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ぽかぽか春庭「2014年12月目次」

2014-12-31 00:00:01 | エッセイ、コラム



20141231
ぽかぽか春庭>2014年12月目次

1202 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(9)俳句という名の舟に乗り
1203 おい老い笈の小文(10)自然と人生
1204 おい老い笈の小文(11)ルーツ
1206 おい老い笈の小文(12)老後は留学生に!
1207 おい老い笈の小文(13)ナイロビ-東アフリカの裏町で
1209 おい老い笈の小文(14)権力と芸術そして再び老いらくの恋
1210 おい老い笈の小文(15)遙かなる楽園南の島
1211 おい老い笈の小文(16)初恋の人の本
1213 おい老い笈の小文(17)友が皆、我よりえらく見える日は
1214 おい老い笈の小文(18)働く女性と元始の太陽
1216 おい老い笈の小文(19)林住期遊行期、放浪
1217 おい老い笈の小文(20)姥捨山、楢山と蕨野
1218 おい老い笈の小文(21)もの喰う人々
1220 おい老い笈の小文(23)ケンカともだち
1221 おい老い笈の小文(24)年の残りはレビトラで元気!

1223 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記師走(1)メリークリスマス&ハッピーホリディ
1224 十四事日記師走(2)師走の船
1225 十四事日記師走(3)浜離宮散歩&カレッタ汐留イルミネーション
1227 十四事日記師走(4)ひとり忘年会 in 横浜三渓園
1228 十四事日記師走(5)2014年のまとめ

1230 春庭ブックスタンド(1)2014年に読んだ本

~~~~~~~~~~~~~~~

 みなさま、2014年、おつきあいくださり、ありがとうございました。
年々ひどくなる極貧生活。来年はいよいよ仕事もなくなり、どうやって生きていくのか、思案投げ首。つらい年末ではありますが、皆様におかれましては、よい年をおむかえになりますように。

コメント (6)
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ぽかぽか春庭「ブックスタンド2014年9月~12月」

2014-12-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

インセパラブル(離せない)1900 フローレンス・フラー

20141228
ぽかぽか春庭ブックスタンド>十四事日記年末総括(2)2014年9~12月のブックメモ

・百円本半額本 @図書館本 ¥定価購入本 *図書館廃棄本)

<日本語・日本言語文化>
¥鈴木孝夫『日本の感性が世界を変える』2014新潮新書
・小泉八雲 『日本の心』1990講談社学術文庫 

<評論・エッセイ>
・杉本苑子 『歴史に咲く花々』1984集英社文庫
・山本博文 『大奥学』2008新潮文庫
・司馬遼太郎『韓のくに紀行』1998(1978)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『陸奥のみち肥薩のみち』1998(1978)朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『余話として』1997(1979)文春文庫
・司馬遼太郎『司馬遼太郎が考えたこと2』2001新潮文庫
・竹光誠  『広開土王の素顔』2007文春文庫
・山田昌弘 『希望格差社会「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』2004筑摩書房

<小説・ノンフィクション>
・原田マハ『キネマの神様』
・司馬遼太郎『果心居士の幻術』2010(1969)新潮文庫
*舞城王太郎『私はあなたの瞳の林檎』群像 2012年9月号講談社
*海猫沢めろん『モネと冥王星』群像 2012年9月号講談社
・村上春樹『約束された場所で―underground 2』2001文春文庫
~~~~~~~~~~~~~~~~~

年末なので、「5~8月読んだ本、1~4月に読んだ本」再録

5~8月
<評論・エッセイ>
・中野京子『怖い絵で人間を読む』2010NHK出版生活人新書
・井上ひさし『ことばを読む』1992中公文庫
・平嶋二郎『世界建築史の旅』1992中公文庫
・司馬遼太郎『歴史の舞台』1993中公文庫
・司馬遼太郎『神戸横浜散歩 街道をゆく21』1988朝日文庫
・司馬遼太郎『三浦半島記 街道をゆく42』1997朝日文庫
・司馬遼太郎『オランダ紀行』1997朝日文庫
・井上靖・司馬遼太郎『西域をゆく』1998文春文庫
・永井路子『太平記紀行』1990中公文庫
・石井美樹子『薔薇の王朝 王妃たちの英国を旅する』
・村上春樹『村上朝日堂ハイホー』1992新潮文庫
・佐伯彰一 『近代日本の自伝』1990中公文庫
*保阪正康『自伝の人間学』2007新潮文庫

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・村上春樹『スプートニクの恋人』2001講談社文庫
・村上春樹『色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年』2013文藝春秋
・原田マハ『ヴィルジニーの食卓』2013講談社
・原田マハ『楽園のカンバス』2012講談社
・辻邦生『夜ひらく』1955綜合社
・司馬遼太郎『豊臣家の人々』1991中公文庫

1~4月
<日本語・日本文化>
・鈴木孝夫『日本語教のすすめ』2009新潮新書
・蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語3』メディアファクトリー
・増田彰久&藤森照信『アールデコの館』1993ちくま文庫

<評論・エッセイ>
・司馬遼太郎『歴史の舞台』1996中公文庫
・ドナルド・キーン『明治天皇を語る』2003新潮新書
*半藤一利『清張さんと司馬さん』2005文春文庫
*山本努ほか『現代の社会学的解読』2006学文社
@小倉千賀子『赤毛のアンの秘密』2004岩波書店
@柄谷行人『隠喩としての建築』2004岩波書店
@川口恵子『ジェンダーの比較映画史』2010彩流社
@中沢新一『ミクロコスモスI -夜の知恵』2014中公文庫
@森岡正博『生命観を問いなおす』2003ちくま新書

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・辻邦生『江戸切絵図貼交屏風』1995文春文
・エレノアポーター菊島伊久栄訳『少女ポリアンナ』1986偕成社
・エレノアポ-ター菊島伊久栄訳『ポリアンナの青春』1986偕成社
・司馬遼太郎『空海の風景 上下』1975中公文庫
~~~~~~~~~~~~~~~~~

 2014年1年間で50冊の本とめぐり合いました。基本、読書メモには初読の本を載せています。何回目かの再読もあるけれど、再読は普通メモにあげない。再読によってよほど印象が変わった、というようなのは掲載しました。たとえば、井上ひさしの『ことばを読む』は、単行本で一度、文庫で一度読んだのですが、著者死後に読むのは初めてだから掲載。

 仕事先への行き帰りの電車の中が読書タイムです。椅子に座れたとき、帰り道はたいてい寝てしまうので、どんどん読書時間は減っています。年間50冊というのは、読書好きな方に比べれば、ごく少数ですが、仕事を持つ60代とすれば、そこそこだろうと思います。
 パラサイトシングルにひっつかれたままで、日銭稼ぎに負われる毎日。せめて読書で心のかわきを潤さなければ。
 相変わらず司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズが多いのは、電車の中で一部分だけ読む読書にはちょうどいいからです。小説を読み始めると、一気に最後まで読まないと気が済まないタチなので。

 村上春樹『約束された場所で』は、2015年は、1995年から20年目にあたるので、これまであえて避けてきたこの「信者達へのインタビュー」を読んでみたのです。これまで知ってきたこの団体について新しく知り得たことはなかったけれど、ひとりひとりの感性は、わかりました。
 宗教志向を持つ若者はいつの時代でもいたのに、これらの若者達を既成の宗教者たちはすくい上げることができず、ショーコーを至高者と信じさせてしまった。

 2004年発行の『希望格差社会「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』を、10年たって読んだのも、この10年の社会の推移を確認するため。希望格差はますます広がる一方です。

 買うのは、100円本がほとんどですが、図書館廃棄本ももらってきます。 
 舞城王太郎『私はあなたの瞳の林檎』海猫沢めろん『モネと冥王星』は、群像 2012年9月号が、図書館廃棄本ご自由にお持ち帰りください、の棚にあったので、もらってきて読みました。海猫沢は初めて読んだし、舞城は「阿修羅ガール」以来です。若い作家の小説を読む時間がなくなっているので、久しぶりに読みました。若いといっても、私より若いという意味ですけれど。めろん40歳、舞城42歳かな。それ以上若いと、今や30代に突入したひとみちゃんりさちゃんも、小山田浩子も、まだ読む時間がとれません。娘が31歳なので、30代女性作家は、娘みたいな感覚です。そろそろ孫世代の作家も登場してくるころです。同級生には、高校生大学生の孫を持つ人もいるので。

 日本語学、日本語言語文化関連の本を読むことがぐんと少なくなりました。自分の「専門」と周囲には言っているのに。

 今年唯一、新刊定価で買った本は、鈴木孝夫『日本の感性が世界を変える』でした。水曜日の講師室で顔を合わせる英語の先生に「ぜひ、日本語学をやっている人の感想を聞きたい」と、勧められたからです。う~ん、100円になってから読もうと思っていたのに。

 私の感想は「鈴木先生のこれまでの言語学の集大成で、言いたいことを死ぬ前に書いておきたいという気持ちはわかるし、わかりやすい日本語言語文化論だけれど、中盤の主張、何が何でもニッポン万歳は、右側の人々を喜ばせるだけで、本当の日本理解には結びつかないのではないでしょうか」

 来年の読書タイム。どれくらいとれるのかしら。毎日ねっころがって本を読んで過ごす日々、「晴耕雨読」なんていう至福の時間は、厚生年金もない私には、夢のまた夢。

<おわり>

~~~~~~~~~~~~~
以下は、別サイトに載せておいた「21世紀に読んだ本リスト」防備録です。このサイトも、OCNの都合で終了するというので、こちらに転記しておきます。

2000年読んだ本のリスト。

荷風散策(江藤淳) 
現代思想の冒険(武田青嗣) 
説教師カニバットと百人の美女(笙野頼子) 
短歌の世界(岡井隆) 
少女仮面 赤穂浪士(唐十朗) 
美少年学入門 (栗本薫)
パンドラの鐘(野田秀樹) 
可能なるコミュニズム(柄谷 行人) 
倫理21(柄谷行人) 
読者は踊る(斎藤美奈子) 
悲鳴をあげる身体(鷲田 清一) 
東宝見聞録 
夏の約束(藤野 千夜) 
レキシントンの幽霊(村上春樹) 
小森陽一日本語と出会う(小森陽一) 
新人賞の取り方教えます( 
五体不満足(乙武洋匡) 
この国の形 六(司馬遼太郎) 
ヒコクミン入門 (島田雅彦)
ウィークエンドシャッフル(筒井康隆) 
天皇制の文化人類学 (山口 昌男)
やさしいサヨクのための喜遊曲(島田雅彦) 
ゆるやかな絆(大江健三郎)
家族の闇をさぐる( 斎藤学)
警視庁草子(山田風太郎) 
幻灯辻馬車 (山田風太郎)
ラ抜きの殺意(永井愛子) 
一滴の力水 (水上勉)
家族依存症(斎藤学) 
さまざまな自画像(井上ひさし) 
千年の男たち(永井路子) 
この人にあいたい2 会いたかった人(阿川 佐和子)
夜と女と毛沢東(辺見庸・吉本隆明) 
本の運命 (井上ひさし)
愛の賛歌 (エディット・ピアフ)
佐藤君と柴田君 (佐藤 良明・柴田 元幸)
息子の思春期(久田恵) 
朗読者(ベルンハルト シュリンク)
国文学の誕生(藤井 貞和 )
独航記(辺見庸) 
日本史の中の女たち(澤田ふじ子)
古典の中の女たち(永井路子) 
女たちのジハード(篠田節子) 
ラブレター (浅田次郎)
私とハルマゲドン (竹熊 健太郎)
演劇を読む (渡辺守章)
日本の文字 
高校生のための劇作入門 (北村 想 )
化粧 (井上ひさし)
唐版滝の白糸 (唐十朗)
異人たちとの夏(山田太一) 
20世紀最後の戯曲集(野田秀樹) 
3300日のいじめ戦争 (カーリー西条)
体は全部知っている(吉本ばなな) 
笑う不登校(笑う不登校編集委員会) 
サンチョパンサ 
まわしをしめたシェークスピア(野田秀樹) 
続岳物語 (椎名誠)
走れメルス(野田秀樹) 
人生に定年はない( 俵萠子) 
少女浮遊 (本田和子)
二百回忌(笙野頼子) 
スズキさんの休息と遍歴(矢作 俊彦) 
にせ隠居どっきり日記(中野翠) 
カルチュウラルスタディ入門(上野 俊哉・ 毛利 嘉孝)
文学がどうした(高橋源一郎) 
都市生活カタログ(イッセー尾形) 
小林一茶(井上ひさし)
死ぬ瞬間 (キャサリーン・キューブリック・ロス)
大学崩壊 (川成 洋)

2001年読書リスト
消えてしまった。


2002年読書リスト

<姉が病気になって読んだ>
家族ががんになったら真っ先に読む本(森津純子)
身近な人がガンになったら何をなすべきか(帯津良一)
ガンになったとき真っ先に読む本(帯津良一)
ぼくがすすめるガン治療(近藤誠)
末期癌の治療承ります(横内正則)
冬子の兵法愛子の忍法(佐藤愛子上坂冬子)

 『読後ひとこと>なんとしても治してやりたくて、藁をもつかむ思いで読んだけど、本を読んでも肉腫はなおらず。「冬子と愛子」は姉が「笑える軽い本」が読みたいというので届けた本、病院へ持っていく途中の電車で読んだ。この本以後、姉は本を読む力もなくなった。』

<文学・教育・文化研究・演劇・哲学・歴史>(関心のある分野・文科系)
日本の女歌(竹西寛子)
今日に生きる万葉(永井路子)
文学がこんなにわかっていいかしら(高橋源一郎)
小説教室(高橋源一郎)
私という小説家の作り方(大江健三郎)
ファンタジーの世界(小谷真理)
太宰治に聞く(井上ひさし)
女たちのロマネスク(前田愛)
小説と批評(小森陽一)
最新宮澤賢治講義(小森陽一)
子供に伝えたい三つの力(斎藤孝)
身体感覚をとりもどす(斎藤孝)
教育改革の幻想(苅谷剛彦)
勝ち組大学ランキング(中居浩一)
芸術立国論(平田オリザ)
YOSAKOIソーラン祭り(長谷川岳)
カルチュラルスタディ(サルダー&ルーン)
実践カルチュラルスタディ(上野俊哉・毛利嘉孝)
秋元松代全集2(秋元松代)
解散後全劇作(野田秀樹)
舞台は語る(扇田昭彦)
生きる場の哲学(花崎皐平)
解放の哲学をめざして(花崎皐平)
じぶん、この不思議な存在(鷲田清一)
動物化するポストモダン(東浩紀)
意識通信(森岡正博)
中世再考(網野善彦)
七三一部隊(常石敬一)

