春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2016年1月目次」

2016-01-31 00:00:01 | エッセイ、コラム



20160131
ぽかぽか春庭>2016年目次

0102 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>サルの文化史(1)サル年
0103 サルの文化史(2)サル学ニッポン
0107 サルの文化史(3)ヒトかサルかと問われても
0108 サルの文化史(4)猿神、孫悟空その他
0107 サルの文化史(5)猿神、サルタヒコその他

0109 2015晩秋アート散歩(1)古事記・天と地といのちの架け橋
0110 2015晩秋アート散歩(2)五姓田義松展
0112 2015晩秋アート散歩(3)藤田嗣治特集ほか
0113 2015晩秋アート散歩(4)モネ展

0114 ミンガラ春庭ミャンマーだより>ヤンゴン暮らし1月(1)モデムこわれた
0116 ヤンゴン暮らし1月(2)わ~い!ヤンゴンから短歌初投稿初入選

0117 ミンガラ春庭ニッポニアニッポンご教師日誌>2016ヤンゴン教室だより(1)ヤンゴンの漢字
0118 2016ヤンゴン教室だより(2)ヤンゴンのカルタとり

0120 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(1)2003年の元旦
0121 2003三色七味日記1月(2)2003年の古本と印税
0123 2003三色七味日記1月(3)2003年のGo
0124 2003三色七味日記1月(4)2003年のスーパー接客マニュアル
0126 2003三色七味日記1月(5)2003年の万葉文化講座
0127 2003三色七味日記1月(6)2003年の演劇関東大会
0128 2003三色七味日記1月(7)2003年のトロフィ
0130 2003三色七味日記1月(8)2003年の辞書全読
コメント (4)
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ぽかぽか春庭「2003年の辞書全読」

2016-01-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160130
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(7)2003年の辞書全読

2003年三色七味日記1月再録です。
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2003/01/30 木 曇り
ことばの知恵の輪>辞書全読

 辞書全読続き。
 「暇じゃないのに暇つぶし」とはいえ、辞書一冊で一日中遊べて、娘に「お母さん安上がりに楽しめていいね」と言われた。三省堂例解古語辞典なんか、古本屋で100円で買ったものなのだ。100円で3年は遊べる。

 「文色(あいろ)」は「様子、ものの区別」の意。
 検索してみると、ガマの油売りの口上の中に出てくる。そしてガマの油売り口上は、興津要編『古典落語下』に収録されている。
 埃をかぶっている古典落語を、棚から取り出して調べてみる。私はたぶん、一度はこの語を目にしたことがあるはずなのだ。
 でも「アヤメも知らぬ恋の道かな」の菖蒲と文目の「あや」は知っていたが「あやいろ」が略されて「文色あいろ」となった、というのは、まったく脳の引き出しにしまってなかった。

 落語や物売り口上は意味を詮索するより、語呂のよい音声を楽しみながら聞き流し読み流しをするから、口上の中に「さあ、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで。遠目山越傘のうち、ものの文色(あいろ)と理方がわからぬ。」という文を一度目にしたくらいでは、右から左へ文字が流れて通り過ぎただけだったのだろう。
 広辞苑の出典では、団扇曾我からの引用。浄瑠璃はいくつかは読んだが、団扇曾我は読んでないから、これは知らなくても当然。

 か段では懸魚、戒ちょく、花梗、何首烏(かしゅう)華しょの国、空えずき(からえずき)硯北、を知らなかった。
 四字熟語「五風十雨」は、知らなかったけど、文字から意味はだいたいわかる。

 かしゅうなんて「何首烏」という文字を見てもぜったいに意味はわからない。「つるどくだみの塊根。漢方で健胃、強壮剤とする」とある。漢方薬専門家とか、健康オタク以外で、フツー知っているか、こんな言葉。

 しかし、息子は私が知らなかった「花梗」を知っていて、「そんなの小学校の理科で習う言葉でしょう」と言う。そうか?私は「植物には、根と茎と葉と花がある」と習っただけで、茎を花梗というなんて聞いたこともなかった。園芸専門家や花屋は知っている言葉だろうけど。
 小学校で習ったという、息子の出典は、塾で使っていたテキストだと推測する。

