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春庭@アート散歩

2008年秋展覧会めぐり2008年10月

2010-12-30 11:08:00 | 日記
2008/10/26
ぽかぽか春庭@アート散歩>展覧会徘徊この1年(1)千葉大学図書館展示ホールのディズニー原画展

 ここ1年に見た絵&アートをまとめて記録しておきます。

 ディズニー初期アニメーションの原画が千葉大学で発見され修復されたことについて、
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200609 (2006/09/18)
に書きました。

 初期ディズニーアニメの原画セル画は、千葉大学が譲り受けて保管していたのが忘れられ、タイムカプレセルのように、50年もたってから発見されました。
 高度な修復技術により、セル画についていたカビなどもとりのぞかれ、美しい絵がよみがえった。
 本家のディズニー社には、初期のセル画保存がないものが多く、千葉大学はディズニー本社にこれらの修復セル画を寄付しました。

 これら新発見のディズニーアニメ原画は、修復作業を経て、東京都現代美術館で「ディズニーアート展」(2006年7月15日~9月24日)として公開され、多くのアニメファン、ディズニーファンが観覧しました。

 しかし、私はこのとき、会期中に見に行くことができず残念な思いが残りました。
 2006年6月3日に、千葉大学で写真学会の講演会が行われたとき、講演会場のけやき会館別室に展示されていたアニメ原画やアニメーションを見たのだけれど、もう一度見ておきたかった。

 現代美術館の展示ほど大規模なものではありませんが、2007年10~12月に、千葉大学図書館展示ホールで「ディズニーアニメ原画」が展示されていたので、もう一度ディズニーアニメ原画を見ることができました。

 現代美術館には、千葉大学で発見された原画のほか、ディズニー本社から運ばれた貴重な原画もたくさん展示されたということですが、鑑賞するには難点がひとつあったそう。いつもの美術館の雰囲気に比べ「チビッコが大喜びで駆け回る」会場だったというので、「にぎやかし」が嫌いな人には、落ち着けなかったんだって。

 千葉大学図書館のホールは、狭い会場ですが、落ち着いてみるには、こちらのほうが静かでよかったかも。無料だし。
 シンデレラ、眠りの森の美女、わんわん物語などの背景画やコンセプトアートは、現代美術の作品として独立して鑑賞できる美しい絵でした。

 りんごの色についての豆知識。鈴木孝夫の『日本語と外国語』より
 「りんご色」というと、大多数の日本語話者は、「赤」をイメージする。しかしフランス語では「りんご色」は、緑をさす。

 グリム童話の原作(ドイツ語)では、白雪姫が食べるりんごは「半分は赤、半分は白」と書かれていた。これって、二つ割りにしたリンゴってことかしら。
 でも、ディズニーアニメが毒リンゴを「丸い赤りんご」に描いてから、世界中の白雪姫ファンは、「毒リンゴ」といえば「まっ赤」をイメージするようになった。
 以上、「色彩名称トリビア」でした。

<つづく>
06:52 コメント(4) ページのトップへ
2008年10月27日


ぽかぽか春庭「アニメ専攻デジタルアート専攻」
2008/10/27
ぽかぽか春庭@アート散歩>展覧会徘徊この1年(2)アニメ専攻デジタルアート専攻

 現代美術館で、ディズニーアニメを「はしゃぎまわりながら」見ていたというチビッコたちもいっぱいいた。この展覧会に触発され将来はアニメーターになりたいと思い立った子がいたかもしれない。

 東京芸大に「映像研究科修士課程アニメーション専攻」が開設される、というニュースを2007年末、読みました。
 2008年4月開校。アニメを芸術としてとらえ、高い表現力を持つリーダーを養成するための大学院教育なのだそうです。

 おお、今やアニメで修士号をとる時代になったのねぇ。私が子供の頃は、「漫画ばかり見ているとバカになる」と、有識者たちが顔をしかめていたのに。

 芸大教授陣のひとり山村浩二は、「頭山」というアニメ作品が高い評価を受け、また、「カフカ田舎医者」という作品でカナダのオタワ国際アニメーション映画祭短編グランプリ受賞しました。
 ほか、アニメ「ニャッキ」制作の伊藤有壱らが指導にあたります。

 16人の募集枠にどんな学生が選ばれるのでしょうか。
 一期生っていうのは、大事にしてもらえるのでいいよ。
 私も、母校の「日本語学科一期生」なので、先生方、手塩にかけて育成してくださった。
 私以外の一期生たちは、それぞれよき職場を得て、各界に活躍しています。まあ、手塩にかけても、ダメなやつはダメなままだった、という見本が、私。

 芸大大学院、映像研究科映画専攻の教授は、北野武、黒沢清。
 芸大も新分野の芸術に対し、意欲的にチャレンジが続きます。

 アートの進化。日本画も洋画も彫刻もアニメも、表現の世界は無限大です。
 現代美術館のディズニーアニメ展示を担当したスタジオジブリのスタッフも、芸大大学院でこれからアニメ制作に取り組む学生たちも、世界に飛び出す意欲的な作品を目指していくのでしょう。

 2008/08/24に、「アジアデジタルアート大賞東京展(2007年度)」を見ました。(於:東京ミッドタウン・タワー5Fデジタルバブ)
九州大学感性融合創造センターが、若い世代のクリエイターを育成する目的で行っているデジタルアートの賞で今年は7回目。

 コンピュータデジタルアートは、アニメとともに、世界へ向けて発信する次代の日本文化を担うものとなっています。
 文化庁メディア文化祭は1997年からはじまって、2008年は12回目となる老舗。私が展示会場まで出向いて見たのは2度だけだけれど、受賞作品には毎年注目してきました。

 この「アジアデジタルアート大賞」を見るのは、2008年が最初。去年まで7回も回を重ねていることすら知りませんでした。

 九州大学 先導的デジタルコンテンツ創成支援ユニット(略称:ADCDU)は、国際的に活躍できる次世代のデジタルコンテンツクリエーターを育成する目的で設立された。
 2005年度九州大学大学院芸術工学研究院に文部科学省科学技術振興調整費新興分野人材養成プログラムが創設されました。

 このような「先端的~」を見て、アナログ人間の私はただただ、「すごいなあ、よくこんなことをコンピューターでやれるなあ」と感嘆するのみ。
 デジタルアーティストたちの頭の中はどうなっているのだろうと思います。

 デジタルアート、静止画部門も動画部門も、おもしろく見た。若い才能がぴちぴち踊っていました。
 私は昔者のアナログ人間だから、時計も長針と短針がぐるぐる回るのが一番わかりやすいけれど、アートに関しては、昔ながらに絵の具や鉛筆で描くのもいいなあと思うのと同時に、デジタルアートに21世紀の可能性を感じています。

本日の徘徊ミソヒト
デジタルは1、2、1、2の二進法、いちにいちにとアートは進む

<つづく>
06:12 コメント(3) ページのトップへ
2008年10月28日


ぽかぽか春庭「ブリジストン美術館・近代絵画コレクション展 」
2008/10/28
ぽかぽか春庭@アート散歩>展覧会徘徊この1年(3)ブリジストン美術館・近代絵画コレクション展

 ブリジストン美術館は、1952年に開館。2007年は55周年目のコレクション展がありました。会期2007年12月1日(土)~2008年1月27日(日)
 ブリジストンは、東京駅八重洲口から歩いていけるので、30年くらい前に、毎月のように通った美術館でした。

