春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

2023年3月目次

2023-03-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20230330
ぽかぽか春庭2023年3月目次

0302 ぽかぽか春庭アーカイヴ(む)向田邦子『霊長類ヒト科動物図鑑』
0304 ぽかぽか春庭アーカイヴ(め)明治天皇御製
0305 ぽかぽか春庭アーカイブ(め)明治天皇御製つづき
0307 ぽかぽか春庭アーカイブ(も)森鴎外
0309 ぽかぽか春庭アーカイブ(も)森鴎外つづき
0311 ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山崎正和
0312 ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山崎正和つづき
0314 ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山口昌夫
0316 ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山口昌夫続きシニア協力隊
0318 ぽかぽか春庭アーカイブ(ゆ)湯川秀樹
0319 ぽかぽか春庭アーカイブ(ゆ)湯川秀樹つづきアインシュタインロマン

0321 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2023日本語学校早春~春(1)卒業式
0323 2023日本語学校早春~春(2)おわかれメッセージ、おわかれ会食
0325 2023日本語学校早春~春(3)卒業アルバム

0326 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023フギュアスケート三昧(1)浅田真央アイスショウ ビヨンド
0328 2023フギュアスケート三昧(2)フィギュアスケート2023世界選手権 in さいたまアリーナ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「フィギュアスケート2023世界選手権 in さいたまアリーナ」

2023-03-28 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230328
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023フギュアスケート三昧(2)フィギュアスケート2023世界選手権 in さいたまアリーナ

 フィギュアスケートのチケット。これまで、羽生結弦が選手として出場する大会では、抽選に応募してもなかなか当選しなかったのですが、2023年たまアリ世界フィギュアは、どれか当たればいいなと、念のために2試合とエキシビション公演に応募したら、女子ショートとペア、男子フリーとアイスダンス、エキシビションメダリストオンアイス、3つ全部当選。
 羽生結弦が現役引退以後、各地大会の観客数激減で、スケート連盟は頭を抱えているそうですが、浅田真央羽生結弦ほどの国民的人気を得る選手はなかなか出ないかも。

 私としては、エキシビションはテレビ中継でもいいと思っていたのですが、フィギュア大好き娘は、3つ当選したら3つとも見たい。
 3月22日水曜日 女子ショート、ペアショート プレミアムシート前列1列目(1列目の前に特別席があったので、2列目だけど)
 3月25日土曜日 男子フリー、アイスダンスフリー 200レベルのはじっこ
 3月26日日曜日 エキシビション プレミアムシート J列(前から3列目)

 3月22日水曜日は、日本中が、と言って過言でないくらい、人々の目はWBCに向けられていました。でも「チーム競技より個人競技」好みの私は「WBCはあとで録画観戦」と決め、11時ペアショートプログラムスタートに合わせてさいたまスーパーアリーナに到着しました。
 会場はまだ3分の1も埋まっていません。


 (選手演技写真借り物。観客がうつっているものは、テレビ録画から)

 ペア競技ショート。
 日本のテレビ放映では、ペアは優勝チームと日本勢の放送だけ。下位のペア演技を見ることはできないので、どのペア演技も新鮮に見守りました。そして期待のりくりゅうペア。試合開始前に「りくりゅうバナータオル」を買ったので、紹介コールのときや演技開始前に娘は応援の気持ちをこめてタオルを振りました。
 ショート演技は、完璧のできでした。ほんとうに見事な美しいすべりで、観客総立ちのスタンディングオベーションでした。私は膝が痛いからという言い訳で座ったままだったのだけれど、気持ちは立つ以上に飛び上がっていました。
 期待通り、りくりゅうショートの演技は1位通過。フリーへの期待が高まりました。
 テレビ録画から抜き出したhalが映り込んでいる画面。白い矢印のしたが私。


 ペアショートと女子ショートの間に、オープニングセレモニーがありました。シンクロナイズドスケーティングの演技と、現役引退した田中刑事宮原知子と川﨑桜(乃木坂46)のトリプルスケーティングが披露されました。乃木坂46の楽曲「シンクロニシティ」で 川崎が登場すると、アイドルグループにスケートができる子がいるなんて知らなかった私はびっくり。乃木坂に加入前、10年間スケートを続けてきたそうで、なかなか見事なすべりでした。 


 シンクロは、いつも娘と「これが団体競技の正式種目に加われば、日本優勝確実なのに」と言っている種目。「明治神宮外苑フィギュアスケートクラブ」による見事な演技でした。 

 女子ショートが始まる前に、家で作ってきた稲荷ずしを大急ぎで食べる。なにせ、午前11時から午後8時半までの長丁場。外に食べに出る時間はないので、観客はそれぞれ持参のお弁当を食べる。アメリカンドッグなどの軽食は売っていますが、売り場の列に並ぶのも時間がかかるので、ほとんどの客は持ち込みです。通路にテーブル代わりになる台が置かれていますが、立って食べることになるので、休憩時間に客席で食べる客も。係員に尋ねて確認したところ、ガサガサと音が出るもの、臭いが周囲に広がるものは、不可ですが、周囲の席に不快感を与えないなら客席で飲みものなどをとることはOKとのことでした。「飲みものなど」の「など」に、観客はそれぞれ持参の食べ物をあてはめている。私も稲荷ずしならそう音もないし臭いもないので「など」に入ると判断して食べる。娘はサンドイッチ。

 4階までぎっしり客が入った満員御礼のときは、トイレに並ぶ列がすごかたのですが、ペアショートが終わった段階でも、客席は半分ほどの埋まり具合なので、トイレも少し遠くても席数の多いところをめざせば、15分の整氷時間内に娘と交替ですませることが可能でした。

 席は、アリーナ席向かい正面の1列目。ただし、1列目の前にアリーナD席という特別席があったので、リンクまでの近さでいうと2番目。それでもこれまで見てきたさいたまアリーナの中で一番前の席で、選手の顔もはっきり見えます。目の前をスケーターが通り過ぎるときは、そのスピード観がすごい。

 女子ショート。
 申し訳ないことに、第1グループと第2グループのほとんどの演技をうつらうつらと居眠りしながらの観覧になりました。たぶん、第1と第2グループの選手は、24位までに入ることができず、足切りされて次のフリー演技には進めないのだから、この1回かぎりの「世界選手権出場」を見届けてやらなくちゃと思ったのですが、第2の最後のふたりだけちゃんと見ました。娘に「どの選手もいっしょうけんめい演技しているのに、真剣に見てやらないのは失礼でしょ」と、叱られるのですが。

 第3グループで観客のスタンディングオベーションを受けたのは、アメリカのブレイディ・テネル。2022年1月に足の怪我によりアメリカ五輪選考会を欠場。ケガ治療後に競技復帰しましたが、全米No.1だったころの本調子は戻っていませんでした。ようやく今回世界選手権に復活登場したことを観客は知っていますから、その復活を祝して、テネルの演技に拍手を送ったのです。テネルは、声援を受けて涙涙でキス&クライへ。点数はまだまだ元の通りの復活とはいきませんでしたが、日本の観客のあたたかい応援をえて、きっとこのあとまたがんばれると思います。

 第4グループと進み、演技も迫力が加わっていきます。第5グループ期待の渡辺 倫果。娘は1番前の席だから届くだろうと、せいいっぱい「りんかちゃん、がんばって」と、応援の声をあげましたが、冒頭の3アクセルで転倒、その影響で次のジャンプもすっぽぬけてしまい、15位と出遅れました。

 第6グループには、三原舞坂本花織が出場。出場順は。
30.アナスタシヤ・グバノワ(ジョージア)(20時10分)
31.三原舞依(シスメックス)(20時17分)
32.李海仁(イへイン韓国)(20時23分)
33.金芸林(キムイェリム韓国)(20時29分)
34.坂本花織(シスメックス)(20時36分)
35.ルナ・ヘンドリックス(ベルギー)(20時42分)

 画面右上GPファイナ(ル)のPの字の下にいる私と、舞ちゃんのスピン


 三原舞ちゃんも、つらい病気を克服しての復活劇をフィギュアファンはみな知っていますから、今にも折れそうな細い体でがんばる舞ちゃんを応援する拍手にも熱がはいります。娘も、6分間練習ですぐ目の前を滑る舞ちゃんに、「がんばれ~」と、せいいっぱいの声援を送っていました。
 ディフェンディングチャンピオンの坂本花織は、みなが「強い!」と思っているのですが、舞ちゃんにはだれもが「支えてあげたい」という気持ちになるのです。舞ちゃんのすべりは、ほんとうに美しく、すばらしい出来でした。

 白い矢印の上にいる私と坂本花織の演技

 
 結果、ショート1位坂本花織、2位イへイン、3位三原舞。フリー演技が期待されます。

 23日木曜日。ペアフリーで、りくりゅうは金メダル。グランプリファイナル1位四大陸1位と合わせて、グランドスラム達成。日本フィギュア界初の偉業です。
 男子ショートは、ケガが報じられて心配されましたが、宇野選手は1位通過。フリーに連覇をかけます。

 たまアリいりぐちの舞ちゃん写真と私


 録画で見たWBC。結果を知ってから見たので興奮はしませんでしたが、優勝、ほんとうによかったです。大リーグの大谷選手ダルビッシュ選手は知っていましたが、日ごろ大リーグ試合など見ていないので、ヌートバーをWBCが始まる前のニュースではじめて知りました。
 よいチームでみなで力を合わせて優勝。こういう試合なら「チーム競技」もいいなと思います。

 さて、フィギュア男子フリーとアイスダンスフリーの応援、25日土曜日に生観戦です。

<つづく>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「浅田真央アイスショウ ビヨンド」

2023-03-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

20230326
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2023フギュアスケート三昧(1)浅田真央アイスショウ ビヨンド

 浅田真央アイスショウ「ビヨンド」を見てきました。
 3月18日土曜日、東京立川公演の初日。立飛アリーナに出かけるのは初めてのことで、様子がわからないから少し早めに家を出て、青梅特快で立川へ。時おり強まる雨の中、立川駅から多摩モノレール立川北駅へ。はじめて多摩モノレールに乗りました。グーグルで地図を見ながら歩いても反対方向へ行ったりする方向音痴なので、3時半開場のところ2時に立飛駅につきました。立飛アリーナは駅前すぐのところにあり、早すぎたので、立川ららぽーとで時間をつぶす。
 娘とは現地集合です。

