春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2021年8月目次」

2021-08-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210831
ぽかぽか春庭>2021年8月目次

0801 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記夏(1)ワクチン接種
0803 2021二十一世紀日記夏(2)大河ドラマ館1万円礼賛
0805 2021二十一世紀日記夏(3)燕巣立つ
0807 2021二十一世紀日記夏(4)夏の日常
0808 2021二十一世紀日記夏(5)テレビ観戦
0810 2021二十一世紀日記夏(6)八ヶ岳高原夏
0812   2021二十一世紀日記夏(7)清里観光
0814 2021二十一世紀日記夏(8)カツベン椿姫

0815   ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本国憲法

0817 ぽかぽか春庭アート散歩>版画の楽しみ(1)映える風景画を探して in 町田市立国際版画美術館
0819 版画の楽しみ(2)浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼」展 in 町田市立国際版画美術館
0821 版画の楽しみ(3)浮世絵モダーン 橋口五葉と伊東深水を中心に in 町田市立国際版画美術館
0822 版画の楽しみ(4) 北斎づくし in 東京ミッドタウンB1ホール

0824 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校夏(7)ゆかた着付けと柔道礼法
0826 2021日本語学校夏(8)口頭表現発表会
0828 2021日本語学校夏(9)夏祭り準備
0829 2021日本語学校夏(10)日本語学校夏祭り
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ぽかぽか春庭「日本語学校夏祭り」

2021-08-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210828
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校夏(10)日本語学校夏祭り

 8月27日金曜日、春庭勤務の日本語学校は、「学院夏祭り」を行いました。
 班ごとにゲームの出店、学生は前半組と後半組に分かれて、店番を担当したり紙で作った学院内使用限定の100円札を10枚にぎりしめて遊びに回ったりしました。

 紙すもう班は、勝ち抜き戦。5人勝ち抜いた2人が優勝決定戦を行い、優勝クマ王ぬいぐるみ、大関クマ関脇クマを勝ち取りました。
 行司役は校長先生。「はっけよいのこった!」と勝負をさばいていました。

 力士の顔、教職員です。はる力士、体重十分ですが、箱を叩いて闘うと、ころりと倒れる。

 
 相撲の賞品。優勝賞品。横綱クマ王。大関クマ、関脇クマ、小結クマ。


 釣り掘り班も佳境。みな真剣です。校長先生は全部のゲームをやってみて、魚釣りが一番おもしろかった、と言ってくれました。
 狙い目は、水色の毛糸の下に隠れている深海魚。ポイントが高い。 

 輪投げ。
 投げる輪っかは、新聞紙にビニールテープを巻いて作った学生手作り。私も挑戦しましたが、なかなか難しくて、10個の輪っかを投げて、ひとつしか当たりませんでした。


 各班の売り上げは、1位が的当てゲーム屋9600円、2位「謎の自動販売機」7100円。このゲームは、段ボールの中に学生が入り、100円で3個紙のコインをもらい、投入口にコインを入れると未知の記念品が出てくるというゲーム。私は、モンスターハンターのねこキャラクターをもらいました。なにが出てくるかわからないところがいいのかも。
 3位輪投げ班6400円。

 釣り堀班は5400円の売り上げ。
 売上高を見て思うに。要は、回転が速いほうが売り上げが伸びる、ということ。釣り堀は「6人いっしょに釣る。1回100円で10分釣りをして何匹釣りあげたか数える」というルールにしたため、10分間で600円の売り上げにとどまりました。1位の的当て班は、100円でボール1個ダーツ2本を点数の書かれたマトに投げ、合計得点を競う。1回のゲームはひとり5分もかからない。何度でもゲームができるため、売り上げが伸びました。

 売り上げを伸ばすために、班ごとに店の飾り付けをしたり呼び込みをしたり、工夫していましたが、回転早いチームが売り上げ競争に勝ちということ学んだので、来年は釣り堀の回転をどうしたらもっと回せるかが課題です。

 売り上げNo.1へのごほうびは、特製かき氷のおふるまい。来週以後の楽しみです。


 最後に紙相撲の優勝者、釣り堀の優勝者、売り上げ上位班などを発表し、教室をきれいに清掃しておひらきとなりました。
 暑さもまだまだ、コロナもまだまだの残暑が続きますが 、秋の学習に向けてスタートです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「日本語学校夏祭り準備」

2021-08-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210828
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校夏(11)日本語学校夏祭り準備

 8月24日は、夏休み明けの最初の授業。日本語の挨拶語彙を勉強した後、夏祭り準備にかかりました。
 夏祭りのだしもの、学生は5人ずつの班に分かれ、班ごとにゲーム店の準備をしました。

 班は、ビリヤード班、輪投げ班、的当て班、釣り堀班、紙相撲班、ボウリング班、糸引きくじ引き班、などです。
 焼きそば店は、先生が出店。
 
 ハル先生は、釣り堀係です。紙の魚をラミネート加工してダブルクリップやゼムクリップで釣り口をつける。細長い棒にタコ糸を垂らし、糸の先にこれまたゼムクリップで釣り針をつける。ビニールプールの池にパッキン材の細かく切った紙や新聞紙を細切りにしたものをまき、魚を散らします。

 店の名、「スイミー」にしました。スイミーの魚つくり。コピーした紙の魚をラミネート加工する人、はさみで切り抜く人、ゼムクリップの口をつける人



 10分間に釣り上げた魚の数によって、賞品を渡します。

 ベトナムの学生たちは、ボーリング担当。段ボールでレーンを作ります。

 ボーリングレーン完成

 紙を切り抜き,飾りを作る
 

 ネパールの学生は校長の指導のもと、紙相撲を制作大相撲を見たことないけれど、熱心に作業を続けました。
 

 学生は、一回100円で、どのゲームをやってもいいし、かき氷や焼きそばを買ってもいい。
 お金は、職員渾身の手作りお札です。春庭が「青天を衝けドラマ館」でもらった1万円札をアレンジして、職員の顔を入れ込んだお札を作りました。

 さて、準備万端。学生は、日本の夏祭りを味わうことができなかった夏でしたが、校内夏祭りを楽しみに準備しました。これも「日本の夏の文化」の社会科学習です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「口頭表現発表会」

2021-08-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2021026
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校夏(8)口頭表現発表会

 昨年11月に来日し、2週間のホテル待機を経て、12月7日に授業を開始した
(2021年4月入校予定だったが、8か月も遅れて来日)3期生(2021年10月入学)。
 ゼロスタート組と初級前半終了組みに分かれて日本語学習をスタートさせました。

 初球前半を終了したと認定され、初級後半からのスタートした学生と言っても、初級前半は、2020年夏のコロナで来日不可の間にオンライン授業で学んだ学生たちなので、文法知識は自学自習と合わせてまあまあ理解しているのですが、日本社会で通じるような日本語発話はほとんどできない状態でのスタートでした。

 コンビニへ行っても、店員が客に何を言っているのかまったくわからず、何でも「はい」と答えていたという笑い話を作文に書いた学生もいます。
 店員「お弁当、温めますか」学生「はい」。これはなんとかOK。「お箸はなんぜんおつけしますか」「はい」。「あの、おはし、いくついりますか」「はい」。「あの、おはしいらないんですか」「はい」。店員あきれ顔で「わかりました」
 という具合。来日当初は、買い物にも不自由な数ヶ月でした。

 7ヶ月たって、ようやく買い物もなんとかできるようになってきました。教師の指導がいいから?いえいえ、アルバイトに出かけた先で、日本人パートさんたちが、親切にいろいろ教えてくれたおかげも大きいと、学生は作文に書きました。「日本のしゃいんは、みなしんせつです。」