 最近は上野周辺や竹橋周辺、白金などを散歩がてら歩くほうが多くなり、東京駅からまっすぐ行くブリジストンにしばらく来ていませんでした。
 八重洲口は、大丸デパートが移転し、再開発の工事中。すっかり様子がかわっていました。外に出るまで、方向音痴なものだから、ぐるぐると駅のなかを回ってしまいました。
 
 ブリジストン美術館は昔通りの場所にありました。
 コレクションは、古代エジプトの神像から現代アートまで、いくつかの部屋に別れて展示されていましす。
 昔、ちょくちょく通っていたころのなじみの作品に出会うと、「おひさしぶりですね」と挨拶したくなる。

 ロダンやブールデル、ザッキン、ブランクーシなどの彫刻のギャラリーを通って、第一室の「伝統から近代へ」

 小さいけれど、目をひくのがレンブラント・ファン・レインの『聖書あるいは物語に取材した夜の情景』暗い画面ですが、ドラマチックな印象です。1626-28年に描かれた油彩。 第1室には、ほかに、ドーミエ、ミレー、クールベなど。

 第4室は印象派。コロー、ピサロ、マネ、ドガ、シスレー、ルノワール。
 第5室、セザンヌ、モネ、ゴーガン、ゴッホ。
 第6室。ルドン、ボナール、ルオー。

 20歳で東京へ出てきて、夢中で絵を見ていたころの、なつかしい作品たち。あのころ出会った画家たちの、これらの作品を見ることで、私が「ひとりで自立して東京の片隅で生きていく」という気概を失わずにすごせました。

 第9室、10室。ルソー、マティス、ピカソ、ローランサン、モディリアーニ、モンドリアン、クレー、キリコ、ミロ。

 第7室8室の日本の近代絵画の部屋。ここでは、第一番に青木繁の『天平時代』、藤島武二「黒扇」

 1970年代に、なじんだ作品群に、再び出会う。
 2007年冬の私は、作品を見ながら、35年前の私を見ていました。
 この作品に出会ったとき、どう感じたのか。どう好きだったのか。

 美術館めぐりは、あれから30年以上にわたって、私の「大切な自分の時間」を作るひとつのイベントになっています。
 絵を見ることが好きでよかった。
 絵と会話する楽しみがあってよかった。
 
本日の徘徊ミソヒト
マティスルオーローランサンミロモンドリアン、ピカソキリコも若き日の友
 
<つづく>
06:35 コメント(3) ページのトップへ
2008年10月29日


ぽかぽか春庭「北斎展」
2008/10/29
ぽかぽか春庭@アート散歩>展覧会徘徊この1年(4)北斎展

 江戸東京博物館で開催された『北斎展』、2008年1月10日に見ました。
 英語タイトルは「Seibold & Hokusai and his Tradition」
 「シーボルトと北斎の画流」とでも題したらよいのでしょうか。

 シーボルトらがヨーロッパに持ち帰り、紹介した北斎の肉筆画と版画。特にオランダとフランスに渡った肉筆画と版画40点の、里帰り展覧会です。

 北斎は1760年生まれ1849年死去、89歳という長命を保った画家です。
 19歳で一本立ちしてから、晩年まで旺盛な制作欲を見せ、息の長い画家生活を送りました。

 娘の応為や弟子たちとの「北斎工房」で制作された、肉筆絵や版画。
 これらの日本絵画に強く触発された「長崎の異人さん」がいました。 長崎出島の歴代オランダ商館長。そして商館の医者だったシーボルトたちです。

 特にシーボルトは、膨大な「日本コレクション」を持ち帰りました。北斎工房の絵画多数がシーボルトコレクションとして残されました。
 北斎工房作品は、日本では散逸してしまったものも多く、まとまったコレクションとしては、このシーボルトコレクションが最大級のものになっています。

 シーボルトが書き表した「日本」に関する著作物のなかにも、北斎とその工房の作品をそのまま引き写したイラストが多数残されています。
 ヨーロッパが「これが日本の姿だ」と思っていた「日本」は、北斎の手による「日本」であった、と言うこともできます。

 ヨーロッパ絵画に深い影響を与えた日本美術のなかでも、北斎は特別な存在だといえるでしょう。
 江戸東京博物館の「北斎展」は、ヨーロッパに運ばれた北斎の肉筆画や版画の「里帰り」展です。

 絵を見るにも「招待券」が手に入ったときがほとんどで、グッズショップでも、一番気に入った絵の絵はがきを一枚100円か150円で買うのがやっとだった私。今回は、大部のカタログを2500円、はたいて買いました。
 オランダ国立民族学博物館、フランス国立図書館、山口県立美術館、名古屋市美術館の所蔵北斎を集めたキュレーターのセンスがとてもよかったからです。

 英国博物館所蔵の版画下書きを写真図版で並べて見せたり、関連絵画を参照としてそばにおいたり、素人でも楽しめる見せ方が工夫されていました。

 左手から被さってくる大波と、波のあいまに揺れる舟、中央とおくに富士山。世界でもっとも知られた三代絵画「モナリザ、富士山、ピカソの絵」という『富嶽三十六景神奈川沖波裏』
 ほんとにすごい構図だなあと、見るたびに関心してきましたが、他の三十五景も、それぞれにおもしろい構図です。

 『赤富士』や『神奈川沖浦波』のように、切手やうちわ手ぬぐいの図柄にまでなっている有名な絵はよく知られていますが、これまでそれほど注意して見てこなかった絵でも、ゆっくり見るととても面白い発見があります。

 『踊独稽古』という踊りのふりつけを絵にして売り出された「振り付け指南書」
 北斎の絵をみれば、力のいれ具合、手のふり足の上げ下ろし、実に細かく絵になっていて、これを見て練習すれば、ひととおり踊れるようになる、おもしろい「踊りが再現できる本」です。

 踊りの振り付けは、たいていの流派で、稽古場でお師匠さんの動きを見て覚えるのが主な指導法なので、流派がすたれてしまえば、どれほど名声を博した踊りでも、現代のようにビデオもない江戸時代の踊りは、想像の域をでません。

 それが、北斎の手によって、それこそ手に取るように、踊りの振り付けがわかるのです。
 踊り大好きな私には、とても興味深い絵でした。

本日の徘徊ミソヒト
北斎の江戸シーボルトのEdo、紫陽花に学名残す「滝さん」のえど

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/1204/200712.html

<つづく>

09:09 コメント(3) ページのトップへ
2008年10月30日


ぽかぽか春庭「熊谷守一展」
2008/10/30
ぽかぽか春庭@アート散歩>展覧会徘徊この1年(5)熊谷守一展

 2008年02月07日、ちょっとした感慨をもって美術館の入り口を通り抜けた。
 もう、この県立美術館から足が遠のくだろう、よほど好きな人の人の展覧会があるときでなければ、この公園の中をとおって、足繁く通うことはなくなるだろう。

 1974年から1977年まで、K駅を最寄り駅として中学校に通勤した。私は私は中学校国語科教師だった。1996年から2008年3月まで、12年間は、この美術館のある公園前のバス停から、勤務先の大学まで、けやき並木を通り抜けるバスに乗って通った。

 仕事の帰りに、閉館時刻までまだ時間があるときは、ちょっと足をとめて、美術館を覗いてみることができた。
 2008年3月いっぱいで、この町での仕事が終了。

 「来期の再任はありません」と、通告されたときは、「2007年前期、半年間も休んで中国に赴任したのだから、クビ通告もしかたがないな」と、思って黙って受け入れた。非常勤講師なんて、こうして使い捨てにされるのだ。

 もう4月からこのケヤキ並木をバスで走ることもないのだ、公園のなかを歩く機会も減るのだと思うと、足かけ12年間、この職場で私なりに一生懸命留学生教育に取り組んだことなど、何の評価もされず、ただ古くなったボロ雑巾のように放り出されるのだ、と、しみじみさびしくなった。

