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ぽかぽか春庭「2016年11月目次」

2016-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20161130
ぽかぽか春庭2016年11月目次

1101 ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(1)合唱祭
1102 2016秋の音楽(2)秋の無料コンサート9月
1103 2016秋の音楽(3)旧雑司ヶ谷宣教師館のウエスタンピアノ秋の無料コンサート10月
1105 2016秋の音楽(4)古楽アンサンブル・秋の無料コンサート10月その2
1106 2016秋の音楽(5)風琴と二胡・秋の無料コンサート10月その3
1108 2016秋の音楽(6)みんなの音楽会・オペラの楽しみ

1109 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(1)てのひら劇場・みんな集まれコンサート
1110 2016十六夜さまよい日記11月(2)どこかのバレエ教室発表会&江東区バレエフェスティバル
1112 2016十六夜さまよい日記11月(3)秋バラのコンサート in 旧古河庭園
1113 2016十六夜さまよい日記11月(4)写真展ヤンゴン環状線
1115 2016十六夜さまよい日記11月(5)上野でディナー

1116 ぽかぽか春庭@アート散歩>劇的なるロシア(1)ドストエフスキー『白痴』
1117 劇的なるロシア(2)ゴーリキー『どん底』
1119 劇的なるロシア(3)チェホフ『三人姉妹』

1120 ぽかぽか春庭@アート散歩>東京建築巡り(1)迎賓館赤坂離宮その1
1122 東京建物巡り(2)迎賓館赤坂離宮その2彩鸞の間
1123 東京建物巡り(3)迎賓館赤坂離宮その3花鳥の間
1124 東京建物巡り(4)迎賓館赤坂離宮その4朝日の間、羽衣の間
1127 東京建物巡り(5)旧朝香宮邸(庭園美術館)



 
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ぽかぽか春庭「旧朝香宮邸(庭園美術館)」

2016-11-27 23:59:04 | エッセイ、コラム
20161127
ぽかぽか春庭@アート散歩>東京建物巡り(5)旧朝香宮邸(庭園美術館)

 私が一番足繁く行く旧古河庭園など、館内見学入館料800円も徴収するのに館内撮影全面禁止。
 古河庭園は都立公園ですが、建物は大谷美術館の管理になっているためです。以前まだ大谷美術館の管理ではなく、東京都管理だったときは、フラッシュ禁止で撮影自由だったと記憶します。
 フラッシュ禁止は、建物の保護のため必要と思うけれど、館内撮影全面禁止というのは、残念な気がします。フラッシュ禁止した上で撮影許可して欲しいです。

 私は、撮影自由の庭園公園を撮影するときは、他の見学者が映り込まないよう、人が大きく映り込まなくなるまで待ちに待ってから撮影しているけれど、そのようなことを気に掛けない撮影者も見かけます。もしも私の顔がはっきりわかるように撮影されているコマが、知らないまにブログ公開などされていたらいやだなあと、思うので、そのようなトラブルを避けるための措置なのだと思います。まだまだ、ネット代の個人情報マナーは定着しているとはいえないので、館内撮影は解禁になる建物が増えていかないのかも。

 6月にミサイルママといっしょに「庭園美術館メディチ家至宝展」を見に訪れたときは、館内撮影禁止でした。旧朝香宮邸本館での展示が中心でしたから。
 10月、現代美術のボルタンスキー展では、中核の作品は新館での展示であったため、アールデコの本館が「フラッシュ禁止だが撮影は自由」になりました。ボルタンスキーの作品も全部撮影自由なのです。現代美術は苦手で、ボルタンスキーには何の興味もなかったけれど、撮影自由に惹かれて第3水曜日に見に行きました。

 建築専門家の写真集などを見たほうが、きれいに撮れているのはわかっているし、朝香宮邸の写真集も持っているのですが、自分の目で自由に撮れるというのが、なんとなく見る気分も自由になる気がするのです。

 以下、下手な写真ですが、アールデコ建築の旧朝香宮邸を紹介します。

 旧朝香宮邸は、宮家を創設した鳩彦王と允子妃(明治天皇第八皇女。母は園祥子)夫妻の邸宅として、1933(昭和8)年に完成。
 夫妻が暮らしたパリで流行していたアールデコを取り入れた建物で、権藤要吉を中心とした宮内省内匠寮が設計を担当。内装は、アンリ・ラパン。邸内のガラスデザインはルネ・ラリック。

旧朝香宮邸外観 玄関東北側

玄関


南側外観


新館より西側を見る


入り口


玄関床モザイク


玄関照明


玄関ガラスレリーフ(ルネ・ラリック作)

玄関ガラスレリーフ内側


1階 香水塔の間





香水塔の間から客室を見る



1階 大広間
天井照明


大広間のレリーフ(レオン・ブランショ作)


1階 大食堂

大食堂飾り暖炉







暖炉脇のガラスドア




1階ベランダ


階段室









1階2階、さまざまなデザインの照明器具









1階2階、さまざまなデザインのラジエーターカバー













2階
ベランダ





鏡の前に置かれていたのは、館が完成後まもなく亡くなった允子妃の像





 絢爛豪華を追求した迎賓館赤坂離宮に比べ、瀟洒なアールデコが心地よい旧朝香宮邸。館内を歩いて、そこここに好みのデザインを発見するのも楽しい。
 第3水曜日、65歳以上無料で見学できます。
 隣の白金教育自然園との散歩とセットで、一日「大人の遠足」を楽しむのにちょうどよい建物です。

 そんな大邸宅に住もうとは思っていないのだけれど、友人K子さんの部屋に遊びに行ったら、いつもながら、とてもきれいにして、小鳥といっしょに美しく暮らしているようすにひきかえて、ゴミ箱の中で生きている我が身がつくづく情けなく、12月は断捨離月刊とします。
 年末年始は、整理整頓優先のため、ブログ更新はしばらくお休みいたします。
 どれほど片づけようと、片づけたその日からまたゴミ箱暮らしになるのはわかっていますが。気はこころ。
 次回、東京の秋色と冬色をUPしたら、しばし休載です。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「迎賓館赤坂離宮見学その4朝日の間・羽衣の間」

2016-11-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161124 
ぽかぽか春庭@アート散歩>東京建物巡り(4)迎賓館赤坂離宮その4

 迎賓館赤坂離宮見学つづきです。

 朝日の間は、広さは約200平方メートル。国・公賓用のサロンとして使われ、表敬訪問や首脳会談などの行事が行われます。



 部屋の名は天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車(チャリオット)を走らせている姿」の絵に由来しています。天井画は長径8.26メートル・短径5.15メートルの大きな楕円形です。室内は古典主義様式。壁には京都西陣の金華山織の美術織物が張られています。

 天井絵の女神像には縦の黒い線が細かく入っているので、どうしてかなと思っていたのですが、あとで娘が質問して、経年劣化によるものとわかりました。朝日の間はまもなく閉鎖され、部屋の修復修理にかかる3年間は見学できなくなるそうです。朝日の間、最後の見学になるので、閉鎖前に見ることができてよかったです。



 最後の見学室は、羽衣の間。広さは約330平方メートル。室内は朝日の間と同様、古典主義様式。



 晴天なら正面玄関前で行う歓迎儀式ですが、雨天の際に羽衣の間で歓迎行事を行います。また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供される部屋です。娘は、「そうそう、貴族の館では、ディナーの前に食前酒を飲む部屋ってのがあるんだよ」と言って、入り口の解説板を読んでいます。娘の知識はドラマ「ダウントンアビー貴族の館」を見てのものです。

 「羽衣の間の名称は、天井に謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300平方メートルの曲面画法による大壁画があることに由来している」という説明が部屋の入り口の説明板に書いてありました。これに娘がひっかかりました。部屋中どこを見ても、謡曲に出てくる羽衣は見当たらないからです。



 娘がボランティアさんに質問したところ、「絵はすべてフランスに発注したため、「羽衣が、こういう絵になった」ということでした。でも、それなら「謡曲の羽衣を描いた」という説明は合っていないんじゃないかなと、私は思いましたが、娘はボランティアさんの説明に納得していました。解説の内容うんぬんではなく、素人の素朴な質問にもひとつひとつ丁寧に解説してくれる様子に感銘を受けたようです。

 私は様々な建物でボランティア説明を聞いているから「毎度毎度、見物客は同じ質問をするから、ボランティアさんもちゃんと勉強しているんだと思うよ」と、そっけない。

 謡曲羽衣と聞けば、娘も私もそう感じたように、天女が羽衣を松にかけている図を思い浮かべてしまいます。
 買ってきた写真集の説明によれば、謡曲「羽衣」の中に出てくる「虚空に花ふり音楽聞こえ霊香四方に薫ず」という一節を絵にしたもので、花と音楽と薫香を表現したのだそうです。天女が羽衣を着ている絵柄ではなく、もともと音楽と香を描くことになっていた。天井と壁の間に香炉の絵があり、そこからもくもく煙が出ている絵があるので、それが「霊香四方に薫ず」の絵なのでしょう。壁には、バイオリンやトランペットのレリーフが金箔で飾られています。 





 羽衣の間の正面の中2階には、オーケストラボックスがあるのは、羽衣の間が舞踏会場として設計されたから。
 迎賓館の中で最も大きいシャンデリア(重量800キログラム)が下がっています。