 教科書の試験をしてみると、文法理解力は大学入試大学院入試に備えて勉強ひとすじの学生のほうがいい点数をとるのは当然でしょう。しかし、日本社会への適応力や発話力は、アルバイトで必死に学費生活費を稼いでいる学生のほうが勝っていることも多い。

 夏休み前に期末試験を実施しました。思ったような成績がとれなかった学生も。どの学生もこれまで学んだ日本語についてある程度の「達成感」を持たせて夏休みにしたいと、夏休み前、授業最終日は「口頭表現発表会」ということにしました。これまでに授業で書いた作文を自分でアレンジし、ネットなどから作文に関連した画像を選んでモニターに映し、表現力の足りない分を画像で補います。

 「ベトナムの古い建物」の発表では、観光名所にもなっているお寺の写真、「ネパールのたべもの」では、ネパールで大人気のおやつセルロティ(米粉の揚げドーナツ)の紹介など。それぞれのお国自慢もかねて、できるだけ各人の発表に同じテーマが重なならないように作文をピックアップして、発表会まで「作文清書」「口頭表現練習」とすすみました。

 まず中国人は、自分が書いた作文が読めない。中国人の強みは、日本語中国語共通の意味を持つ熟語なら、ほぼ意味が通じ、苦労せずに熟語を理解できること。たとえば「必要」は中国語でも同じ「必要」。なかなか日本語の音読み「ヒツヨウ」が覚えられない学生は、発音は「Bìyào」のままでも、読解のとき意味は通じる。 「成績」「玩具」「管理人」「市場調査」など、少し漢字字形が違う場合でも、意味はわかる。
 そこで、作文には中国読みのまま理解して作文に書いてしまって、自分で書いたのに、日本語の音読み訓読みができなず、「新聞」と書いて「シンウェン」と読んでしまう。「法律」を「Fǎlǜ」と読んでしまう。
 ほとんどをひらがなで書いたネパールの学生のほうが、すらすら読めたりするのです。まずは、全部の漢字にふりがなをふらせることから始めました。漢字学習の復習です。

 発表会当日。みな真剣に日本語表現に取り組みました。


 発表後、先生方が入賞者をだれにするか協議している間、ハル先生は夏休み中の諸注意などを述べて時間稼ぎ。「コロナが増えているから、遊びに出るな」と、学生には注意。ハルせんせは、もうワクチン2回目打ったからいいんだけどね、と自分に甘い先生です。



 上手に発表できた学生もいたし、途中でつかえてしまった学生もいました。「原稿を見ずにスピーチし、忘れたときだけ原稿に目を落とす」という注意をしていたのを守って発表していたのですが、途中で次のことばを忘れた時、原稿に目を落としても、どこに書いてあるかわからなくなったのです。
 ともあれ、7か月の日本語学習の成果を発表できて、各学生は大いに達成感を感じたようです。

 学生たちも先生も、満足して夏休みに突入です。学生は8月1日~23日の3週間の夏休み。教職員の夏休みは8月10~13日の4日間だけ。でも、土日と山の日を加えると9日間の夏休みなります。
 7日8日は、テレビで五輪観戦。「これさ、五輪終わったらぜったいコロナ増えてるね」と言いながらの応援。
 9日から15日まで、東京は雨がちでしたが、あちこち美術館巡りをしてのんびりできました。雨の日の美術館、私と娘のほかは観覧者も少なく、ゆっくり落ち着いて観覧できました。大雨に被害にあったり、コロナ感染者が増えたりしている中の夏休み遊覧は申し訳ない気もありましたが、これからも働き続ける鋭気を養うことができました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ゆかた着付けと柔道礼法」

2021-08-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210824
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校夏(7)ゆかた着付けと柔道礼法

 7月29日、春庭勤務の日本語学校では、「日本文化学習」のひとつとして「ひとりで浴衣着付けができるようになる教室」と「柔道礼法を学ぶ教室」というイベントを実施しました。
 11時-12時半に、どちらの教室に出てもよい、ということにしましたが、女子学生で柔道礼法を学びに行ったのはひとりのみ。男子はひとりも浴衣着付け教室には来ませんでした。ま、そんなところでしょう。

 男子学生プラス女子一人は、副校長から柔道礼法として、相手を敬う柔道精神を学びました。
 近代柔道の創始者嘉納治五郎は、 「精力善用」(相手を敬い、信頼しあい、助け合う心を育む)「自他共存」(自分だけでなく他人とともに栄える) ということを柔道精神の根本に据えました。

 互いを尊重しあい、相手を敬うという精神は、「世界中、どの文化も尊び、尊重しあう」という、我が日本語学校の精神と共通しています。
 
 長く大学教授として勤務してきた副校長先生の難しい日本語は、半分わかったようでわからないというあたりだった留学生たちも、柔道着の帯結びはきちんと結べるようになったということです。
 柔道着を着てみる


 ハル先生担当の浴衣着付け教室。
 インターネットの「ゆかたの着付け」という動画を映して、ストップしながら春庭が着せて見せて、次に学生が着たところを修正して回る、という段取りで、襟の合わせ方、おはしょりの作り方などを学びました。

 帯結びは、学校用意の浴衣セットがつけ帯なので、帯結びは、動画を見せるだけで、自分で結ぶのは割愛し、もうちょっとじょうずになったら、帯結びだけの教室を開いてもいいかと思いましたが、帯結びの方法もできるようになった学生もいて、みな着付けに熱心に取り組みました。

 浴衣の見返り美人たち


 ネパール学生のひとりは、女子学生たちが写真を撮りあった校外学習の日に欠席しました。この日、はじめて浴衣を着て「ワタシ、キレイ!」と大喜びでした。
 

 去年今年、コロナのために花火大会も夏祭りも中止のところが多く、浴衣姿で出かける機会が減っていますが、せめて学校で撮った「ワタシキレイ」写真を、国の家族に送ってあげれば、みなで喜び合えたことでしょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「 北斎づくし in 東京ミッドタウンB1ホール 」

2021-08-22 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210822
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩版画の楽しみ(4) 北斎づくし  in  東京ミッドタウンB1ホール

 娘が応募したチケットが2枚当たりました。
 さっそく会期初日にでかけたのですが、これが大失敗。これまでは、展示室内に私と娘しかいないような美術館が多かったのに、東京ミッドタウンB1ホール、けっこうな人出で、あまりゆったりとした気分で見ることができなかったのが残念。祝日の初日。混み混みの日などに出かけずに、もっと人が少ない日を選んで見るんだった。

 展示内容はとても充実していて、北斎漫画全巻全ページをみることができました。こんな展示、これまでにありそでなかったと思います。全ページをならべるには、見開きのページ数だけ本が必要ですから。
『北斎漫画(初編~15編)』全883頁、「冨嶽三十六景」全46点、『富嶽百景(初編~3編)』全102店。

 展示口上
 20歳で浮世絵師としてデビューしてから90歳で没するまでの70年間、常に挑戦を続けて森羅万象を描き抜こうとした画狂の絵師・葛飾北斎。
その生誕260年を記念し、代表作である『北斎漫画』、「冨嶽三十六景」、『富嶽百景』の全頁(ページ)・全点・全図が一堂に会する前代未聞の特別展が2021年7月、東京・六本木に出現します。
 森羅万象を描いた全15編の絵手本。江戸の風俗、職人の作業の様子を始めとして、動植物、風景、建築、人物、故事から妖怪に至るまで、約3,600図が生き生きと描かれています。
「雀踊り」 浦上満氏 蔵 /『北斎漫画』三編 浦上満氏 蔵/『北斎漫画』十編 浦上満氏 蔵/『北斎漫画』十二編 浦上満氏 蔵

