は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

最近の日本人に付いて思うこと。。。

2008-03-13 22:54:01 | 独り言

無駄な公共事業を行なったとして、県知事に対する訴訟沙汰があっちでも、こっちでもと増えて来た。医療の分野でも、医者に対する訴訟が、やたら増え始めている。。

世の中。はたして?こんな事で良いのでしょうかね。医者だって?知事だって?・・犯罪行為をすれば?話は別だが、単に業務上の始末は、本来は業務の中で返して行くのが『筋』というものである。。

でないと?この先「義侠心」に駆られて、世の為、人の為に一肌脱ごうという勇敢なものは、もう出て来ないのではなかろうかと心配される。つまり?皆「及び腰」になってしまうということ。卑屈になってしまうということ。広い意味では、それは国家のダイナミズムが削がれるという事でもある。。

医者だって?医学を志した時から、気持ち的には、出来る限り、難しい手術にも取り組んで、自らの手で、一人でも多くの患者の命を救ってやりたいと考えている人達が大半だと信じます。・・でも実際それをして?万が一失敗でもすれば?途端に訴訟を起こされて、場合に依っては、医者としての地位や名誉など?これまで築いてきた全てを失うことにもなり兼ねないことになる。であれば?なにも?無理してまで?やる必要はないと考えても無理はなく。「自明の理」と言えるものである。

かっては聖職とよばれて来た教職だって、今では、ちょっと生徒に強い態度に出れば?・・高慢ちきなPTAらに、よってたかって「吊るし上げ」をくう場合もある時代だ。 これじゃあ?教師としての「プライド」など持てようハズもなく、就任当時に抱いていた情熱も失われ、忙しさから次第に「サラリーマン」化して行くのも?無理からぬことと考える。・・といって?それを誰が責められようか?・・という事である。。

私は、今の日本人は仕事に対する「結果責任」を、あまりにも強く求め過ぎているように思われる。確かに「結果責任」は重きものである。評価としての「信賞必罰」の元となるものである。だが政治の世界では、義憤に駆られてしたことでも、何でもかんでも?一律に『責任追及するのが正義みたい』に考えるマスコミが多くて嘆かわしくなる。更には、そんなマスコミの尻馬に乗せられてか?・・責任追及に「正義」を感じる政治家まで現われるに至っては?正直、つくづくとがっくりさせられる。思わず「そうじゃないだろう?」と言いたくなってしまう。。

私が見るところ。以前の日本人というのは、あらゆる面で、もっと「寛容」であったように思う。しかし、いつの間にやら?日本人は「心が狭くなってしまった」・・というか?・・おそらくは、己の事で「いっぱいいっぱい」なんだろうと想像するが、心に「ゆとり」がまるでなく。「ギスギス」感が否めない。その為か?今の日本人は「許す」という度量をまるで失くしてしまったように思う。(企業でも若い頃の向こう傷を問わないとする美風を持つところも多い)

私はそこを大変残念に思っている。現在、世の中に巻き起こっている様々な『犯罪』に対しては、むしろ、もっと断固たる姿勢で臨むべきだと思ってるが、業務上に起きた失態を、殊更にあげつらう姿勢は、傍から見ても甚だ見苦しく、時に見るに耐えぬものがある。(会社なら?上司が困っていれば?みんなで助けようと、一丸となっているところだ)

そんな中、総じて感じることは、最近の日本人は「セッカチ」に一段と磨きが掛かかっているのでは?ということ。あまりにも早く結果を求め過ぎているのである。しかし「ローマは一日にして成らず」ではないが、もう少し長い目で見守る姿勢が有っても良いように思う。。

そういう面では中国は驚くほど辛抱強い。まさに太極拳の流れのように、決して慌てることなく、揺るぎない姿勢で、ひたすら「機の熟すのを待つ」という姿勢が伺え、彼らに対する数少ない「尊敬」を感じる部分である。日本人には、なかなか厳しいことと承知しているが、そう考える「ゆとり」だけでも持ちたいものだ。。。



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