 私が「ドアに番号がついている部屋は、賓客宿泊のお部屋でしょうか」と、尋ねたら、警備の人は「さあ、私どもは本日の一般公開のために臨時に雇われたので、内部のことはわかりません」だったし、ボランティアさんは「私たちも、見学できる部屋のほかのことは知らされていません」と、セキュリティに関わりそうな事柄には、回答がありませんでした。

 見学は一方通行に通路が設定されていますが、一度外へ出て、再び館内に入るのは何度でも自由。よほど混雑がひどくなると、一回入ったら2時間以内に退館、などの措置がとられるようになるかもしれませんが、今のところ、自由に館内と南側の庭を往復できるので、ゆったり見たい人は、午前中に来て、休憩室で持ち込みのお弁当を食べ、閉館の5時まで館の主人公になった気分で長居することもできます。

正面玄関


 私と娘は、前庭に店を出していた移動カフェで一休み。夕暮れ時になり、部屋に灯りがついた赤坂離宮もなかなか趣がありました。

正面玄関ドア


 夕暮れの迎賓館正面を見ながら、右端の椅子に腰掛けて飲み物を飲んでいる娘


 閉館時間になってもゆっくりお茶していたら、係員に追い立てられました。


 1974年に、我らの税金108億円も投じて修理修復された迎賓館。入館料千円はかかるけれど、皆様ぜひ、税金の使い道を眺めてください。

 次回、庭園美術館(旧朝香の宮邸)
 
<つづく> 
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ポカポカ春庭「迎賓館赤坂離宮その3花鳥の間」

2016-11-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161123
ぽかぽか春庭@アート散歩>東京建物巡り(3)迎賓館赤坂離宮その3花鳥の間

 迎賓館赤坂離宮。
 彩鸞の間の次は、二階へあがって花鳥の間。

 この部屋は、アンリー2世様式で広さは約330平方メートル。腰壁は茶褐色の木曽産シオジ材を板張りしており、柱は檜。キンピカの彩鸞の間に比べて、重厚な雰囲気を出しています。ボランティアさんの説明聞いても、檜は知っているけれど、シオジ材というのは知りませんでした。落葉広葉樹ですが、近年山に自生する樹木は激減し、材木として流通している数は少なく、修復するにしても同じような良材を得ることは難しいようです。

 花鳥の間は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂として使用されています。最大約130名の席がセッティングできます。

 花鳥の間


 花鳥の間の大食器棚。明治末年にフランスから輸入されたもの。壁にはゴブラン織りで狩猟場面が織り出されています。



 豪華な陶器がテーブルに飾られており、正餐用、レセプション用などと説明プレートがありました。娘は「こんなテーブルでお高いお皿で食事出されたら、銀のナイフ落としたりして失敗したらどうしようかと心配で、落ち着いて食事できないなあ」と言います。だいじょうぶ、心配しないで。こういうテーブルに招かれることないから。



 花鳥の間の天井に描かれた花や鳥の絵は36枚。


 壁面に飾られた『七宝花鳥図三十額』の飾り30枚。室名は、飾りの花鳥に由来します。原画下絵は渡辺省亭、焼きが濤川惣助。

左から「百舌に山茶花」「雲雀に罌粟桜草」「懸巣に蔦」


 ボランティアさんの説明「七宝を制作したナミカワソウスケさの絵や、欄間に張られたゴブラン織風綴織は、、、、」というのを聞いて、私は、「あれ?七宝のナミカワさんはヤスユキじゃなかったっけな」と思いました。

 家に帰ってから調べてみると、明治時代には、二人の七宝ナミカワがいたのです。濤川惣助ナミカワソウスケと、並河靖之ナミカワヤスユキ。私は、並河靖之の七宝作品は展覧会で見たことがあるのですが、濤川惣助の作品を見たのは初めてでした。
 明治時代のすぐれた工芸品はほとんどが輸出用で、濤川惣助作品も、国内には、この迎賓館の30枚の花鳥画のほかには、ほとんど残されていない、ということでした。作品は、海外の美術館やお金持ちの所蔵になっています。

左から「赤啄木鳥(アカゲラ)に檜」「鷭(バン)に花菖蒲」「山翡翠(ヤマセミ)翡翠(カワセミ)に柳」


 「赤坂離宮の建物全体が国宝ですが、この七宝で日本画を描き出した工芸品一枚でも国宝級のもので、今となっては買うこともできないくらい貴重品です。今日は、この30枚の七宝絵を見ることができただけで、貴重なお宝経験ですよ」というボランディアさんの説明。

 ドアの飾りひとつとっても、華麗な飾りがついており、日本の高度な工芸技術を外国の賓客にみてもらえる。ドア前の床は寄せ木細工。色の異なる木材を組み合わせて、さまざまな模様を組み立ててあります。



廊下

廊下の照明具


 次は、二階階段上を見学。
 正面玄関から入った賓客は玄関で出迎えを受けます。1階彩鸞の間を経て、中央階段をのぼり二階ホールに立ちます。ホールは、彩鸞の間と同じくキンピカです。
 見学者は、玄関の見学はできないので、脇階段から2階に上り、花鳥の間を見てから2階階段上ホールに出ます。

 階段も、キンピカの装飾と大理石がふんだんに使われています。ホールを飾る油絵は小磯良平の「音楽」と「美術」。イタリア産の大理石の柱はきれいな模様を見せている石です。

 2階の階段上から、正面玄関を見下ろす。



 

 次回、朝日の間、羽衣の間。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「迎賓館赤坂離宮その2彩鸞の間」

2016-11-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

迎賓館赤坂離宮南側

20161122 
ぽかぽか春庭@アート散歩>東京建物巡り(2)迎賓館赤坂離宮その2彩鸞の間

 娘といっしょに巡る迎賓館。お庭の噴水も青空のもとでとてもきれいでした。




 見学者は西門から入り、手荷物検査を受けて館内西の通用口から入館。午後3時から入館の見学者は午前中よりぐんと少なくなり、室内もゆったり見ていられました。
 以下、室内のようす、絵はがきコピーなどでお知らせします。コピーなので不鮮明な部分もありますが、豪華な室内のようすはわかると思います。



 明治末年。外国と対等の地位を得ようと必死に背伸びしていた大ニッポンが、西欧諸国に負けじと作り上げた洋館。背伸びのけなげさは、今となれば「あんたの気持ちもわからないではない」と、言ってあげたいですけれど、西欧に追いつけ追い越せの気概はやがて異なる方向に曲がっていく。

 日本に西洋建築技術を教えに来たコンドルは、日本を愛し、日本舞踊の師匠と結婚しました。絵の師匠河鍋暁斎の伝記を英語で書いて西欧に紹介したり、生け花紹介の英語本を出版するなど、日本文化にも造形の深い人でした。
 弟子達の造形、金吾は東京駅のドームに十二支の動物レリーフをつけ、東熊は赤坂離宮の壁に鎧兜をつけた。「日本らしさ」表現の方向が、師匠とはちょっと違ったのかも知れないけれど、彼らなりに「西洋に負けない日本」を出そうとしていたのだろうとは思います。

 見学客が最初に入るのは、彩鸞の間(さいらんのま)。鸞(らん)というのは、鳳凰の一種の鳥で、部屋の両サイドの暖炉の上のレリーフが鸞。金箔が貼られています。

 ボランティア解説員がたくさんの資料を片手に見学客の質問に答えていました。
 娘も、「素朴な疑問」を各部屋のボランティアさんに聞き、解説してもらって満足していました。娘は「だれがどんな質問をしてきても、きちんと答えていて、ちゃんと勉強していてえらいなあ、と感心していました。

 娘の質問は、館内の壁や天井を飾る絵についてでした。
 素材は何か。答え「外国の宮殿は石造りで、壁はテンペラ画の壁画で飾られているけれど、赤坂離宮は、壁や柱は大理石などが使われているが、全体は、鉄骨構造を組んだ上でのレンガ石造りであるため、テンペラ画は適切ではなく、キャンバスに描かれたものを天井や壁に貼り付けてある、という説明でした。原画を日本で描いてフランスへ送り、フランスで仕上げたものを貼っているとのこと。
 館内の家具調度、シャンデリアはほとんどがフランスとドイツに発注したもの。シャンデリアなどは、ひとつ800kgもの重さがあり、日本では製造できなかったそうです。

 彩鸞の間シャンデリア。壁と天井は白と金なので、シャンデリアがまぶしく映えます。


 シャンデリアについてボランティアさんに質問しました。「このろうそく型の電球は、もとは本当の蝋燭だったのを、電球に取り替えたのですか」。
 答え。建設当初から自家発電による電気が使われていました。シャンデリアは、すべてフランスの工房に発注し、輸入したもので、最初から電球を使用していた、ということでした。

 彩鸞の間


 広さは約160平方メートル。キンピカリンの部屋です。田舎大名が秀吉の黄金の茶室に招かれ度肝を抜かれた、というのと、同じ心理の設計なんだろうなあと納得されました。黄金茶室の次は利休好みのわびさびの茶室になるところがミソ。赤坂離宮もキンピカ彩鸞の間の次は、重厚な花鳥の間が順路です。

 彩鸞の間、部屋の両側に大きな鏡があり、実際より広く感じられるようになっています。
 表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される控えの間であり、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのインタビュー等に使用されます。

 彩鸞の間の飾り暖炉


 壁にはキンピカのレリーフ。二頭のライオンの間には鎧甲の意匠が金箔貼られており、フェイク暖炉も金の飾り。明治末年の竣工だけれど、最初から全館暖房が施された設計なので、暖炉は通風機能のみで、火がたかれたことはない。
 当時はやかた全体に暖房をほどこすことが贅沢の象徴だったのでしょうが、今の時代なら、暖房をした上で、暖炉で薪を燃やし、火のゆらめきを感じるほうが贅沢気分になると思います。