 『読後ひとこと>好きなことにひたって暮らしたいけれど、「1コマなんぼ」で日本語切り売り、じっと手を見る(大幅に字余り)』

<生命論・地球環境>(関心のある分野・理科系)
生命の奇蹟(柳澤桂子)
安らぎの生命科学(柳澤桂子)
地球環境報告Ⅱ(石弘之)

 『読後ひとこと>「安らぎの生命科学」は、渋川のホスピス患者サロンにあった本。姉がモルヒネでうつらうつらしている間、なんとか「死」というものを受け入れようと読んだ』
 
<随筆・評論・ノンフィクション>(好きな作家、読書、散歩関連)
遠い朝の本たち(須賀敦子)
地図のない道(須賀敦子)
素白先生の散歩(岩本素白)
荒川線駅前銭湯と下町(武相高校編)
月島物語(四方田大彦)
男もの女もの(丸谷才一)
思考のレッスン(丸谷才一)
永遠の不服従のために(辺見庸)
単独発言(辺見庸)
色の手帖(森田泰弘)
家族を卒業します(久田恵)
ハプスブルグ家の恋人たち(加瀬俊一)
人間劇場(斎藤孝)
浮上せよと活字は言う(橋本治)
女遊び(上野千鶴子)本
読みの虫干し(関川夏央)
文壇アイドル論(斎藤美奈子)
文章読本さん江(斎藤美奈子)
冷暗所保管(ナンシー関)
テレビ消灯時間(ナンシー関)
声のさざなみ(道浦母都子)
茫然とする技術(宮沢章夫)
若き数学者のアメリカ(藤原正彦)
不思議の国アメリカ(松尾弌之)
ニューヨークで暮らすということ(堀川哲)
海からの贈り物(アン・リンドバーグ)
ホームページにオフィスを作る(野口悠紀夫)

 『読後ひとこと>なんといっても散歩と雑学』

<小説>
指輪物語・旅の仲間(トールキン)
カブキの日(小林恭二)
ゼウスガーデン衰亡史(小林恭二)
わたしのグランパ(筒井康隆)
娼年(石田衣良)
アルケミスト(パウロ・コエーリョ
)続徳川の夫人たち(吉屋信子)
ペルシアの幻術師(司馬遼太郎)
人生の親戚(大江健三郎)

 『読後ひとこと>指輪物語は映画を見て、もう一度読みたくなり70年代に読んだ本を引っ張り出してきた。ほかは、ほんとにたまたま読んだモノばかり。「カブキの日」は面白く読めた。「わたしのグランパ」は、断筆後に期待したのに、がっかり。「アルケミスト」は王子神谷駅文庫から。「人生の親戚」やっとこういう小説を読む気力が回復したというところ』

<日本語学・日本語教育>(仕事の分野)
声に出して読みたい日本語(斎藤孝)
漢字と日本人(高島俊男)
日本語に主語はいらない(金谷武洋)
日本語観察ノート(井上ひさし)
名前と人間(田中克彦)
仕事文をみがく(高橋昭男)
漢字学習指導法(白石光邦)
日本語の教室(大野晋)

 『読後ひとこと>今年も、まともに日本語学など勉強しなかったとわかります。でも漢字についてはちょっと勉強した』




2003年上半期読書リスト
  (ジャンル @フィクション 無印その他  )
      ☆☆☆☆☆わたしにとっては最高  ☆☆☆☆貴方も読むべし
      ☆☆☆私にはおもしろかった    ☆☆暇なら読んで損はない
      ☆悪くはないが私の好みじゃない   *読まなくてもよい・時間の無駄

・ 書名 著者 お勧め度 日記感想文日付
1 茫然とする技術 宮沢章夫 ☆☆☆☆☆ 03/01/23
2 秘宝耳 ナンシー関 ☆☆☆
3 なにがなんだか ナンシー関 ☆☆☆
4 ホームページにオフィスを作る 野口悠紀夫 ☆☆
5 牛への道 宮沢章夫 ☆☆☆
6 日本語の21世紀のために 丸谷才一・山崎正和 ☆☆
7 最新宮沢賢治講義 小森陽一 ☆☆☆
8 言霊と他界 川村湊 ☆☆☆
9 リトルバイリトル@ 島本理生 ☆
10 ゲーム脳の恐怖 森昭雄 *
11 かえり見ずの橋@ 杉本苑子 ☆☆☆
12 新日本語の現場 橋本五郎 他 ☆☆☆
13 キャラクター小説の書き方 大塚英志 ☆☆ 03/03/07
14 モードの迷宮 鷲田清一 ☆☆☆
15 都市の「私物語」 中野収 ☆
16 霧のむこうのふしぎな町@ 柏葉幸子 ☆☆☆ 03/04./04
17 快楽の本棚 津島祐子 ☆☆☆
18 天皇と王権を考える 表徴と芸能 岩波講座 ☆☆☆
19 20世紀日本の思想 成田龍一・吉見俊哉 ☆☆
20 文学じゃないかもしれない症候群 高橋源一郎 ☆☆☆
21 男たちの脱暴力 中村正夫 ☆☆ 03/04/10
22 発声と身体のレッスン 鴻上尚史 ☆☆☆
23 癒す知の系譜 島薗進 ☆☆☆
24 信長と天皇 今谷明 ☆☆☆
25 教えることの復権 大村はま・苅谷剛彦 ☆☆☆ 03/03/23
26 ことばの課外授業 西江雅之 ☆☆☆☆ 03/05/13
27 ぼくは勉強ができない@ 山田詠美 ☆☆☆ 03/05/08
28 物語の体操 大塚英志 ☆☆☆ 03/05/05
29 読者は踊る 斉藤美奈子 ☆☆☆
30 怪しい日本語研究室 イアン・マーシー ☆☆☆
31 毎月新聞 佐藤雅彦 ☆☆☆
32 一葉に聞く 井上ひさし ☆☆☆ 03/05/18
33 青の美術史 小林康夫 ☆☆☆
34 パリ20区の素顔 淺野素女 ☆☆
35 色の名前で読み解く日本史 中江克巳 ☆☆
36 夢にも思わない@ 宮部みゆき ☆☆☆ 03/06/07
37 記憶スケッチアカデミー ナンシー関 ☆☆☆☆
38 21世紀にどう入っていくか 塩野七生 ☆
39 歴史の舞台 文明のさまざま 司馬遼太郎 ☆☆☆
40 日本の色を染める 吉岡幸雄 ☆☆☆
41 日本語は悪魔の言語か? 小池清治 ☆☆☆
42 日本語文法の謎を解く 金谷武洋 ☆☆☆
43 主婦ですみません 青木るえか ☆☆☆☆ 03/05/29
44 A to Z@ 山田詠美 ☆☆☆
45 お姫様とジェンダー 若桑みどり ☆☆☆
46 ジョン・レノン対火星人@ 高橋源一郎 ☆☆☆ 03/07/03
47 謎解き少年少女世界の名作 長山靖生 ☆☆☆
48 龍を見た男@ 藤沢周平 ☆☆☆
49 東京下町殺人暮色@ 宮部みゆき ☆☆☆
50 4ティーン@ 石田衣良 ☆☆☆ 03/08/07
51 編集工学 松岡正剛 ☆☆☆
52 分母の消息 松岡正剛 ☆☆☆

2004年読書リスト
2004/12/29
トキの本棚>2004年1月~12月読了本リスト

      ☆☆☆☆☆わたしにとっては最高  ☆☆☆☆貴方も読むべし
      ☆☆☆私にはおもしろかった     ☆☆暇なら読んで損はない
      ☆悪くはないが私の好みじゃない   *読まなくてもよい・時間の無駄

・ 書名 著者 星 日記感想文
1 主婦は踊る 青木るえか ☆☆☆☆☆ 04/01/24
2 茶色の朝 フランク・パブロフ ☆☆☆☆ 04/04/03
3 信長と十字架 立花京子 ☆☆☆ 04/04/06
4 俳優になる方法 山崎哲 ☆☆☆ 04/04/07
5 文学的商品論 斎藤美奈子 ☆☆☆ 04/04/20
6 天皇制の基層 赤坂憲雄/吉本隆明 ☆☆☆ 04/05/07
7 東京セブンローズ 井上ひさし ☆☆☆☆ 04/06/29 
8 三国志の知恵 狩野直禎 ☆☆☆ 04/07/03
9 現代短歌そのこころみ 関川夏央 ☆☆☆ 04/07/29 
10 ニッポニアニッポン 阿部和重 ☆☆☆ 04/08/19
11 現代語訳樋口一葉日記 高橋和彦 ☆☆☆ 04/09/25
12 樋口一葉いやだといふ 田中優子 ☆☆☆
13 私の樋口一葉 瀬戸内寂聴 ☆☆☆
14 ジュニア新書樋口一葉 関礼子 ☆☆☆
15 一葉の四季 森まゆみ ☆☆☆
16 花のきもの 宮尾登美子 ☆☆☆ 04/11/03
17 春日局 杉本苑子 ☆☆☆ 04/11/03
18 モダンの脱構築・産業社会のゆくえ 今田高俊 ☆☆☆ 04/11/09
19 花鳥風月の科学 松岡正剛 ☆☆☆
20 気流の鳴る音 真木悠介 ☆☆☆
21 以下無用のことながら 司馬遼太郎 ☆☆☆
22 歴史を紀行する 司馬遼太郎 ☆☆☆
23 自分で決められない人たち 矢崎洋 ☆☆
24 東京極上散歩術 坂崎靖司(監修) ☆☆
25 建築探偵術入門 東京建築探偵団 ☆☆☆
26 文学の中の都市と建築 若山滋 ☆☆☆
27 都市の自由空間 道の生活史 鳴海邦碩 ☆☆☆
28 樋口一葉と歩く明治東京 野口碩(監修) ☆☆☆
29 明治の東京 馬場孤蝶 ☆☆
30 現代日本語探検 出川直樹 ☆☆☆
31 野田秀樹の非国語 野田秀樹 ☆☆☆
32 花篝 澤田ふじ子 ☆☆☆
33 花冷え(髪結い伊三次捕り物控) 宇江佐真理 ☆☆☆
34 紫紺のつばめ(髪結い伊三次捕り物控え) 宇江佐真理 ☆☆☆
35 毎月新聞 佐藤雅彦 ☆☆☆
36 葉っぱのフレディ レオ・バスカーリア ☆☆☆
37 ジョゼと虎と魚たち 田辺聖子 ☆☆☆
38 江戸芸術論 永井荷風 ☆☆☆
39 江戸文学掌記 石川淳 ☆☆☆
40 色を奏でる 志村ふくみ ☆☆☆
41 満州鉄道まぼろし旅行 川村湊 ☆☆☆
42 李香蘭私の半生 山口淑子・藤原作弥 ☆☆☆☆
43 著作権の考え方 岡本薫 ☆☆☆
44 蚕の村の洋行日記 丑木幸男 ☆☆☆


2005年2006年読書リスト

もんじゃ(文蛇)の足跡「2005、2006読書備忘録」

 読んだ本全部は思い出せない。
 自分が書いてネットUPしたものに関連して読んだもの、再読が多いが、書名を思い出せた本を参考文献としてまとめておく。

2005年1月2月「日本語は変わる」をテーマにした連載に関して
『問題な日本語』北原保雄 
『かなり気がかりな日本語』野口恵子

2005年3月「詩と短歌」に関して
『金子みすず詩集』『道浦母都子歌集』『俵万智歌集』『静栄作品集』(再読)
『短歌の世界』岡井隆.
『疾走する女性歌人』 篠弘
『花づとめ』安東次男
『今日に生きる万葉』永井道子
『万葉私注』土屋文明 (再読)
『かなしーおもちゃ』枡野浩一
『ハッピーアイスクリーム』加藤千恵

2005年3月「染め色」に関して
『染め草の散歩道』こきかおる
『染織草子』澤田ふじ子

2005月3月「浜野佐知」に関して
『女が映画を作るとき』浜野佐知

2005年4月「一葉の桜」に関して
『樋口一葉日記』再読

2005年5月「荷風と機関車」に関して
『断腸亭日乗』永井荷風 再読
『墨東綺譚』永井荷風 再読
『「墨東綺潭」撮影日記』新藤兼人

2005年5月「八田ダム」に関して
『街道をゆく40台湾紀行』司馬遼太郎 (再読)

2005年5月「藤めぐり」に関して
『源氏物語 桐壺 若紫』紫式部 (再読)
『頭痛肩こり樋口一葉』井上ひさし

2005年6月 「林芙美子」に関して
戯曲『放浪記』菊田一夫
テレビドラマシナリオ『うず潮』田中澄江
『放浪記』林芙美子 (再読)
戯曲『太鼓たたいて笛ふいて』井上ひさし
『北岸部隊』『パリの恋』『晩菊』『めし』『浮雲』林芙美子
『林芙美子の昭和』川本三郎

2005年8月「庭園美術館」に関して
『ミカドの肖像』猪瀬直樹 (再読)

2005年8月「湊と修羅と金比羅と猫屋敷」に関して
『金比羅』笙野頼子

2005 年9月10月「弁慶がナ、ぎなたを」に関して
『平家物語』再読

2005年11月「ガラスの動物園」に関して
『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ

2006年2月「言語学復習・師匠西江雅之&千野栄一」に関して
『人かサルかととわれても』西江雅之
『言語学の散歩』千野栄一 再読

2006年4月「くもひとで」に関して
『クモヒトデ』石田吉明(地学団体研究会)

2006年5~7月「日本語ってどんな言語」に関して
『漢字音・日中朝ベトナム共通語彙』藤井友子

2006年8月「ビアトリクス・ポター資料館」に関して
『ピーターラビットシリーズ絵本』ビアトリクス・ポター (再読)