本日のひがみ:おそるべし中学受験用理科テキスト。


2003/01/31 金 晴れ 
日常茶飯事典>隣町に単身赴任中の夫

 ビデオ会話3コマ。

 夕食を食べながら、娘が「そういえば、今日はパピイの誕生日」と言う。
 数日前に、もうすぐ柿実さんの誕生日、と31日を意識したのだけれど、今日は忘れていた。柿実さんの誕生日は夫の誕生日と同日。

 夫は「生まれた日を祝う必要はない。クリスマスだ正月だと、家族がいっしょにすごすなんてのは、くだらない。子供の運動会だ学芸会だと親が学校へいそいそと出かけるのは、ばかみたいだ」と言って、家族といっしょにすごすことを、すべて否定してきた。
 「家庭に安住する」という生き方は、「男のダンディズム」に反し、「世界中を放浪し、最後は野垂れ死にする」という、あこがれの生き方から遠ざかることだと思っている。

 お誕生日は1年365日の中で1度しか祝えないから、非誕生日を祝うことにする、1年364日が非誕生日のお祝い!というのが、ルイス・キャロルの『アリス』に出てくる「帽子屋と三月兎」の、「非誕生日おめでとう!」だった。Happy unbirthday!
 でも、1年にたった1度だからこそ、非日常としてお祝いするのだし、昨日と同じお日様と分っていても、元旦の日の出は特別な「初日の出」なのだ。

 よその家では「日常生活」である「家にお父さんがいる毎日」が、我が家では「お父さんがいっしょに家庭ですごす特別な日」。Happy everyday with daddy! と、Happy special day with daddy! どちらがお祝いすべき日なのか。

 幼い頃、息子は、「よその家では、お父さんが夜いっしょに夕ご飯を食べる」と知って、びっくりした。「お父さん」というのは、気が向いたときに、ふらりと家にやってくる人をいう言葉だと思っていたのだ。
 娘は、運動会に参加して、いっしょに親子競技に出てくれる友だちのお父さんをうらやんだりしながら成長した。それでもふたりとも決して父親を否定したり嫌ったりしないで育ってきたのは、私の薫陶よろしきを得たからである。

 テレビドラマで家庭崩壊劇を見ながら、「う~ん、ヨソんちが壊れていくのを、端から見ている分には面白いけど。うちなんか、最初っからぶっこわれているんだから、よその人から見たら、完全崩壊済み家庭かもね」と言って、娘と息子が笑っている。
 「でもさあ、お父さんの場合、単身赴任中というべきなんだろうか、別居というべきなんだろうか」と息子。「最初のうちいっしょにいたのなら別居という表現もいいけれど、最初から家にいないんだから、別居したというのは変でしょう。よそで仕事をしている人がたまにたずねてくる、というのは、なんと言うべきなんでしょかね」と娘。
 「お父さんが家にやってくる日」が、月に一度、二ヶ月に一度と、どんどん少なくなっていく。そのうち、1年に1度のお祝い日になるだろう。

 で、2月4日と7日のどちらが舅の誕生日でどちらが姑の誕生日か、未だに判別しないのだが、ま、どっちでもいいから息子をおばあちゃんの家へやることにする。やはり、誕生日は、1年1度の大切な日。 

本日のうらみ:、ともあれ、ハッピィバースディ!妻からのお祝いの気持ちをあなたへ!切手のない贈り物。わたしからあなたへ、この気持ち、届けよう、、、、届きそうもないけど。

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20160130 
 わが夫、妻の行動にはまったく無関心なのだけれど、新聞に妻の短歌が初投稿初入選した、というのは気に入った出来事になったらしく、「築地に行く用事があるから、短歌が掲載された1月11日の新聞を買ってきてやるよ」と、娘に言ったのだそう。夫は、やりたくないこと」というのは、ぜったいにやらない人。
 もともと新聞記者だから、新聞社の中になにか用事を作るのは、「やりたいこと」であり、まあ、「妻のために新聞を買う」が、「やりたくないこと」ことではなくて、よかった。たまには、妻に親切な夫だこと。娘から、「父は1月11日の新聞を、5部買ってきた」と、メールあり。

