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ぽかぽか春庭「2021年12月目次」

2021-12-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211230
ぽかぽか春庭「2021年12月目次」

1202 ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩秋(3)武蔵野図屏風
1204 2021アート散歩秋(4)刀剣もののふのこころ展 in サントリー美術館
1205 2021アート散歩秋(5)宮崎学イマドキの野生動物展 in 東京写真美術館
1207 2021アート散歩秋(6)塔本シスコ展 in 世田谷美術館

1209 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(1)小さな国の小さなコロボックルに会いに in 神奈川県立文学館
1211 2021二十一世紀日記秋(2)娘とクラシックコンサート
1212 2021二十一世紀日記秋(3)ディズニープライベートパーティ・ディズニーリゾート2021その1
1214 2021二十一世紀日記秋(4)ソアリンガイドツアー・ディズニーリゾート2021秋その2
1216 2021二十一世紀日記秋(5)群馬で
1218 2021二十一世紀日記秋(6)川崎市立日本民家園
1219 2021二十一世紀日記秋(7)大井のメガイルミ  

1223 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校の冬(1)スピーチ発表会
1225 2021日本語学校の冬(2)クリスマス会

1226 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記冬(1)2021年のフィギュアスケート・NHK杯&全日本フィギュアスケート選手権大会男子フリー公式練習
1228 2021二十一世紀日記冬(2)2021年のフィギュアスケート・全日本フィギュアスケート選手権大会&エキシビション
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ぽかぽか春庭「全日本フィギュアスケート選手権アイスダンス 女子フリー観戦&エキシビション」

2021-12-28 12:00:01 | エッセイ、コラム
0211228
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記冬(2)2021年のフィギュアスケート・全日本フィギュアスケート選手権大会&エキシビション

 12月25日、男子フリーの公開練習を見て、羽生選手の4回転アクセルに対する強い気持ちもくみ取れたあと、いよいよアイスダンスの試合が始まりました。

 25日公式練習の羽生結弦選手


 12月25日のさいたまアリーナリンク。


 2021年のアイスダンスは昨年とは様相が異なります。昨年の全日本選手権アイスダンスでは、日本選手権アイスダンス連覇している夫婦ペア小松原美里&尊組(チームココ)と、ペア結成2年の村元哉中・高橋大輔組(かなだい)の実力差は歴然としており、1年で追いつくとは思えませんでした。しかしかなだいはアメリカで猛特訓の成果が出て、追いつくどころか追い越す点数を出せるようになったのです。「超進化」と大ちゃんが言うとおりの変化を見せ、NHK杯では、ココを抑えて優勝。国際大会での日本アイスダンス史上最高点も出す進化でした。

 2020年1月に観覧した大ちゃん中心の横浜アリーナでのアイスショー「エクスプロ―ジョン」では、かなだいは手をつないでいっしょにすべるのがやっとというよちよち歩きのペアだったのですから、2020年年末の選手権でも、1年でまあまあのペアになったなあ、でもココに追いつくのはまだまだと思いました。それがこの1年の超進化は、まったくびっくり。大ちゃん、ほんとうにすごいスケーターです。



 ショートのリズムダンス「ソーラン」で、かなだいは緊張のためだと思うけれど、練習でもやったことないという転倒をしてしまい、ココがショート1位。フリーではかなだいが1位になったものの、ショートのミス点をカバーしきれず、ほんとうにわずかの差で優勝を逃しました。五輪派遣の基準は、ココとかなだいはどちらも条件を二つずつ満たし、どちらが派遣されるかはスケート連盟の決定次第。結果、北京五輪はココ、世界選手権と四大陸はかなだい。


 決定は微妙なものだったでしょうが、大ちゃんの年齢を考えると、2022北京は大ちゃんに行って欲しかったです。1986年生まれの35歳。4年後には39歳です。シングル競技に比べて選手寿命が長いと言われるアイスダンスですが、トリノ・バンクーバー・ソチにつづく4度目の五輪出場、冬季の最高齢オリンピアンという夢をかなえてほしかった。シングルとアイスダンス両方の種目でオリンピアンになった選手はおらず、大ちゃんが歴史に残る快挙をとげるはずだったのですが、、、、。
 アイスダンスとシングル、両方同じスケートじゃないか、と思う人もいるでしょうが、まったく別競技。卓球選手が「同じラケットをふって球を打つ競技だから」といってテニス選手としてオリンピックに出場できるかというとそんなことした人もいないし、100メートル競走の選手が「陸地を走るのは同じ」だからと、マラソンにも出場するかというと、そんなことはできないのと同じ。

 ココも大好きですが、ココは4年後でも34歳と33歳。まだまだ現役を続けられる年齢と思うので。
 今回フリーの点数はかなだいのほうがよかったのですが、ココの「SAYURI」がNHK杯のときよりも格段に印象深くなっていました。というのも、音源が違っていたからです。NHK杯では音楽にのせているナレーションは小さな声の英語でした。しかし、全日本では、日本語ナレーションが入って、物語を伝えていました。「これは、とある女の物語 ~」と、はじまったナレーション。私はNHK杯のときからアレンジが変わったことを知らなかったので、ナレーションの声を聞いて、「だれだろう、この深く力強い声は」と思っていたら、隣の席のふたりが「ほら、湯ばーばの人」と言っているので、夏木マリとわかりました。私と娘にとっては、夏木マリは、ドラマ「おかえりモネ」のさやかさんです。

 小松原美里さんは「滑りながら自分の言葉、母国語だとすごく真っすぐに受け止めることができて、言葉と滑っていると思った 」という感想で、ストーリーに気持ちが入った分、すべりも順調だったのだと感じました。フリーの点数はかなだいのほうが上だったのですが、もし、夏木マリのナレーションがなかったら、芸術点の印象が変わり、もしかしたら、かなだいのフリー点数がショート転倒ミスの点数をカバーしたかもしれません。採点には「曲の解釈」という項目があるので、音源が変われば評価も変わる。

 表彰式後、ココは赤いシートカバーがかかっているVIP席に挨拶に行き、ナレーションを担当した夏木マリや衣裳についてのアドバイスをしたという片岡孝太郎とことばを交わしていました。
 ゆず君のショート曲「序奏とロンドカプリチオーソ」バイオリンからピアノへの編曲と演奏を担当した清塚信也は、羽生選手ショートのライブ映像を見て感動して涙流れた、とツィートしていたそうですが、夏木マリたちも生観戦して感激したと思います。それくらい、すてきな「SAYURT」でした。 

 かなだいは現役続行を表明したようですが、願うらくミラノまで続けてほしい。以上、アイスダンスフリーの観戦メモ。

 女子フリー。
 ジュニアのトップとシニアの選手24人。ショートの成績によりがフリー進出。第1グループの6分間練習開始の5時から、表彰式が終わる10時まで、製氷時間にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べて過ごしました。24人の選手、それぞれ自分のできる限りの結果を残したと思います。

 1位坂本花織2位樋口新葉3位河辺愛菜の3人が順当に五輪も世界選手権も派遣と決定しましたが、3位との点差3点とがんばった三原舞依を世界選手権に派遣したのでもよかったのではないかと思いました。若い河辺にはこののちもチャンスはあるでしょうが、選手寿命の短いシングルでは、体の弱いまいちゃんが、4年後も現在の体調を保てるかどうかわからないので。

 「不遇不況を乗り越えて頑張るスポーツ選手」に「私もがんばろう」と力づけられること多いですが、まいちゃんも「若年性特発性関節炎」を罹患し、長い不調が続きました。膝の激痛に耐えながらリハビリを続けて競技に復帰したというストーリーをフィギュアファンは皆知っています。


 娘は「どの選手も応援する。みな自己ベストを出してがんばってほしい」というポリシーなのですが、やはりまいちゃんへの思い入れは格別で、ショートをテレビ観戦したときも、まいちゃんの出来に涙していました。でも残念ながら、フリーではアクセルでミスが出て、四大陸派遣のみ。ちょっと残念。
 若い河辺に今後のために経験を積ませる、というスケート連盟の思いはわかるのですが、今期の三原選手は、実績を残してきたので、もっと評価してほしかった。
 以上、女子フリーの観戦メモ。

 坂本花織がキッス&クライで喜びを爆発させてのちの表彰式。
 3人とも満面の笑みでした。


 12月27日月曜日は、有給休暇をとってのエキシビジョン観覧です。25日土曜日はプレミアムシートで前から4列目でしたが、エキシビションは、そんなよい席は抽選にはずれて、それでもS席6列目がとれました。コロナのために外出できない人も多かったので、今年の当選率は我が家にしては上出来です。
 エキシビションは、選手権大会とは違って、リンク内に「スーパープレミアム席」というのも設置されており、そこは特別会員のみが応募できるということです。

 エキシビションでは練習とか公開しないだろうから、前半開始前に着けばいいと、のんびり出かけたら、、、。京浜東北線川口赤羽間の人身事故のため、大宮行きの京浜東北線全面ストップという車内放送があり、浜松町駅で全員下車させられました。山の手線に乗り換え池袋へ。埼京線に乗り換えて、北与野駅から歩きました。北与野からたまアリに行く道がわからないけれど、北与野にどどっと降りた大群は、全員たまアリに行く人だからついていこう、と早歩きで進む。私は、メダリストオンアイスの前半はノービスやジュニアだろうから、シニアのメダリストが見れればいいや、くらいののんびりした思いでしたが、娘は「全員を見たい」と、いつもは出さないスピードで歩く。

 私はスマホの入場画面を自分では出せないので、必死に娘についていきました。Wi-Fiの具合が悪くて、画面が出ないので焦りましたが、なんとか入場できました。 

 前半はおもに、ノービス(12歳以下)やジュニア(19歳まで)のトップ選手が出場。四大陸と世界選手権出場者がつづき、前半のラストはかなだいでした。後半のトップ登場はここ。このあたり、両ペアに差がなかったことを出場順調整で示した微妙なところ。普通なら、1位のペアはシングル1位の前に登場することが多いですから。

