春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2020年4月目次」

2020-04-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20200430
ぽかぽか春庭2020年4月目次

0402 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記桜咲かそう(5)コロナ雪
0404 2020二十重日記桜咲かそう(6)桜さくら
0405 2020二十重日記桜咲かそう(7)近代建築散歩神保町お茶の水界隈

0407 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>春庭漢字話2020(1)漢字学習中

0409 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話女偏(1)再録・女とホウキ
0411 春庭漢字話女偏(2)再録・女と母木

0412 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(1)コロナ休業
0414 2020二十重日記春なのに(2)マスク
0416 2020二十重日記春なのに(3)ペスト
0418 2020二十重日記春なのに(4)ハナミズキ
0419 2020二十重日記春なのに(5)3000日目 

0421 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>新語流行語2020コロナ(3)アマビエ

0423 春庭漢字話女偏(3)かかあ天下
0425 春庭漢字話女偏(4)女の部首「妻と妾」
0426 春庭漢字話女偏(5)婦人と女性 

0428 2020二十重日記春なのに(6)畑入門地球の治し方
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ぽかぽか春庭「畑入門・地球の治し方」

2020-04-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200428
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(7)畑入門・地球の治し方

 スーパーでの買い物も制限され、いよいよ自給自足生活入門か、と、まずはたい肥作りから。
 20日に米屋でヌカ2Kg、花屋で腐葉土5Kgを購入。スーパーでもらった段ボールに、腐葉土、野菜くず、ヌカをミルフィーユで重ねて、毎日すこしずつミルフィーユを足していく。新鮮な空気が発酵を早めると、たい肥作りサイトに書いてあったので、スコップで混ぜる。
 1週間。まだまだ野菜は原型のままで、土作りの道遠し。

 八百屋で「朝取りタケノコ」を買い、皮が大量に出たので、刻んで混ぜたのが失敗。たい肥作りサイトでは「段ボールたい肥」に向かない野菜として、「トウモロコシの皮、タケノコの皮」と出ていました。キャー、ものを知らないもんだから、タケノコの皮、土と混ぜてしまいました。

 妹から手作りマスクが届きました。感謝。
 右はじは、郵送で届いたアベノマスク。つかいにくいという評判なので、まだ袋に入れたまま出していません。


 妹手作りマスクといっしょに届いたのは「ぼくらの地球の治し方」という本。藤原ひろのぶという社会活動家の著書、サインつき。
 まあ、たい肥作りも、生ごみを減らすということで少しは地球を治す方向には向かっているかな。

 妹のメールでは、妹亭主も定年退職した昨年に畑デビューし、この冬は大根10本の収穫があったと。
 春庭畑も、早く何か野菜を作ってみたいけれど、なにせこれまでアロエ以外の植物は全滅の過去、みんな枯らしてしまった。畑才能ゼロなので、収穫までの道は遙か。キュウリやミニトマト、ハーブの収穫は来年の夏にできたらいいな。

 「家から出るな2週間」が始まった25日土曜日。買い物から帰り、早々に寝てしまいました。早く寝すぎたので12時にトイレに起きたあと眠れなくなって、蒲団の中で「ぼくらの地球の治し方」を読む。1ページ読んで、うつらうつら、また1ページという半分眠り読書でしたが、3時ごろには読了。段落分けが多くてページあたり文字数が少ないし、難しいことは言ってないから。


 「藤原ひろのぶ」社会からは「あやしい人、変わり者」と呼ばれる起業家で、社会での失敗経験豊富。ペンネームヒロノブ。本名は宏宣
 ギニアで製氷会社を作っても失敗。現在は4人の子を育てながら、バングラディシュ・スラム街の「食べ物を得られない子供」に食料を支援する「ギフトフード」、および学校を建設するNGOで活動。

 日本では2019年には年間309回の講演をこなし、途上国事業への理解者を広げながら金集めに奔走。
 著書に出ている顔写真は(わざとでしょうが)変顔をしていますが、ネット画像で検索してみれば、イケメン。4児の父。
 春庭妹モモは、母の遺伝で「人助け」が生きがいの生活。自分のことはほっておいて、人様を助ける生活をしています。そしてNPO活動では社会活動家や音楽ボランティアを招いて講演を聞いたりコンサートを開いたり。気持ちばかりの謝礼しか出せないので、コンサート後講演後にサイン入り著作を何冊か買って、心ばかりの支援。私にも本を分けてくれました。印税がNGOに寄付されると聞くと数冊買って配るけど、妹のうち、毎月家計は火の車。

 本の中に書かれていること。
 大阪西成区生まれ。父は事業家。一貫校入学で、エスカレーターで大学へ。一般会社に就職しトップ営業マンになるが、すぐに退職。父が倒れたのを機に父の会社に入社して資金繰りなどに苦労する。26歳で企業し、北海道の就農に応募して失敗。食べ物を扱えば食いっぱぐれがなかろうと、米屋になるも失敗。おにぎりに広告チラシをつけて駅前で配布したが、だれも受け取らず、おにぎりは母親の経営する韓国焼き肉屋で再利用。(本の中で一般会社と書かれているのはジェイコムであると判明)
 ギニア人と知り合い、ギニアで製氷会社を設立するが、すぐに失敗。
 現在は、執筆講演活動を続けながら社会活動家として活動。

 本を読み、私が想像したプロフィール。
 西成区の事業家という父上、韓国焼肉屋経営の母上と書かれていることから、民族名も持っている?民団系?と想像。(2012年のネット公開プロフィールでは韓国籍の方でした。2020年現在、帰化なさったのかどうは不明)。
 小学校から私立校、大学へはエスカレートで。という記述、キリスト教系か仏教系の学校を想像しましたが、検索したら創価高校、創価大学。

 ひろのぶさんの5人兄弟のうち、女優の妹さん藤原珠恵さんもきれいな方ですし、弟さんのひとりは元吉本芸人だったというので、理解ある両親の家庭に育ったんだなあ、うらやまし。
 事業家の父上の会社は資金繰りもたいへんだったようですが、おそらく学会幹部をしていて人脈が広く、その人脈はひろのぶさんの社会活動に生かされているはず。ただし、ひろのぶさんは公明党支持者ではなく、れいわ新選組の大西恒樹を応援。

 好きだわぁ、こういう人。「この著作の印税全額はギフトフードの活動に寄付される」と書かれている本。印税に寄与したのは妹モモだけどね。
 私が今週買ったのは、古本『家庭でつくる健康野菜』万来社

 同じ起業家でも、総資産2000億円というZOZOの前澤とかにはイヤミしか感じないけれど、全然儲けとは無縁そうなNGO「Good earth」の代表藤原ひろのぶさん、がんばってね。
 私にできる「地球の治し方」は、とりあえず「野菜くずのたい肥化」。70歳畑デビューもがんばる。

 ひとつだけ気になったのは。
 2012年のNGO「Good earth」の代表プロフィールには「韓国籍」と書かれていたのに、著作にはその文字がなかったこと。本という形にした場合、「いわれなき偏見」を受け、時には攻撃的なコメントにさらされかねないために、「韓国籍」という一語を、出版社側が避けたのだと想像します。偏見の消えない社会ですからね。

 コロナ関係でのネット言説です。
 「看護師の仕事が忙しく、子どもを外に連れ出すこともできないでいたので、ようやく子供を公園へ連れて行った。ふたりともマスクをして、遊んだ後の手洗いもきちんとするつもりでいたが、マスクなしで集まっておしゃべりしていたママ友4人組が近づいてきて「あなた、病院で働いているのよね。こういうときだから、どんなバイキンを病院から持って帰るかわからない人は、公園に来るのを遠慮すべきじゃないの。うちの子にうつしたらどうするの」と言い放ったのだそう。看護師さんは「そんなに病院がこわいのなら、今後熱が出ようと胸が苦しかろうと、ぜったいに病院には近づくな」と言いたかったけれど、言ってもわかる人たちじゃないだろうと、何も言わずに公園を離れた、と。

 まったく、世の中には、自分だけ助かればいい、という輩が多すぎる。
 買い物の宅配を注文しておきながら、ドアをあけるやいなやスプレー消毒液を配達員と荷物に吹きかけた人がいたのだそう。配達員の目に入って痛かったが、目以上に心が痛かったという話、聞く方も心が痛みます。外置き希望の連絡があったなら、ドアの外に置いて、荷物の到着を電話で知らせることもできたのに、と。

 こういうときこそ、人間の本性が出ます。人間の尊厳を自分にもほかの人にも保つ生き方がしたいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「女性と婦人」

2020-04-26 00:00:00 | エッセイ、コラム
20200426
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話女偏(4)女性と婦人

