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ぽかぽか春庭「2017年6月目次」

2017-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20170629
ぽかぽか春庭2017年6月目次

0601 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>薔薇のコンサート(1)綱川泰典フルートコンサートin旧古河庭園
0603 薔薇のコンサート(2)水織ゆみ30周年記念リサイタルin北とぴあ

0604 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>梅雨のことば(1)卯の花くたし
0606 梅雨のことば(2)梅雨入り
0608 梅雨のことば(3)梅雨晴れ
0610 梅雨のことば(4)虎が雨

0611 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名(1)マグノリア
0613 花の絵・花の名(2)クリザンチーム、ホリホック
0615 花の絵・花の名(3)カタカナ名の花
0617 花の絵・花の名(4)花の表記
0619 花の絵・花の名(5)紫陽花・安治佐為その1
0620 花の絵・花の名(6)紫陽花・安治佐為その2
0622 花の絵、花の名(7)ひまわりの原産地とひまわりの歴史
0624 花の絵、花の名(8)各国語のひまわり
0625 花の絵、花の名(9)ひまわり花言葉と国花
0627 花の絵、花の名(10)神話のひまわり、食べるひまわり
0627 花の絵、花の名(11)ひまわり短歌ひまわり俳句 
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ぽかぽか春庭「ひまわり短歌ひまわり俳句」

2017-06-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

グスタフ・クリムト「ひまわり」

20170627
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵、花の名(8)ひまわり短歌ひまわり俳句

 2012年8月の「ひまわり蘊蓄」を再録しています。
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2012/08/29
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(9)ヒマワリ短歌とヒマワリ俳句

<ひまわり短歌>

粗布しろく君のねむりを包みゐむ向日葵が昼の熱吐く深夜 春日井健(1938 - 2004)

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき 寺山修司(1935 - 1983)
旧地主帰りたるあと向日葵は斧の一撃待つほどの黄 寺山修司

向日葵の花は実となる確かさの見えつつありて日々はやく逝く  安立スハル(1923-2006)

道化師と道化師の妻 鐵漿色(かねいろ)の向日葵の果(み)をへだてて眠る 塚本邦雄(1920 - 2005)             
                         
風落ちて夕づく畑の大いきれ 我が立ちあふぐ向日葵の花 岡山巌(1894-1969)
                         
おほほしく曇りて暑し眼のまへの大き向日葵花は揺すれず 中村憲吉(1889 - 1934)
なやましく漸く嵐の吹きたれば重くすすれし向日葵の花)   中村憲吉

向日葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて  斎藤茂吉(1882 - 1953) 

さ庭べに竝びて高き向日葵の花雷とどろきてふるひけるかも斎藤茂吉
向日葵(ひまはり)は金の油を身にあびて ゆらりと高し日のちひささよ 吉井勇(1886年 - 1960)

恐ろしき黒雲を背に黄に光る向日葵の花見ればなつかし 木下利玄(1886年 - 1925)
心がちに大輪向日葵かたむけりてりきらめける西日へまともに 木下利玄

あからひく日にむき立てる向日葵の悲しかりとも立ちてを行かな 古泉千樫(1886 - 1927)
まひるの潮満ちこころぐし川口の橋のたもとのひまわりの花 古泉千樫

向日葵のおほいなる花のそちこちの弁ぞ朽ちゆく魂のごとくに 若山牧水(1885 - 1928)

恋びとよいざくちづけよ烈しくと叫ぶがごとき向日葵の花 前田夕暮(1883-1951)

髪に挿(さ)せば かくやくと射る 夏の日や 王者の花の こがねひぐるま 与謝野 晶子(1878年 - 1942) (ひぐるま=ひまわり)
おりたちて水を灌げる少年のすでに膝まで及ぶ向日葵 与謝野晶子

輝やかにわが行くかたも恋ふる子の在るかたも指せ黄金向日葵(こがねひぐるま) 与謝野鉄幹(1873 - 1935)

 ピエール=ジョゼフ・ルドゥテ (Pierre-Joseph Redoute、1759 - 1840)は、ナポレオン1世の妃、ジョセフィーヌの薔薇園に出入りしてバラ図譜を残したことで有名ですが、ひまわりの植物画も描いています。「ガイラルディア(テンニン菊)」
<ひまわり俳句>

向日葵の蕊焼かれたる地図のごと 今井聖(1950 - )

向日葵や信長の首切り落とす 角川春樹(1942-)

大ひまはり花壇の外に咲いてをり  大串章(1937-)

向日葵の影より黒きものを見ず  松澤昭(1925-)

向日葵の瞠(みは)る旱を彷徨す  野澤節子(1920 - 1995)

向日葵おごるとき拳白かりき  金子兜太(1919-  )

ひまわりの日没といる無蓋貨車  国武十六夜(1919- 2012 6月15日死去)
  
向日葵や越後へ雨の千曲川 森澄雄(1919 - 2010)
向日葵や起きて妻すぐ母の声  森澄雄

追撃兵向日葵の影を越え斃れ  鈴木六林男(1919 - 2004)

向日葵を野太く咲かせ後継者  中村路子(1917 - 1999)

遠く飛んだ種子の不逞さ焦げ向日葵  堀葦男(1916 - 1993)

われ蜂となり向日葵の中にいる  野見山朱鳥(1917 - 1970)

夕浅間向日葵は黄を強く放つ  桂信子(1914 - 2004)

恍惚と秘密あり遠き向日葵あり  藤田湘子(1914 - 2004)

実の向日葵少年グローブに油ぬる 古沢太穂(1913 - 2000)

海の音ひまはり黒き瞳をひらく  木下夕璽(1914-1965)

大向日葵囚はれの如活けられぬ  石田波郷(1913 - 1969)
向日葵にひたむきの顔近づき来  石田波郷
向日葵や咲く前に葉の影し合ひ  石田波郷

向日葵をふり離したる夕日かな  池内友次郎(1906 - 1991)

向日葵に剣のごときレールかな 松本たかし(1906 - 1956)
山畑に向日葵咲きて山よ濃し 松本たかし

向日葵の黄に堪へがたくつるむ  篠原鳳作(1906 - 1936)
わだつみの辺に向日葵の黄ぞ沸きし 篠原鳳作

向日葵や一本の径陰山へ 加藤楸邨(1905-1993)
きのふわが夢のかけらの小向日葵 加藤楸邨

塀出来て向日葵ばかり見ゆる家 星野立子(1903-1984)

向日葵の蕊を見るとき海消えし  芝不器男(1903 - 1930)

われら栖む家か向日葵夜に立てり 山口誓子(1901-1994)
向日葵立つ方位未確の山の上 山口誓子

向日葵は連山の丈空へ抽く 中村草田男(1901‐1983)
山の陽は木と水の友向日葵澄む 中村草田男
向日葵や戦場よりの文一行 中村草田男
向日葵に澄む即興の子を守る唄 中村草田男
小向日葵わが広額に納まるらん 中村草田男
向日葵やガード都の門をなす 中村草田男
向日葵は連山の丈空へ抽く 中村草田男
山の陽は木と水の友向日葵澄む 中村草田男
日まはりや永歎きしてうとまるる 中村草田男

・向日葵の大声でたつ枯れて尚  秋元不死男(1901 - 1977)

向日葵のひらきしままの雨期にあり 中村汀女(1900-1988)
たまたまの日も向日葵の失へる 中村汀女

鸚鵡叫喚日まはりの花ゆるるほど 三好達治(1900 - 1964)

高原の向日葵の影われらの影 西東三鬼(1900‐1962)

ひまはりの昏れて玩具の駅がある 三橋鷹女(1899-1972)
向日葵を剪るみほとけの花ならず 三橋鷹女
縋らむとして向日葵もかなしき花 三橋鷹女
向日葵の大輪切つてきのふなし 三橋鷹女
向日葵の一茎がくと陽に離る 三橋鷹女
星出でてより向日葵は天の皿 三橋鷹女

向日葵に天よりあつき光来る  橋本多佳子(1899 - 1963)
向日葵は火照りはげしく昏てれゐる 橋本多佳子

向日葵の眼は洞然と西方に  川端茅舎(1897‐1941)

向日葵や月に潮くむ海女の群 西島麦南(1895-1981)
向日葵に昼餉の煙ながれけり 西島麦南

キリストに向日葵あげて巷の中  山口青邨(1893-1988)
キリストに挿せし向日葵のみ新た  山口青邨
二重窓小窓をもてり向日葵黄  山口青邨

向日葵の空かがやけり波の群 ) 水原秋櫻子(1892 - 1981)
向日葵に馳せくる波の礁を超ゆ) 水原秋櫻子
向日葵にたぎちて帰る波の列)  水原秋櫻子
向日葵にとほき紺青の波の列)  水原秋櫻子
向日葵が咲くのみ運河廃るるか)  水原秋櫻子
向日葵や都心変りて行き迷ふ)  水原秋櫻子
向日葵や雷後渦ゆく神田川)  水原秋櫻子

ひまはりのたかだか咲ける憎きかな) 久保田万太郎(1889-1963

日を追はぬ大向日葵となりにけり 竹下しづの女(1887-1951)

向日葵もなべて影もつ月夜かな 渡辺水巴(1882 - 1946)

向日葵やいはれ古りたる時計台 富安風生(1885 - 1979)

向日葵の月に遊ぶや漁師達  前田普羅(1884 - 1954)

向日葵や日ざかりの機械休ませてある 種田山頭火(1882 - 1940)

日天やくらくらすなる大向日葵 臼田亞浪(1879 - 1951)

向日葵が好きで狂ひて死にし画家  高浜虚子(1874 - 1959)
葉をかむりつつ向日葵の廻りをり  高浜虚子

日まはりの花心がちに大いなり  正岡子規(1867 - 1902)

<つづく>
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20170629の付け足し
 
山種美術館は、館内撮影禁止ですが、今回はじめて、酒井抱一の「月梅図」は撮影許可でした。
 絵の横には「フラッシュ三脚禁止、ブログ等にUPした場合のトラブルなどに当館は関与しない、観覧者の迷惑にならないようにせよ」等の注意書きがあっての上の撮影許可でしたが。

「月梅図」酒井抱一


 これまで館内撮影許可を出したことのない山種にしては、気前がいいなあと思っていたら、図録には絵が載っておらず、出品目録にも作品名がないのです。写真撮影許可をだしておきながら、なぜ図録にのせなかったのか。摩訶不思議。真贋判断でもしているのか。

 美術品の真贋論争もいろいろですが、世間様では、文科省が所在を認めた文書を、総理府は認めない。はたしてメールは真なのやら贋なのやら。奇々怪々です。しらじらしい政府答弁にしらけっぱなしですが、まあ、花の絵でも眺めて、心に美をとりもどしましょう。
 山種美術館の「花*Flower*華―琳派から現代へ―」の植物名解説を見て始まった今回の「花の絵、花の名」シリーズ、これにておひらき。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「神話のひまわり、食べるひまわり」

2017-06-27 00:00:01 | エッセイ、コラム


20170627
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵、花の名(9)神話のひまわり、食べるひまわり

 2012年8月にUPした「ひまわり蘊蓄」再録を続けています。
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シャルル・ド・ラ・フォッセ(LA FOSSE, Charles de 1636-1716 フランス)
ひまわりに変身するクリュティエ


2012/08/26
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(7)ギリシャ神話のヒマワリ

 ヒマワリの学名Helianthus annuus(ラテン語)の語源は、ギリシャ語で 「helios(太陽)+ anthos(花)」です。

 古代ギリシャで、「太陽の花」と呼ばれていたのは、現在私たちが知るヒマワリではありません。ヒマワリがヨーロッパに伝わったのは、大航海後アメリカ大陸上陸以後の出来事であり、古代ギリシャには「ヒマワリ」は存在しなかったからです。
 ギリシャ神話の中の「太陽の花」は、向日性の植物として知られていた地中海沿岸に自生する草本のヘリオトロープまたは、マリーゴールド(キンセンカ)だろうと言われています。キンセンカも向日性を持ち、茎が若いときは、日中、太陽の方向に花を向けて回ることがあるからです。

 しかし、上の ド・ラ・フォッセが「大陽の花に変身するクリュティエ」を描いた頃には、「大陽の花」と言えば、ひまわりを指すくらい、ヒマワリはヨーロッパに広がっていました。

 ギリシャ神話「大陽の花」 クリュティエ(Clytie)の物語(オウィディウス Ovidius 『変身物語』より。再話:春庭)

 オリンポスの山のギリシャの神々のなかでも、一段とりりしく美しい太陽の神アポロン。アポロンにあこがれる女神や妖精は大勢おりました。
 水の精クリュティエもそのひとり。太陽神アポロン(Apollon)に恋いこがれ、アポロンをひととき抱きしめることができたのです。しかし、アポロンは、クリュティエを恋人とすることにすぐに飽きてしまい、新しい美女を求めて、空を走っていきました。

 光の馬車を駆って大空を駆け抜けていったアポロンが、オリンポスから遠く離れたペルシャの地にさしかかると、地上にオリンポスの女神もかなわない美しい乙女を見いだしました。

 その乙女の名は、レウコトエ。ペルシャの国を支配するオルカモス王と絶世の美女エウリュノメ妃との間に生まれた姫です。
 オルカモス王は、行く末は、レウコトエによい婿をめあわせ、ペルシャの国に役立たせようと、厳しくレウコトエを育てていました。レウコトエは、母親エイリュノメ以上の美しい娘に育ちました。

 アポロンはたちまちレウコトエに心を奪われ、レウコトエだけを見つめるようになりました。世界を照らすべき仕事も忘れて、一人の乙女にまなざしを向け、レウコトエを早く見たいばかりに日の出の時間より早く東の空に昇ってしまったり、レウコトエに見とれていて西の空に沈むのを忘れたり。
 レウコトエが見つからなかったときなど、落胆のあまり月の影に隠れてしまい、地上を照らすことさえおろそかになってしまったほどでした。