 登場した選手たち、のびのびとエキシビションのナンバーをすべっていましたが、とにかくおめあては、みな、羽生結弦。
 ユズ君は、昨季ショートプログラム(SP)で使用したロックナンバー「レット・ミー・エンターテイン・ユー」を滑りました。みな手拍子で応援。
 
 

 フィナーレでのリラックスゆず君。坂本花織は、エキシビションでの黒い衣裳から着替えてのフィナーレ登場。
 

 フィナーレのとき、観客はいっせいに名入りタオルやバナーを振ります。競技中は何人かの好きな選手のタオルを順に振っていた人も、最後のフィナーレでは、一番好きな人のタオルをふります。見た目では、ゆずタオルが全体の半分、かなだいタオルが3分の1という数。残り6分の1に名前が見えたのはショーマタオルと舞依タオルなど、数枚。圧倒的にゆずファンとかなだいファンです。

 たまアリの問題点。いつもキャパ満杯の2万以上の観客数ですが、今回はキャパ7割の17000人入場でした。たぶん、男性は1000人~2000人くらいだったんじゃないかしら。トイレ待ち時間30分~50分という状況、なんとかならないのでしょうか。毎回、製氷時間中のトイレ争奪戦、熾烈です。男子トイレの前にわざわざ「女性は入れません」という張り紙。演技開始に間に合わないと感じた女性が、男性トイレになだれ込んだことがあるための張り紙でしょう。トイレ問題が片付けば、たまアリの椅子は他のリンクに比べて座りやすいし、いい会場だと思うのですが。

 楽しかったエキシビション。来年も各選手がんばってほしい。、選手の姿に私たちも力づけられる。


 女子フリーのおみやげは、ゆずくんがCMに出ている雪肌精化粧水。エキシビションのおみやげは、ニチレイの「レトルトスープ」。ゆず君に思いをはせながら、雪肌精を肌につけることにします。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「2021年のフィギュスケート・全日本フィギュアスケート選手権大会」

2021-12-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


20211226
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記冬(1)2021年のフィギュアスケート・全日本フィギュアスケート選手権大会

2021年、今年も、フィギュアスケートを楽しめました。

4月には、延期が続いた浅田真央サンクスツアーを江戸川体育館の前から3列目で見ることができたし、久しぶりに羽生結弦が出演したアイスショーを横浜で観覧できました。

グランプリシリーズ、放映された大会は全て録画して、全選手の演技をチェック。ファイナルが中止になったのは残念でしたが、代々木体育館で行われたNHK杯は、フリーの日に朝から夜まで、お弁当持参で全試合観戦しました。
羽生結弦選手と紀平梨花選手が怪我で出場できなかったのは、残念でしたが、アイスダンスのかなだいこと村元哉中高橋大輔組、チームココ小松原美里尊(国際試合での登録名はティム・コレト)の対決も迫力あってよかったです。
かなだいは本人たちが言う「超進化」を遂げて、素晴らしい演技でした。
フリーのバヤデールもよかったですが、テレビ観戦のショート「ソーラン」の出来もすばらしく、小松原組を上回る点数を出しました。



 12月25日土曜日は、フィギュアスケート全日本選手権の女子フリーを埼玉アリーナで観戦しました。
27日月曜日は、成績上位の選手によるメダリストオンアイス。エキシビションです。有給とって観覧する予定です。

 むろん、チケットがとれなかった23日女子ショート&アイスダンスショートから全試合を録画して、放映されたスケーター全員を見ます。紀平梨花ちゃんのケガが回復しなかったのは残念ですが、4回転アクセルに挑もうとしている羽生結弦選手については、どうぞケガをしませんようにと、祈りながらの観戦です。 

25日。早めにさいたまアリーナに着き、男子フリーの公式練習を観覧できました。第3グループの田中刑事の曲かけ練習などのあと第4グループ練習。羽生結弦、宇野昌磨らオリンピック出場をかけている選手たちです。

初めて当選できたプレミアム席。前から3列目でゆず君が目の前を滑っていく。

曲かけ練習ではフルにプログラムをさらう選手もいますが、羽生選手は、部分的な調整にとどめていました。4回転アクセルの入りを念頭においているのか、繰り返して同じ動きを練習。クワッドアクセルは完全な出来ではなく、両足着氷だったり転んだりという出来でしたが、どうしても試合で成功させたい強い意志が感じられました。

試合やエキシビションでは出番から採点待ちのキッス&クライにいる姿を見ていられるだけですが、公式練習では35分間、ゆづ君を見ていられました。ファンは、それだけで十分幸せです。
リンク内を周りながら、自分に言い聞かせる言葉をつぶやいているようすもわかりました。これまで羽生選手のドキュメント番組も欠かさず見てきましたが、こんなゆづ君を見たこと無かった。凛々しい真剣な顔つきも素敵でした。

試合はアイスダンス4組によるフリーから始まりました。
観戦メモは28日にUP。
<つづく>
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ぽかぽか春庭「クリスマス会」

2021-12-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211225
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校の冬(2)クリスマス会

 年末の冬休み前、学生たちはもう冬休み気分で浮足立っています。帰省できない現在の状況ですし、「次の休みには両親が日本にやってくるのでよい場所を案内したい」と張り切っていた学生もがっかりしています。
 でも、クリスマスが終われば冬休み。今年は、昨年より大きなクリスマスツリーが学校前に出されて、学生有志が飾り付けをしました。

 最後の週は、スピーチ発表会もあり、校外学習として防災館で地震体験をしたり、なかでも最終日は授業無しのクリスマス会です。テーブルに飲み物お菓子を用意して会の開始を待ちます。

 昨年2021年のクリスマス会では、12月はじめに授業が開始されたばかりだったので、クラスごとの出し物などは準備せず、有志がダンス披露などをおこないました。ネパール人女性のダンスなどが発表されました。この女性はネパールの幼稚園の先生をしていたそうで、特に子供のための伝統舞踊教育に力をいれていたということでしたが、残念ながら家族の都合で帰国してしまいました。

 今年参加したネパール人は、自撮りの動画を国の家族に送ると、撮影していました。


 何か今年も楽しい出し物がほしいなあと思っていたところ、若い先生が「カタカナ語」の教材として利用したビデオに、皆が大ノリになりました。

 どんな教材かというと。「Tokyo Bon」という歌とダンス。日本語タイトルでは「東京盆踊り」となっていますが、外来語として日本語に取り入れられた英語が、いかに英語の発音からかけ離れたJapanglishになっているかを、遊び心たっぷりに、もっと言えば揶揄をこめて紹介しているインスタグラム投稿の作品です。

 「Tokyo Bon 」は、日本語のカタカナ語発音を歌って紹介しています。
 英語圏出身者や、英語が得意なアジア人たとえばシンガポールとかインドの出身者は、英語由来のカタカナ語を話すとき、どうしても元の英語っぽい発音になるので、それじゃ通じないよ、と、日本語カタカナ語の発音は別物であることを伝える内容。日本語を学ぶ英語圏の人に「食べるのはBeafSteakじゃないBifuteki、飲むのはBeerじゃない、Bi-iruと教えなければならない教師にとっては、笑ってビデオを見ながら「英語じゃないよ、日本語なんだよ」と教えるよい教材になっていると思います。

  https://www.youtube.com/watch?v=zhGnuWwpNxI
黃明志東京奧運洗腦歌【東京盆踊りTokyo Bon 2020】Ft. 二宮芽生 & Cool Japan TV @亞洲通吃 2018 All Eat Asia - YouTube 

 日本人は、ジュースやハンバーガーなどのカタカナ語が、もとは英語だと知っています。英語母語話者に対して、ついJapanglishで語りかけてしまうのですが、英語話者にはとんと通じないことばなのです。 
 例えば、日本では「マクドナルド」としておなじみのハンバーガーチェーン店。ローマ字で書くと「Makudonarudo」です。手をたたきながら言うと、6回手を叩く(6拍の語)。
 一方英語話者の発音では、Macdonald'sは「メドゥナゥ」に近くなる。カタカナで書いたので、英語発音とは異なるけれど、ドゥの部分を強く発音し、他は弱く。手を3回たたく3拍の語です)。つまり、日本語カタカナ語で「Where is マクドナルド?」と質問しても通じないし、英語話者が「Where is Macdonald's?」と質問してきたとき、日本語話者にはあまり通じない。
 日本語母語話者も、「ラジオ」が英語ではレィディオゥであることは理解しているのですが、「マクドナルド」という店の名は、英語話者にも通じると思っているから、「まくどなるど、レッツゴー」と言ってもコミュニケーション不全になる!