 2010年の春庭漢字話を再録しています。
~~~~~~~~~~~~~~
2010/04/30
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(4)女性と婦人

 自分の妻を「うちのカカァ」と呼ぶ人、なんとなく昔風の職人気質の人を連想します。「ボクのワイフがねぇ」なんて言う人のイメージもわかります。同じ内容を表していても、時代によって語のイメージはかわります。K先生が「婦」という文字を嫌ったように、現代の一般社会では、「婦人」という表現は、古くさい女性のイメージを持ってしまい、「婦人○○」と呼ばれていた言葉のほとんどは「女性○○」に代わりました。

 1994(平成6)年に国連「世界婦人会議」の名称が「世界女性会議」に変わり、近年では雑誌などで「婦人」よりも「女性」という表現が目立つようになりました。労働省は1996年度に「婦人局」の名称を「女性局」に変えました。「婦人」が残っているのは、中央公論新社の雑誌「婦人公論」や、雑誌社「婦人之友社」、病院の婦人科くらいのものかもしれません。

 1949年から1997まで婦人週間というイベントがありました。女性が参政権を得た記念の行事です。1949年から続けられてきた4月10日からの一週間も「婦人週間」から1994(平成10)年に「女性週間」と変えました。しかし、婦人週間を女性週間と名称変更したものの、「女性週間があるなら、男性週間があってしかるべき」という意見が出されたのかどうか、女性週間は2000年には廃止されました。男女均等法も成立し、21世紀の今、女性のためだけのイベントは不必要という判断だったのかも知れず、事業仕分けにひっかかる前に消滅。

 というわけで、漢字の成り立ちからいうと「女だからって、掃除婦と思われてこの漢字ができた」とK先生が憤慨するのは、少々事情が異なっていたことがわかりましたが、K先生の怒りを聞いていて、昔のウーマンリブの主張を思い出しました。
 ウーマンリブの人たちが、「社内掃除を女だけが当番として早出してまでするのは差別だ」とか「ミスコンテストは女性を顔やスタイルだけで見ようとするから反対」と主張したこともありました。

 確かに「女性だけが○○しなければならない」ということはないと思います。でも、ミスコンテストがあるなら、ミスターコンテストもしたらいいだけのことであって、ミスコンテストを批判してもミスコンがなくなりはしなかった。需要があれば供給がある。ミスターコンテスト、たとえば人気俳優を輩出してきた「ジュノンスーパーボーイコンテスト」。きれいな男の子を見るのは、HALオバハンも大好きです。

 今や家事ができない男など結婚相手として見向きもされない、、、といわれていますが、 現実の女性の地位は、果たしてどれほど男性に追いついたのでしょうか。
 現実はともかく、理念たてまえとしては男女差別をしている企業があったら批判されてしまうし、同一の仕事をしていて女性だけが給料が低いレベルや昇進に不利だったら、法律違反です。でも、現実にはシングルマザーの家庭の収入や生活水準はGNP上位国のなかで最貧ですし、女性の国会議員数や会社役員数でもまだまだ「後進国」です。

 春庭は「ウーマンリブ世代」です。いまやウーマンリブってのも死語の世界に行ってしまいましたが、昨今の論壇界ではフェミニズムバッシングも一段落したらしい。

 ウーマンリブというのは、女性解放運動Women's Liberationの省略外来語。1970年11月14日に第一回ウーマンリブ大会が東京都渋谷区で開催され、アメリカなど世界各地での女性解放運動は、1979年に国連総会で女子差別撤廃条約が採択されるなどの成果をあげました。

 日本での運動は男女雇用機会均等法の制定など一定の役割を果たしましたが、ウーマンリブという言葉そのものは、1980年代に入ると急速に廃れて揶揄の対象になってしまいました。
 ウーマンリブの活動家としてマスコミで名前を売っていた榎美沙子(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合、略称「中ピ連」代表)が日本女性党という政党党首として選挙活動を始めるなどして、心あるフェミニストたちが「ウーマンリブ」という言葉に拒否反応を示したためと思います。
 
 一時期、フェミニズムバッシングということが巷に氾濫し、「女は家に戻って子育てしていればいいんだ」とわめくオッサン方やら「子を産めなくなったババァは用なしだから、早いとこひっこめ」という知事とか出ました。

 女性が子育てと両立しながら仕事を続けようにも、夫は会社のサービス残業で帰ってこないし保育園は満杯で待機状態、という具合で、まだまだ女性が生きて行きやすい世の中にはなっていません。

~~~~~~~~~~~~~~~
20200426
 コロナ休業でも、もっとも弱い立場の働き手に影響が大きい。
 私見では。
 ごちゃごちゃ言わず、とにかくシングルマザーへの無条件生活援助を最優先にしてほしい。 シングルマザーの8割は年収200万円以下だそうです。2割は高給取りであるとしても、とにかく8割のシングルマザーを救ってほしい。子供のご飯が買えない家賃が払えないということのないように。まずは、子どもを守りましょう。子供をひとりでかかえる母を助けなければ。
 ともあれ、家から出ないでいることしか今できることはないですが、ひきこもりつつも考えていくことはできる。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「女の部首 妻と妾」

2020-04-25 06:09:52 | エッセイ、コラム
20200425
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話女偏(5)女の部首 妻と妾

 春庭漢字話、女偏の漢字についてつづけています。休業中の私の漢字遊びは、漢字蘊蓄です。
 女を部首に持つ漢字の中で、偏ではなく下の部分に女が含まれる漢字を取り上げてみます。
常用漢字の「委」は、部首は「女」ではなく、「禾」ですが、女を含むので、取り上げます。常用漢字の中で「女」が含まれるのは「安」「妻」「姿 」「妥」「婆 」「妄」です。「晏 」は人名漢字です。
 そのほか、いくつか常用漢字外からも、ピックアップ。

 画数少ない順に、「妄」「𡚴」「妥」「妻」「妾」「委」「姿」「娶」「婪」「嬖」「嬰」
 もっとあるかもしれないけれど、女が偏になる漢字よりもぐんと少ない。

 「妄」は呉音モウ、漢音「ボウ」。常用漢字での訓読みなし。常用外の訓読み「みだり-に」
 熟語は「妄想」「妄言」

  私には「𡚴」はお初の漢字でした。読み方もわかりませんでした。熟語でも見たことない。
 熟字訓「山女=あけび」を合字した字らしい。音読みなし。訓読みは「あけび」熟語なし。 地名で使われているのみ。「𡚴原」(あけんばら)は、滋賀県犬上郡多賀町の地名。知りませんでした。
 明治時代に地名が縦書きで「山女原あけんばら(あけびはらの訛化)」とあったものを、「𡚴」と合字してしまい、国字として残ったらしい。
 多賀町のバス停には「山女原あけんばら」と横書きの表記があると、「希少地名」歩きを続けているサイトに出ていました。

 「妥」は、女に手を当て、なだめ穏やかにさせる。呉音も漢音も「タ」ですが、日本の慣用読みでは「ダ」。訓読みなし。熟語は妥当、妥協など。

 「妻」は、「女」の上に「(婚礼の)髪飾り」をのせた象形文字で、男性から見た配偶者を表します。
 「妾」は「女」の上に「辛」の上部だけをのせた字。「辛」は刺青を入れるための尖った刃物で、体に奴隷のしるしの刺青をした女性。男性の身の回りを世話させる奴隷の意味から、のちに「めかけ」。

 1870(明治3)年の最初の明治民法では、妻も妾も戸主の二等親で、法律上はほぼ同等でした。「僧正」の次席を示す「権僧正」などと同じく「権妻ごんさい」と呼ばれました。
 江戸時代、支配階級武士の跡継ぎは男子は側室・妾の所生で、正妻から生まれることは少なかったです。正妻は御家の事情で娶る格式高い姫様が多く、いはば「床の間の飾り」。主のお好みの女性を側室にして、子をなすことが多かったためと思います。生まれた男子が当主になれば、家中で実力を持つのは側室。
 江戸時代、皇后から生まれた天皇は女性天皇109代明正天皇ただ一人。徳川将軍で正妻から生まれたのは3代家光と15代慶喜ふたりのみ。大奥で力を持っていたのは、京都の公家や宮中から迎えた御台所より、跡継ぎの母である側室のほうでした。5代将軍綱吉でいえば、御台所鷹司信子より綱吉母の桂昌院の権力が大きかった。

 正妻より側室の地位関係が、明治最初の民法に影響しているのかと思います。
 しかし、一夫一妻を正しい家庭のあり方とする西洋への配慮などがあり、1898(明治31)以後、戸籍に「妾」の文字をのせることはなくなりました。
 妾は、現代でいう愛人とは異なり、社会から隠された存在ではなかったのです。不倫の愛人関係は、妻が知らないか、うすうす気づいても公的には認めていない隠された存在であるのとは異なります。

 江戸や明治女性文学などで、女性の一人称として「妾わらわ」「妾あたし」が用いられていたのは、自分自身を謙遜して一段低い立場の女性として自己表現していたのかと思います。
 こうして時代は移り、お座敷小唄でも「♬好きで好きで大好きで、死ぬ程好きなお方でも妻という字にゃ勝てやせぬ泣いて別れた河原町」と歌っています。妻の力が大きくなってきたんですね。
 現行法では、離婚を拒んでいる法律上の妻と7年以上生活を共にしている事実婚の女性との遺産相続争いでは、たとえ「全財産を事実婚女性に残す」という遺言があっても、法律上の妻に遺留分があるそうです。

 「禾」は、イネ科植物や穀物を表します。女の上に禾で、訓読みは「ゆだね-る」音読み「イ」。委員、委嘱、委任など熟語はたくさんあります。
 禾を女性にゆだねるのは、収穫を寿ぐ新嘗祭に当たる古代の神事が、女性の役割だったからではないかと、想像します。新穀を髪にかざして神の前で踊る巫女の姿が思い浮かびます。女系社会だった日本社会において、女性を補佐する男弟(弟とは限らないが)が新嘗祭や大嘗祭にしゃしゃり出てきたのは、男系相続の中国文化の影響を受けてからだと思います。