 ライオンと兜のリーフ。


 ちょっとミスマッチな感じもありますが、和風の気分を出すための鎧兜だったのでしょう。デザインがだれなのかは、説明がなかったのですが、片山東熊は、建築を学ぶ前は、山口長州藩の奇兵隊に加わっていたことを知ると、鎧兜を飾りたくなった気分もわかる。この時代を築いてきたのは、オレたちなのだ、幕府を追い込むために鎧兜の精神で会津まで出向いたのだ、と誇りたい東熊さんだったのかも。

 「部屋のカーテンにさわるな、壁に触るな」という係の声を聞きながら、彩鸞の間を出ると、二階へ上がる階段へ。正面玄関から二階へ上がる大階段ではなく、脇階段です。
 係員は「ここの手すりは、館内唯一さわってよいところですから、手すりにつかまって、気をつけてあがってください」と言います。

 二階では、花鳥の間、階段ホール、朝日の間、羽衣の間を見学しました。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「迎賓館赤坂離宮見学」

2016-11-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

迎賓館赤坂離宮 正面

20161120
ぽかぽか春庭@アート散歩>東京建築巡り(1)迎賓館赤坂離宮その1

 家族で見ている海外ドラマ『戦争と平和』。
 原作はロシアの大文豪トルストイですが、イギリスBBC制作ですから、フランス皇帝ナポレオンも、ボルコンスキー公爵家の農奴もみな英語で話します。ま、日本語吹き替えで見ているので、そこは気になりません。当時のロシア貴族社会では、皆フランス語で会話していたはずですけれど。
 気になるのは、ストーリーとともに、帝政ロシアの華麗な衣装や豪華な建物。ロケは、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館などでロケをしたということで、舞踏会場面でも、豪華絢爛な室内装飾などから目が離せません。

 娘は、「ダウントン・アビー、 華麗なる英国貴族の館」などを見てきて、「貴族の館」に興味を持つようになったので、迎賓館赤坂離宮の一般公開にいっしょに行き、見学してきました。

 これまで一般公開は、夏の10日間だけ、事前にハガキで申し込みをして、人数制限抽選をしたうえでの公開でしたが、今年4月から、外国からの賓客接遇がないときは、通年公開するということになりました。入館料千円ですが、事前に申し込まなくてもいいのはうれしいことです。
 11月の一般公開は13,14,15、17,18,19日の6日間。12月は、8~12日と20日。22~27日。1月は三が日と毎週水曜日を除いて毎日公開。

 四谷駅から迎賓館前広場に出るとポプラ並木がきれいに黄葉していました。

 
 9時から見学希望者整理券配布、というので、9時には並ぼうと思ったのですが、そこは何事にもスローペースなので、整理券配布所に着いたときすでに10時。白い正門脇で整理券を配布していました。

迎賓館正門

迎賓館フェンス

正門から迎賓館正面玄関を見る


 10時からの見学も可能というので、まず私だけ見学しておいて、「ゆっくり起きてゆっくりご飯を食べてからでかけたい」という娘を待つことにしました。

 入館にあたっては、手荷物検査が空港並に厳重に行われました。また、口の開いた飲み物を持っている人は、係員の前でそれを一口飲み干して見せます。まあ、普通は液体爆弾とか持ち込まないと思いますが。館内は飲食禁止ですが、庭では持ち込みの飲み物を飲んでもいいのです。

 建物の外観や庭の撮影は自由ですが、室内の撮影はどの部屋も禁止です。私はまず館内を一回り。10時からの回はかなり混みました。庭に出て、外観を撮影。それからまたゆっくり室内を回りました。12時近くなるとあまり人はいなくなりました。

迎賓館南側

南西


 1時に昼ご飯を食べに出て、四谷駅で娘と待ち合わせ。
 午後の見学はすっかり人が少なくなり、係員は「4月に一般公開が始まってから、今日が一番見学客が少ない」と言っていました。娘用の整理券は朝もらっておきましたが、人数が少ないので、「ただいま整理券なしに入館できます」と、係員が言っていました。

 各日定員3千名(うち当日受付千名)という定員ですが、11月14日は、ツアー客が少なくて、定員に達しなかったみたい。いま、いろいろな旅行会社が、ホテルバイキングランチとか築地の鮨などととセットでツアーを組んでいます。

西南

西側


 1909(明治42)年)竣工。現存する唯一のネオ・バロック様式の建物です。2009年に国宝に指定。明治以降の建築としては初めての国宝です。
 設計の中心になったのは、ジョサイア・コンドルの最初の弟子のひとり、片山東熊(1854-1917)で、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設しました。

 元紀州藩の屋敷跡を利用し、元々は皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の住まい東宮御所として建てられました。しかし、明治天皇が「贅沢すぎる」とひとこと感想を言ったためもあり、嘉仁親王が住むことはありませんでした。

 迎賓館、見かけは華麗ですが、居住性はあまりよくなかった。暖房は建設当初から施されていたものの、アメリカ製の暖房具の性能はよくなく、暑すぎたり温度が上がらなかったり。当時冷房設備はなく夏には通気が悪く住みにくかったため、大正時代になって、皇太子裕仁親王(昭和天皇)が結婚当初に短期間は住んだものの、東宮御所としては活用されない「建物でした。

南側庭園

噴水


 1974年に、工費101億円、内装費7億円をかけて改修され、外国からの賓客接遇のための迎賓館となりました。
 新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月。アメリカ合衆国大統領ジェラルド・フォード。
 館内には、クリントンやオバマなど、迎賓館に来た賓客の写真が飾られていました。  

迎賓館賓客気分でパチリ。

 
 次回次々回は、迎賓館赤坂離宮室内見学のようすです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「チェホフ三人姉妹」

2016-11-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161119
ぽかぽか春庭@アート散歩>劇的なるロシア(3)チェホフ『三人姉妹』

 19世紀末期、ロシア革命前夜、帝政ロシア崩壊前夜のロシア社会。ゴーリキーのどん底に見る底辺社会もあれば、社会変動などどこ吹く風で舞踏会に明け暮れていた貴族社会もあった。
 
 1900年。まさに世紀の変わり目のロシアの姿を書き残したのが、アントン・チェホフの『三人姉妹』。
 田舎町に暮らす三姉妹を主人公に、ロシア革命を目前とした帝政ロシア末期の家族を描いています。知識階級のプローゾロフ家は、父親が高級軍人として華やかな生活を送ったモスクワをなつかしむばかり。1917年の革命の足音は、田舎の町にはまだ遠い。

 一家の三姉妹。長女オーリガは独身教師。次女マーシャは、教師の夫クルイギンに幻滅しつつ惰性で暮らしています。三女イリーナは、まだ人生を始めることもできていない。共通しているのは。三人とも、兄の姿に我慢がならないこと。兄嫁のナターシャを「無教養の田舎者」と、軽蔑していること。  

 父の死後、一家をたてなおすべき長男のアンドレイは学者になる夢を捨てて、田舎娘のナターリヤと結婚し、市長秘書に甘んじています。そのくせ学者になれなかった自分を認めることができず、賭博におぼれていきます。ナターリャはアンドレイを尻に敷き、三姉妹に対し、しだいに態度を大きくしていきます。

 マーシャは妻子あるヴェルシーニンとの不倫に身をこがすようになり、イリーナは「働いて輝きたい」と言っていたのが、実際に働いてみると、退屈で輝きのない労働に幻滅して、男爵との結婚を決意します。しかし、結婚前夜、男爵はイリーナへの愛を競ったソリューヌイと決闘に向かい、、、

 「三人姉妹」は、何度も新劇系の劇団で上演されています。女優が三人そろうと、三人姉妹やりたくなるみたいです。
 私が今年テレビで見たのは、昨年2015年3月にケラリーノ・サンドロヴィッチ演出シスカンパニーのバージョン。4月に録画しておいて、やっとこの夏に見ました。



長女オーリガに余貴美子、次女マーシャに宮沢りえ、三女イリーナに蒼井優。三人の女優&ナターリャ役の神野三鈴、4人の女優が丁々発止と台詞を交わす演技合戦がすごかったし、ヴェルシーニン役の堤真一もよかった。
 舞台の役者中心に見るなら、とても上出来の「三人姉妹」だったと思うのだけれど、私は、チェホフがこの戯曲を「喜劇である」として執筆したことがわからない。みんながみんな、思い通りにいかない閉塞感を抱えて、閉塞したままおわるんです。笑えない。

 どこにも出口のない閉塞した田舎暮らし。「モスクワへ」という希望も打ち砕かれ、よりどころのひとつだった家さえも借金の抵当。
 このお芝居で一番がっしりと生きているのは、ナターリャです。3人の小姑達に、下品だ、無教養だ、田舎者だとさげすまれているのに、着々と夫を尻に敷き、家を自分の領分にしていく。長年仕えてきたばあやを、年取って思うようにこき使えないからと、追い出そうとするなど、自己本位で無神経な女性だけれど、ひたすら我が子がよい思いができるようにとがむしゃらです。神野三鈴は、生命力の強い女性を描き出していました。

 姉妹三人とも人生思い通りにはいかないとしても、食べるに困っているわけじゃない。どん底の人々に比べると、「四の五の言ってないで、働け!」ですが、「働こう」と言って働き出したイリーナは、「労働はたいくつで、心をすり減らす」なんぞとぬかす。