 「センセー、Tokyo Bonの中に出てくる英語おばさんがセンセーにそっくりだから、この役やって」と学生がいいます。私もノリやすいタチだから、O[K!
 1度youtubeでセリフを確認してあとは練習無しのぶっつけ本番で参加。

 観光客によいレストランを聞かれて、Japanglishカタカナ英語で「イングリッシュ、OK!OK?」「レストラン!カレーライス、オムライス、ビフテキ、グッドテイスト、コーヒーショップ、ミルクテ―、ジュース、レモネード、グッドテイスト!パンショップ、メロンパン、コロッケパン、チョコパン、トマト、チーズ、サンドイッチ、グッドパラダイス。レッツゴー!」
 観光客はカタカナ英語がまるでわからず「What?」。おばさんますます力をここめて、「ま・く・ど・な・る・ど!レッツゴー!」

 Tokyo Bonはyoutubeでは1億回の再生数。インスタグラムには、「私たちも踊ってみた」というまねっこダンスのUP数が20000件という人気ぶりです。
 学内のラインにUPされたHaL先生の「英語おばはん」動画も、バカっぽくて笑えます。

 
 ケーキはあまり売れ行きがよくなかったけれど、カラオケ大会は大盛り上がり、校長の「いい日旅立ち」に後れを取らじと、Hal老師は「テレサ・テン又見炊煙」を「し~ずかあなあ静かな里のあ~き」と1番を日本語で歌ったあと、いいかげんな発音で又見炊煙を中国語で歌って拍手喝采。会話では四声が正しくないと通じないけれど、歌はメロディがあるので四声が正しくなくても中国語っぽく聞こえます。

 熱唱テレサテン又見炊煙(里の秋)


 みなでビンゴゲームをして賞品に一喜一憂。歌ったりケーキを食べたり、楽しい「今年最後の学校行事」の時間をすごしました。
 

 2021年は、日本語学校の状況は厳しいままで、春庭勤務校でも、2021年4月入学生も2021年10月入学生も、来日できずにいます。2022年は、日本語学校にも、すべての人にも、よい年になるよう祈りつつ、クリスマスをすごしました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「スピーチ発表会」

2021-12-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211226
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校の冬(1)スピーチ発表会

 日本語学校の留学生は、2年コース学生は4月入学、1年半コースは10月入学。卒業はどちらも3月になります。2019年10月に入学した1期生は1年半のコースを終え、無事2021年3月に卒業し、それぞれ国立大学大学院また公立大学大学院に進学しました。

 2020年4月入学の2年コースはコロナ禍で来日できず、1年半コース10月生とともに、ようやくビザが出た2020年11月に来日。2週間の足止め隔離を経て、2020年12月から授業を開始しました。

 中国でリモート授業を受けていた学生もいましたが、一日に1時間受けたとはいえ、リモート授業では学生の発音の状況も字形の訂正も十分にできず、実質学生たちは12月の面接授業まで、あまり十分な学習状況にはなっていませんでした。リモート授業である程度教えることができる科目もあるのでしょうが、体育授業と語学授業は身体を使う教育です。リモートで教えられることは限定されます。「畳の上で水練」を半年続けても、泳げるようにはならないのといっしょ。

 どの学生もようやく対面授業を受けられるようになって、満1年の学習期間を経た2021年12月。
 満1年の学習成果を発表しようと、「これまでに書いた作文のうち、いちばんよく書けたと思うものをひとつ選んで、皆の前で発表しよう」というイベントを授業の一環として実施しました。
  校長と授業担当講師に「発音、作文の内容、発表態度」などを評価してもらい、No.1として選ばれた学生は、クリスマス会のとき、校長から表彰状を受け取ることにしました。

 昨年12月から1年間の担当講師の熱意ある教室活動や、進路担当副校長(国立大学名誉教授)の熱心な進学指導が成果をあげ、2020年12月入学者のうち、国立大学大学院工学系修士課程1名が合格し、1名は研究生進学決定。大学院農学研究系にも、1名合格しました。
 専門学校で介護について学びたいという学生もすでに進路決定しています。
 
 コロナ禍であるために2020年4月と10入学予定だった学生は、2023年3月まで卒業を延期してよい、という決定を入管がしたので、大学進学希望者は、2023年3月までに進路を決定することになります。

 卒業が決まった学生も、12月5日に日本語能力試験1級、2級、3級をめざして受験しました。
 受験結果はまだでていませんが、学生も、12月後半はちょっと気を抜いてのんびりしています。

 学校経営者の副理事長先生は「私が日本に留学した時は、入学後1年目に日本語能力試験2級にクラスのほとんどが合格したのに」と、現在の在籍者の合格率が低いことを嘆きます。漢字に強い中国語圏学生は、2級レベルの合格率が他の語圏学生に比べて高いのが通常です。

 今年は、コロナ禍の落ち着かない中、学生も教師もよくがんばった結果ですから、私は新規校の中ではようやってきたと思っています。きょうびの留学生は、親も金持ちになっていて、ハングリー精神がたりない子が多い。必死に勉強しなくても、親が金を出せば留学できる、という「安易留学組」も多いのです。

 2022年、まだ日本語学校の行く末は不透明です。せっかく留学生来日決定の措置が取られた矢先、「オミクロン株水際作戦」で、世界中すべての国からの来日中止がきまり、留学生来日もストップ。
 日本語学校開校したと思ったらコロナコロナで不運なことでしたが、きっと、未来は明るい日々がやってくると信じて新しい年を待ちましょう。

 留学生のうち、料理好きな学生は、おいしい中国料理を毎日手作りして節約に努めています。
 学生が「センセー、味見して」と、持ってきた料理をいただきました。
学生手作りの「小麦粉の餅(ピン)に野菜を挟んで食べる」という料理を味見させてもらいました。(右手首にギプスをはめている頃の写真ですが、手首こっせつしたって、食欲は変わりなしの春庭センセ)


<つづく> 
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ぽかぽか春庭「大井のメガ・イルミ」

2021-12-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211223
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(7)大井のメガイルミ

 令和になって3度目の年末。せっかくのクリスマスイブイブが休日でなくなって、ざ~んねん!みどりの日が昭和の日になったみたいに、赤の日または平成の日として休日復活させてほしいという案に一票。あ、別段赤の日じゃなくても、紫でも青でもなんでもよろしい、休めるなら。

 ハロウイーンが終われば東京の街並みはクリスマスイルミネーションに輝きます。
 クリスマス気分を先取りして味わったので、年末の風物詩としてイルミネーション写真を載せておきます。
 毎週食品や衣料品を取り寄せている生協のチラシに「大井競馬場イルミネーション入場券」がついていた、と娘がいうので、11月24日に大井競馬場へ出かけました。「とうきょうメガイルミ」というイベントです。

 20代のころ、知り合いの警察官に連れられて府中競馬場に入った、という一度きりの経験があるだけで、競馬場と言うところに入場するのは人生2度目のこと。
 浜松町から東京モノレールに乗車。大井競馬場前で下車。

 大井町競馬場東京メガイルミの入口


 入り口付近で、スペシャルイベント「ポニーと写真を撮ろう」をやっていました。ポニーやさらに小さいミニチュアホースといっしょに撮影しました。
 普段、競馬をやっているときはVIP席である座席で軽食をとりながら暗くなるのをまちました。食べている間に薄暗くなり噴水ショーもきれいに見えました。

 ポニーより小さいミニチュアホースといっしょに


噴水の色はつぎつぎに変わり、水が踊ります。

 トンネルを通り抜け階段を上がって広い競馬場のイルミネーションへ。

光のトンネル

木々も光をまとう。たぶん、生態系的には木を痛める行為

 お馬さんが走るところですから、園内は一周3000メートルあります。いろいろなイルミネーションに飾られ、見ているうちはあまり疲れを感じなかったのですが、最後にレストランでうどんやおでんなどを食べた後、どっと疲れました。
 「きれいだったからよかったけれど、これが入場料ひとり千円払うなら、私は来ないな。生協のただ券があったからきたけれど」と娘が言う。
 来年もタダ券が手に入ったら見にこよう、場内のレストランの食事がたいしておいしいものがなかったので、浜松町ででおなかを満たしてからきたほうがいいね、という感想。競馬をやりに来る人たちは、おいしいもの食べようなんて目的で来場しないから、食べ物のグレードはなんでもいいんでしょうね。

 東京には年末さまざまなイルミネーションが輝きます。
 イルミの光にいやされて、来年は穏やかな年を迎えたいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「庭園&離宮の紅葉」

2021-12-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211219
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(8)庭園&離宮の紅葉

 群馬の紅葉見物があまりぱっとしない色合いだったので、「東京都内で楽しめる紅葉を」と、紅葉していそうな場所を娘と訪れました。庭園美術館、浜離宮、五島美術館庭園です。

庭園美術館のもみじ

 
 庭園美術館に何度も訪れてきたけれど、娘は「まだお庭を見ていない」というので、最初に日本庭園へ行きました。まだ紅葉は「色づきはじめ」という11月24日。庭園美術館のその名の由来の庭園へ。池をめぐる日本庭園と広々とした芝生の西洋庭園があります。

 西洋庭園には柿の木がありましたが、渋柿らしく、小鳥もついばみに来ない。ほとんどが熟しすぎて下に落ちていました。もったいない。だれか実を取り入れて焼酎につけて干せば甘い干し柿になるのに。


 最初に茶室公開へ。「光華庵」という茶室の名前は、旧朝香宮邸を建てた朝香宮鳩彦王が名付けたといういわれが書いてある看板を見て門をくぐる。

 つくばいの見える茶室前の庭


 日本庭園の池の周りの木々は、キレイな色になっている楓の木が何本かあり、「バえる」写真がとれました。


 庭を見終わって、1時の予約がとれたレストランへ。そばには、見事に色づいた銀杏の大木があり、日を浴びて金色に輝いていました。写真をとりながら予約時間を待ちました。
 西洋庭園の銀杏


 ほんとうは、レストラン予約時間を待っている人のための椅子があったらよかったのですが、エラそげなウエイターさんが、予約時間まで、レストランの中入ってはいけない、寒くても外に立って待っていろ、とお命じになる。
 高飛車なレストランだったうえに、ランチの値段もびっくり。私はチキンセット3000円(前菜、フランスパン2切れ、チキンソテー、チョコケーキ、コーヒー)、娘ローストビーフ4900円(前菜、パン、ローストビーフ、マンゴーアイス、ミルクティ)というお値段に、「リピーターになるのはむずかしいな」と思いました。まあ、味はそこそこでしたが、都内あちこちのホテルランチに比べても、それほど高飛車にでるほどのもんじゃない。レストランが改装されてから一度も入ったことなかったので、一度は食べてみようかと思ったのだけど、もういいや。