 一日の仕事をおえたアポロンが、西のはての空の下の牧場に、太陽神馬を放ちおえました。馬たちが一日の疲れを癒し、次の朝を照らす備えをしている夜の間に、アポロンは母親エウリュノメの姿に変身し、レウコトエの部屋に忍び込みました。
 糸つむぎをしていたレウコトエは、部屋に入ってきた母親が「ふたりだけにしておくれ」というので、おつきの召使いを、部屋から出しました。

 変身したアポロンであるとも知らず、母のことばを待つレウコトエに、突然男の声が聞こえました。
 「世界の眼である私が、おまえを好きになったのだ」
 思いがけない恋の言葉に、レウコトエは驚きおそれました。
 しかし、アポロンが本来の姿にもどると、レウコトエは、太陽神のまばゆい輝きと美しさに心奪われ、夜のとばりの奥への誘いを受け入れたのでした。

 ことの次第に気づいたクリュティエは、深く苦しみました。
 おさえられぬ嫉妬心と恋仇への怒りから、クリュティエは、オリンポスの神とペルシャの乙女レウコトエの許しがたい仲を、ペルシャ王オルカモスに言いつけました。

 気性の荒い父オルカモスは、クリュティエの密告を聞くと怒り狂いました。
 父の定めた男以外とちぎるとは、すなわち父王の権威をないがしろにすることです。たとえ愛する娘であっても許すことはできません。

 母のとりなしもかなわず、レウコトエは、深い穴に入れられ、頭から下を埋められてしまいました。
 アポロンは、何とか助け出そうとしましたが、レウコトエは土の重みで衰弱していきました。アポロンは、レウコトエに神酒ネクタル(ネクターという飲み物の語源)を注いでやりました。
 すると、彼女の体は、一本の乳香の木に変わってしまいました。

 悲しみに沈んだアポロンは、クリュティエの弁解も聞かぬまま、彼女から離れていってしまいました。
 クリュティエは、アポロンを取り戻すどころか、すっかり嫌われてしまったのです。
 哀れなクリュティエは、届かぬ恋の思いにすっかりやつれ、9日間、空の下、夜も昼も地面に立ちつくしました。
 食べることも忘れ、雨露と自分の流す涙を飲み干すのみでした。
 やせ細ったクリュティエは、ただ空を仰ぎ、そこを通るアポロンの顔を見つめてそちらへ自分の顔を向けるだけ。

 ついに身体は土に吸われ、クリュティエの体は、血の失せた草木に変わってしまいました。そしてクリュティエの顔は一輪の花と化したのです。
 それが太陽の花Helianthusです。


「ひまわり」アンリ・マティス


<つづく>

2012/08/28
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(8)ひまわりを食べる

 現代中国ではヒマワリのタネは庶民のおやつです。小さなタネを器用に囓って、中味を食べています。殻はそこらじゅうにまき散らして食べるのが、庶民のお作法?
 学生のあつまり、親戚のあつまり、人が集まった跡には、大量のヒマワリ種の殻が散らばっている、という光景を、1994年2007年2009年、3度の中国赴任中に、よく見かけました。ヒマワリの種は「香瓜子」と言います。

台湾産の香爪子


 私はナッツ類が大好きなのですが、ヒマワリは小さくて食べにくく、ヒマワリよりは値が張るけれど、栗や胡桃をよく食べ、また日本では手に入らない珍しい木の実が売られているので、おやつに食べていました。
 買い方は「一斤(イージン=500g)」と、ナッツ屋に言って、量ってもらうのです。ヒマワリの種は、一斤1元(10~15円相当)だったり2元だったりしましたが、西域や南方原産の珍しい木の実は、東北の街ではヒマワリの種の十倍以上の値段がしました。でも、今から思えば、高いといっても、500gで500円とか800円とかだったのだから、もっといろいろ食べてみればよかったと思います。どうも貧乏性なので、香瓜子が一斤1元なのに、一斤30元とか50元する木の実は、えらく高いもののように思ってしまった。

 直接食べるタネ、食用種は、長軸方向に黒と白の縞模様があります。煎って食用とするほか、アブラをとる種があります。18世紀に油をとる種の改良がすすみ、得に旧ソ連での品種改良がすすみました。日本ではヒマワリの種を直接食べることは多くなく、もっぱら、ペット(ハムスターなど)の餌に利用されています。

 食用ヒマワリのタネと花


 油脂用のヒマワリの種は絞ってヒマワリ油として利用されています。多価不飽和脂肪酸が多い。近年は、アメリカで品種改良がすすみ、オレイン酸を多く含むヒマワリ種が作り出されています。
 食用油の生産は、ナタネ油、ゴマ油などが生産量が多く、ヒマワリ油は世界で4番目に生産量の多い植物油脂です。

 2011~2012の国別生産量統計。
1 ロシア     2,932千トン
2 ウクライナ   2,754 千トン
3 EU(27か国) 2,666千トン
4 アルゼンチン  1,258千トン
5 トルコ      684千トン

 以下、中国 パキスタン 南アフリカ アメリカ インド。数年前の統計に比べると、アルゼンチンのひまわり油が半減していることがわかります。アルゼンチンに広がっていたひまわり畑は、今、半減してしまい、これからも減ってしまうのだとしたら、大地に広がるヒマワリ畑を一目見ておきたいという気になります。

 日本では、大豆油の消費量がもっとも多く、ヒマワリ油消費量は、2010年で約1万8,600トン。ヒマワリ油のほとんどは、アルゼンチンやアメリカからの輸入です。直接家庭の台所で調理油として使われる量は少なく、ほとんどは業務用として、チョコレート用のカカオバター代用品として使われています。チョコレートを食べるとき、ヒマワリ油も食べているってことですね。

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20170627の付け足し
 私が参加しているジャズダンスサークル、「それいゆ」という名です。最初にサークル名を決めるとき、どこぞのカフェやら美容院やらでよく見かける名称だからいや、と思ったのですが、10年続けているとそれなりに愛着もでてきました。

 私自身は、中原淳一の雑誌「それいゆ」にも「ひまわり」にも憧れたことはなかったですが、世代的には、中原淳一の描く乙女になりたいと思っていた女の子たちの中で生きてきました。

中原淳一「ひまわり」1951年雑誌ひまわり付録バースディブックより





<つづく>
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ぽかぽか春庭「ひまわり花言葉と国花」

2017-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170625
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵、花の名(8)ひまわり花言葉と国花

 2012年8月の「ひまわり蘊蓄」を再録しています。

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2012/08/23
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(4)ヒマワリ花言葉、誕生日の花・国の花

 1年365日に、それぞれの「誕生日の花」があります。9月の私の誕生日に当てられているのは、ピンクの秋桜。コスモスも色によって日にちが違うみたいです。

 8月5日、8月17日の誕生花が「ひまわり」です。日付には諸説あるのですが、8月5日生まれの人や8月17日生まれの人にヒマワリの花を贈るのもすてきなプレゼントですね。

 さて、オランダといえばチューリップが思い浮かびます。タイを訪れたときは、タイの国花というナンバンサイカチの花(ゴールデンシャワー)が町中に咲き誇っていました。ゴールデンシャワーの黄色は、王室を象徴する色でもありました。
 国花とは、その国を象徴する花であり、慣習的なものも混じり、諸説あります。日本の国花と言われているのも、桜が代表的な花ですが、皇室の紋章から菊が国花という説もあり、別段法律で決められているようなものではありません。

 ひまわりを国花にしている国として知られているのは、ロシアです。17世紀以来、ロシアでは食用のヒマワリ栽培が盛ん。ロシアでは、国を代表する花としてヒマワリが人々の脳裏にうかぶのでしょう。ただし、ロシアの国花は、もうひとつカモミールの花もあります。

 ヒマワリの花言葉は、いろいろあります。
 「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「いつわりの富」「にせ金貨」

 「いつわりの富」「にせ金貨」という花言葉がある、というのは、伝説によるそうです。
 ヒマワリは、古代インカ帝国でも国を代表する花でした。インカはケチュア語で「太陽」の意。現在のペルーの首都クスコは、ケチュア語で「宇宙のへそ」を意味するのだとか。宇宙の中心地がクスコであったのです。
 皇帝は太陽神の子孫とされ、黄金とヒマワリによって太陽を象徴していました。ただし、現在ペルーの国花とされているのは、カンツータと呼ばれる赤い花です。

 インカ帝国があったペルーでは、ヒマワリは太陽信仰と結びついて、神聖な花として崇拝されていました。神殿に仕える乙女たちは、黄金で作られたヒマワリをかたどった冠をかぶっていたそうです。しかし、スペイン人の侵略のため、黄金のヒマワリの花が奪われてしまったため、ヒマワリはニセ金貨と呼ばれるようになったのだとか。

 これがペルーの伝説なのかスペインの伝説なのか、はたまたどこかでいつのまにやら作り出された伝説もどきなのかはわかりません。スペイン人がヒマワリの形の金冠を奪ったらヒマワリが「ニセ金貨」になってしまうというのがどうも腑に落ちないので、この伝説の出典を調べたのですが、確かな出典はどこにも書いてないのです。

 学生には「誰かの説を紹介するときは、必ず出典を明記せよ」と日頃言っています。
 ですから、「インカの乙女のヒマワリの冠」について、出典を書きたいと思って探したのですが、みな「インカの乙女がヒマワリを象った純金の冠をかぶっていた」という話をコピーしているばかりで、どの本の何ページに書いてあったかという出典がないのです。

 これを書いていて、子どもの頃、「インカ帝国探検記」の類の本を読んで影響を受け、「インカの乙女」というお話を作ったことを思い出しました。
 読んだ本は泉靖一(1915-1970)の『インカ帝国』(1959岩波新書)。小学校低学年のころは、アンデルセンやラングのような童話作家になって世界中のお話を集めるのが将来の夢でしたが、高学年になると、スタンレーのようなジャーナリストになってアフリカ探検家になるのが将来の夢になり、『インカ帝国』を読んでからは考古学者になってインカ探検をするのが夢になりました。20歳からは文化人類学者になって奥地研究をするのが夢でした。結局はじめて海外へ行ったのは、30近くになってからのケニアでした。
 子どもの頃作ったお話は、小さなノートに書きためて、今も持っています。

 私が作り出したインカの奥つかたの国では、染め物が知られていませんでした。人々の着る衣服は、すべて白い色をしていた、というのが私の考えたインカの国の暮らし方。
 白い服に、頭には冠を被っていて、冠の形によって出自身分がわかる。インカの神に仕える乙女の冠はヒマワリの花の形。
 皇帝のみが色を染めた衣服を着ることができました。皇帝の衣裳は、大陽の子孫であることをあらわす赤です。

2012年4月開催の「インカ・マチュピチュ百年展」ポスターより、副葬品の衣裳とインカ皇帝肖像


 染め物は、大陽神殿に仕える乙女の秘密のしごと。乙女はサボテンを栽培し、サボテンにつく虫を育てて、虫から染料を取り出しました。この染料は門外不出で、神殿の外に知られてはなりませんでした。
 この虫からとれるのがコチニールという染料で、虫とは貝殻虫、臙脂虫のことだった、とは、後年知ったこと。子どもの頃は、「インカ帝国」などの本で知ったインカの赤い染料のことのみ知識を持ち、染料の詳しいことなど知らずにお話を作っていました。

 神殿に仕える乙女のひとりが、王宮警護の若者と出会い、恋をする、そんなお話を作って、姉や友だちに聞かせていたことを思いだしたのです。女の子が考えそうな単純なお話です。

 「インカ神殿の乙女が、ヒマワリを象った黄金の冠を被っていた」というのは、インカ王宮遺跡の壁の彫刻に刻まれていた、ということなのですが、どこの遺跡のどの壁の彫刻であるのか、はっきりわかりません。2008年に行われたシンポジウム「日本古代アンデス考古学50周年記念」の報告や東京大学大貫良夫教授のアンデス学術調査の報告を読んでも、「手を交差させた彫刻」発見の報告はあるけれど、黄金冠の乙女の報告はない。もし、発見されていたなら、以下のページなどに掲載されるのではないかとおもうのですが。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2011Alpaca-Algodon_description_04.html
 
 出典を探しださなければ、安心して「インカの乙女のひまわりの冠」と書けないのが、私の性分。子どものころの「お話」なら自由な想像でよかったのですが。

 スペインの侵略者たちがインカ帝国から奪ったのは、数々の黄金製品だけではありませんでした。上に記した染料、コチニールもスペインが独占しました。スペインは、この秘密の染料を西欧に持ち帰って売りさばき、巨額の冨を得たのです。

<つづく>

2012/08/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(5)ひまわりの種類とネーミング

 ヒマワリの種類
 観賞用のひまわりは、花びらが大きくて、真ん中のタネの部分が小さい。切り花用には、背が低かったり、花が小さい矮性のものもあります。
 油をとるための種類は、タネが大きい。ネーミングは、「食用ヒマワリ」と、そのものずばり。あまり芸のない直球ネーミングですね。わかりやすいけれど。

 3メール60センチにも伸びていく「スカイクレイパー(高層ビル)」という種類もある。

USAミネソタの農場で暮らすJesse父子とスカイクレーパー(Lynelさんの「Just Two Farm Kids」というサイトから拝借)
http://justtwofarmkids.com/2010/08/10/skyscraper-sunflowers/

 バラの新種ネーミング、有名人の名をつけたバラが多く、薔薇園でひとつひとつの名前を見て歩くのは楽しいですが、ヒマワリは実用本位なわかりやすいものが多いです。
 女優の名をつけるなら、「ソフィアローレンのヒマワリ」「夏目雅子のひまわり」など、いいかも。春庭は、、、春っぽいから、ヒマワリのネーミングには向きません。   
 「ゴーギャンのヒマワリ」という種類もあるし、「ゴッホのヒマワリ」「モネのヒマワリ」という種類もある。「マティスのヒマワリ」は、ほとんどタネがないって感じ。日本の画家だと、「岡本太郎のヒマワリ」があったらいいな。爆発しそうな花びらのひまわり。

