであろう。
   経済面でも文化面でも、先進国の凋落現象であり、新興国の追い上げを受けると言うことである。
   

   知識や情報を得るためには、いくらでも、手段や方法があり、本に拘ることもないと思うのだが、テレビやラジオと言った放送媒体や講演の聴講などよりは、かなり、意志力の強さなど努力を要するので、その分、効果が高いような気がする。
   電子ブックやインターネットは、媒体の違いだけで、活字を読むと言う意味では同じなので、かなり、本を読むのに近い効果があるのであろうが、私の場合には、電子ブックは使っていないので、インターネットだが、やはり、本のように、付箋を貼ったり傍線を引いたり書き込んだりしないので、非常に、刹那的な付き合いのようで、しっくりと行かないような気がしている。

   今日、時事が、MM総研(東京)の調査を基に「電子書籍端末42.4%増=アマゾン上陸で―2012年度」と報じていた。
   同時に、Impress Watchが、「2012年度の電子書籍端末は47万台出荷、コンテンツは270億円規模」と報じており、伸び率は高いが、元々、基数が低いので、紙媒体の低落数を補うと言った性格のものではないが、しかし、本離れに対する新しい傾向なので、将来、どのような展開をするのか、楽しみでもある。
   尤も、同じMM総研のレポートを基に、朝日は、「電子書籍端末、出荷伸び悩む 昨年度47万台」と報じているのが面白い。”MM総研は12年度の出荷台数を93万台と予想していたが、使い道が広いスマホやタブレット端末が普及し、電子書籍専用端末は伸び悩んだ。13年度の出荷も12年度比10・6%増の52万台にとどまる見込みだ。”と言うのである。携帯にやられて、デジカメの売り上げが減退していると言う同じ現象で、専用機器は、総合的なマルチ機器に劣ると言うことであろうか。


   手元に、電子ブック端末一つ持てば、どんな本でも、その端末で瞬時に楽しめると言う利点があるのだろうが、私のような古い読書ファンは、分かっていても、実際に書店に行って、本の顔を見て、手で触れて確かめないと、本に愛着を感じないと言うようなところがあるので、読みさえすれば良いと言うのとは、少し、違うのである。
   いずれにしろ、本に囲まれて生きると言うのは、文明人の証のような気がして生活をしているので、自己満足ではあるが、ハッピーだと思っている。

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急進派がスフィンクスとピラミッドの「破壊」呼びかけ エジプト

2012年11月13日 | 学問・文化・芸術
   表題のような記事が、CNN日本語電子版に掲載されている。
   もっと見ると、
   ”急進派のイスラム指導者がエジプトの民間テレビ局の番組に出演し、世界遺産にも指定されたピラミッドとスフィンクスは破壊すべきだと発言した。
   発言の主はイスラム指導者のモーガン・ゴハリ氏。10日、エジプトの民間放送局ドリームTV2の番組に出演し、もし自分たちが実権を握れば、スフィンクスとピラミッドを躊躇なく破壊するだろうと語った。
   同氏はまた、自分はアフガニスタンで2001年3月に、当時の支配勢力だったタリバーンとともにバーミヤンの大仏破壊に加わったとも公言している。”

   恐ろしいことだが、現にバーミヤンの大仏が破壊させるシーンをテレビで見てしまった以上、あっても不思議ではない話である。
   それほど、今や、世界中に急進思想が蔓延っており、公序良俗と言うか、人類が延々と築き上げてきた文化文明、価値観を根底から破壊しようとする動きが台頭し始めている。
   文明の衝突と言った程度では、納まらない程、原理主義とか急進思想と言った極端な思想が勢いを増し、ICT革命による文明の機器をフル活用しての動きであるから、場合によっては止めようがない。 

   CNNのベン・ウェデマン記者は、こうした発言がテレビで流れるようになった背景について、「熱狂の中で生まれたエジプト革命は、『パンドラの箱』のような様相を呈してきた」とし、希望だけでなく、急進主義や大衆扇動、犯罪、無秩序、恐怖などが入り混じり、誰も元に戻す術を持たないと解説している。と報じている。
   ICT革命によって世界中がフラット化してしまった今日、価値があろうとなかろうと、瞬時にして、極端な危険思想がグローバルベースで駆け巡り、破壊を齎す。
   ギリシャやスペインなどの現状を見れば分かるが、国民の20%以上、若者の50%以上が失業していると言った極端に悪化した経済社会を、もとに戻すなどは至難の業で、希望に燃えたアラブの春も、巨大なダイナマイトを抱えたままで、混沌の闇の中で燭光さえ見えていない。世界中は、正に、燃えているのである。

   さて、偶像を認めない急進的なイスラム教徒が、バーミアンの大仏もそうだったが、これまで、アジア各地で、随分多くの仏教遺跡やヒンズー教遺跡などの多くの仏像や絵画の頭部や顔を破壊しており、折角の文化遺産を無残な姿にしてしまっている。
   しかし、今回は、顔や頭部だけではなくて、世界文化遺産そのものを破壊しようとしているのである。

   ゴハリ氏は、「シャリア(イスラム法)に従えば、偶像はすべて破壊しなければならない」「崇拝されている、あるいは崇拝されている疑いのある偶像、地球上で1人でも崇拝者がいる偶像は、破壊する必要がある」と言う。
   何も、偶像破壊は、イスラムの専売特許ではなく、ウイキペディアによると、
   ”ヘブライ語聖書、旧約聖書には、イスラエルの神が異教の偶像を破壊するように命じた記述があり、すべてのキリスト教会において、教義上偶像崇拝(εἰδωλολατρία)は禁じられているが、教会、教派によって破壊する偶像の範囲が異なる。イコンを偶像と捉えて否定する教会と、偶像と捉えず肯定する教会にわかれる。”と言う。
   中国の焚書坑儒なども、バンダリズムの最たるものであろうが、とにかく、人類の歴史は、異教、異文化等排外思想による破壊の歴史であったと言っても間違いではなかろう。

   また、文化遺産の破壊は、宗教や思想的な要因だけではなくて、国家の荒廃によっても引き起こされる。
   ヨーロッパのように血塗られた革命騒ぎが起こらなかった平和革命であったが、江戸から明治への移行期に、廃仏毀釈で、多くの貴重な仏教寺院・仏像・経巻などが破毀されたし、終戦後の荒廃の時期には、多くの国宝級の建築物や仏像が野ざらしにされて放置されたままで、随分破壊され来たと言う。

   これと違うが、日本の多くの文化遺産や文化財が、明治や昭和の日本の混乱期に、随分海外に流失してしまっているのだが、これも、国家存亡の危機にあって生きること自体に国民が汲々としていたのだ言えば言えるが、文化文明、国民意識とアイデンティティの荒廃であろう。

   
   世界中の動きを見ていて、何故、あんなアホなことをしてとか、バンダリズムだとか、程度が低いなあとか、揶揄したくなるようなことが多いのだが、良く考えてみれば、ほんの少し前まで、日本も全く同じようなもので、偉そうなことは言えないのだと言うことに気が付く。
   とにかく、人類の貴重な文化遺産を守り、更に豊かな文化文明を築き上げて行くためには、一人一人の国民が、賢くならなければならないと言うことだけは確かである。
   
   
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科学技術振興は国家の最大の義務

2012年10月11日 | 学問・文化・芸術
   iPS細胞の山中伸弥京都大教授のノーベル賞受賞に、日本中が湧いており、非常に素晴らしい快挙で、喜ばしい限りである。
   私も、山中教授の講演を聞いたり本を読んだりしたのを、このブログでも書いたので、久しぶりにそれらの記事のヒットの数が激増して、日本中のフィーバーぶりが良く分かる。