 コンサートやフィギュア公演のグッズを買い込むのが、娘の愉しみのひとつ。大きなビヨンドバッグと公演パンフ2冊を買ってきた娘と4時半の公演開始を待ちます。
 前回江戸川区での公演は、何度も抽選にはずれてようやくチケットを手に入れたのですが、今回は、立川公演18-26日という連続公演の初日だからか、娘はよい席を確保できました。
 
 羽生結弦東京ドーム公演など、家族ひとりひとりの名前で何度も応募して抽選に挑んだのに、3万人収容のドームチケット、ついに全滅でした。羽生人気、どんだけ~!
 ドーム、一番天井に近い席で2万5千円、アリーナ前列は、おそらく10万20万するのでしょうが、コアファンはゆづ君おっかけを人生の目的にしているので、違法なダフ屋のチケット100万だって言われれば、100万円はらって席を確保することでしょう。この物言いは、「すっぱい葡萄」の典型です。

 真央ちゃんの公演コンセプト「チケット高くて生のスケートショウを見たことないという人にこそ、気軽に見てもらいたい」という方針に賛成。アリーナ席北側1列のはじっこ。一番前の席で、真央ちゃんを1メートルくらいの近さでみることができて感激でした。真央ちゃん、30歳すぎても「真央さん」じゃなくて「まおちゃん!」と声をかけたくなります。


 全員でのオープニングナンバー「Sing Sing Sing」からラストナンバー「ビヨンド」まで、展開の早い演出ですが、各曲の緩急があり、とてもよい90分のショウでした。
 アンコールに答えて真央ちゃんがマイクを持ったあと、「初日公演の日には、お客さんに感想を聞いてきたので、どなたかお願いします」という呼びかけにふたりの人が応じました。ひとりは、真央ちゃんおっかけをして全国の公演について歩いている、という「真央ちゃんはわたしのヒーローです」さん。もうひとりは「はじめて生でアイスショウを見て、感激で泣きっぱなしでした」という「アイスショウお初」さん。ふたりともとてもよいコメントだったので、「仕込み?」って思った。だって、私にマイク向けられたとしても、あんな立派なこと言えないもの。
 ふたりのコメントに代表されるように、前回の江戸川区公演よりもさらにバージョンアップしたとてもよい公演で、衣裳、振り付け、演出、すべてよかった。ことに、正面の大型ビジョンの映像とのコラボ演出がスケートをより楽しくしていました。
 まおちゃんは「ビヨンドは、乗り越えて進む、という意味です。今までのつらいことたいへんだったことを乗り越えて前へ向かいましょう」と、あいさつしていました。

 前回までと違うところ。
 今回メンバーに加わった柴田嶺は、シングルからペアに転向し高橋成美のパートナーもつとめたスケーター。今回、シェヘラザート。柴田は「金の奴隷」。真央ちゃんのハーレムの美女との恋物語を真央と演じ、とてもよかった。しかし途中でちょっと真央を支えきれなかったところがあり、フィナーレで引っ込むとき、真央に両手をついてごめんなさいしていました。いっしょうけんめい謝る姿がかわいらしかった。
 まおちゃんは、北側1列目のいちばんはじに座っていた私の目の前に赤い布をかぶって出を待っていました。ライトがついたら真央ちゃんがいたのでびっくり。
 ペアの要素もいろいろとりいれた振り付け、リフトのほかフリースローもあったので、思わず「おお!すごい」


 白鳥の湖もよかった。ただ、私はバレエの白鳥湖を40年もみつづけていたので、真央ちゃんがオデットからオディールに変わったあと、もう一度オデットになるのかと待っていたら、オディールと王子とロッドバルトの3人のからみで終わりました。
 オデットからオディールになるときは白鳥娘たちの群舞の間に時間稼ぎができたので着替えられたけれど、オディールからオデットになるとき着替えの時間がないなら、最初に白いマントのようなのを羽織った姿で出てきてリンクを一回りしておいて、オディールの衣裳の上にもう一度はおって王子と手に手をとってリンク一回りしたらバレエの3幕のかわりになったんじゃないかと。やっぱり最後はオデットになってほしかった。むろん、バレエとスケートは別物なので、バレエと同じストーリーにする必要はないのだけれど、オディールで終わったら、白鳥湖はロッドバルトとオディールの勝利でおわるかんじがしてしまう。


 出演者のうち、江戸川区のサンクスツアーでも見たスケーターは、今井遥とマルティネス・エルネスト。あとは、今回のビヨンドのために集まったメンバー。どのナンバーもとてもよいアンサンブルで心地よく90分見ていられました。
 <出演者> 
田村岳斗/柴田嶺/今井遥/小山渚紗/中村優/山本恭廉/松田悠良/マルティネス・エルネスト/今原実丘/小林レオニー百音

 曲目のセットリストは、まだ公演中なので、白字で示します。見たい人だけドラッグ反転で見てください。

シングシングシング Sing Sing Sing
アイガットリズム I got rhythm
ラベンダーの咲く庭で Ladies in lauvennder
セイへイキッド Say Hay kid
シェヘラザード Scheherazage
カルメン Carmen
バラード第1番 Ballade No.1 in Gminer Op23
幻想即興曲 Fantaisie Jmpromptu
シュ二トケ・タンゴ
Tango by schnittke
白鳥の湖 Swan Lake
チャルダッシュ Czardas
カプリース Caprice
愛の夢 Dreams of LoveNo.3
ビヨンド Beyond



 パンダは、引っ越し屋さんのゆるキャラらしい。

<つづく>
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「卒業アルバム」

2023-03-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230325
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2023日本語学校早春~春(3)卒業アルバム

 3月17日の卒業式に間に合うよう、急遽卒業アルバムの制作が決定され、紙のアルバムは間に合わないから、卒業生と教職員それぞれがテンプレートに合わせて自分のページをつくり、全体のデータをまとめました。

 春庭先生のページ。
 

 写真を編集することがアナログ人間にはむずかしたったので、写真データを送って編集してもらったのですが、その課程で、なぜか文章から1文字分ぬけました。「未来へ向かって」と書いたのに、なぜか「未来へかって」になっていました。編集後の訂正をお願いするのも、たいへんなので、まあ、1文字ぬけているくらいが、ひごろ抜けっぱなしだったHALセンセらしくていいかと思います。

 退職を知った留学生からメッセージが届きました。
 3023年3月17日に卒業を迎えたヨーヨーさんから
「先生の退職についてとても残念と思います。先生のおかげで、私の日本語はゼロから今までN2になって誠にありがとうございます」
 卒業生のアイさんから
「先生が退職されることは、私たちにとって非常に残念なことですが、2年間のお世話になり、本当にありがとうございました。先生のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げます」

 最後の最後まで進学先が決まらなかったヨーヨーさん。体調がすぐれず欠席が多くなったために、出席率が悪いことが留学生入試の面接試験で引っかかり、なかなか合格の知らせを得られなかったのです。が、卒業式直前、ついに受け入れ大学も決まり、うれしい卒業となりました。
 アイさんはいちはやく東京大学大学院への進学を決め、しかも結婚もきまったとのことで、研究生活も私生活も充実していけると思います。

 そのほか、さまざまな学生とのふれあいが心に浮かびます。
 おりにふれて日本語学校の四季の写真もアップしてきました。

 2023年春節の餃子を食べて春に向かう


 2023年節分
 

 2018年10月の開校から今までのたくさんの思い出がつぎからつぎへとめぐります。
 ゼロから日本語学校をたちあげ、5年間がんばって学校を支えてきたつもりです。でも、経営者がめざすこれからの「偏差値高い日本語学校」には合わないHALですから、1月6日に「私の方針には、あなたは役にたたない」と、スクラップ扱いされたことを心にとどめ、しずかに去っていきます、、、、って、やっぱり愚痴っぽいなあ。

 辞めたくないのに肩たたきされて、辞めざるを得なくなった多くの高齢労働者のみなさん、会社に居場所がなくなったとしても、空は青いし桜は咲く。

<おわり>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「おわかれメッセージ、おわかれ会食」

2023-03-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230323
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>日本語学校早春~春(2)おわかれメッセージ、おわかれ会食

 HALせんせが3月末に退職することは、別段秘密でもなかったのですが、授業中に学生に伝えることはせず、卒業式でも言い出しませんでした。
 4月の入学式で新任の講師陣が紹介されるとき、「あれ、HAL先生の顔が見えないなあ」と、それとなくわかればそれでいいかなと。
 卒業式の場でおわかれの言葉などを口にだしたら、「やめたくて辞めるんじゃないよぉ」と、ぐちっぽい挨拶になるかと案じての「あえて言わず」でした。

 私のリストラ退職の影響で、2019年4月からいっしょに日本語教育をになってきた非常勤講師のH先生S先生も退職することになりました。
 3月20日におわかれ会食を約束して、最寄り駅に集合。

 すると、思いがけないことに、駅前にH先生S先生が担当したクラスの在学生が集まっていました。「センセー、やめちゃうのー」と、さよなら挨拶にきてくれたのです。
 思い思いに、メモ用紙、ボールペン、便箋、ぬいぐるみ、沐浴剤などかわいらしいグッズを詰めた袋と、メッセージをプレゼントしてくれました。駅前の人通りのある場所だったので、ひとつひとつの品にお礼を言うことができなかったですが、家に帰ってから学生たちのせいいっぱいの心がつまったプレゼントをあたたかい気持ちでながめました。

 メッセージをくれた学生は、2022年4月に入学し、初級クラス(午後)と中級クラス(午前中)の両方に出席するという意欲的な学習姿勢で、たった1年の間に格段の進歩を見せました。書いてくれた「おわかれメッセージ」も、なかなかしっかりと書かれていました。「ショックしました」や「小い」などの送り仮名やスル動詞に間違いなどは散見しますが、自分の気持ちもよく表現できています。
 1年間の日本語教育は、日本の中学生が中学3年間に英語を学ぶ時間数とほぼ同じ学習時間です。少なくとも、私が中学を卒業するときは、以下の日本語文章のようなしっかりした英語は書けなかったと思います。漢字圏の学生は、漢字の読み方がわからなくても、意味がわかる、という有利な点がありますが、進歩いちじるしい学生の例として示すことができます。