 「姜」音読みカン、訓読みなし。現代日本では「姜尚中カンサンジュン」など、人名で見る以外で、この字は見当たりません。

 「姦」音読み「カン」。訓読み「かしま-しい、みだら」。女が3人集まって話していると煩くかしましい、という説明が「民間字源」では言われていますが、本当に元の字源であるかは定かではありません。熟語では強姦、姦淫などあまりいい意味で使われない字です。

 「嬰」は、女性の身に貝を連ねた飾りをまとった字形ですが、なぜこの字が「嬰児」の赤ちゃんに使われるようになったのか、わかりません。女性にとって、子は貝の飾りのような宝物、ということでしょうか。

 と、漢字についてああでもない、こうでもないと考えるのも頭の体操。こうしてボケ防止認知症予防活動、認活をやっていられるのも、熱もなく食べ物もおいしく食べていられるからかと思います。感謝。
 マスク2枚はありがたくもないけれど、10万円もらったら、食費にあてます。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「嬶天下・春庭漢字話」

2020-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
22200423
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>春庭漢字話女偏(3)かかあ天下

 春庭漢字話を再録しています。4月の「春庭漢字話女偏」の続きです。
~~~~~~~~~~~~~
2010/04/29
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(3)かかあ天下

 故郷群馬県は、「上州名物、嬶天下(かかあでんか)と空っ風」と言われています。「群馬で強いもん、1雷(ライ)、2風、3かかあ」とか。夏の雷冬の空っ風は、ともにたいへん強い自然現象で、夏は赤城山と榛名山の間に毎夕雷が走るし、冬は谷川武尊から強い北風が吹いてきます。でも、それ以上に強かったのは、上州のカカアたち。

 女偏に鼻をつけて嬶(かかあ)。
嫁とか姑とか姉妹とか、女偏をつけた家族関係語は多々あるものの、「嬶」は国字(日本で作られた漢字)だったということを、今頃知りました。
 これまたなぜ故に「かかあ」または「かか」は、女の横に「鼻」がくるのやら、かかあともなるといびきでもかくのかと、由来がわかりません。顔の真ん中にあるのが鼻で、一家の中心にいるのが嬶なのかも。

 一家のなか、嬶座(かかざ)と言えば、家内を取り仕切る「主婦権」を持つ者の座るところを意味し、いろりに面した横座(主人の座席)のわきで、台所に近い席が主婦の座席として定められていました。「北の方」とか「北の政所」に倣って北座と呼ぶ地域もあったし、食べ物を分配する鍋の前に位置することから鍋座(なべざ)鍋代(なべしろ)と呼ぶ地方もありました。

 主婦権の象徴として、「しゃもじ」を受け渡す地方もあり、姑が嫁に家政をまかせることにしたときを、しゃもじ渡し、へら渡し、飯匙渡(いがいわたし)などと呼び慣わしてきました。一家の家長である主(あるじ)の法的な権限は、明治民法で法文化されましたが、一家の家政を取り仕切り、食べ物の分配を司る主婦権は、民俗研究の対象になり柳田国男などが調査したのですが、法的な権限とはなっていませんでした。家庭内のことを取り決める裁量権が主婦にあり、家庭内の事は妻が決定権を持ち、夫は妻に従わなければならない、ということを「嬶天下」の語で表してきたのです。

 群馬県が伝統的にこの権利を強く保持してきたのは、江戸時代から養蚕業、織物業が盛んとなり、家庭内手工業を女性が取り仕切り、現金収入を女性の手で得てきたことが大きいと言われています。上州の女性は、家庭社会において家長に従属的な位置に甘んじることなく、養蚕織物業による自立をはたしていた、ということ。

 私の母の実家も、私が子供のころは桑畑を持ち、屋敷内に蚕棚を作っていました。私は上州で蚕がシャワシャワと桑をはむ音を聞いて育った最後の世代にあたるでしょう。また、家の中で、出荷した繭の残りを使って、祖母たちが屑繭を煮て家族の衣装のための絹糸を紡ぐのを見ていた最後の世代。蚕が育つ時期、「おこさま」というのは「お子様」ではなく、「お蚕さま」を指すことばでした。

 現代は女性も現金収入を持ち、家政を取り仕切るのは当然になっています。私の父は。会社から給料をもらうと月給袋を未開封で母に渡すのを「男の甲斐性」と思っていたようです。母は、その中から父の小遣いを渡していました。母の世代は「主婦は自分の思い通りの人生を過ごせなくてつまらない」という一方、「嬶座」「主婦権」がきちんと残っていた世代だったとも言えます。

 私?家に寄りつかない瘋癲夫(フーテンヅマ)を持ったために、最初から天下もへったくれもなく、自分で稼いで食べ物の采配をするほかなかったのだけれど、自分の人生、自分で決定してきました。愚痴は言うけれど、それは誰のせいでもなく、自分で決めた人生だからしょうがない、という「嬶天下」の覚悟は受け継いでいました。

 ひたすらナヨナヨと「あなただけが頼りなの」と、しなだれかかる風情を見せながら、結局はしっかりと夫を支配している女性のほうが「生き方上手」だ、と諭されたこともあったけれど、まあ私にはできない芸当だったので、私は私で、空っ風に立ち向かっていくしかありません。

 世間様は空っ風が吹き終わった後、春だかなんだかわからない寒い四月になりました。40年ぶりだかの四月の遅い雪もありましたが、ようやく、五月の薫風を迎えようとしています。しかるに、私の懐具合はいまだ寒風のなか。寒いです。私はカカア天下の地元出身だけど、嬶しているだけで、ちっとも「天下様」にはなれないんです。

~~~~~~~~~~
20200423
 春なのに、寒風吹きすさぶという日々。懐も相変わらず寒いです。
 4月は休業要請で、授業なし。給与は6割支給。実質3人の食い扶持稼ぐ稼ぎ手ですが、収入減で暖房も遠慮しがち。病身3人が寄り合って、互いの体温であたたまるしかなし。
 22日水曜日は、検査と処方箋のために病院へいきました。外来制限のため、またずにすぐ検査ができ、よかったです。5月1日から一般外来は1ヶ月間閉鎖になるそうで、1ヶ月分の処方箋もらいました。
 天下全体が低空低迷の2020春。止まない雨はない、と思って耐えていきましょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アマビエ」

2020-04-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200421
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>新語流行語2020コロナ新語(3)アマビエ

 コロナ新語。濃厚接触だのクラスターだの、オーバーシュートだの、いろいろな新語外来語、毎日テレビで聞いているうちに耳になれてしまいました。このところ一番聞くのは「三密」ですかね。「密閉」「密集」「密接」

 4月19日、美術館へ行けないので、せめてと思って「日曜美術館」を視聴。
 ネットの新しい動きにはうとい春庭、テレビであたらしい言葉を知り、画像を知りました。
 「アマビヱ」です。
 私は日曜美術館で初めて知りましたが、番組のキャスター小野正嗣も、番組で取り上げられるまで知らなかったと言っていました。

 京都大学附属図書館所蔵のアマビヱ(アーカイブより)


 弘化3年の瓦版によると、肥後の国にあらわれた「海から出て光り輝く妖怪」が「私の姿を描いて、疫病除けとせよ」と語ったのだそうです。
 
 日本でいきなりネットで盛り上がったのは、2月26日に妖怪掛け軸専門店がツイッターに投稿したことがきっかけ。
 「疫病退散のご利益がある妖怪アマビエを書いて投稿しよう」と仕掛け、Twitter利用者が次々にそれぞれのイラストや漫画、動画、ぬいぐるみなどの作品を投稿したことから広がりました。私はツイッター利用していないので、日曜美術館での紹介までアマビエを知りませんでした。

 3月になると有名イラストレーターや漫画家の作品もTwitterに載り、コロナ拡大が続く海外へも発信されました。
 「テルマエロマエ」などで知られる漫画家ヤマザキマリは、自身のイラストをイタリアに住む夫ら家族にも送り、家族はイラストコピーを家の壁に貼っていると、日曜美術館でヤマザキが紹介していました。

ヤマザキマリの描いた「ルネサンス肖像画風アマビエ」


 水木しげるの描いたアマビエ。2007(平成19)年9月30日放送の『ゲゲゲの鬼太郎』に、カワウソとともに登場したのだそうです。


 新語流行語、と言っても、「アマビエ」そのものは1846(弘化3)年、江戸時代後半には瓦版で民衆にも知られていました。
 アマビエ・アマビヱはアマビコの書き間違い(コとエ・ヱの類似から)という研究者による説に従うなら、アマビコは海彦・天彦・天日子・尼彦、として、江戸時代には出版物に登場していました。人間のような耳、丸い目、胴がなく頭から3本足が生えている。



 江戸時代、コレラ(ころり)など疫病が流行しました。人々は、アマビコやアマビエの絵を家に貼り、眺めることで心の不安を癒していました。
 アマビエが「もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」とお告げした、ということを信じて、部屋にはりましょう。