 当地でも、「ナイロビで迷子になって愛をひろった。今では愛が迷子になってる」という私のキャッチフレーズは、女子学生達に大受けでした。日本人留学生のビルマ語通訳で、この微妙なニュアンスがどこまで伝わったかは定かでないが。

 「ナイロビで迷子になったとき、道案内をしてくれた人と知り合いました。とても親切な人だと思って、結婚しました。しかし、結婚後の彼は少しも親切ではありませんでした」という「私の結婚生活報告」に、みんな大笑いしてくれたのだけれど。
 「みなさんは、結婚後も親切な男の人と結婚してください」と、女子学生達に言う。

 当地の大学1年生は、16歳17歳(学制が異なるので、当地の大学1,2年生は、日本の高校2,3年生に相当する年齢です)。彼女らにとって、まだまだ結婚は遠い将来ですけれど、結婚前に親切な人が、結婚後も親切とは限らない、という私の教訓は、しかと聞いておくのですよ。

<おわり>   
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ぽかぽか春庭「2003年の演劇関東大会」

2016-01-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160128
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(6)2003年の演劇関東大会

2003年三色七味日記1月再録です
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2003/01/26 日 晴れ 
日常茶飯事典>演劇関東大会 

 息子は高校演劇関東大会へ。昨日は観客として、見るだけの参加。今日は高校演劇部が関東大会に出場の晴れの日。息子は午前中は観劇。午後は演劇部スタッフ。

 高校演劇大会の規定では「大会当日にOBなどの手助けを受けること禁止」という条項があるのだが、「OBはいけないと書いてあるが、中学生はいけないという規定がない」という理由で、中学生の息子たちが手伝ってもいいことにしたのだと。
 パンフレットを見ると、毎回入賞している強豪校は部員が60人とか100人とかいる。息子のところは高校中学合わせて10人もいない。舞台の設置撤収が時間通りにできないと減点されるので、手伝う方も真剣勝負。いい舞台になるといいけれど。

本日のそねみ:野球も演劇も強豪校は部員数が巨大


2003/01/27 月 雨 
日常茶飯事典>電車が遅れて遅刻したので、欠席

 漢字作文2コマ。

 息子は、雨の中遅刻すれすれで登校した。ところが地下鉄の事故で電車が遅れて、学校についたら1時間目は始まっていて、みんな英語のLL教室室に移動したあとだった。LL教室に遅れて一人で入っていくのも、教室にひとりで待っているのもいやだからと、そのまま回れ右して帰宅。
 忙しい思いして、朝、お弁当を作ったのに。

本日のうらみ:せめて弁当を食べ終わるまで学校にいてから、帰宅してくれ


2003/01/28 火 晴れ 
ニッポニア教師日誌>パレスに住むエンペラの顔

 漢字、会話2コマ。

 「~ことがあります」の経験を述べる文型。前に、学生たちに見せてもらった冬休み中の写真の話題から導入。

 ディズニーランドへ行った、初詣に神社へ行ったなど、いろいろなこれまでに出かけたことやホームステイで体験したことを出してもらい、「~ことがあります」の文を作る。

 ジョナたちは、冬休みのはじめに皆で東京へ行ってきたそう。クリスマスイブイブ、すなわち天皇誕生日であるからしてパレス見物をしてきた。
 「日本のお金にはエンペラの写真がありません。私たちはエンペラの顔を知りません。パレスで顔を見ることができました」と無邪気に喜んでいた。
 「エンペラの顔はハンサムでしたか」「遠くから見たので、よくわかりません。」

 私の例文、「ジョナさんは東京のパレスに行ったことがあります。私はまだパレスに行ったことがありません。エンペラに会ったことがありません。エンプレスと話したことがありません」
 「文化勲章をもらうときにパレスの中へ行きますから、それまでは行きません」と言ってみたが、この冗談は留学生には通じなかった。

