春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭2022年6月目次

2022-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220630
ぽかぽか春庭2022年6月目次

0602 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校梅雨間近(1)緑濃い日々
0604 2022教室だより梅雨まぢか(2)動詞の活用形分類
0605 2022日本語教室梅雨まぢか(3)タンゴのちまき
0607 2022教室だより梅雨まぢか(4)留学生の受験事情

0602 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(1)峠・舞台挨拶付き映画試写会
0604 2022シネマ風薫る(2)梅切らぬ馬鹿
0605 2022シネマ風薫る(3)老後の資金が足りません
0614 2022シネマ風薫る(4)トーベ
0616 2022シネマ風薫る(7)マイスモールランド
0618 2022シネマ風薫る(6)ちょっと今から仕事やめてくる
0619 2022シネマ風薫る(7)ピーターラビット

0621 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩雨に唄えば(1)ピーターラビット出版120周年記念展 in 世田谷美術館
0623 2022アート散歩雨に唄えば(2)スコットランド美術館展 in 東京都美術館
0625 2022アート散歩雨にうたえば(3)ル・コルビジェ油絵展 in 西洋美術館
0626 2022アート散歩(4)吉阪隆正展 in 東京現代美術館

0628 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記(1)エヂ、デ・ラランデ夫人から東郷茂徳夫人へ
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ぽかぽか春庭「ゴシップ好きの建築史ーエヂ、デ・ラランデ夫人から東郷茂徳夫人へ」

2022-06-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220625
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記(1)エヂ、デ・ラランデ夫人から東郷茂徳夫人へ

 私は建築を見て歩くのが好きですが、建築史の専門家でもなし、建物にまつわるゴシップを聞きかじると、より興味深く建物を見ていられる、という素人です。
 たとえば、江戸東京たてもの園の「高橋是清邸」の2階にあがれば、「まさに、2・26の舞台。ここで高橋は青年将校らに襲われ、命を落としたのだ」と思って見ると、なんだか血の匂いまで感じられる気がするのです。

 そんなこんなで仕入れたゴシップが、絵画や建物を見る話のタネになります。
 長谷川博己の父、建築史家長谷川堯は、大学時代の卒業論文でル・コルビュジエについて書いたといいます。また大学教授になってからも講義で、ル・コルビュジエを取り上げることがありました。

 検索すれば、建築史家長谷川堯についても、建築家デ・ラランデについても、デラランデ邸洋館を戦後購入して自邸にしたカルピス創業者三島海雲についても、くわしく載っています。

 夜の「寝付くまで読書」のひとつとして「建築探偵の冒険 (by藤森照信) 」を読み返しています。
 今は江戸東京たてもの園に移築され、レストランが入っている「デ・ラランデ邸」が、まだ信濃町に建っていたころ、最後の住人だった三島琴(カルピス創業者三島海雲夫人)に突撃インタビューを敢行した話が載っています。
 藤森はこの印象的な洋館が戦後カルピス創業者の自邸になっていたことを知らずにただ「古い洋館探検」として訪問したのです。三島夫人は、亡き夫が開発した乳酸飲料パンピーを、突然訪問してきた藤森にふるまったそうです。
 藤森がデ・ラランデの名をどうやって知ったかというと、長谷川堯(はせがわたかし)に聞いたのだ、と藤森は書いています。

 デ・ラランデ夫人エディータ(1887-1967 通称エディ。日本の表記はエヂ旧姓ピチュケ )は、建築家の夫に従って日本で暮らしましたが、夫の死後ドイツに子供とともに戻りました。ベルリンの在独日本大使館で働くうち、外交官(後の外務大臣)東郷茂徳と恋仲となり、1男4女をドイツに残して再び日本へ。再婚したのち、一人娘いせ(1923-1997) を出産。いせが外交官文彦を婿にとり、生まれた双子兄弟のひとりが、新聞記者の東郷茂彦。もうひとりの和彦は、父と祖父の後をついで外交官に。

 東郷重徳をはさんで、左側いせ、右側エヂ


 東郷家の祖先は、秀吉によって朝鮮半島から日本に連れてこられて薩摩で陶工として代を重ねた一族で、武家身分を与えられました。旧姓「朴」から日本名東郷に改正しましたが、東郷平八郎とは関係なし。

 と、まあ、建築史というより、やはりゴシップ記事が好きな春庭。エヂの生涯がドラマになったら見たいです。東郷茂徳の生涯は「命なりけり」というエヂの娘いせが書き残した本によってドラマにもなっていますが。
 エヂの生涯もなかなかドラマチックですから、2時間ドラマくらいになるかも。配役希望。デ・ラランデ=村雨辰則。

 江戸東京たてもの園のデラランデ邸には、娘と行ったり留学生と一緒に校外学習したり、一人で散歩したり、何度も訪れています。
 デラランデ邸についての春庭コラムの中で、邸宅の名前について書いたものがありましたのでリンク貼っておきます。自分以外の人が読んでも面白くともなんともないかもしれないけれど。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「吉阪隆正展 in 東京現代美術館」

2022-06-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220625
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩(4)吉阪隆正展 in 東京現代美術館

 ミーハー春庭は、アートのなかでも建築や工芸方面のアンテナが弱いです。
 3月から開催されていた「吉阪隆正展」も、会場が現代美術館であったし、建築への感受性が弱かったために、「目には入れど見ておらず」の状態でした。
 
 会期:2022年3月19日(土)-6月19日(日)

 「こりゃ、見ておかなくちゃ」と思ったのは、私の好きな芸能人ゴシップニュース欄を見てのこと。
 鈴木京香が「都内一等地に建つ有名建築家の歴史的遺産と呼ばれる邸宅を購入した」という話題が、ネットニュース欄に出ました。

 鈴木京香談話「ヴィラ・クゥクゥをご縁あって引き取らせていただき、竣工当時の姿にできるだけ戻すよう、修復工事を進めている最中です」        2021年5月に入手した「ヴィラ・クゥクゥ」と呼ばれる旧近藤等邸は、一時は解体の可能性さえあったそうです。
 鈴木京香が購入保全に協力することにより取り壊しを免れ、建築当初の姿で現在地(渋谷区西原)の60坪の土地に存続するということです。

 ヴィラ・クゥクゥは、吉阪隆正(1917-1980)が設計し1957年に建てられた個人住宅です。
吉阪は、西洋美術館が世界遺産になったことで知られるスイス出身の建築家ル・コルビュジエの弟子で、近代建築(モダニズム)を日本に広めた建築家のひとりです。
 クゥクゥというのは、フランス語の郭公のことで、近藤夫人の呼び名であったそう。近藤等(1921-2015)は、フランス文学者、登山家、早稲田大学名誉教授。登山家としても活躍した吉阪隆正とは、山仲間であったことからの設計依頼でしょう。 

 鈴木京香が現代美術館の吉阪隆正展を観覧した、というニュースも写真とともにネットに出ていました。
 鈴木京香の「お目が高い」のもあったでしょうが、ヴィラ・クゥクゥの購入を決めたのは、事実婚のパートナー長谷川博己の希望でもあったと思います。私は、芸能人のくっついた切れたのゴシップが好きなので、二人が事実婚としてパートナーであることは知っていましたが、長谷川博己の父が著名な建築評論家であったこと、ヴィラ・クゥクゥの話題が出るまで知りませんでした。「まんぷく」とか「デート」とか、長谷川博己出演のドラマけっこう見てきたのに。

 長谷川堯は、大学時代の卒業論文でル・コルビュジエについて書いたといいます。また大学教授になってからも講義で、ル・コルビュジエを取り上げることがありました。ル・コルビジェが弟子吉阪隆正にどのような影響をあたえたかについても、きっと論文が執筆されていることと思います。

 吉阪隆正展 会期3月19日-6月19日『ひげから地球へ、パノラみる』

 現代美術館の口上
 吉阪隆正は戦後復興期から1980年まで活躍した建築家です。「考現学」の創始者として知られる今和次郎や近代建築の巨匠ル・コルビュジエに師事し、人工土地※の上に住む住宅《吉阪自邸》、文部大臣芸術選奨(美術)を受賞した《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館》、日本建築学会賞を受賞した《アテネ・フランセ》、東京都選定歴史的建造物に指定された《大学セミナー・ハウス 本館》などを手掛け、コンクリートによる彫塑的な造形を持った独特の建築で知られています。
 “建築というものは、世界で相互理解するための一つの手がかりではないだろうか”―吉阪隆正の講演より
 一方で、建築だけにはおさまらない領域横断的な活動に取り組み、地球を駆け巡ったその行動力から、建築界随一のコスモポリタンと評されてきました。本展サブタイトル「ひげから地球へ、パノラみる」は、吉阪による造語を組み合わせたものであり、地域や時代を超えて見渡すことなどを意味する“パノラみる”と、自身の表象であり等身大のスケールとしての“ひげ”、そして個から地球規模への活動の広がり、という意味を込めました。本展は吉阪隆正の活動の全体像にふれる公立美術館では初の展覧会となります。
 吉阪の建築は、戦後の焼け跡に自らの住まいとして建てたバラック住宅から始まりました。以降、個人住宅や学校・市役所といった公共建築、極地での生活を考えた山岳建築、地域計画にまで発展。そのスケールを等身大から地球規模へ拡大していきました。これらの建築の仕事は一人で行っていたわけではありません。設計アトリエであるU研究室(’63年に吉阪研究室から改称)を創設し、「不連続統一体(DISCONTINUOUS UNITY)」の考え方に集まった所員や、教鞭を執った大学院の学生らと共にディスカッションをしながら集団で建築を作り上げていきました。本展では30の建築とプロジェクトを紹介し、建築によって吉阪が目指したものとは何か、社会へのメッセージを紐解きます。その中でも地域計画のプロジェクト展示は初めてとなります。  

 吉阪隆正作品で私が知っていた建物は、日仏会館と八王子に建つ「大学セミナーハウス」だけでしたが、今回吉阪の幅広い活動を俯瞰することができました。
 展示の一点を接写することは禁止ですが、展示の部屋全体を撮影することはフラッシュ禁止のほかは自由でした。
 私の予想では、建築作品の図面などが多いのかと思っていましたが、思った以上に多彩な展示でした。

 吉阪隆正 略年譜
 1917年東京生まれ。’33年ジュネーヴ・エコール・アンテルナショナル卒業。’41年早稲田大学建築学科卒業。今和次郎に師事し、農村や民家の調査に参加。「生活学」や「住居学」の研究を行う。’50年に戦後第1回フランス政府給付留学生として渡仏し、ル・コルビュジエのアトリエに2年間勤務。設計実務に携わり、ドミノシステムの実践やモデュロールの理論など、モダニズム建築の流儀を現場で学ぶ。
 ’54年早稲田大学助教授、’59年に教授となる。’54年には設計アトリエである吉阪研究室(後にU研究室に改称)を設立し、本格的な建築設計を開始する。《吉阪自邸》(1955)、《浦邸》(1956)、《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館》(1956)、《江津市庁舎》(1962)、《アテネ・フランセ》(1962)、《大学セミナー・ハウス》(1965-)などが代表作となる。世界各国の大学や会議に招聘されるなど国際的に活躍する一方、’70年には《21世紀の日本列島像》で内閣府総合賞を受賞するなど、新しい社会や環境、未来へ向けた集住とすがたを提言した。
 「住居学汎論」「ある住居」「生活とかたち―有形学」など多数の著作があり、師であるコルビュジエの著作も数多く翻訳、日本での普及に努めた。山岳建築や地域計画を手がけ、「人間―環境」の往還を強く意識し、環境や地形、気候に抗わない設計を行なうなど、ポストモダニズムを超越した建築思想に回帰した。
 ’60年フランス学術文化勲章受章。日本建築学会会長、日本生活学会会長、日本山岳会理事、日本雪氷学会理事などを歴任。冒険家・アルピニストとしては’57年早稲田大学赤道アフリカ横断遠征隊を指揮し、キリマンジャロ登頂では女性隊員の登坂の歴史を開く。’60年早大アラスカ・マッキンレー遠征隊では隊長を務め、ヒマラヤK2遠征隊も組織した。