 今、ツイッターにさまざまなアマビエの作品が投稿されています。
 絵が好きな人なら、ご自身で描いてみる、あるいは粘土で形作るのもぬいぐるみもなんでも作品にしましょう。
 手洗い、マスク、アマビエイラスト。

 アマビエ画像のまとめサイト。かわいいアマビエもいっぱいあります。
https://togetter.com/li/1480272

 私は絵が苦手。でも、アマビエを眺めていることはできますから、アマビエ様にお願いして、一日も早い収束と、コロナウイルス治療薬やワクチンの完成を祈ります。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「3000日目感謝」

2020-04-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200419
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(5)3000日目、感謝

 冷え冷えとした春です。
 さて、人様にはどうあれ、本日、春庭の心は少々温まりました。
 なぜなら、本日は春庭がOCNカフェブログを始めてから3000日目という節目の日だからです。ちゃんとgooが教えてくれました。
 2003年9月のOCNカフェブログから、17年になります。よくぞ続けることができました。みなさまからのコメントやフォローが励みになってぽかぽかと続けてこられました。応援して下さる方々、いつもありがとうございます。

 最初の頃はほぼ毎日、現在は週4日をめやすに一日2000字ほどを書き続けてきました。
 最近の「再録」続きは、ちょっとサボりすぎの感もありますが、コロナ自粛に免じて、、、、って、なんなんだか。引きこもっているとおつむの働きが弱くなるって、認知症の専門家も言ってました。
 おつむ振り絞って、あと3000日はがんばります、、、、。

 青い鳥さんからは、桜の前で車いすに座る姿が、ラインで送られてきました。青い鳥チルチルさんの笑顔、私もハッピー気分になれました。
 視覚障害の友人アコさんからは「だいじょうぶ?」という電話。こういう事態なので、アコさんは、実家のお母さんを見舞いにも行けないのでつらいということですが、お互いがんばろうと励まし合いました。

 中国の古い友人から「こちらでは日本ほどマスク不足になっていないので、少しですが送ります」というメール。 
 妹からも「手作りマスク送るよ」というメール。

 妹手作りマスクに刺激され、17日夜、ネットの中の立体マスク型紙をうつして、ガーゼ手ぬぐいでマスクを手縫いしてみました。とても不格好のマスクが出来上がりました。だいじょうぶ、妹や友人からのマスクプレゼントを待ちます。

 娘から「却下」された手作りマスク。ゴムにパンツゴム紐を使ったので、耳に違和感があるそうで。


 「小さくて子供用かと思った」という評判のアベノマスクも、まもなく一世帯に2枚ずつ配布されるでしょう。4人家族に2枚、、、、家族で代わりばんこに使えってか。ありがたし。

 「有難し」とは、「そのようにあることが難しい」という意味です。そんな難しいことを私にしてくれて感謝するということから「有難し→有難い→ありがとう」が感謝のことばになりました。
 現代語でいうと「ありえねー」です。ちっちゃめマスクに477億円税金投入、ありがたし=ありえねー、というところです。
 私はこの税金、医療従事者のマスクや防護服、介護関係所のマスクに回してほしかった。私は、不格好マスクでもなんとかなりますから。保育園やデイホームの閉鎖で、仕事に行けなくなった人もいます。国民みなが、なにがしかの辛さを味わっています。
 10万円も申告制でもらえるそうなので、マスクも必要な人が申告してもらえるということでもよかったのでは。その場合は、せめてひとり2枚で。

 国民みなが辛い思いの中で生活しているのですが、そんな中、一人はしゃぐお方も。
 アベノマスク夫人昭恵さんが、50人引き連れて3月15日に大分に旅行したのは、ソーリによると「緊急事態宣言前だし、観光に行ったのではないからOK」ですって。観光地まわっているけど、それは観光ではなくて視察です。
 3月23日、昭恵夫人がレストランにジャニーズNEWSの手越らを集めて楽しいパーティをして、レストラン庭の桜の前で記念撮影したのも、重要で急を要するパーティだったのだと思います。首相は「レストランに行ってはいけないってことはないっ!」と、妻をかばったそうで、夫の愛、有難し。

 私と娘も、3月21日に芝離宮で桜見て、東京湾レストラン船でご飯食べてたから、とても非国民な気持ちになっていたんですけれど、ああ、よかった。「レストランに行ってはいけないってことはないっ!」て総理に言っていただき、罪一等が免ぜられました。

 がんばります。「旅行もお花見パーティも、ほしがりません。コロナに勝つまでは」。
 ゴールデンウイークに行こうと計画していてキャンセルしたのは、大分ではなくて出雲だったけれど。秋になったら行けるかなあ。

 スーパーの行き帰りに眺める桜で、十分楽しみました。4月4日、駅前スーパー横の桜


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ハナミズキ」

2020-04-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

 ご近所散歩のハナミズキ

20200418
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(5)ハナミズキ

 朝令暮改の政府決定が続いています。
 世帯主の収入が半減した家庭に、30万円を配布すると閣議決定し発表したあと、一転。一人10万円、「欲しい」と申告した人に与えると。
 我が家は家計担当者は私。学校は休業教員は自宅待機で、給与は6割支給になりましたが、私は世帯主ではないですから、30万円はもらえないところでした。だから、もれなく10万円のほうがありがたい。

 でも、これまでも年収200万円程度だったのに、勤務先休業でパートの仕事もなくなった、というような事情のシングルマザーもいます。どうぞ、一番困っている人のところに手厚い救済策を。
 麻生財務大臣は「私の知り合いは富裕層だから、10万円もらわなくてもいいって言ってた」と、ニュースで述べていました。
 
 日本の富裕層。5%が給与年収1000万以上なんですって。
 給与生活者ではない、資産家はもっとお金持ちなんでしょうけれど。
 私は、ベイシックインカムを支持します。お金持ちは、累進課税のほかに、ベイシックインカムを支える義務を負ってほしいと思います。

 この「国難」に、国民が心を合わせて、外出自粛や人との接触8割減を目指しましょうという「欲しがりませんコロナ収束までは」を身に負ってがんばっています。

 毎日テレビで都知事を見ます。外出自粛とか、食品はちゃんと買えるとかお話しなさっています。ひとことひとことが選挙活動に聞こえます。選挙民への露出の多さが不動票のゆくえを決める。コロナ対策うまくいけば、7月5日の再選決まりかも。

 韓国では人気低下がとどまらなかった大統領と与党が、コロナ封じ込めに成功したことが評価され、総選挙で勝利。コロナに勝利することが選挙勝利につながることが明白。
 逆に、コロナ初期に適切な政治判断ができなかったトランプ大統領が、自分の判断ミスを棚に上げ「WHOが中国寄りだったために正しい報道がなかった。今後はWHOに金出さんぞ」と脅しをかけるくらいしかやることなくなった。再選あやういね。

 人と会う機会を8割減らせば感染拡大にはならないで済む、というお達しなれども、私が一日に顔を合わせる人は、もともと娘のほかはほとんどなし。息子にはメール。夫とは固定電話連絡(今どき、ケータイを持たない主義の夫なので)。
 家族とも食事時間をいっしょにしないほうがいい、ということですが、ご飯くらいは家族といっしょに食べたいです。なにせ「基礎疾患を持つ高齢者」なので、人一倍気をつけてはいますけれど。

 コロナ鬱という話もでてきました。一日テレビの前に座ってコロナ関連ニュースばかり見ていると、しだいに鬱々とした気持ちになるというお医者さんの話がありました。確かに。
 だんだん暗くなってきて、疲れた、という気になりました。こりゃいかん。

 自宅休業中の4月15日昼は、家の周りを回り、一人散歩をしました。ご近所で売り出されている土地、27坪で7500万円というのを見てきました。へぇ、買える人にはお買い得なんでしょうね。
 不要不急の出歩きにならぬよう、帰りには食品を買って、日常生活に必要な散歩だったと、小池さんのテレビ放送に向かっていいわけ。

 八百屋で1300円。まいばすけっと(イオン系)1400円。計2700円の食品買い物。買い置きの物と組み合わせて、これで6食分の食事作ります。(冷蔵庫残り物は卵豚肉長ネギ山芋人参大根ジャガイモ玉ねぎ 乾燥桜エビ。棚にインスタント雑炊 米麦餅)
 買い物から帰って、3時のおやつはピーナツチョコ。歩いたからいいの。



 こんな食品でも東京のスーパーで買えば2700円かかるという例です。節約節約で暮らしています。なにせ給与6割しかもらえませんからね。10万円もらったら、もうちょっとおいしそうな食卓を。

 15日夜はひとり飯。ヒレカツ弁当400円。豆腐とカリフラワーのスープ。新玉ねぎサラダ。
 16日朝、バナナと買い置きのインスタント「焼きナスとトマトのクリームパスタ」お湯をかけて3分。昼、桜エビ(茨木産乾物)と長ネギお好み焼き(山芋すりおろし入りで)。おやつもバナナとピーナツ。
 16日夜は娘と。ネギ玉豚肉うどん。キュウリと大根となめたけのあえ物。カリフラワーバターソテー。