 そして「皇居」と言わず、あえて彼らが使った英語のパレスということばをそのまま外来語として用いた例文の語感も、留学生には通じないだろう。
 コーキョと発音するときにまつわりついているイカメシイものが、パレスと言ったとたんに身軽になり「なんとかパレス」という、街のパチンコ屋かリゾート地のストリップ劇場のような語感が出てくるから、外来語魔法のあら不思議。エンペラと発音すると、テンペラやカンペラの仲間みたいになって、いかめしさが消える。

 「昨日友達とchurthに行きました」という学生に「チャーチ、日本語で教会。きのう友達と教会へ行きました。はい、リピートアフターミー」と言いなおしさせるときもあるのに、パレスは皇居と言い直しをされられないのはなぜか、なんて学生は気づかない。

 外来語語感について、宮沢章夫が『茫然とする技術』所収「NHK英語講座テキスト」に書いていた文がおもしろくて笑えた。外来語語感についてこれほど卓抜な感性をほかにしらない。『茫然とする技術』図書館で借りた本だけど、文庫になったら絶対に買う。

本日のきわみ:「不敬のきわみ」なり、と、逮捕されることはない時代でよかった


2003/01/29 水 晴れ
ことばの知恵の輪>知らない日本語

 午前中、Aダンス。

 午後、辞書全読をはじめる。語彙数調査のため、辞書に出ている単語を全部読み、未知の語を調査する。日本語教師としてなかなかの職業訓練といえばいえるし、単なる暇つぶしとも言える。

 とりあえず岩波国語辞書を読み、漢和と古語辞典で補足。
 NTTの語彙数調査のリストで調べたのでは、私の日本語語彙数は約6万語と分かったので、岩波国語辞書に搭載されている57000語は、ほとんど知っているはずという前提で読み始めた。
 だが、実際には未知語があるある。後半から初めて、は段からわ段へ。あ段へ戻って、か段へ。あと「さ、た、な」が残っている。

 特殊な専門用語ならいざ知らず、一般国語辞書に搭載されている語で知らない語があろうかと思ったのに、思い上がってはいけない。知らない語がやはりある。

 あ段で知らなかった語は4語。「文色(あいろ)」「「烏兎(うと、金烏玉兎の略)」「燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、から来た四字熟語」「笈摺(おいずる)」を知らなかった。

 燕雀鴻鵠は四字熟語だから、四字熟語の中には知らない語もたくさんあるはず、と納得できるのだが、文色、笈摺、烏兎の三語、これまでに文の中で見た記憶がなく、意味を初めて知った。

 烏兎は日月の意。神武天皇が金色の烏を肩に乗せているのは挿絵で見て知っていて、金の烏が日の神のシンボルと知っていたのに、中国古語で金烏玉兎は太陽と月を表すというのを初めて知った。玉兎の字は知っていたが、玉のように丸っこいかわいい兎と思っていて月のシンボルとは知らなかった。無知?
 ところが、娘と息子はこの「烏兎」の語と意味を知っていた。なぜなら、RPGゲームの戦いの技の中に「烏兎」という技があるからだ。烏兎の技を使うと、敵をすごいパワーでやっつけることができるのだそうだ。

 笈摺は、巡礼が笈を背負うときに背中が摺れるのを防ぐための上着という。
 ま、これは現代では四国遍路専門用語のうちに入るのかもしれない。昔は巡礼お遍路がどの家の門口にも立ち寄ったのだから、皆この語を知っていたのかも。

 子供の頃、お遍路姿の人が門口に立つとお母さんは米や麦をお椀にひとつあげて、「お通りください」と言っていた。彼らは仕事を持っている人が宗教心にめざめて一念発起で巡礼に出るのではなく、「お遍路専門」である人なのだと言う。だから私はお遍路というのは乞食のことだと思っていた。
 芝居の中で子役が甲高い声で「ジュンレーにゴホーシャー」と叫ぶのは、乞食のものごいだと思っていた。「巡礼専門職」の人々は、笈など背負っていなかったから、笈摺というものを見たことも聞いたこともなかった。