 11月27日土曜日にパナソニック美術館へ行く前に、ちょこっと浜離宮の紅葉を見ようと、入園。この前に来たのは、浅草から水上バス

に乗って浜離宮に着くツアーの一日。格安冬場のツアーだったので、園内は「花も紅葉もなかりけり」でした。
 
 今回はそこそこ紅葉も見られて、中島の茶屋で抹茶和菓子セットなどいただき、売店のお餅も買って、カモ猟の場所なども見てよい庭園散歩になりました。

 
 紅葉と池と東京タワー

 ちょっと盛りを過ぎた木も、下に散り敷く落ち葉が美しい
 

 池の中央、中之島茶屋で、和菓子と薄茶セットをいただいて風流な気分を味わおうとしたのですが、お茶の写真をとっているうちに強風。浜風にあおられて紙に載せられていた和菓子は、椅子の下にころがりました。私はあわてて拾って、3分ルールで食べることにしましたが、娘はあっけにとられて落ちた和菓子を見ているばかり。
 係の人が、娘の分の新しい和菓子を持ってきてくれました。私も「あの、こっちも落ちたんですけど」と、言ってみましたが、係の人は落ちた和菓子を拾って戻ってしまった。あれま。自分で拾わなければよかった。

 写真なんか撮っていないで、さっさと食べればよかった。

 鴨場まで歩いて、娘はメインであるはずの美術館に着く前に疲れてしまい、メインのブルガリア美術工芸展がゆっくり見られなかったと、反省。「芝離宮庭園のイメージでいたから、しばらく来ていなかった浜離宮の広さを甘くみてしまった」と。
 
 12月4日土曜日は、「もう紅葉も最後かな」と言いながら、五島美術館へ。「アジアのうつわ」展を見るためでしたが、「ハケ(多摩丘陵の国分寺崖線)を利用している庭園は、庭内の上下差が大きくて疲れる」と文句をいいつつ、庭園美術館より浜離宮よりもきれいに染まって日に映えていた五島美術館庭園を眺めました。東急創始者五島慶太が財力を尽くして集めたコレクションの美術館。庭園もなかなか美しい造りです。

 広い庭園、途中で足を休めた四阿。

 ゴトー慶太は、ゴート―慶太(強盗慶太)というあだ名で呼ばれたくらいの、凄腕の経営者。強盗して盗んだ、というくらいの強引な企業買収で収益をあげ、その財力で日本アジアの陶磁器や彫刻絵画を買い集めました。 
 今回の展示は、強盗慶太のコレクションじゃありません。町田市立郷土博物館が建て替えの機会に、町田国際工芸美術館として再生されることになり、建物が完成するまで、展示物はあちこちに貸し出されます。



 秋の庭園美術館、浜離宮、五島美術館。東京の紅葉見物もなかなかよい色合いで楽しめました。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「川崎市立日本民家園」

2021-12-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211218
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(6)川崎市立日本民家園

 11月3日文化の日。美術館博物館が無料になる日。
 今まで行ったことなくて、密にならず野外で過ごせるところ、、、、探した結果、川崎市立日本民家園訪問に決定。

 どうして今まで行ったことがなかったかと言うと、どの駅からもバスに乗らとないと到着できないロケーション。バスが苦手な娘は「バス酔いを我慢してまで行く気にならない」と言っていたので、東京の隣町なのに、今まで行かなかったのです。(川崎を通りこして横浜はしょっちゅう行き来しましたが)
 今回は「文化の日無料公開」でほかに行きたいところがなかったので、「酔い止めの薬飲んで」と連れ出しました。

 日本の民家がつぎつぎに壊され、新しい建物に還られようとしていた時期、民家を廃材にせず、柱一本も大切に保存して移築してきたのが日本民家園です。
 移築保存にはさまざまな方法がありますが、川崎民家園は、必要最低限の耐震工事などのほかは、できる限り現地に建っていたままを保存していく、という方針だそうです。
 日本各地の民家が集められ、一か所に保存されている様、本当はもともと建っていた場所に保存できれば一番いいのでしょうが、もともとの場所は、土地を更地にして、他の建物を建てて利用することが優先なのでしょう。次善の策として、江戸東京たてもの園や川崎民家園などのように、移築保存がなされています。

 秋の一日、紅葉にはまだちょっと早めでしたが、たのしく建物を見て回りました。

 おひるを食べずに出かけたので、園内見学の前にまず腹ごしらえと、レストランになっている五家荘からの移築建物の中へ。これが失敗でした。ランチにありつくまでだいぶ待ちました。軽くおやつを食べておいて、先に建物を見学して、14時すぎくらいにランチにすれば、待ち時間は半分で済んだのに。

 ランチはおそば。 

 東北の曲がり屋は、東北に旅した40年以上前に、どこかで見た覚えがあります。

 ↓の養蚕農家は、初めて見ました。屋根の形が独特です。山形県鶴岡市の旧菅原家住宅。屋根の飛び出ているところを「ハッポウ」と呼ぶハッポウ造の民家です。寒い地方の養蚕のために工夫されたのだと説明板に書いてありました。
 高窓(ハッポウ窓)のある農家。2階部分で養蚕をおこないました。
 
 旧山田家住宅。富山県南砺市桂(五箇山)から移築。山奥を流れる境川の岐阜県側に加須良(カズラ)、富山県側に桂(かつら)というふたつの集落がありましたが、桂はダム建設のため湖底にしずみました。桂に残された五軒の家のひとつが山田家住宅。岐阜県の白川郷と共通する造りです。

 園内のたくさんの建物の展示、高低差の大きい園内をめぐるには、年寄りの足にはちょっときつかったです。民家見学希望者へ。70代より若いうちに見ておいたほうがいいかも。

 建物説明の案内板もしっかり読んだのですが、もはやどれがどれやら。


 建物内部の構造もよく見ることができました。屋根の構造、部屋の中、興味深かったです。


 分厚い茅葺のようす。

 コロナ対策のため、室内に上がれる民家は1軒だけでしたが、土間から室内はよく見えました。
 

 園内では「民家園まつり」が実施されていて、ボランティアさんたちが機織りや竹細工をして実演販売していました。「写真とってもいいですか」に、こころよくOKしてくれました。
 竹細工のボランティアさん



 
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ぽかぽか春庭「群馬で」

2021-12-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211214
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(5)群馬で

 故郷に住む妹から「亡き父の27回忌にお寺にお参りする」という連絡がありました。1995年に父が76歳でなくなってから26年たち、今年が27回忌でした。
 1919年生まれの父、生前は「20代30代で戦死した人の分まで生きなければ」と、言っていました。一筋に会社勤めを続け、3人の娘の結婚を見届けた76年の父の生涯は、戦死した同世代の男性の分まで十分に生きたと思います。

 「朝、10時からお寺でお経をあげてもらうので、こちらに来て泊まったほうがいいんじゃない」という妹に、「朝6時に電車に乗れば10時に間に合う 」と言ったのですが、電車に乗ったのは6時半。案の定遅刻しました。(貧乏人だから、法事ごときに新幹線は使わない主義。在来線で行きました)

 お経も焼香もすみ、お坊さんの法話の最中に到着しました。法話は瀬戸内寂聴さんが亡くなったことなどを織り交ぜながらの「仏教に帰依すること」についてのお話でしたが、罰当たりの遅刻者は「私は別段帰依してないけどなー」なんて思いながら、法話の終わりを待ち、お墓へ。山の南斜面を墓地にしたお墓は、見晴らしがよく、町の姿と赤城山がよく見えます。故郷の町はまだ紅葉には早い。

 「やっちゃんと会うから」と妹に告げ、法事後の精進料理はパス。
 お寺の横で待っていてくれたやっちゃんの車に同乗し、紅葉見物に出発しました。

 まず、やっちゃんが馬術部ボランティアコーチをしている大学へ。朝練習のあと、部室にスマホを忘れたというので、取りに戻ったのです。「私も先週、1日に3度も忘れ物したんだけど。スマホを家の中のどこかに置き忘れるなんてしょっちゅう。お互い古希すぎはしょうがないなあ」と言いました。忘れ物の数では負けない。

 大学構内の馬術部部室に行くのは、2度目です。牝馬の「紅姫(通称ヒメ)」に人参あげたりいっしょに写真をとったりしました。
 

 私の紅葉見物のリクエストは「高崎だるまで名高い達磨寺の中に、高崎市が管理しているブルーノタウト旧居があるので見たい。達磨寺の紅葉が見ごろだそうだし」といいました。
 しかし、建物に興味がないやっちゃんは「高崎市内なんて、いつでも行けるから、今日はちょっと遠出」と、案内気分をあげています。群馬の中では一番山奥の上野村まで案内する、という。
 上野村、飛行機が落ちた山奥として有名になりましたが、私は今まで行ったたことがなかった。

 はじめに、冬桜を見に。
 上毛かるたに「三波石と共に名高い冬桜 」というサのかるたがあって、私も群馬の子として幼いころから知っていたのですが、冬桜を三波石とともに眺めたことなど1度もありませんでした。
 桜山公園という冬桜の公園にいき、咲き初めの冬桜を見ました。


 万葉の里という道の駅で三波石がごろごろころがっている川を見てから、上野村の「スカイブリッジ」見物。


 上野スカイブリッジは、高さ90mの谷にかかる全長225mのつり橋で、歩行者専用つり橋としては、日本のベストテンに入るものだそうです。
 
 横からの写真を撮らなかったので、画像借り物


 

 しかし、「つり橋の上から谷の両側の紅葉を見よう」と案内してくれたやっちゃんの期待に反して、紅葉は早くも終わりかけ、全体的に茶色っぽい印象。やはり、山の中と街中では、季節の進み具合が違います。紅葉の色合いの点では、高崎市中の達磨寺のほうが色づきがよかったかも。


 道の駅「上野」に寄りましたが、食事は15時で終了していました。しかたがないので、クッキーなどのおやつを食べて、高崎市に戻りました。チェーンファミレスで晩御飯。
 法事&紅葉の故郷日帰りの旅。東京に帰宅したのは23時半になりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ソアリンガイドツアー・ディズニーリゾート2021秋その2」

2021-12-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

 ディズニーシーのソアリン(架空の飛行船)

20211214
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(7)ソアリンガイドツアー・ディズニーリゾート2021秋その2