 臨時ホールでの臨時開催であり、美術館の展示ではなかったからしかたないことなのでしょうが、臨時雇われの会場係なので、上司に言われたことをきっちり守るのが職務と考えており、ちょっとでもしゃべっている観覧者がいるとすっとんでいって「話すな」と注意。ガラスケースの中の北斎漫画、細かいところを見たいと思って、展示ガラスに顔を近づけると「ガラスにさわるな」と叱られる。犯罪者を見つけたかのように「展示の注意」をする係員。職務にご忠実。
 娘と私は、しゃべりたくならないように、別室に離れて観覧しました。ほんとは「これ面白いね」なんて、展示の絵について小声で言いかわしながら見たかった。コロナの時代ですから、話すな、というのもわからないではないですが。全員検温アルコール消毒の上で入場しマスクをしていても、いろいろ禁止が多いのも時代のせいですね。このご時世のなか、開催されただけでもありがたいので、我慢がまん。

 北斎漫画の写真撮影は自由、というのはよかったのですが、展示はすべてガラスケースの中に入っているので、照明がガラスに反射して、ほとんどの展示はきれいに撮ることができない。富嶽三十六景は撮影禁止。

 正面から写すと光が入る展示ケース。動植物、人物、道具、この世のあらゆるものが緻密に「絵の手本」として書き込まれていました。


 光が反射しないように写すには斜めから。ちょっと絵がゆがんでしまいますが。
 多色刷りの富岳三十六景のいくつかは北斎美術館でも見てきましたが、版画本の富士のさまざまな構図、おもしろいです。

 展示室内の見た目は、空間デザインなんちゃらという人々の斬新な空間づくりがなされており、こみこみで展示物がよく見えなくても楽しめるようにしつらえてあったのですが、私はやはり、斬新空間でなくてもいいから、ゆったり展示を見たかった。
 斬新空間を見に行ったのではなく、北斎を見に行ったのですから。と、文句たらたらなのは、混み混みだったせい。すみません。

 デジタルアートの部分、椅子があったので「休憩用」に座って見ていました。踊りのコマ割りをパラパラ漫画のように続けて、踊りがわかるようになっていたのはよかったけれど。特にデジタル表現が目新しくもなく、展示をしっかり見ることのできる空間にしてほしかったと思います。

 北斎の全業績を並べて見せる企画。北斎の天才ぶり、90歳まで生きて描き続け、なお「あと10年描けばもう少し上手になれるのに」と嘆いたという絵に対する執念。すごい人がいたなあと、思います。(映画『北斎』楽しみ)
 北斎館でも北斎の画業を俯瞰できましたが、北斎漫画全ページという展示の方法をとることによって、すごさをあらためて感じました。
 ただし、展示数はここより多くはないですが、ゆっくり見るなら、江戸東京博物館から徒歩5分のところにある北斎美術館のほうがよい。今回の展示はやはり富嶽三十六景全部、北斎漫画全部という圧倒的な量が成果だといえましょう。

 夕方になり閉館時間が近づくと、人出もやや減ってきて、少しは人の頭越しにでなく絵を見ることができるようになりました。娘と「近いんだから、もっと遅い時間に出てきて、閉館時間までいればよかった」と観覧時間設定失敗の談。予約が必要だったので、とにかく開いている時間に、と予約したのです。

 人が少なくなった閉館近く。
 床にも北斎の絵、天井からも版画コピーがぶら下がる空間です。 


 日本の、そして世界の北斎。
 招待券で無料で見たのですから、もう少し感謝しなけりゃいかんですけど、人込みに疲れてしまい、恒例の「アートを見た後のごはん」をやめて帰宅。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「浮世絵モダーン 橋口五葉と伊東深水を中心に in 町田市立国際版画美術館」

2021-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210822
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩版画の楽しみ(3)浮世絵モダーン 橋口五葉と伊東深水を中心に in 町田市立国際版画美術館

 浮世絵風景の展示と同時開催していた大正から昭和にかけての新版画の特集も見応えありました。

 町田市立国際版画美術館の口上
 浮世絵モダーン 橋口五葉と伊東深水を中心に
 川瀬巴水に関連したミニ企画で、大正から昭和にかけて新版画を 制作した五葉と深水の二人の画家の作品を中心に展示します。

 伊東深水(1898-1972 )は各所の美術館で日本画を見てきましたが、橋口五葉(1881 -1921)の作品、数多くは見ていませんでした。盛名広まる前の41歳という若さで亡くなったこともあり、2011年6月〜7月に千葉美術館で橋口五葉展が開催されるまで、私は五葉を知りませんでした。千葉美術館の展覧会チラシに使われた「黄薔薇」を見て好きな絵だなと感じたのですが、私はまだ震災アパシーから脱出しきっておらず、千葉までは遠いと思い、見にいきませんでした。仕事では千葉美術館の隣駅まで行っていたのですが、休みの日に千葉まで出向くのは遠い気がしてしまう。

 「浮世絵モダーン」の町田市立国際版画美術館口上
 (橋口と伊藤は)大正から昭和前期にかけて、浮世絵版画とおなじように版元・画家・彫師・摺師が協同して制作出版する、「新版画」と呼ばれる多色摺木版画を制作した画家です。その作品は浮世絵版画の伝統を継承しつつ、それを超克する表現を見せる近代の芸術作品として制作されました。
 本ミニ企画では、そのような新版画を「浮世絵モダーン」と称し、約40点展示します。

展覧会構成 
第Ⅰ章 女性 ―近代美人画の諸相
第Ⅱ章 風景 ―名所絵を超えて
第Ⅲ章 役者 ―歌舞伎から新派まで
第Ⅳ章 花鳥 ―求められる伝統性とその変容
第Ⅴ章 自由なる創作 ―さまざまな画題と表現

第Ⅰ章 女性 ―近代美人画の諸相

伊東深水「対鏡」1916年渡邊木版美術画舗


橋口五葉「髪を梳ける女」1920



第Ⅱ章 風景 ―名所絵を超えて

 川瀬巴水「木場の夕暮れ」
 
 
橋口五葉「耶馬渓」1918年


第Ⅴ章 自由なる創作 ―さまざまな画題と表現

山村耕花(1886-1942) )「踊り 上海ニューカルトン」1924(大正13) 


 私はこの絵を何度か見たのですが、横浜美術館で見たのだったか、江戸東京博物館で見たのだったか、思い出せません。上海にあったというモダンなダンスホールだかカフェだかの雰囲気、今も新鮮です。

小早川清「ダンサー(レヴュー)」1932年、千葉市美術館

 この絵は初めて見ました。ダンサーのしなやかな動きが伝わります。

 明治以後の新版画の40点、浮世絵風景画のついでに見たのですが、なかなか充実した展示でした。

 撮影OKの絵とNGの絵がありました。著作権が切れていて自館所蔵の絵は、油絵でも版画でもOKにすべし、と思うのですが、いいなと思う絵はNG。
 絵も文学も人類の宝。パブリックドメインとして公開すべきです。と、いつもの持論。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼」展―in 町田市立国際版画美術館」

2021-08-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210925
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(2)浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼」展 in  町田市立国際版画美術館

  7月10日に町田市立版画美術館に出かけたのは、新しい展示のオープン日 「誰でも無料」というお知らせを見たからです。無料と半がくが大好きな春庭、これを見逃さず、娘と出かけました。今まで遠いと思っていた町田ですが、駅前から美術館行きのバスがているのも便利だし、これから新しい展示のたびに来たいかも。

 江戸期の浮世絵を見る機会は数多くありましたが、小林清親や川瀬巴水など明治から昭和にかけて活躍した版画家を最近になって見るようになった娘、「浮世絵風景画―広重・清親・巴水」という次回展示のタイトル見て、「母は無料が好きだから、見に行くでしょ」と誘われました。同時開催の「浮世絵モダーン 橋口五葉と伊東深水を中心に」という展示も、伊東深水の展示はまとめて見ることがあったけれども、橋口五葉のまとまった展示をみたことがなかったので、見たかったです。