「ゴッホのひまわり」と「ゴッホのひまわりのひまわり畑」
   

左「モネのひまわり」と、右「マティスのひまわり」
   
      
http://www3.cty-net.ne.jp/~fumifuji/kinds.cgi      
 このページ「ヒマワリ百選」のひまわりの種名をクリックすると、どんなヒマワリなのか、写真がでてきます。

 「インディアンブランケット」のように、見ただけではヒマワリには思えないものもあるし、カラーファッションは、花びらの色が濃淡くっきり二色あるものも。
インディアンブランケット

 百種類のヒマワリを楽しめます。以下、ヒマワリの種類を上記HPからコピー。 
・ア行
アイスクリーム/アースウォーカー/アプリコットツイスト/アボガニーベルベット
イカルス/イスラエルひまわり/イタリアングリーンハート/イタリアンホワイト/イブニングサン/インディアンブランケット/インフラレッドヴェルサイユ
エバーアンディープイエロー/エバーサンハイブリッド/エリートサン/エルサレムゴールド/エルサレムサンライズレモン
オータムオーラ/オータムビューティー/オーラ/オレンジマホガニー
・カ行
かがやき/カクンバーリーフ/カラーファッション/カルメン/
ギャラクシー/ギンガー
クラウン/クラレット/クリムソンクィーン/グロリオサ・ポリーヘッド/
黒竜/ゴーギャンのひまわり/ココア/ゴッホのひまわり/小夏/ゴールデンアイ/ゴールデンチアー/ゴールドラッシュ/コング/コンステレーション
・サ行
サニーハイブリッド/サマーサンリッチパイン/サマータイム/サマーチャイルド/サンゴールド/サンシード/サンシャイン/サンステーション/サンスポット/サンスポットドワーフ/サンダウン/サンダウン ハイブリッド/サンダンスキッド/サンチャイルド/サントノーレ/サンビーム/サンブライト/サンブライトスプリーム/サンリッチオレンジ/サンリッチオレンジハイブリッド/サンリッジフレッシュオレンジ/サンリッチマンゴー/サンリッチレモン/サンリッチレモンドワーフ/サンリッチレモンハイブリッド
ジェード/ジャイアント/ジャイアントサンゴールド/ジャイアントサンフラワーミックス/ジャイアントマンモス/シャイン/ジャミードジャー/ジャンボひまわり/ジャンボリー/ジュニア/ジュリアナ/ジョン/ジョーカー/ジョーカー ハイブリッド/食用ヒマワリ/ジンジャーナット
スカイスクレーパー/スターバーストダンディー/スターバーストブレイズ/スターバーストレモンオーラ/ステラゴールド/ストロベリーブロンド/スパーキー
ゼブロン
ソニア/ソーラーエクリプスハイブリッド/ソラヤ/ソンヤ
・タ行
大雪山/タイタン/太陽/ダークレッドビューティー/ダブルシャイン/ダブルダンディー/タラフマラ
チトニア/チョコフレンド/チョコフレーク/ティファニー/テディーベア/テラコッタ
東北八重/ドワ-フイエロ-スプレ
・ナ行
のぞみ
・ハ行
バイセンテナリ/パイン/バレンタイン/パシノ/パシノゴールド/パティオ/パナシェ/パナシェスターバーストハイブリッド/バニラアイス/パール/ハロー/
ピグミ・ドワーフ/ピーチパッション/ビッグスマイル/ピノチオ/ヒメひまわり
ブラックオイル/プラドゴールド/プラドレッド/プラドレッドシェード/ブリリアンス/プレミアライトイエロー ハイブリッド/フロリスタン/フロレンツァ/フルサン
ベルベットクィーン/ヘンリーワイルド
ホリデー/ホワイト
・マ行
マジックラウンドアバウト/マティスのひまわり/マンチキン
ミニひまわり/ミラクルビーム/ムーニー/ムーランルージュ/ムーランルージュハイブリッド/ムーンウォーカー/ムーンシャイン/ムーンシャドウ/ムーンブライト/ムーンライト
メキシコひまわり/モネのひまわり
・ヤ行
八重ひまわり
<ラ行>
リトルドリットハイブリット/リングオブファイアー/
ルナ/ルビーエクリプス
レッドサン/レッドベルベット/レモンオーラ/レモンクイーン/レモンエクレア/レモンエクレアスターバースト
ロシア

・a-z行
GIGANTEUS
Incredible
Magic Round
Biout
Mammoth Gray Stripe
Maxmillian
Nadezhda
Royal Flush Hybrid


~~~~~~~~~~~
20170625の付け足し
 ひまわりの絵。私が描いてもひまわりはひまわりだとわかる絵になるのですが、ゴッホ以後の画家にとって、ゴッホ以上に個性的で強烈なひまわりというのはなかなか難しい課題になるのではないかと思います。ゴッホやゴーギャンの模倣になるのもつまらないし。
 日本画家片岡球子のひまわりと、前衛画家草間彌生のひまわり、なかなか個性的かつ強烈でいいんじゃないかしら。

片岡球子「ひまわり」


草間彌生のひまわり



<つづく>
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ぽかぽか春庭「各国語のひまわり」

2017-06-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170624
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>花の絵、花の名(8)各国語のひまわり

2012年、ひまわりシリーズの再録です。
~~~~~~~~~~~

2012/08/21
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(3)英国王の植物園・大陽王の紋章

 新大陸に咲いていたヒマワリが、スペイン人によってヨーロッパに紹介されたのち、ヒマワリについて書かれた最初の花譜は、モナルデスとフランプトン(Monardes & Frampton)が1569年にスペイン語で書いた『西インド諸国到来の薬草史“Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales 』という書です。ニコラス・モナルデスは医師として薬草の研究をしており、スペイン王立植物園でヒマワリを薬草として栽培していました。

 モナルデスの本に書かれたことはすぐに英国にも伝わり、1577年には翻訳されました。『新発見大陸からの有益なニュース“Ioyfull newes out of the New-found Worlde )』

 英国の園芸家ジェラルド(Gerarde)は、1597年に、“The Herball”という本に、自らの観察結果を書き、「太陽の花と名付けられたのは、花の形が太陽に似ているからであり、茎が太陽のほうを向いて回るということはない」と書き残しています。

 1629年には、ジョン・パーキンソン(John Parkinson 1567 - 1650)が、“Paradisi in Sole, Paradisus Terrestris ”という本を著し、王家の植物園で栽培されている植物について、詳しい花譜を残しています。パーキンソンはジェームズ1世の薬剤師として仕え、その息子チャールズ1世の代になると「王立植物園の園芸家」として植物栽培を行いました。イギリスでも薬剤師が薬草としてヒマワリ栽培を行ったことがわかります。

 パーキンソンの、“Paradisi in Sole, Paradisus Terrestris ”


 前回、「ヒマワリ絵画」で、チャールズ1世がヒマワリを愛好しただろう、と書きましたが、ヴァン・ダイクの自画像に描かれたヒマワリのほか、チャールズ1世お抱えの園芸家パーキンソンのくわしいヒマワリ花譜によっても、この花がどれほど英国王の心をとらえたかが推測されます。

 フランス絶対王政最盛期のルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、ベルサイユ宮殿を造営し、大陽をアレンジした紋章をベルサイユ宮殿にも飾りました。
ルイ14世の紋章

 ヒマワリがスペインからフランスに伝わったのは、太陽王の父ルイ13世の時代。ルイ13世は、薬草園を創設し、外来の植物を育てました。スペインやイギリスの王立植物園が、植民地の新種植物を有効利用するための実験室だったことを紹介しましたが、ルイ14世も王立アカデミーを設立し、植物栽培の研究をさせました。

 イギリス王チャールズ1世がヒマワリ好きだったろうと述べましたが、同時代のルイ14世もヒマワリを愛好したことでしょう。ルイ14世が大陽王と呼ばれたのは、バレエ好きで、自らが「大陽の王」という役に扮してバレエの舞台に立ち、踊ったからです。大陽のような形の花がおおいに気にいったであろうと推測されます。
 この推測を裏付ける本のひとつを紹介しましょう。

 ルーブル美術館が2000年に出版した『ルイ14世の植物図譜―王の植物』は、ルーブル美術館の銅版画室に残された植物画のうちから選んだ図版が美しい本です。値段は15000円と高くて、とても買えないので、図書館で探してみます。 銅版画(カルコグラフィー)による彩色の美しい植物画は、ボタニカルアートのお手本となりました。
 ルイ14世ゆかりのヒマワリの絵は、『ルイ14世の植物図譜―王の植物』の表紙に描かれています。


『ルイ14世の植物図譜 L'Herbier du Roy』著者アラン・ルノー 

<つづく>

2012/08/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(4)日本語のひまわり各国語のひまわり

 ヒマワリの伝来、日本へは、17世紀にロシアを経て中国から江戸に到来したことを、お話ししました。
 スペインから秘密の花が流出し、フランスやロシアに咲くようになったのが16世紀末から17世期はじめなのですから、極東に至るまで、きわめて短期間での伝播だったことがわかります。

 中国にヒマワリが伝わった当初は「丈菊(じょうぎく)」と呼ばれていました。茎の長さが一丈(1.8m)くらいもあるための命名です。別名は「迎陽花」。

 1617年に書き表された、王路の著作『花史左編』によると。
 「其茎丈余亦堅粗毎多直生雖有傍枝只生一花大如盤盂単弁色黄心皆作窠如蜂房状至秋漸紫黒而堅劈而袂之其葉類麻而尖亦叉名迎陽花」
 (この植物の)茎は一丈に余り、堅く荒い茎はまっすぐに伸び、茎ごとに花がひとつ咲く。花はお盆のような大盤で、花びら一枚一枚は黄色一色である。黄色い花びらの中心には蜂の巣のようなものがあり、秋になるとしだいに黒紫色になり、堅くなる。葉は麻の葉のように先が尖っている。丈菊の別名は「迎陽花」である。(拙訳:春庭)
 
 ヒマワリを漢字で「向日葵」と書くのは、日本へひまわりを伝えた中国語の漢字名を、日本語の「ひまわり」という呼び方にあてたもの。
中国名:向日葵 xiang ri kui シャンリークイ、葵花(kui hua)クイファ

 同時代、1600年に南蛮ジャガタラ(現在のジャカルタ)から伝来したジャガタラ芋=ジャガ芋は、連作が難しいことと芽に毒があるため食用としては普及せず、紫色の花を観賞するために栽培されました。ジャガイモは飢饉の際の「お助け芋」であり、一般の日常的な食用として普及するのは、明治になって男爵いもなど品種改良が行われて後のことになります。
 ヒマワリも日本では食用としてではなく、鑑賞用として栽培されました。

 江戸時代は、園芸が盛んで、世界史的にみてもたいへん高度な園芸種開発が行われました。もともと徳川家康が大の薬草マニアで、本草学が大好き、二代秀忠は椿の新種作りに精をだし、三代家光は盆栽作りに執心、ということから武士階級の趣味として広まったのです。

 江戸時代の園芸栽培で最初に盛んになったのは、椿です。二代将軍徳川秀忠が愛好し江戸城内に椿園を作りました。その後、新種栽培の流行は、朝顔、菖蒲などでも競われ、各地で新種栽培が行われました。大名や旗本の「部屋住み」として捨て扶持で一生をすごす次男以下の武士や隠居の大名、公家たちは、新種の花を作り出すことに熱中し、それを博物誌として書き残すことが各地でなされました。
 たとえば、熊本藩では「武士のたしなみ」のひとつが園芸で、肥後六花(肥後椿、肥後サザンカ、肥後朝顔、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊)は、今も熊本の名花として知られています。

 竹橋の国立文書館には、江戸城紅葉山文庫の蔵書がそっくり受け継がれています。将軍や大名達が熱心に集めた博物誌の展示を見て、すごい!と見入ったことを思い出します。

 これらの博物誌に描かれたヒマワリは、というと。 
 中村斎『訓蒙図彙』1666(寛文6)年には、ヒマワリ、ヒナゲシ、ギボウシ、イワレンゲなどの図が初めて描かれました。『訓蒙図彙』は、日本最初の百科事典といえる本です。
 ヒマワリについては、
 「丈菊」じょうきく・てんがいばな(天蓋花) 〇丈菊は一名ハ迎陽花という.日輪にむかう花なり.よって日車ともいう.花菊に似て大い也.色黄又白きもあり」と、説明されています。

 絵入り百科事典『訓蒙図彙』は、江戸の園芸家によく読まれ、版を重ねました。初版から120年たった1789(寛政元)年版の『訓蒙図彙』
 「丈菊 てんがいばな」の項

挿絵を描いたのは、下河辺拾水(生年不詳 - 1798(寛政9)日本版ボタニカルアートの嚆矢にあたります。

 元禄時代(17世紀末ごろ)には、「ひまわり」という名前が広まっています。
 伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には、「日廻(ひまわり)(中末) 葉も大きク草立六七尺もあり花黄色 大りん」また、1699年の『草花絵前集』には、「○日向葵 〇一名日廻り、〇一名にちりん草、花黄色なる大りん、草立も八九尺ほど亦は十尺ばかり、何所に植ても花は東へ向て開、八九月に咲。」と書いてあります。

 伊藤伊兵衛は、現在の豊島区駒込に住んでいた江戸一番と言われた植木屋で、当主は代々、伊藤伊兵衛を名乗りました。、1699年の『草花絵前集』を著したのは、元禄・享保期(1688-1735)に活躍した伊藤伊兵衛三之烝(さんのじょう)と伊藤政武(まさたけ)父子です。