 11月5日金曜日。幸運な娘は、ディズニーランド入場パスポートとディズニーランドホテル宿泊券が当たり、私もお供でいっしょに一泊二日のディズニーリゾートを楽しみました。


 私の最初のディズニーランドホテル宿泊は「美女と野獣ルーム」でした。2回目はタワーのバルコニー付きという特別室。(とんがり三角屋根の下のバルコニーがある部屋。希望者が多くてなかなか部屋がとれないというレアな特別室)

 3回目のディズニーホテル宿泊は、どんな部屋かなあと楽しみにしていました。
 ミッキー&ミニーの部屋でした。
 

 ディズニーランドホテルのビュッフェランチ。チーズケーキなどにクリスマス用のディコレーションがほどこされていて、おなかいっぱいに食べた後、さらにケーキを詰め込む。ミッキー型のお皿はお子様ランチ用みたいだったけど、かわいいから使用しました。
  


 レストランからロビーに上がる途中の踊り場アリスの前。このときまでは帽子着用。


 招待客のみのディズニーランドで楽しんだあとの夜は、翌日のディズニーシーに備えてさっさと寝ました。(ディズニーシーは自腹です)

 ホテル宿泊客は、一般客より15分早くディズニーリゾートに入園できます。この15分の、何が特典かというと。入園してから可能になるのが、アトラクションの「入場列に並ぶ権利」の獲得なんです。入園していなければ、スマホでの応募ができない。

 娘は入園してすぐに「ソアリン」の「並ぶ権利抽選」に応募しました。当選!そして、15分後に一般客が入園してきたときには、すでに「ソアリンに乗る列に並ぶ権利」は、応募が締め切られていましたから、一般客は入場列に並ぶことはできず、ソアリンに乗ることはできないのです。
 高いホテルに泊まった客だけに与えられた特典。ま、私と娘は抽選に当たって泊まった「お金はらってない客」だけどね。

 一般客入場の前ですから、広場もガラガラ。一般客入場すると人垣でぎっしり埋まります。


 ディズニーシー入口の地球儀前で


 ソアリンは、ディズニーシーの一番新しいアトラクションで、去年何度か乗って「シーの中で一番好きなアトラクション」のひとつになりました。

 ソアリンは、「飛行船に乗って世界の空を旅する」というアトラクションです。世界のさまざまな景色を空の上から眺めて、氷雪の山もクジラが泳ぐ海も、象が移動するアフリカの草原も、楽しく旅できます。万里の長城を上から眺めるときは「あそこを歩いたなあ」と、思い出もよぎります。最後に東京ディズニーシーが出てきて、花火が打ちあがって終わり。あっと言う間の世界旅行ですが、とにかく楽しい。

 楽しい時間をすごして、娘が次のアトラクション「ベニスのゴンドラ」の申し込みをしている間、ちょこっとベンチにかけて待っていました。娘がもどったとき、ベンチわきにトートバッグを置いたことをすっかり忘れて立ち上がり、ゴンドラの入場待ちに並びました。まだ朝早く、15分待ちなのですぐ乗れます。

 このへんのベンチにトートバッグを置き忘れた


 ゴンドラを待っている間に、ディズニー柄のベンチシートなどを入れたトートバッグを持っていないことに気づきました。中身はシートや折り畳み座布団ですが、娘にとっては、ディズニーランド35周年記念などに来園し、ようやく手に入れた特別アイテム。「もう買おうとしても買うことができない貴重品なのだ」と、おカンムリ。「たぶん、さっき座って待っていたベンチに置いてきたから、ゴンドラ乗り終わってから取りに行くよ」と、私は呑気にゴンドラを楽しみましたが、娘は大事な記念品がなくなってしまったらどうしようかと、まったく楽しめなかったと。

 いつも入場待ち列が長いので、乗るのをあきらめていたゴンドラ


 キャストの練習船。漕ぎ手もガイドも修練が必要だそうです。


 ゴンドラの最後に「この橋をくぐるとき、橋のモニュメントに願えば、ひとつは願い事がかなうんですよ」と、ゴンドラガイドさんがいうので、ふたりして「失せもの発見」を何度も唱えました。いつもなら「健康長寿学業成就家内安全世界平和」まで欲張ってお願い事をするのですが、このときはひたすら失せもの発見!

 座っていたもとのベンチにもどったけれど、トートバッグなし。がっかり。
 あきらめずに園内の係の人に尋ねました。係員が遺失物センターに問い合わせをすると、入り口わきにある落とし物センターに届いていました。ああ、よかった。

 実は、落とし物は11月6日土曜日、なんと2回目。朝、帽子をかぶってホテルを出ようとしたとき、帽子がないことに気づきました。娘がスマホの写真をたぐると、5日金曜日にランチを食べたレストランを出たあとまでは帽子をかぶった写真だったとわかりました。そうか、ホテルチェックインを待っている間に、ロビーのソファに置き忘れたんだと判明。

 ホテルフロントに申し出ると、黒い帽子はちゃんと届いていました。ああ、よかった。トートバッグは2回目の「ああ、よかった」だったのです。この黒い帽子も、娘が母の日に買ってくれたデイズ二―模様の思い出の品でしたから、なくなったら悲しい。

 落とし物センターでトートバッグを受け取って、入り口近くでブラスバンドの演奏も聞いて、「普段なら、シーに入場したあと入口にもどったりしないから、思いがけずバンド演奏を聞けた。よかったね」というと、娘は「トートバッグ見つかるまでは、心ふさがってゴンドラも楽しめなかった」と、私の忘れん坊を怒ります。「朝と昼と2度も忘れることはないっ」と。
 反省しました。

 忘れ物して落ち込んだけれど、吹奏楽演奏で元気が出た。
 

 ソアリンとゴンドラの次はディズニーキャラクターが船に乗って観客に挨拶する船のパレード。最前列ではなかったけれど、ミッキーやミニーがよく見えるところで船を見ることができました。

 

  人魚姫アリエルのショウなどは中止なので、ふだんは乗らない「ジャスミンの魔法のじゅうたん」などを楽しんでから、和食レストランのランチへ。
 ジャスミンの空飛ぶ絨毯


 和食レストラン「さくら」。
 ディズニーシー20周年記念の特別ランチ。忘れ物して心配かけた娘への、おわびのランチです。


 
 おいしかったけどね。働いているふだんの日はワンコイン500円ランチ。ふだんの8倍の値段ひとり4000円払ったんだから、おいしくなければ怒るよ。

 ランチ後は、シューティングゲーム「トイ・ストーリー・マニア! 」などを楽しみました。何度挑戦しても私はシューティングの才能ゼロ。狩猟時代に生まれなくてよかった。これじゃウサギも鹿もとれやしない。


 すいていてすぐ乗れるから、いつもは乗らない園内バスにも乗りました。


 最後はもう一度ソアリンへ。ソアリンはもう入場が締め切られていたのですが、娘は「いつもなら高いガイドツアーを申し込んだりしないのだけれど、今回はランドとホテルが無料ご招待だったから、少々大盤振る舞いでガイドツアーに申し込んだ」と。ひとり6000円のガイドツアー、たしかに、ふだんなら「ぜいたく」と思ってしまう。

 夜、最後の回のソアリンガイドツアーに、6人のツアー客があつまりました。ツアーは、6人の定員にひとりのガイドさんがつき、ソアリンの中の絵や彫刻を説明してくれます。
 ガイドさんは、特別な講習を受けて試験にパスした人のみがつける特別なキャストなのだそうです。

 ソアリンたてもの。わきのエリアに集合しました。

 特別なイヤホンを渡され、耳につけます。ガイドさんの声はイヤホンを通してききます。ガイドさんの解説の声は、他の客には聞こえずツアー客にだけ聞こえるようになっているらしい。
 ガイドさんは必要な時はタブレットの画像を見せながら解説。


 世界の空を飛ぶことをめざして研究をつづけた人にどのような人がいるか、飛行研究家カメリア・ファルコが、生まれたときから、いかにして父親の薫陶を得て空を飛ぶ研究に従事したか、などのお話が続きます。ディズニーは魔法の国なので、カメリアはディズニーのなかでは実在した歴史上の人物です。

 カメリアの生涯を描いた絵の前でガイドさんが説明。カメリアが父の肩にのる「はやぶさファルコン」に最初に出会うところ。

 空飛ぶことを夢見た科学者のひとりレオナルドダビンチ


 ソアリンに乗る前の待ち室では、カメリアの肖像画が動き出して空を飛ぶことについて話します。はじめて見た時は、肖像がいきなり動くのでびっくりしました。

 場外のカメリア肖像といっしょに。


 世界の飛行家や飛行研究者の集まるアカデミーの紋章だそうです。

 ふだんはささっと見て通り過ぎるものも詳しく解説。
 

 カメリアが日本を訪問した時の絵。

 カメリアはもちろん架空の人物ですが、解説を聞いていると、ほんとうに明治時代の初期にカメリアが日本にきたのかも、と思えてきます。洋装の紳士たちに比べて、日本側代表者とおぼしきお公家さんふうの人の髪形や衣装がへんですが、あくまで架空のカメリアの一代記なので。カメリアの服、これって、バッスルスタイルっていう鹿鳴館時代のドレスなのかもしれません。おしりのところがでっぱっているドレス。
  
 ガイドさんの丁寧な解説を聞いて、カメリアがソアリンを開発したという物語から、いよいよソアリンフライト。
 最前列の真ん中の一番いい席でもう一度世界の空旅を楽しみました。大満足で外に出たら、、、、。
 あれま、財布やクレジットカードいれたバッグがない。

 フライトの際、バッグは椅子の下の籠に入れるよう言われ、注意の通りに籠に入れたはいいけれど、席の前方に置いたトートバッグだけを大事に運び出し、今度は一番大事なバッグを忘れてしまったのです。