 美術館の口上
浮世絵風景画―広重・清親・巴水 三世代の眼―
2021年7月10日(土)~9月12日(日)
江戸、明治、そして大正から昭和という三つの時代に、伝統木版画の技術を用い風景版画を制作した三人の絵師・画家、歌川広重(1797-1858)、小林清親(1847-1915)、川瀬巴水 (1883-1957)を紹介します。それぞれの表現を対比しながら、時代を超えて響きあう風景観や叙情性に着目。どこか懐かしい、百年にわたる日本の風景版画を旅するようにご堪能ください。


 展示は撮影禁止マークがある作品以外は、撮影OK。
 作品は心の目でじっくり見て、心のカメラに刻むべきという意見もわかりますが、私はあとで気に入った作品を思い出すときに、タイトルや作者を絵と対照したい方なので、撮影許可の美術館の方が気楽に見ていけます。作品目録を配っている美術館もありますが、私は、作品タイトルを見て、パッと絵柄を思い出せない雑な鑑賞しかできない目と頭なので、作品の次にタイトル作者を書いたプレートを写しておくと便利なのです。 

 広重が描いた江戸の町を、後代の小林清親や川瀬巴水川瀬巴水がどのように 表現しているか、とても面白い企画です。

 第1章 江戸から東京
 「雨の大橋」を3人3様に描いている絵を並べてあったり、亀戸天神の藤棚を3つ比べて見ることができたり、面白い展示でした。

 歌川広重が描いた江戸の芝増上寺雪中ノ図(天保末期) 


小林清親描いた明治の増上寺(1984明治17)


川瀬巴水描いた大正の増上寺(1925大正14)


第2章 歌川広重-江戸の名所絵
 東海道五拾三次のうち30か所の絵が展示してありました。

歌川広重「東海道五拾三次之内 が 庄野 白雨」天保7年(1836)頃、町田市立国際版画美術館蔵


第3章 小林清親-明治の光線画
 清親は江戸浮世絵の伝統に洋画の光の表現をとりいれ、「光線画」と名付けられた清親流の版画を制作しました。

 江戸時代にはなかった乗り物を、明治の新しい風景として光の明暗の中に描きだしました。

 本町通夜雪1880(明治13)


小林清親「高輪牛町朧月」1879(明治12)


神田川夕景 


両国花火 1884(明治17)(田口米治補筆)


 江戸の浮世絵に比べて、光の表現がすばらしいと思います。
 江戸の浮世絵が西洋の絵に影響を与え、明治の絵は版画も油絵も洋画から多くの技法を取り入れました。

第4章 川瀬巴水-大正・昭和の新版画

 大正・昭和の風景を描いたのは川瀬巴水の版画です。

深川上の橋1920(大正9)  


 娘が展示の中で、一番気に入った版画、巴水の「馬込の月」です。 
 
 馬込の月1930(昭和12)

 巴水の版画によって、大正・昭和の風景が残されました。むろん油絵 や水彩でも描かれてきましたが、一般の人にも買える価格の版画によって広く「風景」の感じ方」知らせたとも思います。風景というもの画家でもない私たちの楽しみとなったのは、 志賀重昂『日本風景論』らの高等な文章によるというよりも、雑誌などに掲載された版画によるところが大きかったのではないかと、今風景版画を見て思いました。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「映える風景画を探して  in 町田市立国際版画美術館」

2021-08-17 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210817
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩版画の楽しみ(1)映える風景画を探して  in  町田市立国際版画美術館

 はじめて、町田市立版画美術館を訪れました。
 娘が「映える風景を探して」という展覧会タイトルに興味を持ち、「風景画が好きだから見たい」というので、出かけてきました。

 期間 2021年4月24日(土) ~ 6月27日(日)

 四半世紀ほど前に、夫の仕事の手伝いで町田にきていました。しかし、町田の駅の改札まで来て、フリー校正者との原稿受け渡しが終わるとそのままとんぼ返りだったので、町田に降り立つのは初めてのこと。
 町田の街の中を初めて見ました。
 駅前の版画美術館シャトルバスに乗りました。案内には徒歩15分とでていますが、途中に急坂があり「こりゃ、徒歩は無理だったね」と、無料バスに感謝。撮影自由だったことにも感謝。

 町田国際版画美術館


 町田市立国際版画美術館の口上
#映える風景は、どのように作られるのでしょうか? 山と川が織りなすダイナミックな眺め、中世の面影を残す街並み、理想郷を思わせる美しい田園――目の前に広がる景色をひとつの絵に収めるために、画家や版画家はさまざまな工夫をこらしてきました。 本展では、版画を中心に、油彩画、水彩画、挿絵本、写真、光学装置などの展示を通じて、16~19世紀までの西洋風景画の歴史を辿ります。 ローマやエジプトの古代遺跡から世紀末パリのにぎやかな街角まで、その時々の風景画のスタイルや楽しみ方をご紹介します。

 「映える風景」とは、ピクチャレスクPicturesque の訳語です。ピクチャレスクというのは、「絵のようなさま。美しいさま 」という概念の美術用語で、18世紀にW.ギルピンが書いた余暇旅行者のための実用本に「ピクチャレスク=美の規則に従ってある地方の表情を吟味する」という意味合いで用いられました。18世紀19世紀にイギリスの青年たちは、こぞって「学業修了後の1~2年を欧州各地を旅して見聞を広める」ために旅行しました。これをグランドツアーといいます。その旅行において、見るべき風景を伝授したのがギルピンの本です。

 「映える」の読み方、、ポスターの仮名は「はえる」になっています。バエるというインスタなどに使われる今時の若者ことばのふりがなを使わず、昔ながらの「はえる~」にしたところが、及び腰に思えるのですが、展示内容はなかなか充実していました。

 展示室内



1章  版に刻まれた風景|版画が伝える土地のようす
 風景画がジャンルとして生まれて成熟するまでの歴史をたどる。風景画の誕生からグランド・ツアーまでる

 西洋絵画では、神に関わるモチーフが主流で、風景だけを表現する絵はほとんど描かれることがありませんでした。
 ブリューゲル、ルーベンス、レンブラント、カナレット、ピラネージらが版画で風景を描き出しましたが、やはり風景だけではなく神話やキリスト生涯などにからめて風景画描かれています。
 たとえば、ピーテル・ブルーゲル父(1525(または1530)-1569)の「改悛するマグダラのマリア」。マリアは右下の隅っこのほうに小さくが描かれており、画面に広がっているのは風景です。マグダラのマリアを描きたかったと言うより、マリアをだしにして風景を主役を描きたかったのではないかと思うような構図です。

 ピーテル・ブリューゲル「改悛するマグダラのマリア」1555-6

 マグダラのマリアは右下にひっそりと。

 原画(1533):ピーテル・ブリューゲル 版刻:ヨーリスフーフナーヘル(1542-1600)
 「メルクリウスのプシュケの誘拐が描かれた川の風景」1553


 メルクリウス(英語ではマーキュリー。ギリシャローマ神話ではヘルメス)が風のニンフであるプシュケ(息・命)を誘拐するという神話をモチーフにしているけれど、私には、川岸にすわって川をスケッチしている画家ふたり、たぶんピーテル・ブリューゲルの父と息子が主人公に思えます。

 原画の画家名だけでなく、彫りを担当した職人の名前もきちんと示されているのがいいと思います。版画においては、版を掘り起こした彫り師の腕によっても刷り上がりが左右されますから。

 原画:ルーベンス(1577-1640)「ぬかるみに嵌まった荷馬車のある風景」1638
 版刻:ステルへ・ボルスウェルと・ボルスウェルト


 レンブラント・ファンレイン(1606-1669)は、エングレーヴィングやエッチングの彫りも自分の工房で仕上げました。エングレーヴィングは、ビュラン(burin)という鋭利な刃物で直接銅版を彫って版を作る 方法。エッチングは銅板の表面を針(ニードル)で削り、その後腐食させることで凹版を得る版画です。