「先生へ
 短い1年でいろいろなことを教えた先生に「ありがとうございましたと言いたいです。日本にきたばかりに、私に知らないことがあくさんあったけど、先生は辛抱強く説明してくれました。感激の極みです。先生と一緒に過ごした時間は、私にとって、懐かしくて大切な宝物です。私は絶対に忘れません。
 正直に言います。私は先生が学校から退職するという情報がわかると、ショックしました。先生が学校にいるまま、ずっと勉強し続くと思いましたが、情況を見ると、私のこの小い願いは叶わないと思います。でも、大丈夫です。私は頑張っていきます。先生はいなくても、これから必ずとまらないように、進歩をとって、いい成果を果たすことを目指して、努力します!先生はとても優秀教師で、日本語についての知識をたくさんおしえてくれませいた。本当にありがとうございました。李」

 1年の日本語学習でここまで進歩する学生はそうはいません。これは、もともと優秀な学生であり、けんめいな努力を続けた成果です。決して春庭の教え方がよかったからではありませんけれど、学生からの感謝のことばを素直に受け取りましょう。この夏には大学受験を目指しているインタツさん、応援しています。がんばってね。

 S先生H先生とは2019年以来、いっしょに初級クラスから中級、上級の日本語教育に携わってきました。よい仲間とごいっしょできて、高い水準の日本語教育のレベルにできたこと、とてもありがたかったです。

 とくに、2023年1月2月の授業では、「卒業クラスのしあげ」として、クラス内プレゼンテーション「SDGsについて、私たちができること」というグループ発表や、「ビブリオバトル」の活動「私がおすすめする本、アニメ」などの個人発表の活動をS先生H先生の指導おかげで立派に仕上げることができました。日本語教師めざして京都にある外国語大学の大学院に進学する学生の発表は、「源氏物語のもののあはれについて」というものだったと聞き、他クラスの授業があったので、聞くことができなくて、残念な思いをしました。

 「本校は、日本の社会文化、日本の言語文化歴史文化を知り、地域コミュニケーション、国際交流への参加を重視する」という目標のもと、2018年の開校以来、5年間いっしょうけんめい教育に従事してきました。
 しかし、コロナ禍で2021年は4月生も10月生も来日できず、入学金と授業料で経営を続ける学院の財政が悪化しました。
 昨年10月すぎから、「2023年4月からは、文化だの交流だのという、お金がもうからない目標」ではなく、「少しでも偏差値の高い大学・大学院に本校卒業生を送り込むこと」を目標とすることを申し渡されてきました。
 「当校は文化活動を重視します」なんていうことでは学生は入学してくれず、「当校に入学して日本語を学べば、日本の有名大学一流大学に入学できます」ということを標榜しなければ、入学する留学生は増えない、というのです。

 そんな中、2022年12月10日には、学院主催の文化講座を開催できたことが、最後の花道になりました。市民の視聴者を迎え、市長の挨拶を得て、「シルクロードの錦」というすばらしい講演会を行い、司会をつとめたことが、よい思い出になりました。

 もう、このような「入場無料の講演会」などを開催する余裕はいっさいありません。毎日毎日、偏差値教育。
 EJU(日本留学試験)とJLPT(日本語能力試験)に少しでも高い点数をとる学生を育てて、少しでも偏差値の高い大学に卒業生を送り込むことが至上命令です。
 HALには、ようでけまへん。
 この「偏差値教育」についていけない、という老兵はリストラされることになり、3月31日付で退職の仕儀となりました。

 S先生は「今よりもっと自宅に近い日本語学校」、H先生は「小学校の日本語教育(親に連れられて日本にきたけれど、日本語がまだわからないブラジルをはじめとする中南米その他の国のこどもたちに対する日本語教育)」という新しい日本語教育のシーンで活躍されることと思います。

 私には、まだこの先は何もありませんが、少し休んでから、この先も働きたいです。

<つづく>
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「卒業」

2023-03-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230321
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2023日本語学校早春~春(1)卒業式

 卒業式シーズン。私が勤務してきた日本語学校も3月16日に卒業式を挙行しました。
 小さな小さな日本語学校。
 2019年10月に6人の留学生を迎えて開校。ひとりは家庭の事情でひとりは体調悪化により帰国して、2021年3月に送り出したときの卒業生は4人でした。2022年3月は9人。2023年3月卒業生は15人。

 順調に留学生も増えているようですが、コロナ禍のため2021年は4月生も10月生も来日できませんでした。弱小日本語学校の中には経営破綻となったところもあったようです。

 わが日本語学校も、破綻には至らないものの、経営状態悪化。経営者が経営立て直しを考えた時、まっさきに思いつくのは「リストラ」
 リストラに該当するのは、一番の高齢者です。「年くっているだけで給金取るのは、経営悪化の要因のひとつ」と経営者が考えたから、このたび、3月末日をもって退職の仕儀と相成りました。
 この5年間、この学校をよい日本語学校にするため、せいいっぱいがんばって、学校に泊まり込みで徹夜したこともあったけれど、悔しい気持ちが大きかったですが、今は静かに、老兵は消えゆくのみ。

 73歳最後の卒業式


 卒業生代表で答辞を述べた2021年12月入学の学生は、アニメや映画が大好き。2月17日のスピーチプレゼン発表会では、「新海監督のアニメ作品紹介」というプレゼント行いました。深夜に公開された「すずめの戸締り」を見に行って「撮影許可」が出た深海監督の写真もとってきて、プレゼンで紹介しました。
 卒業式では、とっておきの「ハリーポッターホグワーツ魔法学校儀礼マント」を着用。ゆかいな衣装になりました。


 先のことは何もありません。これからゆっくり考えます。

3月10日には、飛騨在住中のA子さんと食事して愚痴を聞いてもらう。3月19日には、やっちゃんが電話かけてきたのでぐちこぼす。
情けない話も、人に聞いてもらうと心静まる。

春分の日、桜の見ごろも近づきました。春を楽しみましょう。

<つづく>
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「湯川秀樹つづきアインシュタインロマン」

2023-03-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230319
ぽかぽか春庭アーカイブ(ゆ)湯川秀樹つづきアインシュタインロマン

 優秀な人ほど短期間で卒業する。私が出講している大学のひとつには、高校2年生修了から飛び級で大学に入学し、大学3年修了後また飛び級で大学院へ。23歳で博士課程を修了して、まもなく博士号を取得、という超優秀な学生もいる。

 私は鈍才。私立の大学と大学院、国立の大学と大学院で、合計14年間も教育を受けた。この話を留学生にすると、「勉強が好きだったんですねぇ」という感想が返る。勉強は楽しかった。でも、要領悪く、好きなことだけしていたから、他の人のようにさっさと必要な単位を取得し、さっさと学位をめざしていく、という器用なことができなかった。

 パチンコが好きな人、競馬が好きな人、カラオケが好きな人、趣味や嗜好、すきなこと人さまざまでいいと思う。でも、釣り好きやカラオケ好きは特別変な目で見られることはないのに、勉強が楽しいというと、ちょっとコイツとはつきあえんな、という目で見られてしまう。勉強だって、好きなことを続けるのは、そんなに特別なことじゃないのに。私はジャズダンスも続けている。ダンスも好き、朗読も好き、好奇心いっぱいに新しいことを覚えるのが大好き。そして知ったかぶりの蘊蓄たれが、だあい好き。
 
 人が勉強するのは、一流大学に入って一流会社に就職して、出世の階段登るため?
 私は、卒業7回(小学校中学校高校職業専修校私立大学国立大学大学院)。専攻替え3回。日本古代文学、演劇人類学、日本語文法日本語教育。ものにならないまま専門がコロコロ変わった。14年もかかって博士にも届かず修士号どまり。能率悪く、使いものにならなかった私の学問。でも、自分が楽しんだ。それでいい。

 学校の勉強というとき、思い出す人。山元延春(まさはる)さん。テレビ新聞に取り上げられたのでご記憶の人も多いだろう。予定通りのコースじゃなくても、学びたいことが見つかったときが、勉強するとき。そんな勉強の本質を見事に見せてくれた人だった。 

 延春さん、小学校の頃はいじめられっ子。転校先でなじめなかった。中学校では昼は学校、夜は母親がやってるラーメン屋を手伝う。父は病弱。手伝いが終わったあと、午前3時、4時まで少林寺拳法の練習をする日々。少林寺拳法は強くなり、県代表に選ばれた。

 昼は学校、夕方から夜はラーメン屋、深夜に少林寺の稽古、それでは朝が起きられるはずない。遅刻欠席が日常化する。通知票は、技術「2」音楽「2」あとはオール1。
 中学卒業後、大工の修行をし、工務店に就職。しかし、延春さんの不幸は続く。16歳で母を、18歳で父を病魔に奪われた。天涯孤独の身になった。世界は暗く、希望はなかった。

 21歳の終わりごろ、突然世界が変わって見えた。同じ少林寺拳法の道場に通う娘さんがビデオを貸してくれたのだ。彼に、NHKドキュメンタリーのビデオ『アインシュタイン・ロマン』を「見てね」と渡した。相対性理論がわかりやすく理解できるビデオだった。

 少年が亀の背に少年が乗り宇宙へ飛び出すロマンあふれる映像を、春庭も楽しんだが、楽しんで終わった。だが、延春さんには終わらなかった。はじまりだった。

 ビデオを見て、延春さんは目が開かれた。『これまでの自分は、時間と空間が不変のものだという自然観をもっていた。それにしてもこの宇宙と世界はなんとめまぐるしく変わり、深くて広いのか。もっと知りたい。そうすればもっと違った世界が広がるのではないか』世界を見る目が変わってしまった。この時間と空間の世界を自然の神秘をどうしても理解したかった。

 本屋に行って、化学や物理の入門書をみた。知らない世界がいっぱいに広がる。子どもの頃、夕焼けを眺めて感じた疑問がよみがえった。なぜ空は青いのか、なぜ雨は一粒ずつ降るのか。天体の運動にはどんな法則があるのか。ブラックホールはどうなっているのか。

 そんな疑問をもつこと自体忘れていた。世の事象に麻揮した心がよみがえった。もっと知りたい。「なぜ」を追求したい。
 延春さんは大学に行って物理学を勉強しようと決意した。

 進学を思い立ったものの、分数の計算もわからない。かけ算九九から復習した。小学校3年の教科書から勉強をはじめ、24歳で高校定時制に入学した。

 入学後、昼は工務店の仕事。夜は授業。気持ちはあせるが、きつい仕事に疲れ切り、少しも勉強が進まない。そんなとき、2年生担任土田秀一先生が「自校の理科実験助手にならないか」と勧めてくれた。月収は3分の1。でも、勉強時間が確保できた。