 17日朝、うどん汁残り物に、餅2枚入れて。買い置き冷凍鶏唐揚げチンして。
 17日昼、お好み焼き残りと豆腐カリフラワースープ残り。娘ブランチにポテトラシュティともやしナムル。ラシュティは娘の大好物で「母が作る料理は、だいたい失敗作が多いけれど、ラシュティはいつもおいしい」というメニューです。細切りジャガイモをみじん切りニンニクと炒めてガラスープのもとで味付け、固めてケーキ状に。たまに焦がしてしまうこともあるけれど、たいてい大好評。娘は「私の主食はジャガイモ」というくらい芋好きっ子です。もやしのナムル風といっしょに。

 ここで、15日買い物は食べつくす。贅沢な高級食材には縁なくとも、大食い家族で大量に食べるので、食費は高くなりがち、エンゲル係数ハンパない。

 17日午後には娘といっしょに買い物に出ました。
 娘といっしょにスーパーへいき、食品の買い物で1時間ほど外出。道を歩くときは横並びにならず、縦並びで歩くし、レジに並ぶのは一人だけ。
 せいいっぱいの自粛生活。給与6割支給で手元不如意ではありますが、食べることが何よりの楽しみである娘のために、ちょっとは楽しい食卓にしたい。
 帰り道、ハナミズキの並木がきれいでした。八重桜もまだきれいだった。

 テレビニュースでは一家総出でスーパーに行く家族が「自粛して」と非難されていましたから、娘とふたりでも非国民扱いされるんじゃないかとおそるおそるですが、マスクつけ、スーパーの中では話はしない。

 今年3月末に雪が積もったのが30年ぶりだと報じられていましたが、10年前2010年4月には雪降ったんですね。積もりはしなかったけど、これは40年ぶりの4月降雪。
 非常事態宣言がだされた2020年春、10年前の4月の雪以上に世の中冷え込んでいます。心は冷えさせないように、あたためていきましょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ペストの街」

2020-04-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200416
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(3)ペストの街

 食品購入以外の外出はしない週末。
 日曜日は、テレビで「100分で名著」を見ました。伊集院光司会の番組。伊集院光好きです。
 読んでないけど、読みたい気はあるという本が取り上げられているとき、ときどき見る番組です。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』とか、読みたいと思ってもなかなか手が出ないとっつきにくい作品のとき番組を見て、「ちょいと読んだ気になる」。ちょいと読んだ気になったあと、本当にその作品を読み始めるというのが正しい視聴法なのだろうけれど、『全体主義の起源』まだ読んでいません。

 今回視聴した作品は、カミュ (1913- 1960)の「ペスト」。
 2018年に放送された4回分を4月11日(土)【Eテレ】午後3:00~4:36にまとめて再放送されました。録画して視聴。
 『ペスト』読んでいませんでした。カミュで読んだのは『異邦人』だけ。異邦人ということば、歌のタイトルにもなったエキゾチックな響きがあってとっつきやすいのに対して、「ペスト」じゃ、なにやら恐ろし気な。

 ペストに見舞われたフランス植民地下のアルジェリア。封鎖されたオランという小さな町で、「保健隊」に参加した人々、放火や略奪に走る人、ペストの厄災の中でうごめく人々の姿を見つめ記録した小説です。


 鼠の死からはじまったペスト。オラン市上層部の人々は事態を直視したがらず、自分に責任がふりかかることを避けているだけ。そのうち、みるまに死者が増加します。ついには政府からオラン封鎖が決定されます。死者が出るなら、オラン市内だけになるように。オランはフランスから追放されたのです。

 「国家とか神とか、大きなものに身をゆだねてペストと戦うヒーローになるのではなく、誠実に自分の職務を遂行すること」を信条として、街を守る保健隊に身を投じた医師リウー。病人の看護、死者の埋葬、、、自分にも厄災が降りかかってくるかもしれない職務です。
 その他の保健隊加入者は。風采のあがらない小役人グルー。旅人タルーたち。

 新聞記者ランベールは、パリにいる恋人の元にもどりたいと、街を出ていく手はずを画策します。ランべールは、法から逃げ回っている密売人コタールに町を出ていく手はずを頼みますが、脱出をやめ、保健隊に加わります。

 それぞれの事情を描写して、市民たちのペストへの向かい方が描かれます。
 神父パヌルーは「この厄災は神が人に下す罰なのだ」と考えます。保健隊の人々は、実践的な行動の中で連帯を作り上げていきますが、幼いオトン少年(予審判事の息子)のペスト罹患と死をきっかけに、さらに深くペストと向き合うことになります。

 神が罰するはずもない無垢な少年の死に動かされた人々たちは、「心のうちに持つペスト」について考えていきます。
 旅行者タルーは、自分たちが人を殺す側に立っていることへの自覚のなさを考える。システムの中で死刑や戦争を肯定するのも、自覚しない「内なるペスト」によって殺人者となっていると、タルーは考える。

 フランス文学者の中条省平は、「カミュは42歳の若さでノーベル文学賞を受けたけれど、実は、フランスで食い詰めアルジェリアに入植した貧しい家の出身であったこと、家の中に文字が読める人がいない、という家庭環境から苦学して新聞記者になったこと、大戦中はナチスドイツへのレジスタンスとして行動したこと」などを解説していました。
 中条は「自分の人生への疑念を生じさせるものが、すべてペストなのだ」と言います。

 「ペストを認識すること。ペストに襲われた人々の記憶を書き残すこと。忘れないこと」とペストの中に書かれていることは、レジスタンスの戦いに倒れていった人々を忘れないでいようと思っているカミュ自身の感じたことだと思います。

 ゲストの内田樹は、ナチスドイツ占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事「後手に回り続ける行政の対応、人々の相互不信、愛する人との過酷な別離、精神も肉体も牢獄に閉じ込められたような状況」を1947年に小説に描くにあたって、ナチス協力者への非難などを直接描か0ず、戦争の隠喩として「ペスト」を出したのだ、といわれていることなどを述べていました。

 カミュは、戦時中はレジスタンスとして戦争協力者たちから命を狙われる立場であったにもかかわらず、戦後は戦争協力者への処罰を望む世論に反抗し、戦争協力者の助命に紛争しました。殺された側が立場が逆転したとき殺す側に回るのでは、次にまた逆転したとき殺される、この負の連鎖を断ち切らなければならないのです。

 「自分が善であることを疑わず、自分の外側に悪の存在を想定して、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考のパターンが「ペスト」なのだ」というのが、内田の『ベスト』読解です。

 過酷な占領下で、横行した裏切りや密告、同胞同士の相互不信、刹那的な享楽への現実逃避、愛するものたちとの離別等々。カミュ自身がレジスタンス活動の中で目撃した人間模様を『ペスト』に描き出しました。
 オトン少年のような「罪なき人々」さえ死んでいくこと。「災害や病気などの避けがたい苦難」「この世にはびこる悪」
 私たちの人生は「不条理」としかいいようのない出来事に満ち溢れている。「ペスト」は、私たちの人生そのものの隠喩ともなっています。

 カミュは世論に反して戦争協力者への助命を行い、無差別テロに走ったアルジェリア独立戦争への非協力を表明しました。どちらの側からも非難され袋叩きになりながらも、それに抗い「暴力と殺人」は、どんな場合であれー戦争も死刑制度もー悪なのだという反抗を曲げなかったカミュ。
 『反抗的人間』の中で、カミュは「われ反抗す、ゆえにわれらあり」と書いたのち、自動車事故で死去(享年46)。

 ニュースによると、『ペスト』は今、世界中の本屋で一番の売れ筋だそうです。外出禁止が続く中、おうちで『ペスト』を読んで過ごすのもいいかも。
 このような世相であるからこそ、人間の尊厳を守っていきたいし、人と連帯していきたい。
 「100分で名著」で「読んだ気」になるだけじゃなく、ほんとに読まなくちゃという気になってきました。

 人と会う機会を8割減らせば感染拡大にはならないで済む、というお達しなれども、私が一日に顔を合わせる人は、もともと娘のほかはほとんどなし。息子にはメール。夫とは固定電話連絡(今どき、ケータイを持たない主義の夫なので)。

 家族とも食事時間をいっしょにしないほうがいい、ということですが、ご飯くらいは娘といっしょに食べたい春庭です。
 「見続けること認識すること記録すること」これが、私に今できることかなと思っています。

 <おわり>
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ぽかぽか春庭「マスク」

2020-04-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200414
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(2)マスク

 緊急事態宣言を受けて、1000㎡を超える大学ほかの教育機関は休業することになりました。
 春庭勤務の学校は、2階3階の5つの教室ががら空きの小規模校です。休業対象校ではありません。しかし、4月生が来日できないので、緊急事態宣言後、経営者は教育部門の休業を決めました。
 春庭は1か月の休業を申し渡されました。給与の6割は保証すると。大学の非常勤講師たちは、休業補償がどうなるのかもわからないまま、自宅待機になっていると思いますから、6割でも給与があることをありがたいと思うべきなのかも。

 かつかつの給与のなかからの薬局処方箋支払いが、病人3人分で毎月2万円にもなる我が家。薬代はケチることもできず、持病持ちの我が身を嘆くしかないですが、お得意さん向けのサービスがありました。
 いつ見ても「マスク入荷未定」の貼り紙ばかりなので、娘が意を決して「入荷予定はいつ頃でしょうか」とたずねたら、薬剤師が奥から箱をだしてきて、秘密の入荷済みマスクを売ってくれたのだそうです。「入荷しました」なんて書くと行列ができてしまう昨今ですから、いつでも「入荷未定」としておいて、顔見知りのお客にだけ売っているらしい。