   ところで、山中教授の京大iPS研究所や他のiPS細胞関連で政府が予算措置を行ったと言うことが報道されたのだが、スーパー・コンピューターに対して「何故一番でないとダメなのか」と愚問を発した大臣を頂いて、仕分とかと言う蛮刀を振るって文教予算を切りに切った民主党政府のやることだから、信用できないが、10年程度を見越したその程度の資金援助では、不十分だと言うことは、京大研究所のスタッフの90%が、非正規職員で、有期雇用であって先の保障がなく、山中教授が、一番頭を痛めて奔走しているのは、スタッフの生活の安定とその保障だと言うことからも分かることで、手放しでは喜んでは居れない。

   貧困撲滅に精力的に活躍している、アメリカで最も良識的な学者であるジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋 The Price of Civilization」で、政府の最も重要な役割として、教育、特に、科学技術の知識が官民共同で大いに増進されるべき公益であることを認識してサポートすべきであると強調している。
   教育に公的融資が必要であることは、自由市場の有力な推奨者で、政府や公的機関の介入を強力に排除したフリードリヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンさえも含めて、アダム・スミス以降の総ての経済学者によって認められれている大原則だと言う。

   地球温暖化で環境が悪化し、自然資源の枯渇が心配され、貧困の増大と格差の拡大で、益々窮地に立つ人類にとって、自由市場経済単独では、問題を解決して、実りある21世紀の知識社会を作り出すことは、到底不可能であり、そのブレイクスルーは、一に、グリーン・イノベーションなど、サステイナブルな地球環境を維持しながら、新しい革新的なイノベーションを生み出して、グローバル社会を変革して行く以外に道はなく、そのためには、科学技術の振興発展が、最も重要であり、かつ、必須であることは、明々白々たる事実である。

   この口絵写真は、ペンシルベニア大学のキャンパスに立つ創立者ベンジャミン・フランクリンの銅像である。
   5~6年前に、MBAで過ごした同校のウォートン・スクールを久しぶりに訪れた時に撮った写真で、2年間暑い日も寒い日も仰ぎ見ていたので非常に懐かしい。
   ところで、iPS細胞でノーベル賞に決まった山中伸弥教授の記事が1面を飾っていたその日の日経朝刊の、根岸英一教授の「私の履歴書」に、ノーベル賞受賞の発端となる勉強を始めたペンシルベニア大での非常に恵まれた留学生活が書かれていたのである。
   私よりも10年ほど前に居られたようだが、根岸教授もキャンパスでこのフランクリン像をご覧になっていた筈で、その後、私がフィラデルフィアに行った時には、秋篠宮妃紀子さまの実父川嶋辰彦教授も、ここで、勉強されていたので、もしかしたら、幼児の頃の紀子さまも、像の前庭の芝生で遊んで居られたのかも知れないと思うと、不思議な思いがしたのである。

   私が言いたいのは、アメリカと言う国は、途轍もなく懐の深い国で、日本人ノーベル賞学者の過半を育ててくれたばかりではなく、惜しみもなく、我々のようなビジネスマンに対しても、正に、グローバル・ビジネスで、何所へでもフリーパスで動けるパスポートとなるMBA教育の場を与えてくれるなど、高度な学問教育を享受する機会を与えてくれていると言うことである。
   衰えたと言えども、今でも、アメリカは、唯一の覇権国家であり、高等教育と知の集積においては、聳え立っており、雲霞の如く世界中の俊英が集っており、切磋琢磨していて、これ以上大切な人類の資産はない筈である。
   成熟した経済大国である日本は、少なくとその資格はあるので、足元程度には近づける、アメリカのように知的立国を目指すべきだと思っている。

   ジェフリー・サックスが言うように、人類にとっては途轍もない貴重なパワーであり、未来を拓くカギではあっても、学問、特に、科学技術は、自由市場経済では、ひ弱な花であり、貴重な公共財として、強力な公共機関のバックアップで大切に保護して育てなければならないと言う鉄則を、今こそ死守しなければならないのだと思う。
   尤も、時には、科学技術は、両刃の剣であって、原子力のように毒にも薬にもなるのだが、それ故に、これをコントロールするために、益々、高邁な精神と高度な識見が、政府公共団体に求められるのである。

   知識情報化産業社会からクリエイティブ時代に突入した今、益々、学問科学芸術等創造的かつ革新的な知が求められており、世界中で、知の争奪戦とも言うべきグローバル競争が、熾烈さを極めている。

   ところで、特許と著作権は、正に、両刃の剣で、一時的な独占・寡占状態が続くと、ブロックされてしまって、それ以上研究が進まなくなったり、イノベーションが止まってしまうなど、弊害が多い。
   市場原理主義で、利益確保を至上命令と考えるアメリカ資本主義に徹したアメリカ企業などは、一刻も早く、特許や著作権を確保しようと必死の戦いを続けている。
   尤も、最近では、オープン・ビジネスやオープン・イノベーションの機会が多くなって、知財を開放する動きもあるのだが、まだ、主流になるには程遠い。

   ところが、山中伸弥教授は、そのブロック状態を避けるために、出来るだけ大切な特許を先取して、研究者や開発者に安くてリーゾナブルな条件で解放しようと決心して、必死になって研究を進めておられる。
   正に見上げた精神で、これこそ、日本人の最も誇りとする日本人魂であり、この精神を国是として推進して、日本が、知の集積によるグローバル知的センターとしての第一歩を踏み出す幕開けにすべきではなかろうか。

   
   脱線ついでに、日本クールと称えられている日本のソフト・パワーの活用について付言しておきたい。
   ジョセフ・ナイ教授は、国力の高揚のためには、ハード・パワーとソフト・パワーの適切なバランスを取ったスマート・パワーの涵養が重要だと言っているが、良かれ悪しかれ、日本は、ハード・パワーの強化に対しては、内外に対して問題があるので、ソフト・パワーの育成強化に傾かざるを得ない。
   ソフト・パワーとは、ウイキペディアをそのまま引用させて頂くと、”ソフト・パワー(Soft Power)とは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力のことである。”

   私は、欧米で長く生活して来たので、色々な高度な異文化に接しながら、日本の持つソフト・パワーは、歴史的芸術的学問的に考えても、世界最高峰だと思っている。
   しかし、前述した民主党の仕分と言う暴挙によって、芸術文化関連予算が、ずたずたに減額されて、日本の世界に誇るべき珠玉の芸術とも言うべき世界遺産・文楽への公共的補助金を、日本の古典芸能の価値が分からない為政者が、文楽側が公開の場での意見交換を拒否したために、文楽補助金打ち切りを表明するなど、日本人が長い歴史をかけて血と汗で築き上げて来た古典芸能を窮地に追い詰め始めている。
   これこそ、欧米先進国では考えられないような、一種のバンダリズムであって、日本の貴重なソフト・パワーを弱体化させる最たるケースであろう。