2006年8月 「公爵家の娘・岩倉靖子」に関して
『公爵家の娘』浅見雅男

2006年10月 「文学の中の猫」に関し
『萩原朔太郎詩集』萩原朔太郎 (再読)
『枕草子』清少納言 (再読)
『源氏物語 若菜・若紫』紫式部 (再読)
『更級日記』菅原孝標女 (再読)
『猫の墓』夏目漱石 
『猫の事務所』宮沢賢治 (再読)
『よだかの星』宮沢賢治 (再読)
『猫と庄造とふたりのをんな』谷崎潤一郎
『羊をめぐる冒険』村上春樹 (再読)

<その他>2005、2006に読んだ本。
 読了本の全部を思い出せないし、図書館で借りた本では、まだ返却してない『夜露死苦現代詩』のほか、いつ何を借りたか、もはやおぼろげ。
 2006年読んだ小説、もっとあったと思うのに、すでにタイトルが靄のかなた。読むはしから忘れていくのなら、読まなくてもいいだろうにと、思うのだけれど活字に目がふれていないと窒息死してしまうので。

☆日本語のために
『語学と文学の間』大野晋
『おいしい日本語』金川欽二
『日本語の化学変化』岩松研吉郎
『達人の日本語』北原保雄
『ことばの歳時記』金田一春彦
『死語読本』塩田丸男
『美人の日本語』山下景子
『文章表現の研究』井尻千男
『日本の古代語を探る』西郷信綱
『日本語源詮索辞典』武光誠
『漢字伝来』大島正二
『漢字百話』白川静
『日本の漢字』笹原宏之
『部首のはなし』阿辻哲次
『楽しむ四字熟語』奥平卓 和田武司

☆日本語言語文化のために
『やちまた』足立巻一
『怪しい来客簿』色川武大
『夫婦茶碗』町田康
『近代能楽集』三島由紀夫
『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ
『沖で待つ』絲山秋子

☆日本事情(日本の歴史と文化と現代社会)のために
『日本という方法』松岡正剛
『手掘り日本史』司馬遼太郎 (再読)
『祖国とは日本語』藤原正彦
『格差社会』橘木俊詔
『生物学個人授業』岡田節人 南伸坊
『生殖革命と人権』金城清子
『精子と卵のソシオロジー』緋田研爾
『オスとメス性の不思議』長谷川真理子
『藤田嗣治』近藤史人
『反定義』辺見庸 坂本龍一
『反逆する風景』辺見庸

☆エッセイお楽しみ読書
『文壇アイドル論』斎藤美奈子
『私のシネマライフ』高野悦子
『気まずい二人』三谷幸喜
『ほとばしる副作用』辛酸なめ子
『テレビ消灯時間』ナンシー関 (再読)
『堤防決壊』ナンシー関 (再読)
『牛乳の作法』宮沢章夫
『わからなくなってきました』宮沢章夫
『青空の方法』宮沢章夫(再読)
『主婦の旅ぐらし』青木るえか
『主婦は一日にしてならず』青木るえか
『明日へひょうひょう』森田登代子

<日本語学日本語教育関連書>
☆日本人学生に「日本語の基礎」として推薦した参考書
『日本語』金田一春彦
『はじめての言語学』黒田龍之介
『コミュニケーションの日本語』森山卓郎
『概説日本語学日本語教育』清水義昭
『図解日本語』沖森卓也 他
『日本語の歴史』山口仲美

☆日本人学生に「社会言語学」基礎として推薦した参考書
『社会言語学の展望』真田信治
『文化・社会地域』佐治圭三・真田信治 


2007年読書リスト

・ 書名 著者 出版社 感想文はここにあります
1 日本語のなかの私 宇津木愛子 創元社 ・
2 日々の非常口 アーサー・ビナード 朝日新聞社 ・
3 出世ミミズ アーサー・ビナード 集英社文庫 ・
4 日本語ぽこりぽこり アーサー・ビナード 小学館 ・
5 おいしい日本語 金川欣二 芸術出版社 ・
6 日本という方法 松岡正剛 日本放送出版協会 ・
7 小耳にはさもう ナンシー関 朝日新聞社 ・
8 国王を虜にした女たち 川島ルミ子 講談社α文庫 ・
9 生命の奇跡DNAから私へ 柳沢桂子 PHP文庫 ・
10 つくられた卑弥呼 義江明子 ちくま新書 ・
11
12
2007年中国へ行く前の記録はあるが、中国赴任後のリスト、帰国後のリスト、漬けておかなかったのでそのままになりました。

トキの本棚2005/2006
1977年から2003年まで、読んだ本のタイトルと著者名をメモしておくことをしてきた。
 新刊の文庫を読み始めて、どうも読んだ気がすると思ったら、文庫になってタイトルを変えていた本で、以前に読んだことがあったのだ、というようなことも、このメモでわかるし、なにより、自分が読んできた本をたどることは、私にとって自分史そのもの。

 それで、2003年のカフェ日記は、1977年以前に読んだ本の反芻と自分語りをテーマにした。

 2004年からは、ノートに読書メモを書くのではなく、パソコンにそのまま打ち込んだほうが便利と思って、読書メモページをつくった。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0412book.htm

 自分のリンクページには、2004読書リスト、2005読書リストというふたつのページをリンクしておいたのに、この夏、パソコンをリカバリーしたときになくなってしまったのか、それとも、もともとパソコンのこともホームページのこともハード面はまったくわからないまま使っていて、何かの手違いをしたせいか、この2005、2006読書リストが消えてしまった。

 で、そうなると、2005、2006の両年に、いつ何を読んだのか、さっぱり思い出せない。日付とか数字とかは、まったく記憶できないので。
 もちろん本の内容はおりにふれて思い出すだろうし、印象深いことばなども心のなかには残っているのだけれど、いつ読んだのか、ということは、忘れてしまうのだ。10年前に読んだ本も先月読んだ本も、海馬のなかでは、全部ごちゃまぜ。

 思い出せるのは、ネットにUPする際に参考書としてメモしておいた本。カフェ日記をたどって何を参照したか、を思い出せる。日記UPしなかった本は、もう海馬でぐちゃぐちゃ折り重なっている。

 私の部屋の「つん読」本も、部屋の一面に折り重なって積み上がり、一部は崩れて雪崩を起こし、、、、足の踏み場がないので、寝床にたどり着くまで、あっちを踏み越え、こっちを踏んづけして寝床にもぐりこむ有様。
 「片づけられない女」の典型。妹もそうだから、DNAのせいにしておきたい。


2008年春購入書リスト


 ☆は仕事参考用、★は雑学ネタ用 cはお楽しみ読書用 aは息子との共通話題用

3月9日 於:ブックオフ飯田橋店
☆安田敏朗『「国語」の近代史・帝国日本と国語学者たち』中公新書 \880→\500
☆井上史雄『日本語は年速一キロで動く』講談社現代新書 \700→\400
☆井上史雄『日本語は生き残れるか・経済言語学の視点から』PHP新書 \660→\400


3月10日 於:ジュンク堂池袋店
☆浅利誠『日本語と日本思想』藤原書店 \3730
☆佐藤琢三『自動詞文と他動詞文の意味論』笠間書院 \2940
☆柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書 \745
☆山東功『唱歌と日本語・明治近代化装置』講談社選書メチエ \1575

c山本淳子『源氏物語の時代・一条天皇と后たち』朝日新聞社 \1365
a舘鼻誠『戦国争乱を生きる』\1020


3月11日 於:ブックオフ赤羽店
☆荒川洋平『もしもあなたが外国人に「日本語を教える」としたら』スリーエーネットワーク \1200→\650
☆森田良行『日本語質問箱』角川ソフィア文庫\629→\350
☆大野晋『日本語をさかのぼる』岩波新書 \620→\105(すでに1冊持ってるけれど)

★三砂ちづる『オニババ化する女たち』光文社新書 \720→\105
★中澤嗣子『相撲部屋24時おかみさん奮戦記』講談社 \876→\105
★菅谷明子『メディア・リテラシー・世界の現場から』岩波新書 \660→\105
★アマルティア・セン『貧困の克服・アジア発展の鍵は何か』集英社新書 \640→\105
★毛利敏彦『明治六年政変』中公新書 \700→\105
★野口雨情資料館『十五夜お月さん』文元社 \600→\105
★永沢光雄『AV女優』文春文庫 \800→\105

c堀江敏幸『いつか王子駅で』新潮文庫 \362→\105
c加賀乙彦『悪魔のささやき』集英社新書 \680→\105
a福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書 \777→\350


3月11日 於:ダイソー赤羽店
 百円ショップ大好き。三文判を買いにダイソーへ行きついでに百円本を購入。漱石、芥川、宮沢賢治など、著作権が切れている著書、青空文庫がインターネット用に入力したデータを利用して中国などで印刷し、どれも百円。文豪は「これで若い読者が増えるならうれしい」と、言ってると思うか、「私の著作がたった100円か」と思っているのか。

★中日辞典 大創出版 \105
★かんたんインドネシア語会話+CD 大創出版 \210
★かんたんブラジル・ポルトガル語会話+CD 大創出版 \210
★かんたんタイ・ベトナム・ヘブライ・ギリシャ・アラビア語会話+CD 大創出版\210
a歴史事典 大創出版 \105

 語学会話書、CDつきで210円とは、昔からみたら、涙が出そうな価格。
 ヘブライ語、アラビア語などの会話本は、とても私が興味本位でのぞくだけのためには手が出せない価格だった。それが、、、100円で。


3月18日 於:紀伊国屋新宿南店
☆和栗雅子ほか『どんなときどう使う日本語表現文型200』¥2300
☆和栗雅子ほか『どんなときどう使う日本語表現文型500』¥1200
☆池上嘉彦『日本語と日本語論』筑摩文庫\1300
★岩井三四二『戦国連歌師』\590