 吉阪は召集令状を受け、応召。兵役の合間に、日記帳に自身の「生涯の仕事への決意」を書き留めています。展示を文字に起こしたものなので、改行が異なっています。


 写真版のノートから、春庭筆写。間違っているところあったらご容赦。
一生かかってやりたい仕事、否、一生で足りなければ子に受け継いでもやりたい仕事、それは何か。
 世界中の人間がお互いに相手の異なった立場を理解し合へる様な状態に結びつけることである。
 その時ほんとの平和が到り、人類は幸福に天極を地上に招くことが出来る。
 その手段は頭のうちに地球の縮図を懐き得、且つ各地点の中心にそこの世界に自分を見出し得るような精神状態にあらしめることである。
 自分前後左右の世界ほど親しいものはない。
別離の哀情けもそれに基づく。しからば世界中のどこをも自分の前後左右に感じ得られるとしたら、世界中は自分としたしいものである。
親しいとはいはずとして理解することである。
 理解するところに争が生じ得られようか。」
 
 招集された若い兵士が、夜のつかの間の自由時間に書き留めたであろう「一生かかってやりたい仕事」の、なんと清冽で凛とした決意表明であろうか。あしたは戦地で死ぬかもしれぬ身の、真実の叫び。
 この従軍中の手帳に書き留めたことばを、吉阪はやり切ったと感じます。
 実に多彩な仕事を成し遂げました。

 吉阪はメビウスの輪に思いを寄せていました。メビウスの輪は、表も裏もなく、表がいつのまにか裏になり、裏が表になる不思議な輪っかです。上も下もない。吉阪が「世界中のどこをも自分の前後左右に感じ得られる」と書いている世界の形のひとつかもしれません。


 吉阪邸の模型と、吉阪の写真、吉阪邸玄関に飾られていた虎(?)
 吉阪邸入り口の虎とともに。

 ポスターの建物は八王子の大学セミナー。


 こののち、ヴィラクゥークゥーが鈴木長谷川邸として、長く受け継がれていきますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ル・コルビジェ油絵展 in 西洋美術館」

2022-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220625
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩雨にうたえば(3)ル・コルビジェ油絵展 in 西洋美術館

 西洋美術館が世界遺産に認定されたあと、長い期間、閉館改修となりクローズしていましたが、ようやく2022年4月にリオープン。
 前庭は、1959年の開館当初のころの構成に戻した、ということです。

 私が最初に西洋美術館に入館したのは中学生のころ(1964年だったかな、忘れた)オープンしてからあまりたっていないころのことでした。姉と二人だけで行った東京。初めて西洋絵画の本物を見たのです。美術教科書で見ていたクールベの「波」などが、どど~んと目の前にあったのですから。(特別展はモロー展だったので、調べると会期は1964(昭和39)年11月26日- 1965(昭和40)年1月31日の中のどこかででかけたはず)

 再オープンの西洋美術館


 春休みも5月連休中も「混むのでは」と密を心配していくことができず、ようやく5月25日に出かけました。
 西洋美術館の常設展は、65歳以上の人はいつでも無料です。私は、東京国立博物館や東京都美術館の帰り際に、閉館時間までの時間が少しでもあれば、上野駅に向かう途中、西洋美術館の常設展にたち寄り、好きな絵を1点だけでも見て帰ることにしてきました。なにせ無料ですから、1点を10分間でも見ることができれば幸せ気分で帰れます。

 5月25日は、東京都美術館を見たあとの立ち寄りでした。午後3時に入館して5時の閉館まで観覧。
 通常はほとんど観覧者おらず、モネの部屋など独り占めで睡蓮などを見ることができた常設展会場だったのですが、再オープン後の5月25日水曜日、改修前よりは観覧者数が多かったです。

 今回は再オープン記念の企画展、西洋美術館を設計したル・コルビジェの絵画が特別展示されています。 
[新館1階 第1展示室]
調和にむかって:ル・コルビュジエ芸術の第二次マシン・エイジ ― 大成建設コレクションより


 西洋美術館の口上
 本展はスイスに生まれフランスで活躍した建築家にして画家、ル・コルビュジエ(1887-1965)の晩年の絵画と素描をご紹介します。それらは、彼の初期とは全く異なる新たな環境から生まれた新しい芸術でした。第二次世界大戦による荒廃やその後も続いた冷戦による脅威から、機械万能主義を謳った戦前の彼の芸術傾向、いわゆる第一次マシン・エイジ(機械時代)は再検証を迫られ、ル・コルビュジエはモダニストとしての信条を貫きながらも、人間の感情や精神的必要性に寄り添いながら社会の要求に答えていかねばならないと考えるようになりました。以前は単に幾何学的な動物とみなされた人間の生活に、詩的感興を吹き込まんとしたのです。彼が国立西洋美術館の本館(1959年開館)を設計したのは、まさにそうした知的環境においてであり、彼はこの建物を通じて新たな時代にふさわしい新たな理想を表現しようとしました。
 そうした考え方に基づき、ル・コルビュジエの絵画も初期のピュリスム様式から大きく異なる方向へ展開します。1930年代半ばより、彼は骨や貝殻、そして人体など、自然界の形象と厳格な幾何学的構図の融合を目指し、開いた手や複数の顔を持つ牡牛などのモチーフがちりばめられ構成される独自の象徴世界を構築しました。それは第二次マシン・エイジ(機械時代)と呼びうるもので、人間と機械、感情と合理性、そして芸術と科学の調和を目指したのです。とりわけ開いた手は、与える/受け取るという相互関係を象徴するもので、この時代の彼の制作のエンブレムとなりました。
 本展示は、世界有数のル・コルビュジエのコレクションを所蔵する大成建設株式会社からの寄託作品を中心に、《牡牛XVIII》のような大作と、制作の過程を示す約10点の素描による合計約20点(展示替含め約30点)から構成されます。この芸術家の円熟期の絵画制作の展開を辿ることができる、貴重な機会となるでしょう。なお素描作品は会期半ば(6/27)で展示替えをします。本展はロバート・ヴォイチュツケ(国立西洋美術館リサーチ・フェロー)が企画しました。

 撮影禁止マークのある絵もありましたが、ほとんどは撮影OKの太っ腹。作品所蔵者の大成建設えらいぞ。(大成建設株式会社所蔵 国立西洋美術館寄託) 

[新館1階 第1展示室]


奇妙な鳥と牡牛 1957年 タピスリー


《イコン》1963年 彩色/木・スチール
 静物 1953年 油彩/カンヴァス
 

ふたりの浴女と漁網 1936

2人の浴女と平底漁船 1936

レア 1931
座るふたりの女 1933-1947

女性のアコーディオン弾きとオリンピック走者 1932
 長椅子 1934



 建築家として偉大であることは承知していたル・コルビジェでしたが、絵もなかなか見事なできでした。素人の印象としては、ピカソとミロとレジェを足して割ったような。

 油絵を描いていたのは晩年になってからだ、ということでしたが、モダニズム建築を集大成し、弟子たちもそれぞれ著名な建築家として育ったあと、悠々な日々を過ごしていたのだろうなあと思います。

 ル・コルビジェが日本の残した3人の弟子。前川國男、坂倉準三と吉阪隆正はパリのル・コルビュジエから送られてきた設計図面12枚をもとに建築を担当して西洋美術館が完成しました。

 私は前川と板倉の名だけ記憶にとどめていて吉阪隆正をあまり知りませんでした。そこで、現代美術館の吉阪へ行くことにしました。

 再オープンした西洋美術館の前庭で。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「スコットランド美術館展 in 東京都美術館」

2022-06-23 00:00:01 | エッセイ、コラム



20220623
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩雨に唄えば(2)スコットランド美術館展 in 東京都美術館

 5月27日、東京都美術館でスコットランド国立美術館展を観覧。
 予約が必要と書かれていたのですが、平日なら予約外の受付もあるとふんで、午前中の内科検診が終わってから上野にでかけました。

 予約なしですぐに入れました。展示室もひとつの絵をひとりで見ていられる程度の混み具合で、ちょうどよかったです。
 
東京都美術館の口上
 スコットランド国立美術館は、上質で幅広い、世界でも指折りの西洋絵画コレクションを有する美の殿堂です。そんなスコットランドが誇る至宝の中から、ラファエロ、エル・グレコ、ベラスケス、レンブラント、レノルズ、ルノワール、モネ、ゴーガンなど、ルネサンス期から19世紀後半までの西洋絵画史を彩る巨匠たちの作品を展示します。さらに、同館を特徴づけるイングランドやスコットランド絵画の珠玉の名品も多数出品。それらを西洋美術の流れの中でご紹介します。 
 
 第1章はルネッサンス、第2章はバロック絵画 。オランダのルーベンス、スペインのベラスケスなど。

 10代のベラスケスが描いた「卵を煮る老婆」1618

 金属の食器や陶器の皿などの質感の描写が、10代とは思えない確かな技術で描かれていて舌を巻きます。この絵は、生まれ育ったセビリアの町で、11歳で絵の師匠に弟子入りし、18歳で実力が認められて独立した直後の絵だ、ということなので、ほんとうに天才だと思います。独立後は師匠の娘と結婚して一家を構えているので、順調な絵描き業の出発だったことでしょう。
 
 スペイン絵画のジャンルでは台所の食材や道具、台所で働く人々などを描いた絵を「厨房画=ボデゴン」という範疇にいれるのだ、ということは知っていました。厨房絵画はスペインの人気画題です。
 しかし、食器や卵の質感に比べて、料理をしている老婆の表情も、それを覗いている少年の表情も、「おいしい食べ物が目の前に」という時のウキウキしてくるような顔には見えないのです。苦渋に満ちているのかとさえ見えます。
卵料理は、オリーブ油を卵にかけながら形を整える「揚げ卵」だ、ということですが、おそらく老婆も少年もこれを食す「ご主人様」のご機嫌しだいで、うまくいけば褒美をもらい、へたすりゃお屋敷から放り出される、そんな表情に思えるのです。仕えている貴族やお金持ちのために、自分たちには手の届かない食卓への労働を行っているのかもしれません。
 ベラスケスの表情の捉え方、私にはそんなふうに見えました。