 レンブラントファンレイン「三本の木」1643

 原画:ユベール・ロベール(1733-1808)
 版刻:ジャンフランソワ・ジャ二ネ(1752-1814)
 「メディチ家の柱廊と庭園」1776


 イギリスの学業修了旅行者は、このイタリア風景の絵を眺めて、古代ローマやギリシャへのあこがれを募らせ、また、グランドツアーみやげとして版画を買い求めて、故郷の人々に配りました。

 2章 研ぎ澄まされる風景「絵になる景色の作り方」
 「映える風景」を追い求めた画家たちの系譜を、200年前のフォトジェニック・テクニックとツールと合わせて紹介
 主な出品作家・作品:クロード・ロラン、J.M.W.ターナー、ジョン・コンスタブル、ジャン=フランソワ・ミレー 

 クロード・ロラン(ジュレ)は、風景画の発展に大きな力をふるった画家で、イギリスのターナーらの風景画を育てた師匠にあたる人。
 2020年6月にロンドンナショナルギャラリー展を見たときに、クロード・ロランも数点見ているのですが、このときは、ほかにも印象に残った絵がたくさんあったので、春庭ブログでのアート散歩では、クロードクロード・ロランをとりあげませんでした。今回、展覧会レクチャーがあり、クロードロラン研究の第一人者小針由紀隆氏の講義を聴くことができました。講義の記録はのちほど紹介します。
 
 クロードロランに続くターナーらは、イギリス風景画を進化させました。
 デヴィッド・コックス(1783-1899)「洗濯日和」(水彩画 栃木県立美術館蔵)


 原画:ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
 「ネッカー川対岸から見たハイデルベルグ」


 ターナー「カルタゴを築くディド」1860


 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
 「メリック修道院、スウェイル渓谷」水彩1816-17 栃木県立美術館 

 原画:ジョン・コンスタブル(1776-1837)
 版刻:デヴイッド・ルーカス(1802-1881)
 「虹、ソールズベリー大聖堂」

原画:ジャンフランソワ・ミレー(1814-1875)
 「耕す人」1855-56



3章本の中の風景-世界旅行と時間旅行
 めくるめく挿絵本と旅行記の時代。古代エジプトから世紀末パリまで、世界中を飛び回る大冒険。

 グランドツアーだけでなく、世界の光景を見たいと望む人が増え、本が盛んに出版されるようになりました。

 テロール男爵他(編)『古きフランスのピトレスクでロマンティックな旅』「古ノルマンディー編」より、1820年刊、リトグラフ、町田市立国際版画美術館


 




アルフォンス・ド・カイユー(1788-1876)『古きフランスのピトレスクでロマンティックな旅』「古ノルマンディー編」より、1820年刊、リトグラフ、町田市立国際版画美術館


4章 楽しむためのlandscape世紀末の版画、左心、視覚装置

 写真技術が浸透しつつあった19世紀後半にフォーカス。写真の普及に抗うようにして独自の表現を追い求めた版画家やピサロら印象派画家の作品、そして凸レンズや照明を活用した眼鏡絵や幻燈機といった世紀末のエンターテインメントも目にすることができる。 

 カミーユ・ピサロ《ポントワーズ、ライ麦畑と マチュランの丘》、1877年、
油彩、静岡県立美術館 

1889万国博覽会

 これまで油絵や水彩などを見ることを優先して、版画を積極的に観覧することがありませんでした。が、町田市立国美術館美術館の方針「新展示オープンの日は観覧無料」というのを知ったので、これから新展示のたびに見にきてもいいかな、と思いました。なにせ「無料」が大好きなので。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「8月15日の確認」

2021-08-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210815
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>日本国憲法

 コロナ感染者増加が止まりません。
 政府は病床逼迫をあげ、重篤な病状以外は自宅で療養せよと宣言。高齢者も重症でなければ入院もできず、自宅療養中にいきなり重症化して、独居老人などはひっそりと死んでいくのでしょう。

 国民の命と健康が第一と言ってきた政府の「政権維持と利権獲得が何より大事」というホンネがはっきり見えます。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 コロナ軽症者は自宅にいなさい、というのは、この25条に違反しているんじゃないでしょうか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「活動写真椿姫」

2021-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20210814  が 、は 
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記夏(9)カツベン椿姫

 6日広島慰霊の黙祷、朝8時には出勤途中の電車の中で、9日長崎慰霊の黙祷は地下鉄を降りて地上に向かうエレベーターの中。でも、慰霊の念はちゃんと天に届いたと思います。
 9日はエレベーターを降りると、江戸東京博物館の裏口に。通常のJR両国駅から入るメインの入り口は、国技館がオリンピック会場になっているため、パラリンピックが終わるまで閉じられています。

 企画展「相撲錦絵と江戸文化」 を見ようと出かけたのですが、14時から「弁士とピアノ演奏付き無声映画」という催しがあることを知りました。
 弁士に見覚えはありませんでしたが、ピアノ演奏者新垣隆の名に見覚えありました。そうそう、話題になった佐村河内守氏のゴーストライターを18年間務めていたことを告白した作曲家です。(ゴーストライター活動について彼自身のことばとしてメディアに出ているので、そちらをどうぞ)。

 新垣隆は、2001年の8月、鳥取の三朝(みささ)での無声映画上映に代役ピアニストとして始めて参加して以来、活動弁士の澤登翠らのカツベンに鍵盤奏者として伴奏を続け、澤登翠の師匠である松田春翠との共演他、数多くの無声映画の伴奏者&伴奏曲作曲者として20年間無声映画に関わってきました。

 今回の江戸東京博物館では、ハルキと新垣隆 の共演です。ハルキは、松田春翠の名から春を受け継いでハルキという芸名で活動弁士として活躍しています。 
 ハルキは師匠松田春翠の息子松田豊と結婚し、オフィス・アゲインを設立。夫妻で無声映画上演の活動を続けています。

 入館チケット提示で座席指定の予約
ができます。無料。座席は一つおきになっていましたが、入場者は半分の座席数も全部は埋まっていませんでした。
 台風接近の予報が出ていた月曜日。月曜日が祝日と重なった場合は、翌日火曜日が休館日となる、ということを知らない人も多いので、館内は空いているだろう」という狙い通り、観客数が少ない館内でした。
 でも、ハルキカツベンの熱演を知ると、もっと大勢の人に無声映画を見て、その魅力を知ってもらいたかったと思います。

 14時から30分間『子宝騒動』を上演。
監督 斎藤寅次郎 脚本 池田忠雄 出演 小倉繁 出雲八重子 爆弾小僧(横山昇一 )他 制作 松竹キネマ(蒲田撮影所)


  「貧乏人の子だくさん」の家に、7人目の赤ん坊が生まれるというのに、甲斐性なしの夫は、産婆の金もない。金の工面のドタバタが続きます。
 この作品は、1935年の制作。中国戦線の拡大は続いていますが、人々にとり、戦争が続けば特需が増え、景気が向上すると受け取られていた時代です。人々は面白おかしい娯楽を求め、この作品も笑える映画として歓迎されたのだろうと思います。


 子宝騒動は、終始泥臭いドタバタ。文字通りの泥臭い田んぼの泥の中を「東洋一の名豚」を追いかける画面に、これが今も続くドタバタコメディの1935年の表現なのかと思うし、「このドタバタ、戦争に向かっていく時代の人の求める笑いだったのか」と、その単純あっけらかんの笑いに思いを深めたり。