 「劇的なるロシア劇」のなかで、チェホフはあまり劇的じゃない。静かに退屈に日常が過ぎていく、「劇的じゃないロシア」です。「劇的じゃない人間」を描くのが目的なら、チェホフは、その姿を的確に描写しているのですが、見ている方としては、それは、自分を見ていれば十分、というところ。

 たいていの人の「自分史」というものが、自分史を書いた人の家族以外には退屈そのものの読み物となるように、三人姉妹の物語も、最後の決闘以外はドラマチックではない。まあ、それが人生なのでしょう。そして、三人姉妹が言うように、なんであろうと生きていかなくちゃならぬ。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ゴーリキーどん底」

2016-11-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

劇団昴「どん底」

20161117
ぽかぽか春庭@アート散歩>劇的なるロシア(2)ゴーリキー『どん底』

 ロシアの文豪作品の劇化。マクシム・ゴーリキーの『どん底』は、新劇の演目の定番として戦前から繰り返し上演されてきました。私は新宿にあった「どん底」というバーレストランに、若い頃行ったことがありましたが、まだお店は続いているみたいです。お店は続いているけれど、「新劇のどん底」、近年の上演はぐんと減ってきたそうです。

 「視覚障害者の観劇をすすめる会」を続けている阿子さんから、「10月の昴でどん底をやるけれど、いっしょにどうですか」と、お誘いいただき、ピット昴サイススタジオ大山で見ました。10月16日日曜日。

 この日の私のガイドヘルプは失敗続きで、待ち合わせの品川駅、新幹線出口で待つ方が、待ち合わせ場所の時計台「トライアングルクロック」で待つより早いと思って待っていたら、阿子さんは駅員の誘導で先にトライアングルクロックに出てしまっており、待ち合わせが遅れました。さらに、池袋駅から東武東上線で準急に乗ってしまい、各駅停車しかとまらない大山を過ぎ、石神井から戻ったために30分のロス。

 昼ご飯を食べる時間がなくなり、おなかがすいたままの観劇となりました。阿子さんとお友達のゆみちゃんに申し訳なかった。安達祐実激似のゆみちゃんは晴眼者ですから、ほんとうは、16日は私がガイドヘルプしなくても阿子さんは大山まで行けたのに、私のドジのせいで、お昼抜き。 

私は自分のドジにうなだれて、どん底の気分で観劇しました。

観覧記録『どん底』
2016年10月16日
於:Pit昴(サイ・スタジオ大山)
原作:マキシム・ゴーリキー 訳:神西清 
演出:村田元史

 舞台は、帝政ロシア時代。場末の木賃宿に、この世のどん底を這うように暮らしている人々が吹きだまっています。
 以下「どん底」ネタバレ含む。

 木賃宿の亭主コストゥイリョフは、下宿人から宿代を取り立てようとする一方、自分が「女房寝取られ男」であることにやきもきしています。その浮気女房ワシリーサは亭主より30歳も若いから、亭主から逃れて自由になることが望み。ワシリーサの相手ペーペルは定職もなく盗人家業。ペーペルは、本当はワシリーサの妹ナターシャに惚れています。

 ペーペルは、何度もコストゥイリョフによって警察沙汰になっていて恨みもあり、ワシリーサから「亭主を殺してくれたら、ナターシャと結婚させてやる」と持ちかけられると実行してしまいます。ワシリーサはナターシャを折檻し、ナターシャに心を動かしたペーペルを警察につきだしてしまおうとしますが、逆にナターシャの訴えにより、ワシリーサも逮捕されます。

 自称男爵だが、本当に爵位のある家の出なのかどうかは定かでない男や、アル中の「役者」と呼ばれている男、だったん人と呼ばれているイスラム教徒の男など、どん底の人々が歌や酒でぼろぼろの心身を紛らわせています。

 錠前屋の女房は瀕死の床にいるが、むろん医者に診せるカネなどない。どうしようもない人々の中で、ルカという年配の巡礼者だけは信仰の力によって自分を保ち、人々に「絶望するな、希望を持て」と説くが、やがて去って行く。

 舞台の上を、数多くの登場人物が行き交い、それぞれの人間模様が描かれるのですが、なんだかよくわからないうちに救いもなく終わりになりました。
 阿子さんは、文学朗読CDを聞いて勉強してから見た、と言っていましたが、私は昔々に「世界名作全集」というようなシリーズの中で読んだっきりで、ひとりひとりの登場人物のことなど忘れてしまっていました。昴の役者達、それぞれ熱演だったのですが、私自身はどん底気分から這い上がれずに、なんだか不完全燃焼のまま終わりました。

 学生時代の友人と会食するという阿子さんを大塚駅前の待ち合わせ場所まで送っていって別れました。
 
 現代日本にも、「どん底」のような吹きだまり、目には見えなくても、そこらじゅうにあるはず。安酒かっくらい、やけくそでも歌うほか憂さ晴らしの方法もなく、抜け出す気力もなく。サービス残業で身も心もぼろぼろ。物価上がらなくても給料はもっと上がらない。

 民はどん底にいても、お上は上げ底。
 鉄砲担いでよそ様の国にでかけ、アメリカが賛成しない取り決めなのにさっさか国会無視で採決し、ふるさと滅亡させた原発をインドに輸出し、五輪にも築地にも利権はとびかい、、、、

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ドストエフスキー『白痴』」

2016-11-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161116
ぽかぽか春庭@アート散歩>劇的なるロシア(1)ドストエフスキー『白痴』


 14日スーパームーン満月。東京は、雨で見ることができませんでした。15日夜、十六夜の「SuperMoon runner up ほぼスーパームーン」を見ました。薄雲がかかっていて、薄ぼんやりの十六夜でした。
 娘息子は録画のフィギュアグランプリフランス大会エキシビジョンを録画で見ていて、「スーパームーン?3割大きい、それがどうした」と、関心なし。

 我が家、テレビをいっしょに見るのが、親子ですごす日々の娯楽。家族そろって昭和生まれだもんで、「テレビが娯楽の昭和の家族」やってます。
 毎期、娘は、これからの3ヶ月に見るドラマを選びます。秋からの3ヶ月は、ほかのシーズンに比べてドラマ枠がすくなくなります。フィギュアスケート、グランプリシリーズ、ジュニアグランプリシリーズ、放映される競技は、全選手全演技、エキシビションまで見るから、ドラマを見る時間がなくなるからです。

 この秋の、「親子3人でいっしょに見るテレビドラマ」は、戦国史研究の息子に解説してもらうのが楽しみな「真田丸」のほか、「クイーン・メアリー」「戦争と平和」という海外ドラマ2本になりました。

 「戦争と平和」は、リリー・ジェームズが主役のナターシャを演じるというので、娘が「岩波文庫で6巻もあるのを読むのはしんどそうだから、全8回ドラマ見て「戦争と平和」ストーリーわかるならいいかも。リリーはかわいいし」と、見る気になりました。リリーは、ディズニー実写版シンデレラ役に抜擢された現代のシンデレラガールです。

 私はトルストイの原作ほか、オードリーヘプバーンのナターシャもリュドミラ・サベーリエワがナターシャ役のソ連映画も見たので、娘からは「母はすぐに先走ってストーリーをしゃべるクセがあるから、ぜったいに先のすじをしゃべっちゃ駄目」と、釘を刺されています。このかわいいペーチャは、戦死しちゃうんだよなんて口走ろうものなら、「もう二度と母といっしょにドラマ見ない」と言われます。

 トルストイの小説のほか、ドストエフスキー、ゴーゴリ、ツルゲネフ、チェホフなど、ロシア文豪の名作は、映画や演劇でおなじみの作品が多いです。娘と同じように、長大なロシア文学を読み通すのはたいへんだから、映画やドラマで見たら楽しいかも、と思う人が世界にはたくさんいるのかも。需要と供給。

 『戦争と平和』ほかのトルストイ作品、「アンナ・カレーニナ」など、何度も映画化テレビドラマ化されています。
 ロシア文学、そのほかにも、ドストエフスキー(1821-1881)の『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』なども、何度も映画やドラマになっています。
 黒澤明は、ドストエフスキー『白痴』を日本の札幌に舞台を置き換えて映画化するなど、お気に入りの作品でした。

 友人のK子さんが属している劇団がドストエフスキー『白痴』を上演してきました。私は両国のシアターカイで2度見ました。
 今年の夏、劇団はロシアの演劇祭に招かれて『白痴』を上演してきたということで、帰国後、渋谷の文化総合センター大和田さくらホールで「ロシア凱旋公演」を行いました。私も、K子さんに招待券をいただいたので、見てきました。

 K子さんが所属しているのは、スタニスラフスキーのメソッドを取り入れて演劇活動をやっている「スタニスラフスキー・スタジオ」というところ。
 リアリズム演劇の基礎を作り上げたのがスタニスラフスキーであり、現代演劇はどんな演技をするにせよ、スタニスラフスキーメソッドの影響を受けていない演出家や俳優はいない、ということなのですが。

 中学校教師の時代、部活動指導で、私は演劇部の受け持ちになり、中学生を指導するためにずいぶんと演劇の勉強もしました。しかし、具体的な生徒への指導としては、「もっと声を響かせないと、客席のうしろまで聞こえないよ」と、発声練習をさせたくらいで、あとはスタニスラフスキーもへったくれもなく、ただただ、言うこときかない中学生ドモをまとめるのに必至でした。ほら、そこ、声をだせ、声を!と怒鳴っていました。