 仕事のあいまに先生から補習を受ける。両親のいない延春さんを、土田先生は自宅にひきとって親代わりとなった。通信教育の単位も加えて、3年で定時制を卒業見込み。いよいよめざすは大学だ。

 名古屋大学理学部を志望。センター試験では得意の物理は自己採点で満点。だが、遅く勉強をはじめたハンディを全部は克服できなかった。英語でつまずいた。あきらめて一浪か。先生が自己推薦入試があることを教えてくれた。

 自己推薦の作文に賭けた。物理学への熱い思い、これまでの人生これまでの勉学の日々をすべてぶつけた。
 志望動機には、相対性理論の探求に向けた情熱を綴り、名古屋大学に提出。結果、見事に合格。27歳で大学入学を果たすことができた。

 これこそが、ほんとうに学びたいことを学ぶ、という真の勉強の姿だろう。偏差値競争も、ブランド大学も関係ない。延春さんは学びたいから学んだのだ。アインシュタインを理解したいからかけ算九九からやり直したのだ。

 最後に追加の、愛んシュタインロマンをひとつ。彼の世界を変えたビデオ。そのビデオを貸してくれた工務店の娘さん、彼女は、今、宮本延春さんの愛妻である(結婚して宮本姓に)。
 アインシュタインはもうひとつのロマンもはぐくんだ。

<アーカイブは4月につづく>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「湯川秀樹」

2023-03-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230319
ぽかぽか春庭アーカイブ(ゆ)湯川秀樹

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.43
(ゆ)湯川秀樹『旅人、ある物理学者の回想』
 日本で最初にノーベル賞を受賞したのは湯川秀樹。何もかも失って萎縮した戦後日本に夢と希望を与え、自信をなくしていた人々が、「やればできる」という戦後復興への熱い期待を取り戻すきっかけとなった。1949年のこと。

 湯川博士は、こどものころは内省的で孤独な少年だった。数学は得意だが、まだ何になりたいというはっきりした将来の夢もなく、秀才揃いの兄弟の中ではむしろ目立たない少年だった。(地質学者、小川琢治京都大学教授の5人の息子は、惜しくも戦死した末子滋樹をのぞき、4人がそれぞれ超秀才、各分野の著名な学者になったことで有名)

 ある日の中学校授業。コンビを組んで物理の実験をしていた同級生から「君はアインシュタインのようになるだろう」と言われた。言われたが、アインシュタインが何者か、知らなかった。そのうち、世界をわかせた相対性理論の学者であることを知ったが、まだ、心酔するには至っていなかった。
 1922年、アインシュタインが来日したとき、日本中が熱狂して新理論をひっさげて20世紀科学世界を一変させた学者を迎え入れた。しかし、秀樹少年は京都で行われた講演会にも行かなかった。自分が理論物理学に進むとも思っていなかったからだ。

 湯川秀樹がアインシュタインに会ったのは、それから十数年ののち。
 1934年、湯川博士は、原子核内中間子の存在を予言し、素粒子論に新たな理論を加えた。1937年、中間子場理論を発表。1939年、理論が認められヨーロッパへの講演旅行に出発。しかし第二次世界大戦の勃発により、ヨーロッパからアメリカへ回った。この時、ようやく湯川博士はアインシュタイン博士と邂逅した。あこがれのアインシュタイン博士はすでに白髪の老人になっていた。

 その後何度も湯川秀樹はアインシュタインに会い、敬愛の念を深めた。
 1955年ラッセル・アインシュタイン宣言の共同署名者となる。アインシュタインが願った世界平和への意志を引き継ぎ、湯川博士は晩年を平和運動に貢献してすごした。

 「湯川博士」の名は、私たちの世代にとって「大学者」「えらい科学者」の代名詞であった。「末は博士か大臣か」というのが親が子に望む出世コースだったが、ノーベル賞受賞以来、大臣人気はすっかり寂れ、「将来は湯川博士」が合い言葉になった。

 完全文系人間の私には、湯川博士はいつも遠い遠い星であった。近づくことも夢見ることもないスター。恵まれた環境と素質を持った秀才一家の超秀才。あまりにもかけ離れた存在に思えた。湯川博士になりたいなどと思ったことは一度もない。(私がなりたかった人リストは11/08に書いた)

 しかし、『旅人』を読むと、小学校中学校時代の秀樹少年は、おどろくほど私の小学校中学校時代と似た面を持っていた。
 夢見がちで、いつもぼうっと想像をふくらませていて、現実を忘れる。自分の好きなことだけに熱中して、それ以外の勉強はいっさいお留守。孤独でひきこもりの内省的な生活。むろん田舎の鈍才少女と、京都のとびっきりのエリートコースを歩む天才とは、レベルが違いすぎる。だが、秀樹少年の子供時代の回想を読んで、今まで敬して遠ざけていたこのノーベル賞受賞者がとても好きになった。
  秀樹少年も私と同じく、ノートに童話を書きためていた少年であったのだ。彼は引退後の生活について「また、童話を書いてすごしたい」という希望を述べている。

 彼の自伝『旅人』には美しい描写が続き、なつかしく生き生きとした戦前の京都、町屋の暮らしが活写されている。物理学者には、寺田寅彦など文学的才能の豊かな人が多いが、湯川秀樹も理論物理学者としてとの才能と同等に文学的な才能が豊かな人である。
 私は俳句や短歌が好きだから、最後に湯川秀樹の短歌を並べておわりにする。

たそがれて子等なお去らぬ紙芝居少年の日は遠くはるけし
そこはかのうれいある日の帰るさはいやなつかしき今日の夕山
比叡の山窓にもだせり逝きし人別れし人のことを思へと

<湯川秀樹後半へつづく>

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「山口昌夫続きシニア協力隊」

2023-03-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
  1. 20230316
ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山口昌夫続きシニア協力隊

 日本語のイロハも知らない留学生に、初日に教え込まなければならないこと。90分ヒトコマで、「N=N」の文型、名詞繋辞文(copura文)を教える。
 どうです、日本語を教えるなんて、日本語話せたらだれでもできると思っている方、繋辞コピュラ文なんて言葉をきくと、なんだか難しそうで、たいへんそうに思いませんか。ハッハッ、ちょっとこけおどしをしてみたかっただけ。

 要するに、「私は○○です」「国は○○です」という、名詞=名詞、英語で言えば、I am Bety.I am a girl.から始めるということですな。(ジャック&ベティで、英語を始めたと言う方、ご長命およろこび申し上げます)

 ほんとは、日本語話せれば、だれでも日本語教えられます。ただし、それは1対1の「スペシャル個人授業」の場合に効果が上がる。

 外国語を学ぶのに二番目にいい方法は、学びたいと思う国の言葉でポルノ小説を読みふけることだという。前後の単語が分らなくても、ずんずんと気にせず読み進めれば、「ハハン、この言葉は、こう腕を背に回して、こうあぐらの上に乗せて、おぅ、おぅ、これは、忍び居茶臼じゃありませんか!おお、これは尺八演奏、春の海」という具合に、理解が早い。(この部分、さっぱり理解できなかった心正しき方々、気にせず、先をお読みください)

 そしてポルノより効果的な、一番目にいい方法は、学びたい言葉を話す恋人と同居することである。
 逆もまた真なり。誰かが学びたいと思っていることばをしゃべれさえすれば、人はだれでも自分の恋人の優秀な語学教師となれる。

 ただし、1対1じゃない教室で、何人かの学生相手に、しかも特別日本語を学びたかったワケじゃないのに、一番必要だったUSA留学の奨学金はライバルに取られてしまい、しかたがなく、ま、日本でもいいか、なんて動機で来日した留学生相手に、4ヶ月のコースで初級修了まで教えるのは容易なことではない。

 初級修了というのは、日本の中学生が英語を習うのにたとえると、中学3年間で習う内容の英語と同程度の日本語力、ということである。日本の中学生が3年かけて覚える初級語学を、日本語コースでは、集中コースは3~4ヶ月、一般コースだと1年で修了する。もっとも、週に3時間や4時間しか英語の授業が受けられない中学生と、1日に、50分授業を4~5コマ、または90分授業3コマを1週間に5日受けるのと、時間数はあまり変わらない。だいたい初級語学は300時間程度で教えるというのが多い。日本の中学校英語も、3年間でおよそ300時間の授業だ。

 「日本語教育能力検定」という日本語教師の試験に合格するのは、本当に大変。毎年6千人から7千人が受験して、合格は千人程度、合格率15%くらい。言語学、日本語文法、音声学、語彙論意味論、言語対照論、異文化理解教育、外国語教授法、日本の文化、文学歴史などなどを頭の中に詰め込んで、教育実習で授業もやってみて、それでもなかなか合格しない。試験は朝9時から、夕方5時すぎまで、丸一日かかる。

 私は1988年に第1回目の試験に合格した。試験制度がはじまったばかりで、試験官もどんな設問が適切なのか、試行錯誤の混乱の間に合格しちまった、早い者勝ちである。合格したとき、娘は4歳。日本語教師としては遅いスタートだった。
 
 しかし、何事をも、新しくはじめようと思い立ったときからが青春。 
 私が日本語教授法を受け持っているクラスに、50代の男性がいる。日本語教師の資格を得たら、海外で教えてみたいとはりきり、海外で日本文化を指導するときに備えて、お茶の稽古、着物の着付けも習っている。

 私の従姉妹が青年海外協力隊のハイスクール理科教師をしていたことを10/21に書いた。青年協力隊は40歳までだが、シニア協力隊は40歳から60歳過ぎまでOK。
 定年を迎えた後、自分の技術や特技を海外でもう一度役立てたいという多くの方が、協力隊員として活躍している。

 旅をするのもひとつのすてきな生き方だし、年金で悠々生活もうらやましい。もうひとつ、シニア海外協力隊というのも、選択肢のひとつとして、老後の過ごし方リストに加えておきたい。
 海外で教えることができる技術を持っている方はぜひご一考を。
 ただし、日本語教育での参加はきわめて難しい。