 元禄から宝永と年号が変わった、徳川綱吉の時代の末期、1709年に貝原益軒が『大和本草』を出版。「巻之七 草之三 花草類」には
 「向日葵 ヒフガアオイ、一名西番葵.花史ニハ丈菊ト云.向日葵モ漢名也.葉大ニ茎高シ六月ニ頂上ニ只一花ノミ.日ニツキテメクル.花ヨカラス.最下品ナリ.只日ニツキテマハルヲ賞スルノミ.農圃六書花鏡ニモ見ヱタリ.国俗日向(ヒフガ)葵トモ日マハリトモ云.」
と、記しています。日向葵(ヒュウガアオイ)、西番葵、丈菊、など、ヒマワリの別名がたくさんあるということは、伝来後、各地への伝播があり、それぞれの地での呼び名があったことが推測されます。

 大名を博物学に駆り立てたのは、「趣味」でもありましたが、領内に有用な農作物を普及させたいという所領経営のねらいもありました。江戸時代後期には、各地に「博物学サークル」が出来て、薬品会、博物会も開かれました。平賀源内(1728 - 1779)は、そういう仲間のひとりでした。

 めずらしい種類の花が作り出されると、一鉢何百両(今の価格で数千万から1億)という値段さえついたということです。
 江戸時代後期になると、博物学、昆虫や魚の絵また植物画に熱中した大名や公家が、数多くいました。ヒマワリ絵画で紹介した酒井抱一も姫路藩お殿様の四男坊です。

「四季花鳥図 右双」鈴木其一(酒井抱一の弟子、後継者)


 公家のトップ、近衞家熈(このえ いえひろ1667-1736)は、落飾後は豫樂院(よらくいん)と号しました。書画にすぐれ、『花木真写』は、陽明文庫(近衛家伝来の古文書、書画などの保管所)に残されました。2005年に『花木真寫-植物画の至宝』として、淡交社から編集復刻されています。

 近衛豫樂院の描いた日向葵


 日本語でヒマワリを表すことば。『日本方言大辞典』(小学館)『花の歳時記大百科』(北隆館)などから、各地のひまわりの呼び方を抜粋すると。

<太陽の花、太陽に向かう花の意>
日廻り、日回、向日葵(ひまわり)日向(ひむき)日向草(ひむきくさ)日向葵(ひなたあふひ)日向葵(ひゅうがあおい)照日葵(しょうじつき)日蓮草(にちれんそう)望日蓮 転日蓮 迎陽花など。

<丸い形、輪っか、車輪の形の花の意>
わっぱ花 日車(ひぐるま)日車草(ひぐるまそう)天車(てんぐるま)日輪草(にちりんそう)

<外来の花の意>
天竺葵(てんじくあおい)西半葵(さいばんき)西番葵

<その他>
天蓋花(てんがいばな)羞天花(しゅうてんか)ねっぱばな、めっぱ

 日本では、大陽にまつわる呼び名が各種ありました。各国語のヒマワリを調べてみると、ほとんどは「大陽+花」という意味の語になっています。でも、各国の方言をしらべてみれば、また違う呼び名があるのかもしれません。 

 世界各国の言語で、ひまわりをあらわすことば。
学名:Helianthus annuus L. (ヘリアンサス アヌウス)
属名は「helios 太陽」+「anthus 花」、種小名annuusは「一年生の」の意

・ロマンス語系
<「太陽を追って回る」の意>
スペイン語:girasol(ヒラソル・イラソル)girar= 回す、回る + sol(太陽)
ポルトガル語:girassol(ヒラソーウ)girar=回す、回る +sol(太陽 ソーウ)
イタリア語:girasol(ジラソル)girare=回す、回る+sole(太陽) girasole(ジラソーレ)
フランス語:tournesol(トゥルヌソル)tourne=tourner(まわる)の過去分詞 + sol(太陽) soleil(ソレイユ 太陽、日光、ひまわりの花)

・ゲルマン語系
<「太陽の花」の意>
英語: sunflower  sun(太陽)+flower(花)説と、sun(太陽)+following(追う)説がある。
ドイツ語:Sonnenblume(ゾネンブルーメ)Sonnen=太陽の +Blume=花
オランダ語:zonnebloem (ゾンネブローム)

・その他
エスペラント語:sunfloro(スンフロロ) (suno=太陽)+花
ギリシャ語:  ηλιανθος(イリアンソス)
ロシア語: подсолнечникパトソールニチニク

韓国語: 해바라기(ヘッパラギ)
マレー語: bunga matahari(ブンガマタハリ) ブンガ=花 マタハリ=大陽
タイ語: Dork-taan-tawan(ドークターンタワン)
スワヒリ語:alizeti(アリゼティ)

 ほとんどの国のことばで、「大陽の花」という意味になっています。


~~~~~~~~~~~
20170624の付け足し
チューリップとひまわりのいいところ。私が描いてもちゃんとチューリップに見えるし、ひまわりに見えるところ。だれが描いても、ひまわりはひまわり以外の花には見えないところが、ひまわりの偉大(?)なところ。

「ひまわり」梅原龍三郎(山種美術館所蔵)





<つづく>
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ぽかぽか春庭「ひまわりの歴史」

2017-06-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

「モネの庭(ひまわりの庭)」クロード・モネ

20170622
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>花の絵、花の名(6)ひまわりの原産地とひまわりの歴史

 「花の絵、花の名」シリーズ、後半は、2012年にUPしたひまわりに就いて書いたものを採録します。2012年、gooブログに移行したあとのUPなので、画像付きですが、今回付け加えた画像もあります。
~~~~~~~~~~

2012/08/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(2)ヒマワリの歴史

 夏らしい花のうち、どういうわけかカンナは赤いのも黄色いのもあまり好きになれません。葵も好きでない。夏咲く花で好きなのは、なんといってもヒマワリです。

 ヒマワリはキク科の植物。一般に花と呼ばれる部分、キク科の他の花、菊やタンポポと同じく、小さな花がたくさん集まって、ひとつの花に見えるのです。
 花が集まったものを花序といいます。外輪に黄色い花びらが開いた部分が舌状花、内側の花びらがない花を筒状花(管状花)と区別して呼ぶのだそうです。

 「ひまわり」を辞書で調べてみると、広辞苑には「メキシコ原産」とあり、他のところには「アメリカ原産」とでていました。原産地はどっち?

 植物学の研究からいうと、ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられています。野生のひまわりを栽培用にしたのは、紀元前のアメリカネイティブの人々。(アメリカインディアン)
 長楕円形の種子は、そのまま殻をとって食べたり、植物油を生成したりでき、食用作物として重要な位置を占めていました。

 スペイン人がアメリカ大陸へ上陸したのち、1532年、インカ帝国に攻め込んだピサロFrancisco Pizarroが本国に「ひまわり」について報告。
 1569年、スペイン人の医師ニコラス・モナルデスがヒマワリの種をマドリードのスペイン王立植物園に持ち帰り、植物園内で栽培が開始されました。
 スペインやイギリスの植物園は、植民地の有用植物を栽培し、農業利用するための実験室でしたから、世界中のさまざまな植物が集められ、研究されました。

 ヒマワリは、スペインが「国益のために門外不出」として、100年もの間、国外に出されることがありませんでした。ヒマワリが他国にも知られるようになったのは、世界最強とうたわれたスペインの無敵艦隊が、イギリスのエリザベス一世のもとに屈し、その勢威にかげりが出てきてからのこと。国の守りが弱くなると、門外不出の秘密の花も、外へ漏れていきます。
 17世紀になると、フランス、次にロシアに伝わっていきました。当初は鑑賞植物として広まり、ロシアで食用として改良され大々的に栽培されるようになりました。

 昨年来、ひまわりが注目を集めたことがあります。ひまわりはこれまで、食用や油採取に利用されてきました。しかし、3.11以後、これまでと異なる点で利用出来るかも知れない、と話題になりました。ヒマワリを植えると、セシウムほかの汚染放射能を吸収し、除染に役立つのではないかと期待されたのです。チェルノブイリなどに植えられた実績がある、という話でした。

 しかし、農水省の実験結果では、ヒマワリ植栽ではほとんど効果がなく、表土を削り取る方法が一番効果がある、という発表がありました。削り取った表土はまた処理をしなければならず、放射能汚染を完全に処理するには、人間の手におえるものではない、ということがよくよく身に染みました。
 ひまわりは除染には役立たない、との実験結果は残念なことでしたが、ひまわりのあの向日性が、心を明るくしてくれたのは確かです。

 8月後半のシリーズは、「ひまわり蘊蓄」です。ひまわりにまつわる伝説やことば、絵画などを紹介します。

<つづく>

2012/08/19
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(2)ヒマワリ絵画

 ヒマワリがスペインの「門外不出」の植物園から漏れ出ると、たちまちヨーロッパ社会に伝播しました。17世紀の西洋の画家達もキャンバスにヒマワリの姿を残しました。

 アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck1599-1641)は、フランドル出身。ルーベンスの元で修行したバロック期の画家です。イギリスのチャールズ1世のもとで宮廷画家となり活躍しました。「ヒマワリのある自画像」は、チャールズ1世から送られたという金の飾りを身につけ、王室の勢威を表すヒマワリに向かっている姿で描かれています。


 ヴァン・ダイクが仕えたチャールズ1世は、日本史でいうと関ヶ原の戦いの年、イギリス史でいうとエリザベス朝最盛期の1600年に生まれました。スコットランド女王メアリースチュアートの孫にあたります。父親のジェームズ6世(イングランド王としてはジェームズ1一世)は、自分の母親メアリー・スチュアートを処刑したエリザベス1世から後継者に指名されました。チャールズ1世は、6歳のとき父親と共にロンドンに移住し、25歳のとき、イングランドスコットランド連合王国の王となりますが、オリバー・クロムウェルとの内戦により、49歳のとき処刑されます。
 治世の間、内戦のほか熱中したことといえば、絵画収集。今に伝わるイギリスのロイヤルコレクションの基礎を固めました。
 
 ヴァン・ダイクが王室の勢威の象徴としてひまわりを選んだのも、古き強国スペインから伝わった大陽の花を己の力のシンボルとしてチャールズ1世が好んだためだったのかもしれません。
 政治能力に欠けたとされるチャールズ一世が、清教徒革命で処刑された王様だということ以外で現代に知られているエピソードがあるとしたら、フランスのデュマの小説「三銃士第2部」で、ダルタニヤンが救出しようとして失敗する王様がチャールズ1世、ということくらいでしょうか。チャールズ1世のお后はフランス王の娘でした。この時代、ヒマワリはフランスのルイ13世の薬草園でも栽培され、ルイ14世は、ひまわりを愛好したと伝えられています。

 17世紀、スペインから各地に伝播したヒマワリは、たちまちのうちにロシア、中国へと広がり栽培されました。
 中国からヒマワリが日本に伝来した17世紀江戸時代。18世紀になると、珍しもの好きの江戸の絵師達、盛んにヒマワリの絵を描きました。
 伊藤若冲と酒井抱一の絵は、三の丸尚蔵館や東京国立博物館などで、見ることができます。

酒井抱一「十二ヶ月花鳥図より」 と 鈴木其一「向日葵図」(畠山美術館) 
             

伊藤若冲 向日葵雄鳥図



 ヒマワリを描いた絵画、として私たちの脳裏に浮かぶ絵は、おそらくヴァン・ゴッホの描いた12枚のひまわりでしょう。

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh1853-1890)
 ゴッホは、生涯のうち、画家として生きたのは10年ほど。37歳で自ら命を絶った短い一生のあいだに、12点のひまわりの絵を残しました。
 ゴーギャンとともに住んでいたころから晩年までに、南フランスのアルルで描かれたひまわりは7点。そのうちの1点が東京新宿の損保ジャパン東郷青児美術館に所蔵されています。ロンドンナショナルギャラリーとほぼ同一のモチーフで、損保ジャパンが購入した直後からフェイクとの評がたえませんでしたが、美術館側は、「当館のひまわりは「15本のひまわり」と説明しています。


14本のひまわり(ロンドンナショナルギャラリー)と 15本のひまわり(損保ジャパン美術館)
      

3本のひまわり(個人蔵)
 

 ゴッホのヒマワリ12点をすべてを見るなら、このサイト
http://www.vggallery.com/misc/sunflowers.htm

 ゴッホとゴーギャン(1848~1904)との共同生活が破綻しようとするころに、ゴーギャンが「ひまわりを描いているゴッホ」の肖像を残しています。ゴッホの行動に不安を感じながらも、その姿を写し取ったのです。

ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホ」


 1880年からはじまったゴーギャンとゴッホの同居時代は、ゴーギャンとの軋轢に疲れたゴッホが自分の耳を切り落とすという自傷行為に走り、おわりとなりました。ゴーギャンはゴッホとの共同アトリエ「黄色い家」を去り、1891年には、太平洋のタヒチ島に移住します。
 ゴッホはピストルで頭を撃ち抜き生涯を終えます。

 ゴッホは、弟テオへ宛てて膨大な手紙を残しています。
 ひまわりについては、テオに次のように書き残しています。(Letter 573 Vincent van Gogh to Theo 22 or 23 January 1889)

「シャクヤクの花はジーニーンのだって、君は思ってるんじゃないかい。タチアオイはクォストのものだ。だけど、ヒマワリは幾分かは僕のものだって、君も思うだろう?」
 You may know that the peony is Jeannin's, the hollyhock belongs to Quost, but the sunflower is mine in a way."