 バッグが戻るまで、外で相当待ちました。バッグの中身が貴重品ばかりだったので、係員は、バッグの中身をひとつひとつ点検書き出し、万が一にも「なくなったりしているものはないか」というリストを作って確認していたのだそうです。まあ、たしかにサイフに銀行カード&クレジットカード数枚と現金。運転免許証も保険証も、いわば我が家の全財産一切合切入っていたのです。でも、「戻ったバッグの中身のご確認を」といわれたけれど、ディナーの時間が迫っていたので、ぱぱっと見て「はい、ありますOK」と、お礼を言ってレストランへ。

 忘れ物戻ってほっとした顔でガイドさんと記念に一枚。


 ディナーを予約したホライズンベイ。予約時間に間に合って並んだのに、セルフサービスの列が進まず、食べるまでに1時間くらい並んでいました。
 前回きたときは、セルフサービスではなくテーブルサービスだったし、ディナーの間にミッキーやミニーたちディズニーキャラクターが回ってきて、いっしょに写真を撮ることができるレストランということだったので、料理など味わっておらず、写真をとるのに夢中でした。

 今回はキャラクター挨拶もなかったし、値段だって決して安くないのに、予約時間から1時間も待ったわりに、あまりぱっとしないディナーセットだなあと思いました。セルフサービスだから、料理運ぶのも片づけるのも客がやっているのに。
 ホライゾンベイでも、ディズニーシー20周年記念ディナーです。


 ディナーが終わると、そんなこんなですっかり疲れてしまい、7時の閉園時間より少し早く舞浜駅に戻り帰宅しました。
 一日の歩行数16965歩。ふだんは通勤行きかえりで3500~4500歩ですから、いつもの4倍は歩き回ったので、そりゃ疲れた。

 私には楽しい1泊2日のディズニーリゾートでしたが、一日に3度の忘れ物、帽子トートバッグ貴重品バッグ。娘はすっかり気疲れしてしまった晩秋ディズニーリゾートになりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ディズニープライベートパーティ・ディズニーリゾート2021秋」

2021-12-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

 招待客のみのプライベートパーティ

20211204
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(3)ディズニープライベートパーティ・ディズニーリゾート2021その1

 コロナ禍の夏の間、春庭と娘のお出かけ先は、一番安全と思われる美術館博物館に限られていました。
 換気消毒しっかり、事前予約制で観覧者の住所氏名メアド書かせて、当日の検温アルコール消毒も確実に。
 緊急事態宣言が解除になった10月は、私の手のけがのためにお出かけするのも控えましたが、11月は美術館以外にも出かけることができました。

 11月おでかけのハイライトは、5日金曜日と6日土曜日1泊2日の東京ディズニーリゾートで遊んだこと。なにがハイライトかというと、めったなことでは当選しないというホテル宿泊付き招待者限定ディズニーランドパスポートが当たったからです。当選者は7000人。後6時に通常閉園してから7時に招待者のみ入園し、午後10時までパスポート入場料金無料で

  1. 遊ぶことができます。宿泊券まで当たった人は7000人の中の数組だということなので、レアな招待者に選ばれたのです。らっき~!

 このところディズニーリゾートはコロナ対策のために一日の入場者上限5000人という措置をとってきました。緊急事態宣言解除を受けて、ようやく入場上限1万人、夜間7時まで開園、と、少し制限がゆるくなりましたが、コロナ禍前の一日の入場者5-7万人、夜10時まで開園、というにぎわいぶりからするとまだ「園内閑散」の雰囲気だといいます。

 乗り物系アトラクションが好きな人にとっては、どの乗り物も待ち時間少なくてすぐ乗れることはうれしいことですが、私や娘のように、乗り物系よりもショーを見るほうを好む者には、ほとんどのショーやパレードが中止になっている現在のディズニーリゾートはそれほど魅力的ではないと感じ、上限5000名の通常入場者抽選に応募したことはありませんでした。

 しかし、今回はランド招待の上ホテル宿泊がついているのですから、当選した昨年から、入園できる日を心待ちにしていました。「ご招待」は、何度も何度も「延期、延期」で、1年以上待ってようやく入園日が決定したのです。11月5日に出かける前日まで「急に感染者が増えてしまったりしたら、今後は延期じゃなくて中止になるだろうから、どうぞご招待が実施されますように」と、ディズニーリゾート大好き娘は願っていました。
 私も、「手首骨折のギプスがとれてようやく自由に手が使えるようになった記念」のお祝いにちょうどいいと、楽しみにしていました。
 
 まず、ディズニーランドホテルの1階レストランでビュッフェランチ。朝ごはんを控えてきており、グレードはあまり高くはないランチですが、とにかくおなかいっぱい詰め込みました。入園は夜7時から、閉園の10時まで晩御飯を園内で食べるには短すぎるお楽しみ時間。晩御飯はホテルに帰ってから、ということにして、娘の手作りチーズケーキなどのおやつを持って出かけることにしました。

 3時すぎ正面側の部屋にチェックイン。
 ディズニーランドステーションがよく見えます。

 夜7時からご招待者入園が始まるということなのですが、6時すぎには早くも入口前に列ができています。娘と「手荷物検査など厳しくやっているらしいので、入園に時間がかかることを見越してみんな早々と並んでいるんだね。私たちも、お部屋でのんびりするのは終わりにして並びに行こう」と、入り口に向かいました。

 すでに長蛇の列。娘は「しまった、こんな長い列のうしろじゃなく、もっと前に並び始めればよかった」と、後悔しています。7000人の招待客が一度に並ぶのですから、そりゃ込み合います。
 でも、比較的スムーズに入場でき、娘が最初にやったことは、本日のメインイベント「美女と野獣のお城巡り」へのエントリーです。美女と野獣のお城ができて以来、「早くお城に行きたい」と言っていたのですが、コロナの上限5000人制限のために来ることができなかった場所。


 シンデレラ城とはまた趣がことなっていて、乗り物に乗ってお城の中をめぐるのはとても面白かったです。
 前室で「美女と野獣」のお話の解説もありましたが、ここに集まっている人で、物語を知らない人はいないだろうとおもいました。私も、「美女と野獣」アニメ版ディズニー実写版、アニメ版に合わせてオーケストラ演奏をするコンサートも見たし、クリストフ・ガンズ監督レア・セドゥーがベル役の2014年フランス実写版も見たという、もはや「美女と野獣通」と言ってもいいほど。
 ウェルカムエリアのお出迎え。ポットの息子。


 ぐるぐる乗り物が回転するので、乗り物に酔いやすい娘はちょっと気分が悪くなったのですが、「大人気アトラクションだから、この次いつお城に入れるかわからない」と、ベルとプリンスが幸せになるまでを見届けました。

 本を読んでいるベルの脇をフロートに乗って巡っていく。
 
 いろいろな物語のシーンをめぐって、最後は、ベルの愛の力で王子に戻った野獣と幸福なダンス


 ベルの城をあとにする。


 園内、すいています。人通りのない通路やだれもいないテーブル席。


 どの乗り物も待たずに乗れるので、娘は「20年ぶりくらいになるけど、ダンボに乗ってみよう」と。
 小さいときは楽しみだったダンボですが、大人になってからはショウやパレードめあてに来園してきたので、ダンボに乗るのは久しぶりと言います。私も、子供が幼いころにいっしょに乗って以来です。

 アトラクションの外に撮影用のダンボがティモシーといっしょに。いつもならちびっこが列を作っているところですが、だれもいないので、昔のこどもも1枚パチリ。


 10時の閉園まで、7000人の招待客はそれぞれ楽しい時間をすごしました。ふだんは連日5万人の入園者でごったがえす園内も、招待者7000人だけですから、どのアトラクションもほとんど待たずに入場できます。いつもは長い行列のピーターパン空の旅など、すいすいと乗れました。

 他のパレードやショーが休止になっている中、雨の日などに実施される短いパレードを見ました。通常のパレードは2時間前くらいからパレードが通るストリートに並ばなければなりませんが、今回は30分くらい前に行けばいいだろうと、のんびり行ったのですが、唯一のパレードなので、一列目は早くも満杯。2列目に並びました。15分くらいで最後のフロートが通過する短いパレードでしたが、娘は「天気の悪い日用のパレードだから、初めて見た」と喜んでいました。

 フロートは限られていましたが、グ―フィ、プルートのフロートが目の前に止まったので、撮影。


 私は、フロートとフロートの間でダンサーが踊る通常のパレードのほうがいいけれど、今はダンサーも自宅待機中で、社員じゃないフリーランスのダンサーは失業中なのだろうと思います。早くダンサーさんたちも仕事再開できますように。

 10時に閉園したあとは、のんびりとホテルに宿泊です。娘がホテル宿泊者特典の「ディズニーシー入場チケット」を申し込んでおいたので、「朝いちばんにディズニーリゾートラインでシーに向かうから、いつもより早起きする」とさっさと寝ました。私は毎日5時半に起きているから大丈夫だけれど、毎日昼頃起きてくる娘も、ディズニーのためなら早起きできるんです。

 ディズニーリゾート2日目は、ディズニーシーへ。こちらはご招待ではありませんし、土曜日なので少しは混んでいましたが、それでもこれまで来たどのディズニーシーよりすいていました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「娘とクラシックコンサート」

2021-12-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211203
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(2)娘とクラシックコンサート

 娘と出かけるコンサートは、娘の好きなディズニー曲のオーケストラ演奏が多かったのですが、この秋、ディズニー曲以外のコンサートにもいっしょに出かけることができました。

 ひとつは私が長年のファンとして聞き続けてきた「東京楽友協会交響楽団」の第111回定期演奏会。娘は「高校だったか大学のとき母に連れられて聞いて以来、20年ぶりくらいの東京楽友協会交響楽団コンサート」と言います。

 大田区アプリコホール10月24日12時30分~

・フンパーディンク 歌劇「ヘンデルとグレーテル」前奏曲
・シベリウス    交響曲第7番ハ長調
・チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調「悲愴」 