本日のひがみ:RPGの技「烏兎」を知っている子供、しらない日本語教師

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20160128
 当地滞在中に読む本として、読むのに時間がかかりそうで、少しずつ読めばいい本として、惣郷正明『辞書風物誌』「暉峻康隆の季語辞典」重い単行本なのに、持ってきました。
 しごと仕事の毎日で、辞書をのんびりひもとく時間がなかなかとれません。通勤電車読書ができないので、読書時間は、寝る前の枕頭読書のみ。寝ながら読むのには、文庫以上に重い本は不適当。『辞書風物誌』は、椅子で読んでいます。
 リタイア後の楽しみにと思って買った「暉峻康隆の季語辞典」結局リタイア後に読むことになりそうです。

 今回は五味文彦『絵巻で読む中世』網野善彦『日本中世都市の世界』久木綾子『見残しの塔』という中世づくしの読書です。網野、まだ読み終わっていない。

 今回持ってきた本のうち、久木綾子『見残しの塔』は2012年に文庫新刊で買って、結局4年間ツンドクでした。久木さん、1919年生まれ。若い頃の文学志向を結婚後は押し込めて専業主婦生活。70歳をすぎて文学活動を再開し、取材と執筆。2008年に『見残しの塔』を完成させて出版。89歳の新人作家として有名になりました。私は2012年に文庫になるのを待って買ったのですが、読んだのはヤンゴンで。ヤンゴンでひたる日本中世の職人世界面白かったです。日本の宮大工ほかの職人魂、ほんとに感服。

 『絵巻で読む中世」『日本中世都市の世界』も、とても面白い。室町末期&織豊政権研究が行き詰まっているという息子くんに勧めよと思う。楽市楽座のこと、網野の「公界・無縁・楽」論は、異論があるにせよ熟知しておいたほうがよい、と思うので。「とっくに読んだ」と言うかもしれぬが。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の歌舞伎座」

2016-01-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160127
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(6)2003年の歌舞伎座

2003年三色七味日記1月再録です。
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2003/01/23 木 午前中雪、午後雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>歌舞伎座

 葉書で応募し、歌舞伎座の券が一枚あたったので、雪の中見に行った。今日は東銀座で降りることを確かめて、地下鉄の出口を出ると、ちゃんと目の前に歌舞伎座があった。

 でも、雨だから早めに出ていこうと思って、早く出過ぎたので、3時に着いてしまった。4時半開演まで時間があるので、ドトールに入ってコーヒーをいっぱい。開演まで時間をつぶそうとしたが、おっさんたちのたばこが煙くて長居できない。
 雨の中外に出た。老舗らしい鬘屋とか、面白そうな地域ではあるが、どしゃぶりのような雨だったので、歩けない。ぎんだこ本店があったのでたこ焼き買って、交差点の大阪寿司の店であなごちらしとお茶を買って、歌舞伎座に戻る。

 4時から開場。解説イヤホンを借りた。どうせ3階の一番はしっこだろうから、よく見えない分、解説でも聞いていなければと思って。劇場で解説イヤホンを借りるのは初めての経験だったので、貸し出し料金のほか、保証金を1000円払うことも知らなかった。

 だいたい、歌舞伎座に来るのだって、四半世紀ぶりのことなのだ。大学院で演劇学の聴講をしていたころ、郡司正勝さんか池田弥三郎さんのどちらかが、学生のために券を配っていたのをもらったように思う。自分で「一幕見」の券を買ったときもあったかもしれない。もはや記憶は定かではない。

 今日の席は3階の一番うしろ「わ列7番」だった。「わ列」のそのまたうしろは「1幕立ち見席」。学生のとき座ったのは、この1幕立ち見だったような気もする。

 NHKの3チャンネルで放送するテレビカメラが入っていたので、中盤後半だれがちな日にちだが、役者も気合いがはいっていた。今日の演技が永久保存版になるかもしれないんだから。

 夜の部は、『寺子屋』松王幸四郎、源藏三津五郎、戸浪福助、千代玉三郎。清元舞踊が『保名』芝翫、『助六』助六団十郎、新兵衛菊五郎、意休左団次、などなどの初春ご祝儀配役。見に来る人は、演技がどうこ踊りがどうこうより、1月にお祝い気分になれればいいのである。