3月18日 於:ジュンク堂新宿店
☆アークアカデミー『漢字マスター3級300』\1800
☆橋本治『ちゃんと話すための敬語』ちくまプリマー新書\680


3月24日 於:神保町岩波ブックセンター
★今福龍太『クレオール主義』


3月29日 於:ブックオフ飯田橋店

c倉橋由美子『大人のための残酷童話』\105
c澤地久枝『試された女たち』\105

 2冊とも文庫版を持っているのだけれど、単行本の装丁が美しいので買いました。古本屋だけれど、いわゆる新本古書。

 単行本初版発行のときは「高いからやめよ」と思って文庫版発行まで待っていたのだけれど、それからじっとまてば、新本古書が百円で手に入る。
 なんだか著者には申し訳ないような気がするけれど、絶版断裁なんかになるよりは、こうして本を愛する者の手に渡ったほうが、本にとっても著者にとってもいいと思って、「春庭的春のブックフェア」を終わりにします。

~~~~~~~~~~~

2009年からは、OCNカフェに読書リスト欄を設けたはずだけれど、探してみないとどこにのせたか、定かでない。2012年からは、gooブログすなわちこのサイトに読書記録も載せているはず。
自分の防備録として載せています。
コメント (3)
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ぽかぽか春庭「2014年のまとめ」

2014-12-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141228
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記師走(5)2014年のまとめ

 今年こそ、絶対にやせるぞ、平均体重にまで落とすぞ、という決意とともに始まった2014年でしたが、まあ、体重は順調に増加、といういつものパターンで終わろうとしています。ストレス解消のためのヤケ喰いがいかんのだ、とわかっちゃいるけどやめられない。

 回転寿司、ほんの15分だけ、ちょっと小腹を満たすだけと思って立ち寄った結果、20分で10皿20貫食べた、ということもありました。一皿2貫150円という店です。
 ただし、ビールは、友人といっしょに店で食事するときだけ飲むことにし、家で缶ビール瓶ビールを開けることは、ほとんどなくなりました。おお、偉いぞ。、、、って、別段えらくは、ないか、、、、学園祭の模擬店で買ったチェコビールもクリスマスイブまでとっておいたんです。偉いよね、私にすれば。

 2014年午年。世の中は大荒れで行方も知らぬ、、、、、ですが、私の生活は最底辺安定で、相変わらずの貧乏暮らし、というだけの毎日。
 我が家、12月になって急に寒くなりましたが、灯油ストーブを12月10日までつけずに我慢、がまん。灯油が18リットル1950円になって、「高いからぎりぎり我慢」で、綿入れはんてん、ダウンベストなどを着て、エアコンなし、ストーブなしの生活を続けました。

 11階まである団地9階ですからいくら建物が古くなったとはいえ雨漏りはしません。雨露しのげる破れ家があり、一皿2貫150円の回転寿司がせいぜいの食生活とはいえ飢えもせず、かつかつ生きていく分をかせぐ仕事先があった、、、、、今年度いっぱいは。
 来年国立大学の仕事は契約更新ができない年齢になってしまい、雇い止め。退職金もない非情なる非常勤講師の仕事、どうなるのかと不安がつづきます。

 今年のまとめ。
 月に1、2回ほど、美術館で美術鑑賞。私の絵の見方は、ただ、そのときの気分でいいなあ、と思うか思わないかという感覚的な鑑賞ですけれど、美術展の招待券にせっせと応募して、見に行きました。見に行っても、行きっぱなし見っぱなしでブログに感想を書かなかった展覧会も多かったけれど、行ったときはその都度楽しく過ごせたのだからよしとします。

 夏休み恒例の「青春18切符利用旅」、今年も東北へ行きました。福島山形の建築を巡る一人旅ができ、失敗も多かったけれど、無事帰宅できたので終わりよければすべてよし。

 映画は、もっぱら「ギンレイシネパスポート」という鑑賞券を夫に借りて見るか、テレビ放映を録画してみるかで、「無料」が原則。平均で月に3本くらいの鑑賞頻度。

 ギンレイホールで見た映画
3月セッションズ
4月少女は自転車にのって もうひとりの息子
5月さよなら渓谷 ペコロスの母に会いに行く
6月ハンナ・アーレント  そして父になる 小さいおうち
7月ゼロ・グラビティ ウルフ・オブ・ウォールストリート
8月あなたを抱きしめる日まで
9月ブルージャスミン 8月の家族たち サンライズ(1927活弁:澤登翠)
10月太陽を盗んだ男 8月の濡れた砂 ライブイン茅ヶ崎
11月WOOD JOB!(ウッジョブ)神去なあなあ日常  超高速!参勤交代
名もなき男の歌 インサイド・ルーウィン・デイヴィス グランド・ブダペスト・ホテル 道 鉄道員 ひまわり her 世界でひとつの彼女
12月めぐり逢わせのお弁当 マダム・イン・ニューヨーク

 テレビ放映の映画、テレビで初めて見る映画も楽しめるけれど、見たことある映画も、もう一度、数回目と見るたびに違うおもしろさが見つかることが多い。「ノッティングヒルの恋人」とか「スィートノーベンバー」とかの大甘の恋愛映画、映画館でお金出してみるのなら、恋人と二人連れでもなければ、見てられないかも知れないけれど、家でおひとり様テレビならば、ジュリアロバーツになった気分で見るのもよし、キアヌ・リーブスに抱きしめられる夢を見るのも自由。

 ただ、テレビで見る映画は、よほど印象深くないと、見た内容をすぐに忘れる。映画館に出かけるのはイベント性があるけれど、家テレビだと日常生活に取り紛れてしまうからだろうと思います。

 テレビで見て、印象に残った映画。「マイライフアズアドッグ」。前回テレビで見たときより印象に残りました。少女への成長を拒んでいた少年のようなサガが、最後のほうではワンピース姿になったのがちょっぴり不満。少年の心を持ったまま成長してほしかった。サガを演じたメリンダ・キンナマン、気になったので、大人になってどんなふうに成長したのか調べました。

 Melinda Rosalie Kinnaman 現在43歳。ストックホルム生まれ(1971~)ですが、両親ともアメリカ人。
 「マイライフアズアドッグ」出演後、ストックホルムの演劇学校で演劇、パントマイム、さらにはアクロバットも習得して、スエーデンの舞台女優として活躍しているそうです。1999年にアメリカの映画「イエスの母マリア」という聖書の物語に出演したということですが、日本未公開みたいです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Melinda_Kinnaman 

 テレビではじめて見た映画。内モンゴルが舞台の「我が大草原の母」、キルギスが舞台の「明かりを灯す人」など、映画館では収益が上がりそうもない映画をテレビで放映してくれるのもうれしいです。
 「戦火の馬」「バーレスク」など、映画館ロードショウでヒットしたのを知りながら見逃してしまった映画を見ることができ、健さん亡きあとの放映「しのぶ映画」では、「ホタル」を見ました。何度も見ているけれど、韓国で健さんがアリランを歌うと、何度でも泣けます。

 コンサートにもいろいろ行ったし、建物散歩も楽しみました。今年は、学校の建築を中心に見たのが印象に残っています。

 今年、食料品や飲食店で使ったお金のほかに、買い物をしたなかで、カメラのメモリーカード3000円が一番高いものでした。洋服はお下がり着用、化粧品は百円ショップ。ほんとうにお金を使わない生活で、楽しく生きています。本で一番高かったのは新刊1300円で買った鈴木孝夫『日本の感性が世界を変える』で、あとは全部百円本。
 2014年に読んだ本のまとめは、明日。

<つづく>
コメント (6)
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ぽかぽか春庭「ひとり忘年会 in 横浜三渓園」

2014-12-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141227
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記師走(4)ひとり忘年会 in 横浜三渓園

 1年間まじめに働いて、職場の人と飲む忘年会のお酒、おいしいことでしょうね。週に5日間、5つの大学の7つのクラスで、日本語学、日本語教育学、日本語初級文法を教えて、ひたすらオノレの仕事をまっとうしてきたつもりの春庭ですが、忘年会をする「職場の人」はいません。「所属」を持たない一匹狼、仕事納めの忘年会も一人打ち上げです。

 ダンス仲間との忘年会は、12月20日土曜日に、パスタ店でやったのですが、25日木曜日に、年内の仕事を全部終えたので、26日に「今年もよく働きました」という一人忘年会を挙行いたしました。

 よく働いたと言っても、いつも失敗ばかりの春庭。学生出欠のパソコン入力を忘れてしまったり、宿題を学生に渡しそこねたり、同僚のカバー、フォローをもらってのかろうじての仕事完了ですから、忘年会して「よくがんばりました」なんて言えた義理ではないのですが。

 招待券がぎりぎり12月28日までだった、横浜三渓園。前回の12月の行楽、浜離宮に娘息子を連れて行ったら「浜風にあたって風邪引いた」と娘が言うので、今回はおひとり様で。

 横浜三渓園は、20年近くまえに、中国の友人を案内して「横浜鎌倉バスツアー」というバスハイキングに行ったおりに、ほんの30分ほど、お庭をちょこちょこっと見ただけだったので、ゆっくり建物を見たいと思っていたのです。
 六義園や後楽園は仕事帰りにも気楽に立ち寄れるのですが、横浜はちょっと遠出になります。

 26日、もらった「入園招待券」を確認して、12時出発。地下鉄乗り継いで横浜へ。
 横浜駅からバスで本牧下車。巡回中のおまわりさんに道を確認して三渓園に入りました。

 三渓園は、明治から昭和初期にかけて財界で活躍した原富太郎(号は三渓)によって設立公開されました。原三渓は、富岡製糸場などによる生糸の製造輸出、横浜銀行経営などで財を成した人です。美術品を収集し、日本各地の建物を買い集めて移築した三渓園を横浜市に寄贈しました。

 重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟の歴史的に価値の高い建造物が175,000m2に配置され、「名勝」として国の指定を受けています。

内苑の臨春閣


 午後1時すぎに入園すると、園内に何組かの花嫁花婿の撮影会が目に入りました。近頃は、結婚披露宴の間に、前撮りした花嫁花婿の写真を上映するのがはやりなのだそうです。三渓園のお庭で寄り添う二人の姿、とても幸せそう。池のほとりや由緒正しき建物の前でポーズをとるカップルに、幸せ気分をお裾分けしてもらいました。
 花婿が外国人の国際結婚カップルに、外国人観光客が「写真をとってもいいか」ときくと、花婿は「どうぞどうぞ」と言うので、ついでに私もとらせていただきました。

 午後2時から、ボランティアガイドさんの説明を受けて園内を回ることにしました。ボランティアの綿貫さん、ガイドと庭園樹木の管理の両方を引き受けているそうです。群馬県出身という自己紹介に、客のひとりも「私は群馬の妙義生まれ」と言うので、「私も群馬です」と名乗りを上げました。

 ガイドさんは、「もう2週間早く来園なされば、紅葉がとてもきれいでした」と、iパッドの写真を見せてくれました。ところどころに名残の色合いが残ってはいましたが、紅葉の景色は来年の楽しみにして、ということで、内苑を見て回りました。

臨春閣の室内とつくばい


 明治時代の開園当初から、原三渓は池を中心とした外苑を、一般公開していました。内苑の建物は、原三渓が居住したプライベート地域です。今は、どちらも横浜市の管轄になっています。

 明治初期の廃仏毀釈の時代、寺の建物や古い御殿が売りに出され、売れなければただ打ち壊してしまう、という事態が各地に起こりました。原三渓は一棟また一棟と買い集め、移築修復をしていきました。
 園内の建物17棟のうち10棟が重要文化財、3棟が横浜市指定有形文化財に指定されています。

聴秋閣


 ガイドさんが、それぞれの建物の見所などを説明してくれました。「この建物を、原三渓は桃山時代の建物と信じて購入し、桃山御門と呼んでいたのですが、建築家の調査で江戸時代中期の建築と判明しました。現在は桃山を取ってただ、御門と呼ばれています」とか。

 園内の建物は、特別な公開時期でなければ内部見学はできないのですが、白川郷から移築した旧矢箆原家住宅は、中を見学できます。合掌造りの屋根の裏側もじっくり見ることができました。内部には、古い農具や調度品が展示されています。

合掌造り。旧矢箆原家住宅


 園内の小高い丘にある三重塔は、京都木津川の廃寺旧燈明寺からの移築だそうです。


 この丘の海側には展望台があります。昔は海を眺められてよい景色だったのでしょうが、現在の海側の眺めは、工場群。工場萌えの人にはよい眺めなのかも知れませんけれど。


 大池には鴨や鷺がいました。
 大池から夕暮れの中ににシルエットをみせる三重塔をながめ、退園しました。


 来年からの生活のどん底を思って鬱屈していましたが、また来年は来年で出直し、と、思うことにしました。

<つづく>
コメント (8)
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ぽかぽか春庭「浜離宮散歩&汐留カレッタイルミネーション」

2014-12-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

カレッタ汐留のイルミネーション

20141225
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記師走(3)浜離宮散歩&カレッタ汐留イルミネーション

 今回、隅田川下りの船を浜離宮で下りたのは、息子も娘も、浜離宮に一度も行ったことがない、ということがわかったからです。建物巡り散歩も庭園巡り散歩も好きな私ですが、娘と息子が小さかった自分に六義園とか古河庭園、後楽園などをいっしょに散歩したことはあっても、浜離宮はちょっと遠出になるので、連れてきたことがなかった。たいていお一人様散歩でした。

昔、将軍の船が隅田川に出入りした水門です


 お一人様の散歩では、新橋から歩くか、汐留から歩いて浜離宮に入ったので、船着き場から入るのは、私も初めてです。
 師走の潮風を受けながらの散歩ですが、日差しがあるうちはそれほど寒いとも感じずに、潮入の池などを見ながらゆるゆると歩きました。
 江戸時代の将軍家、明治以降は皇室の人々が鴨猟を楽しんだ様子などが説明板に書いてあります。おとりのアヒルを使い、鴨をおびき寄せる、とありました。



 浜離宮の周辺は、今では高層ビルが建ち並ぶ、湾岸再開発の地域になっています。こんなビルだらけになっても、こうして将軍のお休みどころ、皇室の離宮として残されたおかげで、再開発に巻き込まれることなく、公園が維持できたこと、ありがたいことです。



  

 日が落ちると寒さも強くなってきたので、娘は「春の花、秋の紅葉のころならともかく、12月の浜離宮はほんと、何もない」と、言います。
 でも、藤原定家は、「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」と詠んだ、今まさに、なんにも見所のない浜離宮が静かに師走の風の中にある。

12月唯一の見所として紹介されていた「松の雪づり」東京にはめったに雪が降らないけれど。


 師走の海辺の夕暮れをとても美しく感じました。
 この静かな美しさは、花の時期紅葉の時期には感じられなかったかもしれません。

かろうじて色合いが残っていた八代将軍吉宗ゆかりの木


夕暮れの浜離宮


 帰り道、カレッタ汐留のイルミネーションショウの最後の部分だけ見ることができました。音楽に合わせて輝きが変わっていくショウ、とてもきれいでした。この青と白の光を作り出してくれた、ノーベル賞のお三方にも感謝。
 大勢の見物客で賑わうイルミネーション。若い人にはイルミネーションのほうが人気なのでしょうが、私は「何にもない」浜離宮にも大満足でした。閉園チャイムが鳴るまで母の散歩につきあってくれた娘と息子に感謝。

<つづく>
コメント (2)
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ぽかぽか春庭「師走の船」

2014-12-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141224
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記師走(2)師走の船

 ほんとうに飛ぶように過ぎ去る師走の毎日ですが、大掃除もせずおせちは生協のおせちセットで間に合わせるというイージー年越しの我が家なので、師走の週末の一日を親子で隅田川の川下り&浜離宮散歩を楽しみました。こんな寒い時期に川下り?とお思いかもしれませんが、寒い時期の観光閑散期だからこそ、無料招待券がもらえるのです。本と食べ物以外の物品は買わない主義の我が家、観光もむろん招待券活用です。

 まずは、上野駅へ。駅ナカのレストランでランチ。ブラッスリーレカンというカジュアルフレンチの店です。11時半に着いたときは、すでに3~4組の客がドア前の椅子にすわっていました。私が椅子に座って待っている間、娘と息子は、駅ナカショップのキャラクターグッズの店を冷やかしてくる、と一回りしてきました。」

 駅の中の気楽なレストランです。


 30分ほど待って入店。我が家は、誕生日は家でひっそり祝って、そのあと、誕生日の人の好きなレストランでランチ、というお祝いの仕方。今年の娘の誕生日ランチは池袋サンシャイン53階にあるフレンチ。私の誕生日は、横浜中華街、今回、息子の11月の誕生日ランチが12月になってしまいましたが、フレンチランチコースを奮発しました。奮発といっても、いつもよりちょっと高いってほどで、一般の人はたぶん「ふだんのランチ」なのでしょう。でも、我が家にとっては、年に数回の特別外食です。

前菜、スープ、フィッシュサラダ
     
メイン。
  
デザート
  

 私からの誕生日プレゼントは、息子がほしいと希望した『兼見卿記』です。吉田兼見は、細川幽斎のいとこ。吉田神道の継承者で、戦国末期の記録を残した人。今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』にも登場したと、息子はいいますが、私にはどれがどの人やら、区別しないままドラマを見ていました。織豊政権期の研究をしている息子にとって必要な資料の一つというので、プレゼントしました。一月遅れのお祝いですが、ハッピーバースディ。

 上野から地下鉄で浅草へ。浅草の船の発着所から、隅田川下りの船に乗りました。
 前回は日の出桟橋から浅草に向かって隅田川を上りながら橋を見たので、今回は下りながら見る橋、また趣が変わって楽しかったです。

吾妻橋の手前の船着き場に、一列に並ぶかもめたち


隅田川を上る「ヒミコ号」松本零士のデザインで未来的な形になったそう


いろいろな橋の下をくぐります。ガイドさんがすれ違う船の名や橋の名を案内してくれますが、覚えられない。


かちどき橋


 浜離宮の船発着所で下船しました。
 私たちが降りたあと、浜離宮から日の出桟橋に向かう船です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「メリークリスマス&ハッピーホリディ」

2014-12-23 10:39:43 | エッセイ、コラム
20141223
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記師走(1)メリークリスマス&ハッピーホリディ

 ポリティカルコレクトネス政治的に正しい言い方によるクリスマスシーズンのお祝いのご挨拶は、ハッピーホリディということになったようです。メリークリスマスというと、ともに年末の休暇を楽しむ、キリスト教以外の宗教の人にとって楽しいメリーな休日じゃなくなってしまうから、ハッピーホリディと言って祝うのです。多民族多宗教の国では、多様性 に気をつかわなくちゃならない。

  お隣の韓国では、この70年間にキリスト教徒は、プロテスタントカトリックを合わせると、人口の30%を占めるまでになり、儒教仏教を押さえて、韓国最大の宗教になっています。キリスト聖誕祭は、大切な宗教行事。