   科学技術に対する政府の保護育成については前述したが、文化芸術も、市場原理では律し得ないひ弱な人類の貴重な遺産であって、高度な識見と高邁な英知が育てるべき貴重な人類の財産であることにはかわりはなく、公的保護育成が必須であることを強調して置きたい。
   学者scholarが、ギリシャ語のスコーレ(暇)の暇人から来ていることを考えても、素晴らしい人類の遺産である高度な文化文明、学問芸術、科学技術は、豊かさあって初めて生まれ出るものだと信じているので、金に糸目をつけるべきではないと言うのが私の持論である。
   日本が、国際社会で名誉ある地位を占めたいのなら、世界の知的センターを目指して、更に、価値ある高度なソフト・パワーを涵養することだと思っている。
   
   
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巨大都市の崩壊は古代ローマが教訓を

2012年09月13日 | 学問・文化・芸術
   ジェレミー・リフキンの「第三次産業革命」を読んでいて、今日の世界の都市化について語っている章で、巨大都市の環境で持続不可能な人口を維持しようとすればどうなるか、古代ローマが厳然たる教訓を示していると書いているのに興味を覚えた。
   ローマ帝国の衰亡については、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(The History of the Decline and Fall of the Roman Empire)を筆頭に多くの書物が書かれており、興味の尽きない課題ではある。
   帝国領域の過大な拡張、経済危機、蛮族の侵入、軍事的弱体化等々いろいろ論じられているが、決定的な結論や理由づけなどは、恐らく不可能であろうと思うのだが、しかし、夫々の学者や歴史家が、自分たちの得意な視点から掘り下げて理由づけしているのを学ぶのは非常に面白い。

   さて、リフキンのローマ衰退論だが、母なる自然が異国の軍隊よりもはるかに強敵となって、帝国を屈服させたのだと言うのだが、このまま、都市化が益々進展して行けば、人類にとって持続可能な地球環境の維持は到底無理であって、私たちは、人口を減らし、エネルギーや資源をもっと効率的に遣い、環境汚染が少なく身の丈に合った生活環境を整えるのにもっと適した持続可能な都市環境を開発するために、最善の方法を考える必要に迫られていると言う危機意識がある。

   ローマ帝国の勃興期には、イタリアは、森林にびっしりと覆われていたのだが、数世紀の間に、森林は木材採取のために伐採され、土地は耕地や牧草地に変えられて、地面が風や洪水にさらされ、貴重な表土が流出し、国土の劣化を促進させた。
   政府収入の9割が、農業によるものであったローマ帝国は、収入を得るために、既に痩せていた土地を更に酷使して国土を荒廃させ、それだけではなく、植民地化していたアフリカ北部や地中海地方でも、搾取による土地劣化により農業人口が大幅に減少し、農地が放棄させていった。
   その結果、農業収入の減少によって中央政府が弱体化し、帝国全体で政府の事業が縮小し、道路とインフラは荒廃し、同時に、強大な勢力を誇ったローマ軍が財政難に遭遇して、国防よりも食料集めに注力するなど弱体化して、侵略軍を防げなくなったと言うのである。
   環境問題に軸足を置いた文明批評家であるリフキンとしては、当然の結論で、現在、ローマ市当局と共同して、ローマを、地球の生物圏が不可分な有機的生命のように機能する生物圏都市にすべくマスター・プランを作成していると言う。
   

   もう一つ興味深い古代ローマ衰退論は、エイミー・チュアが「最強国の条件」で展開している、文明史を、その国家の持つ寛容性で論じる議論で、最強国の歴史において、寛容は勃興と、また不寛容は衰退と、あるいは民族的「純粋さ」への呼びかけと、殆どの場合、軌を一にしているとする理論である。
   
   ローマを繁栄に導いた寛容さが失われて、不寛容さへの転向がローマ帝国を引き裂く上で大きな力となったのだが、その寛容さを捨て去る上で、大きな役割を果たしたのは、キリスト教であった。
   キリスト教が不寛容の源泉となり、ディオクレティアヌス帝の「非ローマ的」なキリスト教徒の大迫害と、逆に、キリスト教に改宗したコンスタンティヌス帝以降は、非キリスト教徒に対して迫害と不寛容が強くなり、異教徒や異端派に対する攻撃で、帝国は深く傷つき弱体化の一途を辿って行ったと言う。
   この宗教的、人種的な不寛容に加えて、文化や習慣の異質さが際立ったゲルマン人が大量に侵攻移住し、ローマの同化吸収能力を圧倒しはじめ、正にその時に、ローマ人が、その血と文化と宗教の「純粋さ」を追及し出した時期とも一致していたので、ローマ帝国は、自ら勝ち目のない戦争と内乱を引き起こして、衰退への道へ一直線に突っ走って行ったのだと言うのである。

   私自身は、リフキンの説くエコシステム破壊による国力の低下や、チュアの説く寛容さと純粋さの欠如によるとする衰退論は、非常に面白いし示唆に富んでいるとは思うが、それだけを核にして文明論を展開できるほど歴史は単純なものではないと思ってはいる。
   しかし、ローマ帝国は間違いなしに滅びたことは事実であり、不思議なことに、中国以外にはなかったのだが、再び、ルネサンスでイタリアは蘇ったのである。

   さて、世界的な歴史サイクルでは、突出してはいなかったのだが、日本の歴史は、夫々の時代において勃興と衰退を繰り返しながらも、サイクルを打ちながら、高度な文化文明を維持し続けている。
   今現在、日本が衰退期に入りつつあるとするならば、その衰退の原因は何であろうか。
   大袈裟かも知れないが、ローマの衰退の歴史から学べるかも知れないと思っている。
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大学改革とグローバル人材の育成

2012年07月31日 | 学問・文化・芸術
   日経の主催で、一橋講堂で、「大学改革とグローバル人材の育成」と言うテーマでシンポジウムが開かれたので聴講した。
   聴衆は、教育関係の人が多いのだろうと思うが、若い男女が多く詰めかけて来ていて、私たちのように、白髪かハゲ気味の年寄りは殆ど居なかったのが興味深かった。

   最初の基調講演は、清家篤慶應義塾長の「今日の大学に求められる役割」
   技術や市場などの激烈な変化によって、社会や企業の求める能力が、過去の延長線上では通用しなくなり、サステイナビリティが問われる先の見えないグローバル時代になったので、学生自身が、自分の頭でしっかりと物事を考える能力を身に着けることが、大学教育で最も大切だと熱っぽく語った。
   自分自身で、現実を直視して、何が問題なのかテーマを選んで、自分自身の頭で考え抜いて、外部環境の変化に対応した系統的でシステマチックな考え方や仮説を導き出して、検討、検証して、解決法なり結論を得る能力を涵養すると言うことであろうか。
   
   続いて強調したのは、学生にしっかりと勉強して貰うと言うことと、
   幅広い教養教育の重要性である。
   現在の学生が如何に勉強をしていないかは、次に基調講演に立った川村隆日立製作所会長が、大卒新入社員に、せめても、高校生以上の能力(学力)を持って入って来て欲しいと語っていたことが如実に示している。
   池上教授が、大学入学時が最高で、卒業時に最低の学力と言うことかと付け加えていたが、何十年も前の私の記憶だが、入社試験で同じ技術の問題を出題したら、高専の学生の成績が、大卒や大学院卒よりも高かったのを覚えており、あながちウソでもなさそうであると思っている。