 曲目は、悲愴以外はなじみのない曲でしたが、指揮者橘直貴のタクトもさえて、よい演奏になっていました。
 素人のオーケストラとして上々の出来と思いましたが、あちこちのプロの交響楽団を聞いて、耳が肥えてきた娘は「全体的には上手だと思うし、弦楽器はプロと遜色ない出来だけれど、管楽器はやはりプロに比べると迫力が少々おとる」と、いっぱしの感想を述べていました。

 楽友会コンサートの翌日10月25日月曜日、仕事を終えてから杉並公会堂へ。娘が応募て当選した金管アンサンブルのコンサートです。杉並公会堂大ホール、はじめて訪れました。

Brass Ensemble ZERO Tokyo
日時:2021年10月25日(月)19:00開演(18:15開場)
場所:杉並公会堂 大ホール

【出演者】
・Brass Ensemble ZERO Tokyo
大西 敏幸〈トランペット:元兵庫芸術文化センター管弦楽団〉
川田 修一〈トランペット:東京フィルハーモニー交響楽団首席〉
重井 吉彦〈トランペット:東京フィルハーモニー交響楽団〉
野田 亮〈トランペット:東京フィルハーモニー交響楽団首席〉
濱口 勝治〈トランペット:元東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団〉
岸上 穣〈ホルン:東京都交響楽団〉
青木 昂〈トロンボーン:読売日本交響楽団首席〉
越智 大輔〈トロンボーン:群馬交響楽団首席〉
東川 暁洋〈トロンボーン:藝大フィルハーモニア管弦楽団〉
黒金 寛行〈バス・トロンボーン:NHK 交響楽団〉
柳生 和大〈チューバ:日本フィルハーモニー交響楽団〉

 金管の世界では錚々たる演奏者だと思います。多分、東京フィルなどを聞きにいったとき、金管を吹いていた人もいたのでしょうが、あまり覚えていない顔ばかり。管楽器はオーケストラの後ろのほうに座るし、ピアノやバイオリンのソリストに比べてスター性は乏しい。

ゲスト
Horsh(ホルンアンサンブル)
庄司 雄大〈藝大フィルハーモニア管弦楽団首席〉
信末 碩才〈日本フィルハーモニー交響楽団首席〉
鈴木 優〈東京都交響楽団〉
東野 珠実(笙、作曲)
長谷川 将山(尺八)
中田 大梧(箏)
目等 貴士(ティンパニ)
久米 彩音(打楽器)
石川 大樹(打楽器)

曲目
演奏曲目】
J.S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番
東野珠実:『景~Scenes of Spirits~』笙・尺八・箏とブラスアンサンブルのための[日本初演]
挾間美帆:祝典のための3つの小品[委嘱作品、世界初演]
D. シュニーダー:CUBAC~バッハ・イン・キューバ
武満徹:Signals from Heaven
A. トマジ:典礼風ファンファーレ

 バッハ以外は初めて聞く曲ばかり。日本楽器を使った東野珠美の曲は、金管に和楽器が混ざるという珍しい編成だったので、めずらしさにつられて聞いていましたが、挾間美帆の新曲は、なんだかよくわからなかった。ジャズの新曲などで近頃売り出し中の新進気鋭作曲家なので、名前は音楽シーンにうとい私でも知っていましたが、現代音楽っぽい曲はわからないので、すみません、眠くなりました。居眠りしながら聞いていたので、娘に「いっしょうけんめい練習して演奏している演奏者に失礼だよ!」と、いたく叱られました。

 シュニーダーの「CUBAC~バッハ・イン・キューバ」は、打楽器が入ってキューバ音楽のリズムで楽しいので聞いていましたが、武満徹でまたよくわからんから眠くなる。
 娘に「母は居眠りばかりして、そんな聞き方するんじゃ、もういっしょに演奏会になんかこない」と、言われる。

 老母は、朝6時40分に家を出て8時半から仕事をし、19時の開演時間に間に合うように待ち合わせの荻窪駅に駆け付けたんです。疲れて聞いていて、わけわかんない現代音楽だとつい眠くなって、、、、、演奏者さんごめんなさい。

 現代音楽とはよくよく相性が悪いってわかったので、古典かディズニーのときだけ娘と同行しよっと。といっても、ディズニー音楽だって、眠い時は寝ちゃうんだけど。
 2022年お正月には、ディズニーファンタジアをオーケストラで画面に合わせて演奏するコンサートに出かける予定。カバが踊ったりミッキーが魔法に失敗したりする画面を見ていれば、寝ないと思う、、、、たぶん。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小さな国の小さなコロボックルに会いに in 神奈川県立文学館」

2021-12-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20211209
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(1)小さな国の小さなコロボックルに会いに in 神奈川県立文学館

 娘が「こどものころ読んだ『だれも知らない小さな国』の展覧会やっているので見たい、という。娘の希望で「横浜へ行って、中華街で食べて、神奈川文学館でコロボックルの絵をみよう」という一日の行楽コースを楽しむことになりました。
 
 東急のチケットサービス「中華街まで乗り降り自由切符と食事券」で食べられる店で中華をおなか一杯食べ、外人墓地を横目で見て近代文学館へ。

 「佐藤さとる展―『コロボックル物語』とともに―」
会期:2021年7月22日(木・祝)~9月26日(日)

神奈川県立文学館の口上
 佐藤さとる(1928-2017)は、デビュー作『だれも知らない小さな国』(1959年)から始まる「コロボックル物語」シリーズを半世紀にわたり書き続けました。身長3cmの小さなからだで、目にもとまらぬ速さで動き、深い知恵を持つ小人――コロボックルと、彼らを見守る人々との友情を描いた物語は、本物のファンタジーとして、生き生きとした感動をもって、多くの人々に愛され続けています。

 同展は、佐藤家をはじめとする方々が同館に寄贈した〈佐藤さとる文庫〉資料や、無二のコンビである画家・村上勉が描いた「コロボックル物語」シリーズ、「おおきな きが ほしい」「かぜにもらったゆめ」の挿絵原画など、約450点の資料によりその作品世界を展覧。「コロボックル物語」とともに歩んだ佐藤さとるの生涯の軌跡をたどります。

 村上勉画『だれも知らない小さな国』装幀(函)原画(1969(昭和44)講談社

 私は大人になってから文庫版で読んだので、挿絵の記憶はあまりなかったのですが、娘は学校の図書館にあった大型の単行本で読んだので、挿絵もたくさんあったということです。

 佐藤さとる(本名暁)が17歳のころ描いた空想の小人「クリ・クル」


 「だれも知らない小さな国」シリーズのほか、佐藤さとるの他の児童文学も多数展示されており、なつかしいのもあり、「こんな本読んだことなかったけれど、読んでみたいな」と思うものもあり、楽しかったです。

 わたしが読んだことがなく、その作品の存在も知らなかった佐藤さとるの自伝的作品がビデオで紹介されていました。『わんぱく天国』


 出版社による紹介
 戦争の影がせまる昭和10年代、横須賀にある「天国」のような塚山公園は、「按針塚」と呼ばれる、子どもたちの最高の遊び場だった。さくらの明所でもあり、軍港を見下ろす風景も素晴らしい。公園をはさみちょうど逆の地域「柿の谷」と「西吉倉」で、それぞれに住む少年たちは、この「天国」を巡り敵対していた。そしてがき大将を中心とし、その敵対は海洋少年団で学んだ知識を生かした「戦いごっこ」に発展する。 しかし盛大なるめんこ対決をきっかけに、「柿の谷」と「西吉倉」は一気に仲間となる。そしてひとつの目的に向かって走り始める。それは、大ブームだった一銭飛行機をみんなでつくること。しかも「ヒトの乗れる一銭飛行機をつくろうぜ!」というものだ。
 大きな飛行機どころか、人が乗る飛行機? 小学生が作ることができるのか、それは飛ぶのか、誰が乗るのか――?

 佐藤が少年時代をすごした横須賀の安針塚をめぐる思い出、子供のころの遊び、ぜひ読んでみたいと思う作品紹介でした。
 できればスタジオジブリでアニメ化してほしい。もう息子の代の作品が増えてきているけれど、宮崎御大は空を飛ぶ話が好きなので、少年たちが協力して「人が乗れる紙飛行機」を作る話、きっと気に入ると思うのだけれど。

 神奈川近代文学館を訪れたのは久しぶりでした。娘ははじめて。館内のカフェでお茶休憩して足を休めました。帰りは中華街駅にもどらずに、近くのバス停から「赤い靴バス」で、横浜市内見物しながら戻りました。少し時間はかかったけれど、赤レンガ倉庫とかハンマーヘッドとか、横浜は見どころが多いので路線バスでも楽しめました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「塔本シスコ展 in 世田谷美術館」

2021-12-07 00:00:01 | エッセイ、コラム


202111207
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩秋(6)塔本シスコ展 in 世田谷美術館

 「塔本シスコ展シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記」
 会期:2021.09.04 - 11.07 

 アマチュア画家のうち、大学の美術科などで専門的な美術教育を受けていない画家の作風を「ナイーブアート」と呼びます。
 アンリ・ルソーなどがその嚆矢と思われ、「素朴派」という呼び方も。
 ほぼ同じ意の用語として「アウトサイダー・アート(英)」や「アール・ブリュット(仏)」があります。 日本でも、版画家の山下清などが例にあがるでしょう。
 70歳をすぎてから絵を描き始めたアメリカの「モーゼスおばあさんグランマモーゼス」など、ナイーブアートのファンはその素朴な絵に心惹かれます。


 地元ではNHKの取材を受けるなど有名人だったようですが、私は塔本シスコをまったく知りませんでした。
 世田谷美術館で展覧会があると知っても、招待券をもらってなかったら観覧しなかったかもしれません。(前回の展覧会のアンケートに答えて招待券をもらいました)