 レンブラント・ファン・レイン「ベッドの中の女性」

 レンブラントは、妻サスキアを早くに結核で失いました。裕福な妻サスキアは浪費家のレンブラントを案じ、やっと授かった息子に財産を残すため、「レンブラントが再婚した場合、サスキアの財産は全部息子のものに」という遺言を残します。

 レンブラントは、家政婦に手をつけ、子も産ませましたが、婚約不履行で裁判になったりします。サスキアの遺言があるので、再婚はできないのです。この「ベッドの中の女」は、レンブラントと愛人関係になったふたりの女性のうち、へンドリッキがモデル説とヘールチェがモデルだ、という説が出ています。たぶん、このふたりはよく似ていて、サスキアに似た女性だったのでは、と想像されます。
 「ベッドの中の女性」の表情には、ベッドの脇にいると思われる男性への愛情も、この先の人生への不安も両方が感じられるように思います。

 1歳の息子を残して亡くなったサスキア。さぞかし心残りだったでしょうし、夫の浪費癖を知っているので「再婚したら妻の遺産を使えない」というシバリを残したのも当然かもしれません。
 レンブラントは、サスキアの残した息子にも、20歳年下の愛人ヘンドリッキエにも先立たれました。
 最晩年のレンブラント自画像は、63歳で亡くなったとは思えないような老残無比の表情をしています。さびしい老後だったのかなあ。画家としては成功をおさめた人ですが、大成功の幸福な人生とまではいかなかったのかも。

 「19世紀の開拓者たち」の章
 英国のコレクターたちが美術品の購入や文化的教養を深めるために大規模なヨーロッパ旅行をした「グランド・ツアーの時代」では、フランソワ・ブーシェの晩年の作である《田園の情景》やジョシュア・レノルズ《ウォルドグレイヴ家の貴婦人たち》など。

ジョシュア・レノルズ 《ウォルドグレイヴ家の貴婦人たち》 1780年
 
 
 ジョン・エヴァレット・ミレイ「籠を持つ少女」



 フランシス・グラント《アン・エミリー・ソフィア・グラント(“デイジー”・グラント)、


ブーシェ「田園の情景三部作」

 
 クロード・モネ「エプト川沿いのポプラ並木」


ポール・ゴーガン 「三人のタヒチ人」  1899年

 ゴーギャンの「三人のタヒチ人」は、ゴーギャン展のときに見た気がしますが、展示終了前「エピローグ」では、フレデリック・エドウィン・チャーチ「アメリカ側から見たナイアガラの滝」という大作、はじめて見ました。やたらにデカい。

 会場外にこのチャーチの「ナイアガラ」実物大写真パネルがあり、撮影コーナーになっていました。

 本物の作品にうっかり近づこうものなら係員がすっ飛んできて「この線から入らないでください」と「世紀の大犯罪を見つけた」というような押し殺した声で観覧者を叱るのですが、写真パネルなら近づける。おかげで、本物を見ていても気づかないことがわかりました。
 このデカいナイアガラの左上に、ナイアガラ見物者が描かれているのです。もとの本物を見ていてまったく気づきませんでした。画面上の左はし。、

 さらに、右下には滝によって生じる虹も描かれています。本物をぼうっと遠くから見ているぶんには気づきませんでした。

 絵画の見方はひとそれぞれですから、描かれているものに目がいきどどかなくても、人それぞれに楽しめばいいのですけれど、あらま、私の見方は雑だなあと感じました。

 ナイアガラの実物大パネルといっしょに。

 シルバー券1400円支払ったので、図録は買わず。ガイド音声も借りず。でも、半日楽しく過ごすことができました。
 東京都美術館を出てから西洋美術館へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「出版120周年ピーターラビット展 in 世田谷美術館」

2022-06-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220621
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩雨に唄えば(1)ピーターラビット出版120周年記念展 in 世田谷美術館

 6月4日、娘と世田谷美術館で「出版120周年ピーターラビット展」を観覧しました。
 割引チケットも手に入らず、一般1600円シルバー1300円の入場料、合計2900円がちと高いと感じてぐずぐずしているうちに会期が終わりそうになってしまい、あわてて出かけました。

 会期:2022.03.26 - 06.19

 土曜日午後だったため、入場した時は混んでいました。世田谷美術館の常設展を見て時間をつぶし、4時過ぎにもう一度会場に入ったときはかなりすいてきていて、6時の閉館近くまでゆっくり見て回ることができ、会場内のフォトスポットでも、すいすいと写真がとれました。
 展示品は撮影不可ですが、5か所のフォトスポットで、フィギュアやパネルといっしょに写真が撮れます。

 フォトスポット:大きな木の下の穴がピーターたちの家。ママに青い上着を着せてもらうピーター。


 美術館の口上
 今も世界中で愛され続けるいたずら好きなうさぎ、ピーターラビッ。英国の作家ビアトリクス・ポター、病気で寝込んだ幼い男の子のためペットのうさぎをモデルとして描いた絵手紙に始まる物語は、1902年の初出版以来多くの人々にゆかいな夢を与えてきました。本展では、『ピーターラビットのおはなし』誕生の背景や物語の世界を、英国外初公開を含むオリジナル原画などにより紹介し、愛らしいうさぎの120回めのお誕生日をお祝いします。

1)ピーターラビット誕生まで
 『ピーターラビットのおはなし』は、1893年、ビアトリクス・ポターが病床の元家庭教師の息子、ノエル・ムーアを元気づけるために送った絵手紙が原点となっています。貴重な絵手紙の直筆オリジナルを日本で初公開します。

 ビアトリクス・ポター(1866-1943 )は、当時のイギリス上層中流家庭の子女として、学校教育は受けず、家の中で家庭教師(ガバネス)に教育を受けました。弟以外の子供と遊ぶことを許されていなかったビアトリクスは、家のなかでペットを飼い、そのスケッチをすることが、なによりの楽しみ。のちの絵本作家ポターを形成したさいしょの出来事起こると言えます。特にうさぎは、最初のペットベンジャミンと次にピーターと名付けたうさぎをかわいがり、スケッチをしました。

 1899年(ビアトリクス)のスケッチ「横たわるウサギ習作」


 ビアトリクスは、うさぎの絵を描いたカードを出版し、自活をめざしました。当時のイギリス社会では、中流上位のビアトリクスの階級や、貴族階級の娘は、結婚以外に人生の選択肢はありませんでした。しかし、ビアトリクスは、祖父の代に繊維業で財産をきずいた一家のもとで抑圧される女性の人生から抜け出したいと考えていました。
 
 元家庭教師(旧姓カーター)のむすこノエル・ムーアが病気になったとき、お見舞いとして絵つきの物語を送りました。その原画が展示されていたのは貴重なことでした。


1902年の最初の出版
 映画『ミス・ポター』では、ビアトリクスがノエルに送った絵手紙をもとにして絵本を完成し、売り込みにでかけます。いけどもいけども男性社会の出版界に相手にされないところが描かれていました。
 ようやく出版を引き受けたのはフレデリック・ウォーン社 。兄弟が経営する出版を手伝いたいと熱望していた末弟ノーマンに「どうせ成功しっこない仕事」を与えるための出版でした。
 ノーマンとビアトリクスは意気投合し、出版も大成功。「出版社社員程度の男ではポター家の家格が合わない」と反対する両親をおしきってビアトリクス39歳でノーマンと婚約しました。が、その直後ノーマンは病に倒れビアトリクスとの結婚はかないませんでした。

 初版の「ピーターラビットのおはなし」


 ビアトリクスは湖水地方の自然と動物を保護するためにピーターラビット出版やグッズ販売で得た財産を寄贈。土地購入の手助けをした弁護士と47歳のとき結婚。

 『ピーターラビットのおはなし』の彩色原画一枚一枚をゆっくり見て回ることができました。なかには、原画が破棄されて残されていないものもあったとのことですが、フレデリックウォーン社が保存していたコピーにより復元された絵もあります。

 挿絵のひとつ。ピーターがマクレガーさんの垣根から逃げ出すところ


 撮影OKのフィギュア


 
 撮影スポットの人参をほおばるピーターのフィギュア


 出版120周年を祝うバースデーケーキ


 撮影スポットで娘と交代でシャッターを押し、ピーターといっしょの写真がたくさん撮れました。

 展示室入口のマクレガーさんから逃げるピーターと私

 人参ほおばるピーターと私

 バースデーケーキと私
出入り口ポスターと私


 エントランス展示のヒルトップの家と私

 
 ビアトリクスが住んでいた家のひとつについて。
 湖水地方ヒルトップのポターの家。


 湖水地方でビクトリアが住んでいた家が、東松山市のこども動物園の中に復元されています。「ビクトリアポター資料館」として、ポターの資料を展示しています。

 私はこども動物園近くの大学キャンパスで教えていたころに、このポター資料館を何度か拝観しました。大学職員証を見せると無料になったので。

ヒルトップハウス復元の資料館

 東松山こども動物園でコアラを見るついでに、ピーターラビットゆかりのヒルトップの家復元の資料館へも、ぜひどうぞ。

 世田谷美術館のグッズ売り場には、ピーターゆかりのさまざまな製品が並んでいました。キャラクターを製品化して売り出すことを考え出したのも、ビアドリス・ポターが世界で最初に思いついたこと。粗悪なうさぎのぬいぐるみが「ピーター」としてハロッズで売られていたのを怒り、自分でぬいぐるみを作ってライセンス登録したのです。皿やマグカップ、トートバッグなどグッズの利益は、湖沼地帯の自然保護や動物愛護に使われるそうです。

 私はいつものように絵ハガキ3枚の購入ですが、娘はこれまたいつものように図録やらさまざまなグッズやら買い込んでいました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ピーターラビット」

2022-06-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220618
ぽかぽか春庭シネマパラダンス>2022シネマ風薫る(7)ピーターラビット
 
 『ビーターラビット2』の2021年公開に合わせて、2018年の『ピーターラビット』がテレビ放映されました。放映直後に娘といっしょに楽しみましたが、6月5日にひとりで見返しました。
 6月4日娘と「ピーターラビット出版120年展」を観覧し、映画の予告編を会場出口付近で見て、どうせデテールは忘れているから、もう一度見ても楽しめると思って見ました。楽しめた。

 映画はビアトリクス・ポターを「原案」とするけれど、ストーリーはオリジナル。冒頭のマクレガーさんとの畑の攻防を、絵本よりは激しくやりますが、マクレガーさんは、あっけなく心臓発作でなくなってしまいます。マクレガーさんは、冷凍霊柩車で去っていきます。

 会ったこともなかった大叔父から屋敷と畑を遺産として受け継いだのはトーマス・マクレガー。トーマスはハロッズに勤務し、お客への親切な対応に専念してきたのに、の飾り念願の副支店長昇進ができませんでした。トーマスは、無能な社長の甥っこがポストを得たことで壊れ、デパートであばれて首になります。
 当初はマクレガー大叔父の家と畑をすぐに売り飛ばそうと考えていましたが、隣に住むビアと出会い、しばらく滞在することにします。
 画家としてはまだまだだけれど、油絵の合間に気分転換にピーターたちの絵を書いている画家ビアとトーマスの恋模様と、トーマスとピーターたちとの畑の攻防が描かれます。トーマスの仲間は3姉妹トリプシー、モプシー、カトンテールと、従弟のベンジャミン。それぞれ個性的なキャラ設定になっています。アヒルのジマイマやかえる君、きつねのトッドなど、ピーターラビット絵本の登場動物もいっぱい。