 これからこの美術館に立ち寄るのも「仕事のついで」じゃなく、わざわざ足を運ぶことになるのだなあ。
 何の気なしに立ち寄ったこの美術館で、思いがけず、奥原晴湖という幕末明治期の女流南画家を知ったりしてきた。
 こういう思いがけない出会いというのも、気楽に立ち寄れたからこそだった。
 
 「熊谷守一展」は、「仕事がえりにちょこっと立ち寄る」美術館散歩の最後の展覧会になった。

 守一は、1880年うまれ、1977年に97歳で没するまで絵を描き続け、守一様式と呼ばれる単純化されたフォルムと自在な色によって、油絵も日本画も書も描いた。
 97歳のときの絵には「97歳クマガイモリカズ」と、画面に大きく年齢と名前が入っている。

 会場で一番深く心に刻まれたのは、長女の萬が21歳で結核でなくなったときの娘の像と、葬儀がえりに次女の榧 、長男の黄とともに、白木の箱に入った萬を連れて帰る「ヤキバノカエリ」という絵。

 戦時下の勤労動員によって体をこわしてしまった長女の萬。ストレプトマイシンが出回る直前の1950年に、肺結核で娘を失ってしまった守一の慟哭が聞こえてくるような絵だった。

本日の徘徊ミソヒト
愛し娘の白き骨壺持つ父の下駄足袋の黒、ヤキバノカヘリ

<つづく>
03:22 コメント(4) ページのトップへ
2008年10月31日


ぽかぽか春庭「アリの足」
2008/10/31
ぽかぽか春庭@アート散歩>展覧会徘徊この1年(6)アリの足
 
 熊谷守一は、自宅内と、雑草畑のような森のような庭から一歩も出ることなく、庭の花や昆虫を眺めて飽きない人だった。
 蟻を見つめ続け「アリというのは、どのアリも左側のまんなかの足から歩き出す」ということを発見した。これは、昆虫学者も知らなかった新発見、だそうです。

 庭に寝ころんで空を見上げれば、空の色の変化、雲の流れ、木々の葉の揺らぎ方、一瞬とて同じ光景はなく、いつまで見つめていても、一日が楽しい。
 乞われるままに描いた、花や昆虫の絵、裸婦、白ウサギ、黒猫。

 文化勲章も辞退、勲三等の内示を受けても辞退。地上の栄典も名誉も、守一には必要なかった。ただ、楽しく庭をながめ、絵を描いた。
 歯がすり減って草履のようになった下駄をはいて、日中は庭を歩きまわり、夜になると絵筆を持つ。

 豊島区千早に残された守一の旧居は、遺族の寄付により、現在は豊島区立の美術館になっている。次女の熊谷榧が館長さん。
 今回の熊谷守一展にも、豊島区立熊谷守一美術館からの出展がたくさんあった。

 とぼとぼとした足取りで入館した県立近代美術館。
 ひとまわり守一の絵を見、守一95歳の肖像写真を見て回るうちに、ちょっと元気になってきた。

 「生きていることが楽しくてたまらないのです。だからもうちょっと生きていたい」という守一。97歳まで生きて、いのちのかぎりをことばにし、絵にした守一。
 ああ、私も生きていよう、そう思えてくる絵の間を、閉館時間を知らせるチャイムが鳴るまで巡り歩いた。

本日の徘徊ミソヒト
ありんこも雲も蛙も守一が寝ころぶ庭にめぐるめぐるよ

<おわり>

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敬老ランチ2009年9月

2010-12-24 17:07:00 | 日記
ぽかぽか春庭「敬老ランチ」
2009/09/29
ぽかぽか春庭>くねんぼ日記09年9月(1)敬老ランチ

 27日、日曜日は、姑と食事。敬老の日のお祝いです。21日の敬老の日には「論文書き上がらないから、敬老どころじゃない」と叫んで、延期してもらったのです。
 後期高齢者(この名称廃止するそうですが)の姑は相変わらず、月曜、童謡の会、火曜お習字、水曜詩吟、木曜老人会と動きまわっています。9月中の集中講義と博士論文中間発表でへとへとの私よりよほど元気です。

 「老人会のランチ、あなたが一番元気だから、料理担当してくれって言われているんだけど、私だって84歳なんだから、食べるだけのほうに回りたいのよ」と、愚痴をこぼす姑。そう、私だって食べるだけのほうに回りたい。私は食べさせるために働きづめなんです、、、、、。
 掃除は好きだけれど元々料理はあまり好きじゃなかった姑、舅が亡くなってからはスーパーの出来合いの海苔巻き寿司などでお昼をすませるようにもなっています。

 和食をそれほど好まず、中華のほうがいいという姑のリクエストで、27日、舅の墓参後のランチは中華屋さんへ。夫はいつもの通り「金はない」といばっているので、ランチの支払いは私。誕生日、母の日、敬老の日と、節目ごとに祝い袋を用意するのも私。

 親孝行は女房こどもにまかせて、「したくないことはしない」と主張しつつ30年暮らしてきた夫。娘は父親を評して「ほんとに、お子ちゃまだから世話やける。ほんとの子供ならかわいげがあるけれど、自分が子供であることを自覚していなくて、いっちょ前だ思ってるから腹立つ」と、言っています。私はとっくにお子ちゃまの子守を放棄しているので、お子ちゃま保護者役はもっぱら娘です。

 ま、そんなこんなのデコボコ家族引き連れての敬老ランチ。後楽園ビルの後楽園飯店でランチコース、海老チリ、栗チャーハン、キノコの炒め物などおいしくいただきました。
 
 夫は事務所へ、娘と息子は家へ、食事したらさっさと戻りましたが、私と姑は、後楽園のお庭散歩することにしました。姑は東京に60年以上も暮らしてきたのに、一度は行ってみようと思いながら、後楽園庭園に入ったことがないからと言います。私は庭園ひとり散歩が好きなので、六義園、旧古川庭園、安田庭園など、都内の名園公園はだいたい歩いてきましたが、姑は住まいの近くの洗足池や等々力渓谷などには行っていますが、都心以北の公園には同じ都内でも縁が無かった。

 姑がはじめて来たという後楽園庭園。9月下旬は、彼岸花と稲穂が庭の彩り。ゆったりと園内を歩き、よい午後をすごしました。姑は歩く速度が前よりゆっくりになっていますが、口は以前と変わらず、しゃべるしゃべる。女学校の同級会に続けて参加しているけれど、参加者は皆、年をとってきたという話。そりゃ、姑が84歳なのだから、同級生も84歳でしょう。東京で行われる同級会に毎年故郷の山形県からかけつける人もいるという話。故郷の高畠町はよいところだけれど、車がないと不便な土地。病院通いも息子や嫁が車で送り迎えできる時間に合わせなければならず、不自由だというクラスメートの話を聞いて、年をとると故郷に戻りたがる人もいるけれど、姑は東京にずっと住みたいと言います。故郷はたまに帰るからありがたいのだそう。お友達のひとりから、今年も山形の名産のぶどうが届いたと、お裾分けを持たされました。

 後楽園の庭から、お隣の東京ドームの白い屋根が見えますが、ちょうどお庭を散歩しているときは、巨人広島戦が佳境に入ったころ。大歓声がドームの屋根を越えて、お庭まで響いてきましたが、巨人が1点先取しようと2点追加しようと、池の周りを歩きながら姑のおしゃべりは、「緑がいっぱいで良いところねぇ」と、果てしなく続きました。