 美術館の口上
 50代から独学で油絵を始め、自宅の四畳半の一室をアトリエに、自由奔放に描いた塔本シスコ(1913–2005)。人生を丸ごと絵日記に描き出すかのごとく、日々の暮らしを題材に、キャンバスのみならず、空箱やガラス瓶、はてはしゃもじにまで、身の回りのあらゆるものに、よろこびあふれる創造のエネルギーを発散しつづけました。本展では約200点の作品をとおして、ありのままに、自分らしく描きつづけた、塔本シスコの自由な創作の世界をご紹介します。



 塔本シスコ(1913~2005)は、91歳で亡くなる直前まで絵筆を握り続けたそうです。毎日目覚めれば4畳半の自室の寝床をしまい、食事のちゃぶ台を片寄せるところから一日が始まります。タンスに大きなキャンバスを立てかけ、身の回りの自然や子供の頃の思い出、結婚式などの家族の営みなどを描き続けました。

美術館解説
 「シスコ」という名は養父がサンフランシスコ行きの夢を持っていたことから名づけられました。熊本県八代郡郡築村(現・八代市)生まれ。実家の家業が傾き、小学校4年で退学、奉公に出されるなどし、美術教育は受けていません。20歳で料理人の塔本末蔵さんと結婚。一男一女に恵まれますが、1959年に末蔵さんは派遣先の長野県内のダム工事事故に巻き込まれ殉職。53歳の時に長男の賢一さんの画材を使って絵を本格的に描き始め、59歳からは賢一さん夫婦と同居した大阪府枚方市の団地で描き続けました。

 入口にはシスコさんの等身大フィギュア。いっしょに写真を撮りました。

 シスコさんが故郷の海を描いている制作風景がビデオコーナーで放映されていました。世田谷美術館は広いのですから、できれば別の一室にビデオコーナーを設けてほしかった。座って落ち着いて見たかった)

 ビデオの中で描いていた「ふるさとの海」

 制作中の絵の前で

 描かれた人々は、シスコさんの家族親族が乗る漁の船と、泳ぐ人々。記憶をたどり、克明に描かれています。

 制作中のシスコさん

 
 58歳で息子の画材を使って描き始めてから、90歳ころには認知症を患いながらも絵筆を撮り続けました。30年に及ぶ画業が、200点以上ずらりと並んだ展示室は、年代順に進んでいくとシスコさんの人生をたどり、シスコさんが描いた年月を追体験するようになっていました。

 展示室内


 しゃもじや空き瓶など、身の回りのものにまで絵を書き込み、人形を作り、着物を自分で仕立てるとそこにアクリル絵の具で絵を書き、自ら着こんで盆踊りに出かけるなど、描き、生活を楽しみ、家族との時間を大切にしたシスコさんの一生がすごい迫力で伝わります。

 手作りの人形たち

長尾の田植え風景





 
 故郷九州出身の芸能人が大好きで、なかでも丸山明宏(美輪明宏)の肖像は繰り返し描いたそうです。(美輪に改名したのちも丸山さんと呼び続けたそう)。
 有名人ですからさまざまな画家が肖像画をえがいているでしょうが、このシスコによる明宏さん、とてもいいと思います。


 「私は、余白がある絵のほうが好きだから、こういうふうに、ぎっしりすきまなく描き込まれた絵を見ていると、脳が疲れてめまいがしてくる」という娘は、途中で常設展のほうに足を向けましたが、私は閉館時間ちかくまで「シスコパラダイス」を堪能しました。

 今まで見てきたナイーブ系の絵は、どちらかというとシスコさんのように、「ぎっしりくまなく」の絵柄が多かったように思います。美術教育を受けなかった絵描きさん、構図がどうの色彩の調和がどうのという理屈以前に「かきたいことを画面につぎつぎ描いていく」という描き方をしている人が多いからかもしれません。

 世田谷美術館のシスコ展の次はグランマモーゼスの展覧会です。モーゼスおばあさんはよく知られた画家なので、招待券は配布していそうにないし、ぐるっとパスでは割引になるだけで、入館はできないので、どうしようか思案中。


<おわり>
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ぽかぽか春庭「宮崎学イマドキの野生動物展 in 東京写真美術館」

2021-12-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211205
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩秋(2)宮崎学イマドキの野生動物展 in 東京写真美術館

 10月1日は都民の日。
 都内の美術館博物館が無料になる日ですが、今年はどこも日時指定予約が必要でした。なかで「予約要らず」だったのが写真博物館。もともと密になるほどの観覧者は集まらない美術館ですから、予約なしの措置で大丈夫と思います。
 娘が動物写真を見たいと希望し、私は日曜美術館の「動物写真家宮崎学」という紹介番組で写真家宮崎学の来歴を知ったので見に行くことにしました。

 会期:2021.8.24—10.31
 展示室内撮影禁止ですが、ロビーに出ている写真は撮影OK。
 写真美術館の口上
 東京都写真美術館では、「宮崎学 イマドキの野生動物」を開催いたします。
宮崎学(1949-)は中央アルプスの麓、長野県上伊那郡南向村(現・中川村)に生まれ、伊那谷の自然豊かな環境を活かし、1972年よりフリーの写真家として活動を開始しました。「自然界の報道写真家」として、現在も日本中の自然を観察しています。
 宮崎は動物たちの通り道に自作の赤外線センサー付きのロボットカメラを設置し、撮影困難な野生の姿を撮影した「けもの道」のシリーズなど、哺乳類、猛禽類の撮影において独自の分野を開拓してきました。また、人間の生活空間近くに出没する野生動物や、外来動物の影響など、動物の生態を通して人間社会を浮き上がらせる社会性のあるテーマにも取り組んでいます。
 シリーズ最新作となる「新・アニマルアイズ」では、「動物たちの住む森を動物の目線で見る」をコンセプトに、動物たちの痕跡を注意深く読み解き、自作のロボットカメラで人間の目が及ばない世界をみごとに写し出しています。本展覧会は、半世紀近くにわたる宮崎の作家活動の軌跡をたどりながら、黙して語らぬ自然の姿を浮き彫りにしようとするものです。どうぞご期待ください。
 出品点数:写真206点、資料約20点
展示構成:
第1章|〈ニホンカモシカ〉1970-1973 
第2章|〈けもの道〉1976-1977、〈倒木のけもの道〉2012-2013、〈岩田の森のけもの道〉2011-2012 
第3章|〈鷲と鷹〉1965-1980
第4章|〈フクロウ〉1982-1988
第5章|〈死〉1994、〈死を食べる〉2012-2015 
第6章|〈アニマル黙示録/イマドキの野生動物〉1993-2012
第7章|〈新・アニマルアイズ〉2018-2021、〈君に見せたい空がある〉2020-202 年

 宮崎は、春庭と同年生まれの同学年。今年72歳
 長野県駒ヶ根市に在住し、独自の視点で動物などの写真を撮り続けてきました。本人は「動物写真家」と称することを望まず、「自然界の報道写真家」と呼んでほしいと望んでいます。

 その撮影手法がユニーク。たとえば、森の生態系を調査し、「けもの道」に自動撮影のカメラを据える。動物の姿にカメラが反応し、自動でシャッターがおりる。その手法に「カメラマンが自分でシャッターをおさずに写真家と言えるのか」などの批判がよせられたこともあったといいます。しかし、どんな有能なカメラマンであっても、カメラが向けられたら動物は身構えてしまい、それは自然な姿ではありません。いつも通り慣れたけもの道をいつもの姿で通るから、自動シャッターによって、ありのままの姿で撮影できるのだ、と宮崎は述べています。

 けもの道の倒木の上を渡る狐


 森の中に横たわる一頭の鹿のしかばね。その屍が腐り、骨になりついには土に還るまでを数か月にわたって定点観測した写真など、圧倒的な迫力がありました。

《冬の死・二ホンジカ1993》(1月27日6時36分)〈死〉より 1994年 東京都写真美術館蔵


 UPした写真は、展示室ロビーの「撮影自由」コーナーの写真を写し、切り抜いたものですから、鮮明ではありません。それでも、動物たちのユニークな姿が伝わるかと思います。

 「クマさんカメラマン」など、説明を読む前は「動物園かサーカスのクマにポーズをとらせたヤラセ写真」かと思ったのです。しかし、説明を読むと、前述したように、自動シャッターで撮影したものなのです。カメラに興味を持ったクマを、もう一台の自動シャッターカメラがうつしたもの。これも、野生のクマなら、人がカメラを向けているときには絶対にこんなリラックスして興味津々な姿を丸出しにすることはなかったでしょう。

ツキノワグマのカメラマン、長野県、中央アルプス》〈イマドキの野生動物〉より 2006年 作家蔵


 そのほか、不鮮明なコピー写真であり、宮崎学の撮影ではもっと画像がきれいであることをおことわりしたうえで、宮崎の視点を知っていただくためにUPします。

 人間が値崩れを防ぐために生ゴミとして捨てた「取れすぎスイカ」に群がる猪の家族。このようなことを人間がしておいて、スイカの味を覚えたイノシシがスイカ畑を荒らすと即座に「迷惑な猪」として駆除対象にする。身勝手な人間たち、、、、。

 

 鹿のポーズ。挨拶しているのか縄張り争いか。
 

 かわいい

 新・アニマルアイズ〉より 2018-2021年 作 

 撮影OKコーナーで。

 10月1日の写真美術館、他のフロアも見学無料でした。他のフロアの写真にもいいものがあったんでしょうが、あまりに宮崎の動物写真がおもしろくて、閉館まで動物を見ていました。私が他のフロアを駆け足で「せっかく無料公開なんだから、全フロア見ておこう」と通っている間、娘はもう一度宮崎の写真のフロアに入り、2度見していました。

 

 行きは雨の中、「動く歩道」の出口から傘さして写真美術館に行ったのですが、帰りは地下から行けば雨の日でもぬれずに恵比寿駅まで行けることを発見。
 娘が小学生のとき、恵比寿駅から行く「動く歩道」というものができたというニュースでお出かけしていらい、30年近くも写真美術館に通ってきたのに、地下道通って行けばいいことに初めて気づいたのでした。

<つづく>
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