 トーマスとの攻防はエスカレートしていき、電気柵ビリビリするわダイナマイトでピーターたちの巣穴の入口に立つ大樹をふっとばすわの大乱闘の末に大団円。



 映画ストーリーは、ポターが描いた湖水地方のほのぼの物語とはまったく別のお話になっているため、絵本の世界を期待したピーターファンには「ビアトリクス・ポターの世界をぶち壊し、原作を侮辱している。ポターは天国で怒っているだろう」という批判が巻き起こったのだそうです。
 私は映画は映画で楽しみました。2度目に見ても面白かったです。

 1943 年のポターの死去から75年もたっています。著作にかかわる権利は、ポターが設立にかかわったナショナルトラストや最初の出版社ウォーン社が所有しているのだと思いますが、原作と書いてなくて「ポター原案」とクレジットするだけにとどめているし、最初の出版1902から2022年で120年たっているのですから、あまり目くじらたてず、ピーターのキャラクターを利用したスピンオフの物語として映画は映画、絵本とは別物として楽しんだらいいと、思います。(ピーター愛が足りないと思われるだろうけれど)

 私は小さな版のピーターラビットシリーズを全作(古本屋で)買いましたし、ポターの伝記映画『ミス・ポター』も見たし、バレエ作品が映画になったのも見たし、けっこうディープなピーターファンだと思っていたのですが、『ピーターラビッド出版120周年』で絵本の原作を見ているファンの中には、絵本のことば一字一句そらんじていそうなファンもいて、私なんぞ通り一遍のファンにすぎないことがわかります。

 出版120周年展会場の出口に展示されていたバレエ物語になったときのピーター。少しすっきりしすぎているかも。映画のピーターは、ちょい悪のいたずらっこ顔してます。

 バレエダンサーのピーター


<づづく> 
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ぽかぽか春庭「ちょっと今から仕事やめてくる」

2022-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220616
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(6)ちょっと今から仕事やめてくる

 2017年公開の映画「ちょっと今から仕事やめてくる」
 北川恵海による小説をコミカライズしたコミックスは、70万部のヒット作というけれど、タイトルがいかにもラノベ風の軽いタッチだし、公開半年後とか1年後ぐらいにギンレイにかからないとみる機会がない。

 6月17日BSプレミアムの放映で見ました。なんの情報もなく見たので、おもしろかった。以下、ネタバレ含む紹介
監督: 成島出
脚本 -多和田久美、成島出
出演
・福士蒼汰:ヤマモト(電車のホームに落ちそうになった青山を捕まえ受け止め押しかけ友人になる) 
・工藤阿須加:青山隆(営業の成果は上がらずサービス残業の毎日。部長にパワハラを受け続け。電車に飛び込もうとしたブラック企業社員)
・黒木華:五十嵐美紀(青山の先輩社員。営業成績優秀だが、成績が落ちることへのストレスもある)
・吉田鋼太郎:山上守(小さな印刷会社の部長)
・森口瑤子:青山容子(青山隆母)
・ 池田成:青山晴彦(隆父。リストラされて山梨の実家に戻ったあと、隆とはあまり話していない)
・小池栄子:大場玲子(児童施設職員)

 小説発表時に、すでに1991年に過労自殺した電通社員の事件があり、2015年にも電通の入社2年目女性社員が自殺している。電通は「ブラック企業大賞」と揶揄される企業となりましたが、多くの企業で、その体質は現在まで変わりなし。ただ、それを隠ぺいする方法は巧妙化していると言えます。「社員のひとりやふたり自殺したところで、大企業の問題点は変わりなし」の日本社会です。

 映画「ちょっと今から仕儀とやめてくる」は、2017年公開の時「電通社員高橋まつり自死事件」など、現実のほうが先をいくブラック社会でした。
 青山隆の勤務する中小企業の壁に「有給なんていらない」と「部長訓示」を貼っていること、社員のだれも文句を言わない。「これって、労働基準法違反ですが」なんて言おうものなら、パワハラ部長は「いやならやめろ」と宣告するだろう。

 人間性まで否定されるパワハラを受け、「会社の屋上から飛び降りて死んでやる」と思い詰めていた青山隆が「同級生のヤマモト」と友達づきあいをするようになったことから、自分自身を見つめなおすことになる。

 ヤマモトは、すでに死んでいる幽霊なのかもしれない、と青山にも観客にも思わせるミスリードが、児童施設職員小池栄子が出てくると外出る問題を一気に謎解きが進みます。謎を全部ときほぐす、という怒涛の展開が、私にはちょっと唐突に思えたので、素人がストーリーについていけるよう、ちょこっと伏線ほしかった。

 隆が山上部長にパラハラを受けるシーン。部長がロッカーやスチール机を蹴飛ばしてガンガン音を立てたあと、青山がトイレの鏡に向かってゴミ箱を振り上げて鏡を割ろうとするシーンを入れる。青山の力では強化ガラスの鏡が割れない場面のすぐあとにヤマモトが葬儀場の鏡を割る場面をカットバック。ヤマモトにも鏡を割らずにいられなかったつらい出来事があったことを示唆しておく伏線。

 ヤマモトが霊園直行バスに乗ったあとをつける青山。バス窓ガラスに、ビルから飛び降りて青空に羽ばたいていくヤマモト双子の天使姿を映す。
 なんていうシーンが入っていたら、それほど「小池栄子が一気に謎解き」という気分ではなく「そうだよな、そんなこともあるかもって思ってたよ」という気分になれたのかも。

 青山がヤマモトの友情に救われたと同時に、ヤマモトも青山によって救われたのだ、と小池栄子は語る。
 人と人のコミュニケーションはいつも相互作用なのだ。

 ひとつ気になったこと。青山とヤマモトにとってパラダイスのような澄んだ空と青い海のバヌアツ共和国。南太平洋に浮かぶ楽園です。
 しかしながら、現在のような温暖化が進み海面上昇が続くなら、南太平洋の国土の大半は海の中に消えてしまう。もっとも深刻な影響を受けているツバルだけでなく、標高300メートルの火山を持つバヌアツだって、やがて海に沈む。太平洋の楽園、とのんびりしているだけでは国が亡ぶのだ。

 この先、ヤマモトと青山隆は、楽園のために何ができるだろうか。パワハラブラック企業の地獄を抜け出したからといって、安心できる世界はない、という映画の教え?
 希望をもってさえいれば、生きてさえいれば、というありがちラストは、わからんでもないが、バヌアツだって地獄になりうる。

 HAL通勤時、今週も先週も「人身事故発生により電車遅延」、ときには「電車完全ストップにつき、他路線との振替運送を実施」ということも起こる。バスを乗り継いで帰宅」という仕儀に相成ったとき「どうして毎週、人は電車に飛び込むのか。みんな電車に飛び込むほどつらいなら、飛び込む前に会社やめようよ」と思うのですが、そう簡単にいかないゆえの「毎週の人身事故」なんですよね。

 飛び込んで間一髪助けられた人の談話によると、別段重大決意を持って飛び込んだのではなく、鬱で頭朦朧としているとき、死ぬつもりなどなくても、ふらふらっと電車のほうによろめいて電車に吸い込まれてしまうのですって。
 そんなものなのか。

 みんな死ぬなよ。バヌアツまで出向かんでも、せめて常磐ハワイアンのフラダンス見物でもいいから、会社やめてちょっと人生変えてみよう。、、、、、無責任なことしか言えなくてすまぬ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「マイスモールランド」

2022-06-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220616
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(7)マイスモールランド

 国際共同制作、川和田恵真監督作品「マイスモールランド」が2022年・第72回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門に出品され、アムネスティ国際映画賞スペシャルメンションを贈られました。
 114分の映画ですが、映画公開に先立って 2022年3月24日(木)にNHKで100分版ドラマとして放映されました。
BS1 (前編)よる8時~8時50分 (後編)よる9時~9時49分

【出演】
嵐莉菜:チョーラク・サーリャ  クルド人難民申請を却下されたため、ビザを失った川口市の高校に通う少女。大学行きの資金を貯めるため父に内緒でコンビニアルバイトを続けているが、、、
奥平大兼:崎山聡太 母の兄が経営するコンビニで働く東京の高校生。同じコンビニで働くようになったサーりゃと親しくなるが、、、、 
アラシ・カーフィザデー:チョーラク・マズルム サーリャの父。難民申請が却下され、働けなくなったも家族のために働いていたため入管に収監されてしまう。
リリ・カーフィザデー:チョーラク‣アーリン サーリャの妹。育った日本に残って普通の高校生として生きたい。クルド語を話せるようになろうとはしていないが、クルドの信仰には父の教えに従っている。
・カーフィザデー:サーリャの弟。小学生だが、学校になじめない。
韓英恵:サーシャの弟の小学校担任。
サヘル・ローズ;埼玉県に暮らすクルド人社会のひとりとしてサーリャたちと助け合う 
平泉成:クルド人社会の問題にかかわる弁護士。誠実ではあるが、あまり力はない。
藤井隆:崎山聡太のおじ。コンビニ経営。
池脇千鶴:聡太の母。シングルマザーとして息子の将来を案じる。

 ある国が国際的に国家として認められるには、「国民・国土・統治する政治共同体 」の3つが必要とされています。クルド人は民族として固有の言語や文がを持つ5000万人ちかい人口の「領土を持たない世界最大の民族」です。民族は存在するけれど、住むための領土も統治する政府もありません。
 クルド人が生活していた領土。ある時期、かってに国境線が引かれ、クルド人はイランイラクトルコシリアに分断されました。

 以来、クルド人は民族統合と領土回復を求めて、ある人々は過激派として武力闘争を始め、ある人々は国家への反逆者とみなされて国を追われ、世界中に散らばっていきました。
 政治的理由で亡命せざるを得なかったと認めて難民として認定してくれる国もある中、日本はクルド人に対してほとんど難民申請を受け付けていないのです。さまざまな理由はあるのですが、命からがら身一つで逃げて日本に来たクルド人に対して「政治的な理由で亡命せざるを得なかったという公文書を出せ」と求めたのです。クルド人をテロリストとして迫害しているトルコなどの「親日政権」との関係を悪化させないため、という理由がある、と言われています。

 埼玉県には2000人ほどのクルド人コミュニティが 存在します。みな難民に認定される日を待っていますが、クルド人が難民認定された例はこれまでないに等しかった。
 映画の中の弁護士(平泉成)もなんとも無力で、手のうちようがないように見えます。

 埼玉県の高校に通うサーリャは懸命に勉強し、大学の推薦内定を受けるところまでがんばりました。しかし、父親が難民認定を却下され入管に収監されたことから、推薦内定も取り消されます。サーリャは入管の規定で埼玉から東京に来てはならず、就労もできないので、コンビニ店長は「不法就労になるから」と、解雇を言い渡します。
 サーリャといっしょにコンビニで働いていた聡太は、よき理解者になろうとしますが、母子家庭の聡太にできることは少なく、サーリャを助ける手立ても思いつかない。

