中国歴史ドラマ「武則天」
20170122
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>やっこい脳のための新語旧語(6)武則天のつまみかんざし
教科書で学ぼうとすると無味乾燥になりがちな歴史ですが、ドラマ仕立てで見て史実とつきあわせると、かなり荒唐無稽な脚色のドラマでも楽しめます。
昨今の日本のテレビで、歴史ドラマ考証の厳しさは、ほんとうにきっちりしています。
2014年は、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を見ていました。
一向宗と織田方との戦いが描かれ、顕如が座っている石山本願寺の場面でのこと。
浄土真宗では仏像は阿弥陀仏であるはずなのに、仏間には釈迦如来像がおかれていました。歴史考証はしっかりしていたはずですが、考証者も仏像の間違いは見逃してしまったのでしょう。むろん、テレビ見ていた私も、ぼうっとその場面をみただけ。仏像が画面にうつったのは、ほんの一瞬でしたから。
しかし、テレビを見ていた3人の人から放映後、即座に「仏像が違う」という指摘があり、NHKは、公式ホームページで間違いを認めました。再放送や総集編では、仏像がうつらない画面に編集し直したのだとか。
歴史ドラマが好きなのでNHK大河ドラマのほか、2015~2016年は韓国ドラマ「奇皇后」を見ていました。歴史的事実とは異なる、という前書きが出ています。実在の人物であるけれど、描かれていることは事実とは異なる、ということを、ドラマの最初に断っていました。
元朝の最後の皇帝(順帝トゴン・テムル)の皇后になった奇氏(粛良台・完者忽郡オルジェイ・クトゥク、北元初代皇帝アユルシリダラの母)は、朝貢国高麗から献上された貢女(こんにょ)から成り上がった女性で、奴隷に等しい貢女から、皇后になるまでが、ほぼ史実を無視して描かれていました。
昨年後半から中国歴史ドラマ「武則天」を見ています。宮廷の女達の争い、毒殺やら撲殺やら、すごいです。(日本の史書では、武則天自身が、皇帝としてではなく、3代皇帝高宗の皇后として墓に入ることを望んだことから、則天武后の名で知られています)
こちらも、中国史上唯一の女帝となった武則天が主人公ですから、宮廷の争いにおいては、主人公補正があり、のちの武則天、武媚娘(ウーメイニャン)は、心根のきっぱりとしたよい人に描かれています。
14歳で唐朝2代皇帝太宗李世明の後宮に入宮してから18年かけて3代皇帝高祖李治の皇后になるまで、そりゃあすさまじい争いに勝ち残ってきたのですから、実際の武媚娘は、頭がよくて気が強い、そして腹黒い女性だったろうと思います。もし「よい人」であったなら、宮廷の争いのなかでは、真っ先に脱落し始末されてしまったことでしょう。
高麗からの貢女(献上された奴隷)なので前半生があいまいな奇皇后とはことなり、皇宮内のできごと、特に皇帝に関する出来事は事細かな記録が残されている中国史書の皇室記録ですから、史実は史実として残されていますが、脚本は、ひたすら武則天を「よい人」に描きます。
2代皇帝太宗李世民の后妃たちの描き方、長孫氏文徳皇后は、主人公武媚娘が入宮したときにはすでに亡くなっているので悪くは描かれていませんが、4人の妃は、それぞれ宮廷内の権力争いにおいて性悪に描かれています。
史実をみれば、4人ともまともな妃です。
ドラマでは、韋貴妃は、子を持てなかったコンプレックスから陰謀をめぐらして武媚娘を追い落とそうと画策し、それが露見して牢獄で自殺に見せかけて殺されるという脚本です。実際は一男一女を産み育て、夫の皇帝李世民の死から15年後まで生き残っています。
ドラマでは、4人の妃がそれぞれ権力を失ってからは、武媚娘と同時に入宮した徐恵が悪役になります。これまた史実では、徐恵は能筆能文の人であり、静かに皇帝に仕えました。皇帝亡きのち病気になり、後を追うように24歳で亡くなったという人ですが、ドラマでは武媚娘を裏切る敵役。
2代皇帝太宗李世民が北伐に出軍すると、武媚娘が男装して従軍します。これも、アリエネーできごとですが、ドラマですからま、いいかと見ています。史実では、李世民は、武媚娘の権力好きを見抜いて寵愛は薄かったと思いますが、主人公ですから、皇帝にも皇太子李治にも深く愛される武媚娘です。
中国赴任中に、夜、宿舎の娯楽は何もないので、読書のほかは、中国ドラマをテレビで見て過ごしました。「鑑真」が主人公のドラマなどを見たのですが、中国にいたころの鑑真について知らなかったことが詳しくわかりましたが、それが史実通りだとは思いません。鑑真が日本に着いてからの歴史考証時代考証はテキトーで、奈良の都や朝廷の描き方、間違いだらけでした。
現在の中国のドラマでは、時代考証、風俗考証は、ほとんど無きに等しい。
中国のほとんどの歴史ドラマで、歴史考証、風俗考証がテキトーであるのは、みな知って楽しんでいるのでしょう。
日本でも、私が子どもの頃の時代劇など、元禄風俗も化政期も幕末もごちゃまぜの衣装髪型で、考証などされていませんでした。
武則天の画面で気になったこと。
唐時代の髪型や衣装は、絵や陶器などに女性の風俗が描かれているので、ドラマの女性達の髪型や衣装も、唐時代の女性絵のイメージに近い姿にまあまあなっていると思いましたが、細かいところでは宋時代も元時代もごちゃ混ぜかと思います。
武媚娘の髪飾りに違和感がありました。
2代皇帝の後宮女性たち、みな、華麗な衣装を着て、じゃらじゃらと髪飾りの豪華さ絢爛さを競っています。その中で、武媚娘の髪飾りはとても可憐な「つまみかんざし細工」なのです。
あれれ、つまみ簪は日本で江戸時代後半に作られたのではなかったか。
中国と韓国では「日本に広まっているよい文化は、すべて中国と朝鮮から運ばれたもの」と、一般大衆は信じています。日本の剣道は「韓国の剣術(コムド)が伝わったものである」「日本の巻き寿司は、韓国のキムパプ(Gimbap,김밥が起源である」と、信じられています。韓国で海苔巻きが食べられるようになったのは、19世紀以後である、などと史実として起源論を実証しても、民間伝承として「よいものは全部中国起源、朝鮮発祥」そう信じられているので、論破は難しい。
だから、つまみ簪が江戸時代の細工物であることを指摘したところで、「それは、唐の時代に中国で作られていた簪が伝わったのだ」と、一蹴されておわり。
第一、ドラマ制作側の中には、つまみかんざしが江戸時代のものであるか、唐時代のものであるかなど、関心を持つ者はいない。
だれもつまみかんざしに関心を持たないと、思ったら、ネットの中にはいました。ご同類。やはり、武媚娘のつまみかんざしヘアスタイルに違和感を感じた人がいたのです。投稿の質疑応答の結論は、「中国ドラマに歴史考証、風俗考証を期待してはいけない」でしたけれど。
現在日本で売られている浴衣ほかの和服、つまみ簪ほかの髪飾り、お手頃の価格品は、ほとんどが中国製、東南アジア製なのですって。伝統本物の江戸つまみ簪などは、よほどのお金もちでなければ、買えない。成人式にも七五三にもレンタルした中国製つまみかんざしを飾るくらいがせいぜい。
若き武則天が江戸つまみかんざしを髪に飾っているのも、「史実無視」なんて野暮なことは言わないでドラマを楽しむことにしましょう。
<つづく>