 特に助六の三味線は「河東節一寸見会」という大店や会社社長などの趣味の会が日替わりで日頃の芸を発表する場になっているとかで、そちらの関係の応援観客も多く、場内はじいさんばあさんでいっぱい。

 同じ歌舞伎を見るなら、浅草歌舞伎の若手のほうがよさそうだったが、こちらは完売。キャンセル待ち当日券を求めるギャルファンたちが列を作っているそう。はたして浅草歌舞伎を見た人たちの何人が歌舞伎を引き続き見ていく層になるのだろうか。少なくとも歌舞伎座の観客を見た限りでは、このじいさんばあさん観客が死んじゃったら、興行が成り立つのかしらと心配になるのだが。

 寺子屋の「主君のあとつぎを守るために自分の子供を身代わりに殺させる松王夫婦」と「主君のあとつぎ若君を守るために、赤の他人の子供を殺してしまう源藏夫婦」がいっしょになってどんなに嘆いて見せても、「やっぱこの殺人、まずいよねぇ」という気持ちがぬけない。
 「主君のためなら我が子も殺すのが臣下のつとめ」という価値観が変わってしまった以上、この芝居は正月草々どういう気分で見ればいいんだろう。

 助六は曾我兄弟仇討ちだけど、こっちは名刀「友切丸」を探すクエストもの変形だから、揚巻や白玉の衣裳を見せるだけでも正月気分でよろしい。

 小林恭二『歌舞伎の日』を芝居にしたらいいのになあ。

本日のひがみ:一月らしい晴れ着でロビーを埋めるオバサンたち。招待券入場のオバサンは、雨の中を歩き回ったジーンズが濡れて冷たい


2003/01/24 金 晴れ 
日常茶飯事典>トロフィ

 ビデオ会話3コマ。

 お店のショウウィンドウにトロフィが並んでいるのをじっと見ていたら、「なんでそんなもの見てるん」と娘が聞く。
 息子がスイミングに行っているときに、1日も休まないで行くと皆勤賞でトロフィを貰えて、2,3日の欠席だと精勤賞でメダルがもらえた。
 1年生のときはメダルで、2年生のとき絶対にトロフィをもらうんだってはりきって休まないで通ったのに、おじいちゃんの法事で休まなくちゃならなくなった。どうしても休むのはいやというので、それじゃ、スイミングのトロフィと同じのをお母さんが買ってあげるから、休んで法事に行こうって約束した。だけど、結局トロフィを買わないですぎてしまった。

 「オトート君は何年たっても、お母さんはトロフィを買ってくれなかったって言うんだよ。トロフィ買うよりゲームソフトの方が遊べるし無駄がないと思って、トロフィのかわりにソフト買ったような気がするけど、やっぱりあのとき、無駄でもトロフィ買ってあげればよかったなあって、後悔している。今、買おうかな」
 「そんなもの、中学生になってからもらったって、うれしくともなんともないよ。時期のもん」と、娘は笑う。
 親からみたら役にも立たず、無駄なもののように思えるトロフィ。子供のそのときの気持ちでは、ものすごく欲しいものだったのに。

 息子は、学童クラブに通っている頃、友達がやっているテスト教材のおまけが欲しくて、「テストやりたい」と言っていた。そのときは、「小学生は遊ぶのが仕事だから、学童でいっぱい遊ぶのが一番だよ」と言ってテストをとってやらなかった。
 今、息子は、「どうしてあのころ、あんなにテストのおまけがすごくいいものに思えたんだろう。顕微鏡とかカメラとか、すごく安物のおまけだったって、今ならわかるけどなあ」と述懐。
 今は「進研ゼミでもZ会でもいいから、添削テストやりなさいよ」と、いくら言っても「やりたくない。時間がない」一点張り。なぜ時間がないかというと、ゲームに専念しているからである。