 JAICAが出しているシニア協力隊参加の質問回答で、日本語教育については次のように答えている。

 日本語教育は、毎回応募者が最も多い人気科目の一つです。
日本語教師として派遣されるには、以下の条件が揃っていないと難しいでしょう。
(1)外国人に対する日本語教育の経験(フルタイムで3年以上)
(2)日本語教育能力検定試験合格
(3)日本語教師養成講座420時間修了
(4)当該国の語学力
ただし、(2)については必ずというわけではありません。
日本語が話せるからという理由での応募は、避けた方が賢明です。また、経験のない人が「経験不問」とある要請に応募しても、経験を有する応募者と競合することになれば合格することは難しいでしょう。
日本語教育には応募者が多いため、選考委員から技術問題が出題されます。設問の一部を掲載しますので、参考にしてください。第二次選考時に日本語教育の応募者のみ技術面での面接も実施します。
<技術問題の出題例 >
第一言語習得における文法の役割と第二言語習得(学習)における文法の役割について知るところを整理して述べてください。
(以上、JAICAシニアボランティア質問コーナーより)

 うっひゃー、難しい!と感じた方。(4)の、「当該国の語学力」を身につけるため、最初は、その言葉を話す人と親しくおつきあいをしながら習うところから始めるのが、一番楽しいような気がします。
 日本語教師をめざすにも、まずは恋人探しから。

20230316
  1. ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんがなくなりました。88さい老衰による死去だそうですが、「戦後民主主義者」の一人、今の危うい「戦前」状況を憂いながらの他界だったかと、思います。ご冥福を。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭アーカイブ「山口昌夫」

2023-03-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230314
ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山口昌夫

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.42
(や)山口昌男『道化的世界』

 私は、日本語教師になるつもりはなかった。たまたまの巡り合わせでこうなってしまったのだ。
 子供のころ、成りたかったのは「探検家旅行家」だった。
 小学校時代の夢。1,童話作家。アンデルセンのように旅をして、飛行鞄や吟遊詩人みたいなお話を書く。(小学校の間、ノートに自作の童話を書きためていた)2,スタンレーのようなジャーナリストになって、アフリカ探検に行く。(卒業文集にはジャーナリストになる、と書いた)
 中学生時代。3,スウェン・ヘディンが、ロプ湖を発見したように、考古学者になって桜蘭やゴビ砂漠を旅する。
 高校生のころ。4,泉靖一のような文化人類学者になってインカやアステカを調査する。
 20歳ころ。5,トール・ヘイエルダールのような海洋人類学者になって、葦船やいかだで航海する。
 30歳前。6,川田順造・山口昌男のような文化人類学者、神話学者になってアフリカ世界を調査する。

 夢見るころを過ぎて、振り返れば、1から6まで、何ひとつ実現しなかった。
 ころころと目標人物が変わったが、一貫しているのは「遠くへ行きたい」ということだった。今でもむろん、夢を見ている。いつか必ず世界を放浪、右手に『地球の歩き方』左手にはデジカメ持って。

 『地球の歩き方』は別名『地球の迷い方』。この本片手に旅をして、迷ったヤツは数しれず。迷った人ごめんなさい。夫はダイヤモンドビッグ社の下請けです。本の奥付にある社名は、Free lance shield をもじった私のネーミング。

 夫と出会ったのはケニアのナイロビ。山口昌男の『アフリカの神話的世界』にあこがれてアフリカに行ったものの、神話学も演劇人類学も落っことして、夫を拾って帰ったことは10/19ほか何度か書いた。

山口昌男の著作、一番最初に読んだのは『アフリカの神話的世界』。それから1977年以前に読んだ本をあげると、『人類学的思考』『歴史・祝祭・神話』『文化と両義性』『道化的世界』『道化の民族学』『知の祝祭』など。

 山口は、道化トリックスターをとりあげ、世の中の事象をあざやかに解説して見せた。山口やその他の文化人類学関連書を読んでのち、フレイザー『金枝篇』を読んだときにはさっぱり理解できなかった世界が、見渡せるようになった。

 一度だけ、山口のすぐそばに腰を下ろしたことがある。岩手県遠野へ早池峰神楽を見に行ったときのこと。芸能人類学をめざして、能狂言、歌舞伎、民俗学、伝統芸能などを学んでいた頃だ。

 早池峰には山伏神楽と神人神楽のふたつがあるというのだが、私が見たのがどちらなのか、覚えていない。学生達は板の間にぎゅうぎゅう詰めに座って、神楽が演じられるのを見ていた。神楽もすばらしかったのだが、私はなんとかして山口昌男にミーハーファンとして話しかけられないかとチャンスをうかがい、気もそぞろ。

 神楽は、延々と演じられる。能狂言を教わっている教授に連れられてきた私たちは、教授が全部最後まで見る、というので、席を立つわけにはいかない。しかし、山口昌男は教授と話を続け、「さわり」の部分だけ見ると、さっさと席をたって出ていってしまった。

 能狂言を学ぶにも、山口の『道化的世界』の中の「能の神話的古層」を読むことで、能舞台の松にもまったく異なる光があたる気がした。しかし、よく理解できないことも多かった。「山口的世界」が本当によく理解できるようになったのは、言語学を学びなおして、記号論が理解できるようになってからだった。

 山口は「一つの文化の中に生きている人間の世界についてのイメージ、(これを「宇宙観」「世界観」と呼ぶ)を再構築しようという試みが顕著になりつつある」と「能の神話的古層」の冒頭で述べている。こういう内容、1977年ころの私の頭には、理解するのが難しかった。いったり何を言っているのか。世界観?宇宙観?再構築?

 しかし、今や中学生までが「このFF9の世界観が好きだ」などと、「世界観の再構築」などについて熱く語り合っているのだ。息子たちのゲームバーチャル世界での話である。

 「聖剣伝説の世界観ではね。世界はイメージで成立しているんだ。だから、自分がイメージできないことは、存在していないってことだし、自分がゲーム世界で演じているってことは、すなわちイメージが構築できているってことなんだよ。ただし、主人公は、プレイヤー自身の個人的背景を投入することによって存在できて、、、、」などと、息子に熱く語られても、さっぱり「ゲーム的世界」「世界の再構築」が理解できないのだ。

 「あんたらのやってること、言ってること、まったくわからん」というのは、30年前に私たちも言われたことなんだけどね。かくして世代は交代し、かくのごとくに季節はめぐる。
 ふぅ、団塊の世代の「働き盛り時代」も、まもなく終わる。季節はめぐり、廻ってゆく。もうすぐ冬がくるんです。冬支度はOK?こたつ出した?電気毛布にホッカイロは?。

 でも、木枯らし吹くのはもうちょっと待って!来週、日本事情の授業は教室飛び出る。戸外でピクニックしながら日本文化のレポート発表するって、留学生と約束しちゃった。「こども動物園」で、お弁当食べながらの授業です。ぽかぽか小春日和の日だといいな。春庭いつでもポカポカです。主に頭が。
~~~~~~~~~
20230315
 桜、開花宣言でました。
ソメイヨシノは全国で東京が1番早い開花なのだそうです。温暖化とかヒートアイランドの影響とかいろいろあるようですが、開花を待ちわびる人には早く早くさいてほしいというところ。この春は、集まって飲めや歌えも大丈夫みたい。私は毎年散歩花見。

<つづく>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「山崎正和つづき」

2023-03-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230312
ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山崎正和つづき

 11/05は、私の母方父方の祖母について書いた。子供時代、おばあさんの膝に抱かれていたころは、自分もやがてはおばあさんになるのだなんて、とうてい思えなかった。しかし、もう「おばあさん」は目前。
 息子はまだ中学生だし、自分の孫から「おばあさん」と呼ばれる日は、もう少しあとのことになるだろう。

 が、日本語では親族を呼ぶ「おばあさん」「おばさん」「お姉さん」などが、他人に呼びかける言葉としても使われている。八百屋の店先では「お姉さん、大根安いよ」なんて呼び止められている私も、やがては電車の中で若者に「おばあさん、ここどうぞ」と席を譲られて、きっとなり「わたくし、あなたのような孫を持った覚えがございませんので、あなた様からおばあさんと呼ばれる筋合いはございません」とかなんとか言いながら、ずうずうしくも座席にどっしり腰を据える、イヤミな婆あになるに違いない。

 女性には2度の年齢ショックがある。最初は30歳前後のとき。見知らぬよその子供から「おばさん」と呼び止められて、ショック!「あたしがオバサンだってえ。ちょっと、そこのガキ!いったいどこ見てあたしをオバサン呼ばわりするのよ!こんなに若くて美しいのに」
 2度目は、見知らぬ他人から「おばあさん」と呼びかけられたとき。「ちょっとぉ、いったいどこ見て私を~以下同文」

 25歳のとき姪が誕生して、めでたく私は叔母さんになったのだが、ガンとして姪には叔母さんと呼ばせなかった。「おねえちゃん」と呼ばせていたのだ。自分が母親になってから、ようよう姪から叔母ちゃんと呼ばれても気にならなくなった。

 息子が遅く生まれて、まだ中学生であるのをいいことに、何かの集まりで年齢さぐり出しトークになると「中学生の息子がいるんですが、これが少しも勉強しませんで、、、」などと言うことにしている。すると敵は「中学生を持つ母親ならだいたい、40代、いや22歳で生んで中学1年生の母親なら、13を足して35歳くらいか」なんて勘定しているのがわかる。フッフッフ。公称35歳。
 ところが、第2番目のショック!がついに来た。

 11/03に、息子の学校文化祭へ行ってクラスで上演した演劇を見た話を書いた。三谷幸喜の脚本が実にうまくて、とにかく笑いっぱなし。ほんとにうまい喜劇作家だ。マクベスを演じる一座をめぐるシチュエーションコメディなのだが、セリフのくすぐりやパロディに大ウケ。
 息子は「役をおろされた大根役者」の役なので、自分の出番のほかは奥へはいってしまう。息子が出ていない場面が退屈になるんじゃないかという心配はふっとんだ。

 他の観客は笑わず、私だけが笑い出すこともある。たぶん、中学生には昔のギャグやパロディはわからないし、「軽井沢夫人」なんてセリフで笑えるのは、むかし日活ロマンポルノを見たか、現在クドカンドラマ「マンハッタンラブ」を見ているかだ。
 マクベスがパロディで「もしも明日があるのなら、思いのすべてを言葉にして、君に届けることだろう」なんて、セリフを言ったとき、西田敏行の「♪もしもピアノが弾けたなら、思いのすべてを歌にして~」というのが思い出されてクスクスッ。でも、中学生達にはこの歌わからない。うまれる前の歌だもの。
 私が笑い出すと、他の人もつられて笑うっていうこともあった。中学生の稚拙な演技でもこれほど笑えるってことは、三谷幸喜は天才だ。誰よりも大笑いをして帰宅した。笑うのが大好き。笑うと免疫力が高まり、寿命が延びる。笑いは長寿の元である。
 役者は観客に支えられ、観客は役者の演技で寿命を延ばす。

 劇が終わってから、「どうだった、うまく演じられた?」と息子に感想を聞く。「うん、僕はね。ぼくのセリフ客によくうけてたし。ぼくは裏にひっこんじゃうから、他の人がでているときのことわからないけど、ソンチョーの話だとね。ひとりよく笑ってくれる観客がいて、笑いの起爆剤になってありがたかったけど、おばあさんだから、笑いのテンポが半テンポずれるんだって。そいでもって他の観客がおばあさんにつられて笑うから、観客が笑うころには次のセリフがかぶってしまって、やりずらいったらありゃしない、って言ってた」
 ちょっと待ったあぁぁ!そのおばあさんってのは、まさかまさか、私のことじゃあるまいか?村長がうちに遊びに来たとき、私は家にいなかった。私は息子の親友村長の顔をよく知っているが、村長は私を知らない。村長は大笑いをしている私を見て、「なんだい、このおばあさんの大笑い」と思いながら演技していたのだ。おばあさんだってぇえええ!いったい私のどこ見て、おばあさん呼ばわり、、、と鏡をみれば、皺白髪、、、、そりゃねぇ、見たままを口にする心正しき中学生の感想!

 年齢からいえば、確かにクラスメートのお母さんの中で、私が一番年寄りだ。村長のママなんて、すごく若くてきれい。自分のママから見たら、私がおばあさんに見えたのは、仕方があるまい。私は息子を39歳で生んだのだ。
 私の中学生のときのクラスメートの一人は、39歳のとき、孫が誕生していた。

 というわけで、11/03文化の日は、「春庭、はじめて人様からおばあさんと呼ばれた日、記念日」になったのでした。

<あひるの昼寝Duck抱く駄句>
 遠き日を笈に拾うて明治節(明治は遠くなりにけりのココロ)
 文化の日 老婆は一日にしてならず(樋口恵子に一票)
 おいおいと老いにも慣れて栗ひろう(マロングラッセ大好きです)
 門跡尼寺の細き裏道吾亦紅(皇室ゴシップ大好きなので、河原敏明『昭和天皇の妹君』を買ってしまった)
 菊見事死ぬときは出来るだけ派手に(日野草城のパロディ、11月25日三島命日に)
 亡き母の年を数える十三夜(11月25日が母の誕生日。三島命日といっしょ)
 マクベスの長き台詞や桐一葉(『桐一葉』『マクベス評釈の緒言』の著者は逍遥)