<つづく>

2009/10/01
ぽかぽか春庭くねんぼ日記2009年10月>(1)惚け防止方法序説

 私の年齢では、友人知人の多くが、家族の介護をしています。私もいずれ姑の「老老介護」となるのかもしれませんが、どうやらこちらが先に介護される身になるのかも。
 健康診断のデータが出て「元気だけがとりえ」という私のこれまでの健康過信を裏切る結果となりました。寄る年波には勝てません。姑を見習って健康第一でいきたいところですが、健康オタクの姑に比べ、こちらは貧乏暇なしの働きづめ。おまけに、へたれの「学生」です。頭の体操をして惚け防止にもなるかと思った博士論文挑戦ですが、頭がぼける前に、体がボケボケになりそうです。

 9月26日土曜日は、博士論文中間発表会がありました。
 博士論文の全体の章立てをまとめよ、という課題が出ていたので、たいへんでしたが、なんとか「論文概要」の準備も整いました。1年後の提出締め切りまで、これから資料を精読しつつ自身の独自の見解を加えてまとめていきます。修士論文は土台のひとつですが、修論は日本語統語論として執筆し、博論は日本語言語文化論として書くので、まったく論点が異なり、どう広げ深めていくのか、ちと難しい。大風呂敷広げすぎたというところです。

 ネックは、英語力不足。日本語論文なら関係領域内容を読みこなしていけますが、英語で文学理論とか言語学論文を読むのが負担です。小説なら英語を英語のままに読むこともできますが、学術論文を読む能力がない。学術用語を知らないまま課題の論文を直訳していたら、用語どころか、デカルトの『Discourse on the Method』を「方法の叙述」と直訳してしまい、先生に添削で赤字訂正されました。先生は、『方法序説』も知らないのか!と、思ったことでしょう。
 
 そりゃあ『方法序説』は名前だけは知っていたけれど読んだこともなかったし。フランス語原題が『Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences(「理性を正しく導き、もろもろの知識の中に真理を探究するための方法序説)』だったなんてこと、この年になるまでまったく知らずに生きてきたけれど、知らぬからと言って、なんの不自由も無かったし、、、、

 英語できる人がうらやましいけれど、いまさら嘆いても遅いのだ、と、嘆きつつも、なんとか中間発表も終えて、あとは紀要論文の締め切りに追いかけられる毎日が続きます。10月末締め切りのと12月締め切り、、、、。

 そして29日から後期授業開始。火曜日、1時から6時まで、90分授業が3コマ。社会言語論、日本語学、日本語音声学を日本人学部学生に教えます。日本語学のほかは、専門外なのに、担当しています。

 29日、授業を終えてから、学生の授業コメントや翌週の準備などをしていたら7時。片道2時間かかる郊外の大学から、バス、私鉄地下鉄乗り継いで、帰宅は夜9時過ぎになりました。ああ、働き者です。

<つづく>
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2009年10月02日


ぽかぽか春庭「時の流れに身をまかせ」
2009/10/02
ぽかぽか春庭くねんぼ日記2009年10月(2)時の流れに身をまかせ

 9月末、私立大学の後期授業が始まりました。
 日本語教授法の初回授業。単位取得の条件やシラバス説明など、ガイダンスを行いました。午後2コマの授業を「初日はガイダンスだから少し早めに終わりましょう」と、授業時間自主短縮。

 毎年、第1回目の授業は「学習集団形成・ラポール作り」という「クラスメートとして仲良しになりましょう」という時間をとっていたのですが、今回は夏の集中授業を受けた学生が「リピーター」になって、同じメンバーで集まったので、ラポール作りの時間が必要なかったのです。
 日本語教授法の学生には翌週からの課題をたっぷり出して、「残り時間は来週の課題発表準備にあててください」ということにしました。

 早じまいには理由がありました。雨の中、バスを待つ余裕がないので、タクシーで駅前へ。ダンス仲間のミサイルママが「日本作曲家協会音楽祭のチケットがあるので、いっしょに見ましょう」と誘ってくれたので、間に合うように早じまいにしたのですが、駆けつけたときには前半が終わっていました。

 作曲家協会という団体がどんな集まりなのか知らず、ミサイルママは「豊島区合唱団」や「北区第九合唱団」に入っているので、クラシックの作曲家かと思っていました。クラシックの現代音楽などだと、疲れているので聞いているうち眠っちゃうかしら、なんて思って会場に入ったのですが、日本作曲家協会は、会長が服部克久、常務理事として弦哲也、都倉俊一、平尾昌晃などを擁する歌謡曲作曲家の団体でした。
 
 作曲家協会音楽祭は、歌謡曲を競作して最優秀作品に「ソングコンテストグランプリ」を授けるというものでした。前半の「奨励賞」になった曲のお披露目が終わって、グランプリ作品「春は桜の夢が咲く」から、聞くことができました。後半のプログラムは「水森かおりのご当地ソングメドレー」と、「遠藤実・三木たかし永遠に」という物故作曲家の代表作のカバー競演。最後は遠藤実の「高校三年生」を歌手全員と会場がいっしょに歌う、という〆。

 三木たかしの「時の流れに身をまかせ」と遠藤実の「北国の春」は、半年間の中国赴任中、何度もカラオケで歌いました。なぜかというと、中国語の歌だけで日本語の曲をおいてない一般のカラオケ店でも、この二曲は必ず中国語の歌の中に入っていたからです。歌詞は中国語が表示されますが、メロディは同じですから、うろ覚えのまま「しらかば~あおぞら♪」とか「もしもあなたに逢えずにいたら~♪」とか歌いました。

 テレサテン(麗君)中国語版「我只在乎你(時の流れに身をまかせ)」
http://www.youtube.com/watch?v=N72dsXD2GdM
 テレサテンが歌う「我和你(中国語版「北国の春」)」は、女性が恋人を慕う歌に成っています。
http://www.youtube.com/watch?v=6P_ySy5XzFI
 台湾の歌手、余天が歌う、「北国の春」は、日本語の歌詞を直訳した中国語の歌「榕樹下」となっています。
http://www.youtube.com/watch?v=USEKw58dGhY&feature=related

 惚け防止には、Discourse on the Method誤訳で頭を悩ませているより、カラオケのほうが役にたちそうです。
 終演後、ミサイルママと夕食を取りながら「ダンスで体を鍛えていきましょうね」と約束し、生ビールで乾杯しました。この先、寄る年波の身体がダメになるのが先か、もともと半ぼけのおつむがダメになるのが先か、とにかく「時の流れに身をまかせ」で行くしかありません。
 
<おわり>

2008/11/21
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年11月>ファミリーオペラ(5)セバスチャン・サルガドのアフリカ

 11月19日、木曜日に出講している大学が文化祭のために休講となったので、娘息子を誘って恵比寿へ。冷たい雨のふる中、ガーデンプレイスの写真美術館に入りました。サルカドの写真展『アフリカ』(12月13日まで開催)

 セバスチャン・サルガド(Sebastião Salgado、1944~)は、ブラジル生まれ。サンパウロ大学で経済学を専攻し、パリ大学に留学。博士課程修了後、エコノミストとして国際コーヒー機関に就職し、世界各地のコーヒー農園で働く農民の現状を知る。この現状を世界に知らせる必要を感じ、ジャーナリストに転身。現在まで活発な写真報道を続けています。
 作品集『WORKERS(労働者たち)』は、1986年~96年に23カ国を取材して各地で働く民衆を撮影した記録、『MIGRATION(移民たち)』1994年~99年に43カ国を訪れ、戦争、紛争、飢餓などの理由で生まれた土地を離れて暮らす人々を記録したもの。