 一方、日本では、戦後一貫してキリスト教徒は、人口の1%から増加しませんでした。人口の1%、120万人がイエス生誕を祝います。しかし、大多数をしめる仏教系の人々にとって、街中のクリスマスツリーの飾り付けやイルミネーション、家族との団らんやプレゼント交換のお楽しみの日です。大多数の人々にとって、街のクリスマスツリーの飾り付けは、七夕の短冊竹飾りと同じように、「商店街のにぎやかし」の意味です。
 キリスト教以前の西欧にとって、このツリーは衰えた太陽が復活する生命力の象徴だったので、現在の日本の街角のクリスマスツリーは、古代のツリーの姿に戻ったのだともいえます。

 11月29日に「グローバルコミュニケーションマネイジメント」という研究会に出席し、韓国における布教戦略についての研究発表を聞いて、たいへん興味深く思いました。なぜ、韓国では急速にキリスト教の布教が成功し、日本ではそうでなかったのか、興味を持っていたからです。

 研究会では、韓国におけるミサのようすを撮影したドキュメントが紹介されました。統一教会などのカルト教ではない、ごく一般的な教会で行われるミサのようすだということでした。韓国キリスト教は、土着のシャーマニズムが習合しているということがかなり顕著に見て取れるミサでした。信者達は、歌ったり牧師の説教に合わせて体をゆすり、しだいにシャーマン的に神がかってきていました。

 日本の土着のキリスト教(長崎地方などの隠れキリシタン)においても、土着の神道仏教との習合が指摘される研究が提出されています。私が見たエチオピアのキリスト教信仰も、独自の発達をしていると感じました。

 日本のキリスト教会、プロテスタントもカトリックも、クリスマスツリーの飾りは、どこも力を入れます。キリスト教系大学のキャンパスに飾られるクリスマスツリーを見てあるくだけでも、年末のひととき楽しい散歩になります。去年は、立教大学のツリーを見に行きました。今年は、青学のツリーを。
 先日見た、青山学院大学のツリー、写真をとったので、載せておきます。
 皆様のクリスマスがよき一日でありますように。


 1129に青学で行われた研究会が終わってから撮った一枚です。
キャンパスのツリーと、青学会館内結婚式に使われる教会内部のツリー。係の人が撮っていいよと言ってくれたので、とりました。結婚式をあげそうな年頃の子どもを持つ年齢の母親に、係の人は親切です。


 ついでに、池袋サンシャインの噴水広場に飾られた巨大ツリー


 クリスマス・イブの前に、国民にクリスマスイブイブのハッピーホリディを与えてくれた方にも感謝。ハッピーバースデイ!!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「年の残りはレビトラで元気!」

2014-12-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141221
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(23)年の残りはレビトラで元気!

年の残りはレビトラで元気!
at 2003 10/29 06:17 編集
 ある人々にとっては「朗報!」になるかもしれない新聞記事。
 2003/10/15付の「レビトラ 来春にも発売」というニュースである。
 レビトラは、「バイアグラが十分に効かなかった人」にも効果を上げたというED治療薬。服用後すぐ効果があらわれる人もいて、バイアグラ以上の売れ上げが期待されている。どうです?朗報でしたか?
 10/27に書いたように、女性は、灰になるまで、、、である。一方男性は、人によりけり。 ウイスキーの銘柄である「オールド・パー」の顔として有名なイギリスの農夫トーマス・パー(1483~1635)は、122才で再婚して、152歳まで生きたという伝説的な人。

 死去する前には、チャールズ1世の謁見を受ける栄誉も得た。当時のイギリスは公文書がしっかり記録されてきた時期で、パーじいさんの生年没年も、土地の借用証書をもとにはっきりたどれるのだという。ルーベンスやバン・ダイクが描いた肖像画もある。

 オールド・パーまではいかなくても、70歳すぎて子供をもうける男性がいることは、ときどき話題になる。お元気ですねぇ。

 そういう元気な人の話を、聞けば聞くほど元気じゃなくなってしまう男性もいるし、ある種の考え方の人たちにとって、「男の元気」といえば、もう「その一点」しか考えられないという話も聞く。
 私たち女性に言わせれば、「元気」って、それだけじゃないんじゃないの?と思う。自分の男性としての魅力が性的な活力だけであり、それしか誇れないとしたら、それは女性から見たら、こっけいで寂しい事なのではないかと思うのだが。当の男性にとっては、一番の関心事であり、絶対に必要不可欠な能力なのだろうか。

 画家のパブロ・ピカソは80歳のときに45歳年下のジャクリーヌ・ロックと再婚し、90歳で死去するまで活力に満ちた作品を制作した。ジャクリーヌと交わされる細やかでゆったりした愛情がピカソに制作の意欲をわかせたのだろうし、ジャクリーヌにとって、ピカソは「あらゆる意味で魅力に富んだ男性」であったろう。

 そんな天才の話は特別であるとして、凡夫匹夫とめあわされた我ら凡婦匹婦にとって、どうなのか。私個人の意見としては、バイアグラやレビトラで復活する男性の魅力は、ごく一部分であると思う。

 もちろん、発売元のバイエル薬品が広告費を回してくれるというなら、私は声を大にして言うよ。「レビトラ飲んで、うちとら元気!甲子園では虎ファン元気、ホークスあぶさん景虎元気、景気回復レビ虎とら!」

 もう、こんなに宣伝したのだから、せめてバイエル薬品から「お礼の現物給与」がこないかしら。こないよねぇ。はい、お察しのとおり、我が家の「その一点」意気消沈してます。

 古女房がいくら元気いっぱいで「女は灰になるまで」と主張しても、灰のような白髪頭ふりみだし三段腹ゆすってノシ歩いていては、亭主ますます元気がなるなる、というご批評、ごもっともであります、、、、。

 だがしかし、しかるにやはり、されどまた、女の魅力は若さだけでなく、男の魅力は「その1点」だけじゃ、ありません!

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.36
(ま)丸谷才一『年の残り』

 丸谷才一が『年の残り』で芥川賞を受賞した1968年、私は高校生だった。この小説中の登場人物でいえば、高校一年生の後藤正也の年齢に近かった。正也は、自分の大伯母と若い頃見合いをしたことのある69歳の医師上原から、若い頃描いた絵を見せられる。

 このころ読んだとしたら、少女の私には、旧友を自殺という手段で失った上原の悲しみも、自身の男性能力のおとろえや画才不足の自覚から猟銃で自殺した洋菓子店の大旦那の苦しみも、よくわからなかったろう。
 私がこの本を読んだのは、1976年第2刷の文庫本である。私は中学校の国語教師となっていたが、それでもやはり、よくはわからなかった。

 父親から継いだ和菓子店を洋菓子店に変え、一代で商売を大きくした多比良が、「芸者と夜をすごしたあと、事後の肢体をスケッチする」という楽しみを失うことで、自殺に至るとは、どういうことなのか、それほど重大なことなのか、わからなかった。

 私に理解できたのは、「自分のスケッチ作品がロダンからの間接的な影響下にあることに気づかされ、確実にロダンの才能には及ばない画才しかないことをつきつけられたこと」が、多比良が死を選ぶ原因になったのだろうということだけ。

 「事後、女性肢体を描く、と期待することが、ことに及ぶ興奮材料となり、生きていく元気の源だった」と、老院長が解説するのを読んでも、画才のないのを悲観するのはわかるけど、性的能力の衰えが、生きる活力を失わせるほど重要なものであるという感覚はわからなかった。(このころは私もウブでしたね!)

 ようやく、老いていく上原の悲しみも、生きる気力を失う多比良の苦しみも、わかる年齢になった。

 母を失った後、「生きる意味」もわからなくなり、父にいわれるままに中学校教師になったものの、自分の資質が教師に向かない性質であったことを自覚する毎日。
 ネクラでオタクな引きこもりでした。「母の作品を集めて句集を出版する」という目標によって、ようやく「あと追い自殺」を思いとどまったけれど、教師の仕事もうまくいかず、生きる希望はなかった。

 中学校で受け持った演劇部の仕事だけが、かろうじて私を生につなぎとめていた。
 演劇の身体訓練を中学生に教えるため、自分でもモダンバレエのレッスンを受け、発声練習のために「視覚障害者のための朗読奉仕員養成講座」を受講した。以来、ダンスと朗読ボランティアは四半世紀続けている。

 中学校は3年で退職した。母校にもどり、大学院の研究生として演劇学、芸能人類学を学ぶことにした。舞踊評論家市川雅に師事して、ダンスを見ることに熱中した。

 民族芸能学、演劇人類学のフィールドワークの地として、パプアニューギニアに行きたかったが、結局、渡航先がケニアになったことは、10/21の項に記した通り。

 ケニアで民族ダンスを練習したけれど、教師として能力がなかったのと同じように、民族文化研究者としても何の能力もないことが判明しただけで、帰国。

 ケニアですごした中の唯一の自慢は、テレビドラマのエキストラとして出演したこと。当時大人気だった『熱中時代』という水谷豊主演ドラマのスペシャル篇ロケがケニアで行われ、淺野ゆう子の友だち役としていっしょにテレビに映ったのだ。

 その頃20歳前後で、アイドル歌手としても女優としても中途半端だった淺野ゆう子が、今や押しも押されもせぬ実力派女優になり、現在NHK朝ドラの「てるてる家族」の照子さん役で活躍している。

 私はケニアから帰国したあとも、自分の方向性を見つけることができず、「アフリカ縦断旅行へ出発する」という目標を作り上げた。旅回り一座の役者、予備校試験採点係りなど、旅行費用を稼ぐ日々が続く。

 ようやく資金が貯まり、ランドローバーを買って船でフランスの港へと送り出した。ジブラルタル海峡を越えてアフリカへ。モロッコからナイロビまでランドローバーで縦断後、ナイロビで出会ったふたりが記念の地で結婚式をあげる、という計画だった。

 しかし、出発前に「できちゃった婚」をするはめになり、アフリカ縦断はキャンセル。なんでそんな結果になったか。そのころ「その1点」は、おおいに元気でありました!

蛇の足跡・一足目:上記のオチは、ひさしぶりに決まって、レビトラに感謝!しかし、このようなオチをつけると、10/27「灰になるまで」のとき「僕の酸素をあげよう」「灰になるまで燃やしてやるよ」などの、足跡やメールを頂戴したのと同じことになるかと、今から「うれしい悲鳴」をあげておる。「キャー、お代官さま、ご無体ナー!」

 あらかじめ、そのタグイの足跡・メールへのレスをつけておく。「灰になるまで」のときの「好意謝するにあまりあれどもレス」と同じ文言である。
 「あんたじゃなくて、辺見庸がいいのよぉ」

 あのね、これは、へんみよう、とイイノヨーのようとヨーが、その、、、せめて座布団をいち、、、あれ?このオチはすでに使ったっけ。

蛇の足跡二足目:寒川猫持「尻舐めた舌でわが口舐める猫 好意謝するに余りあれども」の上の句付け替えてメールください。猫持以上に笑わせてくれた方には、「辺見庸が、、、」ではないレスつけます!舐めんなよ!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ケンカともだち」

2014-12-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
201412120
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(23)ケンカともだち

ケンカともだち
at 2003 10/28 06:32 編集
 ID名pipipi1931さんの最近の一句「碁敵の一手長考秋深む」
碁ガタキとか、野球チームファン同士で贔屓チームの応援合戦とか、高齢者の「よき友」は、同時に「よきケンカ相手」であることも、ままあることだ。

 口げんかして、その後再び仲直りなら、ケンカ相手とことばを交わしあうのも「脳の活性化」となり、決して悪いことではない。川柳「碁敵の、敵はにくいがいとおしい」という仲を保って、おおいにケンカするのも、元気の源になる。

 しかし、「王手飛車取りへ待ッタをかけて、取っ組み合いのケンカに発展」などの場合もあり、仲直りの方法や、ゲームとしての論争のやり方を知らないと、ケンカがそのまま「絶交!」となるケースもある。

 若い人たちの中には英語のオーラル授業などで、「ディベート」を体験した人も多いが、中高年は、このような「ゲームとして論争する」経験をしたことがなく、論争の方法と納め方を知らないことが多いのだ。

 ディベートを、「回想法」と同じく、脳の活性化訓練として取り入れてみてはどうだろうか。テーマを決め、賛成側と反対側に分かれて、論戦する。
 ディベートは意義ある思考訓練。真剣に論争した後、よりいっそう相手の思考のすじみち考え方がわかり、論争後は前より仲が良くなるケースが多い。

 私が留学生にディベートテーマとして与えるのは、「老後は田舎に住みたいか、都会に住みたいか」「将来の旅行先、世界一周と月旅行、どっち?」とか、たわいないものにしている。深刻なテーマは国際情勢もからんで、大問題になるからだ。

 「国際結婚」をテーマにしたとき、40歳50歳過ぎても縁が薄かった日本の男性が、アジアから花嫁を「輸入」する話題に発展した。結婚という話に騙されて売り飛ばされてしまった話とか、言葉が不自由な嫁が虐待されている人権問題だとか、大論争になってしまった。

 論争はかまわないのだが、話が込み入ってくると、英語同士、中国語同士、韓国語同士の母語による本気の論争になって、「日本語の練習ディベート」に役立たない。

 「花嫁を海外から調達」と言えば、私の結婚も「海外で調達」という結果。海外で知り合い、口げんか相手としてつきあった人と、なぜか結婚してしまった。(10/19の項参照)
 口げんか相手が、同時に「仲良し口げんか友だち」であるのは、「仲良きことは美しきかな」である。しかるに、口げんか相手を結婚相手にした場合は、要注意!悲惨な結果に進展する場合もある。その一例を、私はようく知っています。身に染みて、、、、

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.35
(ほ)本多勝一『極限の民族』

 ケニアとタンザニア国境の町、ナマンガに滞在したときのこと。私と友人の国子さんが安宿の一室ツインに、のちに夫となる人が隣のシングルに宿泊した。
 そして、眠りもせずに、一晩中「山本七平vs本多勝一代理論争」を繰り広げた。論議の的は「南京大虐殺の百人切り」について。私と国子さんは本多側、夫は山本側代理人として議論を続けた。

 夫が大声でわめいていたのは、「現実問題として、一本の刀で百人を殺し続けることは、できない。血の油で切れなくなるからだ。その事実を事実として認めるところから始めなければ、南京問題は空論になり、歴史事実として認定されない、そう山本は言っているのに、本多は、山本の主張は南京大虐殺を幻と主張する人を利するだけだ、という感情論を返すだけで、百人切りが事実として可能かどうか、という山本の疑問に答えようとしてしない」という主張だった。

 夜中に大音声の日本語で言い合うので、宿の人は「男一人を女二人が取り合うケンカ」と勘違いして、仲裁に飛んできてくれた。
 仲裁のことば「ケニアでは、男はみんな妻を三人四人と持っているが、女たちはケンカなどせず、仲良く暮らしている。なんで日本の女は、平等に仲良くできないのか」スワヒリ語で、こんこんと説教された。

 私は『極限の民族』にまとめられた、「ニューギニア高地人」「アラスカエスキモー」「アラビア遊牧民」のファンで、山本七平は「ベンダサン騙り」だと思っていたから、何が何でも本多側だった。

 現在、本多のジャーナリストとしての姿勢が問われ、問題点がいろいろ指摘されていることは知っている。個人雑誌を始めたのを見て、ついに『金曜日』ともケンカして個人雑誌にしたのかと思ったけど、金曜日はつづけているらしい。

 今、彼のものの考え方がどこへ行ってしまっているのか、最近の作を読んでいないからわからない。しかし20余年前、彼の『極限の民族』によって、私がアラビア遊牧民やアラスカの人々の暮らしを知り、民族学や文化人類学へのあこがれをよりいっそう大きくしたことは確かだ。

 「アフリカの演劇的世界」「民族演劇学」をやりたかった。ケニアでは民族舞踊を練習したが、結局ものにならなかった。民族芸能学、演劇人類学を捨てて、夫を拾った。
 先日、いっしょに食事したときの姑の述懐「昔、あなたと国子さんが、いっしょに家に遊びにきたときね、国子さんは息子の嫁になってもいい、と言ってくれたのよ、、、」

 息子と結婚したのが姑の期待した人じゃなかったのを、残念に思っている口振りだった。
 すみませんね。できちゃった婚で。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「もの食う人々」

2014-12-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141218
ぽかぽか庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(21)もの食う人々・灰になるまで燃え尽きたい

もの食う人々・灰になるまで燃え尽きたい
at 2003 10/27 06:55 編集

 老人ホームで、70歳過ぎの女性入居者が、70代80代の二人の男性を相手に、一回300円で関係を持ち、片方の男性が嫉妬のあまり、もう片方を刺す、という事件があった。
 女性にとって、300円が欲しいのではなかったろう、自分が「恋しい相手」として認められ、その存在を欲求される、そういう自分自身でありたかったのだろう、と想像する。

 大岡越前(だったかな?)が、母親に尋ねた。「女は、いったいいくつまで閨房を共にしたいと思うものでしょうか」母御は黙って火鉢の灰をかきまぜ、大岡は「ははぁ、女性は灰になるまで現役か」と、悟ったという話。さよう、骨になり灰になるまで、女は燃え尽きたいのである。

 私など、酸素不足不完全燃焼のまま、一酸化中毒死しそうである。もっと光りを(by goete)、もっと酸素を!(by haruniwa)。新鮮な空気と光と水を!私だって光合成したい。あれ?光合成に使うのは酸素ではなく、二酸化炭素だったっけな。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.34
(へ)辺見庸『もの食う人々』
 10/22、昔の初恋片思いの人を紹介した。もう一人、例外として1977以後に読んだ男性作家を紹介します。
 今現在惚れている男、辺見庸。一番好きな男性作家のひとり。講演があれば聞きに行きたいし、テレビに出ていればチャンネルをあわせる。ミーハーファンである。

 ただし、彼の小説は好きじゃない。『自動起床装置』『赤い橋の下のぬるい水』などの文体に少しも感応しない。「ぬるい水」に関して言うなら、発情期のオス犬が、我が家の雌犬の匂いが染みついている私のズボンに飛びついておシッコをひっかけた10歳のときに、「ひゃぁ、おシッコだぁ」と思ったのと同じ感覚。

 エロスもタナトスもありゃしない。おシッコ漏らす話ならば、石田衣良『娼年』の中に出てくる、「おシッコをがまんしていて、がまんしきれずにお漏らしをするのが官能の極致」という女が出てきて、人と人が関わりあうことのヒリヒリした思いに満ちていた。

 ところが、エッセイ、ノンフィクションの文体には「ビビビッ」と「感じる」のである。男の色気にうっとりするのである。
 保健所が捕獲した犬をする話だったり、中で死刑が行われている最中かもしれない刑務所の塀の周りをぐるぐる歩き回る話だったり、そんな話を読んで、「ああ、こういう人にひっついていっしょに刑務所の周りをぐるぐる歩き続けたい」と、思ったりする私はいったい、、、、?

 「もの食う人々」も、書かれていることは、放射能を浴びた野菜やきのこを食べるしかない人々や、餓えに苦しむ人々が出てきて、泣きたい気持ちになる内容である。しかし、内容の悲惨さに涙しながら、辺見の文体にうっとりしてしまうのだ。いけませんねぇ。

 講演会も聞きに行った。講演の内容は、「死刑廃止運動に関連して」だったりしたが、ミーハーファンは、話の中味が死刑だろうが犬のだろうが、顔を見ているだけでうれしいのだった。

 講演会の帰りにラーメン屋によったら、相席になったオバサンが辺見の本を読んでいる。ご同輩!と嬉しくなって、声をかけてみた。
 彼女も辺見ファン。「ええ、なんかよく分らないけど、好きなんですよね」と言う。う~ん、ライバルは多いようだ。

 ライバルに負けずにがんばるぞ!って、何をがんばるんだか。いや、だから、灰になるまで、がんばります。
~~~~~~~~~~~~