 自分だけはコロナにかかりたくないと、自己中心にマスク買い占めなどに走る人を斜めに見つつも、娘が通院の行き帰りに使うマスクもなくなってきたとき、買わないでいたことに対して少し後悔も入っていました。薬局で正規の値段で買えたことにほっとする自分がいました。
 7枚入り1500円は、我が家には割高の高級マスクです。いつもは10枚入り500円くらいの割安品ですから。でも、この際背に腹は代えられぬ。

 娘は「母が通勤電車でマスクなしに乗っていて嫌な目で見られるかもしれないから買ったのに、休業になったのなら、買わなくてもよかった」と言います。が、スーパーに食品買いに行くにもマスクなしでは顰蹙買いそうな昨今ですから、1枚200円のマスクもありがたい。
 1枚200円という布製アベノマスク。配布を決めた人にとって、1枚200円のマスクを高いと感じる庶民の気持ちなどわかりはしないでしょうね。477億円の税金投入。

 妹からお手製マスクの画像が送られてきました。私の不格好マスクよりずっと上手。孫が保育園につけていったり、送迎にジジババがしていく分かなと思います。


 庶民はこうやって、マスク手作りしたり、在宅勤務がんばったり、努力を重ねています。明日の生活がどうなるのか心配しながらも家に引きこもっているのです。
 春庭は、食品を買いに娘と買い物に出ましたが、日曜日の街の人出は明らかに少ないし、私が行ったスーパーは、いつもより人は少なくなっているように思いました。日曜日夜はカレーを作って食べました。
 月曜日は雨だったし、買い物にも出ずに、日曜夜、月曜朝昼晩とカレーを食べ続けました。いつも大量に作り、カレーうどんにしたりバリエーションを考えるのですが、今回はひたすらカレーライス。

 アベノマスクの人がネットUPした動画、読書したりやコーヒーを優雅に飲んでいる姿、あまりにも無神経でしたね。普段ほんとうはやらないであろうけれど、コーヒーカップをキッチンで洗っている動画なら共感してもらえたのかも。

 休みたくとも出社して働かざるをえない人や、休業補償もないまま突然「あしたから仕事こなくていい」と申し渡された人の神経を逆なでするということに思いいたる想像力もないまま、「家ですごそう」というキャンペーンに、あんなに優雅で暇そうな動画を出す感覚の人がいくら「家を出るな」と言ってもなんだかなあ。在宅になって、優雅にコーヒー飲んでいられるなら、だれも困りはしない。

 春庭、3月の在宅勤務中には、自宅で作った教材をメール貼付して送ったり、一日の労働内容を書いて送信する必要があったのですが、4月の休業中は何もしなくていいと。でも、外出禁止のいま、時間はあっても映画館も美術館も閉鎖中。

 土日、家でテレビ見てすごしました。カウチに寝そべって優雅にコーヒーなど飲むことはできませんが、せめて、出がらしすすりながら、ビデオ視聴。

 土曜日は撮りためておいた録画の中からディズニーピクサーアニメ「モアナと伝説の海」をみました。広い海原にアウトリガー船をこぎだしたモアナ。マウイとともに戦い、小さな島の厄災を振り払うことができました。
 我らに降りかかった厄災を振り払うことができるのはいつになるのか。政権維持のために汲汲としているように見える人たち。

 ディズニーピクサーの「モアナ」を見ながら、未来科学館でディズニーアニメの描写技術の展示を見たことなど、娘としゃべりました。
 海や溶岩、髪の毛の描写に、どれほどの技術が使われていたか知ったうえでみると、モアナの髪のゆらぎひとつの描写にも目を奪われるね、などと話しつつ見ました。こんな何気ない日常の「テレビ見ながらしゃべる」というひとときも、実は貴重な時間であること、身に沁みながらすごしています。

 娘が予約した4月中のコンサートもアイスショウも中止。5月連休5泊6日夜行寝台車での出雲旅行もキャンセルしました。(払い込んだ旅費は、キャンセル料なしに返金されました)
 それでも、娘はマスク買えたし、私は給与の6割は保証されたし、よそ様よりはまだしもましな暮らしであることに感謝し、家でできることをやって過ごします。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「コロナ休業」

2020-04-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
202000412
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記春なのに(1)コロナ休業

 緊急事態宣言。東京、大変です。
 東京都、11日の新たな感染者は197人。感染者総計は2000人に達しようとしています。
 ニュースで見た週末の銀座も新宿も渋谷もガラガラlからっぽでした。緊急事態宣言を出すのが遅すぎた、という評もありますが、ともあれ、人々はおとなしく家に引きこもっているようです。感染、収束していきますように。

 春庭の仕事。3月は自宅勤務でした。上旬はオンライン授業、中旬下旬は新学期以後の教材作成作業を行って毎日勤務報告をメールで送信。

 新学期の態勢を決める会議が4月7日に行われ、いったんはオンライン授業の継続を申し渡されました。その準備をして9日に出勤すると、緊急事態宣言を受けて、学校は教室閉鎖と決定していました。
 中国から来日できないでいる学生の全員のネット環境が整っているとはいえないほか、卒業後仕事を持っていた勤労組は、来日まで仕事を続けたいので、オンライン授業の時間帯には働いている、という学生事情のためです。

 緊急事態宣言の続く5月連休明けまで、教員は休業するようにと申し渡されました。学生募集を担当する事務方は出勤を継続。専任教員は給与は1か月分の6割支給。非常勤講師については、新学期開校後に休業補償などは決める、ということでした。

 そんなこんなでドタバタしていましたが、家の内もコロナがいろいろ影響していました。
 通院中の娘、混んでいない時間帯利用で電車に乗りますが、いろいろ問題も起きています。

 娘は自分の汗にかぶれてしまうというやっかいな体質のため、夏場の汗対策に苦労してきました。マスクもかけていると、マスクの中が蒸れてかゆくなってくると言う。
 それで今までは「もともと布マスクも不織布マスクも、ウイルス防御には役にはたたず、咳エチケットのためにするもの。私は咳していないから、できるだけマスクしないでいる」と言っていたのですが、ついに「通院のすいている電車の車内。マスクしていない私の隣の席が避けられるようになった。混んでいない時間帯だから、どこ座ってもいいんだけど、そんなに避けられてまでマスク拒否することもないから、緊急事態宣言を機会にマスクつける」と、なけなしのマスクをつけて通院。
 
 電車の中の人々は、「売っていなくて手に入らない」とだれもが言うのに、みなきっちり不織布のマスクをしているのです。どこで手に入れるのやら。在庫なくなる前に買い占めていた人たちなのか、ネットで高額オークション落札したのか。

 私は手作り不格好ハンカチマスクを利用していくつもりですが、政府からマスク2枚が送られてきたら、ありがたく使わせてもらいます。私たちが汗水垂らして働いて払った税金のマスクですからね。マスク代200億円と計算してみたのですが、郵送代やらもあるから500億円近くなるらしい。
 もっと有効な税金の使い道もあったろうに、と思います。

 官邸側近の官僚が首相に御注進したのだ、というネット情報。
 側近氏いわく、「マスクの二枚でも配ってやれば、国民の不満も不平もすぐ収まりますよ」
 首相は即決。休業補償論義なんか後回しで、マスク配布が決まったそうな。ネット情報ですから、ほんとかどうかは定かではない。でも、ありそうな話ではある。

 マスク2枚で欣喜雀躍、政府への不平不満もなくなると見なされた方々、税金の使い道に目を光らせましょうね。
 モリカケ追及もお忘れなく。
 官邸周辺におかれましては、首相関与の文書を改ざんせよと命じられた下級公務員が自殺しても屁の河童。もう終わったことなんですと。下々の一般庶民の命などよりも、政権の寿命さえ長らえればよいみたいですが。

 休業して給与は6割。外出自粛。自分にできることを誠実に、という心がけのほかに何もできないですが、とりあえず、引きこもっています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「女と母木」

2020-04-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200411
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話2020(3)女と母木