 2004年からサルガドは「地球環境と人間社会の関係を再考する」という趣旨のもと、プロジェクト「ジェネシスGENESIS(起源)」を開始し、今回の『アフリカ』は、このジェネシス・シリーズのひとつ。「生きとし生けるものの未来へ」と副題がつけられ、アフリカの現状を知らせ、アフリカの教育、植樹活動を通じて地球の恵みと人類の歴史を考える、という100点のモノクロ写真から構成されている。

 報道写真であり、1970年代からのアフリカを見つめた作品群であるのだけれど、なにより画面が非常に美しい。モノクロの表現力が力強く美しく描き出され、完璧な構図で迫ってくる。「報道」ではなく、計算しつくしてそこに人物や動物を並べたかのように思うくらい、美しい。

 サヘルの干ばつで飢える人々、がりがりにやせた子供、乳が出るのかどうか、皺しわになった乳房に吸い付く双子の赤ん坊、内戦を逃れて難民キャンプで配給の食事を求める人々。地雷で手足を失った人々の群れ。大量虐殺ののち、孤児院に集められた子供達。
 悲惨のきわみの報道でもあるのに、サルガドはすばらしく美しい画面を構成する。私は悲惨な事実の重みとともに「どんな状況であっても、人間の尊厳とは美しく尊いものだ」という真実を感じました。画面の中の人々はどんな悲惨の状況にいても、気高く美しい。100点の作品のどれもがきわめて高い芸術性を持っており、圧倒されました。

 悲惨な状況を撮影して「悲惨である」と伝えることができる力量をもつ報道写真家はいくらでもいる。デジカメやケータイ写真が発達した現在では素人でもチャンスがあれば、「決定的瞬間」が撮影できる。しかし、悲惨な光景を描いて人間の美しさと尊厳を表現できる写真家はそうはいない。私が今まで見てきた写真で思い出すのは、ロバート・キャパの「スペイン内戦時、撃たれて倒れる兵士」とか、ユージン・スミスの胎児性水俣病患者の子とか。

 ケニアのトゥルカナ湖やソマリア国境付近のマルサビッドで撮影された写真の前で、「お母さんとお父さん、30年前にここに行ったんだよ」と話したのですが、娘も息子も「フ~ン」で終わり。娘は「人物のは白黒でもいいけれど、動物や風景の写真はカラーのほうがいいなあ」という感想。

 作品のいくつかが見られるサイト
http://www.syabi.com/backnumber/schedule/details/salgado.html
 
 娘と息子は、恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスイルミネーション、並木を飾る電飾やバカラクリスタルで構成されたシャンデリアの点灯を見て「わぁ、きれい」と喜んでいました。バカラもきれいでしたし、ガーデンプレイス38階の展望スペースから眺める雨上がりの東京の夜景もきれいでしたけどね。

<おわり>

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国民総幸福度

2010-12-19 22:15:00 | 日記
2009/10/30
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>幸福度ランキング(1)相対的貧困率

 厚生労働省は10月20日、国民の貧困層の割合を示す指標である「相対的貧困率」が、2007年度で15,7%だったと発表しました。
 厚労省のHPhttp://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/10/h1020-3.html
の報道発表資料として、以下の文面が、大臣官房統計情報部国民生活基礎調査室室長補佐 鈴木知子、政策統括官付社会保障担当参事官室室長補佐 竹林悟史を代表として掲載されています。
=======
厚生労働大臣のご指示により、OECDが発表しているものと同様の計算方法で、我が国の相対的貧困率及び子どもの相対的貧困率を算出しました。
最新の相対的貧困率は、2007年の調査で15.7%、子どもの相対的貧困率は14.2%。
=======

 春庭コラム「いろいろあらーな」では、2005年9月にジニ係数の数値をとりあげ、日本の貧困率が高くなってきていることを書きました。ジニ係数がゼロなら国民所得の格差はなく、平等。係数が1なら、格差は大きい。1960~1970年代は、日本が「一億総中流」と思っていた時代でしたが、この頃のジニ係数は0,2で、平等性が高かった。2005年の時点で、日本のジニ係数は約0,3に上昇しており、格差が広がっている。
 1980年ごろまでは、最高所得階層と最低所得階層の所得格差は10倍以下だった。しかし、2002年の格差は168倍に広がっており、2009年はさらに格差がひどくなっているだろう。高所得を一部分の金持ちが独占すると、国民の大半は平均所得に達しない状態が続く。

 厚生労働省が実施している所得再分配調査によると、日本の格差は、アメリカやイギリスよりは小さいが、デンマークやフィンランドよりは高い。相対的貧困率、ジニ係数、どちらを見ても、日本がどんどん貧富格差が開いていることがわかります。

 相対的貧困率は、「全国民の年収の中央値の半分に満たない収入しかない国民の割合」がどれくらい存在するか、という割合です。国民の所得分布の中央値と比較して、半分に満たない国民の割合をいいますが、国によって、この中央値は異なってきます。国内の経済格差がわかります。
 2008年の国民生活基礎調査(上記の鈴木知子さんが室長代理をしているの部署が行った調査だろうと思います)では、日本の一世帯当たり年間所得の中央値は448万円でした。その半分224万円以下の世帯収入の家庭が、相対的貧困率の対象となります。また、2008年の同調査室の調査によると、年間所得が200万円未満の世帯の割合は全世帯の18.5%だそうです。数字に弱い春庭、この計算方法がよくわからない。世帯当たりの年収448万円というのは、ひとり当たりにするといくらなのだろうか。

 10月20日厚労省発表の日本の相対的貧困率は。全世帯の可処分所得を1人当たりに換算し、高い順に並べたときに真ん中の所得(中央値)は228万円。その半分114万円以下の可処分所得(税金などを支払ったあとの、使えるお金)で生活している人が「貧困者」です。こちらの計算では「可処分所得一人114万円」というので、わかりやすい。
 98年以降の3年ごとの数値も公表され、98年は14.6%、01年は15.3%、04年は14.9%が相対的貧困層にあたる。

 OECD加盟30ヶ国のうち日本は27位という貧困率。一番貧困率の高い30位がメキシコ、ついでトルコ、アメリカ。アメリカは貧富の差が大きい国なので、トップの金持ちと貧困層の差があることはよく知られていますが、日本も負けず劣らず、貧富の差が大きい国になったのです。貧困率が低い国はデンマーク、スエーデンなど、北欧の福祉充実国です。税金の高さでは世界でもトップだけれど、国民全体が豊かさを享受しています。

 金持ちだけがどんどん資産を増やす方針のアメリカ、そのアメリカをお手本に「自己責任」と言いつつ貧困率を上げてきた日本。「よかった、うちは貧困家庭じゃなくて」と、思った人が幸福感を得ているとは限らない。貧富の差が大きい国は、「国民全体の幸福度」も下がる。
 社会への信頼や安全、生活の満足感などの総合した感じ方が「幸福度」であるとしたら、いくらお金持ちでもいつも「財産を失うかもしれない」「盗まれるかもしれない」という不安の中に生きているなら幸福度は低い。