 う~ん、何のおまけをつけたら、通信教材テストをやる気にになるのだろうか。「そりゃ、ゲーム本体とソフトでしょ」
 「でも、ゲームソフトが増えたら、ますますゲームに専念の時間が増えて、結局テストやらないんじゃないの」「それが、わかっているなら、通信教材やらせようなんて思わない方がいいよ」
 
本日のつらみ:買ってあげなかったトロフィ

2003/01/25 土 晴れ 
日常茶飯事典>レンタル着物

 娘と私は12時半に駅に着いた。スモモとランチを食べてから、来年の成人式着物展示予約会。

 娘はたんす屋の着物が小さくて前がはだけたので「とにかくサイズが合えばいい」という気分になっている。
 LLサイズの着物は、仕立て上がっているのが、二枚。黒地に刺繍のと、ピンク地に花柄のとふたつだけ。これから仕立てるのは青があった。娘は青のほうが気に入ったのだが、仕立て代金が6万かかると聞いて、「6万現金でくれるなら、ピンクでいいや」という。

 一式レンタルと着付け写真撮影セット。「20歳のお祝いは一生に一度のことだから、6万円高くても気に入った方を着ればいいのに」とスモモは言う。ヒメは、「その6万円をお金でもらって、成人式記念旅行をする」というので、ま、それでもよし。

 それから100円ショップでオルゴールとか、必要のないものも買う。オルゴールの音が今でも好き。小学生のころ欲しくてたまらなかったのに、買って貰えなかったもののひとつがオルゴールなのだ。
 文房具や本ならすぐ買ってくれる母だったが、オルゴールのような趣味の品は「稼げるようになったら自分で買いな」と言っていた。中学生のとき、こずかいを貯めて自分で買った。1ヶ月のこずかいが500円くらいのとき、オルゴールひとつ3000円くらいしたように思う。
 あのオルゴールどこへ行ってしまったのだろう。引っ越しのどこかでなくなった。