 ハルキのカツベンは、人物の性格を描き分け、わかりやすくストーリーを伝えていました。とてもよい声で、伝える力がありました。

 2本めは1921年の『椿姫』。
[原作]アレクサンドル・デュマ・フィス
[監督]レイ・C・スモールウッド
[出演]アラ・ナジモヴァ(マルグリット・ゴーティエ)
     ルドルフ・ヴァレンチノ(アルマン・デュヴァル) ほか 

 パリで浮草暮らしを続けてきた高級娼婦マルグリット。


 ある日、純朴なアルマンと出会い、真実の愛に生きようと田舎で暮らし始めます。幸福な日々の二人。


 しかし、アルマンの父に「息子の将来のために別れてくれ」と頼まれ、マルグリット身を引きます。マルグリットは患っていた病を悪化させ、アルマンとの生活のために蓄えも使い果たしています。アルマン は、マルグリットに棄てられたと自暴自棄となり、マルグリットを恨んでいるだけ。

 マルグリットは、アルマンとの幸せな日々の思い出を思いだしつつ亡くなります。
 全世界の涙を誘ったという臨終シーン。

 
 オペラでも有名な作品であり、何度も映画化されている「椿姫」ですが、ハルキのカツベンによる1921年制作、100年前の『椿姫』、無声映画に新しい命を吹き込むカツベンだと思いました。

 夏の1日、無料で楽しめた無料の無声映画。楽しかったので、周防正行監督の『カツベン』もいつか見てみようと思いました。主演のカツベン士成田凌は私の好みだと、トップランクの次の第2ランクなので、どうしようかなあと思っていた映画だったのですが、草刈民代が「そっくりマネシーン」のマルグリットを演じるというのも興味引かれますので。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「清里観光」

2021-08-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210812
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記夏(7)清里観光

 女子校クラスメートやっちゃんとすごす、八ヶ岳高原清里の2日目。
 8月3日は、雨の朝。
 朝食前に近所を散歩しようと言っていたのですが、雨の中じゃ、年寄りがすべって転んでも笑い話にもならない、と中止。朝ご飯まで、オリンピック競技の録画中継などを見て過ごすうち、雨があがってきました。
 総合乗馬競技、戸本一真選手が4位に入賞しました。日本の選手が馬術の個人種目で入賞したのは、1932年のロサンゼルス大会で金メダルを獲得した西竹一選手以来、89年ぶりのこと。

 やっちゃんに言わせると、人馬一体といっても、競技で勝つには「馬のできが10割」。どの馬に当たるか、よい馬に馬に当たったやつが勝ち。なんだって。 

 部屋から見える景色。馬が草を食んでいます。


 朝ご飯は、スペシャルブレックファスト。
 フレンチトースト、サラダ、自家製燻製竃によるシェフ特製ベーコン&ソーセージ、ほうれん草と卵のキッシュ。ヨーグルト(上にはペンション前のブルーベリーを摘み取ったもの)くだもの盛り合わせ。コーヒー。
 

 朝食、おいしかったです。


 チェックアウトして、ペンション・ファーストトレイン前で
 

 8月3日、清里観光の最初は、ファーストトレインの前に広がっている厩舎見学。やっちゃん、馬を見れば気になって仕方が無い。

 
 ファナウ(Whanau)とは、マオリ族のことばで大家族(家族、親戚、遠い親戚など幅広い意味での家族) です。ステーブルは英語で厩舎。

 外に放牧されているお馬さん達は、コートを着てのんびり草をはんでいます。やっちゃんに「夏なのに、どうしてコート着ているの?」とたずねると、「昼夜放牧だとすると、コートは虻よけじゃないか」だそうです。

 
 厩舎の周りをうろうろしていたら、厩舎の人が声をかけてくれました。話していたら「あのう、マスクしていたのですぐにわからなかったんですが、審査の方ですよね。お会いしたことがあります」と。

 厩舎の人が出場する馬術競技会で、審査員を務めていたやっちゃんの顔を覚えていたのでした。審査会やその後の親睦会で顔合わせしてきたというのです。

 話してみたら、やっちゃん知り合いの馬術競技者ご夫婦の妹さんでした。やっちゃんの知り合いさんは、ニュージーランドで馬修行をした方だということで、ファナウ(Whanau)というマオリ族のことばが厩舎名につかわれていることにも納得。

 厩舎の中を見学させてもらいました。

 
 やっちゃんが見て、馬はよく管理されており、厩舎の状態もとてもよい、との琴でした。
 ファナウステーブルは、体験乗馬、子ども達の馬術競技教室などを営みながら、馬術競技出場を続けています。


 やっちゃんはその競技を採点する人。
 「あの、次の審査会では、ミスしてもよい点数をくださいね」という冗談も飛び出しました。やっちゃん、いつもは厳しく点数をつける馬術審査員です。厩舎の方とお別れして、次の観光名所「吐竜の滝」へ。

 吐竜の滝駐車場から森の中の道に入り、15分ほど歩き、滝の前へ。

 橋を渡ると「吐竜の滝」


 昨夜から朝にかけての降雨で、瀧は前回見たときよりも水量がふえていました。


 


 滝見物のあとは、甲斐小泉へ行き、平山郁夫シルクロード美術館へ。美術館見学の報告はまたのちほど。

 午後3時になっておそい昼食タイム。清里駅前のソバやで天ざるを食べて、私は清里駅から小海線中央線をつかって東京へ戻ります。やっちゃんは車で元来た道を群馬に戻ります。

 やっちゃんは、また5時半に起きて、午前中は大学馬術部での乗馬指導の毎日。夏はこのあと、北海道へ行く予定、という。私は,8月5日6日勤務のあと、7日から15日まで夏の連休です。
 パラリンピック観戦もまだまだ続く。夏バテ、熱中症、コロナに気をつけて、元気に夏を乗り越えたいです。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「八ヶ岳高原夏」

2021-08-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

 清里オーベルジュ ファーストトレイン

20210810
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記夏(6)八ヶ岳高原夏

 女子校クラスメートのやっちゃんと、久しぶりに「いっしょにあそびましょ」の夏の1泊2日。
 17歳の出会いから54年間の友達。誕生日は、私が4日間早い同じ月生まれ。誕生日がくれば、ふたりして72歳です。

 会うたびに「ハハハ、ますますバーさんになってるなあ」と言い合うのですが、古稀すぎれば、バーさんになるのは当然のこと。夜中に2回3回とトイレに行くとか、トイレのドアを開けると、ズボンを下ろしきらないうちに脳が「はい、トイレだよ」と命じてしまうので、尿漏れパッドが必要、なんていう「バーさんトーク」が遠慮なく言い合えるのが、ふたりとも心地よい。ミエも外聞もない間柄です。私よりも服装に気をつかわない婆さん、やっちゃんだけです。県の乗馬連盟審査部長のやっちゃん、似合うのは乗馬服だけかも。

 2019年12月年末に春庭の住む家に、やっちゃんが泊まりに来て以来、2020年、2021前半、やっちゃんは、息子さんから「東京はコロナこわいから、東京の人と遊びにいっちゃダメ」と止められているということで、1年半いっしょに過ごすこともなかったのです。電話だけで近況報告。母親思いの息子さん。
 私もやっちゃんもようやく7月中に接種2回目が済みました。息子さんからも「東京在住者といっしょにいても大丈夫」と、お許しあったというので、2018年夏にいっしょに遊びに行った八ヶ岳高原清里にいくことにしました。

 例年なら、春先には夏の予約が埋まってしまうという八ヶ岳清里のオーベルジュ・ファーストトレイン。コロナの今ですから部屋が空いているか知れないと、ワクチン接種終えて電話してみました。ツイン1室空きありということで、予約できました。
 若い人たちまだ接種すんでいないから、出かけるの躊躇するよね。

 8月2日、川崎で人身事故ありというアナウンス。乗る予定の高崎線も湘南電車も大幅遅れ、というので、東北線で大宮に行き、乗り換えて高崎へ。やっちゃんが車で待ち構えていました。
 佐久にあるやっちゃん元同僚がオーナーシェフをしているレストランでランチ。やっちゃんはパスタ。私はレディースランチ。サラダ・グラタン・ハンバーグ夏野菜ソテー・パン、メロンジェラート&コーヒーという盛りだくさんのランチ。レディたちの中でも、私のような大食いでないと食べきれないかも。

 14時半に八ヶ岳萌木の村到着。しかし、ペンション・ファーストトレインは館内消毒などの準備があるので、15時まで閉館ということでした。車を止めさせてもらって、先に「野外バレエ」の会場へ。

 私は「ホテル・ガーデンロック」でコーヒータイム。やっちゃんは周辺を散歩。森の中を歩いていたら「レンゲショーマ」の群落があった、と喜んでいました。やっちゃんは元高校理科教師で、いろいろな植物に興味があります。県の「野生きのこ研究会」に所属して、きのこの勉強もしているので、散歩といっても、周辺の植物やきのこに目配りを忘れません。

 ロックガーデン入り口

 ロックガーデン前。馬好きのやっちゃんは、「ここがいい」と。


 16時半に、清里野外バレエ「フィールドバレエ」のリハーサルが始まりました。フィールドバレエは八王子に本部がある「バレエシャンブルウエスト」が公演を続けてきて、昨年フィールドバレエ30周年を迎えたそうです。リハーサル見学無料。



 リハーサル会場では、バレエ団の総監督今村博明と芸術監督川口ゆり子がマイク片手にダメ出しをしています。2018年夏に見たリハーサルでは、かなり激しい注意がダンサーに出されていたのを覚えていますが、この夏、監督は「熱中症に注意して。コールドは舞台にいなくてもいいから、袖にはけていて」と言うソフトな指導でした。

 リハーサル指導中の今村総監督


 上演するのは「眠りの森の美女」
 8月2日の出演は、オーロラ姫松村里沙、王子江本拓。




 夜、照明があたると幻想的な舞台になるのですが、昼は青空と白い雲、森の緑が映えて、これはこれで美しいバレエです。


 6時にリハーサルを終え、ダンサー達は公演準備へ。
 特別バレエ好きではないやっちゃんは「お金ないから公演本番は見なくてもいい」と言います。当日券を買おうかと思っていた私も、「晩ご飯ゆっくり食べてオリンピックをテレビ観戦する」というやっちゃんにおつきあい。
 ジャズダスス歴45年の私、ちょこっとバレエ見たかった気も残りましたが、リハーサルを見ていたSS席は12000円、うしろのA席が8000円というのを見て、私もやめました。これまでのフィールドバレエ見物で、妹が前売り券を買ってくれていたので、当日券がそんなに高めになるとは知らなかった。

 6時にファーストトレインに戻ると、オーナー夫妻が「晩ご飯召し上がっていると、7時のバレエ開演に間に合わないかと、心配しました」というので、「今日の夜公演は見ないというのを連絡しておかなくてすみません」とあやまって、部屋へ。

 部屋は、2人のために家族室を用意してありました。前に妹一家と泊まったときと同じ、2つの寝室の間にリビングルームがある部屋。このペンションで一番広い部屋、5名宿泊用をふたりで使うのです。トイレ&風呂は部屋になくて、共用です。他の宿泊者がバレエ公演に出かけている間に、私もやっちゃんもふたつあるお風呂でのんびり過ごせました。

 晩ご飯は、サラダ・スープ、前菜、メインのステーキ&ライス、コーヒー。カメラの電池が終わってしまい、メイン撮れませんでした。

 前菜


 食堂


 2室のうち、やっちゃんは「テレビ見ながらウトウトするのが好き」というので、リビングのテレビが見えるほうの部屋。オリンピック野球を見て、日本の勝利に感激して眠ったそうです。

 雲がちの夜空で「満点の星」は見ることができませんでしたが、ぐっすり眠りました。

<つづく>



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ぽかぽか春庭「テレビ観戦」

2021-08-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
210808
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記夏(5)テレビ観戦

 なんだかんだと文句いっぱいの開幕でしたが、五輪競技が始まれば、娘といっしょうけんめい応援しています。

 開会式、はっきり言ってしょぼい演出でした。よかったのは森山未來のダンスと大坂なおみの最終点火くらい。海老蔵の「暫」も、市川家のにらみ芸が悪霊退散の伝統であることが、歌舞伎に強い人でもなければわからないし、海外の人には親子の獅子が紅白のたてがみをぐるんぐるん回すほうがわかりやすかったと思います。私が期待していた「和太鼓を競技場に密にならないようにいっぱい集めて、林中心に中心にドンドコ鳴らす」演出がなくてがっかり。

 コロナのために派手な演出はできなかったということはわかるけれど、それなら、2022年の夏まで延期して、コロナが収束してから開催してもよかったのじゃないかと思います。昔は同じ年の冬に冬期五輪をやってから夏に夏期オリンピックをしていたのですから、2022年夏の五輪でも国民に不満はなかった。不都合があったのは、さまざまな利権を配分してきた政府だけ。

 開会式はしょぼかったけれど、水泳大橋選手の金メダル、柔道阿部兄妹の同日金メダル、若いスケートボーダー 堀米雄斗が金メダル。このスケートボード種目ストリートというのとパークというのとどう違うのかもわからないけれど、なんにせよ金メダルはエライッ。翌26日には西矢椛 が13歳で同じストリート種目で金メダル。中山楓奈15歳が銅メダル。8月4日にパークで金も12歳のメダリスト誕生。

 男子体操の金メダル、女子ボクシング金メダル。メダルラッシュに沸きますが、どんな種目も選手はせいいっぱいがんばっているのだから、1回戦敗退とかでも拍手を送り、これまでの努力をたたえたいです。
 
  13歳の西矢もすごいが、女子ソフトボールの上野投手、39歳まで現役を続け,13年ぶりの金メダルも金以上の価値があると思います。

 レスリング姉妹で金、卓球の団体男女、フェンシン団体、女子 ルフシルバーメダル、ライブで見たりビデオで見たり、応援に力がこもりました。

 テレビ観戦している間にも、コロナ患者はどんどん増加。政府は、「コロナにかかっても、病床足りないから入院しないで、自宅療養せよ」と言う。そんな国に暮らしていても、毎日誠実に働き、暑い中マスクして通勤。えらいね、労働者春庭。がんばれ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「夏の日常」

2021-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210807
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2021二十一世紀日記夏(4)夏の日常

 7月18日日曜日。
 朝、7時から玄関わきに生えていたドクダミを引っこ抜く。庭師のスズキさんにとっては、ドクダミは雑草=ゴミになってしまうから、スズキさんが庭の手入れをする前に取り入れました。置くところないから、とりあえず玄関前にあった大型ごみバケツに突っ込んでおきました。あとで葉っぱをちぎって、乾燥させお茶にするつもり。

 朝ごはんメニューは、バナナとシリアルにヨーグルトをのせ、牛乳をかけて食す。食べ終わると同時くらいに玄関チャイムが鳴り、この日に庭仕事をたのんでいたスズキさんが到着。

 本格的な庭じゃないから本職の庭師を頼むことはしないけれど、スズキさんは、30年くらい前から、姑の家の猫のひたいほどの庭の手入れを、年に2度してくれていました。
 スズキさんが30年前にシルバーセンターに登録したころから、姑は毎年頼んでいました。今はもうシルバーセンターも退職となったので、夫が個人的に依頼しています。

 毎回、挨拶がわりに「お元気ですねぇ、今年おいくつになられたんでしたか。え~と、きゅうじゅう、、、、」「92になりますっ。昭和2年生まれですから」と、元気な声。背はだいぶ丸くなっているけれど、剪定鋏を持つ手はしっかり。