 『白痴』を客席数100のシアターカイで見たとき、みな、すばらしい演技と思いました。今回のさくらホール、キャパは500人くらいで、演出が変わる、と、いうことを聞きました。どんなふうに変わったのか興味がありましたが、舞台装置ほかの演出の変更はあまり感じませんでした。

 ただ、常設劇場の椅子が28席という下北沢にある本拠地ミニシアターのスタジオや通常160席の椅子を100席ほどに縮小していたシアターカイに比べて、ホールが大きくなったのに、女優の声が客に届かなくて、聞こえなかったのが残念でした。
 声を張り上げる場面の台詞は聞こえるけれど、ささやく声やうつむいての台詞がよく聞こえてこないので、ありゃりゃ、でした。

 私は若いときから耳が弱かったのに、年取ってますます聞こえが悪くなっているので聞こえないのかと思いましたが、私の後ろの席の若いお嬢さんふたりが「え、聞こえない、ねぇ、今なんて言った?」「あ、私もわからなかった」と、ささやいている声はよく聞こえたので、舞台の声が私にわからなかったのは、私の耳のせいではないみたいでした。

 K子さんが教わっている演出家は、「登場人物の心」を俳優がくみ取って演技を組み立てていかなければ、声を出しただけではその演技が客の心には伝わらない、という指導をしているのだ、と聞いたことがあります。でも、ささやく声でも客席のいちばん後ろにまで聞こえるのでなければ、俳優の声ではない。
 近頃の劇場ではマイクを使うので、発声訓練などしない若いタレントでも、声の心配などしなくてよく、テレビで人気がでれば舞台に使われるということですが、スタニスラフスキーメソッドという劇団の俳優の中に、聞こえない声があったのは、残念至極。

 明治時代の日本での翻訳で『白痴』という語に当てられた「Идиот」は、英語では「Ideot」。現代なら「おバカさん」くらいの訳語になったのではないか、と、前に白痴について書いたときも同じこと書いたので、前回の感想を見たい方はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/333e4d5b34b16a6635595f36b7ae3381/?cid=8f57963c51f05c52ba844fdae8489229&st=0

以下、『白痴』のネタバレを含む。

 ドストエフスキーが患った病は、「側頭葉てんかん」でした。その持病の悩みもあったからでしょう、主人公ムイシュキンがスイスに治療におもむいた病を「てんかん」と書いています。てんかんは脳の神経の病気であり、発作が起きると激しいけいれんなどによって低酸素脳症となり、知能の働きが阻害される。
 差別用語の「白痴」は、重度知的発達障害を意味しており、現代の社会では使用されない語です。また、てんかんと診断されても、発作を抑える薬をきちんと飲んでいれば、日常生活が不自由になることはありません。

 ムイシュキンのかかっていた「てんかん」が、具体的にどのような症状だったのか、詳しくはわかりません。ムイシュキンはスイスでの治療で「よくなった」と、自分では言っています。
 ムイシュキンが舞台の最後に現れたとき、東京ノーヴィーの演出では車いすに座ってぐったりとしており、思考能力を失っているように見えます。
 様々な衝撃に耐えられず、ムイシュキンが「てんかん」の発作を起こし、低酸素脳症で思考能力が失われたのかと思います。愛する人を失ったショック性の思考能力の低減かもしれません。

 ムイシュキンを「Ideot」と言うのなら、2000年前のローマ世界に現れたかの人も「Ideot」であった、と、ドストエフスキーは作品タイトルをつけたという解釈があります。 無垢なる魂は、19世紀のロシアでも21世紀の日本でも生きづらく、「Ideot」とされることでしょう。

 今回の舞台でも、ムイシュキンの「無垢な魂」は伝わりました。
 でも、彼の無垢さが、結局はあの時代のロシアでは社会のなかで浮き上がり、彼の周囲の誰をも幸福にしなかった、ということ、たったひとりの女性を幸福にしてやることができなかった、ということ。

 私は、ドストエフスキーによって作り上げられたキャラクター「ムイシュキン」を、「だれも幸福にしなかった無垢な人」にしたのは、なぜかなあと思います。「Ideot、おばかさん」は、ただ純粋無垢なだけでは「美しい人」にならない。ムイシュキンは、ナスターシャとアグラーヤというふたりの女性を救うことはできませんでした。

 「完全に美しい人」を描きたい、というのがドストエフスキーの小説執筆の意図だったそうです。彼にとっての美しい人とは、19世紀ロシアの現実のなかでは、破滅へ向かうしかないのでしょう。美しい人とは、他者に共感でき、他者の苦しみを共に背負える人、とドストエフスキーは思っていたと。
 帝政ロシア社会では破滅してしまったムイシュキン。しかし、この無垢な美しい人がこの世代には存在する、ということが、21世紀の私を励まします。

観覧記録 
2016年10月5日木曜日 
渋谷区文化総合センタ@ー大和田さくらホール
東京ノーヴィーレパートリーシアター 
演出:レオニード・アニシモフ
脚本:ゲオルギー・トフストノーゴフ
出演:ムイシュキン:菅沢晃 ほか。  

<つづく>
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ぽかぽか春庭「上野でディナー」

2016-11-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161115
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(5)上野でディナー

 息子がこの11月で28歳になるのを祝って、親子3人のお食事会。息子の希望で上野の科学博物館で開催されている「ラスコー壁画展」と「シーボルト展」を見て、上野エキナカのレストランで晩ご飯を食べました。

 誕生日食事会は、池袋サンシャイン54階のレストランオザミが好きだったのですが、サンシャインから撤退してスカイツリーに出店。最近の誕生日レストランは、上野駅のブラッスリーレカンという店。

 ランチを食べようとしたのですが、30分待ちという列。やめにして上野精養軒に行ったのですが、ここも列。
 雨模様の上野。もう、店探しをしていて、ランチ食べていたら、5時の閉館までに時間がなくなっちゃって、ゆっくりラスコー壁画展とシーボルト展を見ていられなくなる、と言うのです。何事も時間に追われてやるのは嫌な娘、自分のペースでゆっくり動きたいという主張をいれて、先に科博へ行くことにしました。

 途中、上野東照宮にお参り。これまで上野は、動物園か博物館に行くことがほとんどだったので、娘は東照宮にお参りしたことがありませんでした。キンピカに修復された門や、左甚五郎作の動物の彫った門の飾りを見ました。

 土曜日だったので、お参りの人、ひきもきらず、よその人が入ったショットです。娘と息子がお参りしている後ろ姿も撮ったのですが、娘が「ブログになんかのせたら、一生くちきかない」というので。五重塔の脇をふたりが歩くのもUP禁止。


 科博に入る前、上野動物園の脇にある甘味屋でお汁粉を食べて、腹の虫押さえにしました。

 ちょうど、上野公園の中では「灯り展2016」という催しが行われていました。その催しが8時まで開催されているので、それに合わせて科博も夜8時まで延長して開館している、という入り口の説明がありました。
 いつも目玉の展覧会だけ急いで見ることが多いのですが、今回は、ラスコー壁画展ゆっくり見て、シーボルト展ゆっくり見て、通常展示の「地球館」も見て、たっぷり7時過ぎまで観覧し、ミュージアムショップであれこれ品定めをして8時まで館内にいました。

 「8時まで開館していると先に知っていたら、ランチ食べてからでも間に合ったかも知れないけれど、1時すぎに入館して8時まで見て回るくらい時間かかるんだから、やっぱり私たちのペースだと、ランチ食べてからより、ディナーのほうがいい選択だったね」と、娘が言うのを聞きながら科博を出ました。

 上野公園の桜並木は、桜色のイルミネーションで飾られていました。
 

 これくらい小さければ怒られないかなと思って、こっそりUPするが、見つかったらくちきいてもらえないかも。


 
 甘味屋のお汁粉代、ラスコー展大人3人分の入場券、ディナーコース代、私から息子への誕生日プレゼント。ランチとセットのつもりだったけれど、ディナーとセットとなると失業中の身にはなかなかの出費です。でもね、アラサーの娘息子が母親につきあってくれるのはありがたいことだと思って、えいやっと、上野西郷さんの銅像の後ろの崖を飛び降りるつもりでディナー楽しみました。まあ、飛び降りたのではなくて、エレベーターがあったのだけれど。

 上野レカンは、元上野駅貴賓室だそうです。 娘と私のBコース。息子Cコース。およばれで食べた以外で、私が自分で支払った食事代のうち、この日が最高額支払いになったので、貧乏人の「最高額食事記念日」として、記念にのせておきます。娘と息子は「いかにも一生に一度食べたみたいに写真を撮るの、恥ずかしい」と、いやがるのですが、なに、私が支払うのだから、撮りたいように撮る。一生に一度なのかもしれないじゃないか。

 コースの料理は、運ばれてくるたびにウェイターが、料理名を説明してくれたのですが、今となっては、どれがどれやら。

 前菜。息子のは、鮎のなんたら。


 息子のCコースだけ、前菜その2のパイ包みがつきました。スペシャルメニュー。

 
 魚。鯛とあんこう、あとなんだったっけな。


 肉。娘は鹿、私は牛肉ワイン煮、息子のはなんだったっけ。

 
デザート 息子盛り合わせ、私と娘、もう、名前忘れました。




 レストランの閉店時間まで、だれもいなくなった店内でゆっくり食事しました。
 誕生日は1年に1度だけだからと財布の紐を緩め、ふところには痛かったけれど、息子も娘も「おいしかった」と、大満足だったので、よかったことにしました。
 次の「大散財食事会」は、来春の娘の誕生日。おいしい食事ができますように。おいしいものめあてで生きる意欲がわいてくる娘なので。がんばって稼いでパラサイトシングル娘と息子に奉仕します。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「写真展ヤンゴン環状線」

2016-11-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161113
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(4)写真展ヤンゴン環状線

 11月1日、ミャンマー新政権樹立後、外相兼国家最高顧問となったアウンサンスーチー女史が、政権樹立後としては、初めて来日しました。
 2013年の来日以来3年ぶりとなりますが、政治的になんの権限もなかった3年前とことなり、少数民族の難民化問題などの課題も抱えての来日です。
 最高顧問といっても、彼女は大統領ではないので、国賓ではないし、メディアの扱い方も地味でした。しかし、ミャンマー国トップの来日なので、国賓に近い待遇を受け、日本では、2日に安倍晋三首相、3日に岸田文雄外相とそれぞれ会談し、4日には天皇皇后との会談もセッティングされました。
 
 1985年から1986年にかけて半年ほど、京都大学に留学していたスーチー女史、京都大学から名誉博士号を受けました。
 昨年から今年3月までの、私のヤンゴンでのボスはとても謙虚な人だったので、スーチー女史と長年の交流があるということを、吹聴する方ではありませんでした。スーチー女史の日本留学時に「アウンサン将軍の日本での事跡資料集め」に協力して以来の交流を続けてきたということを、ご自分からはお話にならず、私がそれを知ったのはもうヤンゴン赴任が終わる頃でした。

 ボスは、政治のトップについてしまったスーチー女史と、気楽に面会などができなくなってしまった、と残念そうでしたが、今回の来日のおり、女史に会う機会があったかしら。
 ボスはビルマ仏教史研究を今も続けていますが、3月末日にボスと共に帰国して以来、私はミャンマーとの縁はすっかり切れてしまい、ときおりヤンゴンからのメールを受ける程度の交流になっています。

 10月22日、旧古河庭園で弦楽四重奏をちょこっと聴いてから、六本木アートナイトに出かけました。お目当てのサントリー美術館鈴木其一展を見る前に、ミッドタウンの入り口にある富士フイルムギャラリーをのぞきました。アートナイトの日はサントリーも22時まで開館しているので、あわてて入館する必要がない。

 フジフィルムギャラリーでは、3つの写真展が開催されていました。入り口にミャンマーの民族衣装ロンジーを着た男性が立っていて、観覧者といっしょに写真をとっているので、私もお願いしていっしょに写真をとってもらいました。撮影禁止の写真展が多い中、小池さんは撮影者とのツーショットのほか、作品の撮影もOKでした。太っ腹。

フォトグラファー小池隆さんとツーショット



 「アジア鉄道写真家」という小池隆さんの写真展。ヤンゴン市の環状線を撮影したものでした。





 私もヤンゴン環状線には何度も乗って、右回りも左回りも乗車を楽しんだけれど、私は乗り鉄。乗って景色を眺めているのがノリテツなので、写真をとる枚数は少なくて、ちゃんとしたアングルで撮れているのは少ない。

 小池さんは、アジア各地の鉄道写真を専門に撮影しており、展示してあるどの写真も、構図も色のセンスもとてもすばらしかったです。

小池隆撮影




 ああ、こういう具合に撮ったらよかったのだ、と、今更わかってもすでに遅し。この次ヤンゴンにいく機会があるでしょうか。もう一度環状線に乗って、小池さんのようにばちっと決めた写真を撮りたいな。

2016年2月。やっちゃん撮影のHAL。環状線乗車前に、環状線路線図の「この駅から乗ります」と指さしています。となりのおっちゃんは、へんなのが乗るなあとみています。


春庭撮影。乗り込んだ車両は、ミャンマー日本友好電車でした。




 環状線だけでなく、ミャンマーの鉄道には日本で廃車となった中古電車車両が数多く走っており、日本からの「なつかしのあの車両が現役で走っているところを撮影するツアー」という団体旅行も人気なのだと。
 
 写真をながめていると、ヤンゴンの暑いアツイ日々を思い出します。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋バラのコンサート」

2016-11-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161112

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(3)秋バラのコンサート in 旧古河庭園

 「秋の無料音楽コンサートめぐり」の「聞いた曲目メモ」の記録中「秋バラの音楽会」のメモが抜けていました。
 バラの写真をとりあえずUPして、コンサートメモはあとで、と思っていたら、忘れました。

 10月15日土曜日と10月22日土曜日、旧古河庭園の秋バラ祭りのイベント。旧古河邸入り口の芝生広場で開催された音楽会は、芝生の上に思い思いに座り、気楽に音楽を楽しむことが出来ます。

 堅苦しくなく楽しめるけれど、野外ですので、音はスピーカーから聞こえる。音響設計のよいホールでの生音にはかないませんが、小さなお子さんがいっしょの家族連れや、赤ちゃんだっこしたお母さんなども遠慮することなしに楽しんでいるようす、秋の一日をほっとしてすごすのにちょうどよい催し物です。

 15日土曜日は、アイリッシュ音楽のオジゾー(O'jizo)というバンドによる演奏。メンバーの豊田耕三(フルート&ホイッスル)と、長尾晃司(ギター)に、ゲスト渡辺庸介(パーカッションを加えたトリオ。
 アイルランド音楽を中心に演奏するという演奏グループを聞くこと自体初めてでしたし、きいた曲目も、はじめて聞く曲ばかりでした。

O'jizo


・「ハミルの家The House of Hamill ~ Bunchers of Green Rush ~ Patsy Hanley's
・Mairtin O'connor「エマのワルツ、Road Together」
 メンバー長尾晃司らによるオリジナル曲の演奏もありました。
・大きな国の旅、汚れた風車、津田沼への旅など。

 ケルト音楽というと、私など音楽に詳しくない者はエンヤの歌を思い浮かべるくらいで、あとは知らない。アイルランド音楽は、ケルト音楽の中に含める人もいるし、別物だと言う人もいて、よくわからないのだけれど、「聞いていてほっと心和む系」なんだと思う。
 
 10月にyoutube検索しても出てこなかったのだけれど、11月1日と2日にUPされたO'jizoの演奏が見つかったので聞きました。youtubeでO'jizoの曲をクリックしたのは、7人目の視聴者と出ていました。まだまだアイルランド音楽、日本ではなじみが少ないだろうと思います。O'jizoさんたち、がんばってね。

 10月22日土曜日は、芝生広場で演奏するとは思わなかった弦楽四重奏。スピーカー音なので、スピーカーの音を聞くのなら家でCD聞いているほうがいい、というのも一理あるとはおもうけれど、目の前にコンサート用のきれいなドレスを着た若いお嬢さんたちが並んで演奏するのを見ているのは、目の保養かも。



 第1ヴァイオリン岡本彩香、第2ヴァイオリン岡野彩、ヴィオラ橋本絵美、チェロ福井綾。名前を見ていて、「惜しい!」ヴィオラの名前が「アヤ」なら、The Aya quartetteと命名できるのに。
 もっとも、今回のカルテットは、それぞれがソロ演奏者として活躍している4人が、今回特別に集まったというもので、福井綾さんは、春の薔薇コンサートのときは、別の4人でカルテットを組んでいました。



 私は遅れて芝生に座りました。15日も秋バラを見て、22日は行かなくてもいいかなと思っていたのですが、15日には「バラのシューアイス」を食べなかったことを思い出して、食べに行った、というわけ。

 ヒロタ製のバラのシューアイス、予想以上に小さかった。大きさからいったら、3個はいけるけれど、アイスはやはり夏たべたほうがおいしいと思って1個でやめ。1個180円でこの大きさだと、私のコスパ基準にもとるし。


 演奏開始時刻に遅れたので、モーツァルトの「ディベルティメントk138」と、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」の演奏は終わっていて、
・さだまさし「秋桜」
・(いずみたく)「見上げてごらん夜の星を」
・ドヴォルザーク「弦楽四重奏第12番1楽章4楽章」
を聞きました。

 もらったパンフレットの中、「見上げてごらん夜の星を」の作曲者名は坂本九になっていましたけれど、こんな部分が気になってしまうのは、家業の校閲校正を手伝ったことがあるため。この曲目紹介チラシが校正料金をとっての仕事なら、次の仕事はこない。校閲ガールの仕事は厳しいのだよ。

 秋バラは、15日よりも華麗に咲いていました。でも、お天気は15日のほうがよかった。さまざまな種類のバラを堪能しました。



 世の中、まだトランプショックがつづいています。今まで新聞雑誌では「お笑い担当」の扱いだったドナルドが、にわかに「経営難のどん底も知る賢者」に格上げされたみたいだし、我がab首相はあわてて電話して、これまで完全無視してきたドナルドから、経営手腕発揮のおだてトークを盛られて、ごきげん。17日には朝貢に出かけるみたい。

 私のようなもともと政治経済わからんちん頭は、TPP、アメリカが議会通さないというのじゃどうなるのか、日本だけが割り食うのかと案じておったら、そもそもアメリカの議会とおらないなら、TPPそのものが成立しないのだとわかった。

 わかったからといって、我が家の経済は相変わらずのどん底で、どん底をいくら知っても賢者にも勇者にもなれぬ。愚者は愚者として、難破船に乗っているしかない。
 愚者達の船、どこへ行くのか。西へ向かえば西方浄土かニライカナイへ行けるかもしれないが、どうやら東へ詣でたい船。東へ向かって突き進み、賢者ドナルドの主張するように、日本も核武装するのか、アメリカ軍駐留費を全額負担するのか。まさかと思っていることが実現するのは、今後もあるに違いない。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「どこかのバレエ教室発表会&江東区バレエフェスティバル」

2016-11-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161110
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(2)どこかのバレエ教室発表会&江東区バレエフェスティバル

 「世界の金持ち大国」として20世紀後半の世界を牽引してきたアメリカが、世界が驚く結果を選挙で実現しました。
 ポピュリズム時代と言われてきたけれど、ポピュリズムキングというような人物が、2017年1月からアメリカ大統領です。

 お金と女が大好きと言われてきた富豪さんが国を代表するトップになり、ミシェル・オバマの演説をそのまま自分の演説として読んでしまった、美人だけれど美人という以外にとりえのなさそうなメラニア夫人がトップレディになります。

「美人という以外にとりえがない」というのは、トランプの最初の妻イヴァナによる3人目の妻メラニア評。3人目の妻、美人ママから生まれた美少年末息子の名前、バロン(男爵)だよ。イヴァナが産んだ長男の名は、ドナルドジュニア。長女のイヴァンカは、オバマ現大統領もその手腕を誉めたという、優秀なトランプ王国の副社長。

 アメリカ国民が選んだのだから、何の文句もありませぬが、ポピュリズムのゆくえは、しっかり見届けねば。ロンドンのブックメーカーは、メラニア夫人が、ミシェルスピーチ盗作の次にどんな失敗をするのか、かけを始めているに違いない。

 メキシコとの国境の壁はいつ作ることになっているんでしょうか。現状に不満を持つ失業者に支持されて、「私なら雇用を生み出せる」と言った次期大統領、壁作りの作業者として、大量雇用するんでしょうか。政治オンチのわからんちん頭では、この事態がどうなるのか、さっぱりわかりません。何の政治実績も持たぬ人物に以後4年間の舵取りをまかせる気になるほど、現状に対する不満がたまっていたということなのね。さて、これからアメリカの貧乏人が少しはビンボーでなくなるのか、ウォッチング続けましょう。現状打破のために劇薬を選んだアメリカが、薬の処方を間違えないようにと願うだけ。

 女性大統領でも富豪大統領でも、海の西側の私は相変わらず貧乏で何の変化もないですけれど、アメリカの国民は、変化を求めて富豪のほうを選んだのです。
 
 当方は、不満を抱えながらも、皆「鍋の中の蛙」を決め込んでいる。熱湯に足を入れれば飛び上がる蛙も、生ぬるいお湯に入れて、ゆっくり加熱すれば、熱くなったのに気づかず、ゆであがるのだと。
 私は、変わらず、無料の音楽と無料の美術を楽しむことにします。ビンボー人に無料の楽しみを与えるのも、ゆっくり茹でる方法のひとつかも。楽しんでいる間に、熱湯にひたることになる。私を茹でてもうまくはないが。  

 オペラのプロ公演チケットは高い。バレエのプロ公演チケットも高い。衣装や舞台装置にお金がかかり制作費がかさむことがわかっているので、チケット高いのも仕方ないと思うけれど。
 私はもっぱらテレビのプレミアムシアターなどの録画を再生して見ています。
 生の迫力のすばしさはわかっていますが。なにせ先立つものがない。
 
 生で見るのは、もっぱら無料の発表会。合唱と並んで、おけいこのおさらい会が盛んなバレエ、かわいいお嬢ちゃまたちの練習の成果発表が続くなか、お、この子の動きはすごい、と思えるダンスもあるので、無料の発表会といえども、けっこう楽しめるのです。



 9月25日に名主の滝散歩のあと、ふらりと立ち寄った北とぴあ。バレエ教室の発表会をやっていました。教室開始20周年の記念公演ということで、力の入った発表会でした。バレエスタジオ・エルヴェという教室がどこにあるのかも知らず、おそらく、主催者の知人、出演者の家族以外でこのホールにいるのは、私ぐらいだろうと思って、見ていました。曲目もなにもわかりませんが、バレエ公演、やはり生で見るのは楽しい。

バレエスタジオエルヴェ20周年記念発表会


 11月3日、私たちのジャスダンスサークルの先生が指導している、別グループの5人が出演する江東区バレエフェスティバルに行ってきました。
 前半は江東区にあるバレエ教室の発表。後半は、モダンバレエとジャズダンス、ヒップホップなどの発表です。

 バレエ発表のラストから見ました。ラストの発表曲は「ボレロ」でした。モーリス・ベチャール振り付けとはまた違う構成で、10分ほどの踊り、とてもよかったです。
 休憩をはさんで、後半のジャズダンスの発表。若い世代ダンサーの切れのいいヒップホップ系もよかったし、練習を重ねてきたぐっと上の年代の人たちが踊るダンスも、私は楽しく見ました。

お嬢ちゃまのおけいこ発表、よくできました。ラストのポーズだけ見れば、それなりに。


各グループのダンス




 私たちの先生のグループ、30代ひとり、あとは40代50代という5名のダンス、他の大人数のダンスの迫力にひけをとらない、5人でのダンス空間の構成でした。一昨年にリニューアルした江東区文化センターホール、照明効果がすばらしくなっていました。

みわダンスグループ「レッツゲットラウド」


 私の所属ダンスグループの9月の発表会の曲「レッツゲットラウド」を踊ったクニちゃんが、「じょうずねぇ、私たちの発表と同じ曲とは思えないわねぇ」と言います。「照明の力で10倍はよく見えるから、私たちだって、こういう照明で照らされたら、3倍くらいは上手に見えると思うよ」と、返事しました。私のからだも、あでやかな照明が当たれば、きっとほそくみえるにちがいな、、、、。

照明、きれい


 人はそれぞれに自分でやって楽しい趣味、見ていて楽しい趣味があります。私は美術館で絵を見るのが好きだけれど、絵を描くのはなにより苦手。ダンスは見ているだけも楽しいし、自分で踊るのも好き。 
 これから、1年で減量できたら、来年の発表会には出演できるかなあ、と思いました。
文化センターの照明、もうちょっとなんとかならんか。あは、もうちょっとなんとかせんとあかんのは、私の体重ですけれど。

 アメリカでは、ジャンクフードを食べる低所得層ほどぶくぶく太り、健康管理をしっかりして体重維持に努める富裕層に肥満は少ないとか。今日も晩ご飯のあと一家でナッツチョコレートをぼりぼりとかじった我が家、富裕層には遠い。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「てのひらげきじょう・みんな集まれコンサート」

2016-11-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161109
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記11月(1)てのひら劇場・みんな集まれコンサート

 11月5日土曜日。友人のA子さんが「同じマンションの住人がコンサートを開催するので」と、誘ってくれました。

 コンサート前に、新宿の喫茶店でお茶とケーキとおしゃべり。
 A子さんの息子さん、大学卒業を前に留学したいという希望を持ったとのことで、私費留学費用、どうしようか、というのが目下の悩みどころ。私はいつもの貧乏話。
 珈琲おかわりも飲み終えて、新宿文化センターへ。「てのひらげきじょう40周年みんなあつまれコンサート」という催しです。

 「みんな集まれコンサート」主宰の中島和子さんは、80歳。ピアニストで、「てのひらげきじょう」という、子どもと児童教育幼児教育の指導者に向けた音楽活動をつづけてきました。手のひら劇場の公演は、40年間に5450回になり、韓国やアメリカでも公演してきたそうです。
 ずっと中島さんといっしょに活動してきた児童文学者の横笛太郎氏が2003年になくなってからは、一人でてのひら劇場を続けてきた、と、受付でもらった公演パンフレットに書いてありました。

 40年続けているうちに、この「てのひら劇場を見て育った子どもが親となり、子どもを連れて公演に通うようになったり、子どもを連れてきていた親御さんが今は孫を連れてくるようになったと、公演の実行委員さんがお話ししていました。 
 公演の内容は、人形劇、手遊び歌、紙芝居、子どもと問答をして子どもが答えたことばを歌詞にして紙に書き出し、その場で作曲をする試み、など、盛りだくさんでした。
演奏は、和太鼓と中島さんのピアノ「子犬のワルツ」

 中島さんは、80歳という年齢相応に背も丸くなっているし、歌うと高音は苦しそうだしピアノはミスタッチも出る。でも、子どもを前にいっしょに楽しさを作り上げようというパワーはとても大きかったです。

 中島さんは、東京芸大を卒業してピアニストとして活動してきました。長らく、保育士養成や幼児教育向けの活動に音楽や紙芝居を取り入れる公演を続けてきて、子どもの興味を引きつける方法や子どもといっしょに遊ぶ方法などを幼稚園の先生方に伝授してきたそうで、5日の公演も、子どもが舞台上に上がって、楽しそうに活動していました。



 私は、来年4月からの再開する私立大学の日本語教授法の授業をどうするか、思案中です。 ミャンマー・ヤンゴン大学の日本語教育のために、2015年8月から日本の大学授業から離れて1年半になります。今年4月から完全失業中で、とても心細くはあったのですが、求職活動より優先しなければならない出来事もあり、来年のことはまったく手つかずの状態でした。

 こんなロートル教師でも、この年齢になって、一度やめた大学から「来年度、都合はどうですか」と、お声をかけてもらうこと、ありがたいです。ポンコツ度は一段と進んでいますが、自分なりに納得できる授業をと、来年4月からの授業はどのように進めていくか、悩んでいるところでした。

 25年前から、私の授業は「双方向授業」「学生参加型」として行ってきました。四半世紀前は、大学でこのような学生参加型のアクティブラーニング授業をする教師が少なく、ほとんどの教師が一方的な講義型でしたから、私のへたくそな双方向型授業でも、学生の食いつきはよかったです。

 学生参加型の授業を成立させるためには、準備がたいへんです。活動の前に「いっしょに活動していく、自ら参加する」という学習集団を形成する必要があり、たんに卒業単位がほしくて授業にきて、出席カード出した後は居眠りしているという学生では、授業がなりたちません。
 アクティブラーニングが成功する年もあったし、ノリの悪い年もあった。無駄に膨大なエネルギーの浪費。

 私も年を取ってバーサンになったのだから、少しは楽に授業ができる講義型にしよう、と、思っていました。講義ノートさえ準備すれば、一方的に講義するほうがずっと楽です。できの悪い学生をのせる努力をして、さっぱり効果がない、という年のことを考えると、講義型にしてこちらが疲れないようにしてもバチはあたらないんじゃないか。

 2015年度に受け持った学生のひとりから、「2016年10月からポーランドでボランティアとして日本語教師をすることになりました」というメールが来ていました。「親戚のお寺を継ぐことになっていたのだけれど、先生の授業を受けて、得度を延期して海外ボランティアをやってみようという気持ちになりました」なんていうメールを受けると、私の授業も少しは役だったかなという気持ちになります。日本語を教えるという経験によって、こののちの彼女の人生によい影響が残ることを願っています。

 「てのひらげきじょう」の公演を見ていて、やはり私は「学生参加型」を続けよう、と思いました。講義録ノートを広げて、毎年同じことをしゃべっていても授業が成立するし、なかには、自分の著作を学生に買わせ、それを毎週何ページずつか朗読するだけ、という教師もいます。近頃の学生は、自分から本を買って読む機会さえ持たないのだから、読むべき本を紹介するだけでも教育と言えば教育ですが。

 学生参加型は、準備にも後始末にも大きなエネルギーが必要です。都内の日本語学校を見学して見学記録を提出させる、という授業実施のために、日本語学校の先生の授業中はけっしておしゃべりするな、という指導から授業記録の書き方まで、事前事後の準備がたいへんでした。

 ゆとりだの総合学習だの、ぱっと思いつきで指導要領を変える文科省。気楽に「アクティブラーニング」なんてことを言ってほしくないなと思っていました。アクティブラーニングの研究指定校のなかでとどまっているうちはいいけれど、全国の小中学校にアクティブラーニング広げるなら、先生方に言っておきたい。今よりもっともっと授業準備に時間をかける情熱がありますか。1時間の授業準備に10時間かけたら、寝る時間なくなると思うけれど。

 「てのひらげきじょう」を80歳になっても生き生きと続けている中島和子さんの姿を見て、年取って「アクティブ」がしんどくなってきた私も、たいへんだとは思うけれど、なんとか70歳まではアクティブティーチングを続けようと決意。
 さて、来年4月までに、シラバスや授業案を考えなければ。そのまえにきびきび教室を動けるように、今のだらけきった脂肪の塊をなんとかせねば。あ、これは昔からの課題でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「みんなの音楽会・オペラの楽しみ」

2016-11-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161108
ぽかぽか春庭@アート散歩>2016秋の音楽(6)みんなの音楽会・オペラの楽しみ

 11月4日金曜日。ジャズダンス練習の前に、北とぴあへ行きました。国際音楽フェスティバルを開催中なので、なにかイベントをやっているのではないかと思ったのです。

 国際音楽フェスのイベントとは別ですが、「みんなの音楽会」というオペラの普及活動を目的としたイベントをやっていました。ドアが開いていて、すいすいと入れたので、休憩中のさくらホールに席を見つけてすわりました。

 入り口でもらったパンフレットによると、13:30から「フルオーケストラでみなで童謡を大合唱」というイベント。休憩をはさんで後半は、若い音楽家によるオペラの紹介。私がさくらホールに着いたのは、前半の童謡と後半のオペラの間の休憩時間。童謡を歌うだけで満足しオペラは聴かなくてもいいや、という人たちが出て行ったあとで、あいている席がけっこうあったので、座れました。

 このイベントは、NPO日本音楽生涯学習振興協会の主催で、「演奏者(若き音楽家)と観衆(地域住民)の両者が共通する感動をその瞬間を追求することで相乗効果となり、互いにその価値を高める音楽生涯学習活動を目指します」と目的が書かれています。

 プロデューサー&MCの上原拓也さんの軽妙な司会のなかで「童謡を歌うという楽しげなプログラムで客を集めて、オペラの観客へと誘導するという目的」なのだ、と話していました。
 事前申し込みをした人のハガキで住所氏名を把握し、オペラ公演の案内チラシなどを送付するのが主たる目的みたいです。

 無料ではありますが、藤原歌劇団の正団員メゾソプラノの牧野真由美さんや総監督バリトン折江忠道さんのソロアリアもあり、若手もオペラ歌手として活躍している人たちがアリアやオペラの中の合唱曲を聴かせてくれ、充実した内容でした。

 ヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』より「鍛冶屋の合唱」
 テノールの難曲について、MC上原拓也さんが説明しました。「見よ恐ろしい炎を」は、ヴェルディの楽譜にはない「高音ハイCを挿入することが慣例になっていて、これが歌えるかどうかが、テノールの超絶技巧の見せ所です。ちゃんと声が出たら、拍手してください」
 たとえば、有名なテノールのプラシド・ドミンゴは、このハイCを避け、ヴェルディの楽譜通りに歌うそうです。
 藤原歌劇団準団員テノール小笠原一規さんが、見事ハイCの音を出して歌いきり、会場の拍手を浴びていました。

 マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』より「オレンジの花の香り」「馬は勇んで」「復活祭の合唱」
 藤原歌劇団総監督という折江忠道さんの歌う「馬は勇んで」。馬車屋はいい商売だと、アルフィオが歌います。
 アルフィオは女房ローラが元婚約者のトゥリッドゥと浮気しているのを知り、決闘を申し込む、という役です。


 
 MC上原さんは、「オペラをそんなに堅苦しく考えないで、気楽に楽しんでくださいという人たちもいますが、オペラはやはり気楽じゃないです。ちゃんと勉強してから聞くと楽しみが増えます」と、オペラへのお誘いを語っていました。

 聞き入っていた聴衆オバアたち(オジイは1割もいなかった)、童謡は好きだろうけれど、オペラ公演に足を運ぶようになるかしら。私は招待券もらわない限り行けないだろうなあ。

 オペラチケットは高くて買えませんから、せめてyoutubeで『カヴァレリア・ルスティカーナ』全曲一括をクリックして聞きました。1時間16分のオペラ。シチリアの山間部が舞台ということで。はじめの部分、歌詞の訳が鹿児島弁になっていました。

 最近は、イタリアオペラでもフランス語のオペラでも、字幕が出ることが多いので、あらすじをしらなくても楽しめるとは思うのですが、劇団四季がミュージカルを日本語で上演して成功し、ミュージカル観客を増やしたように、オペラも、もうちょっと、わたしでも楽しめる形にして上演して欲しい。日本語上演のオペラも増えてはいますが、鹿児島弁でシチリアが舞台の四角関係恋愛悲劇なぞやったら、おもしろいのに。

『こうもり』より「シャンパンの歌」を出演者全員で合唱


 11月6日日曜日、友人のT子さんが出演する「火曜会コンサート」に行ってきました。
 火曜会は、70代前後のオバサマたちが、バリトン歌手の先生にオペラアリアを習っている会です。毎年1回コンサートを続け、今年は34回目。

 最初は合唱で、フィガロの結婚から「奥様方どうぞこのお花をお受けください」マイフェアレディから「花市場で」「まるでスペイン」、メリーポピンズから「チムチムチェリー」

 そのあとの二重唱で、T子さんはドリーブ「ラクメ」から「いらっしゃい、マリカ」を歌いました。
 休憩をはさんで、指導者水野先生の独唱。オペラプロ歌手のバリトン、すばらしい声でした。
 T子さん独唱ヘンデル「辛い運命に涙あふれ」。ふだんは静かな落ち着いた声でお話される元小学校校長先生、ソプラノの声はよく通る美しい歌声でした。

 オペラを歌う楽しみ聞く楽しみ。
 「馬は勇んで」は、馬車屋が「馬車屋はよい商売」と歌うし、チムチムチェリーは「煙突掃除の仕事は最高」と歌います。
 私は。「教師商売は最高」と歌えるかしら。3時間分の講師報酬をもらって、3時間の授業のために、10時間も授業準備などに時間を使ってしまうやり方だと、「限りなくブラックに近い」という仕事だけれど。たぶん、電通もそうなんでしょうが、仕事に全生活全人生をかけられる人でないと、働き続けるのがむずかしい世の中になっているのでしょうね。私は、楽しみの時間も作らないと生きている気がしないのだけれど。

 こんなふうにいろいろな歌をきいて歌って、秋の一日をすごす。ずっとこういう日々であればいいけれど。そうはイカない。来春からは、あくせくと働く日々がまたやってくる。その日までは楽しみましょう。

<おわり>
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