 春庭過去ログのうち、漢字について再録します。
 緊急事態宣言も出て、外出できずにいる方々、ひとときのひまづぶしになれば幸いです。
~~~~~~~~~~~
10/04/27
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(3)女と母木

 母は世話好き人好きな性格で、いつもよそ様の相談に乗ったり、愚痴を聞いてやったり、午後のひとときは、近所の人と「お茶のみ」をして話し込む。知り合いの相談に乗って就職を世話したりもめ事を解決したり、子供のころ私が育った家には来客が絶えませんでした。(今、妹がそっくりその性格を受け継いでいて、「ファミリーサポート」いうNPO活動に参加し、コーディネーターとして、人様の世話をしています)

 いつまでも帰ろうとしない「長っ尻」の客がいると、私と姉は客座敷の裏手に座敷ホウキを逆さまに立てかけておきました。姉が「こうしておけば、お客さんはすぐ帰る」というのです。姉は、母方の実家の祖母やアヤ伯母に教わったにちがいありません。
 今ではすっかり廃れてしまったこのマジナイ、うちの田舎の風習というだけでなく、全国的なものだったようです。東京山の手暮らしのサザエさん一家もやってました。

 なぜホウキなのかさっぱりわかりませんでしたが、バケツでもなく、ぞうきんでもなく、ホウキってことがミソのようでした。姉は「客を掃き出すため」と言っていましたが、だったら、掃き出す形にして置いたほうが効果がありそうなのに、なぜ逆さまに置くのかがわかりませんでした。

 箒は古くから神聖なものとして考えられ、箒神(ははきがみ)という神様が宿ると思われていました。ホウキの古語ハハキが「母木」と見なされたり、「掃き出し清める」ことが「母から子を出す」こととつながるとして、箒神は、産神(うぶがみ=出産に関する神)の一つと考えられていました。出産と結びつき、妊婦のおなかを新しい箒でなでると安産になると言われたり、ホウキをまたぐと罰が当たるという言い伝えもありました。

 茶道では、蕨の茎葉や棕櫚の葉を束ねて作る葉箒を露地に立てかけておくそうです。実際の掃除には用いられないこの葉箒は、「箒神」に通じるものがあるのかどうか。茶道の奥義を極めた人なら、葉箒の故事来歴をご存じなのかもしれません。教えてください。

 日本最古の箒は、2004年2月に出土した奈良県橿原市の西新堂遺跡の出土品。河川跡から5世紀後半の小枝を束ねたほうきが見つかりました。発掘を行った橿原市教育委員会の発表によると、霊魂を運ぶ鳥形木製品や雨ごいのため殺した馬の歯など祭祀具と一緒に出土していることから、掃除用ではなく、祭祀用と見られています。
 奈良市の平城宮跡からも3本の箒が出土しています。これは8世紀中ごろのもの。
 奈良時代の御物が保存されている正倉院には、孝謙天皇が神事で蚕室を掃くため使ったという箒が2本収蔵されています。

 文献で「ハハキ」の語が出てくる最初の語には、古事記の「帚持ハハキモチ」「玉箒タマハハキ」があります。「玉」とは人間の魂(霊魂タマ)のことを指し、帚持ちとは、葬列を組む際に祭具の箒を持って加わった人を呼び、その役目を指しました。
 万葉集にも帚の神事について詠んだ歌があります。万葉仮名では「多麻婆波伎たまばはき」と表記されています。

・玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため(長忌寸意吉麻呂 巻十六 国歌大鑑番号3830)
(鎌麻呂よ、玉箒につかう箒草を刈り取っておいで。むろの木とナツメの木の下を掃かなければならないから)
・初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒(大伴家持 巻二十4493)
(初春のそのはじめのめでたい今日、美しいほうきを手にとって年魂を掃き集めようとしている。その箒の飾りの玉の緒がきらめいて揺れている)。 

 758(天平宝宇2)年の正月の宴会で、時の権力者藤原仲麻呂が勅命によって宮廷の人々に歌を詠ませたとき、万葉集編者でもあった大伴家持は、揺れる玉の緒を読み上げました。時の天皇は孝謙女帝ですが、実際には女帝の母、光明皇太后の命令であったと想像しています。表面は年初を言祝ぎ、年魂を集める箒を詠んでいるのですが、言葉の奥には、権力者仲麻呂によって九州へ左遷させられるという運命を予感して年魂のゆらぎを詠んだのかも知れず、、、と、これは深読み。

 奈良時代における箒は、祭祀用の道具として用いられるなど宗教的な意味があったものが、平安時代には掃除の道具としての記録も出てきて、室町の文献では「箒売り」が職業として成り立っていることがわかります。ホウキが日常的な生活用品になったあとも、ホウキに宿る神への民俗意識は残り、長居の客にホウキを立てかけるような習俗も、私が子供のころまで実際に行っていました。今では電気掃除機やモップはあっても、ホウキで座敷を掃く家が少なくなってきたから、ホウキの民俗も忘れられていく運命にあるでしょう。

 漢字が作られた古代中国では、棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けて箒状にしたものを「帚(そう)」といい、酒をふりかけるなどして、廟(びょう)の中を祓い清めるのに使用していました。この帚の形を竹で作れば「箒」、「草」で作れば「菷」。「帚」を「手」にとって廟の中を祓い清めることを「掃」という。掃き清めて汚れを除くことが「掃除」。この「帚」の仕事を行うのが巫女などであることから、「帚」を付帯した「婦」の字ができ、女性全般を表すことになりました。

 婦人の婦の字は、掃除は女の仕事だからという意味で作られた漢字なのではなく、出産を含む生産力の象徴として尊い存在を示す文字、ということだったのです。
 日本は、元々は母系社会で、室町時代までは女性にも相続権があったのに、江戸時代以後徳川幕府の社会維持のための思想が儒学となり変わりました。男尊女卑の考え方(不倫は女性だけ処罰され、男性が妻以外の女性を持つのは甲斐性として認められるなど)となり、女性の相続権も認められなくなりました(長子相続)。
 それは武家社会の法であり、民のあいだでは嬶座など女性の地位はあったのに、明治民法が武家社会のしきたりをもとにして作られたため、女性は男性に従う存在になりました。三従の教え(女は、父に従い嫁しては夫に従い、老いては子に従う)を守り、家事育児に専念するしかなかった。

 以上、婦人の「婦」についての漢字話でした。
 漢字話は16日に続けます。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「女偏の漢字・女とホウキ」

2020-04-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200409
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>春庭漢字話女偏(1)女とホウキ

 10年前の漢字話を再録します。家に引きこもっているあいだの、あたまの体操の1つにでもなればいいと、古い漢字話を読み返すことにします。
~~~~~~~~~
2010/04/25
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>おんな偏(1)女とホウキ

 掃除と片づけに追われた3月。大嫌いな掃除をこれほど集中して連続してした毎日は、結婚以来初めてかも。好きなことをやり続けるのに何の努力もいらないけれど、嫌いなことをやり続けるのはたいへんでした。が、なんとか(上階からの水漏れ)洪水水浸しの部屋も足の踏み場が見えてきました。
 今の生活で、私自身は掃除が大の苦手ですが、掃除を「つまらない家事」と思って嫌いな訳じゃないのです。洗濯とお茶碗洗いはちゃんとやってます。掃除好きな人がうらやましいですし、松居棒などを考案したりする掃除名人を尊敬しています。
 それにしても掃除が苦手です。

 私と同世代と思われる月曜日の講師室でごいっしょするK先生が、留学生の漢字クラスの話をしていて「私、婦人の婦って漢字、大嫌いなのよ。左側が女偏で、右側はホウキって意味なわけでしょ。なんで女とホウキをくっつけると婦なのかしらって、腹が立つじゃないの。留学生に教えるとき、私はこの字は大嫌い、って言ってから教えるの。女だからってホウキ持って掃除していなさいとか、家事は女がするものって、決めつけるの古いじゃないの。女を掃除婦と思わないでほしいわ」と憤慨口調でおっしゃった。
 あ、それって違うんじゃないの、と思ったけれど、講師室ではいつも黙っている私が急に口を挟んでもよろしくなかろうと思って黙っていました。

 家事は女がするもの、なんて確かに古すぎます。宇宙飛行士山崎直子さんのご主人は、高収入の勤務先を退職して、妻を支えて子育てと家事を引き受ける主夫になりました。(専業主夫じゃなくて、ベンチャー企業を立ち上げた兼業主夫なんですけれど)
 イマドキ、「家事は女がするもの」なんて発言したら、セクハラ・パワハラ発言としてで総攻撃を受けます。

 私が「違うんじゃないの」と思ったのは、「家事=女がする」の部分ではなくて、「女と掃除を結びつけた語が婦人の婦」という部分です。「帚」は、掃除のホウキの意味だけではないのです。
 帚は、箒(ほうき)の異体字であるのはその通りですが、ほうき=掃除ではありません。
 K先生の口調には、掃除は「つまらない女の仕事=家事」で、大学で教えることは「つまらなくない女の高級な仕事」というように聞こえてしまうニュアンスが感じられました。「大学で言葉を教えることは、大学の教室を掃除する仕事より上等」というように言われたと感じて、私の考え方とは相容れない、と感じてしまいました。ちょいと過剰反応だったのかもしれませんが、これは、母が私に厳しく躾たことのひとつに関係しています。

 子供の頃、「屑拾い」という不要物を集めて回る人が我が家に「くず~い、おはらい」と言ってときどき回ってきました。あるとき幼い私は「屑拾いになりたくない、ぼろや屑はきたないもん」と言ってしまった。母は「屑拾いもごフジョウの汲み取り屋も、世の中をきれいにしてくれる尊い仕事なのに、おまえのように人を見下す者の心が一番汚い」と怒った。「百姓家のもんが会社員の妻になって、よかったじゃないの」と農家出身の母を見下す人もいた町の暮らしの中で、「仕事に貴賤はない、百姓生まれで何が悪かろう」と心に繰り返して、なにくそと思っていたころのことだったのでしょう。

 私が掃除嫌いなのは、「女のつまらない仕事」と思っているからではなく、向き不向きの問題。私に「一日中茶碗洗いをしていれば生活していけるようにしてあげる」と言って雇ってくれる人がいれば、私は喜んで一日中お茶碗を洗っている。私は洗濯や茶碗洗いなどの水をジャブジャブする仕事を、移動せずに一か所でしているのが好きなのです。掃除は、部屋の中をあちこち動き回らなければならず、私の好きな「頭をぼうっとしたまま手を動かす」という作業になりません。