   
   もう一つの教養教育、所謂、リベラル・アーツ教育の重要性だが、これは、パネリストの山内進一橋学長も山田信博筑波大学長も、そして、当然、池上彰東工大リベラルアーツセンター教授も、総ての人が異口同音に強調していた。
   このテーマについては、このブログで、絶えずその重要性を強調し続けている小林陽太郎さんの話や、昨年6月3日付で書いたブックレビュー”中嶋嶺雄著「世界に通用する子供の育て方」”など多くの機会を見て、論じ続けて居るので蛇足は避けたい。
   この中嶋嶺雄学長のリベラル・アーツ教育重視の国際教養大学が、如何に、素晴らしい成果を上げているかは、
   日経に、”人材育成で注目、国際教養大が首位 東大に大差”と言う記事を書かしめたと言うことで十分であろう。
   ”日本経済新聞社が主要企業の人事トップに「人材育成の取り組みで注目する大学」を調査したところ国際教養大学がトップにランキングされました。”とホームページに掲載されているが、
   2004年に設立されたこの新設の秋田の県立大学の快挙と言うか、快進撃に対して、いじめ自殺さえまともに解決できない文科省なり日本の教育界がどう応えるかとと言うことであろう。

   川村会長が、日本のトップ経営者として、大学で4年間工学を勉強しただけのリベラル・アーツ教養の不足の自分には、全面的な人格のぶつかり合いであるグローバル・ビジネスにおいて、殆どPhDを持った教養豊かな欧米のトップとは、戦いにならず、ダンテがベアトリーチェに何所であったとか、日本の文化などについても、宗教は、能は、と聞かれて、恥ずかしい思いをしたと語っていた。
   この点について、先の中嶋学長の本のブックレビューで論じた箇所を引用する。
   ”中嶋学長は、それ以前の問題として、学位の問題に触れて、一昔前の出世コースであった東大法学部卒の官僚や大学中退の外交官、所謂日本のエリートが、現在の国際社会で殆ど通用しないのは、学位を持っていないからだと言う。
   特に、外交官試験にパスしたので、大学を中退して外交官になるのがエリートだとした風潮など愚の骨頂だと言うことであろう。
   ノーベル賞学者で、学位のない人は稀有だが、今や、先進国は勿論、新興国でも、政財界や官界などのトップクラスは、殆ど、博士号か、少なくとも、MBAやMAを持っていると言う。
   学位のない上に、リベラル・アーツの素養に欠け、語学力などの不足でコミュニケーション力に欠けるとなれば、日本の外交官や官僚、企業のエリート達が、グローバル競争に伍して行けないのは当然で、このあたりを見て、ピーター・ドラッカーは、日本人が、一番、グローバル性に欠けていると指摘したのかも知れない。
   この中嶋説には、本来、大学は、人格そのものを涵養する教養教育の場であって、専門教育は、大学院で教え学ぶべきであって、大学院を出なければ学卒として認めないと言う欧米流の高等教育では常識の教育システムが念頭にあるのであって、そのために、トップに立つエリートは、学位を持っていなければならない、そうでなければ、一人前に国際舞台では通用しないと言うことである。
   それも、世界中で認知されているトップクラスの高等教育機関での学位でなければならないと言うのだから、極めてハードルが高く、最近の日本の若者の欧米留学率の急速な低下は、憂慮すべきかも知れない。”

   私自身は、ウォートン・スクールのMBAで、PhDではないので偉そうなことは言えないが、それでも、欧米でビジネスを展開し、欧米の経済人と渡り合うためには、このMBAが、結構、パスポートとして役に立ち、ロンドンなどでは、活躍していた同窓生も沢山いたし、所謂、欧米社会では、貴族制度が消えてしまった分、学位と卒業校がものを言って、学歴社会の様相を強くしているのであろうと思う。
   私の場合、大学時代から、大学の授業と言うよりは、奈良や京都の古社寺散策に明け暮れたり、とにかく、手当たり次第に雑学を勉強し、海外に出てからは、暇を見つけては、歴史遺産や文化的文物、博物館、美術館、それに、オペラやクラシック音楽鑑賞、それに、シェイクスピア等々に入れ込んでいたし、本も結構読み続けているので、欧米人との会食やパーティ、或いは、チャールズ皇太子とも5分くらい話したこともあるし、ビジネス上でも、リベラル・アーツと言うと大袈裟だが、常識的な話題やトピックス上での会話やコミュニケ―ションでは、欧米人に引けを取ったり問題を感じたことはなかった。

   しかし、問題は、私の場合には、スポーツを一切やらないので、この点は、文武両道を重んじるイギリスでは、ビジネス上問題になったことはなかったが、多少、引け目を感じていた。
   イギリスでは、名門のジェントルマン・クラブに入るのは、必須要件だが、私の場合、女王陛下が総裁のロイヤル・オートモビル・クラブの入会面接で、ゴルフ・クラブも2か所所有しており、クラブには、屋内プールは元論スポーツ施設が揃っているところなので、この点を、質問され、日本人が目の色を変えて入れ込むゴルフをやらないと言うと怪訝な顔をされた。
   この国には、ゴルフの他にも、大切なシェイクスピアの戯曲や、アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカルがあって、それを鑑賞するのに忙しいのだ応えたら笑っていたが、勿論、入会はさせてくれた。

   ところで、アメリカのトップ経営者には、工学や医学などの学位にMBAの学位を持ったダブルメイジャーの人が結構いるのだが、所謂、文理融合のΠ型人間である。
   私の場合には、経済学のBAと経営学のMBAで、同質なので、もう少し、理系の勉強をすべきだったと思っている。
   人生を繰り返せるのなら、もう一度勉強をやり直したいと思っているのだが、このシンポジウムでも言われていたように動機づけが大切で、幸い、私の場合には、京大入試で、社会二科目、理科二科目受験で、理科で、生物と化学を取って勉強したのが、幾何学を加えた数学とともに、結構、その動機づけのお蔭か、その方面への関心は薄れていないし、役に立っていると思っている。
   私立大学では、たったの三科目受験で、入学でき、数学が出来なくても経済学部に入れたのだが、これなどは、リベラル・アーツ以前の問題だと思っているのだが、いずれにしろ、学生時代は、死に物狂いで勉強して、社会に出てからも、生涯教育を続けない限り、生きて行けない時代になったと言うことだけは、事実のようである。

   蛇足ながら、このシンポジウムでは、清家塾長の企業の要望に応えるような教育をと言う点が協調されて報道されているのだが、戦後の日本の教育は、リベラルアーツ重視の戦前の旧制高等学校制度を放棄して、産業界の求める互換性の利くスペアパーツばかりを育成する教育に邁進して、産業立国日本を築き上げてきた。その結果が、今日の体たらくである。
   もう一つ、東大の秋入学問題が話題になったが、これなどは、世界の標準から逸脱している4月スタートの日本の政治経済社会制度が、問われているので、単にグローバル・スタンダードに合わせるかどうかの問題であって、手段にしか過ぎないと思っている。
   国運をかけた大問題のように教育界を巻き込んでいるのも異様だが、結局は、世界の潮流に合わせざるを得ず、日本社会システム全体のリセットが必要で、なし崩し的に実施されるのであろうから大した問題でもなかろう。
   そんなことよりも、今、日本は、宇宙船地球号が滅び去るかどうかという歴史の瀬戸際に立っているのだと言う認識に立って、人類の将来に取って、そして、喫緊には、次世代を担う若者たちにとって、最高の高等教育とは如何にあるべきか、崇高なる教育の理念が問われていると言うことである。
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2008年の危機:黒い白鳥ではなかった~ナシーム・ニコラス・タレブ