~~~~~~~~~~~~~~
20230311
 春庭20年前はまだ「おばあさん」と呼ばれることに抵抗があったことがわかるが、2023年、立派な高齢者となって、75歳から高貴幸齢者と呼ばれるのも目前です。
 高貴でもなく幸齢者でもない、ただの年寄りになり、おばあさんライフを楽しむ余裕はない。政治的に正しい表現では「ご高齢の女性」です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「山崎正和」

2023-03-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230311
ぽかぽか春庭アーカイブ(や)山崎正和

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.41
(や)山崎正和『世阿弥』

 10/26に、姑と『わらびのこう』を見た話を書いた。この映画の中で、市原悦子演じるれんが、山中で生き別れの義妹に出会う。義妹は婚家を出されたあと、里に帰るに帰れず、山の中にひそんで山姥となって生きる。山は里に生きられぬ女をそのふところに迎え入れ、山の幸をめぐんでくれたのだ。左時枝演じる山姥は、絵本の中でみた山姥さながらの迫力。娘が幼かったとき、山姥がでてくる「日本昔話」を見て大泣きし、夜泣きが続いたことなど思い出した。
 山姥は、各地の伝説に残る山の中に住む老婆。

 世阿弥の能『山姥』は、今の新潟県青海町大字上路を舞台にしている。
 前場。ツレは百万山姥という名の遊女。曲舞(くせまい)の名人で「山姥の山巡り」の舞で評判をとっている。百万とお供の一行が善光寺詣のため上路を通る。けわしい山道に都会ものが難儀しているうち日が暮れるが、山の女が宿を貸す。山の女(前シテ)は、自分こそが真の山姥であり、百万が自分を題材にした曲舞で名を上げながら、山姥の心を解していないと恨みを述べる。
 後場では、百万山姥一行が待つうちに、山の女の真の姿、山姥が現れる。その姿は、自然の力を越えたおそろしくおどろおどろしいもの。山姥は山巡りのようすを一行に見せ、自然の秘めた深く壮大な哲理を知らせて山の奥深く姿を消す。


 各地の民話では山姥は私の娘が泣き出したような「人や牛をとって喰う」恐ろしい存在として描かれることが多い。だが、世阿弥の描き出した山姥は、もっと深いものを感じさせる。人の世の善悪正邪を越えた、超自然の存在、山野に普遍し季節の巡航の中で巡り来るマレビトの仲間。

 能の詞章である謡曲は、流派に伝えられるうち、上演台本として改変が加えられたり、他の作品、ときには他の作者の作品と組み合わされたりして、元の作者がはっきりわかっていないものも多い。能といえば「観阿弥世阿弥」と並び讃えられていながら、世阿弥元清の作だとはっきりしているものは数少ない。『山姥』は、世阿弥の作品であることがはっきりしているもののひとつだ。
 足利将軍義満の愛顧を得た世阿弥、義満没後はあとを継いだ義嗣にうとまれ、佐渡に流される。佐渡でどのように長い配流の生活をおくったのか、などもはっきりわかる資料が少ない。

 それだけに世阿弥の生涯は作家の創作意欲をかき立てる。世阿弥を描いた作品で私が好きなのは杉本苑子の小説『華の碑文・世阿弥元清』だ。

 戯曲では、山崎正和の『世阿弥』。「見られる側の人間」「演じる側の人間」として、権力者の影の存在にあまんじつつ、己の人間存在を大成させる芸能者を描いている。
 ラストシーン、義満の影として演じることをいさぎよしとせず、己を光りの存在としたかった元雅の亡霊、世阿弥をうとんじた義嗣の亡霊が現れる。
 義嗣は「そなたが影法師である限り、そなたに写されてとどまる限り、光りたる者に眠りはない」とうめく。

 いつの世も、光と影は反転する。聖と賤、正と邪、善と悪、清と汚、、、、。人は皆、二面の体と心を持ち、二面が反転し、一転二転、また三転。ころころと、こけつまろびつ生きていくのである。
 生き続けて、聖者のごとき清らかな肉体と心を示す者もいようし、汚濁汚辱のなかにのたうち回るような者もいる。

 むろん、私は猥雑汚濁のごみための中ではい回り、パソコンのごみ箱処理も満足にできないで、「パソコンわかんないんですぅ」と、嘆きつつ、ひとりぬる夜のあくる間はいかに久しき今夜も、「春庭今日も一日中、心も頭もポカポカです」なんぞという足跡をつけてまわるのである。
 今夜もポカポカ。ほっかほかカイロがそろそろ恋しい季節ですね。温ったまったところで、本日はこれでおしまい。

<山崎正和後半へつづく>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「森鴎外つづき」

2023-03-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230309
ぽかぽか春庭アーカイブ(も)森鴎外つづき

 かまとばあちゃんが亡くなった。(2003/10/31)男性長寿世界一だった中願寺雄吉さんに続いて、女性長寿世界一のかまとばあちゃんまで同じ年に亡くなるなんて、残念でならないが、こればかりは思し召しのままに。

 二日間続けて眠り二日続けて起きている、という日常生活を続けたかまとばあちゃんの姿をテレビで見るのが好きだった。きんさんぎんさんがアイドルになって以後、私たちにとって、高齢者アイドルは「私も行く末、あんなふうにおおらかに年をとりたい」という希望を持ち続けるために、なくてはならない、世の清涼剤。

 一方、電車の中でたまたま席をゆずったら、「あなたは親切でいい人だけど、うちの嫁ときたら、あなたと同じ年格好なのに、、、」と、ひたすら嫁の悪口をしゃべり続けていたおばあさん。他人に親切な私も、姑から見れば鬼嫁である。ディズニーパレード見物の場所取りに夢中になり、 孫のために見やすい席を確保しようとして、私をつきとばしたおばあさんもいた。いろんな姿のおばあさん。

 映画の中のおばあさん像もさまざま。
 おばあさんが主役を張り、すてきだった映画。『ハロルドとモード』(日本公開タイトル:少年は虹を渡る)のモード。アガサ・クリスティのおばあさん探偵ミス・マープル。『黄昏』のキャサリン・ヘプバーン。『八月の鯨』のリリアン・ギッシュ、ベティ・ディビス。おばあさんが主役でなく、脇役として活躍している映画なら、もっとたくさん。

 そんな映画のおばあさん像の中で、これはもう、わたし的には世界一、という主役おばあさんを見た。韓国映画『おばあちゃんの家』である。主演しているのは、映画出演どころか、映画を見ることさえ出来ない山奥の村で静かに暮らしてきた素人のおばあちゃん。このおばあちゃんが、ほんとにほんとにすてきだった。

 孫役を演じた子役も、数本のCMに出演した経験を持つのみ。おばあちゃんをはじめ、村人役は、みな素人。それを韓国の女性監督イ・ジョンヒャンは、すばらしい映画作品に仕上げた。おばあちゃん役キム・ウルブンが腰をかがめ杖をついて山道を歩いている姿を眺めているだけで、もうほかには何もいらないくらい、感動!である。

 ストーリーは単純。わがまま放題都会育ちのサンウという少年が、夏休みの間、おばあちゃんの家に預けられる。母一人子一人家庭の母が職探しをする間のやむえない措置である。サンウの母親にとって、17歳で家出したまま戻っていなかったオモニの家。
 その一夏の、孫とおばあちゃん、周囲の村人とのふれあい。でも、まあ、ストーリーを知るよりも、とにかくおばあちゃんの姿を知ってほしい。

 おばあちゃんは、聾唖者だ。しゃべれず、わずかなジェスチャーで伝えるのみ。でも、おばあちゃんの手が、笑顔が、足取りが、どんな言葉よりも雄弁に孫への無限の愛を伝える。今年はたくさん映画を見たが、その中で私にとってはベストワンと言ってもいいくらい。
 キム・ウルブンが演じるハルモニを見て、幼かったころの私のおばあちゃんを思い出す。