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20170622の付け足し
 昨2016年にゴッホとゴーギャン展を見たとき、ゴーギャンが描いたひまわりの絵が心に残りました。たった2ヶ月いっしょに暮らしたゴッホだったけれど、その後ゴッホが自殺してしまうまで、友情が続いていた、ということもわかり、ゴーギャンが描くひまわりには、この花を愛したゴッホの思い出が描かれていると感じたからです。

「肘掛け椅子のひまわり」ポール・ゴーギャン


<つづく>
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ぽかぽか春庭「紫陽花・安治佐為その2」

2017-06-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

飛鳥山公園あじさいの小径

20170615
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名前(5)紫陽花・安治佐為その2

 あじさいの表記について2004年に書いたものの再録を続けます。
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2004/07/20
 購読している新聞に、陳舜臣氏のエッセイが掲載されていた。
 2004年6月7日付の陳舜臣の文に「神戸市の市花は紫陽花」という紹介があり、紫陽花の名付け親として白居易の漢詩が紹介されていた。
 中国文学・歴史にも日本史にも造詣が深い氏のエッセイである。白居易の詩に関する部分は問題ない。

 しかし、文中に「遣唐使や水夫の衣服や荷物についた(日本原産のあじさいの)種が中国の沿岸地方で、しぜんに根付いて花をさかせたらしい」とあるので、陳氏は「白居易が実際に「安豆佐為」の花をみて紫陽花と名付けた」として、この文を書いているのではないかと推察された。
 遣唐使が唐のみやこ長安まで出かけているのだから、港町や長安までの道中に、安豆佐為(あづさゐ)の種がこぼれることも十分に考えられる。だから、千年前の上海の南200キロの港町杭州近くの西湖のほとりに、アジサイが咲いていたと想像することもできる。

 だが、「安豆佐為(あづさゐ)=紫陽花」というのは、源順の「思ったこと」であって、白居易が紫陽花の姿形を描写したわけでなく、「紫陽花が安豆佐為(あづさゐ)である」と、断定することもできない。
 白居易が「紫陽花はこの花」と指定しているのではないから、「紫陽花=アジサイ」かもしれないし、ライラックのような香り高い花かも知れない。

A:白居易は見知らぬ花を見て、紫陽花と名付けた 
B:源順は、紫陽花=アジサイと思った 
というA,Bから、
C:白居易が見たのは日本原産のアジサイである、
という結論が導き出せないことだけは、確認しておきたい。


「紫陽花・東都浅草花やしき」二代目歌川広重

 この絵から推測するに、幕末には西洋で改良されたハンドランジア(こんもりと丸くなる形のアジサイ)が日本に渡来していたことがわかります。

2004/07/21
 現代中国語では、アジサイは綉球科(八仙花科、虎耳草科)、綉球属(八仙花属)。
 綉球、八仙花、大八仙花、八仙綉球、繍球花、洋繍球、紫陽花、紫繍球、瑪哩花、天麻裏花、雪球花、粉團花などと表記されている。(私の手持ちの岩波日中辞典では、八仙花、綉球のふたつのみ)
 「紫陽花」の表記は日本からの逆輸入。「天麻裏花」は、「手鞠」の形の花、というこれも日本語からの表記。

 中国語を確認したり、アジサイの表記について検索をかけて確認するうち、私が自分の感覚で「白居易のいう香り高い紫色の花は、アジサイではなく、ライラックのような花」と感じたことが、案外まとはずれでもないことがわかった。

2004年07月21日
 植物学者の牧野富太郎が「植物一日一題」というエッセイに「千年前の中国にはアジサイは咲いていない」という長年の植物研究結果を書き留めている、と知った。私が愛用している植物図鑑は牧野の編纂による『学生版原色牧野日本植物図鑑』というハンディタイプの図鑑。しかし、エッセイ『植物一日一題』は読んでいなかったので、いつか読んでみたいと思う。

 また、植物学者湯浅浩史さんが、「白居易のいう紫陽花はライラックと思う」という主旨の文を書いていたことを知った。源順とは異なる感覚で、紫陽花をとらえていた人がいたことに感激!ライラックは片仮名表記なので、西欧の花かと思いこんでいたのだけれど、これも思いこみのひとつ。ライラック原産地は中国という。
 湯浅先生は植物学の権威だけど、「権威者だから、その言葉を信じる」というのじゃありません。植物には素人のオバハンが何となく感じた疑問を考えていったら、植物を長年研究している人と同じ結論に達したことの驚きと、同じ感覚を共有できた!という喜び。

 「アジサイの漢字表記は紫陽花」という「皆があたりまえと思っていること」でも、「ちょっとひっかかる」と感じた。
 「アジサイは雨のなかや湿った場所に咲いているのがぴったりするのに、なぜ、陽の花なのだろう」と感じたり、「芳香のある花」と白居易が書いているのに、なぜ、安豆佐為(あづさゐ)が紫陽花なのだろう、と思った。素朴な疑問を解決しようとあれこれ探っていったら、いろいろな事実がわかってきた。

 自分の心身でものごとを受け止めて、疑いを持ち、疑義提出するにはエネルギーがいる。約束事にしたがい、大勢にしたがってつつがなく生活し言葉を交わし合う方が、はるかに楽しく心地よく物事が運ぶ。
 だが、「つつがなく暮らすために、すでに決まっていることや考え方に従う」だけではいられない時もある。「思考を停止し、大勢に従うほうが楽」と思えるときも、一歩立ち止まり、自分の考え感性を信じていきたい。
 
 飛鳥の小径。アジサイは崖下の小径に咲き誇る。それぞれの株にそれぞれの色。
 様々な色を楽しむと同時に、私は私の感受性でものごとを受け止めようと願う。八方へアンテナをはり、さまざまな考えや感じ方を自分なりに受け止め、自分なりに考えていこう。

 アジサイのさまざまな発色は、土壌の酸性アルカリ性によるのだそうだが、私たちの思考感性は、サンセイもハンタイも、それぞれの自由に。
 世の中全体が一色に染まらぬことを願いつつ、私はさまざまな色を楽しみ、さまざまな色合いをながめることを喜びとしていく。

紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の 別座敷」松尾芭蕉
紫陽花の 末一色(すえひといろ)となりにけり」小林一茶
紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」正岡子規

 「集真藍(アジサイ)や株ごとの色 わたし色」春庭
 「陽を放つごとく雨中に咲くあじさい」春庭

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2017年6月13日の付け足し

 春庭から青い鳥さんへ毎月10枚ずつ出している絵はがき。2017年6月15日付けで送ったのは、伊藤若冲「紫陽花双鶏図」です。皇居東御苑三の丸尚蔵館が所蔵する「動植綵絵」36枚の中の1枚。だいぶ前に買ったものですが、酉年の紫陽花の季節に出したいと思ってとっておいたものです。青い鳥さんにおくる、765枚目の絵はがきです。


2016年6月ミサイルママと歩いたあじさいの小径


<つづく>
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ぽかぽか春庭「紫陽花・安治佐為その1」

2017-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

山口蓬春「梅雨晴」山種美術館(絵はがき)

20170613
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名前(5)紫陽花・安治佐為その1

 紫陽花あじさいについては、何度かその漢字表記について書き記してきました。2004年7月に書いたのが最初ですが、2010年にも再録しています。OCNカフェ時代にUPしたものなので、gooブログとして再度の再録をしたいと思います。2004年2010年のOCNカフェブログでは画像UPをしていませんでしたので、画像はすべて今回の付け足しです。
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2004年07月14日
 アジサイの花言葉。「強い愛情」「元気な女性」などのほか「移り気」もあるのは、ひとつの株の花でも、ときには青い花だったり、ときにはピンクになったり、土壌の組成によって、色が変わるため。土壌が酸性かアルカリ性かによってさまざまな色をみせる。

 アジサイ(ホンアジサイ)のラテン学名は、Hydrangea macrophylla。ハイドランジアは水、マクロフィアは容器の意味。たっぷりと水を含んだ、雨の季節にふさわしい名前に思う。
 私が使っている『原色牧野日本植物図鑑』の記述では、Hydrangea macrophyllaはガクアジサイの学名。花が手まり状になるアジサイの学名はHydrangea macrophylla Seringe var.otakusa ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ)となっている。
 現在の植物学では、オタクサの名は除かれているそうだが、在野の植物学者として独自の研究を続けた牧野は、「オタクサ」を削ってしまいたくなかったのだろう。

 「 ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ」この学名の最後の「オタクサ」は、ヨーロッパにこの花を紹介したシーボルトの日本人妻の名前「お滝さん(楠本滝)」にちなんでつけられたもの。
 シーボルトは医師として江戸末期の長崎のオランダ商館で働いていた。
 シーボルトは、長崎から「日本植物図」を植物学者・ツッカリーニに送った。あじさいの発見者は「ツッカリーニとシーボルト」となっている。

 当時ヨーロッパでは博物学が盛んであり、各国は競って世界各地の植物を蒐集研究していた。世界各地にいた探検家、学者、商人まで、新種の発見に夢中になり、本国へ標本や精密な植物図譜を送付した。新種の植物は「植民地から金を生み出す木」でもあった。
 日本のあじさいが西洋植物学研究者に知られるようになったのは、江戸末期からだが、あじさいは古来から日本の地に咲いていた。日本原産の花。東京や伊豆などで、野生種のあじさいが発見されている。

 奈良時代のあじさいが、万葉集にうたわれている。
 万葉集の編集者とされる大伴家持の歌。あじさいは「味狭藍」と表記されている。(巻四 773)


言問はぬ木すら味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に詐かヘけり(こととわぬ きすらあじさい もろとらが ねりのむらとに あざむかえりけり)大伴家持」
 物を言わない木にさえも、アジサイの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手管に長けた諸弟の言うことに、私は簡単に騙されてしまいました。

 以下、アジサイの漢字表記について検証する。現在、アジサイは熟字訓として「紫陽花」という表記が定着している。万葉集に記された万葉仮名表記「味狭藍」や「安治佐為」という表記から「紫陽花」という表記に変わったのは、平安時代以後のことになる。


「紫陽花と燕」葛飾北斎


2004年07月15日
 大伴家持のアジサイ表記は「味狭藍」。もうひとつ、万葉集に知られたアジサイの表記がある。橘諸兄の歌では「安治佐為」という万葉仮名で表記されている。(巻二〇 4448)
(たちばなのもろえ{684~757}、父は敏達天皇の玄孫美努王,母は県犬養三千代。光明皇后(藤原不比等と再婚した三千代の娘・)の兄として、奈良時代に権勢をふるった)。


安治佐為の八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲ばむ)(あぢさいのやえさくごとくやつよにを いませわがせこみつつしのばむ)」

 この場合の「八重咲く」は、「八重咲きのアジサイ」ではなく
「たくさんの花びらが重なりあって咲いているアジサイ」であろう。

 アジサイの表記について。
 平安時代のお坊さん、昌住が著した「新撰字鏡」では「安知左井」と表記。
 同じ平安時代の「倭名類聚抄(和名抄)」では「安豆佐為」。

 アジサイ。安豆(あつ)は「集まる」という意味。「佐(さ)」は、真を意味する。「為(い)」は、藍(あい)の意。すなわち、「真の藍色(あいいろ)の集まり」という花の様子から、安豆佐為(あつさい)と名がつき、安豆佐為(あづさい)が転訛(てんか)して、アジサイになったのだという。

 明治時代に編纂された「大言海」で、大槻文彦は「あじさい、語源は集真藍(あつさあい)」としている。

 アジサイに「紫陽花」の漢字をあてることについて。
 平安文学は、中国唐詩の影響を強く受けている。ことに中唐の時代の詩人白居易(白楽天772-846)の漢詩文集「白氏文集」は、人気が高かった。白居易の詩がアジサイに関わっている。
 10世紀に成立した「和名抄」に『白氏文集律詩に云(い)う、紫陽花、和名、安豆佐為(あつさい)』と書かれている。倭名類聚抄(和名抄)の編纂者は源順。

 源順は、白居易の「白氏文集第20巻」の中にでてくる紫陽花をアジサイのことを指していると思いこみ、「紫陽花=アジサイ」とした。
 源順の記述により、「白氏文集」に出てくる紫陽花がアジサイのことだと、皆も疑わなくなった。現在ではアジサイの漢字表記は紫陽花が一般的。

 しかし、ちょっと待って。違うのだ。
 実は、この「白氏文集」の中にでてくる紫陽花(ツィヤンファ)がどのような花をさしていたのかは、わかっていない。
 源順が「紫陽花とは、わが国の安豆佐為のこと」と書き残したのは、彼の思いこみによってであり、根拠があってのことではない。源順は中国へ行ったこともなく、白居易が詩に残した紫陽花を見たこともない。

2004/07/16
 白居易が詩にした紫陽花が、紫色の花だったことだけは確かなのだが、その花が、はたして紫色のアジサイだったのか、ライラックのような紫色の花だったのか、はたまた別の紫色の花だったのか、記述は何もない。
 「白氏文集章巻二十」には、白居易が紫色の花を見て、だれもその名を知らなかったので、「紫陽花」という名をつけた、と書かれているだけだ。

 「紫陽花」の漢詩の前に、前書きがある。
招賢寺有山花一樹、無人知名(招賢寺に山花一樹あり、名を知る人無し)
色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物((色紫にして気香しく、芳麗にして(愛すべく、頗る仙物に類す)
因以紫陽花名之((よって紫陽花を以てこれを名づく。)
「招賢寺に、名前が不明の紫色の花木があった。その名を知る人がいない。色は紫で芳香がある。芳しく麗しい愛すべき花。まるで、人間界とは異なる仙界の花のようだ。よって、この花を紫陽花と名付けた。」

「白氏文集」より「紫陽花」。

何年植向仙壇上(いづれの年か植えて仙壇の上に向かう)
早晩移栽到楚家(いつしか、移栽して梵家(てら)にいたる)
雖在人間人不識」(じんかんに在りといえども人識らず)
与君名作紫陽花」(君に名づけて紫陽花となさむ)
いつのころからか仙壇に植えられていた
いつしか移しかえて、寺に植えられた
人の世界に来たけれども、人はその名を知らない
この花に名を与えて紫陽花と呼ぼう(春庭拙訳)

 私は、この白居易の前書きを読んで、「?」と思った。「色は紫にして気は香る」と書かれているからだ。
 白氏文集「紫陽花」前書きにある「芳麗愛すべし。すこぶる仙物に類す」を読むと、あれ?アジサイって、そんなに香りの強い花だったっけ、と疑問が生じる。
 白居易が「色は紫にして気は香る」と書き留めたのは、その紫色のあざやかさと同等に、周囲の空気を満たす香りが印象的だったことを想像させる。

 薔薇やライラック、百合のカサブランカは、その花の下にたてば、芳香に包まれる。しかし、アジサイの花に近づいて香りを確かめても、そんなに強い芳香は感じない。
 「気が香っている花」の香りに包まれて「ここは人間の世界じゃない、これはまるで仙人の世界のようだ」なんて気持ちにはならなかった。
 アジサイの色はたしかに美しいが、「芳麗愛すべし」とは印象が異なる。

2004/07/17
 紫色で香りが強い花といえば、むしろライラックの種類に近いんじゃないかなあ。だが、確実なことはわからない。白居易が書いているのは「色は紫、香りが強い」ということだけで、花の絵を残しているのではないから。

 私が出講している大学のひとつ。正門脇バス停に、ライラック(リラ)の群落がある。毎春バス停周囲が満開のライラックに包まれ、なかなか来ないバスを待つ間、馥郁とした香りを楽しむことができる。
 白居易が「色は紫にして気は香る。芳麗愛すべし」と言ったのは、この花かも知れないなあ、と思いつつライラックの香りを楽しんできた。

 白居易は紫陽花の姿形をどのような花であるとも描いていないのだから、「気は香る」という表現を「芳香がある」と受け取らず、「色の紫から、周囲の気が香るように感じる」と、色彩からくる感覚を「気が香る」と表現したのだ、と考えることも不可能ではない。

 源順も、白居易が描き出した花を確実に知っていたのではないが、彼自身の詩への感受性によって、この紫色の花を「安豆佐為(あぢさゐ)」と受け止めた。
 源順がアジサイの漢字名を紫陽花と思いこんで以来、日本ではアジサイ=紫陽花となり、「安豆佐為」という万葉仮名を押しのけて浸透した。
 定着してしまえば、それが「現在の日本語表記」となる。
 日本語の漢字表記が成立するには、様々な要素がある。だから、「現時点では、アジサイの漢字表記が紫陽花である」というのは、それでよい。

 ただ、白居易の「紫陽花」は、直接に日本原産の花「アジサイ」をさしていたのではなかった、という事実も知っておきたいと思うのだ。

2004/07/07の付け足し
 和語の「匂ふ(にほふ)」の原義は丹色(にいろ=赤土の色)が「秀(ほ)ふ=特別に秀でている」という意味なので、「匂う」は「美しい色が秀でている」という解釈ができますが、中国語の「香シャン」は、「嗅覚による香り」の意味になります。ただし現代中国語では「よい香り、良いにおい」は「香味xiāngwèi」ですが、唐代の「香」に別の意味があったかどうかまでは、春庭の貧弱な漢語知識ではわかりません。

2004/07/20の再録
 私は、白居易の「紫陽花」は、香り高いライラックのような花だったのかも知れないなあ、と感じた。感じただけであって、絶対にそうだという証拠もない。

 千年前に、源順が「アジサイ=紫陽花である」と書いたら、だれも異議申し立てをしなかった。
 日本の文芸において、自分の感受性を発揮する以上に、「おつきあいの言葉やりとり」「同じ言葉をやりとりする仲間同士の交流」が重んじられる面があったから、紫陽花は別の花かも知れないと、だれも言い出さないうちに、いつのまにかアジサイといえば紫陽花になった。


~~~~~~~~~~~~~
20170617の付け足し
 東京の街路や店の陰、今の時期あじさいがあちこちで咲いています。それぞれの土地でそれぞれの色。
 政府の方針に素直に従わない者が数人寄り集まって愚痴でもこぼすと、共謀していると疑われてしまうかも知れない今日このごろ。ひと色になってしまった世の中、どうなるのでしょう。

2011年6月都市農業公園のあじさい


<つづく>
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ぽかぽか春庭「花の表記」

2017-06-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

「四季花鳥図」鈴木其一 山種美術館所蔵

20170617
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名(4)花の表記

 ネアンデルタール人が墓に花を供えていたことは、発掘された古い人骨の周辺に、花粉の痕跡がたくさん見つかっていることから推察されています。
 現生人類になる以前から、人は亡き人を葬る際に、花をお供えしてきたこと。花の色や香りは人の心に安らぎや癒やしを与えてきたのだろうと思います。
 日本でも、旧石器時代岩宿遺跡の人々も縄文時代の人々も、花を飾り野の花に名前をつけたことと思います。

 方言の中に、縄文の人々の草花ことばのなごりがあったらうれしいと思うのですが、わかりません。万葉集東歌の中に、「うけらが花」などが登場します。野菊の一種かという説が有力ですが、諸説あります。
 花の名前、万葉東歌を詠んだ人々にとっての花。東歌を採用した大伴家持らにとっての花。
 古今集、源氏物語など、それぞれに花が登場します。中国の漢詩に詠み込まれた花もあります。
 
 中国から伝わった名称が、日本語に残った花の名もありました。中国の発音が少し変化した形で伝わっています。
 たとえば、梅。中国メィ→日本ゥメィ→ウメ。
 牡丹。中国ムーダン→ボーダン→ボタン(mとbは入れ替わる音。寒いがサムイとサブイ、どちらも使われるように)

 以下、湯浅浩史さんの分類による花の名前漢字表記をもとに、花の和名の漢字表記について考えます。
引用元。http://taka.no.coocan.jp/a5/cgibin/dfrontpage/fudemakase/SYOKUBUTUkanmei.htm
 たいへん有意義な分類だと思い、引用させていただきます。引用部分青字。中国語のピンイン表記は、四声を省略してあります。

一、漢字の表記も発音も中国名に由来
菊(キク)、紫苑(シオン)、桔梗(キキョウ)、竜胆(リンドウ)、夾竹桃(キョウチクトウ)、凌霄(ノウゼン・ノウゼンカズラ)、連翹(レンギョウ)、木瓜(ボケ)、梅(ウメ)、鳳仙花(ホウセンカ)、牡丹(ボタン)、芍薬(シャクヤク)、南天(ナンテン)、睡蓮(スイレン)、水仙(スイセン)、蘭(ラン)。


 「竜胆」の現代中国語発音はlongdanロンダン。リンドウというのが呉音であったか漢音であったのか、わかりませんが、中国語の花の名がそのまま日本語になったことがよくわかります。

 「木瓜」の現代中国語発音はmuguaムークゥァ。上に述べたように、m音とb音はいれかわる音。木の発音、現代中国語発音はmuですが、古代にはbu,boだったのでしょう。

 「凌霄花」の現代中国語発音はlingxiaohuaリンシャォファです。ノーゼンカズラが中国の南の地方から伝わったことがわかります。中国南部ではr音とn音は異音(言語音としては同じ音に聞こえる)です。日本語ではl音とr音は異音なので、rightもlightも同じライトに聞こえるのと同様に、中国南部では、rとnの音は同一のものと聞こえます。凌(音読みリョウ)という漢字に「ノウ」という読み仮名がついていることから、春庭は「凌霄花は中国南部からの渡来だろう」と、推察いたしました。
 ノウゼンカズラは、平安時代以前に渡来しています。漢や唐からの移入ならリョウゼン花になると思われるのに、ノウゼン花だったので、南方からの移入だろうと思ったのです。夏の季語であることも、暖国育ちであることを思わせます。
 
 鳳仙花、現代中国語発音ではfenxxianhuaフェンシェンファ。韓国語朝鮮語では봉선화(ポンソンファ。東南アジア原産という鳳仙花が、旅して広がっていったようすが感じられます。

 菊の現代中国語発音は菊花juhuaジュファです。古代にはkikuに近い発音であったのかどうか、古代中国語の発音研究者に聞いてみたいです。

 牡丹と芍薬。英語ではどちらもpeonyピオニー。英語では「立てば芍薬座れば牡丹」翻訳できませんね。

「芍薬」葛飾北斎


二、漢字の表記は中国と同じ、読み方が全く異なる
桃(モモ)、桜(サクラ)、李(スモモ)、薔薇(バラ)、藤(フジ)、百日紅(サルスベリ)、蓮(ハス)、忍冬(スイカズラ)、百合(ユリ)


 桜の「さ」は、「咲く」の「さ」と同じ語根とされ、クラは「座=くら」なのだという説が有力。日本の数百万年前の地層からも桜花粉化石が出土しているそうです。ウメが中国渡来であるのに対して、桜はもともとの日本の花なのです。
 漢字が伝わって以後、山桜などの自生の桜に「桜」の漢字を当てはめました。訓読みです。音読みの桜花オウカは、現代中国語の桜花yingfuaインファと共通しています。

 百合。現代中国語ではbaiheバイヘ。日本語ユリの語源諸説あるうち、「揺れる花→ユリ」が有力らしいですが、漢字渡来後、中国語の百合をそのままユリの表記に宛てました。

 百日紅、蓮、藤など、同様です。もとからあった花の名前に、漢字表記を当てた、当て字訓読みです。現代語でいえば、電脳という漢字にパソコンとルビをふるようなものです。

 百日紅。中国では花期が長いことが意識され、日本ではツルツルの幹を見て、「猿が上ろうとしても滑り落ちるだろう」ということに注目した。英語では「crape myrtleちぢれているギンバイカ」六枚の花弁に縮れがあることに注目。それぞれ目をつけるところが違っておもしろいです。(ただし、現代中国語では「紫薇ziweiツィウェィ」の方を主に用います)。

「世界中の子と友達になれる」松井冬子2004年横浜美術館寄託


三、同じ漢字だが日本と中国では別の種類
紫陽花(ライラックか)、萩(ヨモギの類)、椿(センダン科のチン)、山茶(ツバキ)、桂(キンモクセイの仲間)、楓(フウ)、石楠花(バラ科の一種)、杜若(ショウガ科の一種)


 紫陽花の表記については、先に書いたものを再録する予定です。

 萩は、万葉集で一番たくさん詠まれている花です。ただし、万葉仮名で「ハギ」を表すのは、「芽」「芽子」であって、「萩」という漢字表記はありません。
 「萩」は、中国では「ヨモギ」の種類を指す語である、と、湯浅さんの漢字表記説にありますが、牧野富太郎は、中国語の萩と、日本語の萩は、別の漢字である、という説。「春」と「舂」とか、見た目似ているけれど違う漢字というがよくあるから、その類いなのかと思います。

四、漢字の表記も読みも日本で作出
矢車草(ヤグルマソウ)、日回り(ヒマワリ)、松虫草(マツムシソウ)、蛍袋(ホタルブクロ)、朝顔(アサガオ)、沈丁花(ジンチョウゲ)、桜草(サクラソウ)、万両(マンリョウ)、月見草(ツキミソウ)、弟切草(オトギリソウ)、山吹(ヤマブキ)、雪柳(ユキヤナギ)、苧環(オダマキ)、鉄線(テッセン)、撫子(ナデシコ)、千日紅(センニチコウ)、月下美人(ゲッカビジン)、鈴蘭(スズラン)


 ひまわりに「向日葵」という漢字表記を宛てた場合、「中国語の花の漢字を日本語に当てはめた、ということになります。江戸時代に中国経由で渡来した当時は、中国語の「向日葵シャンリークィ」として移入されたのでしょうが、日本に定着した後は、ちゃんと「日回り」という日本語名が残りました。
 「日回り」についても、先にいろいろ書きましたので、次回から再録したいと思います。

五、誤つた漢字表記が日本で作られる。( )内が本来の意味。ただし諸説あり
口無し・クチナシ(嘴梨)、女郎花・オミナエシ(女飯)、藤袴・フジバカマ (不時佩)、吾亦紅・ワレモコウ(割木瓜)、雪下・ユキノシタ(雪舌)、紫式部・ムラサキシキブ(紫敷実)


 植物園などでムラサキシキブを眺めるたびに、どうして「紫式部」という名がつけられたのかなと、疑問に思っていたことが、ようやく解決しました。もともと「紫敷実ムラサキシキミ」と呼ばれていた植物。「シキミ」とは「落ちて敷き詰めるように重なる実=実がたくさんなる」という意味だったものが、いつのまにやらm音とb音の交代があり、シキミがシキブになった。シキブなら式部だ、ということで、紫式部になった。ほほう、これで納得。

六、日本で作られ、表記と読み方が不一致
紅葉(モミジ)、馬酔木(アセビ)、柊(ヒイラギ)、白粉花(オシロイバナ)


 六は、熟字訓という「当て字」が定着したものです。
 日本にもともと自生していたアセビ。毒性植物で、馬が食べるとふらふらと酔ったようになるところから、馬酔木という当て字が創られました。柊という漢字は、日本で創られた「日本国字」です。魚偏や木偏の漢字には、日本で創られた字が多いです。

「紅白蓮・白藤・夕もみぢ図」酒井鶯蒲(山種美術館所蔵)


 以上、湯浅浩史さんの分類をもとにして、古代中国語、現代中国語の発音などを春庭が考察しました。

 では、次回から「紫陽花の名前」の再録です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「カタカナ名の花」

2017-06-15 00:00:01 | エッセイ、コラム

20170615
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名(3)カタカナ名の花

 山種美術館「花*Flower*華―琳派から現代へ―」図録に出ていた「花事典」を参照しながら、花の和名と英語名について、見てきました。次は。
 ブログ友だちすみともさんのご教示により、脳内活性化のためにカタカナ名の花の和名を調べることにしました。

 日本に渡来した当時の発音のまま、カタカナで定着した花の名を確認してみます。
 日頃カタカナで呼ぶ花の名の和名、通用名を調べると、通説の他に諸説あるのですが、春庭は、植物素人なので、通説や通用名のみを記します。カタカナ花名の和名についての私的なメモです。カタカナ名前の花たち、和名で呼ぶと聞き慣れないので、花のイメージがわきません。和名で呼びたいのはデージーのヒナギクくらいです。
 学名や原産地について抜けがありますが、ご存じの方、ご教授いただければ幸いです。

・アカシア 英語名:Acacia 日本では明治時代に渡来したニセアカシアと房アカシア、銀葉アカシアの名が混用されている。
ニセアカシア和名:針槐はりえんじゅ

・アカンサス 原産地:地中海沿岸 英語名:Acanthus
和名:葉薊はあざみ 

・アスター 原産地:中国東北部からシベリア 英語名China aster 日本渡来は江戸時代中期
和名:蝦夷菊えぞぎく

・アネモネ 原産地:地中海沿岸 学名:Anemone coronaria 英語名:Anemone, Wind flower
和名:牡丹一花ぼたんいちげ、紅花翁草べにばなおきなぐさ

「アネモネ」オーギュスト・ルノワール


・アマリリス 原産地:中南米、西印度諸島 学名:Hippeastrum 英語名:Amaryllis、Knight star lily) 江戸時代末期に三種のアマリリスが渡来。三種の和名は以下の通り。
和名:金山慈姑きんさんじこ 紅筋山慈姑 べにすじさんじこ 咬吧水仙じゃがたらずいせん

「金山慈姑と花虎の尾」明治期の木版画


・エーデルワイス 原産地:ヨーロッパアルプス地方 学名:Leontopodium alpinum 英語名:edelweiss ドイツ語の edel(高貴な、気高い)と weiß(白)に由来。
和名:西洋薄雪草せいよううすゆきそう

・エリカ 原産地:南アフリカ 学名&英語名:Erica
和名:えりか(和名は学名をそのまま用いた)

・カーネーション 原産地:南ヨーロッパから西アジアにかけての地中海沿岸 学名:Dianthus caryophyllus L 英語名:Carnation  江戸時代初期以前に渡来したが、日本に定着したのは、江戸中期。
和名:麝香撫子じゃこうなでしこ、和蘭石竹オランダせきちく

・ガーベラ 原産地:熱帯アジア、アフリカ 英語名Gerbera, African daisy 
Gerberaは、発見者のドイツ博物学者ゲルベル(Traugott Gerberに由来する。
和名:大千本槍おおせんぼんやり アフリカ千本槍アフリカセンボンヤリ 花車ハナグルマ

・カモミール 原産地:西アジア、ヨーロッパ 学名:Matricaria recutita 英語名:Chamomile,カモマイル フランス語 camomille 江戸時代にオランダ経由で渡来。
和名:加密列カミルレ、カミツレ(オランダ語に由来)

・カンナ 原産地:熱帯アメリカ 学名Canna:ギリシャ語の「葦」の意味から)
和名:檀特ダンドク 江戸時代前期17世紀頃に渡来したカンナ・インディカが花カンナとして定着し、栽培種のほか、野生化したものもある。

・グラジオラス 原産地:アフリカ、地中海沿岸 英語名:Gladiolus, Sword lily
和名:阿蘭陀菖蒲おらんだしょうぶ 唐菖蒲とうしょうぶ

「グラジオラス」1876年クロード・モネ


・クロッカス 原産地:西アジア 学名&英語名:crocus 学名はギリシャ語のクロケ(糸)に由来。紀元前より薬用、香辛料として栽培が始まったサフランの一種が江戸時代に渡来。そのうち観賞用に栽培されたのが、花サフラン=クロッカス。
和名:番紅花ばんこうか 

・コスモス 原産地:メキシコの高原地帯 学名:Cosmos bipinnatus Cav 英語名:Cosmos)18世紀にメキシコからスペインへ。スペインからヨーロッパへ移入。日本渡来は明治20年頃。
和名:大春者菊(おおはるしゃぎく)秋桜(あきざくら コスモスの当て字としても秋桜が用いられる)

・サボテン 原産地:南北アメリカ 英語名:Cactus 16世紀後半に南蛮経由で渡来。
和名:仙人掌せんにんしょう 覇王樹はおうじゅ 仙人掌、覇王樹のどちらもサボテンの当て字として用いられる。

・ジギタリス 原産地:ヨーロッパ 英語名:Digitalis, Fox glove
和名:狐の手袋きつねのてぶくろ(Fox glove直訳)

「ジキタリス」ポール・ランソン(西洋美術館所蔵)


・シクラメン 原産地:地中海地方 学名:Cyclamen persicum 英語名:Cyclamen 明治時代に渡来。
和名:篝火花かがりびばな、豚の饅頭ぶたのまんじゅう

・ジャカランダ 原産地:中南米 学名&英語名:Jacaranda
和名:桐擬きりもどき

・スイートピー 原産地:イタリアシシリー島 学名:Lathyrus odoratus 英語名:Sweet pea 1695年に修道僧クパーニが発見し、イギリスで栽培化された。
和名:麝香連理草じゃこうれんりそう

・ゼラニューム  原産地:南アフリカケープ地方 英語名:Ivy geranium
和名:天竺葵てんじくあおい 

・ダリア 原産地:メキシコ 学名:Dahlia 英語名: dahlia
 植物学者リンネの弟子でリンネの弟子であったアンデシュ・ダール (Anders Dahl) にちなむ。1789年にスペインのマドリード王立植物園にもたらされ、オランダ経由で1842(天保13)年に長崎出島に渡来。
和名:天竺牡丹てんじくぼたん

「アルジャントゥイユのモネの庭(ダリア咲く庭)」1872年クロード・モネ


・チューリップ 原産地:トルコ(中近東、西アジア高原) 英語名:Tulip 江戸時代後期に渡来するも定着せず、大正時代に栽培種が普及
和名:鬱金香うこんこう

・デージー 原産地: 学名:Bellis perennis 英語名:Daisy 明治時代初期に渡来。
和名:雛菊ひなぎく、延命菊えんめいぎく、長命菊ちょうめいぎく

・ハイビスカス 原産地:ハワイなど 英語名:Hibiscus 
 芙蓉(mallow)の一種。
和名:仏桑花、仏桑華ぶっそうげ

「仏桑花図」尾形光琳


・パンジー、ビオラ  原産地:19世紀イギリスで野生のスミレからの交配種として作成された。 学名:Violax 英語名:Pansy, Viola tricolor
和名:三色菫さんしきすみれ

「三色スミレとナナカマド」岡鹿之助


・ヒヤシンス  原産地:西アジア、地中海 学名: Hyacinthus orientalis 英語名:Hyacinthus
和名:風信子、飛信子

・ブーゲンビリア 原産地:中央アメリカ、南アメリカの熱帯地方 英語名:Bougainvillea 
 1768年にブラジルで木を見つけたフランス人の探検家ブーガンヴィルに由来する。
和名:筏葛いかだかずら 九重葛ここのえかずら

・フクシア  原産地:南米、熱帯亜熱帯地方 学名:FuchsiaxHybrida英語名;Fuchsia(フゥシャ)ドイツの植物学者レオンハルト・フックスに由来。日本語のなまりホクシャ。
和名:釣浮草つりうきそう。       
 
・フリージア 原産地:南アフリカ 学名:Freesia refracta 英語名:Freesia  
 発見採集したデンマークの植物学者エクロン (Christian Friedrich Ecklon) が親友のドイツ人医師フレーゼ (F・H・T・Freese) の名をつけた。
和名:浅黄水仙あさぎずいせん 菖蒲水仙アヤメスイセン、ショウブスイセン、香雪蘭こうせつらん

・ベゴニア  原産地:熱帯亜熱帯。英語名:Begonia 発見地フランス領アンティル諸島総督ミシェル・ベゴン(Michel Begon, 1638-1710) の名に由来。
 中国原産の同属の種は、秋海棠しゅうかいどう。学名 B. grandis ssp. evansiana

・ポインセチア 原産地:メキシコ、中央アメリカ 学名:Euphorbia pulcherrima 英語名:Poinsettia
和名:猩猩木しょうじょうぼく

・マーガレット 原産地:カナリア諸島 学名:Argyranthemum frutescens 英語名:Marguerite 明治末期に渡来。
和名:木春菊もくしゅんぎく

・ミモザ 原産地:  学名&英語名:mimosa  イギリスで南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を"mimosa"と呼んだことから、mimosaという名が広まった。
和名:銀葉アカシア 房アカシア

・ライラック 原産地:ヨーロッパ 学名: Syringa vulgaris 英語名:Lilac フランス語名lias
和名:紫丁香花むらさきはしどい

「ライラック」ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテPierre-Joseph Redoute19世紀
 

・ラベンダー  原産地:ヨーロッパ、北アフリカ、インド 英語名:Lavender 江戸時代初期にオランダ経由で「ラーヘンデル」として、油用に渡来。鑑賞花ラベンダーは昭和期から。
和名:薫衣草くんいそう

・ルピナス  原産地:地中海沿岸、南北アメリカ 英語名:Lupinus, Lupine