2011年06月04日 | 学問・文化・芸術
   「ブラック・スワン」の著者の追加エッセイ集「強さと脆さ」だが、セクションⅠの「母なる自然に学ぶ」のなかで、2008年の金融危機について、書いているので触れてみたい。
   「あの危機には、色々な面があったが、少なくとも黒い白鳥ではなかった。あれは、黒い白鳥と言う事象に対する無知――そして無視――の上に築かれたシステムの脆さが現れただけだ。無能なパイロットが操縦する飛行機ならいつか墜落するなんて、ほぼ間違いなく分かり切っている。」と言う。

   危機の展開を見ても、過去になかった要素は一つもなく、それまでの方が規模が小さかっただけだ。2008年の危機には、新しいところなんか一つもなかったのだから、危機から何一つ学ばないし、今後も同じ誤りを犯し続けるだろう。と言うのである。
   フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」がなかったように、ニュー・エコノミーも金融革命も幻想だったのである。

   過去2500年、記録に残る思想の歴史上、人の手でつくられた理想郷を信じていたのは、バカとプラトン派(それに輪をかけてどうしようもない中央銀行の職員という種)だけだと辛辣だが、現存する最古のシステム「母なる自然」の教義に背けば、その報いを受けると言うことであろうか。
   「母なる自然」とは、明らかに複雑なシステムで、そこでは、相互依存と複雑系と頑健な生態系が絡み合っており、自然は、完璧な記憶を持ったまま年老いて、とても長い年月を生きて来た人みたいなもので、アルツハイマーにかかったりしない。とも言う。

   興味深いのは、母なる自然は、無駄が好きだとして、色々な無駄を列記しており、まず、「守るための無駄」として、人間の体の、目や肺や肝臓が二つずつあり予備の部品を授かっているのはその例で、普通の環境で必要になる以上の能力を備えており、いわば、保険である。
   ところが、全く逆方向の無駄は、浅はかな「最適化」で、大部分この最適化に依拠している経済学などは、科学的な厳密さに欠けて害の方が大きく、ない方がましだ。標準経済学の主要な考えは殆ど全部、仮定をいくらか変えれば、すぐに破綻すると言う。
   「ブラック・スワン」で、経済学のみならず、経済予測など予測を専門とする人々をコテンパンに扱下ろしているのだが、この「母なる自然」論から、考えてみると興味深い。

   もう少し、タレブの議論を進めると、今回の金融危機などに対しても、
   ”金融政策や補助金などの誤りを正したり、社会や経済の日常からのランダム性を取り除いたりなんてやめた方がよく、むしろ、人間らしい誤りや見込み違いは起こるままにしておいて、それが、システム全体に広がるのを防ごうと言うのが私の考え方だ。”と言う。
   つまり、これが、母なる自然のやり方で、たとえ、ボラティリティや通常のランダム性を抑え込もうとしても、黒い白鳥に振り回され易くなり、うわべは平穏だが根本的な解決にはならない。
   本物の認識主義社会、すなわち、専門家の間違いや予測の誤りや思い上がりに振り回されにくい社会であり、無能な政治家や規制当局の役人や経済学者や中央銀行の職員や銀行員や政策通や疫学者に対して、抵抗力を持つ社会を作ることが、自分の夢だと言うのである。

   もう一度、タレブの説く「黒い白鳥 THE BLACK SWAN」だが、普通は起こらないこと、とても大きな衝撃があること、そして、事前ではなく事後には予測が可能(それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまう)と言う三つの特徴を持つ。
   黒い白鳥など居る筈がないと言う常識(?)が、オーストラリアで黒鳥が発見されて、一挙に覆されてしまったのだが、今回の金融危機などは、タレブが言う如く何度も歴史上起こっていて人類は経験済みである。
   馬鹿と言うか、当事者たちが、黒い白鳥ではないと言うことを認識できなかっただけの話である。

   これと全く同じことは、今回の大震災にも言えることで、大地震も大津波も原発事故も、先刻、人類は経験済みで、黒い白鳥でも何でもなかったし、要するに、「母なる自然」の声が聞こえなかった、聴きたくなかっただけの話である。

   タレブは、”この世界の問題には一意な解が存在し、その解は黒い白鳥に対する頑健性と言う線で設計できるはずだと確信している。”と言う。
   そうでなければ、せっせと予測する輩が社会を吹き飛ばし、まぐれに振り回されるアホどもに無茶苦茶にされてしまうと言うのである。
   「母なる自然」の教えに耳を傾けずに、当たる筈のない所謂エセ専門家の予言や提言を真に受けて右往左往し、「まぐれ」に一喜一憂する人々の「脆さ」を克服して、如何に、「強い」社会を作るのか、大震災で多大な教訓を得た日本の課題だと言うことであろうか。

(追記)口絵写真は、京成バラ園。
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OECDの学習到達度調査2009に思う

2010年12月08日 | 学問・文化・芸術
   OECDが3年毎に実施している世界中の15歳の高校生の学習到達度調査で、2009年分の結果が発表されて、TVや新聞などのニュースで、日本が、上位にあった2000年から下がり続けていたランキングが、やや持ち直したと報道された。
   結果は、この口絵の表(産経から借用)の通りで、トップ10には入っており、欧米諸国には勝っているが、上海、シンガポールの後塵を拝しており、韓国や香港など受験競争の激しい国々にやや遅れを取ると言った水準である。
   早速、高木文科大臣が、”各リテラシーとも前回調査から下位層が減少し上位層が増加しており、読解力を中心に我が国の生徒の学力は改善傾向にあると考えます。”とコメントを発表した。
   言語の関係で、中国(国として)やインドが加わっていないが、教育先進国である欧米に大きく水を空けているのであるから、日本の若者の学力は大したものだと喜ぶべきかどうかだが、アメリカでも3大ネットワークなどが、水準の低さに危機意識を持って報道していたので、やはり、次代を背負って立つ若者たちの学習到達度調査には、貴重なメッセージが込められているのであろう。
   アンジェル・グリアOECD事務総長が、“Better educational outcomes are a strong predictor for future economic growth,”より良い教育成果は、将来の経済成長の力強い預言者である” と言っている。

   この調査は、読解力と数学的応用力と科学的応用力の3つの視点からテストが実施されているのだが、やはり読解力が主体の様で、OECDのの広報ではは、「韓国とフィンランドがトップ」と言うタイトルで報道されている。
   興味深いのは、”While national income and educational achievement are still related, PISA shows that two countries with similar levels of prosperity can produce very different results. This shows that an image of a world divided neatly into rich and well-educated countries and poor and badly-educated countries is now out of date.”国民所得と教育の成果は連動しているのだが、同レベルの富裕水準の二国間でも、教育水準が大きく違っている。世界は、富裕で教育水準の高い国と貧しくて教育水準の低い国とにはっきりと分かれていると言うかってのイメージが時代遅れになってしまったことを示している。と指摘していることだが、このことは、今回の調査でも、アジアの新興国が、豊かな欧米を大きく凌駕していることからも分かる。

   さて、日本の教育については、ゆとり教育の弊害が反省されて教育制度がやや規制改革された結果のランクアップだろうと言われているが、いずれにしろ、フィンランドを別にすれば、詰め込み式の教育に近い受験戦争の激しいアジアの先進国や新興国の国が上位を占めているので、この調査が、そのまま、教育水準の高さなり教育の質の高さ、教育システムの優位性を表しているとは、必ずしも言えないと思っている。
   以前に、クルーグマンだったかフリードマンだったか忘れたが、アメリカの初等中等教育の質の低さが、将来のアメリカにとっては深刻な問題だと書いていたことについてコメントしたことがあるが、このことは、成績の悪いヨーロッパ先進国の悩みでもある筈で、価値そのものが根本的に変ってしまった、ICT革命によって生まれ出でた知の爆発する知識情報社会の宿命なのかも知れない。

   先日のJSTのシンポジウムで、「出る杭を伸ばす」システムと言う演題で語った細野秀雄教授は、冒頭に、日本には、出る杭そのものが少ないしいないと言っていたし、阪大西尾章治郎副学長は、人口1000人当たりの日本の大学院生は、たったの2人だが、アメリカや韓国、欧米諸国は8~9人も居ると嘆いていたが、卒業しても、その虎の子の筈の多くのポスドクが職に有り付けずに結婚も出来ない状態であって、その数がどんどん増加していると言うのが、今の日本の現状だと言うから、何をか況やである。
   その上に、「一番でないと何故いけないのですか」と愚問を発する時代錯誤の天然記念物のような大臣たちが、仕分と言う印籠を振りかざして、科学技術、芸術等々の文教予算をどんどん切り捨てて兵糧攻めにしていると嘆く学者たちが多いと言うから、益々、悲しくなる。
   いずれにしても、クリエイティブの時代に突入した今日、知識情報で装備した教育水準の高い有能な人ほど評価されて活躍の場を与えられて然るべき筈が、そうでないとすれば、どこか、否、根本的に日本の経済社会はおかしいのである。

   先日、建築設計関係のシンポジウムで、ある識者が、日本の若者が海外留学をしなくなったと嘆いたのに対して、若いアーキテクトが、海外で学ぶ必要など全くなくて日本で十分だと答えていた。
   私は、ここまで日本の若者がアロガントに世間知らずになってしまったのかと愕然とした。
   今も日本の偉大な科学者が二人、ノーベル賞を受賞するためにストックホルムで、ノーベル賞ウイークを過ごしているが、日本人のノーベル賞受賞者の大半は、アメリカなり海外で勉強した人々であり、今や、日本のホープである偉大な科学者山中伸弥教授も細野秀雄教授もアメリカで学んでいる。
   私は、痩せても枯れても、アメリカは、世界の頭脳と英知を惹きつけて止まない偉大な国だと思っており、初等中等教育(OECDのPISA評価だけかもしれない)の水準が低くても、最高峰の教育大国だと思っている。
   何十年も前の私の経験だが、ウォートン・スクールで、MBA取得のために色々な教科を学んだが、その中のたった2教科(マクロ経済学とミクロ経済学)だけで、京大経済学部4年間で学んだ経済学より多くを学んだと思っている。ビジネス・スクールの学生の多くは、必ずしも大學での専攻が文系ではないのだが、サミュエルソンの「エコノミックス」をたった4回くらいの授業で終えて、その講座の終了間際には最新の経済学論文を読めるまでに持って行く、それ程、アメリカの大学院のプロフェッショナル教育は凄いのである。
   
   話が横道にそれてしまったが、このOECDのPISAは、一つの教育に対する指標かも知れないが、教育は、トータルとしてのシステムとして、国益のために如何にあるべきかを熟慮して考えなければならないと思っている。
   今や、普通に国になってしまった日本、文教政策一つにしても、真剣に考え直さないと、沈没してしまうのではないかと危機意識を持つべきなのである。
   

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ダンテフォーラム2010~ルネサンス都市の経営

2010年11月08日 | 学問・文化・芸術
   九段下のイタリア文化会館で、毎年秋には、森永のエンゼル財団が、「ダンテフォーラム」と銘打った非常に格調の高い講演会を開いているので、今回も参加して勉強させて貰った。
   今回は、哲学者の今道友信先生は登壇されなかったが、「芸術都市の経営」と言うタイトルで、樺山紘一、田中英道、松田義幸の各先生方が、夫々専門の分野から、イタリアを題材にして語られた。

   前回は「音楽と交響」と言うテーマであったが、元々、ダンテの「神曲」から始まっているフォーラムであるから、ダンテやフィレンツエが前面に出てくるのだが、今回は、樺山先生が、オスマントルコの脅威に対抗するために生まれた群雄割拠のイタリア五大都市国家主導のロディ和約による同盟成立から説き起こして、盛期ルネサンス時代のイタリア国家の新しい胎動から、政治と言うマキャヴェリの都市経営思想が生まれ出る過程へと話題を展開し、
   田中先生が、ジョット―の世界を、アッシジの聖フランチェスコ伝「火の試練」(口絵写真)から、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画、そして、フィレンツエのサンタ・マリア・フィオーレ大聖堂とジョット―の鐘楼の作品を語りながら、イタリア文化文明が、東洋の影響を大きく受けて、東西文化の遭遇および融合が進んで行ったことなどを興味深く語った。

   どちらかと言えば、ローマ教皇側とローマ皇帝側との二つの焦点に分かれて、思い思いの道を歩んでいたイタリアの都市国家が、1450年頃を境にして、非常に興味深くも、独特の成り立ちと個性を持った政治体制の違った5つの都市国家に均衡して行き、一等群を抜いたメディチ家のフィレンツエで芸術とは全く異質なマキャヴェリの政治思想が花開き、イタリアの経済社会が大きく変わって行くのだが、その前に、ダンテやジョット―によって始動し触発されて、学術・文化・芸術の豊かな芸術都市フィレンツエが生まれ出る土壌が、徐々に醸成さて行く。
   樺山先生は、経営MANEGEMENTとは、良い時も悪い時も、様々の角度から、あるいは、色々な方面から取り組んで行って試行錯誤の試みの中から苦労しながら結論を引き出すと言う意味もあると語りながら、イタリア国家の推移を現在までの流れで説いていたが、正に、イタリアの芸術都市の創造は、この偉大なイタリア人たちのマネジメントの産物だと言うことであろう。
   また、田中先生の言うように、高度な文化と文明を持った東洋との遭遇が、謂わば、学問や芸術がぶつかり合う十字路を醸成して、新しい知と美の創造を爆発させたのである。
   ルネサンスの誕生は、東洋の影響を抜きにしては語れないと言うことである。
   
   田中先生は、丁度、ジョット―が誕生した頃は、モンゴルの活動期であり、正に、この元寇が、東西を結び付けて、いわば、世界を作ったのだと言う。
   日本では、モンゴルは野蛮なように思われているが、そうではなく、ヨーロッパに文化を持って行ったのだと強調する。

   田中先生は、日本の美意識や文化は、決して、イタリアには負けない素晴らしいものを持っていると主張する反面、戦後は、文化の国だと言うことを忘れて、文化の価値が分からず、その反対のことばかりして、現代的で醜いものばかりを作り続けており、東京の高層ビルや京都タワーなどは、その最たるものだと言う。
   それに、総合的な教養と知見を備えた人々、例えば政治家でも、政治を語り且つ又文化を語れるような人が皆無となり、嘆かわしい限りだとも言う。
   
   松田義幸先生は、「世界遺産政策の視点から見た芸術都市の経営」について語った。
   ユネスコの世界遺産憲章について触れ、「地球市民・地球社会」の平和を希求する視点の重要性を強調し、世界遺産は、民族的価値・普遍的価値・共通善の体現であり、異文化・異文明の相互理解のための学習教材であると言う認識が重要で、そのためにも、アウシュビッツ強制収容所や広島の原爆ドームの存在は、大きな意味を持つと言う。
   本来、世界遺産については、ユネスコであるから文科省の管轄の筈だが、日本では、国交省の仕事となっていて、そのアプローチと対応が基本的に間違っている。
   確かに、世界遺産に登録されると、観光客が30%以上も増加すると言うことだが、観光資源としての重要さよりも、学問・芸術へのあこがれとしての芸術教育の意味合いが強いと言う。
   
   ジョット―のところで、田中先生は、鐘楼の鐘塔の浮き彫りに描かれた労働讃歌とも言うべき労働尊重の哲学について語ったが、この生活芸術が、文化芸術の遺伝子として継承され、フィレンツエの芸術都市の普遍的な指針として息づいているのだと言うことであろう。
   偉大な画家が、最後には偉大な建築家として、素晴らしい建築物を残すのは、このジョット―と同様に、ミケランジェロも、レオナルド・ダ・ヴィンチもそうであったのだが、これも偶然ではなく、専門化が進む反面、総合化が並行して進んで行く当時のイタリアの文化芸術風土が、正に、創造の坩堝であったと言うことでもある。

   この偉大な芸術家たちが雲霞のごとく輩出して群雄割拠して、壮大なルネサンスの華を咲かせた芸術都市フィレンツエの素晴らしさは、筆舌に尽くし難いが、奈良が1300年を祝うように、日本が、奈良や京都で、文化の華を咲かせたのは、フィレンツエよりは、もっともっと早い時期のことであり、ヨーロッパで、長く、そして、多くの偉大な芸術に接して勉強し続けて来た田中先生のように日本人の文化力を確信し、日本文化回帰への熱烈な思いがなければ、日本での芸術都市再建は、難しいと言うことでもある。
   学生時代に、奈良や京都での歴史散策に明け暮れ、欧米などでも、美しいもの素晴らしいものなど人間の英知と美意識を昇華させた素晴らしい遺産を追い求めて歩き続けて来た私には、田中先生の思いが痛いほど良く分かる。
   
   松田先生は、何も、経営は、経済や経営の専売特許ではなく、このような芸術都市を如何に作り上げて維持して行くのかと言った長期的な広い政策も経営であると語っていたが、これは、これまでにも、このブログで何度も書いたように、マネジメントは、あらゆる組織に適用できるものであると言うのは、ドラッカーが強調して止まなかった哲学で、晩年には、資本主義や大企業の将来に見切りをつけて、非営利組織や団体のマネジメントに熱心だった。
   高校野球の女子マネージャーが、ドラッカーを読んでマネージャー業に勤しむのも、大臣が、省の長としてドラッカーを読んで大臣業務を行うのも、至極当然のことなのである。
   
   残念ながら、当日、所用のために、松田先生の講義の途中で中座して、3人の先生方の丁々発止の鼎談を聞きそびれてしまったのを惜しんでいる。
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食:生物多様性と文化多様性の接点

2010年07月16日 | 学問・文化・芸術
   人間文化研究機構が、非常に興味深い表題のシンポジウムを開催した。
   今回は、京都にある総合地球環境研究所の担当で、京大グループが、食について、その生物多様性と文化多様性をテーマに、石毛直道教授の基調講演を皮切りに、環境問題との絡みも含めて現在文明を語った。

   雑食動物ゆえに、世界中の異なる環境に進出した人間が、食用植物の栽培化と動物の家畜化、そして、料理をすると言う文化を持ったことによって、民族文化の枠を超えた普遍性が食文化にもあらわれ、更に、食材の多様性と料理方法の交流による多様性が著しく進展して世界中の食文化を豊かにし、大きく変えて来た。
   それは、和洋中の料理法の折衷とも言うべき日本の家庭料理が進化した新日本料理を見れば良く分かることだとして、石毛教授は、トンカツやラーメンが、既に、オリジンとは様変わりの立派な日本料理となっていることを語った。
   パン粉を使って炒めたようなカツレツが、日本では、天麩羅の技法を使って油で揚げたトンカツと成った。
   昔、ウイーンで、トンカツのつもりで、シュニッツェルを食べたのだが、全く美味くなかった。
   天麩羅は、ポルトガル人が、何かの宗教儀式の時の特別食として油で揚げた料理らしく、テンプル(寺院)が訛って伝わったと聞いたことがあるが、天麩羅料理をこれ程までに洗練された料理に仕上げた日本の食文化は大したものであると思う。

   石毛教授は、人間は、料理をする動物であると同時に、共食する動物であると語った。
   近代社会で発展したのは、外食と食品産業だが、やはり、ヒトの食事の基本集団は家族であり、この家族と言うヒトの社会の集団単位が消滅することはないであろうが、しかし、文明が都市化して、人工的な環境でヒトが生活すればするほど、社会の食と家庭の食の調和をはかることが大切だと言う。
   生活の中で、環境の産物ともっとも関りの深いのが食であり、人々は、栽培植物や家畜のように限られた種であっても、食材を通じて植物の種類や季節の認識をしてきた。
   ところが、現在の日本の都市民は、畑の作物を見て大麦と小麦との区別さえ分からず、魚は店頭の切り身でしか知らないので魚の名前を当てられなくなってしまっているのは、正に、食の社会化と環境離れの典型であり、ヒトの自然認識に関る由々しき問題だと指摘する。

   最近、朝日新書「コシヒカリより美味しい米」を著した佐藤洋一郎教授が、食文化を考え直すとして次の提言を行っていた。
   自分でとごうコメくらい
   おいしいものは当地で
   安かろう悪かろう 
   考え直そうダイエット
   要するに、食べると言う人間にとって大切な行為をもっともっと大切にしようと言うことのようで、夕方帰宅途中で、百貨店のデパチカによって夕食の用意をしたり、何千キロも食材を運んで来て握られた寿司をニューヨークで食べたり、無茶苦茶な価格破壊の外食で昼飯代を浮かせたり、無理に食事を抑えたり、と言った愚行は止めて、食べることを楽しもうとと言うことであろうか。
   アメリカ文化の象徴のようなファーストフードよりも、イタリア文化の香りがするスローフードを、と言うことであろうが、あまりにも世の中の生活テンポが速くなり過ぎて、悲しいかな、現代人は、食を楽しむ余裕がなくなってしまったのであろう。

   さて、石毛教授の話だと、縄文遺跡時代には、日本人は、哺乳類70種、鳥類35種、魚類71種食べていたようだが、現代人は、家畜の牛、豚、鶏が大半で、他に、羊、馬、小鳥など極僅かで限られた肉しか食べていないし、穀物に至っては、大半が、小麦とコメで、更に、佐藤教授の話では、コメの70%は、コシヒカリとその子孫のコメだと言うから、文明が進めば進むほど食材の多様性から遠ざかって行く。
   以前に、このブログで取り上げたマイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ」には、何万年何十万年と人類が自然環境の中で食べ続けて来た自然の中の食材には、慣れているので体が適当に対応して病気に罹りにくいが、人工的に作り上げた食材や食べ物は危険であると書いてあったような気がする。

   毎日、30種類の食べ物を取るべきであるとお医者さんが言っていたが、食の多様性は、人間にとって必須なのであろう。
   しかし、美食と言わないまでも、豊かで美味しい食を満喫するためには、それ相応のヒマとカネがいる。
   それに、もうひとつ歳の問題もある。
   昔、若かりし頃、ヨーロッパで頑張っていた頃には、ミシュランの赤本を小脇に抱えて、あっちこっちを旅しながら、星つきのレストランを渡り歩いていたのだが、このあたりになると、食は、文化であると言うことが痛いほど良く分かるのである。
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世界の文化と日本の文化・・・ドナルド・キーン

2010年07月11日 | 学問・文化・芸術
   後世の人が、20世紀を振り返って褒めるとしたら、それは、東洋と西洋の邂逅であろう。
   初めて、東洋と西洋が接触して、理解しようとした、画期的なことである。
   こんな語り口で、ドナルド・キーン先生は、「知の役割 知のおもしろさ」と言うシンポジウムの基調講演「世界の文化と日本の文化」を始めた。

   ケンブリッジで勉強していた頃、(どうも、1950年代の前半のようだが、)何を勉強しているのかと聞かれて「日本文学」だと答えると、何故、猿真似の国の文学を勉強するのだと、10人中9人から聞かれたようで、当時、日本に関して欧米人が知っていた唯一のことと言えば、日本が猿真似の国であると言うことだったと語って、それ程、日本のことが知られていなかったのだと言う。
   また、日本の明治時代の西洋事情は、欧米への日本人留学生によって齎された翻訳本などからだが、その多くは、留学生の下宿のおばさんの知識情報から出ていたので、その知的水準に止まっており非常に怪しかったと言う。
   どうも、まともな知識情報の流れの最初は、アーサー・ウイリーの「源氏物語」の翻訳と、坪内逍遥のシェイクスピアの翻訳あたりからのようである。

   キーン先生は、源氏物語に関する興味深い話を語った。
   ウイリーが翻訳した「源氏物語」の初版本は、3000部の出版で、半分ずつが、イギリスとアメリカで販売されたと言う。
   しかし、現在は、3種類の英訳本があるが、毎年2万部ずつが売れていると言う。

   最近、キーン教授は、ポルトガル領のマデイラに行ったが、
   1000ページを超える源氏物語の訳本が良く売れていた。
   これは、エキゾチックな日本趣味を味わいたいからではなく、この物語には、普遍性と魅力があり、また、外人読者が、日本人と同様に、美しくて悲しい物語を読みたいと思うからだ、と語った。

   外人に対する日本人の質問は、決まって、刺身を食べるか、箸を使うか、だったが、日本人は、自分たちがユニークだと言うことを欲しているようだが、そんなことを証明する必要もないし、また、それを誇りに思うのはおかしい。
   欧米人が、能の値打ちを認めているのは、普遍的な魅力を持っているからで、日本の素晴らしい文学や芸術が価値あるのも、その特異性にあるのではなく、全く同様の理由だと言うのである。
   従って、近松門左衛門や井原西鶴のどこが猿真似か、奥の細道しかりで、正しい日本の姿が、欧米に知られて行くにつれて、日本は猿真似の国だと言うのが嘘だと分かって来たのである。
   
   私自身、欧米に14年住んでいたし、一泊以上滞在した国は40くらいあると思うので、多少、普通の人よりは、外国経験があると思うのだが、外国の人々と付き合ってきた接点の殆どは、自分が日本人であって外人とは違っていると言う感覚ではなくて、世界中どこへ行っても人間は皆同じなんだと言う強い感慨とその確認以外の何ものでもなかったような気がする。
   私など、先入感が強くて頭の固い、どちらかと言えば、日本愛の強い人間だと思うのだが、
   世界中を歩いて見て、色々な文化や伝統に触れて、素晴らしい芸術などに遭遇して来たが、例えば、どこでオペラやシェイクスピア劇を見ても、あるいは、ボカでタンゴを聞き、ブダペストでジプシーバイオリンを聞き、リスボンでファドを聞き、グラナダでフラメンコを見、そして、日本で歌舞伎や文楽を観るなど色々なパーフォーマンス・アートを鑑賞して、その素晴らしさに感激し続けて来たような気がする。
   そのオリジンには一切関係なく、人類が営々と築き上げてきた文化遺産の素晴らしさ、人間が人間として生きる喜びと悲しみを凝縮爆発させて生み出して来た普遍性が、時空を超えて人々を感激させるのではないかと思っている。

   私は、キーン先生の、源氏物語を外人が読むのは、美しくて悲しい物語を読みたいのだと言う言葉に、限りなく感動を覚えた。

   会場で、即売されていたキーン先生の「私と20世紀のクロニクル」を買って、帰りの電車の中で拾い読みをした。
   まず、目を引いたのは、「ナチ侵攻のさなか、『源氏』に没頭」と言うタイトルである。
   タイムズ・スクエアのゾッキ本書店で山積みにされているウィリー訳の『源氏物語』を見つけて、好奇心から読み始めて、その夢のように魅惑的で、どこか遠くの美しい世界を鮮やかに描き出しているのに心を奪われてしまった。
   1940年のことだから、日本が脅威的な軍事国家だとばかり思っていたのだが、世界の嫌なものすべてから逃れるために、源氏物語に没頭したのだと言う。
   源氏は深い悲しみと言うものを知っていて、人間であってこの世に生きることは避けようもなく悲しいことだと感じながら生きていた、その源氏の世界にどっぷりとつかりながら、まだ見ぬ、しかし、人生を変えてしまった異国日本に思いを馳せていたのかも知れない。

   この本のあとがきで、世界は随分変わったが、一番大切なものは同じままだとして、「源氏物語」を語っている。
   ”私たちの生活が千年前の貴族の生活といかに大きく違っていても、この小説が自分のことのようにわかるのは、紫式部が描いた感情の数々が私たち自身のものであるからだ。愛、憎しみ、孤独、嫉妬その他は、生活様式がいくら変わろうとも不変のままである。「源氏物語」であれシェイクスピアであれ、昔の文学を読む大きな楽しみのひとつは、時空を超えて人々が同じ感情を共有していることを発見することである。”
   東西の邂逅によって、お互いに理解し合おうと言う努力が、お互いの世界の価値ある普遍的なものを発見し理解が深まった。日本の文化や芸術が輝いているのは、日本人の生み出した人間精神の根本に根ざした普遍的な魂の輝きが認められたからであって、日本人が拘る日本は特異だと言う意識など末梢的で、日本文化は、世界、人類共通の普遍性に培われた価値あるものだと言うことを日本人自信が認識すべきだ、とキーン先生は言いたかったのであろう。

   キーン先生を、歌舞伎座やロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演などで見かけたことがあるが、講演を聞くのは初めてで、非常に面白かった。
   日本語に対する日本人の思い込みの強さを語っていたが、特に、面白いのは、外人は日本語が読めないので日本語は暗号のようなものだと思っていたことで、米兵には禁止されていた日記を日本兵は熱心に書いていたのだが、海軍で日本語の文書を翻訳する部署に配属されて、この日記を翻訳して機密情報をキャッチしていた。
   しかし、日本兵の心情を吐露した日記に感動した。時たま、ページの最後に、英文で戦争が終わったら日記を家族に届けて欲しいと書いてあり机の中に隠していたのだが、没収されてしまい痛恨の極みだと言う。

   これに関連して、キーン先生の日本文学に対する博学多識を、英文などへの翻訳を通じて得たものと思っていた東大教授が居たようで、日本人の学者以上に日本語に精通しているキーン先生の実力を分かっていない日本人が多いようである。
   今や、日本文学の講座のない外国の大学は一流ではないと思われていると、キーン先生が言う時代なのである。
   これに良く似た話を、昔、名文章家で有名な高峰秀子が、(子役から多忙極めていて学校も出ていないので)、誰かに書いて貰ったのだろうと言ったこれも東大教授が居たと言う話をしていたのを思い出した。
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