 幸福感の調査というのも、いろいろな部署でいろいろな計測方法が出されているが、世界の幸福度ランキングで、日本はどの調査でも低い。

<つづく>
05:36 コメント(3) ページのトップへ
2009年10月31日


ぽかぽか春庭「国民幸福度」
2009/10/31
ぽかぽか春庭くねんぼ日記09年10月>幸福度ランキング(2)国民幸福度

 2008年発表の調査結果ですが、アメリカ国立科学財団(NSF)は、世界の幸福度ランキングを発表したそうです。世界で最も幸せな国はデンマークでした。
 この調査は、1981年から定期的に実施されているもの。2008年の調査はミシガン大社会調査研究機関の政治学者、ロナルド・イングルハート氏が率いて実施され、52の国の35万人を対象に「すべてを総合的に見て、今自分が幸せかどうか」と「総合的に考えて、自分の最近の生活にどの程度満足しているか」という2つの質問をし、回答者の答えを集計したのだといいます。
 各国・地域の住民に対し、幸福度と生活全般についての満足度を尋ねた結果、幸福度が高かった上位10カ国・地域はデンマーク、プエルトリコ、コロンビア、アイスランド、北アイルランド、アイルランド、スイス、オランダ、カナダ、オーストリアの順。米国は16位。日本は43位。プエルトリコやコロンビアのように、日本よりGNPが低い国でも国民は「今、自分は幸せ」と感じる人が多いことが注目されます。幸福感とは、年収や「物をたくさんもっている割合」では計れないということでしょう。

幸福度は経済成長や民主化、社会的寛容度の高さに比例し、独裁政権下の国や貧困国は幸福度が低い傾向をみせる。「幸せでない」と感じる人が「幸せ」と感じる人を上回ったのはルワンダ、ロシア、イラクなど19カ国。最下位は政情不安が続くアフリカ南部のジンバブエ。ムガベ大統領による長期強権政治、超高率インフレなどで、住民が隣国の南アフリカへ脱出してしまう状態。

 舅の残した遺族年金で暮らし、「貧困家庭」ではない生活を一人で楽しんでいる姑、我が家が「(実質的)ひとり親貧困家庭」であることは知りません。「男は家族を養う存在」と信じている姑なので、「息子は自営業で苦しい経営だけれど、家族のために一生懸命働いている」と、思わせています。姑は「息子の家庭は、贅沢はできないまでも、世間並みの生活をしている」と信じているので「ひとり親貧困家庭」の実態を知り「エンゲル係数、超高い」生活を知ったら心配が高じて健康に悪いかもしれない。姑が介護が必要な状態になったら私は稼ぎに出ることもできなくなって一家全滅してしまうので、姑の前では「幸福」を演じなければなりません。

 「幸福感」とは必ずしもお金のあるなしで決まるのでないことは、GNPが高くなくても「国民幸福度」が高い国もあることからもわかります。私はひたすら「貧乏でも楽しんで生きる」工夫を続けています。「国民幸福度」の計算方法とは異なるでしょうが、我が家、貧困家庭の一員ではあっても、不幸ではない、、、と私は思っているんだけど、息子と娘にしてみれば、貧困家庭で育ったつらさをもう十分に味わった、とうところか。

 貧困家庭の「生活を楽しくする工夫」のひとつが、招待券集め。招待券を手に入れて絵画展写真展を楽しんだり、古本屋の百円均一本を買うのだけがショッピングの楽しみだったり、「安い、無料、ご招待、」を生活の楽しみにしています。
 招待券もらってタダで見る絵画展でも、絵を見て心ゆたかにすごす時間は同じです。
 百円本だとて、読む楽しみは同じ。百円本が簡単に買えるようになって、図書館で借りる率が減りました。図書館の本は返さなければならないので。少し待てば古本屋に出回ると推察できる本は、すぐ読みたくてもちょっとがまん。

 百円本にはいろいろな「思わぬ出会いの楽しみ」があります。先日百円本の中で見つけた池田亀鑑『平安朝の生活と文学』は、絶版にはなっていないけれど品切れ本で、復刊希望が出されている本です。百円本の棚で、新刊書店では買えないこんな品切れ本も見つけることができます。

 「幸福度調査」のアンケートが私のところにやってきたら、、、、。「貧乏ではあるけれど、一病息災であるし、雨露しのげる住まいがあるし、仕事も続けていられて粗食は食べられるし、不幸といったら罰当たりそうだから、一応幸福と言っておかなければならないかもしれないんでしょうけれど、、、」という歯切れの悪い返答ながら、「不幸ではない」ってほうの部類に自分を入れないと、戦下に暮らしている人や地震や津波の被害から立ち直れない人に申し訳ないから、、、、


<おわり>
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おひとり様の外食

2010-12-12 09:23:00 | 日記
2008/11/19
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>おひとり様の外食(1)製麺所ラーメンふじまる

 昨日11月18日は、娘&息子が遊びに出かけて「晩ごはん食べて、閉園まで遊んでくるから、ハハひとりで夕ご飯食べて」という。ディズニーフリークの娘&息子は、ハロウィーンだ、クリスマスだと、しょっちゅう舞浜へ行く。なんでも、18日はミッキーマウスの誕生日でバースディ特別ショウがあったんだって。私は仕事して帰ってひとりで食べるのも味気ないから、ラーメンでも食べることにする。

 ラーメンのお気に入り店がある。メニューは一種類のみ。750円が並。1000円は国産ぶためん(チャーシュー大盛り)。生卵、国産ニンニクなどは別料金だけど、キャベツもやしの「野菜増し」は無料。

 豚背油スープのこってり系なので、体調よろしくおなかがぺこぺこの時でないと、年寄りの胃にはきつい。ファンは男性がほとんどで、女性は男性の「連れ」として来るのみ。年配女性がおひとり様で食べてるのは、2004年から店に通ってきたのに、私以外に見たことがない。

 だから、たまにしか行かない常連とも言えないのに店長さんは私を覚えていてくれてる。いつだったか財布にお金が入っていないのを忘れて入店し食券機の前で、「あ、銀行寄ってくるの忘れた、お金が足りない」とつぶやいたら、「この次来るときいっしょに払ってくれればいいですよ」と言ってくれた。

 春庭bbs 2008年2月15日の書き込みより。現在のラーメンの値段は750円だけど、1年半前は680円だったことがわかる。

haruniwa (2008-02-15 12:31:28)
 昨夜は、ラーメン食べて早寝。
 「製麺所ラーメン富士丸」というのが、私のお気に入り。

 「製麺所ラーメン二郎 マルジ」が、店名変更。昨年、わたしが中国へ行っている間に「製麺所ラーメン富士丸」になったけれど、作っている人は、私が2004年に初めて食べたときから変わっていない。(創業1994年ころらしい)

 ラーメン通の間では「二郎系」と呼ばれる種類で、豚背油たっぷりの汁にごろごろ大きなチャーシューが入り、上にもやしとキャベツのゆでたのが、富士山のように山盛りになっています。
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13002910/

 私の注文は「麺少な目、やさいたっぷりニンニク少々」680円です。
 麺は自家製手打ちの太麺。体調がよく胃が万全の時でなければ、「緬少な目」でも完食はむずかしい。このごろは、麺半分という注文もします。麺半分でも他店のラーメンの量と同じくらい。

 私は食べ物は完食をルールにしているので、残したくないので、月に一度はたべたいけれど、実際には、季節に一度ほどの注文になっています。

 食べたあとは、ちと苦しい。おなかいっぱいだし、背油スープは年寄りの胃にはきつい。
 三ヶ月に一度しか行かないのに、いすにすわると店長が黙礼してくれる。イケメンの店長なのでちょっとうれしかったりして。

 それで、2月14日、仕事帰りにふじまるラーメンによって、完食した後、「もう、お母さんは夕食いらない。寝る」と、8時に寝てしまった。娘は私が買っておいた安売り牛肉で牛丼をつくり、弟と2人で食べたって。

ラーメン
haruniwa (2008-02-16 01:07:47)
 昨日寄ったラーメン屋にまた今日も行った。2日続けて同じ店で食べて、それでも美味いと感じるかどうかの実験のためにいったのだけれど、うまかった。
 昨日2月14は木曜日で開店と同時に入ったので、待ち時間は10分だったけれど、今日は花金で、ラーメン通オノコどもがグループでわんさか列をつくって並んでいた。

 北本通り沿いの歩道にならぶベンチ。きたほんどおりっつうくらいだから、道路は北へ向かって延びており、寒風ふきすさぶ。前のほう15人くらいはベンチがあるけれど、あと15人くらいは立ったまま風にさらされてまつ。

 私は列に並び初めて、すぐに後悔した。たかがラーメン一杯のために、こんな難行苦行をつむ意味が、私にはない。

 とおくからこのラーメン富士丸めあてに電車賃かけ、1週間のイベントとして来ているラーメン通若人たちには、たかがいっぱいのラーメンのために、この難行苦行をかさねることこそ、味を高める秘訣なのだろうが、私にはそんな義理はない。

 近所だから、自転車できて、食べたいときに食べればよい私には、なんで、みんなこんな寒い中、バカみたいにならんでんだよ、と思っていた。私が一番ばかだね。なぜなら私が一番年寄りだから。
 列にならんで65分。やっと店の中に入れたときは、死後硬直がはじまりそうな気配だった。

 ただし、いつも自由にこられるというわけではない。
 私自身の体調がよくて、胃がぴんぴんしていること、という条件に加えて、息子娘が外出していることという条件が加わる。

 娘と息子が家にいるときの夕食、私は外食しないでちゃんと家で食べるようにしているので。
 疑似母子家庭3人母子は、こうやって、肩寄せあって一杯のかけそばをすすってきたのだよ。
=============

 味の表現ができない私なので、週に三日このラーメン富士丸に通うという人の評価を見てください。
http://r.tabelog.com/tokyo/rvwdtl/411127/

<つづく>
07:53 コメント(2) ページのトップへ
2009年11月20日


ぽかぽか春庭「500円ランチ」
2008/11/20
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>おひとり様の外食(2)500円ランチ

 ふだん外食ランチするとき、千円以上のメニューは高いから食べない。で、私の外食、お気に入りはどこかというと。ワンコインランチ\500で昼ご飯が食べられる店。
 東京近辺でワンコインランチの情報サイトも充実してきて、渋谷や新宿などの繁華街でも500円ワンコインランチが増えているようです。世が不況なれば、ランチも激安勝負をかける。

 厚労省が貧困者の割合を発表して、自分が貧困者であることを自覚した人も増えたので、激安店増加はありがたい。結婚以来ずっと貧困者の春庭ランチは、コンビニで賞味期限切れ直前弁当を格安で売るならそれで十分と思っているのだけれど。(ちなみに、政府の言う「貧困家庭」とは、税金などを引いたひとりあたりの可処分所得が年間114万円以下。夫婦二人暮らしなら、228万円、4人家族なら可処分所得456万円以下が貧困家庭です)。

 貧困者春庭が気にいっているワンコインランチ店、3店のご紹介。「ポポキ」「みのや」「ちゃぶぜん」

 総武線西千葉駅前ポポキ。ポポキとは、ハワイ語で猫のこと。ドア前の猫の置物が目印。
 ご主人と奥さんが世界中を旅した記念写真が壁中にところせましと貼ってあります。私は、残念ながら、ポポキ夫妻のように世界中を旅行したことはない。でも、ここにある写真全部の国の留学生を教えてきた。私が教えた留学生の国籍は100ヶ国になる。今期はじめて教える国の留学生はアフリカのウガンダから。アラビア半島オマーンからの学生は、たしか二人目だと思う。

 ポポキ、いつも学生ですぐいっぱいになってしまうのだけど、列作って並んで食べる価値はある。なにしろ、500円。
 ランチ\500、ディナー\600(メニュー内容は、ランチもディナーもほとんど同じ)。ワンプレートに山盛りのおかずとご飯、サラダ。ハワイ名物ロコモコほか、オリジナル多国籍料理。食い盛り学生向け格安ランチ。
 カウンター10席だけの店の中、ドアの外に並んで待つ人、多数。

 お次のワンコイン食堂紹介は、京浜東北線東十条駅北口階段上って20メートル。トンカツの「みのや」。王子、十条、東十条界隈を紹介する番組などでは常連の店だけど、有名になっても店の人たちは淡々とトンカツをあげ、トントンとキャベツを刻んでいる。
 どんぶりの豚汁(かつおだし)と、山盛りのキャベツ。何よりもトンカツがでかい。それで、セットで500円。ランチタイムは11:00~14:00だけど、夕食タイムもまったく同じ値段同じメニュー。
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13008750/

 千葉駅構内(エキナカ)の一膳飯屋「ちゃぶぜん」
 おろしカツ丼580円、唐揚げ定食560円など、どれもおいしい一膳飯ですが、新聞に取り上げられて、ど~んと注文する人が増えているのが「いわし定食」
 よその店の「鰺フライ」「いわしフライ」では、開きにした鰺や鰯がフライになっていますが、ちゃぶぜんのいわしフライは、頭を落とし、骨を抜いた丸姿でフライになっています。太めがうれしいイワシの丸揚げがどんとふたつ。おみそ汁、佃煮、ご飯で500円。
 「ちゃぶぜん」紹介ブログをリンク
http://blogs.yahoo.co.jp/taro_hana_99/29034741.html

 「さくら水産」は、都内どこの駅前にもあるチェーン店。500円ランチの定食は、ごはんおかわり食べ放題。店の壁際にジャーが置いてあって、客はセルフサービスでおかわりする。私はご飯のおかわりはしないけれど、生卵と味付けのりとふりかけ、みそ汁ご自由にどうぞ、ってとこがお気に入り。居酒屋チェーンのランチなので、女性がひとりで食べてるのは、吉野屋の牛丼と同じく、ちょっとおひとり様しにくい雰囲気はあるのだけれど。

 10月11月のヨシギュー、牛丼食べると1枚サービス券がつき、3枚ためると1食無料になる、というキャンペーンをやっていて、券が3枚あったので、先週、東武線川越駅の駅構内にある吉野屋で牛丼を食す。吉野屋は後払い方式の店が多いけれど、駅構内にあるせいか松屋などと同じく食券制だった。席についたら店員に「あ、そちらで食券買ってください」と言われ、気弱く「あの、サービス券3枚持ってます」と申告。カウンターで黙々と箸を動かすお父さん達と並んで、1食380円の牛丼(サービス分で割ると一食285円)を食べた。 なんだか涙ぐましいランチをおひとり様にてかっ込み、仕事先へ行ったのでした。

 貧民の貧困食と言うのはやめましょうね。「B級グルメ探訪の愛好者」と言っておきましょう。
 
<おわり>
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おひとり様の老後ビフォーアフター

2010-12-07 06:17:00 | 日記
2009/12/21
ぽかぽか春庭くねんぼ日記>年末雑感・今年の百円本から(1)おひとりさまの老後

 貧乏一家にようやく暖かさが!ってほどでもないけど、昨日、めでたくこの冬はじめて暖房を入れました。換気扇を取り外した穴をビニール袋でふさいで5年になる我が家、この冬は、暖房を入れずにすごす最長記録の更新です。親子して我慢大会を続けてきましたが、限界にきて息子風邪ひくし、娘はうつるし。まあ、寒い日々でした。
 初暖房は12月20日朝。家にたったひとつの暖房器具であるストーブに石油をいれ、ファンヒーター運転開始。
 これまでどうやって暖を求めていたかというと、食事時間以外は各自ふとんに潜って寝床読書やら寝床ゲームで自分の体温暖房という究極のエコ生活でした。でも、私、ふとんにもぐるとすぐに寝ちゃうから、家では読書時間ほとんどとれなかった。
 
 このところの読書は、ほとんどが仕事関連に役立つと思える本や自分がレポート書いて提出するための参考書で、純粋な「お楽しみ読書」が極端に少なくなってしまった。お楽しみ読書用の本はほとんどが古本屋の百円均一本。専門書は高くても買わざるをえないけれど、お楽しみ本は百円本に限る。しかし読む時間は電車の中でとるしかないので、どうしても仕事本優先になってしまう。

 仕事本といっても、自分の好きな分野の話であるから、読めばおもしろい。今年2009年に出版された本では、荒川洋平『日本語という外国語』、籾山洋介『日本語表現で学ぶ入門からの認知言語学』などおもしろく読みました。

 ベストセラーというのは、出版された年にはレビューが新聞やネットにどっと出るので、おおよその内容はわかる。買うときのワタクシルール。①新刊書で買う②単行本が古本屋で半額になったら買う③文庫本になったら買う④単行本新書文庫本とも百円になったら買う、というランキングがあります。

 百円本に出回るまで買うのをやめておこうと思った本、たとえば水村美苗『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』2008年出版。レビューでだいたい内容がわかったし、自分には合わない論調だということもわかったので、すぐには読まなくてもいいと判断。2009年に小林秀雄賞を受賞したことによってまた売上げもあがったようですが、まだ百円均一本の中に出回ってこない。

 ようやく百円本になってブックオフで買って読んだのが上野千鶴子『おひとりさまの老後』。2007年に出版されたときのレビューを見て、やはり「これは読んだら腹立つから、ほとぼりさめるまで読まんでおこう」と思ったのですが、百円均一本に出ていたので電車の中で読んでみましたが、レビューどおりでした。

 ネットレビューのコピー
  「シングルの老後についてのノウハウ本。といっても、「カネがそこそこあって、かつ友達がたくさんいる人」の話しか出てきません。きっと著者は、カネがなかったり友達がいない人は自己責任なので淋しく死になさい、という考えなのでしょう。
  「やはり一部の成功した人、恵まれている人の立場で書かれたものだと思います。上野先生には期待して読ませていただいたのですが、もっと庶民の目線で書いていただきたかった。読んでいて無神経さが目に付き、とても疲れてしまいました。人間はそんなに強くない。順調な時ばかりではない。今、心身ともに元気な人には参考になると思います」
  
 上野千鶴子に言われんでも、老後に「ある程度の金は必要」とか「困ったときに手をさしのべてくれるような友達がいること」とか、わかっているっつうの。
 わかっているけど、現在心身弱っている高齢者予備軍にとっては、今の自分の境遇は、「若い頃は子育てや日銭かせぎにせいいっぱいで、友達を作る余裕すらなかった」「生活保護より低い金額の年金しか得られないことがわかっている」という現実の前に、心なえるばかり。

 明日をも知れぬ爪に火ともす暮らしを続けているのに、「老後には年金にプラスするお金が必要、個人年金を加えよう」とか「○○さんは、生命保険を個人年金に仕立て直して一ヶ月100万円の年金を得ている」というような話ばかり並んでいると、「明日は公園の片隅で暮らす覚悟」を固めて年末すごす層の人間には、ウソ寒くなるって部分もありました。「友人をふやそう」という例でも、東大教授上野先生は「別荘に友達を集めてパーテイをする」という交流を楽しんでおられるよし。ゴミ屋敷のような2DKに母子片寄せ合って暮らしている我が家からみると、ため息が出ます。と、年末恒例愚痴特集にちょうどいい『おひとりさまの老後』でした。

<つづく>
04:07 コメント(2) ページのトップへ
2009年12月22日


ぽかぽか春庭「平安朝の生活と文学を読む平成の生活と文学」
2009/12/22
ぽかぽか春庭くねんぼ日記>年末雑感今年の百円本から(2)平安朝の生活と文学を読む平成の生活と文学

 『おひとりさまの老後』は、友人のミサイルママにあげました。ミサイルママは、離婚後女手ひとつで息子ふたりを育て上げ、次男君は大学卒業後家を出て自立していますが、長男くんはアルバイトしながら演劇活動を続けており同居中。「パラサイト息子をかかえて、細々働く母親」仲間です。

 いずれ一人暮らしで老後を過ごすことになるだろうと思っている人なので、一応参考のために本を回しましたが、彼女も読んだらため息ついて「こんなに余裕あるんなら、老後の心配なんぞすることないよ」と思うんじゃないかな。「老後も続けられる趣味を持て」という御教訓の部では、彼女はすでに、ジャズダンス、合唱団、独行山登りという趣味を持っているし。
 1400円だして新刊書買ったなら、「ミサイルママとランチでもしたほうがよかった」って気にもなるけれど、100円ならね。読んで得るところもあったのだし、わびしい思いをつのらせることもないか。恵まれた老後をおくる人もいれば、うらぶれた暮らしを今のまま続ける私もいるってことで。

 百円本、碩学のこのような貴重な作品をたった100円で買って申し訳ないと思いながら読むこともあります。池田亀鑑『平安朝の生活と文学』角川文庫。初出は1952年。文庫化されたのが1964年で、私が買ったのは1987年の第33版。息長く読まれてきた平安文学の理解を助ける平安朝の生活について書かれています。
 橋本治『源氏供養・上巻』。下巻は100円の書棚にはなかった。それで、ついでに『平安朝の生活と文学』を買ったのです。源氏供養も平安朝の生活と文学も、仕事とは直接関わらないお楽しみ読書として、おもしろく読みました。直接仕事には関わらないと言っても、日本語教師は留学生にとって日本の文化の窓口ですから、どんなことであれ読んでおいて損はない。

 加藤周一『日本人とは何か』、澤瀉久敬『「自分で考える」ということ』など、100円で買っちゃってすみませんねぇと思いながら読ませていただきました。
 村瀬学『恐怖とは何か』なども、100円でなければ、手に取ることはなかったであろう専門外分野の本。身体感覚、安全からはずれることの恐怖などについて、まとめてありました。

 おひとりさまで老後をすごすというとき、「もっとも安上がりな趣味」は、百円本読書だろうと思います。脳の老化防止に最適。本を読むのが楽しいと思えるとお得です。
 自転車で10分のところに快適な図書館もあるし、古本屋もあるし、お金はなくともまあまあ楽しい「おひとりさまの老後」を過ごせそうでよかったと思います。
 上野千鶴子は「老後退屈しない暮らし」には、「そこそこのお金と友人のネットワーク」が必要と書いていますが、私はなんとかして「お金も友達も少ないけれど、楽しい老後」をめざします。

 東京都の老人交通パスがもらえるようになったら、「老人パスでめぐる文学歴史散歩」なんかもして、写真をネットにUPする楽しみ方もできそうだし、BS放送などやTutayaが始めた100円レンタルDVDなんか利用すれば映画もいろいろ楽しめそうだし、「退屈死に」はしないでしょう。

 今のところ、映画は「映画パスポート」というのを借りられて、タダで見ています。
 今年見た映画、日本映画では西川美和『ディア・ドクター』2009、役所広司『ガマの油』 2008、滝田洋二郎『おくりびと』2008など。今年封切りではなく、去年公開の映画が多いのは、ロードショウ館ではなく、二番館の飯田橋ギンレイホールで見ることが多いから。夫から「会社の福利厚生用」の映画カードを借りてタダで見る。なけなしの生活費を会社運転資金に貸し出した分の利子にもならんとは思うけれどね。

<つづく>

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