 玄関前のアジサイ剪定から。
 椿には毛虫がついていたとのこと。全く知らずに、門を出入りしていました。刺されると毒がある毛虫だったというので、虫嫌いの娘が刺されずに済みました。

 玄関前を済ませて庭に出てもらう前に、休憩していただく。水ようかんと冷茶。
 夫タカ氏が、スズキさんがお好きな茶菓子を買ってくる。水ようかんをお出しした後だったので、持ち帰り用に。

 タカ氏は、人工透析を週3回受けています。透析を始める前はときどきめまいがしたり体調がわるかったけれど、今は透析のおかげで、前より体調はよくなったと。
 週に3回ベッドでじっと透析をうけている間、他の人はテレビを見ていることが多いけれど、タカ氏は、ラジオで野球や相撲中継を聞いていたり、タイ語のCDを聞いたり。「一病息災」の身であることなど語る。「透析は一生受け続けなければならないけれど、事務所の隣の病院で受けられるんだから、事務所で休憩する代わりと思えば、少しもたいへんじゃない」と言う。

 タカ氏は、飯田橋ギンレイという映画館の「会社用シネマパスポート」を利用し、先日タイ映画を3回見たという。最初の一回は字幕を見てストーリー理解、次は字幕と対照しながらタイ語セリフを聞く。3回目は字幕を見ずにどれくらい聞き取れるかのチェック。タイ語熱は相変わらずです。

 以前タカ氏は、年金を受けられる年齢になったら、タイで暮らせば年金だけで十分に暮らしていけるので、一人で永住的に移住すると計画していました。どうぞどうぞ一人でも、現地のきれいな人といっしょでもお好きに、と言っていたのですが、透析暮らしになったので、移住は取りやめ。
 私はここぞと、ニュースで見た、タイで年金暮らしを謳歌していた日本人男性の話をしました。

 物価の安いタイで悠々暮らしていた男性がコロナ陽性に。病院を探したのだけれど、どこも受け入れてもらえず、ようやく病院が見つかったあと急激に重症化してしまいました。重症患者を受け入れる病院はタイには少なくて、あっという間に亡くなってしまった、というニュースを見たのです。
 夫は「タイで年金暮らしをする場合、病院や強盗だけでなく、どんなリスクが山積みなのかは十分に検討済み。リスクがどれほど大きいか知ったうえで、それでもいいと思う人が移住すればいいのであって、単に物価が安いから年金で暮らしていけると思うような人は、移住先で強盗にあったりコロナになっても自己責任」と言う。
 「ハワイだと日本と同じように透析が受けられる日本人向けの病院が完備しているそうだけれど、別段ハワイに行きたくはないし」と。
 はい、はい、タイ語の勉強がんばってね。

 スズキさんがカエデの剪定などしている間、死ぬ前にもう一度食べたいメニューの話をする。タカ氏は、バングラデシュの首都ダッカにある「レストランチッタゴン」で食べたカレー。今まで食べたカレーの中で一番おいしかったから、もう一度食べたいと言う。
 私は、「バングラデシュで貧乏旅行していて、ろくなもの食べていなかったから、ダッカのレストランでまともなカレー食べておいしかったんじゃないの?今食べてもおいしいと思うかどうか」と、ちゃかす。夫が若いころ続けていた旅は、全部貧乏旅行でした。

 ケニアのトゥルカナで食べた魚の話も出ました。40年前の思い出です。
 青年協力隊員高校教師の従妹ミチコといっしょにトゥルカナに旅行した私は、従妹の知り合いのスエーデン人技師の家にホームステイし、毎晩おいしいディナーを食べていました。別ルートの貧乏旅行者タカ氏は、現地の食堂兼旅籠に宿泊。食事の内容は天地の差。ゆで卵を食べたら食あたりして3日間腹痛でのたうち回ったと。私とミチコの優雅なディナー話を聞くと「そういう楽する旅はタビじゃない」と、のたまう。楽でも楽じゃなくても、トゥルカナ旅行、40年前の思い出です。

 12時。スズキさんが、庭の手入れを途中にして「食事しに家へ戻ります」といったん帰宅。
 そうめんをゆでて、青じそとミョウガを刻んで薬味にし、タカ氏と食べる。タカ氏は水分や塩分に食事制限を受けているのですが、久しぶりにそうめんを食べたと。
 ミョウガは庭に生えていたのを、スズキさんが取ってくれたものです。とりたて産地直送ミョウガ!

 13時半。スズキさんが庭仕事再開。紫陽花やつつじの剪定など。
 ぎっしり花をつけていた紫陽花も丸坊主に剪定されました。


 言っておかなかった私が悪いが、全部終了後バケツをみたら中は空で、入れておいたドクダミはゴミ袋にほかの枝や雑草といっしょくたに詰め込まれていました。ま、ドクダミは来年もぼうぼうと生えてくる。
 狭い庭ですが、8時半から15時まで一日仕事でした。シルバー料金でやってくれてありがたい。92歳スズキさん、100歳まで長生きしてほしい。

 14時、娘が3階の部屋から降りてくる。「スズキさんが全部終わって帰ったら昼ごはんに降りてこようと思ったんだけど、もうおなかすいて待っていられない」
 
 娘はテレビをつけ、昼ご飯を食べながら相撲中継を見始めました。娘は宇良がごひいき力士です。
 宇良が関西学院大学教育学部に進学し、1年の時に全国学生相撲・個人体重別選手権65kg未満級で優勝した ころから、娘は「宇良押し」を始め、2015年に木瀬部屋入門以来、ファンを続けています。特に2016年の3か月に及ぶ入院生活中、5月に十両になった宇良を応援することが入院生活の支えになっていました。「押し」が力になるという好例を感じます。

 ケガのため三段目まで陥落していた宇良は、この7月名古屋場所からようやく幕内に復帰。娘の応援も一段と力が入りました。髷に手がかかった反則負けがあったために10勝。「11勝していれば三賞もらえたかも」と娘は悔しがりますが、勝ち越しだだけでも私は満足。けがのないように、無理をしないように、多くの「押し」たちのために頑張ってほしいです。

 夫は、いつもは病院のベッドで透析を受けながら聞く相撲中継を、家族とテレビ観戦するなど久しぶりのことなのですが、優勝した白鳳のインタビューまで楽しんでいました。
 白鵬の15日間。進退をかけた相撲とはいえ、14日目の俵まで下がった立ち合いとか、照ノ富士へのなりふり構わず勝ちにいった相撲内容について、相撲識者たちは批判的でした。私は、さじき観覧席の夫人と一男三女が一家して泣いている姿を見たら、「家族のためにようがんばった」としか言えない。家族の応援は最強の「押し」です。

 家族を顧みず、好き勝手に生きてきたタカ氏に言ってやった。毎年誕生日にも父の日にも娘がクッキーやケーキを焼いて、手作り品と一緒にプレゼントしています。そんな優しい娘を育てた母親が偉い!と。

 娘と晩御飯食べながら『青天を衝け』を見る。主人公渋沢栄一がパリでごちゃごちゃしている間に、草薙慶喜は大政奉還jしてしまうし、いろいろ大変な幕末になっていました。草薙の慶喜も、板垣李光人の徳川昭武もなかなかよかったです。

 土曜日は娘と美術館などへ出かけることが多いですが、日曜日はだいたい家ですごします。2021年の7月。夏の日曜日、何もしない平凡な一日でしたが、このように平凡ななんでもない一日が貴重なのだと、多くの方々が「コロナ禍で気づいたこと」にあげていました。それで私も「平凡な一日」を書き留めておきました。夫と話して、相撲をテレビ観戦して、娘とドラマ見ながら晩御飯を食べる、こんな一日もきっとよい一日。

<つづく>
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