 母方の祖父は芝居道楽だった。有り金すべて「農村歌舞伎」復興のためにつぎ込んで、戦中戦後途絶えていた、地域の農村歌舞伎を再興した。
 嫁に出した娘のところの外孫に、ただの一度もこずかいをくれなかった竹じいさん。姉も私もお年玉さえもらったことがなかった。
 妹は、田舎の農村歌舞伎を継承している人に会ったとき、「この小道具もこの衣装も、みんな竹さんが自前で買いそろえてくれたものだ」と聞かされた。小道具の名宝友切丸の一本は、きっと私のお年玉になるはずだったお金で買ったんだわ。桜姫のかんざしも、弁天小僧の唐傘も。

 家計費はぎりぎりしか渡されず、やりくりに苦労した梅ばあちゃん。義太夫を語り、踊りを踊ってすごす竹じいさんに泣かされ続きだった。
 梅ばあちゃんは、ぐちぐちと夫の道楽をこぼしながら、私たちに紙人形を作ってくれたり、竹が全部芝居に注ぎ込んでしまって残り少ない現金の中から工面して、私と姉にこずかいを渡してくれたりした。私の母は、そんな愚痴を聞いてあげ、梅ばあちゃんが私たちにくれた以上のおこずかいを渡して田舎に帰した。

 父方の祖母は写真を見ただけ。父が2歳の時に病没した。姑にいびり抜かれて、病気がちになったとも聞く。姑というのは、10/17「ルーツ」項に登場した父の祖母、私の曾祖母である。曾祖母が田舎の素封家の出身でありながら、破産して没落した話を書いた。

 曾祖母といっても、自分は17歳で長男を生み、長男は20歳のときに「恋愛結婚」で私の父をもうけたから、37歳で孫を持ったおばあちゃんである。私が息子を生んだのが39歳のとき。父は、ずっと祖母を母親だと信じて育ち、母(実は祖母)への恩愛の念は人一倍強かった。おいえを再興して祖母の無念をはらすのが、父にとって生涯の課題となった。

 祖父の結婚は「自由恋愛結婚」、当時で言えば「出来合いのくっつきあい」であったから、もう、曾祖母の気に入らないこと、おびただしい。自分の代で身上をつぶしたという負い目のある曾祖母の生き甲斐は、自分が生きているうちに「うだつ」の上がった家を建て直すことだった。そんな「くっつきあい」の自由をゆるしていては、お家再興はのぞめない。

 曾祖母は、長男の嫁が気に食わず、いびり通した。わずか2歳の息子を残して病没した私の祖母、旧姓「長沼はん」。はんの弟が本庄在で薬問屋をしていたという以外の情報を、私も知らない。おっとりした笑顔の美しい写真が一枚残されているだけで、実母についての質問は曾祖母が許さなかったから、父は母親の墓がどこにあるのかも知らないままだった。

 曾祖母は「つぶしてしまった家だから」と、生涯「表紋」を着物につけず「裏紋」しか用いなかった。父は曾祖母が亡くなった後、「もう、いいだろ」と、表紋の「抱沢潟」に戻した。「うだつ」を上げたわけではなかったが、曾祖母亡き後はもう「破産した家柄」と負い目を持つこともない。もともと裸一貫の家であることを誇ればよい。

 祖父は、長沼はんが死んだのち、嫁を四度むかえた。ふたりめの妻も、三人目四人目も、姑のいびりに耐えられず、すぐに逃げ出した。五人目がようやく居着いた。五人目は、姑以上に強かった。姑との別居を結婚の条件とし、先妻が生んだ継子を育てることはしない、と言い切った。それで父は祖母が育てることになったのだ。後妻は父の弟妹5人をもうけたが、15年間父と会わせなかった。父は自分の下に兄弟が5人もいることを知らずに成人した。

 曾祖母は、孫息子の嫁も気に入らなかった。嫁いですぐに姉と私を生んだ母が、またもや「嫁いびり」で参りそうになっているのを見て、祖父は父に「ばあさんとの別居」を申しつけた。自分の嫁、はんが病気で亡くなったことを、祖父はずっと悔やんでいたのだろう。

 私が4歳のとき、父は恩愛断ち切って曾祖母と別居した。私たちは「核家族」となって新築した家に引っ越した。あまりに急いで引っ越したため、最初の晩、電灯が通じていなかった。真っ暗な家の中で、ろうそくをたよりにお手洗いへ行ったことを鮮明に覚えている。

 曾祖母は、田舎の旧家で育った矜持の高さと、自分の代で没落したという負い目がないまぜになった屈折した感情を持ち続けたから、子供心に「こわいおばあさん」であり、姉も妹もなつかなかった。私だけは12歳のときに曾祖母が亡くなるまで「この子が、男であったなら、必ずふたたびうだつの上がった家にしたろうに」と言われ、けっこうかわいがられた。曾祖母の気に入らなかった孫嫁である私の母は、娘三人だけを生んで、ついに「男の子」は生まなかったから、私が「男まさり」でお家再興をめざすほかなかった。

 「お家再興」なったか。ハッハッ!半年間、こわれた圧力釜を買い換える金もなかったことは、昨日書いた。
 うだつがあがらずとも、血糖値は毎年上がっている。おお、こわっ!気を付けよう、無芸大食ふとりすぎ。

 <つづく>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「森鴎外」

2023-03-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230307 
ぽかぽか春庭アーカイブ>(10)「も:森鴎外」

 ☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.40
(も)森鴎外『ぢいさんばあさん』
 日本文学史上、一番「きが多かった人は誰か」というとんちクイズがある。今は昔男ありけりの在原業平か、光源氏か世之介か。答えは森鴎外。「そのココロは」「本名、森林太郎で、木が五本」はい、おそまつ。

 「き」が多かった森林太郎、ドイツ留学先で恋仲になった女(『舞姫』エリスのモデル)を、「出世のさまたげ」として日本から追い返したことは、10/18に書いた。

 林太郎が最初にめとった妻は、男爵家令嬢赤松登志子。長男於菟を得ると同時に離婚。林太郎28歳のときのこと。この後、林太郎は登志子が亡くなるまで妻帯せず、登志子死去の後、ようやく40歳で19歳年下の志げを妻とした。登志子が亡くなるまで妻帯しなかったのは、男爵家への遠慮であるという説もあるし、自分は惚れていたのに母親が嫁を気に入らないためにやむなく離縁したのであって、登志子が死ぬまで後妻を入れなかったのは、嫁を追い出した母へのあてつけである、という説も。若い志げは、すぐに長女茉莉を生み、鴎外は子煩悩のよきパパとして幸福な家庭生活を営んだ。

 家庭だけでなく、文学者としても軍医としても功なり名遂げた鴎外であるが、ただひとつの「負け」となったのが、「かっけの原因」をさぐる医学論争である。「ビタミンB不足がかっけの原因」という、現在では定説となった正解に対して、鴎外はあくまでも「細菌説」を引っ込めなかった。
 明治時代、兵士たちの「かっけ病」は、大きな問題であった。兵員の3割がかっけのために戦力とならず、かっけを克服せずには富国強兵が望めなかったのだ。

 鴎外の「細菌説」に反対したのは、高木兼寛。薩摩藩士の子として生まれ、海軍医学校に進んだ。イギリス医学を学んだ高木は、かっけの原因が栄養のアンバランスにあると確信し、兵食の改善を提起した。
 森鴎外らのドイツ医学による細菌説が優位であったため、栄養実験船「筑波」を出港させ、兵食の改善による“脚気撲滅”を立証した。鴎外の敗北であった。

 この後、高木は東京慈恵会医科大学を創設。さらに、わが国最初の看護学校を設立した。

  鴎外は自分の墓に「森林太郎の墓」という文字のほか記させなかった。あらゆる名誉も従二位の勲位も自分を飾ることばとしなかったのである。いさぎよい終わり方である。(大勲位が大好きなあの方は、大きなお墓に「大勲位、純ちゃんに公認断られて憤死」という墓銘碑を書くかしら。あ、まだ死んでませんけど)

鴎外の遺言全文
 余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリコヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ榮典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス
  大正十一年七月六日 森林太郎言

 と、カタカナ混じりで書かれても「イミワカンネー」であるので、遺言の要所を現代語訳する。
 私は石見の人森林太郎として死にたいと思う。
宮内庁や陸軍などに縁故があるけれども、生と死の別れる瞬間にはすべての外形的な取り扱いを辞退する。森林太郎として死ぬ墓には「森林太郎墓」とだけ彫り、それ以外一字も彫ってはならない。書は中村不折に依託し、宮内省陸軍の栄典は絶対に取りやめることを願う。
 「石見の人」として死ぬという森鴎外、享年60歳。現代の感覚でいえば、まだ「ぢいさん」と呼ぶには早い年齢であったが。

 鴎外の『ぢいさんばあさん』は、藩士との争いから蟄居を言いつけられた夫と37年も別居した妻の物語。別居の間、妻は姑と息子の死をみとり、子亡きあとは御殿女中奉公をして夫を待つ。37年後にやっと夫の蟄居が許された後は、隠居所に同居して仲良く老後を過ごす、という短編。

 『ぢいさんばあさん』を読むたびに「私だって37年間くらいは、帰らぬ夫を待つことにしましょう」と思うのだが、うちの場合、蟄居閉門でやむなく離ればなれというのではない。帰る気になれば地下鉄で16分という距離の事務所に泊まり込みで仕事を続けているワーカホリック夫が勝手に帰ってこないだけである。

 世の奥様方の中には子育てに時間をとられるほか、「お茶!」「新聞!」などとわがまま放題の夫に三つ指ついてお仕えする時間をとられる方もおいでだろう。私は「夫のお守り」の必要がないので、子供の相手だけすればよかった。(その代わり、一度たりとも子供のおむつを替えたことも、おふろに入って子供を洗ってあげることもしなかった夫をあてにせず、家事育児はすべてひとりでやるしかなかったけど)

 しかし、子供にしか目を向けていなかったので、子供が巣立ったあと「空の巣症候群」になること必定。「空の巣症候群にかからぬためのひまつぶし」準備のためにホームページ作成をはじめたのである。
 ホームページに書いた事すべてが、もしかしたら、帰らぬ夫へのラブレターかもしれない。37年後には「ぢいさんばあさん」のように、長い別居などなかったかのように仲むつまじく過ごせる日を夢見ながら。