 川和田恵真監督の画面は、少女サーリャの清新な表情をよくとらえ、荒川河川敷の映像もみずみずしい。クルド人コミュニティがある埼玉現側と、サーリャが働くコンビニ(たぶん赤羽あたりの)の間に流れる荒川。電車の大きな鉄橋もかかり、車が行きかう荒川大橋もあるのに、サーリャが埼玉と東京を行き来することは禁じられています。日本と出身地の間を行き来できないクルド人の境涯を象徴しているように思います。

 2022年・第72回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門に出品され、アムネスティ国際映画賞スペシャルメンションを贈られた、というニュースは入りましたが、この先、クルド人問題に注意を払う人々はどれほど増えるでしょうか。ウクライナからの避難者のためには自治体も協力的なのに、クルド人の境涯には自治体も市民もほとんど無関心。クルド人を助けても、自治体になんの見返りもないからです。
 ウクライナ人を助けることは、ウクライナを支援し武器供与を続けるUSAという後ろ盾があるのに対して、クルド人には、国はないから当然輸入できる資源もなく、クルドからの見返りは何もない。

 サーリャたちが日本に残る可能性はただひとつ。出身地に戻れば逮捕拷問されるか最悪死刑になることも覚悟で父マズルムが強制送還に応じること。「日本で育った日本語ができる子供に在留許可を与える」という新しいビザの交付条件が出たため、父は子供たちのために、死を覚悟で出身地に戻ることを決めたのです。たとえ自分の身が反逆者として死刑になろうとも、子供が日本で生きていける方法はほかにないのです。

 難民認定をめぐって、日本政府が新たな動きを見せるというニュースは届いていません。
 入管収容中に不審死したバングラディシュ女性の裁判も、いつまでかかることやら。日本に新天地を求めてやってくる人々に「冷たいくに」であることに心痛みます。

 国家の発給した正式な「留学ビザ」を持ち、週28時間までの就労も認められている留学生たちには、日本がこのような「冷たい国」であることは意識されていないと思いますが、機会があれば、クラスで「難民」について考える時間を作りたいです。

 監督の川和田恵真は、日英のダブルブラッド。10代にはアイデンティティをめぐって居場所のない気持ちを抱えていたといいます。
 是枝裕和監督率いる映像制作者集団「分福」で助監督などのスタッフとして働き、今作が長編映画第1作。次回作も見たい女性監督のひとりです。どうか、スタッフをぶんなぐったりしませんように。

 クルド語によるポスター my small landのクルド語のポスターも作られていました。


 Google翻訳でクルド語を検索すると、Erdê min ê biçûkと、でてきます。
 「Welatê min ê biçûk」との違いがなんなのかもわからない、クルド文化に遠い春庭ですが、ニュースやドキュメンタリーなどで見てきたクルド人難民問題がもっと、人々の関心を集めるためには、「ウクライナの人々を助けるのと同じくらい関心を持ってクルドの人々を助けよう」と思う人が出てきますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「トーベ」

2022-06-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220614
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(3)トーベ

 『ムーミン』の作者トーベ・ヤンソン(1914-2001)の若い時代の物語である映画『トーベ』。飯田橋ギンレイで鑑賞。
 
 本もテレビアニメも楽しんできたムーミンシリーズ、2020年7月11日は、雨の中飯能市のムーミンバレーに出かけました。
 https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/e859476fe90f8667f098de2e0359cd5b

 昨年末2021年12月29日には、横浜そごうで開催されたムーミンコミックス展にもでかけました。

 また、いつ見たのかは覚えていないのですが、トーべが毎年夏をすごしたクルーブ島での生活を記録したテレビドキュメンタリーを見て、はじめてトーベの生涯のパートナーが同性のトゥ―リッキ・ピエティラであったことを知りました。
(Haru, the lonely island)(1998年)とTove ja Tooti Euroopassa (Tove and Tooti in Europe)(2004年)

 2014年、トーベの生誕百歳を記念して、このドキュメンタリーはDVD化されています。私が見たのは、このDVDの発売宣伝用の放映だったかもしれません。
 2021年7月21日にUPした「ぽかぽか春庭>トーベとトゥーリッキ」
tps://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/b241b2c3d74ecdd635992211d24176f6

 DVD「孤島ハル&トーベとトゥーリッキ」の口上
 トーベ・ヤンソン生誕100年を記念し、「謎」と「神秘」に包まれた、ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンのプライベートフィルムがついにベールを脱ぎます。
 2014年には、美術展他、多数のイベントも決定!トーベ・ヤンソンと、デザイナーのトゥーリッキ・ピエティラは1967年から25年間、早春から晩夏までをフィンランド湾のクルーヴハル(Klovharu)という電気も水道もない小さな島で過ごす。 

 動くトーベがここに/8ミリカメラで撮りためた20年を超えるトーベとトゥーティの幸せな島暮らしの日々/ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンと、グラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラは20回を超える夏を「クルーヴ・ハル」という電気も水道もない小さな島で過ごす。静寂、霧、嵐、ヘリコプターの飛来、日々の暮らし。2人きりの日々を自ら撮影した大量のフィルムが一本の作品になりました。

 今回見た映画『Tove』は、トーベがおつきあいした3人の男性のうち、政治家&哲学者のアトス・ヴィルタネンとの交際と、同性の恋人ヴィヴィカとのいきさつが描かれています。
 アトスとはいっしょに住んだこともありましたが、結局結婚はせず、晩年まで 生涯の友人として仲良しでした。
 トーベの最初の同性の恋人はのヴィヴィカ・バンドレル。映画『トーベ』の中では、大きなお屋敷に住む市長令嬢の舞台演出家。ブルジョアらしい贅沢で奔放な暮らし。トーベはヴィヴィカが「だれとでも寝る」ことに傷つきながらも、いっしょにムーミンを主人公にした舞台を制作しました。結局、恋人としてではなく、友人としてすごすことを選びます。ヴィヴィカとも晩年まで友人として交流しました。

 映画は、1955年にトーベがトゥーリッキ・ピエティラと出会ったところで、終わりになります。
 トゥーリッキは、私が見ていたテレビシリーズでは「おしゃまさん」と訳されていましたが、現在は原作通り「トゥーティッチ」という名でムーミンシリーズに登場。
 映画のトゥーリッキも、ドキュメンタリーに出てくるトゥーリッキやアニメの「おしゃまさん」と、「顔、かお、そっくり」という印象の女優さんで、役に合うちょうどいい人を見つけるものだなあと、感心しました。

 トゥーリッキはヘルシンキの隣り合ったアトリエで、トーベとともにムーミンシリーズのフィギュアの共同制作をしたり、ヘルシンキの学校でグラフィックデザインを教えたりしながら、トーベが2001年に86歳で亡くなるまで、ともにすごしました。トーベの最愛のパートナーでした。

 今なお、子供も大人も魅了する「ムーミン」
 あっけらかんと明るい一方の子供向けの物語も、子供の心の栄養には必要ですが、「ムーミン」の物語が含む「生きていく悲しみや苦しさ」を味わうことも必要なことと思います。

 フィンランドの中での少数言語派「スエーデン語を母語とするフィンランド人」であったトーベ。著名かつ保守的な芸術家であった父親との確執、「トーベがヴィヴィカやトゥーリッキと出会った当時は「同性愛は犯罪であった」などなどのトーベの心に影を落としたであろうできごとの中で、トーベは自分自身が求める芸術を追求していきました。

 イギリスの新聞に連載されていた「ムーミンコミックス」は、弟のラルスがトーベのあとを継いで制作をつづけ、トーベは油絵や壁画、小説執筆など、さまざまな活動を続けました。

映画『トーベ』配役
・ザイダ・バリルート監督
・トーベ・ヤンソン:アルマ・ポウスティ
・ヴィヴィカ・バンドラー:クリスタ・コソネン
・アトス・ヴィルタネン:シャンティ・ローニー
・トーベの母シグネ・ハンマルステン=ヤンソン :カイサ・エルンスト
・トーベの父ヴィクトル・ヤンソン:ロベルト・エンケル 

 映画、冒頭のトーベがアトスの前で踊っているとき、ダンスに舞い上がった風船が割れる音が、空爆を受けるフィンランドの戦争中に重なるシーンから始まります。心ふさがる戦争の情景に重なりました。

 ウクライナの戦争、まだまだ終わりそうもありません。どんな戦争も一方から見れば正義。ロシアから見れば、「ウクライナ内の少数民族として迫害を受けてきたロシア語を話す人々の救済」という正義の戦争です。ウクライナ側からみれば、「固有の領土を武力で侵略してきた悪魔の軍隊」です。

 ウクライナ軍人の戦死者は公表数1万人、子供を含む非戦闘員の死者は5千人近くなるといいます。一方ロシア側の戦闘員死者は公表されていません。3万人近くになるという戦死者の大半は、貧困地区や少数民族の出身者が最前線に送られているとのことですが、真偽はわかりません。

 トーベの作品、ムーミンシリーズも、油絵作品にも、なにがなしか「生きる喜びと表裏にある哀しみ」が感じられます。
 トーベが体験した、戦争の悲惨さや親との確執、少数民族一家(スエーデン語を話すフィンランド国民)として育った悲哀、性的マイノリティとして社会と相いれない時期をすごした苦痛などを感じてしまうのは、トーベの一生を知らないとしても、感知できると思います。

 日本のアニメは、最初に放映されたころ、「明るく楽しいムーミン一家」の愉快な物語でした。トゥーティッキとともに日本にやってきたトーベは、日本の最初のアニメ化がお気に召さなかった、と伝わります。スノークのお嬢さんにテレビ局が勝手に「ノンノ」という名を与えたり、作品の基調がトーベの意図したものと異なっていたりしたことが「私の作品ではない」と感じられたようです。

 映画『トーベ』の監修に、トーベの姪ソフィア・ヤンソン(ラルス・ヤンソンの娘)が管理しているムーミン関連著作権管理会社もからんでいるでしょうから、トーベの実生活からかけ離れたものとはなっていないと思いますが、私には、トーベを知るためならトゥーリッキが撮影した「(Haru, the lonely island)(1998年)とTove ja Tooti Euroopassa (Tove and Tooti in Europe)(2004年)」のほうがずっと好きな作品でした。

 トーベの人となりを描くなら、トゥーリッキと出会ったところでストーリーを終えてしまったところが残念です。トーベは「ト―リッキと出会ったところから私の人生が作られたのだ」と言うように思います。
 「若いころのトーベを描く」という映画のコンセプトがあったことはわかりますが、ストーリーとしては中途半端だったように感じました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「老後の資金がありません」

2022-06-12 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220605
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(3)老後の資金が足りません

 ぜんぜん見るつもりはなかったのですが、ギンレイで「梅切らぬバカ」の併映だったので、ついでに見ました。期待しないで見たせいか、面白かった。
 ネタバレを含む紹介です。

監督:前田哲
キャスト
天海祐希:後藤篤子〈53〉
松重豊:後藤章〈56〉 
草笛光子:後藤芳乃〈80〉
新川優愛:後藤まゆみ〈25〉 瀬戸利樹:後藤勇人〈23〉
加藤諒:松平琢磨〈30〉(まゆみ結婚相手)
柴田理恵:神田サツキ〈51〉(篤子のヨガ仲間。夫とパン屋経営)
石井正則:桜井秀典〈51〉 若村麻由美:桜井志津子〈52〉
友近:本間(篤子の舅の葬儀を請け負った葬儀社のベテラン社員)
クリス松村:城ヶ崎君彦(ヨガ教室講師)
高橋メアリージュン:レイナ(シェアハウスに住むシングルマザーのキャバ嬢) 佐々木健介:松平金造〈60〉(琢磨の父餃子チェーン店経営)
北斗晶:松平美和〈58〉(琢磨の母)
竜雷太:後藤太平〈75〉 後藤太平〈75〉藤田弓子:後藤波子〈72〉
哀川翔:章と同窓で会社の元同期。独立して起業し、不動産会社を成功させた社長 毒蝮三太夫:大泉健三〈85〉(サツキの父)
三谷幸喜:役所職員(年金の現況確認係)

 夫婦のタブル失業、舅葬儀や娘派手婚の物入り。贅沢三昧から抜け出せない姑を引き取り同居、という事態で、老後資金は目減りする一方。「つましく暮らして2千万豊かに暮らすには4千万」にははるかに足りないことに。

 そんななか、篤子の友人サツキの困りごとに篤子芳乃が一役買うことに。若いころは宝塚志望だったという芳乃が男役をつとめ、サツキの父の代理で「年金受給現況調査」にサツキの父の代理で、三谷幸喜の役所職員の質問を受ける。このシーンは三谷脚本監督だったのではないか、と思えようなシットコム(シチュエーションコメディ(situation comedy )。
 
 年金受給詐欺に加担することになる嫁姑。すごく三谷色のあるシーンだった。


 芳乃の生前葬を契機にすべてが好転する。生前葬の最後には、草笛光子と天海祐希が「ラストダンスは私に」をデュエットという豪華大盤振る舞い。「光子の窓」を見て育った世代にとって、こういうシーンがあるから映画は見逃せない。
 最後はみんなハッピーになって、氷川きよしがエンドロールで「ハッピー」を歌う。

 くったくないコメディで、あっけらかんと笑っていられる。今の鬱屈した時代には必要な笑いだと思います。
 さいごはきれいにまとまったけれど、現実には老後資金を2千万円ある人なんてほんの一部。
 後藤夫妻も家を売り払い、シェアハウスですごす老後を選ぶけれど、これはこれでいろんな問題を抱え込むことになるだろうと思います。
 誰にとっても「最適な老後」は針の穴から入る「やすらぎの郷」。

 私の老後も「悲惨」が目に見えているけれど、あしたのことは明日考える、がモットー。今日は今日で、夫から借りたシネマパスポートでタダの映画を楽しもう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「梅切らぬバカ」

2022-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220604
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(2)梅切らぬ馬鹿

 ゴールデンウイークも終わった5月11日に、飯田橋ギンレイで『梅切らぬバカ』を見ました。
 「自閉症の息子と母との絆、近隣の人との心温まる交流」というのが惹句でしたが、私には「障害のある子供を懐に囲い込み、息子のために一番必要なことを怠った、梅を切らなかった母の物語」でした。
 以下、ネタバレ含む感想です。

キャスト
山田珠子:加賀まりこ
山田忠男:塚地武雅
里村茂:渡辺いっけい
里村英子:森口瑤子
里村草太:斎藤汰鷹
大津進(福祉担当者):林家正蔵
今井奈津子(乗馬クラブのオーナー):高島礼子
グループホーム職員:北山雅康
自治会長:広岡由里子

 54年ぶりの主演映画という加賀まりこも、障害のある50歳の息子を演じた塚地も熱演ですばらしかった。
 しかし、障碍者を育てる苦労をしてきた友人を見てきて、この映画は、障碍のある人たちについて、リサーチ不足と感じました。
 山田珠子という母に決定的に足りなかった「障碍者の母としてやるべきことを怠ってきた失敗例」を見てい、てつらい思いでした。

 むろん、映画のストーリー「母と障碍のある息子のきずな、近隣の人々との交流をあたたかく描いた映画」という制作意図に沿って鑑賞する人のほうが多いことは当然でしょう。

 自閉症の中でも、知能指数の高い自閉症と知的発達遅滞のある自閉症があります。映画の50歳の息子山田忠男通称忠(ちゅう)さんは、発達遅滞者で自閉傾向を持ち、他者との交流が苦手です。母はこの息子を溺愛し、散髪も爪切りもこまやかに世話を焼いています。息子の世話が母の生き甲斐なのです。
 
 親なら、2,3歳になっても言葉が出てこない時点で我が子の症状に気づきます。4,5歳になれば、はっきりと息子が「自閉傾向がある発達遅滞児」という診断を受けたんじゃないでしょうか。50年前だとまだ「知恵遅れ」という言い方が残っていたころでしょう。

 そのような場合、親が何をやらなければならないか。まずは、発達を促す訓練です。忠さんが生まれた1970年ころには障碍児への偏見がまだまだ色濃く残っていた時代でしたし、発達をうながす訓練も限られていました。
 でも、親が何よりやらなければいけないことは、第一に他者とコミュニケーションをとれるように心をくだくべきでした。忠さんは、言葉が出ないことで他者とのコミュニケーションをとるのは難しいけれど、隣のうちに越してきた小学生里村草太と交流できるようになったことからも、決して他者を拒絶しているわけではないことがわかります。周囲の理解があれば、交流できるのです。
 忠さんの母は、息子が適切に交流できる方向へ向かわせることができたはずなのです。しかし、母珠子は、息子を囲い込みます。息子を自分の胸に抱きかかえることを生きがいにしてしまい、忠さんを他者から遮断していたように思います。

 障碍がわかった時点から、母の珠子は、近隣や友人関係のネットワークを広げ、「忠さんを囲むコミュニティの輪」を構築すべきでした。まわりの人たちを巻き込んで「忠さんを助ける仲間たち」を作り上げることこそが、最大の「親として子に与えられること」だったと思うのです。

 しかるに。
 加賀まりこ演じる山田珠子は、「ことばが出ないのだから、母親以外の人と心通わすことが難しい」として、忠さんをひたすらわが胸に囲い込みました。自治会長(広岡由里子)をはじめ、近隣の人は忠さんを「得体のしれない怖い障碍者」とみなしていることからわかるように、近所の人との交流はしてこなかった。
 母親は、子供が小学校入学以前から自治会長に頭を下げ、近隣の人を巻き込み、「忠さんを見守る会」を作るべきでした。人は本来自分より弱い存在を守ることが好きなのです。

 自閉症の人には、「ルーティン」が大切。自分の日常の中に決まりがあり、それをはずされるとパニックになる。たとえば、歩き出すときは右足からと決めている自閉症者には、左足から歩きだすことはできません。
 忠さんは、ルーティン通りに生活し、福祉作業所で紙箱作りを休むことなく続けている。同じ行動を繰り返すことは得意なのです。

 珠子は、忠さんが馬が大好きなことに注意を払っていません。子を知ることを怠っています。
 近所に「乗馬クラブ」ができた時、経営者(高島礼子)と交流して、忠さんが「ホースセラピー」を受けられる体制をつくったら乗馬クラブとのトラブルも回避できたはず。ホースセラピーは今では多くの牧場や乗馬クラブがとりいれていて、障碍者にとって有効なリハビリになっていますが、忠さんが子供のころ、1970年代にはまだあまりなかったかもしれません。だからこそ、母親は立ちあがるべきでした。

 しかし、珠子は、忠さんを養護学校に通わせ、成人してからは近所の福祉作業所に通勤させ、ルーティン生活のほかは息子の世話を焼くことで生き甲斐を得ています。
 おそらく築50年以上と思われる家で、珠子は「占い」を仕事として行っています。悩みを抱えて人々に占いによって指針を与えることばをかけ、謝礼を受け取っています。占いと相談者というのは、ことばを交わしているようで、一方的なコミュニケーションです。相互の交流は成立しがたい。珠子自身の生活も閉じているのです。

 珠子に金融財産などの相続財産があったのかどうかは描かれていませんでした。「父親は死んだことになっていて、この梅の木が忠さんにとっては、自分を見守る父親がわり」と語っていましたが、離婚した(と思われる)夫から経済的な援助を受けているようにはみえませんでした。

 持ち家という資産があるとしても、占いの謝礼だけで生活できたのかと思います。忠さんは、障碍者年金を受けられる立場ですが、障碍者年金のことは、地域の福祉担当者である林家正蔵も何も語っておらず「グループホームに空き室がでたから入居させたらどうか」と珠子に勧めたのみ。入居者が不足すると自治体からの補助金なども減らされるから、早急に入居者を決める必要があったのかもしれませんが、ルーティンが変わることでパニックになりがちな自閉者には、環境の変化になれていくよう、半年くらいは入居してだいじょうぶなように訓練をすべきでした。

 グループホームの職員(北山雅康)は、忠さんが5時56分にはトイレに入り、7時には朝ごはんを食べ始めることさえ理解していなかった。福祉職員として失格です。入居する障碍者の特性を理解することは、福祉に携わる人の第一の仕事です。

 しかも、このグループホームは定員8名くらいだと思うのに、福祉の基準を満たす職員の姿が見えない。職員一人が食事の世話までしている。職員数が足りていないことは違反です。セリフなくてもいいから、グループホームの基準通りの職員を配置すべきでした。

 この映画の唯一の救いは、隣の家に引っ越してきた小学生草太が忠さんと心を通わせるようになり、草太の両親も忠さんを受け入れられるようになったこと。忠さんは、母が囲い込まなければ、ちゃんと人々と交流できる。

 グループホーム入居後、忠さんが乗馬クラブに侵入してポニーがクラブから逃げだすという騒動をおこしたことから、近隣の人々は「グループホームはこの土地から出ていけ」という運動をおこします。最悪の事態。
 グループホームの隣の家の人は「こういうものがあると、我が家の売値が下がる」と文句をいいます。現実社会でも、統合失調症のグループホームや知的発達障碍者施設も、この理由で設置に反対する人が多いのだそうです。

 グループホームにいられなくなり、自宅に戻った忠さんを、母珠子は抱きしめ涙を流します。「あんたがいて、私は幸せだ」と泣くラストシーンで、多くの人がもらい泣き。
 私は泣けなかった。老いていく珠子には、50歳過ぎて老いていく息子を抱え込むには荷が重すぎるのです。

 珠子が忠さんをグループホームに入れることにしたのも、老いていく自分が、やがて息子の世話ができなくなった時のことを心配しての決意でした。
 障碍(とくにダウン症)の親は、子供の肥満に注意を払って育てます。体重が多くなると、親が子を支えるのがたいへんだからです。忠さんが太っているのは、珠子が我が子の体重管理に気をつけていない、ということ。
 「このままでは共倒れになる」と感じてグループホーム入居を決めたのですが、我が子の自閉特性に気を配っていないようすも気になりました。

 表題の「梅切らぬバカ」は「桜切るバカ梅切らぬバカ」ということわざによります。木にはそれぞれの木の特性に合わせた育て方があり、実がなる梅は剪定をする必要がある。人も同じ」ということ。
 ある袋小路の奥から2番目にある山田家の塀を超えて、梅の枝が道にはみ出ています。この道が山田家の私道であったとしても、山だけの隣家(一番奥の隣)に家が建っている以上、この木を切らないことは迷惑行為です。隣の里村家が裁判を起こせば行政指導により木の所有者に剪定をさせることができる。

 自分の敷地からはみ出た樹木は、きちんと管理しなければなりません。しかし、珠子は「この梅の木は、忠さんにとっては自分を見守ってくれる父親がわり」と言い、枝を切るようすを見た忠さんがパニックを起こすようすを隣の里村一家にみせて、剪定を中止します。
 梅の木が父親代わりに忠さんを見守っている、というように教えるのはよい。しかし、敷地の外にはみ出た枝は、幹が細いうちから毎年切っておくべきでした。

 以上、この「梅切らぬバカ」は、現実の梅の枝を切らなかったバカ、さらに自閉のある息子を囲い込んでしまったバカ、という二重の「障碍者を育てる場合の誤謬」を続けてきたの母親の物語として鑑賞。
 『37セカンズ』もそうでしたが、どうしても私は障碍者をテーマにした映画に厳しくなってしまう。現実は、映画に描かれているよりもっともっと厳しいものであるからです。

 加賀まりこについて。
 「花より男子」世代にとっては「道明寺ママ」ですが、加賀まりこより5歳年下の私の世代には「六本木の小悪魔」であり、「恋愛スキャンダルの女王」。
 私が一番美しいと思う加賀まりこは『泥の河』の「船で身を売る母」です。

 加賀まりこが5月4日(だったっけ)に、飯田橋ギンレイで監督の舞台挨拶に飛び入り参加した、というニュースをまっき~さんから知り、「うわあ、11日じゃなく1週間前の4日に見にいけばよかった」と残念至極。
 4日はどこにも出かけなかったのに、連休中は混むだろうと避けたのです。生まりこ、見たかった。加賀まりこの自宅がギンレイの近所にあり、ときどき散歩しているのを近所の人は見かけているのだとか。(5月11日にギンレイの入場待ち列に並んだ隣の高齢女性情報)
 挨拶飛び入り参加も、ご近所だからできたこと。

 加賀まりこは、この映画の宣伝もあるので、あちこちで「身内に自閉症の人がいる」という話をしています。
 18年前から同居している事実婚のパートナー6歳年下のTBS演出家、清弘誠 さん。「渡る世間は鬼ばかり」 などの演出をつとめてきた方です。

 清弘さんの息子(46歳)が自閉症で、現在は施設で暮らしています。コロナで自宅に帰れない日々が続きますが、以前は1か月に1度は自宅に帰っていっしょにすごしてきたのだそうです。
 息子さんの幼いころ、育てる苦労をしてきたのは清弘さんの前の奥さんでしょうが、まり子さんも息子さんを「可愛いです」と語っています。しかし、月に一度「お客様」としてまり子さんの家にやってくる息子さんは、幼いときに育ててきたころとはまったく違うと思いますので、まり子さんが製作者にアドバイスできたことはすくなかったろうと思います。

 まり子さんは、清弘さんとは麻雀仲間で、まり子さんから「私を恋人にしてください」と猛アタックを開始。清弘さんは、息子を生涯安心して預けられる施設を探し、施設に入居したのを見届けてのちに加賀まりこからの5年に渡るアタックを受け入れることに。同居事実婚は18年になるそうです。

 まり子さん、78歳になった今も「小悪魔」のころと同じように魅力的な女性です。「梅切らぬバカ」の主演女優として梅の美しさのように凛としたたたずまいでよかった。
 残念なことは、上につらつらと述べたように、グループホームの障碍者の見守り方と親の育て方に、私としては納得できないストーリーであったこと。脚本をチェックできる福祉関係者が監修に入らなかったのでしょうか。
 障碍者福祉にまったく素人の私でも、娘の保育園クラスメートのおねえちゃんがダウン症だった、というだけでかなり障碍者について知ることができました。清弘さんの息子さんが自閉症だったのなら、手づるはあったでしょうから、脚本担当者&監督は、もうちょっとリサーチしてほしかったです。

 加賀まりこさん、78歳の現在、71歳のパートナーと穏やかな日常にいます。ギンレイの近くを散歩していることもあるというので、いつか出会うかも。すっぴんでの散歩なので「あまり気づく人いない」ということですが。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「峠・舞台挨拶付き映画試写会」

2022-06-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220602
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(1)峠・舞台挨拶付き映画試写会

 司馬遼太郎の原作で長岡藩家老河井継之助のことは知っていましたし、「峠」が映画化された後、公開がのびのびになっていたことも知っていましたが、のびのびになっている間にすっかり忘れていました。当初は2020年9月公開→2021年7月公開→2022年6月17日一般公開。やっと。

 『峠・最後のサムライ』が公開となり、その試写会が5月2日に丸の内ピカデリーで行われました。娘が抽選に当たったので、いっしょに見てきました。

 5時半開場。娘は後ろのほうの通路側、私は右側前から3列目に席を確保。(映画を見る角度の好みの違いがあり、いっしょに見に行っても、いつも席はバラバラです)
 真ん中の見やすい席は、10列目ぐらいまでプレスがカメラを構えて陣取り、写真撮影タイムが終わったらみな帰りました。その席は遅れてきてよい席が取れなかった人に開放すればいいのにと、思いましたがこういうものなんでしょうか。舞台挨拶付き試写会なんてものに初めて参加した素人ですから、役所広司や松たか子の顔をできるだけ前方で見たいと、前から3列目を確保したので、スターを間近で見られたのは大満足でしたが、映画を見るためには前すぎて少々見づらかった


 主演河井継之助役の役所広司とその妻すが松たか子、監督脚本の小泉堯史 が登壇し、舞台挨拶。インタビュアーの質問に丁寧に答えていました。たぶん、テレビの映画紹介番組やyoutubeでインタビューのようすは見られるでしょうし、DVD販売のおりは、特典映像としてもおまけとしてつけるとのこと。

河井継之助(役所広司)
・河井すが(松たか子)
・河井代右衛門 :継之助の父。 ( 田中泯)
・河井貞:継之助の母(香川京子)
・むつ(芳根京子)
 山本帯刀(AKIRA) 徳川慶喜(東出昌大) 小山良運(佐々木蔵之介) 松蔵(永山 絢斗) 小山正太郎(坂東 龍汰) 川島億次郎(榎木 孝明) 花輪求馬(渡辺大) 松平定敬(矢島健一) 月泉和尚(井川 比佐志) 百姓(山本 學) 岩村精一郎(吉岡 秀隆) 牧野忠恭(仲代 達矢)

 司馬遼太郎は『峠』のあと書きに『幕末期に完成した武士という人間像は、その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思う』と書いています。
  史実の河井継之助を司馬が「峠」の中で史実をもとにした小説として描きました。史実の河井は、司馬の中で理想のサムライ像として定着します。
 それをさらに小泉が脚本にして映画化。
 役者役所広司が見事にひとりの人間を体現しました。

 あらすじ。
 慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。

  600人ほどにすぎない長岡藩士が、5万の大軍に立ち向かった、という史実は、いかにも司馬が好みそうな出来事です。この最初から負けが確実な戦を全身全霊で指揮した河井継之助を、司馬は「人間の芸術品」と見て、鮮やかな人間像に結びました。
 小説ですからむろん、史実から離れたエピソードも含まれています。さらに脚本では監督によるエピソードも付け加えられます。
 が、河井の人間像はくっきりと画面に表れていました。
 
 コロナのために2度も公開延期となりましたが、ウクライナが大国ロシアに一方的に侵攻されるという今年の世界情勢が、官軍5万の兵に一方的に攻められる長岡藩という構図にぴったり合っていて、戦争から遠い今の若い人にもわかりやすく身近に感じられたのではないかと思います。
 いじわるな見方をすると、映画宣伝担当者は、6月17日の公開前に戦争終結しないよう願っているのかも。(この意地悪な見方は、不謹慎です。反省すべし)。

 2023年の日本アカデミー賞には、作品賞監督脚本賞主演男優女優賞助演男優女優賞撮影賞音楽賞など軒並みノミネートされると思います。松竹配給だから。独立系だと外国で大きな賞をとらないと、ノミネートされないこともあるけど。衣裳は黒澤和子に受賞決定。

 せっかく役所広司と松たか子の舞台挨拶見たのですから、ヒット願っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2022年留学生の受験事情」

2022-06-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220607
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022教室だより梅雨まぢか(4)留学生の受験事情

 2022年3月、卒業生はそれぞれの進路に向かって卒業していきました。
 まだ学生数が少ない中、2期生は、ネパール人女性は4人とも専門学校へ進学。中国人は、就職ひとり。ふたりが専門学校進学のほかは、私立大学ひとり、国立大学大学院3人。
 12名の卒業生が希望の進路へと向かっていきました。

 1期生は4人の卒業生が全員国立大学大学院と公立大学大学院進学でしたので、2期生と合わせると、新設小規模校としては、驚異的な進学率です。1期生2期生とも優秀な学生が在籍していたことも理由のひとつですが、進学指導に当たる校長副校長が、定年退職まで大学教授であったことが、大学院の専門論文に何をかけばいいか、大学の「志望理由書」になにを書けばいいか熟知している、ということが一番大きな利点です。

 学校の道路に面するガラス戸に進学者の名前を発表してありますので、のぞいてみた近所の人が「東大大学院博士課程進学」などの文字を見て「ここは進学塾ですか。うちの子も指導してもらいたい」と、言ってきたことがあります。「この学校は日本語学校なので、日本人は入学できません」と、お断りしていますが、ことし2022年も、ひとりは東大博士課程に進路決定。もうひとりの東大修士課程に入学希望の学生は、合格するかどうか、今後の準備しだい。

 むずかしいのは、一般私立大学への進学です。大学によって学生の合格基準が異なります。学部学科に合わせた指導が必要ですが、進路指導の元教授と名誉教授もすべての私立大学留学生入試事情に通じているわけではありません。

 毎年6月と11月の2回実施される「日本留学試験(EJU)」の「総合科目(地歴公民経済など社会一般)」の指導、英語の指導を国立大名誉教授の副校長が引き受けてくれましたが、日本語試験の指導はむろん日本語教師が行います。

 留学生は、6月19日に実施される「日本留学試験(EJU)」を受けます。この成績を進路先の大学に提出します。日本語、総合社会などで何点とれたか。大学によって、この点数が違います。日本人学生にとっての「大学偏差値ランキング」が、留学生試験にもある程度あてはまります。

 わが校は、Aクラス(日本語能力試験1級合格者と2級合格者)がいちばん日本語学習が進んでいるクラス。「1級に挑戦!目標はEJU日本語450点満点中350点以上」
 Bクラス(日本語能力試験2級に挑戦!目標はEJU300点以上)、
 Cクラス初中級(日本語能力試験4級合格レベル。2022年4月にはクラス設定なし)
 Dクラス初級ゼロスタート(初級5級レベル来年EJU受験)
というクラス設定です。

 EJU(日本語留学試験)は、大学によって文系学部と理系学部で要求される科目がことなります。
 満点は、 
①日本語 400点満点 記述50点満点 合計450点
②総合科目 200点満点(地理・歴史・経済・社会=日本の高校、地歴と政経公民の範囲)
③物理・化学・生物のうち2科目選択 200点満点
④数学1 または 数学2 200点満点

 大学留学生入試を受けても、EJUの得点が十分に得られていないと合格が難しくなります。
 おおよその合格点めやすは、以下の通り。大学内でも学部によって合格基準の点数が異なるし、年度によって問題の難易度も変わります。一概に「何点以上取れば大丈夫」とは言えないのですが。

 世間一般の「偏差値重視」のランクが留学生にあてはまるかどうかは確実ではないのですが、あくまでも、過去に「この点数をとった学生は合格する確率が高かった」というめやすです。

 大学ランキングは、おおよそ日本の大学入試「偏差値ランキング」と同じなのですが、留学生教育に力を入れている大学、そうでない大学で、留学生用の大学ランキングに違いがでることもあります。
 偏差値だけで「よい大学そうでない大学」の分別はできないのですが、現在の「留学生の大学受験」では、以下のようなランキングが受験指導の目安になっています。(春庭勤務の日本語学校は東京都下なので、東京中心のランキングを見てみます。女子大を除く)。
 留学生入試のうち、医学部は別格です。日本の医学部を受験しようと思うような学生は、中国でも高レベルの大学に合格しているので留学してくることはまれ。「高試ガオシー」点数が上がらず、中国で思うようなレベルの大学に進学できなかった学生が留学してくる例が多い。中国で届かなかった高いレベルの大学に、なんとか日本で到達したい、というのが、多くの中国人留学生の希望です。

<国立>
1 旧帝国大学(北海道 東北 東京 名古屋 大阪 京都 九州)+筑波大、一橋大 東工大 東京外大 神戸大  
2 千葉大 埼玉大 都立大 学芸大 東京農工大 横浜国立大学 都留文科大 
3 <関東圏周辺国立公立> 新潟大 茨城大 群馬大 静岡大 宇都宮大 横浜市立大 京都府立大 
4 地方の国立大学  
<私立>
1 最難関:慶応大学・早稲田大・上智大・国際基督教大・東京理科大
2 難関(g-march) 明治大・青山学院大 立教大・中央大・法政大・学習院大
3 準難関中堅1(日東駒専):東洋大・日本大・専修大・駒沢大
 (大東亜帝国 ):大東文化大・東海大・亜細亜大・帝京大・国士舘.大・國學院大
4 中堅2・大正大・立正大・成城大・成蹊大・武蔵大・獨協大・明治学院大・
5   中堅3・玉川大・武蔵大・東京経済・拓殖大・創価大・明星大・麗澤大など。
 
 日本語の能力が低くても「名前さえ書いてくれれば、とにかく合格」というレベルの大学まであるので、「進学先はどこでも」という留学生にも、日本の受験界は「お金さえあればなんとかなる」
 中国富裕層の子弟の中には、親の資産頼みの学生もいるのは事実。

 ランキング高い大学が必ずしも留学生にとって良い大学ということにはならないのですが、中国人留学生は、中国で名が知られている大学を志望しがちです。地方の国立大学より、都内有名私立のほうが人気があります。

 日本留学試験(EJU)の点数めやす
①ランクA(国立)例)東京大学・一橋大学・京都大学
日本語 380点以上 総合科目 180点以上 理科科目 180点以上 数学1.2 180点以上

①ランクA(私立)例)早稲田大学・慶応大学・上智大学・ICU
日本語 370点以上 総合科目 170点以上 理科科目 170点以上 数学ⅠⅡ 170点以上
 東大京大よりはやや低めですが、それでも、450点満点の日本語試験で370点とるというのは難関です。特に作文と聴解が苦手な学生にとっては、文法と語彙だけで300点はとらなければなりません。

②ランクB(国立)例)東京外国語大学・筑波大学・大阪大学
日本語 360点以上 総合科目 160点以上 理科科目 160点以上 数学1.2 160点以上

②ランクB(私立)例)明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学・学習院(gmarchジーマーチ)
日本語 360点以上  総合科目 160点以上  理科科目 160点以上  数学1.2 160点以上

③ランクC(国立)例)横浜国立大学・千葉大学・広島大学・東京学芸大学・埼玉大学・静岡大学、など、東京近郊国立中心
日本語 330点以上 総合科目 140点以上 理科科目 140-150点以上 数学1.2 140-150点以上

④ランクD(私立)日本大学・東洋大学・駒沢大学・専修大学 (日東駒専)
日本語 330点以上 総合科目 140点以上 理科科目 140点以上 数学1.2 140点以上

⑤ランクF(私立)例)・独協大学・成城大学・麗澤大学
日本語 300点以上 総合科目 140点以上 理科科目 150点以上 数学1.2 150点以上

 ある会社のエントリーシート受け付けの内部資料に「大東亜以上」と記載されていたということが外部に漏れて大騒ぎになったことがあります。
 大東亜というのは、大学ランキングでいう略称「大東亜帝国」(偏差値60-65レベル)を指します。大東亜以下の大学生がエントリーシートを提出してきても「すでに応募は締め切りましたので、受付できず、申し訳ございません。貴下の今後のご活躍をお祈り申し上げます」という「お祈りメール」が来るのみ。このお祈りメールを受け取った学生の友人が「応募締切ました」というあとから応募したところ、受付けOKでした。有名校の学生だったからです。これを知った受け付け不可の学生が調査を依頼し、「大東亜以上」という受付ルールが発覚したのです。

 このような日本社会の現実を知ってか知らずか、とにかく留学生の希望は「有名大学」の一点張り。
 自分の将来を見つめて、自分の適性に合った大学を探そう、というより「なんでもいいから中国の両親が名前を知っているような有名な大学へ入りたい」というのです。

 春庭勤務校では、校長(元私立大学教授)と副校長(国立大学名誉教授)が両輪となって「進路指導センター」を設立し、進学指導も引き受けてくれるので、春庭は日本語指導に専念できるのでありがたいです。

 他校では、日本語教師みずからが進学指導、進路カウンセリングまで行っているということを漏れ聞きますので、わが校の進学指導、日本語教師はEJUの作文や文法試験対策に集中できます。

 旧暦端午の節句の日、太陽暦太陰暦について講義するHALセンセ


 「大学・大学院への進学」を第一目標に掲げる日本語学校は、今や「どこの大学大学院に何名合格させたか」が問われる時代となっています。
 受験競争に加担するのがいやで中学校国語教師をやめ、大学留学生センターの日本語教師として30年すごしてきたのに、日本語学校教師になったら受験騒動に直面することになり、いやおうなしに1点2点を底上げしようとやっきになっています。

 昨年当校で実施して留学生に好評だった「日本文化を知る活動」。
 江戸東京たてもの園でオリエンテーリングを実施したり、「夏祭り」を開催してお店屋さんごっこを楽しんだりの活動、今年は中止のようです。なによりも第一に「受験指導」を学校の第一目標とするため、、、、。
 「ダーツ屋」や「釣り堀」の店を出して遊ぶこと、会話の勉強にはなりましたが、受験勉強にはならず、、、、、ということみたい。私としては残念です。進学希望の留学生にとって、日本ですごすことの第一目標は「希望の大学大学院に進学すること」とは思いますが、「仲間とともに日本で楽しく有意義な時間をすごした」という思い出ができることも大切なことと思っているのですが、私が学校経営者じゃないので、意見申し上げることしかできず、決定権はありません。

 楽しかった2021年夏の「夏祭り」


 いずれにせよ、2023年3月卒業の15名、2024年卒業の15名が良い進路を選べるよう、日本語の上達を第一目標にして、にっぽにあニッポン語教師春庭、老骨鞭打ってがんばります。

<おわり>

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ぽかぽか春庭「たんごのちまき」

2022-06-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220605
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語教室梅雨まぢか(3)タンゴのちまき

 中国の暦。
 公的な生活では新暦(太陽暦)で暮らす中国ですが、庶民の生活では旧暦(農暦ノンリー太陰暦)が使われることも多い。
 新年を祝うのも旧暦。すなわち春節です。太陰暦ですから、毎年太陽暦の日にちとはずれます。
 今年の春節は2月1日でした。春庭勤務の日本語学校では、ベトナムの春節食べ物と中国の春節祝いの餃子を学生にふるまいました。

 2022年6月3日は、旧暦の5月5日でした。旧暦の端午の節句です。
 中国各地では、「端午の節句」に、その地方伝統のちまきを家族親族でいっしょに食べてお祝いします。

 春庭勤務の日本語学院では、中国文化の家庭生活を送っている2人が、家族のちまきを作るのといっしょに学生の分までつくり、家族と離れて暮らす学生たちにちまきをふるまいました。


 南の地方のちまきは塩味が多く、北の地方は甘いちまきにすることが多い、と学生が紹介していました。ベトナムでは旧暦端午の節句の日には、ライチなどの果物を家族一緒に食べるそうです。

 学生たちも楽しそうにちまきをほおばります。

 2021年12月に日本語学習をスタートした午前中のクラスも、2022年4月にようやく来日できた新入生の午後クラスも、みなつかのまの「ふるさとの味」を楽しみ、や日本語学習の力にしました。

 HALセンセも大口あけてパクリ。


 春庭の仕事、日本語学校での授業と教務主任の仕事のほか、中国現地校の日本語を学ぶ学生のために、録音教材を吹き込んだり、日本語で「学生への励ましメッセージ」を送ったりしています。

 6月7日と8日は、中国全国で、普通高等学校招生全国統一考試(略称:高試ガオシー)が行われました。外国語として英語を専攻する高校生のほか、日本語を外国語科目として選択する高校生もいます。中国現地校では、ある高校の日本語教育を引き受けています。

 「中国の日本語を選択する学生のために、激励のことばをビデオで送ります。先生、はげましのことば、おねがいします」といきなり言われました。  
 日本語で、ありきたりの「日頃の学習の成果を発揮し、がんばってください」なんてことばを動画撮影して送りました。
 学生たちはウイチャットのお知らせを見て、スマホで動画を再生します。

 日本語の激励のことばの最後に「加油!」と、中国語の「がんばって!」を付け加えました。

 学校の屋上から中国の学生向け文化講座「日本語中国語、同じ漢字で違う意味」のレクチャーも動画で撮影。
 撮影は風が強い日でした。カンペの紙が吹き飛ばされるので、本番3回話したのに「先生の言うこと、3回とも違いますね」スマホでの動画編集がじょうずなチン先生がきっとうまくまとめてくれるはず。
 「手紙は、日本語では便り、中国語ではトイレットペーパー」というおなじみの違いなど、今回は4つの漢字熟語の「日中意味ちがい」をレクチャー。チン先生が、中国語の文字解説を画面につけてくれますので、まだ日本語がよくわからない学生にとっても、「日本人講師による生の日本を聞き、中国語の解説で意味を理解する」という学習材料になったと思います。



 学校の学生たち、夏休みまでしっかり日本語の授業を受け、夏休みには昨年出かけられなかった分、日本各地、あちこちに出かけて見聞を広めてもらいたいと思っています。せっかく日本に留学してきたのですから、大学入試や大学院入試のためだけでなく、日本の文化を知ってほしいです。

 がんばりましょう!加油!!

<つづく>
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