20141218
 なんだか、不完全燃焼のまま灰になってしまった春庭。
 辺見庸の新刊が、鉄筆という新しい出版社から出ているので、久しぶりに新刊書を買う予定。ほかの作家の本は、たいてい古本屋の百円本を買います。しかし、辺見の本は「お布施(印税)を献金しなくちゃ、申し訳ない」と思うのです。鉄筆が出した辺見の文庫本「反逆する風景」も単行本新刊をすぐに買ったけれど、文庫化にあたって付け足された文もあるらしいので、また買います。新刊の小説も、もちろん購入予定。惚れていますから。

 新パートナーと熱愛中のミサイルママ「心の底から惚れていますっていうメールが来たから、私もほれてますって、返事かいたのよ」ですと。はいはい、ほれ合ってください。私は、大病した辺見様の健康を気遣いつつ、辺見様に片思いをささげてまいります。

 鉄筆は、光文社に勤務していた若い編集者が、自分の意に沿った本を出版したいという志を持って独立した出版社のようです。社是にいわく「魂に背く出版はしない」
 出版社を立ち上げてすぐに出す本が辺見庸の作品ということなら、きっといい編集者です。
 若い志を応援したいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「姥捨山、楢山と蕨野」

2014-12-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141217
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(20)姥捨山、楢山と蕨野

姥捨山、楢山と蕨野
at 2003 10/26 06:41 編集
 10/25の項で、「働き手」としての家長期がおわると、林住期、遊行期として放浪の旅に出るインドの晩年を紹介した。

 江戸時代までの日本の農村ではどうだったか。働き手としてのつとめを果たし終えたあと、幸福な隠退生活を送ることのできた老人もいたであろう。しかし、「働き手」としての人生が終わったら、それはそのまま「命の終わり」であるという地方もあった。
 正式な山の名のほかに、「姨捨山」という俗称を持つ山が各地にある。「働き手として役にたたなくなった老人を捨てる」というのは、特殊な話でも、限定された地域の話でもなかったようだ。

 老人を息子が背負い、娘が手をひいて山へ連れて行く。二度と帰らぬ山行きである。老人は静かに子孫の繁栄を願い、口減らしのため、孫や子が十分に食って命をつなぐために、自分たちは山に入って極楽往生を願う。そういう極貧の村が、かってあったそうだ。
 82歳の舅がホスピスに入院したとき、姑は、そこが「最後のひととき」を迎える病院であることを、絶対に夫にさとられぬよう、ホスピスのホの字も言わないよう私たちに釘をさした。

 「もう治療の方法はない、あとは痛みを除き、静かにお迎えを待つのみ」と医者に言われても、「治療をしてくれる病院に入院させたのなら、親戚にも顔向けができるけれど、治療してくれない病院だと、姥捨山に捨てたようだと、言われてしまう」と、気にしていた。

 そして、「免疫療法」という健康保険が適用されない療法に夢中になり、蓄えをつかい果たした。
 高額な治療費を工面し、どれだけお金をつかっても、一分でも夫の寿命を延ばしたいという姑の気持ちもわかったけれど、そうやって延ばされる方の舅にとって、それが幸福な最後だったのだろうかという、「鬼嫁」と言われそうな感想を持ったこともあった。

 舅は、姑が安心して老後を過ごせるだけの蓄えを残しておいてやりたかったのではないか、と思ったのだ。未亡人となった姑は「今日は、童謡を歌う会、明日はお習字、週末は旅行」と、「一人暮らしになったら、あちこちからお誘いがかかって、かえって、おじいちゃんの相手だけしていた頃より忙しい」と、飛び回っている。

 私も姑から「コンサートへいっしょに行きましょう」などのお誘いを受けることが多くなった。
 「旅行は簡保利用の安ツアー、習い事は区の生涯教育で無料、コンサートも高齢者ご招待のチケット」という。「お金はないけど、都内の移動はバスと都営地下鉄が老人パスつかえるし、何とか暮らせる」という毎日をすごしている。

 10月23日は、私の仕事が休みになり平日に映画館へ行ける時間がとれたので、姑を映画に誘った。姑といっしょに見た映画は『わらびのこう』。村田喜代子『蕨野行』が原作。恩地日出夫監督。市原悦子主演。友人が「わらびのこう製作を支援する会」の一員で、チケットをおくってくれたのだ。

 内容は「姥捨山」の話と知っていたから、姑を誘っていいものかどうか、ちょっと考えた。「年寄りは、働けなくなったら山に捨てる」なんて映画に、嫁が姑を誘ったりして、世間からはまた「鬼嫁」と言われてしまう。
 私が直接誘うと断りにくいだろうから、中学生の息子を使いにやった。映画の券を持たせて「こういう内容だけど、行くかどうか聞いてきて」と、伺いをたてたら、行くという。

 映画は、全編、姑の出身県でのロケ。「知っている土地が画面にでてくるかもしれないから」というのをお誘いの理由にした。「日本の原風景を守る会」という団体が製作をしているので、美しい田舎の光景がたくさん出てくるはず。ストーリーはともかく、風景だけ見ていても、姑にとってはなつかしいだろうと。

 山の中の小さな農村。米を作る田はあるが、村の掟で、隠居した老人は「蕨野」へ行くことが決まっている。庄屋の隠居レンも例外ではない。蕨野で、老人達は一夏共同生活を送り、秋から冬へ。食べ物が途絶えると一人、一人と倒れていく。
 レン達が蕨野へ行った年は夏の間雨が続き、里も不作。雪に埋もれた小屋で凍える体を温めあい、レンも息絶える。

 10/4の項に書いた幸田文『エゾ松の更新』を読むまで、私は「古い世代が新しい世代のために自分自身を養分としてさしだす」などということは、許せない、と感じる「若いもん」の側だった。今、年を重ねてみると、自分個人の命に執着するより、次の世代がよりよい毎日をすごすために、最後の日々を役立てたいという高齢者の気持ちも理解できるようになった。

 命をとじたあとのレン達が集う最後のシーン。老人達は「体がかるうなった」と、喜んで雪合戦に興じる。嬉々とした顔の老人達。自分の人生をまっとうし、子孫へと命をつなぐ責務を果たした安心立命に満ちている。蕨野で命果てるも、ホスピスで最期のときを迎えるのも、場所はどこでもよいのだ。自分自身で満足して、「これでよかった、いい人生だった」と思いながら死ねること。

 中国現代史の生き証人である蒋介石未亡人宋美麗が106歳で死去(ニューヨーク2003/10/23)。
 世界史近代国家成立以後、最も長命を保ったファーストレディ。未亡人となって以後は台湾に留まらず、アメリカへ移住した。台湾を去ったのは、若い頃留学生活を送った青春の土地を「ついの住処」として選んだからだろう。けっして「姨捨」のためではない。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.33
(ふ)深沢七郎『楢山節考』
 去年「青春18切符」を使って「ひたすら電車に乗っているひとり旅」をした。篠ノ井線に乗ったとき、電車がスイッチバックして姥捨駅を通過した。ここが有名な姥捨山か、と思いながら、『楢山節考』を思い出した。

 深沢七郎の『楢山節考』。老婆おりんは息子辰平の家族が食いつなぐことを願って、山へ行く。まだ歯が丈夫なことを恥じ入り、老人らしく立派に山で果てることを「人生の花道」とさえ思っている。
 たとえ辰平が母を思う余り、村の掟に反しておりんをどこかに隠してこっそり養おうなどと思ったとしても、おりんはそんな恥知らずな行いを受け入れることはできなかったろう。

 現代の私たちにとって「どんな理由であれ殺人は絶対の悪」と感じる倫理感覚と同じように、貧しい地方では、老人は口減らしのため死んでいくのが「幸福な最後」であり、「人倫の道」だったのだ。
 現代の高齢者福祉の視点で言えば、悲惨な話である。だが、深沢の文体は、おとぎ話をきかせるように、唄をまじえて、語り継ぐ。

 最後に山に入り、雪がふってくると、親を捨てる辰平と、捨てられるおりん二人して、雪を喜ぶ。「安らかにあの世へ行くための幸運な雪」として、この世のすべての不浄なものを、清らかな真っ白い世界に変える雪として、雪は天から降りてくる。何度読んでも涙が出る。

 若い頃は親を捨てる子の視点で読んでいたから、この涙の意味を「食えないために親を捨てる悲しみ」であると思っていた。しかし、今、親の視点で読める年になってみると、若い頃に流した涙の中に、別の感動も混じっていたことがはっきりとわかるようになった。

 おりんの視点で読めば、流れる涙は「自分の人生をまっとうしようとする強い意志を持った人間の尊厳」を讃える涙でもあることが納得される。雪は、人生の最期を凛として受け入れようとするおりんへのはなむけとして降り積もるのだ。

 ギター弾き語りをしていた深沢が作った、文章のあいだあいだにはさまれる唄。この唄のひびきがおりんたちの生を言祝ぐ。最後の頁。雪がふった山に響く唄。

なんぼ寒いとって 綿入れを
山へ行くにゃ 着せられぬ


 映画「わらびのこう」が終わると、姑は「明日から旅行。飛行機の出発時間が朝早いから、ゆっくりしていられないの。お夕ご飯をいっしょに食べたりできなくて、ごめんね」と、さっさと帰り仕度。嫁は「天気が変わりやすい時期だから、レインコートとか、寒さよけのウィンドブレーカーのようなのも、ちゃんと持って行ってね」と、くどくど繰り返す。
 姑は「はい、はい、大丈夫。ちゃんとおみやげ買ってくるから」と、駅の階段を上っていった。階段を上る姑78歳の足取りは、毎日の仕事にくたびれてヨレヨレの嫁よりもよほどしっかりしている。
 まだまだ20年30年がっちり生きていきそうな、メリーウィドウでありました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「林住期遊行期、放浪」

2014-12-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141216
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(19)林住期遊行期、放浪

林住期遊行期、放浪
at 2003 10/25 05:43 編集
世界中さまざまな国の留学生に教えてきた。
あらためて数えてみると、教えたことのある留学生の国は、100ヵ国にのぼる。

「アジア」=韓国、中国、モンゴル、台湾、フィリピン、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、バングラディシュ、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ、レバノン、シリア、ヨルダン、パレスチナ、イスラエル、サウジアラビア、クエート、アラブ首長国連邦、オマーン、バーレーン。

「アフリカ」=エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、セネガル、ナイジェリア、カメルーン、エチオピア、ケニア、南アフリカ。

「ヨーロッパ」=ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ラトビア、エルトリア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、イギリス、アイルランド、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、オーストリア、チェコ、クロアチア、ハンガリー、ボスニアヘルツェゴビナ、クロアチア、ユーゴ、ギリシア、ブルガリア、ルーマニア。

「南北アメリカ」=カナダ、USA,メキシコ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチン。

「オセアニア」=オーストラリア、ニュージーランド、西サモア、パプアニューギニア。

(思い出せない国名もあって、留学生に申し訳ない)

 我ながら、ずいぶんたくさんの国名だなと思う。日本語教師をしていなかったら、ぜったいに覚えることがなかったろう、と思う国名も多い。

 子供の頃の「世界中を旅したい」という夢は、まだ「おあずけ」だが、仕事をしながら、世界中の人とふれあうことができた。そして、仕事をリタイアしたら、これらの国を放浪して歩くのが夢だ。

 「遊行」の中に生きた人々。西行、芭蕉の先達から、現代の尾崎放哉、種田山頭火まで。女性では伝説の八百比丘尼、実在の「とはずがたり」の二条。

 老後を遊行放浪の旅の中ですごす、というのは、インドから伝わる人間の本性にもとずく究極の晩年生活である。
 インドでは、人生を四つの時期に分ける。マヌ法典には人生を4つにわけた四住期が示されている。第3期と4期を分けずに、林住=遊行を同時進行とする考え方もあるそうだが、1から4までを書いておく。

1. 学生期:学問や修業をする期間。
2. 家長期:結婚して家庭生活を送りながら家長としての努めをする期間。
3. 林住期:家長としての努めを果たし終えた後、家督を譲る日を待ちながら遊行に備える期間。
4. 遊行期:解脱を求めて聖地などを巡礼する期間。現在の一生を終え、次の一生の準備に入る。

 私も子育てを卒業したら、林住期に入ろうと思っている。遅く生まれた息子は現在15歳。20歳になったら、「あとは、自分の力で好きに生きろ」と、放り出し、私は林に住む。
 あと5年のあいだに、林住期に入る準備が間に合うだろうか。この「おい!老い、笈の小文」執筆も、「心の冬支度」のひとつである。

 こころおきなく林住期に入り、遊行三昧の日々をおくることができるように、と願いつつ、昨日も今日も、さまざまな言葉が飛び交う教室の中、バタバタと走り回る毎日。

 今日の教室は「インドネシア、タイ、ミャンマー、ベトナム、バングラディシュ、中国、メキシコ」という編成。ひらがな練習を終えたばかりで定着していないクラスに、カタカナを突っ込んだ。

 学生達は同じ「a」の音を書き表すのに、「あ」と「ア」のふたつを使いわけなければならない表記法を持つ日本語に、早くもパニック。来週から漢字授業が始まる。どうなることやら。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.32
(ふ)藤原新也『印度放浪』

 『印度放浪』は、藤原新也の処女作。1944年生まれの藤原、23歳のときの旅の記録である。藤原は『インドは、命の在り場所の見えるところである。自然の中のそれぞれの命が、独自の強い個性を持って自己を主張している。』と、書く。

 『地上における生き物の命の在り場所をはっきりと見たし、合わせて自分の命の在り場所もはっきりと見ることができた。それは、私の二十代の一つの革命だった。』

 こんなふうに「命の在り場所」を見ることができた藤原の二十代を、私は羨むばかりだった。母の死に打ちのめされたままの私は、生きているのかいないのかわからないような二十代をすごした。ようやく私がケニアへと出発したとき、二十代も終わりになっていた。ケニアのナイロビで30歳の誕生日をむかえた。

 ケニア東側海岸の小さな島で、無数の蛍が一本の木にクリスマスツリーのように群れて輝くのを見つめたり、トゥルカナ地方の半砂漠地帯で、白くされこうべになって横たわるらくだの姿を見たり、サバンナ草原でライオンやキリン、シマウマが、命の連鎖の中で追うもの追われるものの命の限りを尽くしたりするのを見た。
 やっと、私にも「地上における生き物の命の在り場所」を感じ取る感覚が戻ってきた。

 旅について、生と死について、藤原の写真と文章を『チベット放浪』『全東洋街道』『西蔵放浪』と読み継いできた。
 海外放浪篇以外も『東京漂流』『丸亀日記』『僕のいた場所』『沈思彷徨』など、好きな作品が多い。ときには彼の発言に「?」と思ったり、「ちがうんじゃないか!!」と反発したり。

 沢木耕太郎や藤原新也のように旅をして文を書きたい、というのが、「あこがれの生き方」だったけれど、できないまま、もはや林住期を待つ身となった。
 若い時代に旅をするのと、林住期遊行期になって旅をするのでは、感じ方考え方がちがってくるだろうと思うけれど、私の林住期にどんな旅が広がっているのか。今はバタバタと教室を駆け回りながら、林の中に入っていく日を待っている。

 日本語、入門期の教室。ひらがなの書き方練習。

 ほら、「りょこう」は、「りよこお」って書くんじゃないの。「よ」は、小さい「よ」ですからね。「You studied おline' s long vowel system last week.. Don't forget! It's not O. U is お line's long vowel letter. あ、だけどね。 とおいhas a irregular long vowel letter. Don't write とうい。Please write とおい」

 留学生が間違えるのも無理はない。日本人学生さえ、レポートに、漢字のみならず「ひらがなミス」を連ねてくる表記システム。

 「りょこう」できる日は、まだまだ、「とおい」
~~~~~~~~~~~

201412116
 2003年から11年たって、教え子の国籍はずいぶんと増えました。数少なかったサハラ以南のアフリカの国々も、マリ、シオラレオネ、コートジボアール、モザンビークなど、それまではその国の首都を言うことも出来なかった国の留学生と出会いました。

 今期、教えているアフリカからの留学生は、ウガンダとアンゴラ。アンゴラは、留学生がスピーチで「私のくにはアンゴラです。しゅとはルアンダです」と、発表するまで、首都名も知りませんでした。アンゴラで大学卒業者というのは、すごいエリートで、彼も高いプライドをひっさげて日本に留学してきました。日本語の進歩はいまひとつですが、きっと母国のために有用な人材に育っていくことでしょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「働く女性と元始の太陽」

2014-12-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141214
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(18)働く女性と元始の太陽

働く女と元始の太陽
at 2003 10/24 06:29 編集
 10/23の項で書いたように、私の女子校クラスメートの多くは教職を選んだ。30年前に男女が差別なく働くことができ、産休などもとりやすかった職場は、教職以外少なかったからである。
 私自身、こうなるつもりではなかったのに、中学校教師、大学講師と、結局は教職を続けている。(転職13回の中で、つまるところ教職が一番長く続いた仕事になった)

 私の母の世代では、専業主婦になることがステイタスであった。
 「月給取り」の妻となった私の母を、人は「幸せ者」と見ていたが、母自身は「専業主婦の座」を不自由なものと考えていた。
 母は、月に一度の句会に出席するときも、夫の酒肴おこたりなく、夕食の準備をすべてととのえ、それでも遠慮しいしい出かけていった。娘三人には、「女一人で生きていける技能」を身につけるよう、繰り返し説いた。

 姉は高校卒業後、専門学校に進学して手に職をつけた。結婚後も離婚後も自分の技術で生きていくことができた。「娘を4年制大学に出したら、嫁に行き遅れる」と、思われていた時代だったが、私は最初から「独身で仕事ひとすじに生きるだろう」と、周囲に思われていた
 「こんな愛想のない、かわいげのない子は、勉強でもさせておくほか、使い道はない」と思われていたのだ。

 結婚したとき、お祝いのことばの代わりに「象牙の塔にこもって学者になるんだって言ってたのに、結婚するなんて思わなかった」と、親戚中から「予定外の結婚式ご祝儀出費」についての感想が寄せられた。

 国語科教師を退職するとき、「やっぱり教師じゃなく、学者になる」と言い、大学院へ行くことを退職のいいわけにした。母亡きあと、母がわりにと後見の目を光らせている、うるさがたの叔父伯母を納得させるためだった。
 結婚後は、家から自転車で15分のところにある国立の大学と大学院で勉学を続けることにした。

 修士論文を書いたときは子供を二人抱えていた。育児家事をひとりでこなし、日本語教師の仕事を続ける中での勉学。二足のわらじと下駄と靴をはきかえ脱ぎかえという生活は忙しすぎたが、仕事をすることも、子供を育てることも、どちらも大事な私の人生だった。

 1995年に男女雇用機会均等法が成立して、18年がたつ。私が働き始めた70年代に比べれば、女性が働く環境は、はるかによくなった。まだまだ問題点が多いし、法律と社会の実体は異なるのが実情であるが、少なくとも、法律上、一応は男女の機会均等が保証されている。

 働く女にとって、子育てと仕事の両立は常に大きな問題であった。ときとして大きな議論がわき起こるのも、それだけ重要な話題だったからだろう。
 少し前なら、1988年の「アグネス論争」を思い出す。昔をたどれば、大正時代の与謝野晶子と平塚らいてうの「母性保護論争」が有名。

 家事労働への評価。子育てを社会共通の仕事とするか、母親が単独で責任を負うべき仕事なのか。子育て中の親を社会が支援する方法、などをめぐって、雷鳥晶子の間に、激しい応酬が繰り広げられた。
 この論争を批判的にみれば、双方に論旨のほころびがある。晶子も雷鳥も、当時としては高い教育を受けた恵まれた階層出身の女性であり、自分自身の仕事を継続するために、女中を雇うことのできる人だった。

 らいてうの「社会の為になる子産み・子育て」論は、「国家社会と人的資産の再生産の関わり」に危険をはらむものだったし、晶子の「女子が働けば労働時間が短縮され、男女とも経済以外の分野に創造性を発揮できる」という論も、その前に解決すべきさまざまな障害を前にして、楽観的すぎた。

 晶子の主張する自助努力ができる女性は、当時限られた存在であり、大多数の女性は教育を受ける機会もなく、底辺でのたうち回りながら、必死に働き、子を育てるしかなかった。とは言っても、現在の視点からのみ、晶子雷鳥を批判することはできない。過去の女性達の闘争や実践によって、現在私たち女性が生きていける環境が作られてきたのだから。

 「子産み・子育ては社会にとって重要な問題であり、それに対して社会は支払いをすべきである」という雷鳥の指摘は、現在の産休育児休暇や保育制度などにつながる重要なものであった。雷鳥の論理は、批判点を多く抱えながらも、後の時代を切り開く視点をもっていたと言えるだろう。

 青とう(革+沓)創刊のことばとして雷鳥が「元始女性は太陽であった」と謳いあげて以来、女性は青白い月として生きるよりも、自ら輝く太陽へと顔を向けて生きることを選べるようになったのだ。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.31
(ひ)平塚雷鳥『元始女性は太陽であった』
 2002年に、雷鳥の伝記ドキュメンタリー映画を岩波ホールで見た。写真やニュース映画に残る雷鳥の姿、雷鳥の周囲の人々の証言フィルムなどで構成された、貴重な記録だった。映画を見終わって、羽田澄子監督の描き出す雷鳥の姿に、ある種の「もどかしさ」のような印象が残った。雷鳥は一度として「労働」に近づいたことのない人だったことを、羽田は鋭く描きだしていていたからである。

 唯一雷鳥が「労働する女達」に近づいたのは、市川房枝の同行を得て、女工が働く場へ足を運んだときだけだった。らいてうは、「若いつばめ」との結婚後も、理解ある母親に庇護され援助される「お嬢様」の暮らしを続けた人だった。

 雷鳥の生涯への証言者として登場する櫛田ふき等、労働の現場から発言を続けた女性に比べると、私にとってはやはり「ちょっと遠い人」という印象をぬぐえなかった。
 『元始、女性は太陽であった』は、平塚らいてう自伝。生い立ち、女性の時代の幕開けを作った青とう時代、母性保護論争、戦後の平和運動への関わりが述べられている。

 101歳まで現役で女性解放や女性労働者の支援、平和運動の活動を続けた櫛田ふきや、絶望的な政界の中で、ただ一人私の希望の星であった市川房枝らに比べると、雷鳥は親しみが少ない人ではあるけれど、女性が人間として尊厳をもち、自分らしく生きていくための道を切り開いた人として、雷鳥への敬愛は持ち続けている。

 雷鳥はまさしく、「真正の人」であった。

 雷鳥は「青とう」創刊号に高らかに、こう歌い上げた。
 『元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。(中略)熱誠!熱誠!私どもは只これによるのだ』と。

 東京の夜明け。団地の屋根に四角く切り取られた空の上にも太陽がのぼる。

 元始の太陽に比せられた女性として、今日も「おひさまかあちゃん」で行くぞ!と、毎朝思うけれど、お昼頃にはペシャンコ意志消沈、夕方になれば泥のように疲れて、月を眺める元気もなし。
 ほうら、しっかりしいや、熱誠!熱誠!明日はあしたの日がのぼる、とかけ声かけつつ、夕飯作る。チン!電子の熱誠!私どもは、ただ、これによるのだ!!
~~~~~~~~~~

20141214
 私の好きな女性作家のひとりである森まゆみさんが、「『青鞜』の冒険: 女が集まって雑誌をつくるということ」の作によって、紫式部文学賞を受賞しました。
 私は、2013年発行のこの作より先に、2014年発行の『女のきっぷ』を買いました。公演会で著者サインをもらいたいがための購入でしたが、受賞記念に、青鞜も買いたいと思います。)

 女達の力で「山うごく」かもと思わせたおたかさんも亡くなった今年、今日の一票は、はたして何かを動かせるのか、、、、、。今回も、せめてもの批判票になれば、との思い出の投票になりました。
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ぽかぽか春庭「友が皆、我よりえらく見える日は」

2014-12-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141213
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(17)友が皆、我よりえらく見える日は

友が皆、我よりえらく見える日は
at 2003 10/23 05:59 編集
 石川啄木「友が皆、我よりえらく見える日は花を買い来て妻としたしむ」『一握の砂』より。
 中高年になると、いそいそとクラス会に出席する人が多くなる。童心にかえって昔の遊び仲間とつるんでみたり、ほのかな恋心を感じた人に再会したり。
 10/22に、私が初恋の人と再会したのはテレビを見てのことだった、という話を書いた。テレビの中の初恋の人がいくらステキでも、ことばは交わせない。

 クラス会の一番の楽しみは、昔好きだった人に会うことだ、という。ときめきが戻ってくるだろうか。
 クラス会の楽しみ、ほかにもいろいろ。学校時代はケムたかったライバルと、今は心おきなく話せるようになってうれしい、と言う人もいるし、かってのライバルから再び自慢話を聞かされるのがいやだから、クラス会など行きたくないと言う人も。

 私がクラス会に出席したのは、小、中、高を通じて1度だけ。数年前に、女子高校同級生に会った。女子校2,3年持ち上がりのクラス。青春の2年間をともに生きた人たち。
 なつかしい顔、忘れていた顔の近況報告が続く。「教頭職、3年目になり頑張っています」「このたび、校長になりました」「教育委員会へ転出です」

 女子校の50人のクラスメート、半数近くが教職を選んだ。女性が結婚後も働き続けるには、教職を選ぶ以外の選択がむずかしい時代だったのだ。
 主婦になった人の近況報告。「パイロットの夫が早期退職をしたので、夫婦で海外旅行三昧です」「夫の会社が業績順調で、副社長の私も忙しくて」などなど。

 はい、はい、私の近況報告。息子は未熟児生まれで虚弱、娘は不登校。夫が自営する会社は借金まみれ、自分は万年「日雇取り仕事」
 しょうもない自分の人生であっても、けっして嫌いじゃないし、いとおしくさえ思うことがある。だが、「負けっ放し人生」にときどき倦み、アマデウスに嫉妬するサリエリの気持ちがわかる日もある。
 人は人、自分は自分と思ってはいる。だが、「ああいう人生がよかった」と、うらやましく思う人が現実に眼の前にいたら、、、

 私は、自分がそうなりたかった生き方を、すいすいと涼しい顔で実現してしまった同級生を持つ。彼女は、美女で才女。夫もハンサム。かわいい娘もすくすくと成長し、親の思い通りの進路を選ぶ。出版した本は高い評価を受け、大学教授の仕事も順調。

 対する私は、子育てに苦しみ、「家庭向きではない夫」に悩み、仕事はうまくいかず、収入は最底辺、、、花を買う金もなかった。「花を買い来て妻としたしめた啄木は、まだマシじゃわい」と、ぼやく日々。

 私のライバルは、10/10「悪霊の町」の項で書いた「スター小間物店の娘」である。中学校の文芸部では、お互いの作品を誉めあったり、けなしあったり。高校の予餞会余興では、隣あって立ち、いっしょに歌い、おどった。

 いつもネクラで愛想のない私に比べて、彼女は商家の娘らしい華やかな愛嬌をふりまき、美人で頭がよかった。彼女が学生結婚したとき、もう一人のまもなく結婚する高校のクラスメートといっしょに結婚式に参列した。若く美しく花嫁だった。すぐに子供に恵まれたが、実家の家族や夫の協力を得て、大学院へ進んだ。

 彼女の出世作『姉の力--樋口一葉』を読んだとき、半分は内容のすばらしさにうたれ、半分は「私もこういう本を書きたかったのに」という思いにうちのめされていた。

 ライバルが遙か先へ進んでゆくのを横目で見ながら、私は二人の子を抱え孤軍奮闘した。日本語教師をしながら、大学、大学院に通い、家事育児は一人で全部やった。
 年中「父さんは倒産しそう」と言っている夫が自営する会社は、仕事をすればするほど借金が増えていくのみ。
 日本語教師の仕事の合間、土曜日曜、夏休み冬休みには夫の仕事を手伝って走り回った。

 そんな毎日の中でクラスメートの初出版成功を知っても、ハガキ一枚、祝う余裕もなかった。
 『姉の力』が出版されたとき、私はようよう修士号を得たものの、子連れであることや年齢が高いことから、就職先などはなかった。
 修士論文執筆に専念するため日本語学校教師の仕事をやめたあと、再就職のあては何もなかった。紀要に発表した論文は高い評価を受け、「国語学界展望」に名前が載ったが、それだけだった。

 「単身赴任が条件の仕事ならあるけど」と言われたが、すぐには決心できなかった。夫からは「子供を残して行くなら、僕は世話できないから、児童施設に放り込むよ」と言われたからだ。実家にすがるしかなかった。
 「一度でいいから、転校ってしてみたい」と無邪気に「転校生」生活にあこがれる娘に「ねぇ、転校するチャンスがあるんだけど」と、おそるおそる切り出すところからスタートし、中国での単身赴任へと出発した。

 「スター小間物店の娘」に年賀状を書いたのは、それからさらに3年もたってからである。彼女の新著『語る女たちの時代』が、またまたすばらしい著作であったことに感激してのハガキだった。
 才能ある人をうらやんでいる才無き人に対して「うらやんでいないで、自分も追いつけるよう努力したらいいじゃない」という人もいる。努力で追いつけたら、うらやんでいない。

 一流の人は、どのような環境であっても、何ごとか成し遂げる人、例をあげるなら樋口一葉。貧困と病苦の中で、あれほどの小説、日記を書き残した。
 努力家だなあ、一生懸命がんばっているなあと、人が感心する人は一流半。田邊花圃は、一葉死後の思い出話を書くときさえ、一葉をライバル視した文を書いたが、ついにライバルには及ばなかった。

 どんなに努力しても、自分の才は足りないと自覚できる人は三流。努力すればいつか自分も一流になれると無邪気に信じられる人は、五流にもなれない。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.30
(ひ)樋口一葉『一葉日記』
 一葉日記の中に、萩の舎歌会の記述がある。歌の互選で一席を獲得したなつ子(のちの一葉)に、田邊龍子(花圃)が「ああ、にくらしい、新入りに一番をとられた」と悔しがった、というエピソードが書かれているのだ。

 田邊花圃は、萩の舎の姉弟子。一葉の小説が今も愛読されているのに比べて、現在、彼女の小説『藪の鶯』を読む人は、明治女性史女性文学研究をする人だけかもしれない。花圃の文学史上の価値は「花圃の小説の成功が一葉を刺激し、一葉に作家を志すきっかけを与えた」としてであろう。
 草場の蔭から、萩の舎の歌会のときのように「ああ、にくらしい、後輩に五千円札の顔をとられた」と、言っているかどうかわからないが。

 努力だけでもなし、運だけでもない。しかも、才能を神が采配してくれたかどうかは、墓に入った後50年もしないとはっきりとはわからない。死後50年、著作権も切れた後で、その人の作品に価値があるかどうか、後の世の人が決めるだろう。
 一葉忌ねたみ隠さぬ友とゐて  春庭

 五流にもなれない私の人生だが、吾流として生きていくことにしよう。

 あのね、ここのところは、ごりゅうとゴリュウというのが、その、、、せめて座布団一枚ください。アレレッ、それは最後の一枚、取り上げるなんてひどい、、、


<つづく>
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ぽかぽか春庭「初恋の人の本」

2014-12-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141211
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(16)初恋の人の本

初恋の人の本
at 2003 10/22 09:07 編集
 10/21の項に書いたように、父は南の島の生活をおとぎ話のように語って聞かせた。しかし、戦争の苦しみについて子供に決して話さなかった。人間不信になるほど極限のつらい体験をした父。話すこと自体が苦しみでできなかったのだろう。

 五木寛之は、敗戦を外地でむかえた。ロシア兵に母を殺されたときのことを語れるようになったのは、つい最近だという。50年もの間、思い出そうとすると、苦しくてつらくて、振り返ることができなかった。

 高齢者の中に、戦時中の苦しみを抱えたままの方もいるかもしれない。そんな心の中にしまった思い出を、聞き取りすくい取り、つらい思い出も共有できればいいのだけれど。

 日本国内だけでなく、戦争の苦しみを味わったのは、アジアの多くの民も同じ。留学生から「私の家族に、日本兵に殺された人がいる」という話を聞くこともある。「私の町には、死んだ日本人兵士を町の人が埋葬した共同墓地がある。だれもお参りにこないけれど、町の人は、大切に墓を掃除している」という話を聞かせてくれた留学生もいる。

 日本兵として塗炭の苦しみを味わったことは同じなのに、戦争が終わってみれば、「外国籍」の人として、何の国家補償も受けられず、つらい戦後を過ごした人もいる。
 戦争は絶対にイヤ。アフガニスタンでも、イラクでも、よりいっそうつらい思いをしているのは一般庶民だという。

 コスタリカと共に「戦争放棄憲法」を世界中に広めたい。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.29
(は)浜崎紘一『俺は日本兵』
 1977年以前に読んだ本を思い出しながらの昔話、というコンセプトである「今日の一冊」だが、台湾国籍の元日本兵・簡茂松を描いた『俺は日本兵』は2000年発行。でも、例外として登場。浜崎さんは、私の初恋の人だからである。

 初恋と言っても、おきまりの片思い。
 高校を卒業して地方公務員として働いていた私は18歳。浜崎さんは28歳。新進の新聞記者だった。カッコよかった。あこがれた。

 彼にお茶をいれるときは、特別心をこめた。誕生日は松の内。おしんこに味の素をかけるのがきらい。住んでいるアパートは「太陽荘」そんな情報を知るだけで、うれしくてたまらない乙女でした。
 むろん、浜崎さんは、そんなお茶くみ事務員がそこにいることさえ気づかずに、さっそうと飛び回っていた。後に、ロシア語学科卒を生かしてモスクワ支局長、外信部長と進んでいった。

 その後、テレビ深夜ニュース「明日の朝刊」のキャスターをしている浜崎さんを見た。すてきなすてきなシルバーグレイの髭と髪。かっこよかった。あこがれた。安心した。

 初恋の人が年をとったら見る影もなくなっていた、という話をよく聞くけれど、私の初恋片思いの人、浜崎紘一さんは、現在、山梨にある大学でジャーナリズムを教えている、ロマンスグレイのダンディな教授です。
~~~~~~~~~~~

20141207
 浜崎紘一さん、山梨英和大学の教授職をリタイアされたのちも、マスメディア論などの授業を担当していらっしゃる。すでに後期高齢者に入っているけれど、ネットの写真で見る限りでは、ロマンスグレーから白銀のおぐしへの変化はあったけれど、相変わらずすてきです。よかった。

 人生の出会い、ほんとうに不思議です。浜崎さんは45年も昔に、ご自分が「初恋片思いの対象」にされていることなど全く知らず、現在こうして「片思いでも、初恋の相手が浜崎さんでよかった」と、思っている老女がこの世の片隅に生きていることも全く知らない。
 それでも、私にとっては浜崎さんとの出会いがなければ、人生ちがったものだったのかもしれないなあと、思うのです。

 女子校クラスメートと同じように、中学校教師として平穏な人生をおくり、今頃はまあまあな年金でそこそこの暮らしを続けていて、今のようにワーキングプア非常勤講師としてかつかつの生活をすることはなかったかもしれません。

 でも、娘が2歳の時、自宅近くの大学に「日本語学科ができた」と知ったとき、そこがあこがれの浜崎さんの出身校であったから、35歳にして「よし、大学再受験しよう」と、入学試験にチャレンジすることを決意しました。
 夫は、18歳の現役受験生と同じ試験を受けて合格するとは思っていなかったから、「受験したかったらすればいいし、入学したかったらすればいい」と言いましたので、ママさん学生になりました。

学科は違いましたが、浜崎さんの後輩になれて、うれしかったです。
 日本語学を教える教師になったのは、「入学したかったらすればいい」と言った夫とともに、浜崎さんのおかげかもしれません。

<つづく>
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