 若い頃の私は「鉄の女」と評された。サッチャー政権誕生以前のことだが、たたくとキンコンカンと音がする堅さに加えて、父が鉄鋼労連だったことからのあだ名である。男達は「あんたがそこに立っているだけで、怖い」と近づきもしなかった。女は自分の意見など述べる必要はなく、「あたし、難しいことはよくわかんないけど、あんたが正しいと思うわ」と、うっとりした目をして男を眺めているほうがモテる、という時代だった。

 たった一人、ナイロビ下町で道に迷った私を親切に案内してくれたのが、ケニアで出会った夫である。夫は「自前の意見を述べる女」を怖がらず、議論につきあってくれた。(10/19)の項参照。
 「割れた文化鍋に綴じ蓋」と言われた、似合いのカップルであった日も、今は遠い。
 「ぢいさんばあさん」として仲良く暮らせる日が、いつの日か、やってくるのだろうか。

 でもね、37年も待つなら、その間に新しい恋も必要よねぇ!「晩年の恋」に3票め! 私を怖がらない人がいるなら、晩年の恋も生まれるでしょうに、ヤバイ! 10/29の項、蛇の足跡で、「舐めんなよ」なんてタンカを切ってしまった。またまた「こわい女」という、あらぬ評判を増やしてしまった。本当の私は、怖くなんてないんです。しおらしく、内気なひきこもり女ですのよ。シオシオ(と手弱女ぶり)。

 そこの、どっと引いてしまった、あなた。ま、ま、もそっと近こう寄りなさい。手荒なことはしませんて。そう固くならずに、ほらほら、、、と、おそばににじり寄り無理矢理我が身を叩いてもらうと、キン、コ~ン。響き渡るは、鐘ふたつ。
 「はい、残念でしたね、鐘ふたつ、合格なりませんでしたっ。おところお名前をどうぞ、またのお越しをお待ちしています。今日のゲストは、森鴎外さんと高木兼寛さんでしたあ。また、らいしゅうっっ!」って、明日も読んでね。

蛇の足跡8足目:う~ん、鐘ふたつ不合格は納得いかない。次は女ののど自慢C賞に挑戦だ!
 「♪つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも さわやかな希望の 匂いがする  人はみな 悩みの中 あの鐘を鳴らすのは あなた あなたに逢えて よかった  愛しあう心が 戻って来る  やさしさや いたわりや ふれあう事を 信じたい心が 戻って来る♪」
 もどってぇ~ あなたあああ!! 戻る気があるなら、地下鉄で16分!
 以上「女ののど自慢」C賞に挑戦でした。

 蛇の足跡8足目:トリビアの泉情報。昔むかしあるところのじいさんばあさんが、川からどんぶらこと流れてきた桃を拾いました。二つに切ったら、中からかわいい桃太郎が。
 というのは、文部省が「教育上不適切な部分」を改ざんした真っ赤なうそ。本当の桃太郎は、桃を食べて若返ったじいさんばあさん、たちまち若い頃の「ねぇ、あなた、今夜は燃えたいの」を復活させて、ふたり励んで作った子であったのだ。国定教科書に「うん、おまえ、灰になるまで燃えようぜ」なんて、教育上不適切な表現は許されなかったのである。
 みなさん、旧文部省の教えによれば、子供はメイクラブの結果生まれるんじゃなくて、桃からですよ。桃。お子さんに「ぼく、どこから生まれてきたの」と質問されたら、「桃からに決まっているじゃないか、ハッハッハ」と、正しい教育をいたしましょう。もちろん、おかわいらしいアイコサマも、最新医学の成果によってお生まれになったのではなく、桃から生まれたのである。あっ、また春庭に爆弾が!平和を愛する庭なんですから、爆弾テポドン、ノーサンキュー! 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「明治天皇御製つづき」

2023-03-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230305
ぽかぽか春庭アーカイブ>(9)明治天皇御製つづき

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.39
(め)明治天皇『明治天皇御集昭憲皇太后御集』(明治神宮編集、発行者角川春樹の非売品、とあるが、私は古本屋で300円で買った)

 メール足跡で、自分の書いた文章に反響をもらうとうれしいが、教え子留学生から「先生に教えてもらってよかった」なんぞと言われるのも、教師冥利につきる。自慢じゃないが、ワタクシ教師としては留学生に評判がよろしいのである。
 まだ「はじめましてどうぞよろしく」の口もまわらない学生から「You are my best teacher.」と言われることもよくあり、1年の授業や半年のコースを修了した学生からの謝辞は、並べて売り出したいくらい。誰も買ってくれはしないが。
 ま、だれも誉めちゃくれないから、せめて自分で自分を誉めているのである。ただし、我が業界では、いくら学生に評判上々の教え上手でも、何の評価もされない。研究論文何本出した、の世界なのだ。

 誰の評価をもとめるでもなく、せっせと言語文化継承につとめてきた世襲の方々がいる。年のはじめのためしとて、終わりなき世を言祝ぐ歌会始のときは、テレビ中継で、もったいなくもかたじけなくも、御製御歌に触れる機会がありまするが、歌会のときだけじゃなく、伝統世襲の方々は勤勤勉勉と毎日歌を詠んでいる。

 短歌俳句で飯を食っている職業歌人俳人ならで、毎日欠かさず作品作る根性のあるアマチュア歌人俳人がどれほどいようか。継続は力なり。量が質を高めることもある。

 継続大量生産の中、エンペラひろひとの作品は、丸谷才一などが「帝王調の気風おおらかな傑作が多い」と誉めているし、エンプレスみちこの作品も、子を思う母の、愛情あふれる三十一文字に思わず感動の涙こぼるる。るるルル涙。

 文化のお手本たる「エンペラむつひと」は、61年の生涯になんと十万首の歌を詠んだ。一般社会のアマチュア作品なら「月次(つきなみ)桂園派」と、いっしょくたに束ねられるような歌も含まれているのだが、それにしても十万は、はんぱじゃない。来る日も来る日も、毎日二十首を詠み上げないと、60年で十万に達しない。

 俳句短歌を趣味でやっている人にはわかるだろう。一日二十首、二十句仕上げるのがどれほどたいへんか。日清日露にみこころ安からず、の日々も、欠かさず作っているこの勤勉さ。言霊のさきわう国であるからして、ことばによってさきわっておかないと、この国がたちいかなくなる、という悲壮な決意でもなければ、毎日毎日は続かない。ことばによってさきわう、というのが、万世一系伝統世襲の最も大事な役割であったと、私は思っている。
 日記毎日更新している方、ときどき休みたくなりませんか?私は11月から「土日祝日その他臨時休業あり」に、いたしました。
 
 近代歌人の中でも北原白秋、斎藤茂吉などは、エンペラむつひと御製に対して最大級の賛辞を捧げており、確かに十万も詠めば、中には傑作の一首二首生まれないはずはない。

 無芸大食の私には、短歌批評の芸もないのが当然で、古今新古今勅撰集の昔も知らず、近代短歌の他の歌人の作に比べてどうこうとも言えないのだが、とにかく、「アマチュア歌人で、一日二十首」という一点だけでも、評価するにやぶさかではない。
 くやしかったら、60年で十万首詠んでごらんあそばせ。
 ほら、雲の上人の話をしておりますれば、がさつな私のことばづかいまで、上品になってくるではございませんか。おホホホ、、、。

 11月の声きけば、里の秋かぜ寒くなるらし。皆様風邪にご用心あそばされまして、ごきげんうるわしゅう、おかわりなきよう、おすごしくださりませ。かしこみかしこみたてまつりて、かしこ。

 かしこみ奉って、偽有栖川宮家の結婚式に参列された方々、ご苦労様でありました。雲の上を敬愛する心がありあまり、かくも世の人々を笑わせてくれるまで、こけにされた皆様の、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ばれるお姿、必ずや御稜威、オオミココロは愛で賜い、そのうち、大勲位などもらえるかもしれません。がんばってね。不思議の国のアリス皮のみや家の三月兎より

蛇の足跡五足目:三日休んで再開の「おいおい笈の小文」である。「書いてある言葉、イミワカンネー」というご批判に答えて、本日は思い切って「脚注なしでは、意味不明」な文章にしてみた。文化の日だもんね。キョーヨー掻き出し炸裂である。
 イミワカンネーとお嘆きのあなた、今時、辞書百科事典が手許になくたって、Google検索すれば、どんな言葉もたちどころにイミがわかるのである。グーグルせよ。
(1グループ動詞:ぐーぐる。活用:ぐーぐらない、ぐーぐった、ぐーぐる時、ぐーぐる、ぐーぐれば、ぐーぐれ   
3グループ動詞:グーグルする。活用、ぐーぐるしない、ぐーぐるした、ぐーぐる時、ぐーぐるすれば、ぐーぐるしろ、ぐーぐるせよ)
 グーグルいやなら辞書を買おう。1万円もあれば、けっこうすぐれた機能の電子辞書が手に入る。私だってやっとの思いで圧力釜買った。

わかんなかったらグーグルしてほしいキーワードリスト。
その1:年寄り向けリスト 及川光博、ピューロランドのキティちゃん、イメージキャラクター、サブカルチャー
その2:若者むけリスト 文化住宅、文化鍋、文化包丁 天長節、アカ(昔特高がマークしたという意味で)、行啓御幸、教育勅語(我が皇祖皇宗)、吉原、太夫、起請文、上御一人、終戦詔勅(耐えがたきを耐え)、学徒動員、冷泉家、観世今春、宝刀友切丸、西武の堤、旧皇族邸宅買収のプリンスホテル

 宝刀友切丸のなんたるかを知らんでも、今日のオチは笑ってアゲルと思うのだが。もとい、笑ってもらえる、の間違いでした。「授受動詞文」は、教える側にとっても最初の関門。にほんごは、むずかしいのよぉ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
20230305
 今どきの学生は、辞書を引かない。すぐにスマホで検索。どんなことばもすぐに意味や漢字が出てきます。読めない漢字わからない漢字があっても、その字をスマホカメラでとって検索すれば、読み方意味がでてきます。
 簡単すぎて、自分の頭で考えない覚えない、という弊害もありますが、今後、紙の辞書はおろか電子辞書も減り続け、やがて利用者はデジタル社会に取り残されたアナログ老人だけになることでしょう。
 語学教育もオンライン授業が取り入れられ、大きく変わろうとしています。私のようなアナログ教師は「老兵は去るのみ」です。紙の辞書といっしょ。

<つづく>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする