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ぽかぽか春庭「ザル頭の夏休み」

2012-07-31 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/07/31
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(6)ザル頭の夏休み

 7月9日、仕事が終わってから、修士のときの指導教官をたずねました。いっしょに行った同じゼミだった3人ともに、「学生時代は先生に叱られてばかりだった」という思い出話をしながら、定年退官後は病後の体を労りつつ研究に専念なさっている先生に「もっと叱ってもらうため」に出かけたのです。
 
 先生は、リハビリを続けながら体調回復に励み、今ではとてもお元気になられたようす。ほっとしていろいろなお話をうかがいました。若い頃、全共闘世代で教授連と対立した思い出話から、日本語文法の話、研究仲間とのエピソードなど。

 その中で、印象的だったお話。先生がおっしゃるには、「退官して、しんどい授業から開放されて研究三昧かと思ったら、そういうわけでもなかった。このアホ学生めら、お前たちの脳みそに、私の研究成果の日本語文法をどれほど注ぎ込んでも、ザル頭からザーザーこぼれていくのがわかる、と思いながら授業を続けてきたけれど、アホ学生のザル頭に注ぐ言葉がなくなったら、自分の脳からザーザーこぼれていってしまう」とのこと。

 お気持ち、よくよくわかりました。私も、現在は「私にできる限り、このザル頭の学生に、日本語学を注ぎ込むのだ。義務だから。でも、ザルに水注ぐのが仕事とはつらい」と思って仕事をしているのですけれど、きっとこの注ぎ込もうとする時間がなるなると、自分に注ぎ込まれる何かがなくなってしまうのです。それは若い学生の学ぼうとするエネルギーが発する何かなのかもしれませんし、人と人が関わろうとするとき発する何かかもしれません。

 できる限り興味を持てるようにと工夫したつもりの日本語文法の話に、何の反応も見えないような時間がおわって「ああ、今日も徒労だったか」と思うような時間さえ、実は自分のためには貴重なひとときなのだ、と反省させられる、指導教官のことばでした。 

 毎期、いろんなことを学生から学びます。今期、ひとつのクラスでは、日本人学生30名の中に台湾からの2名と、日本在住中国籍の学生1名が在籍していました。このクラスには、日本語学の基礎を教授しました。
 また、中国人留学生30名の中に日本人学生が2名在籍するクラスに日本語教授法を教えました。

 日本語学のほうは台湾人学生に、「日本人向けの日本語学講義だから、Nテスト(日本語能力試験)1級にも合格していないというあなたたちには、少し難しいかもしれないけれど、いいですか」と、念を押しての授業で、留学生に配慮はしたけれど、授業の中味は手を抜くことはなかったので、「日本語はむずかしい」と感じたようです。それでも、最後まであきらめずに毎回出席し、発表も行いました。

 留学生のなかに日本人が混じる「日本語教授法」の授業では、日本人学生に「このクラスの中国人は、ほとんどがNテスト1級に合格していないそうです。だから、日本人が当たり前に知っていることも確認しながら、日本語復習という内容を混ぜていきますが、いいですか」と確認しました。

 たとえば、ひとつの漢字に多くの読み方がある、という日本人には当然のことが、世界の文字の中では、特殊なことなのだ、ということなど、あらためて教えられると「びっくり」なこともわかったようです。中国人には、「生」の読み方を10以上書きなさい、という課題が「え~、こんなにひとつの漢字に読み方があるのか」と、思えたし、「流鏑馬のきしゃの取材をしたきしゃのきしゃがきしゃできしゃしたそうですね」という文を漢字を使って書き分けなさい、という課題に対して、「漢字はお手の物」と思い込んでいる中国人学生にも書けない、ということがわかりました。

 「日本で使われている漢字は日本語である」という基本的なことを認識し、「流鏑馬」が、中国人には誰一人読める者がなく、さすがに日本人学生には読めた、というとき、「日本の漢字は中国のものとは違うのだ」と中国人も実感できました。
 「中国語と日本語と両方しゃべれるから、明日からでも日本語教師になれる」と思い上がっていた中国人学生に、熟字訓の練習をやらせて、自分たちの日本語知識は実に浅いものだと思い至らせただけでも、十分に授業の効果はありました。

 授業の内容や自分が発表したことをまとめる期末レポート。昔の学生レポートは、手書きの上に、作文力の低下で、これが日本人が書いた日本語文章か、と思うようなひどい文章も混じっていたのですが、最近は、読むに耐えない、とう文章が少ない。これは、ワードなどのパソコン入力の文章だと、校正機能がついていて、おかしな文章を指摘してくれるからです。主述が一致していなかったり、テニオハが間違っている文章もぐんと少なくなりました。

 授業レポートは、授業内容と自分が発表した内容のまとめを要求しているのですが、まとめの文章が規定字数に達しないとみるや、感想を付け足す学生もいます。ありがちな常套的な感想ですが、授業者が「この授業を通じて何を学んで欲しいか」と述べたことが伝わったのかも、と思える感想です。

 この講義を受けて、日本語の奥の深さや自分の知っている、使える日本語がどれだけなのかや、いかに少なかったかを確認することができました。
 言葉は、その時代時代で新たな言葉が生まれたり、時代とともに死語になる言葉があったりとまるで生きているかのように人間と共存しているんだと思いました。また、言葉は日本語だけだはなく、世界各国にあり、自分が特に興味が有るのは英語ですが、他にも様々な国の言葉を勉強して、話せるように、様々な国の人とその国の言葉を使って会話をしてみたいと感じました。言葉の歴史などにも興味をもつことが出き、今後日本語以外の言語についても、深く調べてみようと思いました。
 この授業を通して、日本や日本語、言語について深く学び、考えることができ自分にとってよい機会だったと思いました。 今後もっといろんなことをしらべ、学んでみたいと思います。


 近頃の学生のレポート文章がまともに読める、ということのひとつに、引用が容易になった、ということもあります。
 引用をいくつか積み重ねて、前後に自分のことばを付け加えるだけで、一見まともなレポートが仕上がります。

 引用する場合は必ず引用元を明記せよ、引用元がないと盗作になる、とこれまでくり返し言ってきたのですが、最近は「大学基礎、レポートの書き方」「文章表現基礎」などの授業が設置され、単位取得できる正式な科目として存在しているので、私の授業で声をからして「レポートに引用する場合の作法」というのを言わなくなったのです。そのため、コピーペーストレポートをそのまま出す学生も出てくる。引用元明記を徹底しなかった私のミスです。

 以下のようなコピーペースト文を、引用明示なしにコピーする学生がいまだにいるのです。

 中国では英語を学ぶ人口は一番多いが、二番目は日本語である。日本語を勉強する動機もいろいろあるだろう。日本語の中に漢語がいっぱいあるから、学びやすいと思う人も少なくないようだ。特に大学で第二外語として選ぶ場合は、そういう傾向が強いように思われる。小生が日本で二年間中国語教育にたずさわった経験から見て、日本の大学生も同じ動機で中国語を第二外語として選ぶケースが少なくないように見える。でも中国語と日本語はたいへん異質な言語である。中国人も日本人も相手国の言葉を勉強して行くうちに、だんだんとその難しさを思い知らされるのが常である。

 以上の文章、自称が「小生」であり、「小生が日本で二年間中国語教育にたずさわった経験から見て」という一文から見て、日本で中国語を教えたことのある教師が書いた文章であることは明白です。この文章をそっくりコピーペースして、自分自身の文章として提出することの奇妙さにも気づかない。

 提出者は、中国国籍であるけれど、両親の移住にともない小学生から日本の学校で学んでいる、という学生でした。「中国語と日本語の両方が使えるバイリンガル」であることを誇りとするよう、教師は励ましてきたのですが、引用作法についてのレクチャーは、今期省略していました。
 補講に出席した彼女に、「引用のルール」を説明すると、そのようなことは、これまで誰からも教わらなかったと言い、引用元を付け加えました。確かめると、「小生」の意味がわかっていなかったことが判明。彼女は、クラスで実施したNTT語彙数テストで、自分自身の語彙力の少なさに気づいた、というので、これから先、日本語語彙数を増やしていく努力をしてほしいと要請しました。

 今期のクラスでは、NTTの語彙数テストを2度実施し、自分の頭の中にある日本語の総数がいくつであるか、確認させました。日本人大学生の平均的日本語語彙総数は3~4万語である、という解説をすると、2万以下の語彙数しかなかったことが判明した日本人学生、みなショックを受けていました。「小生」を知らなかった彼女も、「自分は中国語も日本語も出来る」と思って来たのに、日本語語彙数が他の日本人学生に比べて少ないことが分かって、ショックだったそうです。
 日本語母語話者の社会人、日本語語数平均は、5万語です。日本語教師は最低でも7万語は知っている。

 社会に出て日本語を使って仕事をしていくなら、本でも雑誌でも読んで、在学中に最低5万語を獲得しなさい、と叱咤激励。さっぱり本を読まない現代の学生たちに、どれだけこの叱咤がきくのかわかりません。読書より楽しい刺激が身の回りにあふれており、活字を追う楽しさを知る前に、ゲームの刺激を享受しているので。ゲームで勇者になって敵を倒すのは面白かろうが、それでは語彙は身に付かない。

 私も、今でも毎日辞書をひきますし、一日に一語は新しい語に出会います。新しく知る語のほとんどは、英語由来の外来語が多いですが、まだまだ知らなかった漢字語彙もある。

 でもね。私は「Qさま」というクイズバラエティ番組を毎週見ていて、自分が知らなかった漢字の読み方を毎回発見するのだけれど、正答を教わると「へぇ、そういう読み方もあったんだ」と思うのに、翌週はもう忘れている。私の頭もザルです。

 引用文と自分の文章を区別つしなければならない、という基礎的なことも、教えられなければ学生は知らない、というあたりまえのことを再確認し、ザルにいっぱい水を注いで、今期も終了しました。

 てんやわんやの前期ではありましたが、8月は夏休みです。講師会議があるほかは、来期の準備と姑の介護と、モノが散乱し積み重なり、わけがわからなくなっている部屋の片付けと。30日に受けた区民検診。確か、「国保、区民検診受診券」というのが届いていたのだけれど、さて、どこにまぎれこんでしまったのやら。
 「これは大切だから、ゴミとまちがって捨ててしまわないように」と思って、どこかにしまったはずなんだけれど、さて、どこだったでしょうか。さがしまわって、ようやく紙の束の間から拾い上げました。ものを探し回るのに人生の時間の半分を消費してしまっている気がする。

 レントゲンやら血液検査やらもしたのだけれど、いちばん必要なのは、この「どこに何があるのか、わからなくなって探し回らなければならない仕組みの脳」の検査なのでしょう。
 ザル頭、しばしの夏休みで、休憩です。
 8月上旬、ブログ更新も夏休みをいただきます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「私の奥様・日本語の親戚」

2012-07-29 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(5)私の奥様・日本語の親戚

 「日本語の数あてクイズ」をツカミとし、日本語の類型や系統を話して、「世界の中のニホン語」概論90分の授業になります。

 現在、英語が世界共通語のようになってしまっていますが、英語は、日本語母語話者にとって、発音面も文法面もどこをとっても、習得が容易な言語ではありません。英語を学校教育で6~10年ほども費やしてなお、流暢に操れるという人は一部分です。
 
 しかし、日本人にとって習得がそれほど難しくない言語もあります。発音が日本語と同じ開音節であるイタリア語やスワヒリ語は、発音面ではむずかしくない。
 また、ことばの並べ方(統語論=シンタックス)が同じ、SOV型の膠着語である朝鮮韓国語やモンゴル語は、日本人にとって、発音は難しいけれど、文法は簡単です。モンゴル人力士にとっても、日本語習得はそれほどむずかしくありません。

 ただし、日本語の敬語丁寧語などの待遇表現はむずかしいようで、7月22日の、大相撲夏場所優勝力士インタビューで、日馬富士は「後援会のみなさま、ファンのみなさま、親方とおかみさん、そして奥様に感謝したい」と述べました。「親方とおかみさん」と並べて、自分自身の妻を「奥様」と呼ぶと、日本人ならよほどの恐妻家と見なされるところですけれど、観客も「奥様」発言をほほえましく見守っていました。
 日馬富士の奥様ダワーニャム・ビャンバドルジ さんが1歳半のお嬢さんといっしょに画面に映りました。とても美人の「奥様」でした。奥様は、日本留学中に日馬富士関と知り合ったそうです。

 モンゴル語には「ていねいな言い方」はあっても、日本語のような敬語システムはありません。「私の奥様」と言ってしまうのも、やむをえないでしょう。

 私の授業では「妻・家内」と「奥さん・奥様」、「私の母」と「○○さんのお母さん・お母様」は、きちっと使い分けるよう指導はしています。
 けれど、朝鮮韓国語は絶対敬語であり、身内でも年上には敬語を使います。日常会話で「私のお母様」と言うので、韓国人留学生は日本語でも身内に敬語を使ってしまうことがあります。

 どのような場合でも、目上や先輩に敬語をつかう、という敬語システムだった韓国語で、おもしろいエピソード。韓国のサッカー、昔は、フィールドで「先輩様、わたしのほうにボールをお蹴りいただけないでしょうか」というように、敬語で指示を出すしかなかった。外国人監督が就任したとき命令を出した。「フィールドでは敬語禁止」。それ以来、先輩に向かっても「こっちへパス!」と言えるようになり、韓国サッカーは強くなったとか。

 父、母、兄弟姉妹、奥様と、家族にあてはめて、世界の各国語を概観してみましょう。
 
 日本語には、同系統と見なせる言語はありません。ことばの家族がいないのです。
 西欧語には、ラテン語やゲルマン語をもとにした同系統の言語が多く、ドイツ語と英語は従兄弟くらいの近さ、スペイン語とポルトガル語は兄弟くらいの近さ、デンマーク語スエーデン語ノルエ-語は、三卵生の三つ子くらいの近さ、ルーマニア語とモルドバ語は、一卵性双生児(同一言語)です。
 一方、日本語は、朝鮮韓国語が、数千年前に別れた遠い親戚かもしれない、と思われる程度で、家族はもちろん、「近い親戚」もありません。

 7~8世紀に大陸そして半島からの移民難民が数多く日本にやってきて、「渡来人」として日本文化に大きな影響を与えたことが知られていますが、「万葉集は朝鮮語で読める」などの言説は、言語学の基礎を知らない人の当て推量です。

 「このふたつの言語は親戚同士である」と言うためには、半数以上の語彙に「音韻対応」という比較方法による対応関係の規則が見いだせなければなりません。そもそも、日本語の文献は7~8世紀からのものが存在しているのに対して、古朝鮮語文献は、存在しません。(断片的な語は、中国語文献、日本語文献のなかに残存しているけれど、古朝鮮の史的文献は中国語で記録されています。日本語のひらがなカタカナに当たるハングルは14世紀の成立なので、それ以前、朝鮮の文献はすべて中国語で記録されていたから)

 比べようがないものを比べて「同系統」と言えるなら、英語と日本語は同じような語があるから、同系統ということになる。「あ、そう」という日本語と「Ah! So.」と言う英語は同じ意味ですし、日本語のnamae名前と英語のnameネイムは、そっくりです。しかし、英語と日本語が親戚だと思う人はいません。赤の他人との「他人のそら似」がいくつか見いだせるとしてDNA鑑定すれば、他人とわかります。言語におけるDNA鑑定にあたるのが、基礎語の音韻対応です。

 英語とドイツ語が分離したのは、およそ2000年前。英語とドイツ語は、従兄弟くらいの間柄。フランス語とスペイン語とが1500~1600年前に分裂。兄弟の間柄。
 一方、東京方言と首里方言とは、1700年前ごろに分裂したことが、方言の比較調査、音韻対応によって推定されています。フランス語とスペイン語の差は、日本語と首里方言の差より小さいのです。つまり、標準語と琉球方言が話せる人は、フランス語とスペイン語のふたつが話せる人よりすごい。

 よく、「私は数カ国語ができる。英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語ができる」というような西洋人の言いぐさに対して「すごいですねぇ、何カ国語もしゃべれて」と、感心する日本人がいますが、日本人が「私は、大阪弁と京都弁と名古屋弁と東北弁と琉球方言が話せる」というのも、同じくらいすごいことなのです。数カ国語といっても、同系統の言語なら、習得はむずかしくない。
 「英語とバスク語とアラビア語と中国語とモンゴル語とマサイ語とホピ語が、すべて流暢に話せて読み書きできる」というような人なら、語学の天才として瞠目するに値しますが。

 さて、言語を家族に見立てた話のひとつ。○○語さんが他の言語△△語さんと国際結婚した場合を考えてみましょう。
 ひとつの地域にふたつの言語が流通しているとき、その両方の要素を取り入れた言語が発達することがあります。これをピジン語といいます。ピジン語を母語として生育する子どもが大多数になったとき、この新しい言語をクレオール語と呼びます。
 世界には、パプアニューギニアのピジンイングリッシュや、カリブ海地域のクレオールフランス語が成立してます。

 日本語も、南方の開音節、北方の母音調和、大陸の語彙、さまざまな言語が混合して成立したクレオール語の一種だろう、という説があります。1万年~2000年くらい昔の話です。
 言語学者の大野晋さんは、タミル語と原日本語(縄文語?)が混合したクレオール語が現在の日本語の元になったと主張していました。
 私は、タミル語は「もしかしたら、混じり合ったのかも知れない言語のひとつ」とは思いますが、日本語が「ふたつの言語のクレオール語」とは思いません。さまざまな言語が混合したのだろうと思います。残念ながら、アイヌ語基礎語彙と日本語(ヤマト語)基礎語彙の音韻対応は見いだされていません。

 言語の類型から日本語を見てみましょう。
 日本語は、トルコ語、モンゴル語、タミル語、朝鮮語などとともに、単語に機能語(助詞など)が付属する「膠着語」の類型に属します。同類系ではあっても、親戚といえるほど近い言語ではないのです。日本語と朝鮮語が遠い遠い祖先から分離したとして、それは数千年まえのことになるだろうと見なされています。

 中国語は単語がひとつひとつ独立して並べられ、語順によって文法機能を決定する「孤立語」です。語順はSVO。
 ラテン語は、単語の形を変えて文法機能を表す屈折語。英語は、孤立語と屈折語の両方の性質を持っています。語順はSVO。

 日本語モンゴル語などのようにSOVの語順の言語、世界の5000の言語の中では多数派です。しかし、話者数からみると、中国語英語のSOVが多数派になるので、日本語話者は、自分たちはマイナーだと思ってしまう。
 
 「西欧語やアフリカなどのことばには、家族や親戚があるのに、日本語は孤児である」という話、毎回、日本語学の最初に学生に伝えます。
 言語ファミリーでは孤児である日本語ですが、世界の中では10番目に「体がでかい」言語であることを前回お話しました。日本語は、「でかい孤児」です。

 言語の話者数の大きさの話とセットで、「国連公用語はどのことばか」という話のときに、日本語、ドイツ語が話者数では10番目前後であるのに、国連公用語ではないことにつき、「どうしてですか」と、疑問を呈する学生もいます。
 あのね、戦後の国連体制において、日本は敗戦国側だったんだよ、と説明すると、「へぇ、日本が戦争したことあったんですか」「負けた方だったの?」という学生もいて、いやはや昭和も遠くなりにけり、と昭和生まれの老師はため息をつきます。

 日本語では、老師は、文字通り老いた教師、年取った教師。中国語では、20代の先生でも老師ラオシーです。中国語「老」に元々含まれていた「知識経験豊富な人」の意味が日本語では無くなって、「年を取った人」の意味しか無くなってしまいました。「老」のつく熟語でよい意味の語は、老練と老舗くらい。

 老師が老婆心から、学生に言いたいこと。
 二度と戦争をしないためには、戦争をしたことも、負けたことも、どのような事実があったのかも、しっかり学んでいかなければ、いつのまにやらあなた方が戦争の中に引きずり込まれることもあるんだよ、と伝えていかねばならないのですが、この先どうなりますか。

 「原子力基本法」が自民党提出の修正案により「原子力利用の安全確保は国民の生命、健康及び財産の保護、環境保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」という一文が追加された、ということ。

 私は、あまりのえげつない文言を見て、「この一文は削除された」と勘違いしてしまいました。私の誤解でした。削除されたのではなく、追加された!!
 まさか、こんなことを、仮にも国民の生命を守ることを第一の仕事とすべき為政者が言うはずないだろうと勝手に憶測してしまった。勝手な思い込み、こわいです。

 私たちの財産を保護し、環境保全するために「原発」が必要?原発のために財産すべてを失って難民となった人をどうするのか、1年たっても放射能指数が下がらないままの土地を残して、環境保全のために原発は「資する」だって?
 原発は「安全保障に資する」?あまりの文言に口あんぐりです。

 日馬富士は、美人の「奥様」とかわいいお嬢さんを守るために、稽古をかさね、「全身全霊で」精進する日々が続くことでしょう。私も、私と家族の生命を守り、豊かな国土を守るために、原発にも戦争にも反対していきます。

 国土の安全と環境を守り、文化を守るための私の仕事は、「日本語」を大切にすることです。私の「大切にする方法」は、「守旧派」とは異なるやり方ですけれど。
 さまざまな言葉を取り入れてきた日本語。1万年前の縄文語から、この言葉はこの国土に生きてきました。さまざまな言語と混じり合い、膨らみながら生き延びてきました。

 最後に、世界の重要なコミュニケーションツールとなったインターネットの使用言語ランキング。
1.英語/5億3千万人 
2.中国語/4億5千万人 
3.スペイン語/1億5千万人 
4.日本語/9千万人 
5.ポ ルトガル語8千万人
以下、 
6ドイツ語 7500万人  7 アラビア語/6500万人 8 フランス語6000万人  9 ロシア語/6000万人 10/朝鮮語 4000万人

 日本語は、系統はわからない孤児の言語ですけれど、世界では話者数では10番目のメジャー言語、インターネットでは世界4位のメジャーです。
 がんばれ、孤児にほんご。
 生き続けてほしいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語の大きさクイズ」

2012-07-28 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/28
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(4)日本語の大きさクイズ

 オリンピックが始まりました。
 私は「国を背負って金メダル獲得に励む」という選手の姿、「国のためにがんばれ」という応援には共感できないほうです。国を背負うプレッシャーに押しつぶされたマラソンの円谷選手らの悲劇が忘れられないからです。でも、サッカーでなでしこやU23の活躍は、素直にうれしいけれど、「国別のメダル獲得競争」に一喜一憂する気はありません。水泳、体操、柔道など、「自分自身に挑戦する姿」を一家でテレビ応援するつもりです。

 オリンピックの参加国、地域204。独立国でも参加しない国はあるし、国とは別の地域参加もあります。オリンピックがあると、世界の国のなかで、日本のニュースが報道しないような小さな国も,開会式のときはクローズアップされるので、うれしいです。

 「日本語を公用語としている地域はどこか」というクイズのほか、日本語学概論の最初の「ツカミ」として、いくつかの数字あてクイズを出します。

 (同じ話題で何度もOCNカフェ日記に書いてきたのですが、goo日記になってははじめての話題なので、goo日記から読んで下さる方、クイズをお楽しみください。何度も同じクイズを読んだ方、復習です)。

 ペアワーククイズその1。世界に「国」はいくつある?自分の知っている国を隣の人と言い合って、ふたりで国の数を決めてください。「国」とは、国土、国民が存在する共同体で、周囲の複数の国から「独立国家」として認証を受けているものを言いますが、このクイズでは、国連加盟国に限定します。したがって、バチカン市国など、今回は数えません、という注意を与えて、ペアで国の数を言わせます。自分の知っている国の名を指折り数えて、50と答えるペアあり、運動会で校庭に国旗を飾ったとき、100枚くらいあった気がする、という記憶から、100と答えるペアあり。世界は広いからという理由で1000とか答えるペアまで、さまざまです。

 正解:国連加盟国は、2012年現在193ヶ国です。国連に加盟していない国を合わせて約200と学生に覚えさせます。オリンピックがある年は、正解率が高くなります。

 クイズその2。この200という国の数から考えて、世界に○○語というのがどれくらいあるか、数えてみてください。隣の人とペアワークで、お互いに知っている言語を英語とかフランス語と言い合って数を推理して、ふたりの平均値をペアの答えとして出してください。

 国の数は200あるけれど、英語のように、いろいろな国で使われている言語もあるのだから、言語の数は100くらいかも、と少なめに出すペアもあるし、ひとつの国にいろんな民族が住んでいる国もあるから、200より多いんじゃないか、500くらいありそうだ、と考えるペアもあります。

 正解:言語学者によって数え方が違いますが、現在のところ、○○語として固有の言語と見なされている言語は、3000~6000語あります。中をとって、世界には5000の言語がある、としておきましょう。そのうち、半数は、母語話者が22世紀にはいなくなってしまうと危惧される絶滅危機言語です。

 クイズその3。世界に5000ある言語のうち、日本語は話者が多い方から何番目だと思いますか。まず、一番多いと思う言語をふたつあげておきましょう。家庭の中で家族が話す生活言語、すなわち母語として一番大きいのは何?英語と中国語という声が上がります。一番メジャーな言語、というわけです。

 母語として家庭の中で話されている人数が一番多いのは、当然中国語です。13億人の中国人のうち、11億人は漢民族。漢民族が話す中国語が、もっとも話者人数が多い。ただし、中国語は、方言差が大きくて、今は標準語(プートンファ)が普及したけれど、昔は、北京の人と上海の人は、通訳無しには話が通じなかった。(筆談はできるのですが一部の知識人以外は漢字が読めなかった)

 公用語として一般社会で用いられている言語で、世界最大の言語は英語です。これはみな、実感があります。家庭の中で、母語として英語を話す人は、世界に5億人くらいですが、19世紀の覇権国、大英帝国、20世紀の産業・軍事・コンピュータの覇権国、米国の力によって、世界のビジネスや学術の共通語は英語になりました。

 今日、英語を公用語として採用している国は、世界に50ヶ国にのぼり、アメリカのように、、英語を国家の公用語として定めていないが、実質的に公用語となっている国(州の公用語は決められている)を含めると、世界中の英語圏話者は、15億人に達すると見られています。現代では、事実上、世界共通語になっています。

 クイズその4。日本語は、世界で何番目に大きい言語でしょうか。
 英語中国語の話者数を教えてから日本語のランキングをたずねると、学生たち、世界で5000もある言語のなかでは、真ん中あたりの2500番目だろう、とか、いや国の数が200なんだから100番目くらいにはなるんじゃないか、など気弱な回答が多くなります。

 ここで、日本語が世界の中では、どのくらいの話者数がいるか、発表。日本の人口は1億2000万人とすると。世界の日本語母語話者は、おそらく1億2200万人くらい。日本国内以外の土地で日本語を母語として話す人は、日本からの移民社会のみで、移民社会では、2世3世になると、その土地のことば、英語やスペイン語を話すようになり、日本語母語社会は急速に無くなります。

 正解。日本語は、世界では、母語話者は、9~10番目に話者が多い言語です。世界でベスト10に入ると思っていてよい。世界の中でメジャー言語のほうなのです。
 母語話者数のランキングでは、中国語、英語、ヒンディ語(インド語)、スペイン語、アラビア語、ベンガル語、ポルトガル語(おもな話者居住地はブラジルなので、ブラジル語と言うのも可能だが、言語の出自を重視してポルトガル語)、ロシア語、ドイツ語と並んで話者が多い。

 公用語、共通語としての話者となると、人口2億3000万人に達したインドネシア語のほうが話者数が大きいのですが、インドネシア語の母語話者は2300万人くらい。(島ごとにジャワ語など、その土地の言語を用いていて、インドネシア一国の中に、500くらいの言語が用いられています)。

 日本語を公用語としている地域は人口たった200人の島、パラオ共和国アンガウル州で、しかも日本語話者はほとんどいない、という状態ですから、日本語話者圏は、日本国内に限られている、と言ってよい。

 ヒンディ語と英語を国の公用語としているインドは、お札には20の言語で価格がかいてあります。州ごとに異なる公用語があり、インド国内には、300以上の異なる言語が用いられています。
 日本国内の人は、ほとんどが日本語を母語として成長することを確認し、インドやインドネシアなど、ひとつの国の中に多数の言語が用いられていることを確認した上で。

クイズその6。日本語の公用語はなんでしょう。そして、日本の国内には、いくつの言語が存在しているでしょう。

 正解は、「法律上に決められた公用語はなし。公用語として法的に決められてこなかったのは、日本語を使う社会であることが自明のこととされていたからです。標準語制定は明治政府の統治上の急務でしたが、日本語がこの国の言語として当然のこととされていました。(森有礼が英語を国家語とせよと主張したのは別として)
 教育用語としては日本語のみが初等教育から大学院教育まで用いられており、実質上の公用語となっています。

 裁判所用語としては、法律の規定があり、裁判では日本語を用い、日本語が通じない出廷者のためには、司法通訳をつけることになっています。
 国会使用言語(演説したり、質問するとき用いることが決められている言語)は、アイヌ語、日本語標準語、日本語琉球方言、この3言語です。

 日本国内にある言語は、アイヌ語と日本語のふたつです。ただし、現在アイヌ語を母語として家庭の中で話して育つ子どもがおらず、国内でも、カラフトなどでも絶滅危惧言語となっています。

 ここで、アイヌ語のユーカラ朗読やアイヌの歌のCDを聞かせます。日本の大切な言語文化のひとつであるアイヌ語ですが、このことばのひびきを聞いたことがない、という学生が大半なので。北海道に修学旅行で行ったときに、観光用のアイヌ村で歌を聞いた、という学生もたまにはいますが。

 現在、国内に、アイヌ語を母語として育つ子どもはおらず、アイヌ語は消滅危機言語のひとつとなっています。学習してアイヌ語を習得する人はわずかですが増えていますが、大事なのは、母語として家庭の中で話される言語として残る事なのです。

 アイヌ語を日本国の公用語として正式に決定しようという運動もあります。公用語とする、ということは、お札にもアイヌ語で価格を書き入れ、義務教育をアイヌ語でうけられ、裁判所や警察、役所でアイヌ語を使用してやりとりができる、ということです。賛成です。

 「公用語」の意味もわかっていないのに、「英語を日本の公用語に」と主張する人もいますが、「楽天が英語を社内公用語とする」というのと、「国の公用語にする」というのとでは、まったく意味が異なる、ということをわかってから言ってほしい。英語公用語化論には大反対。日本国の公用語とすべきなのは、アイヌ語です。

 世界の言語の中では、日本語は多くの点で、「平凡な言語」です。文法も発音もなんら他の言語から変わっていることはありません。一方、英語は、世界の言語の中で、変わり者の、特殊な言語のひとつです。
 しかし、日本語は、ふたつの点のみ、特殊だと言えます。ひとつは、「4種類の文字をすべて使って表記すること」と「1億人を超える話者を有する言語であるけれど、使用地域は日本国内に限られている」という点です。

 世界最大の話者数を誇る中国語。中国政府は、中国語の世界化を見通して、世界中に「孔子学院」という中国語学校を開設して中国語普及を図っています。中国政府が直轄の事業として、中国語を知る人を増やそうとしているのです。世界100ヶ国に300を超える学院が設置されています。

 一方、日本語は。「世界に日本語を広めよう」という公的な機関が国によっては設立されていません。3.11以後、がくんと留学生の数も減ってしまいました。日本語を知ってもらい、日本文化を広める、という事業は、国の発展にも資するはずなのですが。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「アボリジニアートの絵文字」

2012-07-27 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/27
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(3)アボリジニアートの絵文字

 日本人学生のための日本語学基礎の授業では、前半、語彙論、音声学、社会言語学などの基礎をざっと説明し、後半はグループ発表や個人発表をさせて、講師がそれを補足解説をするという方式で授業をすすめました。
 個人発表では、「四字熟語」「難読漢字」「方言」など、毎度おなじみの、学生にとって発表しやすいものもありましたが、なかには、私がよく知らなかったことを発表してくれる学生もいて、大いに興味を惹かれました。
 今期、大いに啓発を受けた学生発表。たとえば、アボリジニアートについて。

 昔、むかし修士課程でとった授業のひとつが文化人類学の授業で、アボリジニー文化の研究者に教わりました。また、アボリジニのスプリンター、キャシー・フリーマンの活躍、映画「裸足の1500マイル 兎よけのフェンス」や、エミリー・ウングワレー展でアボリジニーのすばらしいアートを見て以来、心ひかれてきました。
 しかし、アボリジニーは無文字社会であった、という西欧側から見たアボリジニー文化の解説を読むだけで、実際のところはどうだったのか、調べたことはなかったのです。

 オーストラリアでホームステイをしてきた学生のひとりが発表したのが、「アボリジニーアートの中の絵文字」でした。

 上段左:カンガルーの足跡、中:滝またはキャンプファイヤー、右:部族
 中段左:ブーメラン 中:槍
 下段: 男・女・子ども 全部をまとめて描くと「家族」を表します。


 abcの音素文字になれた西欧人の目には、アボリジニーの絵文字は、単にものの絵を省略化したものにしか見えず、それを文字とは認識できなかったのかもしれませんし、漢字が絵文字からさらに発達していったのに比べれば、「絵」から「象形文字」への移行が進まなかった、と見るべきなのかもしれません。
 しかし、文字の定義からみて、アボリジニーの伝承をきちんと伝える機能をはたし、アボリジニの文化や伝統を今日まで伝えてきた絵のかずかず、これは文字と考えてよいと思います。
 アボリジニーの社会には、音声と一対一に対応する音声文字は発達しなかったけれど、エジプトの象形文字や漢字の甲骨文字に匹敵するような絵文字が存在していた、と見なしてよいのではないか。

 アボリジニアートは、部族によって伝承が違うので、ひとつの絵柄が他の部族ではその意味には通じない、ということもあるでしょう。
 しかし、この絵文字を見る限りでは、たとえば、男と女と子どもを合わせて描けば「家族」の意味になるというのは、「日」と「月」とを合わせて書けば「明るい」という意味になる、漢字の会意文字のしくみと同じです。
 アボリジニーが伝承してきたアートの中に、文字と言ってよいものがあったこと、私は今まで知りませんでした。

 パラオ語の中の日本語、アボリジニアートのほか、学生発表から、興味をひかれ刺激を受けることも多々あります。学生の発表から知ること、学生に学ばせてもらうこと、こういう機会を多く与えられる教師は、ほんとうに退屈知らずで常に新しい刺激をもらえます。学生さまさま。
 近頃の学生の脳みそは「ザル頭」、なんて思っていてごめんなさい。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「パラオ語になった日本語」

2012-07-25 00:00:01 | 日本語教育
パラオ諸島
南端に位置するのがアンガウル島

2012/07/28
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(2)パラオ語になった日本語

 学生に「ツカミ」として出すクイズのひとつ。
 クイズ。世界の中で、日本語を公用語として決めている地域、国はあるでしょうか。あるとしたら、どこでしょうか。日本の公用語については、あとで述べますが、日本以外の地域を答えてください。
 学生は、ブラジルの日本移民が多い地域じゃないか、などと推理します。

 正解は。パラオ共和国アンガウル州。
 アンガウル島という小さな島で人口200人足らず。そのうち、日本語を話せるお年寄りは、現在ではほとんどいなくなりました。戦前、日本が委任統治をした太平洋諸島で日本語教育を受けた人々がいます。日本軍人や統治者から過酷な扱いを受け、日本を深く恨みに思う人が残された島も多い。その中で、日本語教育を受けたお年寄りを尊重し、州の公用語として法的に決めた島があるということは、おそらく、アンガウル州で日本語は、よいイメージを保って教えられたのだろうと、ほっとします。

 ここで、戦前戦後の日本語教育史をざっと解説するのですが、「日本が15年戦争をしていた間、アジアで侵略や過酷な占領政策を行った」、という話に深入りはできません。近代史は、明治維新から大正デモクラシーまでしか扱わなかった、という高校が多く(大学入試に現代史の出題が少ないから)、この話をし出したら、1学期かかっても終わらない 加害の歴史も含めて歴史の真実を追究し続けなければ、次の世代は育たない、というのが私の考え方ですが、被害の歴史は語りたがるのに、加害の歴史は子ども達に教えられてこなかったのは事実です。(私にとっては、太平洋戦争は「歴史」ではなく、「父と母の経験したこと」として身近でしたが、歴史として学んだのは、二度目の大学での「近代史」の授業でした。15年戦争という用語もこのとき初めて知りました。。15年戦争、という用語は、現在も学校教育の現場では用いられていません。)

 日本語を母語として愛していくためには、この国の歴史の真実を加害も被害も知ってこそだと思っています。国への偏った愛は愛ではない。一方的な賛美だけをよしとすることは、結局この国を貶めることになりかねない。真実を知ったうえでの日本語愛だと思っています。

 パラオ共和国アンガウル州の「日本語公用語」についても、小さな島ながら、世界の中で、日本語を公用語と定めた島があることの意義について話して終わります。しかし、それ以上、深入りしてはきませんでした。
 しかし今期、パラオの日本語について興味を持った学生が、さらに発展した発表をしてくれました。題して「パラオ語になった日本語」

 「パラオ語になった日本語」というタイトルのサイトがあり、パラオ語の中に外来語として残存した日本語があることを調べた学生の発表。他の学生にも印象に残る発表だったようです。

 アジア各地に残された日本語のうち、たとえば、インドネシア語には「ロームシャ」という日本語由来の外来語があり、労務者の意味だ、ということなどを学生に紹介してきたのですが、パラオ語になった日本語がどれほどあるのか、具体的に授業で取り扱ったことはありませんでした。

 パラオ諸島は、スペイン、ドイツの植民地となり、次いで日本が委任統治してきたので、パラオ語語彙の中にスペイン語由来の外来語、ドイツ語由来の外来語が混じっており、パラオ語外来語の中の25%が、日本語由来のことばです。

<日本語がそのまま通じる挨拶語>
・ヨロシク ・ アリガトウ ・コメン(ゴメンナサイ) ・マタアシタ(また明日)

<名詞>
・アナタ ・アメ(雨) ・アブラ(ガソリン) ・エモンカケ( ハンガー) 
・カツドー(活動=映画) ・ゴミ 
・サシミ ・シゴト(仕事) ・シューカン(習慣) ・ジャマ(邪魔) ・シンパイ(心配) ・スコウジョウ、ショーキ(飛行場) ・センセー(先生) ・センキョ(選挙)
・タンジョウビ(誕生日) ・チチバンド(ブラジャー) ・ツナミ(津波) ・デンキ(電気) ・デンワ(電話) ・トクベツ(特別) ・トーボー(逃亡)
・ニツケ(煮付け)
・バショ(場所) ・ベントー(弁当)
・ヤスミ(休み) ・ヤッコチャン(オウム) 

<動詞>
・アバレテ(怒っている) ・ツカレナオス(ビールを飲む) ・ツカレテ(疲れた)
・ハラウ(払う) ・バラス(バラバラにする) ・ワスレテ(忘れている)
(例文)「あなた、つかれて」=意味「あなた、つかれたでしょう。お疲れさん」

<形容詞>
・アジダイジョウブ(美味しい) ・アチュイネ(暑いね) ・オイスィー(美味しい) ・サビスィー(寂しい) ・サムイネ(寒いね) ・ヤサスィー(優しい) ・

<その他の表現>
・アッテル(お似合い) ・アリマス ・アタマサビテ、アタマホコリ(だめな状態) ・アタマグルグル(混乱している状態) ・イッショニ?(一緒に) 
・クダサイ ・ゼンゼンワカラナイ ・タメス(試着時など) ・ドーセ  ・チョットマッテクダサイ ・ショウガナイ ・モシモシ ・モンダイ(問題ない)
(例文)「あなた、ためす」=意味「どうぞ、ご試着ください」

 いかがでしょうか。現代日本語には、英語由来の外来語が多くなっているので、「ブラジャー」をブラジャー以外の用語で呼ぶ人はいないでしょう。パラオ語の中に「チチバンド」というブラジャーを表す日本語が残存していることなど、面白いなあと感じます。また、現代日本語では「映画」と言うものを、戦前の言い方で「活動」というのも、なにやらなつかしい感じ。

 学生発表によって、パラオ語の中のニホン語を確認することができました。

パラオ諸島の南端にあるアンガウル島

(パラオ観光局の写真から)
http://www.palau.or.jp/

<つづく>
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ぽかぽか春庭「学期末風鈴」

2012-07-24 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/24
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2012年前期(1)学期末風鈴

 前期の授業、最後の追い込みの週です。私立大2校は、最終発表や試験を終えて、あとは出席日数不足学生救済のための補講を残すのみ。成績つけはやっかいですが、とりあえず、授業は終えることができました。国立大2校は、金曜日は27日が最終授業、木曜日はすでに終わりました。

 木曜日19日の授業、朝の1コマで文法の試験を実施。2コマ目では、敬語の紹介と、最後の授業なので、楽しく思い出になることをしたいと思い、「風鈴作り」を実施しました。
 何年か前の学生にプレゼントした和ガラス(手作り吹きガラス)の風鈴が4個残っていたので、ダイソーで買い足して、今年も学生に「風鈴の下につける短冊に願い事を書く」という作業を課します。「授業定着のためのクラスアクティビティ」の一環です。

 日本語文法の復習としては、「~ように」「~たい」という文型の復習になります。「日本語がじょうずになりますように」とか、「富士山にのぼりたい」というような願い事を書いて、風鈴の下の短冊に書き、夏の間、窓辺にガラス風鈴を下げて「日本の夏の音色」を楽しんでもらおうという「日本文化体験」の授業でもあります。これまで日本語のノートは横書きで書いてきたので、最後に縦書きに挑戦、ということも学生にとっては「はじめての経験」です。

 学生たち一生けんめい、この4ヶ月の間に覚えた日本語を書き込みました。「あいうえお」の文字を覚えるところからはじめ、漢字の難しさにネを上げ、文法がはちゃめちゃになりながら、がんばりました。日本の中学生が3年間で覚える英語に相当する分量の日本語を4ヶ月で突っ込む、という猛烈な「新幹線授業」に耐えた学生たち。

 「はかせになれますように」「日本語で地理情報システムがじょうずになりますように」「金持ちになれますように」「せかいがへいわになりますように」「がいこうかんになれますように」
 この暑さもあって、ちょっとへばっていたところでしたから、ほんとうは日本語の敬語システムをしっかり教え込むという授業予定だったのですが、最後くらいは、遊びの要素もいれて、と、企画したアクティビティです。学生達の願いごとはさまざまでしたが、風鈴の願いが成就しますように。風鈴の音色が涼しさを運んできますように。

 風鈴の短冊に願い事を書いた日の午後は、4ヶ月の日本語学習の成果を発表するプレゼンテーションが行われました。

 ベトナムの大学の先生をしていたチェンさんは、人間の動作をコンピュータで解析し、その人間が危険な行動を取ろうとしていることを予知する研究について、発表しました。宝石店で客を装っていた強盗を撮したビデオがプロジェクターに映し出されました。客のふりをしている強盗が、他の客とどう異なる動きをしているのか分析すれば、今後、同じような動きをする強盗犯の行動を事前に予測でき、強奪を防げるのではないか、という行動認知分析です。これまで、「私の専門はコンピュータです」という自己紹介をしていたチェンさんですが、どのようにコンピュータを活用するのか、私にもようやくわかりました。

 「私はアーティストです」という自己紹介からプレゼンをはじめたサムさん。これまでイギリスや日本で展示されたインスタレーション作品について発表したサムさん。この秋にも日本で展覧会を開くとのこと。「古い家具を分解してその材料で再構成した家を燃やす」というインスタレーション作品、家が燃えていく炎が、何か暗示的でした。これからも傑作を生み出して欲しいです。

 ミャンマーの土地利用を研究するアウンさん。
 アフリカに日本のすぐれたスポーツ科学を導入したいというグェィさん。 
 それぞれ、有意義な発表となりました。

 このところ、老化をなげくばかりで、学期のおわりに少々くたびれてきていた春庭、学生達の意欲溢れる発表を聞いて、まだまだ私もがんばらなければ、と、元気をもらいました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「老いの繰り言」

2012-07-22 12:00:00 | エッセイ、コラム
2012/07/22
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(4)老いの繰り言

 姑は、「ケンコーおたく」でした。そのときそのときでマイブームは変わるものの、健康にいいことは、ドクダミ茶、桑の葉茶、玉葱茶、カスピ海ヨーグルト、なんでも試してきて、健康自慢でした。
 今年になって、少し衰えが見えてきたとはいえ、87歳にしては気丈だなと思っていたのですが、気力だけではこの夏を乗り越えることができそうになく、急激に弱くなりました。
 私の体など、姑に比べたらあちこち不調だらけ、姑より先に弱るかと思っていたのですが、この夏は「老老介護」に励むことになりそうです。

 姑は、これまで童謡を歌う会やら詩吟の会やらへ出かけ、体操教室に出かけてきました。87歳の誕生日を祝い、米寿まで元気にいたいと張り切っていたのに、そのあと「食事を作るのも、買い物に出かけるのもめんどうになった」と言いだし、「要支援1」という認定を受けたのです。87歳で初の要支援なのですから、70代でも介護5,6という方に比べればよほど気丈なひとり暮らしだったのですけれど、やはり「寄る年波」は寄ってくる。
 
 認定を受け、デイケアセンターが利用できることになりました。土曜日はバスが自宅前まで迎えに来てくれて、デイケアセンターで「体操」をするのをとても楽しみにしていて、「体操をすると元気がでる」と言っていました。まだまだ気持ちは元気でいる、ということはわかるのですが、いかんせん、足腰の弱り脳血流の衰えが日常生活を疎外しています。毎週歯医者や病院検査にひとりで通っていたのにも、付き添いが必要だと言うことになりました。

 今週の木曜日、娘がつきそっての病院への行き帰りでも、「向かいから来たベビーカーをよけ損ねて、転びそうになった」と、娘の報告。娘は、ベビーカーの通行をさまたげてしまったと思って「私が、すみませんってあやまったら、ベビーカーのお母さんは、あら、どうぞお気遣い無くって笑って言ってくれた」と言ったのですが、私はそれは違うんじゃない、と思いました。ベビーカーのお母さんは、「老人連れのふたりが私のベビーカーをよけて歩いて当然」と、感じたいるから「お気遣い無く」という発言になったのでしょう。

 私たちの世代が子連れで外出するとき、ベビーカーは通行のジャマだと扱われて、電車に乗せることはできませんでした。外出時、歩けない子はおんぶして、歩ける子は手をひくのが街を通行するスタイルでした。
 近年は、ベビーカーでの電車やバス乗車がおおっぴらに認められるようになり、子育て支援の要請をしてきた私たちの主張がやっと認められたのだと、うれしく思います。
 しかし、それを当然と心得る若いお母さんは、ベビーカーが進行するときは、歩行者はよけてくれるものと勘違いしています。

 ベビーカーが通行するときは、「そこのけ、そこのけ、赤ちゃんが通る」と、押し通ってはいけないと思います。前方にお年寄りがいたら、ベビーカーのほうが通行に気をつかうのが当然だ、と、昔モノの私は感じるのです。お年寄りが向かいから来たら、ベビーカーのほうが、立ち止まるかお年寄りをよけるかすべきだ、と思ってしまったのですが、これも「老いの繰り言」なのでしょう。

 ともあれ、この夏、妹一家に混ぜてもらって行くことにしていた「清里高原野外バレエ鑑賞旅行」の3泊4日の旅もキャンセルしました。前期いっしょうけんめい働いた、ごほうびのつもりで楽しみにしていたのですが、自分へのごほうびよりも、日常生活が不自由になった姑をなんとかしなければなりません。

 煮付けの味から窓ガラスの拭き方まで「家風」をヨメにたたき込もうとする姑の話とか、孫を「我家のあととり」と思い込み、ヨメの子育てにいちいち口を出す姑の話とか、いろんな嫁姑の愚痴を方々で聞いてきたので、私の暮らし方にいっさい口を出さなかった姑に感謝しているし、舅なきあと一人で暮らしで生きてきた姑を偉いと思って来ました。

 これまで私が働いてこれたのも、姑が元気に一人暮らししていてくれたおかげですけれど、これからも働き続けなければならない中、老老介護となるこれからの生活をどう組み立てていったらいいのか、思案中。娘がおばあちゃんの世話をよくしてくれることに頼っていくことになりそうです。

 友人達、みな第一線を退き、ゆうゆう年金暮らしに入ったのに、働かなければ食べていけない私の老後もたいへんと思ってきましたが、さらに困難が山積みとは。
 老いの繰り言を並べ立てても解決しないのですが、繰り言続けています。

横浜中華街の春節まつり。中国踊りのかぶりものをつけた姑と私

  2011年の姑の誕生日祝いに、中華街で食事したときの記念写真です。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「老いの美学・日本語の美」

2012-07-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


2012/07/21
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(3)老いの美学・日本語の美

 怒鳴門さんが長年住んできた住まいは、北区西ヶ原にあります。1974年から40年近く住むこの部屋の一番いいところは、窓から旧古河庭園の緑が見下ろせること。

 2008年に日本国文化勲章を受けた怒鳴門さん。その2年前、2006年に名誉北区民になっています。名誉区民受諾の記念講演で、冗談ですが、「北区のためなら死んでもいい」と発言したそうです。
 2011年までの名はDonald・ Lawrence・Keene。2012年3月8日、法務省は、アメリカ人Donald・ L・Keeneさんが、日本国籍を取得し「キーン・ドナルド」となった、と発表しました。

 キーンさんは、学生時代に『源氏物語』英語翻訳に触れて日本文化に興味を持ち、太平洋戦争中に「日本語翻訳通訳をこなす将校」として日本語を習得しました。日本文学日本文化研究を続けてきたキーンさん。コロンビア大学で長年教鞭をとり、「日本学」の研究者を育ててきました。昨年4月に退官し、現在は名誉教授です。日本で生まれ育った人よりも日本文化に造詣深く、多くの著作で西欧社会に日本文化日本文学の紹介を続けてきました。

若かりし日のドナルド・キーン「青い眼の太郎冠者」


 名前を漢字表記する時は、鬼怒鳴門にするそうで、これは愛して止まない地名、鬼怒川と鳴門を合成して作った「雅号」だそうです。
 ご本人は「人を笑わせるときに使う」と話していますが、この「鬼怒鳴門」という漢字の組み合わせ、「暴走族が背中に刺繍を入れるような字面」として、ネットで話題になりました。「夜露死苦よろしく」と同じような発想と思われたのです。古事記、万葉集、源氏物語、方丈記などを深く研究してきた先生ですから、万葉仮名、変体仮名、漢詩までたくさんの字を知った上でのこの漢字選択。いやあ、ジャパノロジー、奥が深い。日本研究、どこまで行っても奥の細道。

 4月に、北区の赤レンガ図書館を紹介しましたが、2008年の図書館オープンとともに「名誉区民ドナルドキーン文庫」が設立され、今回の国籍取得で、この文庫をさらに充実させていくそうです。

 キーンさんの著作、全部ではありませんが、興味の持てる本は読んできました。一番好きな著作は『百代の過客』1884朝日選書です。最近は『日本語の美』を再読しました。キーンさんが英語で書き、翻訳者が日本語にした著作が多い中、『日本語の美』は、キーンさんが自分自身で最初から日本語で書いたエッセイです。研究論文とはことなる気軽な随筆ですが、日本文学を長年研究した中からこぼれ出てくる日本語への愛が感じられます。

 日本国籍取得が発表されて以来、北区の住まいに腰を落ち着かせるヒマもないくらい、全国で講演活動を行っているキーンさん。専門の日本文学に関してだけでなく、国際交流であるとか、歴史だとか、ちょっとでも関わりがありそうなテーマで、なんとかキーンさんを講演者として招きたい団体やら大学がひきもきらず、全部をこなしていたら、大好きな和食をゆっくり食べている間もないのではないかと心配になります。
 なにせ1922年生まれ。今年6月10日には満90歳。
 日本人ドナルドキーンさん、これからもお元気で活躍されますように。

旧古河庭園での鬼怒鳴門近影(飛鳥山博物館「ドナルドキーン展」チラシ)                

<つづく>
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ぽかぽか春庭「老人の肖像」

2012-07-20 00:00:01 | アート
2012/07/20
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(2)老人の肖像

 オランダのマウリッツハイス王立美術館が2012年4月から2年間改修拡張工事となり、閉館している間、所蔵絵画が他の美術館に貸し出されます。

 東京都美術館のリニューアルオープン。目玉はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。そのほか、フェルメール、レンブラント、ルーベンスなど、マウリッツハイス美術館の有名所蔵品がリニューアルオープンの目玉として東京都美術館で公開されるというので、なんとか招待券を手に入れようとしたのですが、だめ。ミサイルママが、一人5枚まで区の市民サービスで格安チケットを購入できるというので、私の分もいっしょに買ってもらいました。一般1600円のところ、半額です。

 仕事が終わってから、「少女」に会いに出かけました。平日というのに、まず美術館に入るまでに60分待ち。

 きっと絵の前は「人、黒山をなす」で、背の低い私は遠くから人の頭ごしにしか見られないだろうと覚悟して、それでも一目、見つめ合えるかも、と「少女」の部屋にいきました。他の絵はぜんぶすっとばして3階へ。
 最初はものすごい人混みにもまれながら30分並びました。最前列で見るための列です。「立ち止まらないでください」という係員にせかされて、絵の前最前列を10秒で通り過ぎる「通過鑑賞」
 つぎに立ち止まっていてもいい2列目での鑑賞をねらう。黒山の中、じりじりと前に進んで2列目に並び、30分くらい立って見ていました。
 「きれいだねぇ」としゃべりあう二人連れ。少女が頭に巻いている青いターバンの色について、連れの女性に蘊蓄並べる「油絵ちょっとかじりました男」の弁舌。いろんなおしゃべりを聞きながら、少女と見つめ合いました。
 
 5時半閉館、5時に入場締め切り、というので、入場締め切り後、もう人が入ってこない時間がチャンスと見て、館内で待っていました。2度目は比較的すいて、1度目よりはゆっくり見ていられました。今度は最初に30分2列目に陣取って見て、最後にもう列に並ぶ人がいなくなってから、何度も列について、ぐるぐる通過鑑賞。

 本物の「少女」は、とても魅力的でした。最近の図版は印刷技術がとてもいいので、版画などは本物もコピーも区別がつかないこともあるのですが、この「少女」の青いターバンや光る真珠、そしてあの蠱惑的な瞳は、図版とは比べものにならないくらい良かったです。。本物を見ることができてうれしい。

 そのほかのフェルメール、2008年に東京都美術館のフェルメール展で見たことのある『ディアナとニンフたち』にも再会できました。2008年に東京都美術館で見たフェルメール。「ディアナとニンフたち」のほか、『マリアとマルタの家のキリスト』『小路』『ワイングラスを持つ娘』『リュートを調弦する女』『手紙を書く婦人と召使』『ヴァージナルの前に座る若い女』を見ることができたのですが、このときは「真珠の耳飾りの少女」は来日しませんでしたから、今回の展覧会を楽しみにしていました。
 スカーレット・ヨハンソンが少女を演じた映画もとてもよかった、ということもあります。

 会場出口の外は絵はがきや複製画、図録などの売り場、その外側に「少女の服」が展示されていました。
 今回、展覧会のプロモーションで武井咲が少女のイメージキャラクターを演じています。『真珠の首飾りの少女』の絵は上半身だけなので、下半身のスカートについては、当時の女性の衣裳を文献資料で調べ上げ、布地やデザインなどを考証して作ったのだそうです。文化服装学園の学生達が一ヶ月がかりで手縫いで縫い上げたという衣裳も展示されていて、ていねいな仕事でした。

フェルメールの少女に扮した武井咲

文化服装学園の学生が縫った衣裳を着ています

 レンブラントやルーベンスもよい作品が展示されていて、充実していました。会期中、夏休みにもう一度行きたいと思っています。今回は、「少女」に会うのが主な目的だったので、他の作品はささっと駆け足鑑賞になってしまったので、もういちど、ゆっくり見られそうな日を選んで。

 レンブラントの最晩年の自画像と並んで、『老人の肖像Portrait of an Old Man』が印象深かったです。1667年、レンブラントの最後の日々にに描かれた油彩です。
 老人は、衣服から見ると、裕福な環境で人生を過ごしたことが見てとれます。肘掛け椅子にゆったり座り、シャツは襟元を開け広げてくつろいでいます。満足のいく人生を写し取らせて子々孫々に残そうとしてレンブラントに肖像を依頼したのでしょう。


 でっぷりとした上半身は、お金持ちらしい風貌で、17世紀のオランダということを考えると、東インド会社などの東洋貿易で大もうけしたひとかもしれません。
 しかし、レンブラントの筆致は、このお金持ちの老人の別な面も映し出しているような気がします。
 人生の成功者なのかもしれないのに、なぜか悲しげにも見えるのです。お金は得ても、愛のない人生だったのかも知れません。あるいは、愛する人に先立たれた人なのかもしれません。
 老いていくことそのものを悲しんでいるのかもしれません。いずれにせよ、この老人は幸福そうではないと思えるのです。

 晩年のレンブラントは妻に先立たれた後、家政婦や女中との愛憎関係がもつれ、裁判沙汰忍なるし、作品の完成度をめざすあまり、金持ちからの肖像画依頼がなくなって無一文になるし、不幸続きでした。「老人の肖像」には、そんな人生最後の悲しみが描き込められているように思います。
 最愛の妻が眠る墓地まで売らなければならないほど逼迫したレンブラント。さらには息子まで先立ってしまい、老いの悲しみの中に人生を終えなければなりませんでした。

 だれも、幸福で満ち足りた晩年をおくりたいと願い、人生の最後のときをおだやかにやすらいで迎えたいと思っています。
 「老人の肖像」は、そんな願いとは異なるレンブラントの「これが老人の現実なのだ」というため息が絵の具となって塗り込められているように感じました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「らくらく」

2012-07-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/07/18
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(1)らくらく

 前から娘に「母は、ケータイ操作がわからないんだから、こっちにしたほうがいいよ」と言われていたのだけれど、「らくらくホン」というのが、「老人向け」として宣伝されていたのを見て、まだ、「老人向け商品に頼らなくてもやっていける」という見栄で、古いのを使い続けてきました。2007年に機種変更した「海外でも使えるケータイ」というケータイ。メールが打ちにくいので緊急連絡用電話として使ってきただけで、メールはほとんどパソコンメールを使っていました。

 ところが、先週、電車の中で、足にぽたぽた水が落ちてくるので、あれっと思ったら、カバンの中に入れておいた「富士の天然水」というペットボトルのフタがきちんと締めて無くて、水がカバンにこぼれていたのでした。そのときはキオスクで買った文庫本、まだ読み終わっていなかったので、本の表紙の水を拭き取るの気を取られて、カバンの奥のケータイはほったらかし。

 家に帰ってみたら、ケータイは電源が入らない状態になっていました。
 土曜日、しかたなく、池袋のドコモショップで娘のすすめる「らくらくホン」に変えました。かろうじて、前のケータイから電話帳だけは取り出してもらいました。何件もないアドレスですが。
 今度のケータイ、メールの文字が大きいし、機能もほんとロージン向けで使いやすい。

 アンチエイジングばやりの今日この頃、顔や髪などの老化については「しわは年輪、白髪は人生の勲章」と言っているのに、脳年齢は若いつもりで見栄はっていたのが、脳もローカの一途をたどっているのだと自覚されました。


 家族割りだと安くなる、というセールストークにノセられて、娘のも機種変更。アイフォン、ディズニー仕様に。かわいらしいデコケースも買いました。私のは何もかわいらしくないので、ペンギンのシールを貼り付けました。
 私が一番ほしかった機能は、ケータイが見当たらないとき、ケータイが自分で「ワタシは、ここよ」と主張する、というものなのですがそれはついていない。手を3回たたくと、返事する、というケータイもあるらしいのですが。まあ、家の中でなくさなければいいのですが、どういうわけか、私の鍵とケータイと財布は、かくれんぼが大好きです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平成ギャル語」

2012-07-17 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/17
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>未来日本語訳(3)平成ギャル語

 私は、毎年「社会言語学」の学習項目として、「いまどきの若者言葉」調査と発表を課題のひとつにしています。私の若者用語収集は、おもに、この発表によっています。学生の報告はすぐに古びるので、去年収集した語はもう廃れている可能性があります。
  2012年6月に学生が発表した「最新合コン用語」というのも、2011年11月雑誌「FINEBOYS 」などに記載された用例が中心ですから、2012年にはもう廃れているかもしれません。少しだけ紹介します。ちなみに、「合コン」は「(男女)合同コンパニー」の略で、コンパニーはカンパニーと同じ。「交際、仲間、組合」の意。

<合コン用語>
・お持ち帰り=合コン後、意気投合していっしょに帰り、すぐにベッドインすること。
・モンスターハンター=ブスをお持ち帰りすること。
・コロンブス=遠くからやってきたブスのこと。
・デジャブス=合コンで二度会ってしまったブスのこと。
・ヤリモク=異性と体の関係をもつためだけに合コン等に参加すること、またはその人。
・個人プレー=好みの異性だけにアプローチすること。(合コンにおいては、個人プレーが過ぎると嫌われて次には声がかからない、のですと。)
・Tサミット=合コンに参加している女性が、トイレで男性の評価を確認し合い、だれがだれにアピールするか、暗黙の了解を得て決めること。

 本日は、平成ギャル語を紹介します。ただし、平成もすでに四半世紀がすぎたので、最新版でないギャル語がまじっていると思いますが。 
 以下、春庭が集めた若者語による「会話シナリオ」。少々古い語も混じっています。A子とB子の会話です。理解できなくてもいっこうにさしつかえありません。数年後には使われなくなる語がほとんどですから。

A)ちゃけば、あの、ロンチャに1キュンしちゃった。おかわ。二ケツしてーなぁ。
B)きもっ!沼じゃん。A-BOYぢゃね?ナルかも。
A)うん、Mっぽいとこがいいじゃん。カミってるよ。ハアハア。
B)マジっすかあ。そういうこと言ってっと、アブいよ。
A)次のイベサー、連れてこっかな。テヘッペロ。
B)うざっ!意味プー。
A)アド変したからってアピっとこ。高まるぅ。吐きそう。
B)それ、受けピー。てんぱってんね。カンペキ-。
A)オトコモチのあんたにゃ言われたくネー
B)いいけどぉ、イベサーでソッコー打って、エンドってかんじ。
A)ま、このことには、しゃしゃるなって。
B)素でっか。もうダメぽ。
A)否てりません。ビバ自分。あげぽよ。
B)へいへい。相手がポニョペチャラーマニアだといいね。
A)マブダチの言うことかよ、それ。じゃ、ドロン。

標準語訳
A)打ち明けた話をすれば、あの茶色に染めた髪が長い人に一目惚れしてしまいました。かわいいです。いっしょにオートバイなどに乗りたいです。
B)気持ち悪いです。顔がよくありません。(池メンの反対→沼)あの人は、秋葉原系の人じゃありませんか。ナルシストかもしれません。
A)うん、いじめられるのが好きそうなところがいいです。神がかっているくらいいいです。欲情します。
B)本当ですか。そういうことを言っていると、危険ですよ。
A)次のイベントサークルに連れていこうかな。ちょっと照れています。
B)うっとうしい。意味不明です。
A)メールアドレスを変更したから、アピールしておきます。テンションがあがります。吐きそうなくらい感情が高まっています。
B)それは、面白くて、笑えます。完全にあせっていますね。
A)カレシがいるあなたに言われたくないです。
B)いいですけれど、イベントサークルですぐにエッチして、おしまいって感じです。
A)このことに関しては、出しゃばらないでください。
B)本気でまじめに言っていますか。もうついていけません。
A)否定しません。自分が最高です。気分高揚です。
B)わかりました。相手の好みが、太っていて胸がぺちゃんこな子だといいですね。
A)親友の言うことですか、それ。では、さよなら。

 このような若者ことば、受け入れがたいという方もいらっしゃいましょうが、女子高校生同士、女子大生同士でこんな会話をしていても、大目に見てやってください。彼らも就活に入る頃には、「敬語の使い方」なんて本を読むようになり、会社員として何年かたつと、すでに自分たちには理解出来なくなった女子高校生用語の会話を聞いて「なに、あれ、日本語のつもり?」「まったく、近頃の女子高校生って、何考えているんやら」と、目くじら立てるようになります。

 現在の状況から確実に言えることは、今10代20代の彼ら彼女らは、近代文章語(現在、新聞や雑誌で使われている文体)を理解しないまま大人になっていくであろう、ということです。文章語を理解出来ずに,本が読めるのかって心配しなくてもいい。彼ら彼女らは、学校の授業以外の場で本を読まない。
 よって、100年後には、私たちが文語文を読んで理解出来ないように、彼らは現代文章語を読んでも理解出来ないでしょう。そして、新たな言文一致運動を起こすようになるでしょう。

 その結果、どんな文章ができあがるのか、わかりませんが、「22世紀日本語訳」のマンガとして電子ブック掲載されるでしょう。ただし、22世紀に日本語を話す国民が残っているとして。

 どのように変化するにしても、現代日本語の特徴はどうなるのか。

1)発音は、開音節 C+V(子音+母音)Kaか、Taた、Saさ、など。 C+hV(子音+半母音)Kya,Cha,Byaなど。C(子音)(「ん」のみ)。1音節1モーラ。

2)語順はSOV。「猫は 鼠を 食べる」
 (世界中の言語の中では、英語などのSVO型「猫、食べる 鼠」の語順は少数派。日本語は多数派に属している。ただし、話者人口でいうと、中国語13億人、英語公用語話者10億人いるので、SVOの語が話者数が最も多くなる)

3)修飾語→被修飾語、の順。
 例:青い空。フランス語やスワヒリ語は、被修飾語→修飾語の順で、「空青い」になる。
 
4)名詞に機能語(助詞)が付属して文法的な役割を決める膠着語である。
 世界の主要言語のなかで、膠着語は、日本語のほか、韓国朝鮮語、トルコ語、モンゴル語、ウズベク語、、フィンランド語、ハンガリー語、タミル語、エスペラント語など。
 (春庭は、エスペラント語を世界標準語とする案に賛成します)

5)文章語は、平仮名カタカナ漢字の交ぜ書き。
 (2種類以上の文字を混ぜて表記するという書き方を採用しているのは、世界では少数派。世界の主要な言語の中では日本語のみ)

6)外のグループに対して、内のグループメンバーには尊敬語を用いない待遇表現。例:他社の人に向かって「申し訳ございませんが、我が社の社長は、少々遅れて参ります。あ、もちろん御社の課長さんが遅れていらっしゃることは、社長も承知しております」
 (朝鮮韓国語は、ウチのグループであっても、目上年上の人には必ず敬語を用いる。例:生徒が先生に向かって「今日の保護者会ですが、私のお母様は少々遅れていらっしゃいます」)

などの特徴は保たれるのでしょうか。

 南方諸島の開音節、北方からとりいれたと見られる高低アクセントや母音調和。SOVのアルタイ型膠着語。
 さまざまな特徴が混じり合ってできたクレオール語(諸語の混淆型言語)が日本語の先祖なのだ、と言われていますが、日本語成立後もさまざまな変化が起こりました。

 「ゐゑを」の発音が「いえお」の発音と同じになったのは平安時代以前ですが、鎌倉室町期には「じぢ」「ずづ」の発音が同じになるという変化があり、江戸時代には「ぢ、づ」の発音が消え、現在では地方にわずかにこの発音が残存するのみ。「を→お」「くゎ→か」などの変化も、地方語には発音が残っていますが、標準語にはありません。

 文法的な変化では、係結びが消えてしまったり、300年ほど前からの変化では、五段動詞の可能形が「読まれる→よめる」と変わり、つい最近の変化では一段動詞の可能形が「見られる→見れる」と変化しました。
 形容詞の感嘆形というのも成立途上で、すごっ!やすっ!というような表現が若者には定着しています。あと20年で気の早い辞書には搭載され、50年たつと、日本語教科書にも載るでしょう。日本語教科書というのは、一番保守的です。

 そのほかたくさんの変化があったけれど、1~6の基本的な言語特徴は保たれてきました。これからも大きな変化があるでしょう。変化しつつも生き残っていってほしいです。

 なにせ、日本語がこの国の母語であり、世界の中に日本語を習いたいっていう若者がいるから、私は食べていけるんです。日本語なくなったら、おまんま食いあげ。そいつはたいへん。みなさん、日本語を捨てないでください。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ギャル語訳『春はあけぼの』」

2012-07-15 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>未来日本語(2)ギャル語訳『春はあけぼの』

 現在私たちがつかっていることばの大半が、何年か前、何十年か前、何百年かまえには、その時代の年寄り達が「とうてい受け入れらぬ」と拒絶していた「新語」なのです。
 まあ、年寄りの楽しみとしては、どの語が将来の日本語として残るのか、それを見極めることくらいでしょうか。

 なんでも賭け事にするロンドンブックメーカーでは、すでに「将来の日本語」のオッズなんぞが決められているのかも。「2200年、日本語の使用者は、数家族。この家族の一員に選ばれると、伝統芸能保持者として日本語朗読の家業をつがなければならない。他の日本人は全員英語を使用」という未来、オッズはいくつかしら、なんてね。

 日本語そのものが残るかどうかという瀬戸際ですが、各地方言はというと、すでにレッドゾーンに来ている地方語もある。
 標準語の普及によって、各地で純粋方言を話す若者はいなくなり、新たに「新方言」が生まれているという調査は、井上史雄らによって報告されています。
 また、「なんちゃってホーゲン」「方言コスプレ」として、いろんな地域の方言をおもしろおかしくとりまぜながら、若者言葉にしていっている、という現象もあります。

 ともあれ、各地の言語文化、方言も私たちの大切な「文化遺産」だ、という春庭の講義を受けた地方出身の学生は、にわかに方言のおもしろさにめざめ、演習発表で「方言訳古典」を披露しました。
 以下、新潟弁訳の「春はあけぼの」です。(2012年6月の授業での新潟出身の学生が発表したものですが、彼自身の訳ではなく、方言変換サイトがあるのだそうです)

春は朝げ。だんだんしーろなってくる山のてっこ、ちっと明ーるなって、紫みとーの雲が ほーそくたなびいてるがん

 では、以下、春庭の超翻訳。
 21世紀ギャル語風訳の「枕草子・春はあけぼの」と、元ヤン風訳の「夏目漱石・我が輩は猫である」。
 春庭訳は、あまり面白くない。春庭は、20世紀近代教養主義の中で生い育ちましたので、そうはぶっとべない。22世紀には、もっとぶっ飛んだ日本語になっているだろと思いますが、21世紀ギャル語の「春はあけぼの」の試み。

ギャル語「春はあけぼの」
 春ってゆーかー、アケボノがよくなくなくね?つーかさ、なにげに白っぽくなってくみたいなー山際とかー、ちっと明るくなってぇ。でさー、紫っぽくなった雲が細くなって超たなびいてるのとかあ、ありえなくね?超ウケルー。

ルー語&スギちゃん風「夏は夜」
 へい、ユー、サマーはナイトだぜぃ!ムーンナイトはオフコース。ダークナイトは、モアテンションあげあげぇ。ほ、ほ、ほたるがフライアンドフライ。ワン オア ツーが、ツイートしながら光ってるぜぃ、ワイルドだぜぃ。雨なんかふるっつうのも、ワイルドだぜぇ。 

元ヤンキー風「我が輩は猫である」
 ジブン、ネコッす。なまえってか、まだねーよ。どこでシャバに出たかとかシカトっす。何かこう、うすっくれぇジメーっとしたとこでニャーニャー泣いてた事だけのこってるっす。ジブン、ここでショッパナ、人間にガンつけたんっすけど、あとで聞くとそいつら、セイガクっつう人間中で超カスなヤツラだったつうか、このセイガクっつうのは、時々ジブンらをつかまえて煮て食うらしっす。オィーッス。喧嘩上等。

 こうなると英語のほうがわかりやすい、というお方も出てくると思うので、参考までに。

春アケその1 In spring it is the dawn that is most beautiful. As the light creeps over the hills, their outlines are dyed a faint red and wisps of purplish cloud trail over them. (Ivan Morris)

春アケその2 In spring, at dawn, the dark mass of the mountain lightens little by little at the edge and slowly the blue mists float away. How lovely. (Nobuko Kobayashi)

猫その1 I am a cat. As yet I have no name. I've no idea where I was born. All I remember is that I was miaowing in a dampish dark place when, for the first time, I saw a human being.


 ここで言っておきたいのは、猫が「我が輩」と自称するニュアンスは、「I am a cat.」という訳では永遠に出ない、ということ。日本語は日本語なので。
 I am a cat.では「私は猫です」という意味しかない。まだしも「ジブン、猫っす」のほうが、猫ごときが「我が輩」を自称としている虚勢を出していると思うが如何。

 最後に、1978年に出た、橋本治の「桃尻語訳枕草子」から。もはや、以下の訳そのものが古典です。

春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!

夏は夜よね。月の夜はモチロン!闇夜もねエ・・・・・・。
蛍がいっぱい飛びかってるの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりボーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。

秋は夕暮れね。
 夕日がさして山の端にすごーく近くなったとこにさ、鳥が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛び急いでくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵!日が沈みきっちゃって、風の音や虫の音なんか、もう・・・たまんないわねッ!

冬はつとめて(早朝)よ。雪が降ったのなんか、たまんないわ!
霜がすんごく白いのも。
あと、そうじゃなくっても、すっごく寒いんで火なんか急いでおこして、炭の火持って歩いてくのも、すっごく”らしい”の。
昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばかりになって、ダサイのッ!


 平成ギャル語訳に比べれば、桃尻語訳のなんと典雅で格調高いとおもわれるのではないでしょうか。

 ギャル語でも方言でもいい。日本語、生き延びてほしいです。
 小生、完爾として22世紀の日本語を待ち、あまんじて其を受容するに忍びがたきをしのび、耐え難きを耐えんとす。敬具。
 はは、22世紀には生きちゃいないが。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「平成若者語」

2012-07-14 00:00:01 | 日本語教育
2012/07/14
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>未来日本語訳(1)平成ギャル語

 7月7日の春庭「明治の語彙(2)」で、永井荷風の「書かでもの記」から引用しました。
 「身をせめて深く懺悔(ざんげ)するといふにもあらず、唯臆面(おくめん)もなく身の耻とすべきことどもみだりに書きしるして、或時は閲歴を語ると号し、或時は思出をつづるなんぞと称(とな)へて文を売り酒沽(か)ふ道に馴れしより、われ既にわが身の上の事としいへば、古き日記のきれはしと共に、尺八吹きける十六、七のむかしより、近くは三味線けいこに築地(つきじ)へ通ひしことまでも、何のかのと歯の浮くやうな小理窟つけて物になしたるほどなれば、今となりてはほとほと書くべきことも尽き果てたり

 標準語(近代口語)言文一致後の文章語によって、春庭が稚拙ながら現代文章語訳を試みますれば、以下のような意味になります。
 「自分自身の身の上をせめて懺悔(ざんげ)するというほどのことでもなく、おくめんもなく身の恥とすべきことなどもやたらに書き散らして、ある時は来し方の履歴を語ると言い、ある時には過ぎた日々の思い出を書く、などと言って文章を金に換え、酒を買う生き方に慣れてしまって以来、私は、すでに自分の身の上のことを古い日記の書き残し、尺八を習って吹いていた十六歳十七歳の昔のことから、最近は三味線のけいこに築地へ通っていることまで、何でもかんでも、歯の浮くような小理屈をつけて、もっともらしい文に仕立て上げてきたのだけれど、今となっては、もう書くべき事も尽き果てました」

 この文をさらに、「未来口語訳」として、以下のごとく戯れの文にしました。
 「つうか、うちらのボディ、なにげにイクスキューズしちゃうってゆーか、はずいのパネェけど、やっぱ、テキトー書いて、キャリアっぽいこととかさぁ、チューボーんときのこととか?ウリやっちゃてクスリとかって買うのになれたかんね。(略)つうか、めんどい。もう、書くことねーし。」

 この「ギャル語訳」に、以下のようなコメントをいただきました。(byナタリー 2012-07-07 17:54:22 )
>まずは、未来口語翻訳がなされていることに驚きました。
 次には、その言葉が「口語」であると言うことを恐れました
 これが口語にはならないと信じたいですね。

 春庭の回答コメントは以下の通り
ナタリーさん (春庭) 2012-07-08 14:46:09
 この「未来口語訳」は、春庭が「現在、女子高校生(JK)や大学生がしゃべっている会話」をアレンジした自作の翻訳です。
 大学生に言わせると、「先生のギャル語は古い」ってことになり、現実のギャル語会話はもっとすんごいことになっているんじゃないかと想像しています。

 一般的な文章を今流行の話し方に変換する遊びは、橋本治の『桃尻語訳 枕草子』以来、何度となくさまざまなバージョンが出ています。

 今回芥川賞候補になった舞城王太郎の『阿修羅ガール』も、イマドキの女子高生の語り口を文体に採用して話題になりました。

 冒頭は、
「減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。返せ。」
 「気持ちよくねえよ。いくねえよ。声なんか出ねえよ。出てもおめえに聞かせる声なんてねぇんだよ。入れて欲しくねぇんだよ。おめえのチビチンポなんて入れて欲しくもなんともねぇんだよ」と、続きます。

 いーですねぇ、このはっちゃけぶり。
 とは言え、阿修羅ガールは2003年の作ですから、10年前の女子高校生です。2012年のJK口語がどのようになっているか、最新JK口語文学を読んでみたいものです。

 さて、ナタリーさんが、
>これが口語にはならないと信じたいですね。

と、おっしゃる気持ちはわかりますが、私は、すでに口語になっているしゃべり方を採用したのであって、50年後には、これが通常のしゃべり方になっているだろうと思います。

 現在の私たちのしゃべり方は、「江戸期、山の手口語」に各種とりまぜた「近代言文一致口語」によってしゃべることになっていますが、平安時代の清少納言に言わせれば、どんでもない低レベルの日本語であり、「こんなしゃべり方をするなんて、世も末」と、怒りまくるにちがいない。

 近代文章語(今、私が読み書きしている日本語)は、あと50年は、文章世界では「書き言葉」として命脈を保つことでしょう。そして、50年たつうちには、新たな「言文一致」運動がはじまり、100年後には、上記の「ギャル語文章」が「正しく美しい日本語」とされるのです。

 では、阿修羅ガール語を、もうちょっと紹介します。三島由紀夫賞を受けた、舞城の出世作です。春庭の「いいかげんなギャル語訳」とちがって、ちゃんと文学賞を受けたギャル語ですので。

<『阿修羅ガール』より>
 私の素早い応戦にもマキが怯んだ様子はちっともなかったが、剣道とテニスで鍛えた私のムチムチの右足のスーパーキックがわりと効いたらしくて「いってーなこのビッチ~」とか言って足をさすってて、私はすかさず「うっせーなおめーに何の関係があんだよ!」と言いながら私はマキの頭を上からぐいと押さえ込んで体重乗せて屈ませてそこに右の膝を思い切り上げてうつぶせたマキの顔にガツン!と当てた。》

細くて背が高くてモデル体型で歩き方もカッコ良くてなんかいろんな事務所からスカウトされるのがウザくて原宿とか青山とか歩きたくない美人のマキは鼻血を流してトイレの入口で足を開いて体育座りしていてもなんだか映画の一シーンみたいにハマってる。》

私は黙った携帯を取って着信残ってたの消してからトートん中入れて、ブラつけてTシャツ替えてジーンズ穿いて髪まとめてクリップで留めて眼鏡かけて前髪下ろし眉毛隠してリップだけ塗ってトート持って外に出た。》

いってーなこのビッチ~」「うっせーな、おめーに何の関係があんだよ」という部分が10年前の女子高校生口語であります。

 のちほど、2012年最新版の女子高校生口語を紹介します。

口語 (ナタリー) 2012-07-08 17:10:25
「阿修羅ガール」は読んだんです。ちゃんと読めました。
「仲間内言葉」そんな理解だったのです。
あの言葉で「あの年代のあの年ごろ」を活写したものと。

私は「しゃべり言葉」=「口語」ではないと思っていました。
「口語」と言う言葉の使い方が間違っていました。
「これが普通の話し言葉にならないと信じたい」
です。これでよろしいでしょうか。
~~~~~~~~~~~~

 確認をしておくと、「口語」とは、言語学ではspoken language(音を媒介とする言語)を言います。明治の言文一致運動では、文語体(文語文)に対して、当時の日本語の話し言葉を文章語にしようという苦心があり、この文体を口語体と呼びました。夏目漱石らによって、「明治口語体=近代文章語」が確立したのち、口語(しゃべり言葉)はさらに変化をとげ、現代の若者ことば、若者同士の会話表現は、教科書や新聞雑誌に載る文章表現とはかけ離れてきています。

 では、いよいよ2012年板ギャル語を紹介。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「露伴の語彙、文(あや)のことば」

2012-07-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
あじさいの小径2012

2012/07/13
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>明治の語彙(9)露伴の語彙、文(あや)のことば

 明治の文豪、夏目漱石と幸田露伴は、同年生まれです。どちらも1867(慶応3)年生まれ。漱石は1916(大正5)年に50歳で死んだけれど、露伴は昭和も戦後の1947年まで生きた。享年80歳。ゆえに、明治の生活感覚や明治の語彙を、戦後までせっせと娘に伝え、仕込みました。

 露伴の父・成延は、大名の取次を職とする表御坊主衆を勤める家であった今西家から幸田家に婿入りし、家付きの妻猷(ゆう)との間に7人の子をもうけました。長男成常はで相模紡績社長などを務めた実業家。次男成忠は海軍軍人、郡司家の養子となり北千島を探検開拓しました。露伴は四男。五男の弟は歴史家成友で、妹の延、幸はともに音楽家。

 幸田家も、幕臣とはいえそう大身ではなかったから、幕府瓦解後はお定まりで窮乏しました。幸田成行(しげゆき→露伴)は、東京府第一中学(現・都立日比谷高校)や東京英学校(現・青山学院大学)に進学しましたが、いずれも家計逼迫によって退学しています。

 当時唯一の国立図書館が1874(明治8)年5月に開館。5年後、東京書籍館から東京図書館と改称しました。家計窮乏により中学校を退学した露伴は、当時湯島にあった東京図書館に通って独学で勉強しました。当初、図書館は夜間開館しており、無料だったからです。こののち、東京図書館は、1985(明治17)年上野に移転し有料となります。樋口一葉は、友人に借金を重ねながら有料の図書館を利用しました。
 私も図書館で自分の「言語資源」を培いましたから、露伴や一葉が図書館がよいをして、本に顔を埋めているようすを想像すると、親近感がわきます。

 成行は、数え年16歳の時、逓信省電信修技学校の給費生となります。学費免除で学べるところを探してのことです。卒業後は電信技師として北海道で官職につき、ようよう生活は安定したのに、文学への憧憬やみがたく、職をなげうって帰郷。

 露伴の弟成友(のちに東京商科大学・慶応義塾大学教授、日本経済史。日欧交渉史)は、1873年にキリスト者となります。その影響であろうと思いますが、露伴の父成延は1884(明治17)年に、下谷教会の植村正久牧師によって受洗し、キリスト教徒となりました。下谷教会は、カナダ・メソジスト教会系です。露伴の妹の延(1870-1946)も幸も(1878-1963結婚後安藤姓)受洗しています。

成延は1888(明治20)年ごろには神田末広町に「愛々堂(あいあいどう)」というキリストの愛にちなむ命名をした紙屋を営みます。露伴も官職を捨ててから、この紙屋を手伝いますが、露伴だけは受洗しませんでした。
 露伴の次女・文が6歳のとき、1910(明治43)年、先妻幾美子がなくなり、1912(明治45)年、文の姉・歌が猩紅熱によって11歳で死去。
 この年の8月には明治天皇が崩御。大正と年号が変わったあと、露伴は後妻を迎えますが、この後妻児玉八代もキリスト教徒でした。文は八代の意向で、ミッションスクールへ通い受洗しています。

 文の生い立ちは「みそっかす」ほか様々な自伝や随筆によって知ることができますが、この八代は、元香蘭女学校の教師で、家庭でも家事をするより聖書を読んですごしたため、露伴は家事をしようとしない妻にいらだち、歌なきあと一人のこされた娘には、徹底して江戸の幕臣家庭の家事や言葉遣いを仕込みました。

 露伴は、1913(大正2)年4月24日の日記に妻と媒酌人船尾栄太郎に対し、次のような呟きをもらしています。妻が教会の事業に夢中になって、家事をしないことへの不満です。
 妻したたかに晏く起き出で、身じまひして外出す。基督教婦人会へ臨むは悪からねど、夜に入りて猶かへらず、殆ど予を究せしむ。頃日来差逼れて文債を償ふに忙しきまま、小婢まかせになし置く、家の内荒涼さ、いふばかりなし。(略)船尾栄太郎来り、青年雑誌の為に文を求む。幸のをりからなれば言はんと欲すること多きも猶忍びて言はず。此の人善意をもて媒酌しくれたるなれど、眼鈍くして人を観ること徹せず、妻をあやまり予をあやまるに近し、、、、

 教会に入り浸る妻のため、家庭内が荒涼としている、という露伴の嘆きを見聞きし、娘の文は教会や継母をどのように感じていたでしょうか。

 私が長々と「幸田家と受洗」について述べたのは、遠藤周作、加賀乙彦、曽野綾子、三浦綾子などに比べ、キリスト教徒であったことが作品からはまったくうかがえず、「クリスチャン有名人一覧」なんてサイトにも、幸田文の名がないこと。
 幸田家の中で、露伴だけがキリスト教徒にはならなかったのですが、いっしょに暮らした文は、受洗はしたものの、継母の「家庭より聖書」という生活を見て、キリスト教にはあまり良い印象を受けていなかったのではないか、とも見受けられます。

 文が文章を書くようになったのは、露伴の死後なのですが、キリスト教の影響より、露伴からの影響のほうが強かったのかも知れません。
八木谷涼子「幸田文とキリスト教 ――げんの十字架」(平凡社月刊百科2011年6月)という論文があるので、読んでみたらある程度わかるのかもしれません。

 少々長たらしかったですが、以上は前置きです。
 幸田文の文章は、日常生活の中で露伴に仕込まれてきており、明治の語彙感覚を残しているだろう、ということを確認するための、前置きでした。

 幸田文の随筆『雀の手帖』から、私が使ったことのないことばをピックアップして見ると、明治~昭和の小石川へんの使用語彙が浮かぶのではないかと思い、収集してみました。テキストは新潮文庫2001年。初出は、1959(昭和34)年。意味はわかるけれど、私は使ったことがないという「明治~昭和の語彙」というのは、どんなものがあるか。

p12 ちゃらっぽこな気持ち=いいかげんな気持ち
p20 見ざめのしない=見飽きない
p24 ふきんをゆすぐのもからへたである=完全に下手
p28 霜の勢いの殺(そ)げるのも=勢いが弱くなる
p71 私は町の一隅にごろっちゃら乱雑に生きてきた=ごろっちゃらとは、物事が乱雑で雑駁なこと
p98 口業(くわざ)の強い生まれ=言うことに毒があり、ものの言い方が丁寧ではないこと。
p129 陳弁したり反省したり=弁解したり~

 もっと知らない語彙が多いかとおもったのだけれど、集めてみると、それほど多くはありませんでした。やはり、文語文の中に頻出する漢語とは異なります。

 明治-昭和の小石川で毎日煮炊きをし、掃除洗濯をして父露伴を支え、戦中戦後は家計を支えるために芸者置屋で働きもした明治の女、幸田文。
 この『雀の手帖』には、1959年の台所や書斎から見た季節のうつりかわり、社会のようすが細やかに描かれています。

 「ちゃらっぽこ」や「ごろっちゃら」なんていうオノマトペから出た語には、江戸下町の雰囲気が出ています。「口業(くわざ)の強い生まれ」と、文が露伴から叱られたことばも、幕臣の家庭では「おなごはそんな口業強くては、オヨメに行けません」なんて躾を行ったであろう家風も伺えます。

 私も、ちゃらっぽこでごろっちゃらな主婦ですけれど、ただ日常の煮炊きや洗濯を描いたとして、幸田文のような凛とした響きのある文章は、とうてい書くことができないことは分かっています。
 では、どんな語彙をつかうのか。

 社会言語学では、ある一人の人が生まれてから死ぬまでの全生涯で、どのような語彙を使ったかを調べる、という調査があります。京都町屋の主婦が生まれてから死ぬまでに使うことばすべて、東北の農家の人が一生の間に使うことばなど。私は社会言語学が専門ではないので、このような調査に関わったことはないのですが、ずいぶんとたいへんなことだろうなあと、思います。方言の調査では、50年のあいだ、調査者がインフォーマント(調査に応じて質問に答える人、被調査者)のもとへ通い続けた、という貴重な記録もあります。50年の間に、方言使用がどのように変わってきたかが、一人の人の生涯の記録とともに明らかになっているのです。

 春庭の使用語彙というのは、少なくとも、2003年からここ10年で使った語彙、ネットにUPしたものについては、すべてチェックできる。きわめて貧しいことばの使い方であるとは自覚しているのだけれど、これから40年かかって、なんとか幸田文の随筆の凛とした江戸明治の山の手ことば、石牟礼道子の、ふんわりと人を包み込む暖かさを持ちながら、権力や腐敗に対しては一歩も引かぬ強さを秘めることば、「今、90歳、あと10年、私は、100歳までには革命をやりたい。あじさい革命、あれ、いいね」と笑う富山妙子の強烈な色彩を持ったことば。先達のしなやかで強く美しいことばを、少しでも身につけていき、90歳になったら「あと、10年で革命やりたい」と言ってみたい。
(注:富山妙子のことばは、2012年7月7日、七夕の日の発言)



<おわり>
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ぽかぽか春庭「文語文衰退どころか日本語消滅」

2012-07-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/07/11
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>明治の語彙(5)文語文衰退どころか日本語消滅

 失われていくことばを惜しみ、イマドキの新語、新しい意味の付加に憤りを感じるのは、日本語成立以後、この1万年のあいだ、必ずどの時代の年寄りもそれを憤り、嘆いてきたのです。1万年前の縄文語()

 しかるに、今、その1万年前の縄文語とは言わず、書き言葉成立以後すなわち『古事記』以後の、日本語の千年の変化に匹敵するくらいの量の大変化が日本語に起きています。水村美苗は、『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で、英語がグローバル言語化したことによる「近代日本語の消滅」を憂えていますが、近代日本語の消滅どころではない、日本語がぜんぶ、すっからかんに消滅するときは近い。

 楽天とユニクロが「社内公用語の英語化」を発表したとき、社員食堂のメニューまで「tuna-don」とか「roast eel」となるって聞いて、いったいドースルつもりなんだろうと思いました。

 しかし、もし、楽天とユニクロが企業として成功し、他社に入るより、英語しゃべれてユニクロに入ったほうが、生涯賃金が高くて、他社より裕福に暮らせそう、となったとき、ここに有能な人材が集まるようになります。みんなちょっとでもいい暮らしがしたいみたいだし。そうなると、他にも追随する社がでてきます。たちまち親たちは、なだれを打って、子どもを英会話塾に通わせます。学校教育の英語では心許ないからです。

 ちょっと英語ができる親なら、生まれたときから英語になじませるべく、家庭の中で両親とも子どもの前では英語を話すことに決めます。かくして、日本にいながら、生まれつき英語をしゃべる子どもができあがり、その次の世代では、ほとんどすべての家庭で、母語は英語となります。「日本語」は、学校の「国語」の時間に教わるだけとなり、国語の成績なんぞよくても、給料の高い会社には入れぬのですから、「英語」の学習に比べて、熱の入れようは格段に低い。

 いまどきの「教養おばはん」が「源氏物語を原文で読む会」なぞに通うのを「趣味」にするのと同じように、「ジブリアニメを日本語で見る会」などが「おたくっぽい趣味の世界」になり、子ども達は「Princes Mononoke」を見て育つでしょう。
 たった3代、100年で日本語は消滅するのです。「英語で生活したほうが、日本語を使って暮らすより、いい生涯がすごせる」と、大方の人が感じれば、世の中そうなります。

 豊かな口承伝説を持つネイティブ・アメリカンの言語の多くは、すでに母語話者が消滅しています。英語を話なさなければ、居留地で酒飲んで過ごす人生のほか、生活方法がない、ということになると、ネイティブの若者は英語を話して生きるしかなかったから。
 ユーカラなどの美しい神話を口承で伝えてきたアイヌ語も、母語として話す家庭はありません。学習言語としてアイヌ語を身につける若者も増えてはきたけれど、家庭の母語としては消えてしまいました。日本語を学ばなければ、教育を受けられなかったのですから、彼らの選択を非難することはできません。これらの母語消滅は、占領者による強制的なものでしたが、今、私たちは、経済的な占領者による母語剥奪の危機を前にしているのです。

 私は、日本語が文語文を「公式の書き言葉」としなかったことにも、歴史的仮名遣いを採用しなくなったことも、時代の流れとして、受け止めてきました。
 しかし、「英語公用語化」には、強く反対します。楽天とユニクロの試みが企業としては成功し、さらなる経済向上をもたらすものであるとしても、母語という「思考の道具」「母語の言語文化」を失うことの大きさを考えると「母語こそ祖国」と、いうウヨっぽい言説にも賛成しないわけにはいきません。
 まさに、「どんな言語によって思考するか」ということが大事なのです。おなかがぐぅと鳴ったとき「ああ、ハラへった」と頭の中で思うか、「I'm hungry」と思うか、そこが大事であり、「ハラへった」という語句によって考えたということがアイディンティのもとなのです。

 牲川波都季『戦後日本語教育学とナショナリズム』くろしお出版2012という本を、珍しく新刊書店で定価で買って読んだのも、どうしても「母語をたいせつに」うんぬんと言うと、ナショナリストっぽくなってしまうので、なんとかして、ウヨっぽくない方法で「母語を文化資産として尊重すべきだ」ということを訴えるために参考になるかとおもったからなのですが、この本に書いてあったことは、戦前の日本語教育と同じく、戦後日本語教育も、ナショナリズムに貫かれている、ということの検証でした。

 ナショナリズムそのものが、近代国家を成立させるための「新しい思想」であったのはわかりますが、本居宣長の「から心でなく、やまと心」という言説が、見事に日本の近代軍事国家の思想として利用されてしまったように、「母語を大切に」という思想がエセナショナリズムやらプチナショナリズムやらに安易に利用されずにすむにはどうしたらよいのか、夜もねないで、思案中。(当然、ひるねはたっぷり)

 ひとつ確かに言えることは、どんなにはちゃめちゃなギャル語だのヤンキー語だのになるとしても、母語が消滅するよりはマシだ、ということ。
 私たちには文語文がむずかしくて、頭をひねっても理解しにくものであり、イマドキの若者にとって、現代文(近代口語文)が読めなくなっていたとしても、私たちも頭をもうちょっとひねれば、なんとか意味はつかめるのが文語文であり、若者だって読もうと決意すれば現代文も読めるようになります。

 しかし、日本人全員が母語を捨ててしまったら、私たちにはシェークスピアの古英語はさっぱりわからず、古代ギリシャ語でホメロスが読めないのと同じように、古事記も万葉集も源氏も平家も、漱石も鴎外も、「よその人々の文化」になってしまう。
 言語とは「自分が自分であるための根幹」になるものです。枝葉で英語を茂らせても、根幹の思考力は日本語で培ってほしいです。

 ただひとつ希望があるのは、「賃金の高そうな企業に入ってできるだけたくさんお金をかせぐのがいい生涯」とは考えない人々も出てきている、ということです。「モバイルハウスの作り方」や、NPOでマイクロファイナンス活動をしている人々、フェアトレードや地産地消活動など、「お金だけでいきているんじゃない」という若者の出現を知り、それなら、日本語もまだ命脈を保とうかと、望みを持っているのですが、、、、 

 先週の授業では、「雨のことば」を発表した学生がいました。毎年「雨のことば」を集めよう、という授業をしているのですが、日本語の雨のことば、100以上ある、でも英語では、五月雨と梅雨を異なる語で言い表すことはできないし、霧雨と小糠雨の違いも単語レベルでは分けられない。野分と台風のちがいも。 
 雨の微妙なちがいを言い分ける感受性を含むことばがあり、ことばがあるから雨を感じる感受性が育つ。
 春雨、夕立、長雨、時雨、氷雨、、、、、それぞれの雨の情趣を感じるには、それぞれの雨のことばが必要。

 「花の色はうつりにけりな」と読めばたちまち、自分のまわりの春の移り変わりを思い浮かべることができ、「ながめせしまに」と読んで、「長雨」と「眺め」がかけあわされた「ことばの機知」と微妙な女心を胸にのぼらす、、、、
 このことばを失いたくない。

<つづく>
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