走り出す子供の手を離れて、少し上がりだした凧が、
前からの強い風を受けて、するするすると空高く舞い上がりました。
手元の糸を目一杯に伸ばして凧はさらに高くのぼっていきます。
糸が一杯になると、もうそれ以上高く飛ぶことができず、
凧はもっと高く跳びたくて子供の手から糸を奪ってしまいました。
子供の手から自由になった凧は、一瞬大きく横に流されてしまい、
くるくるくると回転しながらもうそれ以上高く飛ぶことができず、
遠く遠く離れたところに飛ばされて行きました。
繋がれた糸があるために、より高く自由に大空をのぼれなかったんですが、
しっかりと糸のつながりがあったからこそ、高く大空に舞いあがれていたんですね。
前からの強い風を受けて、するするすると空高く舞い上がりました。
手元の糸を目一杯に伸ばして凧はさらに高くのぼっていきます。
糸が一杯になると、もうそれ以上高く飛ぶことができず、
凧はもっと高く跳びたくて子供の手から糸を奪ってしまいました。
子供の手から自由になった凧は、一瞬大きく横に流されてしまい、
くるくるくると回転しながらもうそれ以上高く飛ぶことができず、
遠く遠く離れたところに飛ばされて行きました。
繋がれた糸があるために、より高く自由に大空をのぼれなかったんですが、
しっかりと糸のつながりがあったからこそ、高く大空に舞いあがれていたんですね。
なるほど、物理学的にも、糸にはそういう働きがあったんですね。
すごく教訓的!
ヒトでも動物でも、きちんと見守っている存在がないと、
自由になることはできないんじゃないか??
相反するような概念ですが、
確かに言い当ててるところがありますね~~
今朝は予報どうりに冷たい雨が降っています、
そちらでは朝から雪ではないでしょうか。
仕事はじめからひき始めた風邪がいまだ治らず、
鼻水、せきにのどの痛み、ぐずぐずとした生活です。
ところで、決して教訓的な思いではないんですが、
孫の手から強風で煽られて遥か遠くに飛んで行ってしまった
凧のことを思うと、ふと↑のようなことが思われました。
風に飛ばされる凧ではないですが、規範やよりどころ、
家族や友人、そしてもっと大勢の人達とのつながりがあるからこそ、
思い切りよく自由に羽ばたけるんですね。
お孫ちゃん、きっと楽しんだでしょうね。もちろんhappykotaさんも
高く高く舞い上がった凧は今は何処にあるでしょうか?まだまだ飛んでいて欲しいですね。
子供の頃一山越えた母の実家に正月に行きますと、和凧を高く上げて、ヒモを雑木林の木に、くくって雨でもない限り何日も上げていました。中学生くらいのお兄ちゃんたちが、競ってやっていまして青い空に沢山の凧の浮かぶ様がとても好きでした。記事を拝見してそんな小さい頃の光景が浮かびました。
で・・・、とどのつまりは「墜落」・・・かな(^^)?
でも、今はシッカリと糸につながれてますが、「低空飛行」(^_^;)
せやけど、この頃は『奴凧』って見かけなくなりましたねぇー(^^)/
今日は寒かったですね、冷たい雨も上がってほっとですが、
横浜の息子から孫君1号と3号君の雪だるまをメールで送ってくれました。
ところでそうですね、風が幾日も強いようでしたら糸を
結び付けておけば何日も自由に飛び回っていますね。
平城宮跡でしたらおこられるかな?
そちらの雪の様子いかがですか、西名阪は通行止めになっていましたね。
私は相変わらず風邪気味ですので、今日は一日炬燵の番です。
それにしても、どちらも同じ低空飛行ですね。
ところで私も小学校のころは奴凧作りましたよ。