 さて、ホウキとは、「掃除の道具」の意味だけではないだろうと私が感じていたのは、子供のころのおマジナイに関係しています。
 帚はなぜ女偏と結びついて「婦」になったのか、次回解説。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「漢字学習中」

2020-04-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200407
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>春庭漢字話2020春(1)漢字学習中

 中学校国語教師3年大学留学生の日本語教育を30年続けてきて、それなりに辞書を引く回数も多いので、雑誌新聞を読んでいて、「これは初めて読む漢字」にあまり出会わなくなりました。明治時代の漢文訓読式文体とか、専門用語でもないと、よほどの「難読漢字」クイズに出るもの以外、読めるようになっています。それでも、めったに使わない熟字訓などが出題されると読めなくて「ほほう、こんな難読熟字訓があったのか」と思うのですが、日常生活で使うことはないので、たいてい翌週のテレビクイズの時間までには忘れてしまいます。

 難読クイズなどでなく、一般の文章を読んでいて、久しぶりに読めない漢字を見つけました。
 「UP(東京大学編集2005年11月号)」の表紙裏に、日本造船史専門の先生が書いた文章の中です。帆船のイラストについての説明文です。
 幕末の浦賀奉行所が1853年に起工し、1854年に竣工した「鳳凰丸」の解説に「三檣の洋式軍艦」と書かれていましたが、「檣」が読めなかったのです。帆船のイラストから、マストのことだと推察する。漢和辞典の木偏13画を引いてみると読みは漢音「しょう」呉音「ぞう」。三檣はさんしょう。意味は3本マスト。

「薔薇」の読みがバラのほか音読みで「ソウビ・ショウビ」であることから推察すれば「檣」はソウ・ショウであろうかと推察がついたはず。漢字の旁は音声を表すので。木偏がついた専門用語なので、なにか船関係の特別な読み方があるかと想像しましたが、旁の原則通り「檣」は「薔」と共通した読みでした。

 さて、春庭が2000年から20年間続けてきた日本語教育研究のうち語彙論文字表記論復習として行っていたワークショップをご紹介しましょう。対象は日本語教師資格をとりたい日本人受講生です。「木偏の漢字思い出し」「サンズイの漢字思い出し」などの課題で頭に中に思い浮かぶ漢字を書いていく、というワークです。 
  日本語教育概論を受講する日本人大学生に、「日々、漢字に目に触れさせていることの重要性」を意識させるために、行ってきたワークショップです。

 ワークその1.ふたりペアをつくり、A4の裏紙(コピー失敗紙の再利用)を渡します。紙を半分に折り、右側左側に交互に「木偏」の漢字を書いていく。相手が書いたのと同じ漢字を書くことはできない。5分たって、「やめ」の合図でペンえんぴつを置く。

 ワークその2 書画カメラ(Elmo)で各ペアの漢字を映し、何文字書くことができたか確認。(書画カメラがない教室の場合。黒板またはホワイトボードに、紙に書いた字をペアで書き写す)漢字数を数えて、一番書けたペアに「漢字記憶賞」をあげる。

 ワークその3 古新聞1枚ずつペアに渡す。それを半分に切って、右ページ左ページをそれぞれが眺め渡し、木偏がつく漢字を探し出し、さきほどのA4裏紙に続けて書いていく。文章を読んでいると速度が落ちるから、読まずに眺め、漢字だけを拾い出す。さきほどから何字増えたかを数える。

 ワークその4 再度、書画カメラにペアの漢字を映し、新聞から何字拾い出すことができたか、数える。一番たくさん拾い出すことができたペアに「漢字探索賞」をあげる。
 頭の中に思い出さなかった漢字が、新聞の中に見つけると、あれまあ、これもあった、これも木偏とたくさん見出せます。木偏やサンズイの漢字は数多い。

 賞といっても、〇型やハート形の付箋に手書きで書き込んだだけの賞状です。ノートを持っている学生にはノートに貼らせる。ノートを持たない学生は、教師が配布したプリントの余白などに貼らせる。(カタカナ語クイズや、和語クイズなど、日本語学の復習としてさまざまなクイズによって、ノートにはさまざまな付箋賞状がふえていく仕組み。たわいのない賞ごっこですが、クイズで一番になると学生は単純に喜びます。

 学生に伝えたかったこと。
 スマホのメールなどで、知っている漢字しか使わないでいると、新しい漢字に出会うことが少なくなってしまう。毎日、新聞でも漫画でもいいから、文字に目を触れさせていれば、思い出せる漢字が多くなる。どうか、月に1冊、週に雑誌一誌でいいから、紙の文字に目を触れていてほしい。テレビやインターネットのテロップなど、時間とともに消えていく文字ではなく、読めない字があったら立ち止まれる媒体の文字に、目を触れさせることが大事。

 やってみてください。今回のお題は「女偏の漢字を思い出す限り全部書いてみよう」
 漢和辞典には女偏、女を部首に持つ漢字は900もあります。900字のうち、いくつくらい思い出せるでしょうか。

 春庭がソラで思い出せたのは。
人を表す字: 女、娘、姉、妹、妻、嫁、婿、姑、姪、姫、妃、嬢、婆、娼婦、妓
イ形容詞ナ形容詞:姦しい、好きな、嫌いな、妄な(みだりな)、妙な
動詞:妬む、嫉む、始める、 妊娠する、娶る、
 
 もう、限界。900分の25。
 でも、漢和辞典を開けば、常用漢字でも、如く、奴、妨げる、妾、姓、委、娯、姿、、、などなど、まだまだあります。

 外出自粛が要請され、高齢者はどうしても家の中に引きこもりがちになります。人と会うときには2m以上離れて話をしろ、ということになると口数も少なくなり、脳の働きはどんどん衰えます。
 こんなとき、ブログ友yokoちゃんが日々実践している漢字書き取りは、とても有効な脳トレーニングだと思います。さきほどの課題のように、部首ごとの漢字を書いてみるのもよし、漢字練習帳を開いて1ページごとに書くもよし。
 
 家の中に閉じこもっている間、漢字復習をしていれば、どれだけボケ防止になったかと思うのに、さはさりながら。私自身は、ぼうっとテレビ見てすごしていました。
 毎日漢字書き取りを続けているyokoちゃん、すごいなあと思っています。春庭など、毎日忘れ去る漢字のほうが多くなり、頭の中はスカスカになる。

 頭の中がスカスカなので、過去ログで埋めていこうという4月です。
 次回からは、漢字について、かって書いたものの再録です。
「女偏の漢字」について。
  
<つづく>
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ぽかぽか春庭「近代建築散歩神保町お茶の水界隈」

2020-04-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200405
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2020二十重日記桜咲かそう(6)桜さくら

 3月30,31日、病院の行き帰りに、歩きながら道際の建物を眺めました。東京の中でも、お茶の水神保町界隈は、古い建築が残されている一角です。きちんと近代建築地図を作成して、古い建築を見て歩くというような緻密な「建築散歩」は、また別の機会に。今回は、「通りすがり」の建物歩きです。

 古書店街のビルのひとつ「一誠堂」神田神保町1-7-6

 鉄筋コンクリート造り、5階建て。 一誠堂書店1931(昭和6)年 設計: 東京都市建築研究所、施工:大林組 。
 通りすがりの撮影ですから、手前に大きくトラックが入ってしまい、あまり映えませんが。
神保町古書街にはほかにもかなり古い建築が残されているので、解体処分されないうちに見に行きたいです。

 日大お茶の水校舎


  もともとは、1925年竣工でウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の、旧主婦の友社ビルでした。磯崎新が道に面したファサードを残して再構築したビルを、日大が購入して、現在は日大お茶の水キャンパスとして使用しています。

 お茶の水、神保町、神田には、東京大空襲に耐えて焼け残った建物が点在しています。ゆっくり時間をとって近代建築散歩したいエリアです。

ニコライ堂(日本ハリストス正教会東京大聖堂)


 


 今回、門前に掲げられた建築の説明を読んでいて、これまで思い込みをしていたことが間違いだったことがわかりました。
 ニコライ堂=コンドルの作品、という思い込み。

 原設計はロシア工科大学教授で建築家のミハイル・シチュールポフ(Michael A. Shchurupov)でした。ジョサイア・コンドルが実施設計を担当し、1884年3月起工。1891年竣工。建築工事は長郷泰輔が請負い、施工は清水組。シチュールポフの原設計を、コンドルがどのように手直ししたのかの研究は尽くされていません。

 関東大震災でドームや鐘楼など多くの部分が崩壊しました。岡田信一郎による構造の補強と修復が行われました。岡田の改修点はわかっているけれど、その前のコンドルの設計と原設計の違いは正確な記録がなく、わかっていないのです。

 2016年に何度か訪れたニコライ堂。久しぶりの訪問でしたが、あいにく3月30日は月曜日だったので、内部拝観はできませんでした。外観を眺めながら、今の試練に耐えられるよう、ハリストス様にお祈りしました。(ハリストスは、ギリシャ語でキリストのこと)
 神様も仏さまも、お守りください。ハリストス様もアミータ様も、お願いいたします。

<おわり>
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