和名:昇藤のぼりふじ 葉団扇豆はうちわまめ

・ローズマリー 原産地:地中海沿岸   英語名:Rosemary
和名:まんねんろう 中国語:迷迭香

「ローズマリー」イタリアの壁掛け
 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「クリザンチーム、ホリホック」

2017-06-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170617
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名(2)クリザンチーム、ホリホック

 木蓮の英語名がマグノリアだったこと、今頃わかった、ということを述べました。英語の花の名前、バラがローズ、ユリがリリーくらいは子供の頃から知っていましたが、あとは、おいおいと知ったのもあるし、全く知らないままだったのもあります。

 椿=カメリア。
 子供の頃読んだ子供版世界名作集かなにかで、「椿姫」というのはマルグリットのあだ名で、胸にカメリアの花=椿をつけている、というような文があったからだとおもうけれど、子供向けの翻案で、マルグリットの商売をどんなふうに描いていたのか、記憶無し。純真な子供は、病気で死んでしまう美しい女の人にひたすら同情したのだったかと思います。

速水御舟「椿ノ花」山種美術館所蔵


 菊=クリザンチーム英語chrysanthemum フランス語chrysanthème。
 ジャポニズムの本の中に、明治初期に来日したフランス人作家ピエール・ロティ(1850-1923)の小説「お菊さんMadam Chrysantheme(1887)」があったので、菊=クリザンチームと覚えたのだったと思います。
 鹿鳴館で踊る日本人について「黄色い猿たち」と書いたロティの作なので、「お菊さん」読んでませんけれど。日本在留1か月の間だけ「かわいい人形のような女性」を傍らに置くことを望んだロティ。18歳のお兼さんが、1か月間だけの「日本妻」になって、お菊さんのモデルになったと知ると、ロティについて、ますます印象が悪くなります。

酒井抱一「菊小禽図」山種美術館所蔵


 水仙=ダフォディルdaffoddil
 1964年にリリースされたブラザースフォアの「7つの水仙」」でDaffodils=水仙と知りました。(1957年リー・ヘイズ&とフラン・モズリーによって作られた)。
 60年代後半、アメリカのフォークやポップスを英語で歌いたいと思ったのですが、曲にカタカナで書いた歌詞を当てはめていくと、どうしてもカタカナ英語が余るのです。それで、英語はきっぱりあきらめました。

小茂田青樹「水仙」山種美術館所蔵


 芥子=ポピーpoppy
 花屋に並んでいるかわいらしいポピーと、阿片をとる危険なイメージの芥子が同種のものだと、長い間一致していませんでした。別の植物だと思っていたのです。阿片を採取するopium poppyは白い芥子だけ。いつ一致したのか、記憶がありません。
 阿片(ピンインでは: a piàn アーピエン)の発音が、英語だとopiumとなり、日本語では阿片を音読みしてアヘン。

土田麦僊「芥子図」山種美術館所蔵


 立葵=ホリホックhollyhock
 6月4日に山種美術館で「「花*Flower*華―琳派から現代へ―」の「植物名解説」を見て、へぇ、タチアオイのことホリホックというんだ、と知りました。6月8日に、ブロ友くちかずこさんの記事にお庭に咲いたホリホックの写真が載りました。淡いピンクの八重咲きです。私は一重のタチアオイしか見たことなかったので、これは初めてと思ってコメントすると、「ホリホックは西洋立葵」と、コメ返がありました。ホリホックは、日本の花葵よりも広い範囲を指すみたいです。マグノリアが広く木蓮科全体を指すのと同じです。

 日本には古くから移入されましたが、これはタチアオイには薬草としての効能があったから。万葉集にも葵が詠みこまれています。棗や黍、粟などの食用植物と共に読まれているので、若葉を食用にした冬葵に比定されるけれど、牧野富太郎博士は、タチアオイ説を主張。
 
梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の 後(のち)も逢はむと葵花(あふひはな)咲く(巻16-3834 作者未詳)
 (梨が生り棗や黍、粟も次々と実り、時節が移っているのに、あの方に逢えません。でも、伸び続ける葛の先のように、後々にでも逢うことが出来ますよ」と言うように、葵の花が咲いています。)
 恋しいキミ(キビ)に「逢ふ日あふひ=葵」に願いを託すのなら、やっぱり冬葵よりもタチアオイのほうがいいように思います。

荒木十畝「四季花鳥」より《「夏(玉樹芳艸)」山種美術館所蔵


<つづく> 
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ぽかぽか春庭「花の名前・マグノリア」

2017-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

奥村土牛「木蓮」山種美術館所蔵「花*Flower*華―琳派から現代へ―」図録より

20170611
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>花の絵・花の名前(1)マグノリア

 仕事で使うことば、専門用語は、それぞれの分野にたくさんあります。警察用語とか医学の専門用語などは、刑事ドラマ病院ドラマなどで使われて一般の人も知る機会があるし、その他の「お仕事ドラマ」も、専門用語を知る機会になります。
 専門用語を知り、ついでにその英語訳などを知ると、とっても物知りになった気分がしてうれしくなる。

 古い建築、近代建築などを見て歩くのが楽しみのひとつで、「しっくい」という用語も見慣れたものでした。しっくいは、消石灰にふのりや角叉(つのまた)などの粘着性物質と麻糸などの繊維を加え,水でよく練り合わせた建築材料。砂や粘土を加えることもあり、壁や天井に塗り込める。現代中国語では「灰泥」
 ここまでは知っていましたが、なぜ「しっくい」というのか、語源を知ると。

 「しっくい」とは、それが日本に伝わった当時の中国語で表記すると、「石灰」。「shi khui」と発音されていた語に、漆喰という文字を当て字したものが「しっくい」だったのだ、とわかりました。わかっても日常生活になんの得もありませんが、わかった、と思うことが脳内活性化になるときいてからは、せっせと「わかった」を増やしています。

 春庭の専門は、言語学(日本語文法)ですから、普通の生活では使うことのない文法用語も日本語&英語でだいたいはわかります。
 たとえば、「繫辞」なんてことば、日常生活には使いません。英語ではcopulaコプラ。論理学用語です。
 難しそうなことばに思えますが、日常語にしてしまえば、「我が輩は猫である」「I am a cat.」「A human being is an animal like a cat being an animal, too.」の「である」やam やisに当たるもの。A=Bの「=」が繫辞です。
 「です」や「である」が日本語の繫辞です、とわかれば「な~んだ」。でも、コプラなんていう専門用語を使うと、ちょっと難しげなことやっているみたいでしょ。

 と、ここまでが枕です。
 自分のお得意分野以外のことば、知らないことがいっぱい。春庭は、この名を江戸時代の文法学者から拝借して名乗っていますが、最近「春庭」で検索エゴサーチすると、マンガのタイトルや花屋チェーン店がでてきます。春庭、お花に詳しそうな名前になりました。でも、花の名にうといです。

 最近は、植物園や庭園を訪れて、花の枝に植物名が書いてあるのを写真にとって、いくつかは覚えたのもあるけれど、名札を写真に撮っただけで満足して、なかなか肝心の花の名を覚えられない。覚えたと思ってもすぐに忘れてしまいます。

 6月4日に、山種美術館の「花*Flower*華―琳派から現代へ―」を見てきました。琳派の花、近代日本画の花、洋画の花、華麗に並ぶ花の絵。
 観覧者は圧倒的に女性。着物姿で見ているご婦人方も多くて、なんだか華やかな会場に、相変わらずよれよれのジーンズ姿は小さくなって会場を2回見て回りました。小さくなる必要もないのだけれど、ま、そういう気分。
 1回目は花の絵を見て回り、2回目は説明の文もよく読みました。
 
 並んだ美しい花の絵に、山種美術館学芸部作成の「花事典」が添えられており、中国語名、英語名が出ている。植物園などでは、和名と学名並記が多いので、英語名を知らなかった花もあり、「わかった!」マークが脳内に並びました。

 木蓮。中国名「玉蘭ユイラン」。英語名「マグノリアmagnolia」。
 ワォ、私は映画「マグノリアの花たち」なんぞも見てきて、マグノリアの花が映画の画面に出てきたのを見ていたはずなのに、「マグノリアの花」は、「マグノリアの花」と思って見ていたので、日本語では木蓮であることにまったく気づかないでいました。いかに花の名にうといか、よくわかる。

 英語のマグノリアは、木蓮科に属する花全般を指すので、日本の木蓮に当たるのはMagnolia quinquepeta もしくは Magnolia liliiflora、なのだそうですが、それにしても、マグノリアと木蓮がまったく結びついていませんでした。

マグノリアの花

画像借り物

 「マグノリアの花たち」英語タイトル「Steel magnolia」についてもっと理解していれば、映画の舞台ルイジアナ州の州の花がマグノリアであり、南部女性の代名詞が「マグノリアの花」だったことがわかったのかもしれません。
 原題Steel Magnolias鉄のマグノリアとは、外見は花のように愛らしく優しいが、中身は鋼(Steel)のように頑強な芯が 一本通っている女性という意味になります。元ファーストレディーの社会活動家ロザリン・カーターは、南部ジョージア州から初めて選出された米大統領ジミー・カーターの妻。しばしば「鉄のマグノリア」と呼ばれたそうです。
 
 もっとも、私の木蓮のイメージは、奥村土牛が描いた紫木蓮や白木蓮なので、欧米でマグノリアと呼ばれている花とは見かけが異なり、「マグノリアの花たち」の中、たとえば結婚式のシーンで、花嫁の髪を飾っていたり手に持つブーケの中にマグノリアがあったとしても、私はそれを見て「木蓮」とは気づかなかったと思います。

 マグノリアと名付けられている花木は150種類にも及ぶのだそうです。私が普段見ているのは、冬に葉を落とす落葉樹ばかりだったので、常緑のマグノリアもあるのに、たぶんそれを目にしても木蓮とはおもわなかったのでしょう。

 小林古径「白花小禽」
 山種美術館所蔵「花*Flower*華―琳派から現代へ―」図録より。図録の説明にはevergreen magnoliaという英語名が出ていました。


我が住む団地に咲く白木蓮


 花の名前を知らない春庭ですが、Steel magnolia という女性の代名詞は大いに気にいりました。私も「鋼の花」でありたいと思っていますから。
 あはっ、「芯は強いsteelであれ」という希望はかなうかもしれないけれど、「みかけはたおやかな優しい花」ってのはすでに「願っても手にとどかぬ高嶺の花」ですね。

花の名前、復習します。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「虎が雨」

2017-06-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>梅雨のことば(4)虎が雨

 「雨の名前」「雨のことば辞典」などで調べれば、たちまち500くらいの雨に関わる言葉が出てくるという日本語。そのうち、現代語として日常生活で使われることはまずないだろうけれど、季語としてはどっこい、現代俳句にも出てくるという雨のことばがあります。
 「虎が雨」という季語がそのひとつ。

 鎌倉時代のはじめ、源頼朝は新征夷大将軍の威信を示さんと、1193(建久4)年旧暦5月28日に富士の裾野で巻狩りを行いました。狩りという名目の軍事演習のようなものです。
 旧暦5月28日、2017年の新暦だと6月22日、夏至の次の日に当たります。

 頼朝の富士巻狩りの場において、所領争いのもめごとの末殺された父の仇討ちを行ったのが曾我兄弟。
 仇の工藤祐経を討ち果たした艱難辛苦の物語が、歌舞伎の題材として赤穂浪士四十七士の忠臣蔵と並び、人気の演目となりました。
 兄弟は、仇の工藤祐経を討ち果たし、その場で兄の十郎祐成は周囲の武士に討たれました。弟は捕らえられ、頼朝の前で工藤祐経の遺児によってたちどころに首を討たれる。

 兄弟が潜伏中に、兄の曾我十郎祐成に愛された大磯の遊女虎御前。恋人の死を知って、泣き崩れた。この遊女の悲しい涙が伝説となりました。梅雨の終わりの時期、旧暦5月28日の曾我兄弟命日に降る雨を、十郎の死を悲しんで流す虎御前の涙とみなして「虎が雨」と呼ぶようになった、というお話。

 親や主君の仇討ちをすることが武士の鑑とされた江戸時代、歌舞伎人気演目となったことによって、「虎が雨」の季語も愛されました。しかしながら、現代では、そもそも曾我兄弟の仇討ち話を知る人が少ない。
 おそらくは、季節のことばとして愛用しているのは、俳人だけかもしれませんが、とにかく「虎が雨」で調べれば、土砂降りのごとく俳句が沸いてでてきます。たぶん、遊女の涙雨というのが、さまざまな連想を呼んで、色っぽくなるところが愛されるゆえんだろうと思います。

海女が戸の牡丹ぬるる虎が雨 富安清風
寝白粉香にたちにけり虎が雨 日野草城
かりそめに京にある日や虎が雨 村上鬼城
泣かれては泣かざるまでや虎ケ雨 中村草田男
白き扉に海坂暮るる虎ケ雨 角川源義

 虎が雨がふれば、そろそろ梅雨も終わりになります。涙をふいて、さ、夏に向かわねば、という気になる色っぽい雨。
 さて、今年の梅雨はどんな具合に梅雨入りしてどんな具合に終わるのやら。
 この空と海との間には、なにやら雲行き怪しいことばかり。「絶対安全」のはずの原子力で被爆者が出たり、ソンタクもなく、「官邸のトップレベルからのお達し」もなしに、官僚はせっせとだれかのために走り回る。
 私は、あちこち不調で涙を流しておりますが、虎が雨といえるほど色っぽくはないので、はて、500もあるのに、どんな雨に濡れたらよいやら。

・虎が雨繕い物がまだ残る 春庭
・大磯で電車乗り換え虎が雨 春庭 

<おわり>
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ぽかぽか春庭「梅雨晴れ」

2017-06-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170608
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>梅雨のことば(3)梅雨晴れ

 近頃の学生には、「さみだれ」の「さ」は「五月さつき」の「さ」と同じ、「みだれ」は「水垂れ」と、語源の一説を教え、「五月雨」は「梅雨」と同じと伝えます。
 しかし、若者言葉では、どうしてもサミダレは新暦五月に降る雨という気がするというのです。まあ、日本語もしだいにかわっていくのだから、それもそうかなと。

 前例があります。旧暦を使っていた頃、五月晴れは、梅雨晴れと同じでした。梅雨の合間に晴れる日、あるいは梅雨が終わってのちの晴れ。それが梅雨晴れ=旧暦五月の雨の間の晴れ間、でした。しかし、太陽暦五月が定着したあとは、「五月晴れ」を「新緑萌える五月のさわやかな晴れ」という解釈が広がっていき、今ではゴールデンウィークのニュースに「今日はみどりの日。緑美しい五月晴れです」なんて、お天気お姉さんも言っています。

 梅雨という語の初出も文献では江戸時代のことで、そう古い言葉ではなさそうだし。
 あと30年100年で、日本の気候も変動するでしょうから、言葉も世につれ。

鼓鳴る芝山内の五月晴れ 正岡子規
梅雨晴れの夕茜してすぐ消ゆる 高浜虚子
梅雨晴れの飛瀑芯までかがやけり 野澤節子

<つづく>

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ぽかぽか春庭「梅雨入り」

2017-06-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170606
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>梅雨のことば(2)梅雨入り

 火曜日と水曜日は仕事の日だから降るな、と願えば、トモは「晴乞い」の踊りを踊ってくれたゆえ、水曜日は雨予報というのが一日延びて木曜日が雨みたい。ありがたし自転車で大学まで行けます。雨だと、地下鉄バス乗り継ぎで、時間は倍かかります。
 雨が降らなければ、稲も野菜も不作になるし、夏には水不足。降った方がいいのはわかっちゃいるけれど。

 それでも暑いのは苦手だから、梅雨寒のほうが真夏の猛暑日などよりはマシか。なんて勝手なことを言えるのも、天気が仕事の質にも量にもかかわらぬから言える我が儘であって、本来、天気気候が生活に密接に関わってきたからこそ、和歌にも連歌にも俳句にも季節が重要な要素になったのです。梅雨入りが生活に影響する人の割合も減ってはいると思いますが、季節に敏感でいたいと思っています。

 砂漠の国には、ラクダを著す単語が500もあるのに、日本語ではラクダはラクダ一語だけ。そのかわり、雨を表す単語が500もある。学生に見つけさせるのが今時の授業のひとつ。1年を通して雨のことばは山ほどあるが、つゆ時の雨のことば

 梅雨 五月雨 虎が雨 送り梅雨 戻り梅雨 空梅雨 麦雨 霖雨などなど。

 梅雨という語は中国語由来なので、中国人学生には「梅雨メイユゥ」違和感がありません。韓国人学生は「長霖チャンんマ」
 温帯モンスーン圏内には、梅雨が共通しています。
 熱帯の東南アジア圏だと、「雨期」と言っても、一日のうちダァッと一定時間豪雨が降ってさっと止んでしまうスコールが身になじんでいるので、日本のように一日中じとじとと降り続き、何日も雨続き、という雨期はさすがにうっとうしいようです。

 熱帯の雨期を経験したヤンゴン滞在。
 ミャンマー、ヤンゴンの雨期。傘はもっぱら日傘用。雨のときは、傘をさしても激しいスコールで結局ずぶ濡れになるので、雨が降り出したら、デパートやスーパーなどにかけこみ、1時間でも2時間でも雨が止むまで雨宿りするのが「正しい雨時の過ごし方」でした。雨が降っているときに外を歩いている人は、よほどの変わり者か、日本人。

 先日、30年後の東京の気温は4度以上上昇し、現在の屋久島の平均気温になっているだろう、という予報のニュースを見ました。さまざまな影響が生活にでてくるだろうと思います。それでも、トランプ氏は、経済優先の主張を変えず、パリ協定離脱を表明しています。たぶん、トランプタワーは冷房完備だから、気温が上昇しても問題ない、くらいの意識なのだろうと思います。
 
 今後百年で北半球中緯度(すなわち日本があるあたり)では5度から6度の気温上昇があるとして、絶滅する生物も多くなるそうです。人間は気温変動だけじゃ滅びないでしょうが、どうなるでしょうか。

 梅雨の季節になったら、雨が降り続く、これが季節のめぐりのありがたいところです。自転車に乗れないのはつらいけれど、雨の日には雨を大事に思いましょう。

草も木もしづかにて梅雨はじまりぬ 日野草城
夜の腕にかげろふ触れし梅雨入りかな 石田波郷

・ヤンゴンの男の腕や雨期に入る 春庭
・金色(こんじき)の仏の肩に雨落つる 春庭
・ニッポンの梅雨なりジトンと胸に落つ 春庭

<つづく>
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