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ぽかぽか春庭アーカイブ(た)高橋たか子『ロンリーウーマン』

2018-11-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181117
ぽかぽか春庭アーカイブ(た)高橋たか子『ロンリーウーマン』

at 2003 10/11 09:42 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.17(た)高橋たか子『ロンリーウーマン』
 高橋和己夫人、高橋たか子は、夫和己と共に文学活動を始めていたが、私が彼女を知ったのは「高橋和己の思い出」というような、「夫を語る未亡人」としてだった。
 夫と関係のない彼女自身の作品として読んだのは女流文学賞を受けた連作短編集『ロンリーウーマン』から。そのあと、『ロンリーウーマン』より前の『彼方の水音』『空の果てまで』へ戻り、『没落風景』『人形愛』へと読んでいった。

 たか子は、キリスト者となり、女の孤独と絶望を深い思いの底から描き出している。一番好きなのは『誘惑者』
 フランスへ行って修道女になってしまったときは驚いた。帰国後の作品は読んでいない。精神の高みへと登ろうとする高橋に対し、私は「精神のごみため」のような日常。
「ごみを捨てらず、ごみにまみれて暮らすおばあさん」が、時々テレビに映ったりする。我がロンリーウーマン暮らしは、ああなるかなぁ、と思って見ている。

at 2003 10/11 09:42 編集 ロンリーウーマン
 時々聞く、老人の孤独死ニュース。だれにも看取られず、気づかれず死んでいるお年寄りのニュースは胸にせまる。高齢者にとって、孤独は一番いやなもの、おそろしいものなのだろうか。

 友人の何人かは、自身の子育てや親の介護を卒業した後、ホームヘルパーの資格をとって、老人介護の専門家になっている。また、昔中学校で同僚だった友人は、民生委員になって、町内の老人宅を訪問している。彼女たちに話を聞く機会があると、孤独がどれほど老人たちの心をむしばみ、つらい思いにさせているか、ひしひしとわかる。
 確かに、老後を孤独で過ごすより、友人や孫子といっしょににぎやかに過ごせたら、こんなありがたいことはない。でも、私は「老い支度」のひとつとして、「孤独を楽しんですごす準備」も怠りなくレッスンしておきたい。

 大勢で楽しく過ごすことも必要だが、一人自分をみつめ、一人遊びもできるように。女の一人暮らしで、身ぎれいに、食生活もきちんとして、、、などなど思うのだが。
 今でも子どもたちが出かけていない日など、面倒くさくなると、昼も夜も同じTシャツとジャージですごし、スーパーで買ったおかずを食器に入れ替えるのさえせずに、パックのまま食べているのだから、「おしゃれで、かわいい生き生きしたおばあさん」になることは「夢」かもしれない。
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2010/01/25
 2009年の読書のひとつが上野千鶴子『おひとりさまの老後』であったことは、2009年12月末に書いたのだけれど、上野が「おひとり様でも寂しくない老後」を目指したい気持ちはわかる。ただ、「老後を支える資金と多数の友人ネットワークが必要」ということを強調されると、資金もなく友人もごくわずかな私としては、ロンリーウーマンでもいいか、という気になる。

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20181118
 老い支度としてブログを書き始め、当時は「おい老い、笈の小文」というタイトルでした。老い先の心構えを作っていくための文章書きでしたが、今、実際に老いて体も不自由になってみると、後輩にはこう言いたい。「還暦過ぎたらあっというまに古希になる」

 ひとりでも楽しいことはあるし、二人連れでもグループでも楽しめる。
 この秋の京都旅行では、京都滞在12日の間、ジジフレンドと2日間(10月26,27日)、京都研究滞在中の中国の朋友と2日間(11月2日3日)、いっしょに歩きました。そしてそのほかの日は、ひとり。

 朋友は、「わたしが京都にいる間くらい、全日程を私にたよってくれてもいいのに、ハル先生のように、高齢女性でひとりで歩き回る人をはじめてみました。センセは、自立していますね」という。私の周辺には、ひとりでもふたりでも大勢でも楽しい、という人がほとんどだから、自分自身が「自立している」なんて意識したことはなかったけれど、日本の女性たちを「異文化」の目で見ている人からながめると、日本の高齢女性のなかでは変わり者のように見えるのかもしれません。

 高齢者のくらし、ひとりでも楽しい、二人でも楽しい(ふたり連れは、夫以外の人と。わ我が家の場合だけですが)。

<つづく>
コメント
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