 オルゴールの小さな音色。100円だって。やすっ。

本日のうらみ:かあさん、あの時のオルゴール、どこへいったんでしょうね

~~~~~~~~~~~^

20160127
 息子に水泳教室を一日も休まなかったごほうびのトロフィを買ってやれなかった悔いは、ずっと心にひっかかっています。息子も、今では小学生のころのうちの経済がどうだったのか理解できる年ですから、貧乏な母を恨みに思ったりはしていないでしょうが、あのころにもどって、息子があんなにほしがったトロフィを買ってあげたい、という切ない思いがこみあげてきます。

 貧乏でも必死で生きてきて、けんめいに今日まできたのだ、ということは誇りに思っていますが、それでも、どうしてあのとき数千円のトロフィを買うことを自分に許さなかったのか。無駄な出費をいっさいしない、という生活、ときにはうるおいも必要だったのに、、、、

 むろん、今も貧乏です。節約して暮らしています。7ドル850円のランチを「高っ」と思う感覚で生活しています。でも、どんな貧乏でも、うるおいというものが必要なことは、この年になるとわかってきたので、たまには美味しいもの食べて、家族と行楽(お金かけない行楽ですが)もして、せいいっぱい楽しんで生きようと思っています。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「2003年の万葉文化講座」

2016-01-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160126
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(5)2003年の万葉文化講座

 2003年三色七味日記1月の再録です。
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2003/01/20 月 晴れ 
日常茶飯事典>万葉文化館展

 漢字作文2コマ

 招待券をもらったので、銀座まつやで開催中の『万葉文化館展』を見にいった

 上野から銀座線に乗った。銀座まつやは出がけに地図で確かめて、三越のすぐ側だと確認した。それで、三越前で降りてしまった。
 三越のそばにまつやがないので、交番で聞いたら、ここは日本橋で、銀座三越とまつやは銀座で降りなければならないと言う。お巡りさんは「歩くと20分くらいかかる」というのだが、暖かい日だったし、都会を歩いてみたい気分だったので、20分歩いた。
 暑くなってコートを脱いだ。日本橋京橋銀座とメインストリートを歩いた。いつもの「間違えずに目的地へたどりつけない症候群」ちょっとマヌケな散歩だった。

 明日香村に2年前に設立された万葉文化館の宣伝のために開かれている。154人の日本画家に万葉の歌をテーマに描いてもらったという作品展。

 展覧会は最終日だったので、定年過ぎのじいさんと中年老年の女性が大勢いた。全員がみんなして万葉集が好きとも、日本画が好きとも思えないが、私のように招待券をもらったからという理由でひまつぶしに来ているのかもしれない。

 でも、次に明日香に行ったら、この万葉文化館をのぞいてみようかという気になったから、これでいいのだろう。明日香には30年前に行ったきりだ。万葉の里はどのように変わったのか、変わらないのか。

本日のつらみ:たまには迷わずに行きたい目的地


2003/01/21 火 晴れ
ニッポニア教師日誌>教師像

 漢字会話2コマ。
 
 娘の「教師論」のレポートは「私の身近にいる教師の紹介」。
 家族や親戚、自分が教わった先生にインタビューして、教師像をまとめる。娘の「身近な教師」は、母親。
 「教師論を担当している先生が、あなたのお母さんは面白い人ね。会って話がしてみたい、って言ってた」と娘が言うので、「じゃ、会ってきて、うちの娘に優をくださいって頼んでこよう」と冗談で。

 教師論の先生は若い助手で、教育社会論をやっている人。論文テーマを検索すると「子育て期の女性教師への聞き取り調査」とか「女性校長への聞き取り調査」などをやっていた。女性教師の社会的なありかたについて研究しているらしい。

 たぶん、私は彼女のいいネタになれる存在なんだろう。子育てしつつ仕事をしつつの主婦学生歴8年、子供を預けて海外単身赴任半年という経歴は、「女性教師インフォーマント」の中にもそれほどたくさんはいないだろうな。

 でもね、珍種ではあっても、就職口はなかった。ぐすん。

本日のうらみ:教育社会学のネタには足りるが、日本語教師の口には足りない。帯に短したすきに長し、中途半端がおらが一生


2003/01/22 水 曇り 753
ニッポニアニッポン事情>家の芸

 天皇の入院中は皇太子が職務を代行。

 さて、明日歌舞伎を見にいくせいか、「家の芸」についていささか考えた。歌舞伎の中で、主だった役はすべて世襲の俳優が引き受けている。親や養親が歌舞伎俳優でなく、国立劇場の養成所とか、そういうところからの出身者で、主役級の役をもらう人がいたのだろうか。

 前進座はそういう世襲制を嫌って新しい歌舞伎の劇団を作ったはずなのに、現在の主演級俳優はみな2世3世だ。新派しかり。
 多くの約束事がある芸の習得にとって、個人の資質が「家の芸」を引き継いだ世襲俳優を超えることができるのか、というのが、小林恭二『歌舞伎の日』世界座のひとつのテーマでもあった。

 「国民統合の象徴」という伝統芸を身につけるのにも、やはり「家の芸」として、生まれたときから「そうなるべき環境の中でそうなるべく教育された」者が最も芸を発揮できるのであろうか。
 しかし、世界座では、世襲の名宝名切丸がなくとも、立派に芝居をやりとげたではないか。

 「家の芸」とは何か。歌詠みにとって、冷泉家の家伝秘伝がなくとも、すぐれた歌を詠むことができることは、もうわかった。能狂言では、世阿弥の花伝書も公になり、観世今春一族でなくとも、立派な俳優が出ている。歌舞伎芸は?「国民統合の象徴」は?

本日のつらみ:政界で2世3世が増えているのは、どうよ?

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20160126
 125代目のお方は、82歳で免許も更新なさったというし、ご高齢でもしっかりと「家の芸」をつとめていらっしゃり、敬服のいたりです。
 一方、世襲3代目の坊ちゃま首相は、なんだかやりたい放題ですね。

 でも、夏の選挙でも野党は「政策がちがうので、、、、」なんて言っていて、オウンゴールっぽいし。

 当地の民衆。これからさき、うまくいくかどうかは定かでないとしても、とにもかくにも選挙の力で、現在の軍事政権から民主政権への転換を決めた。それにくらべて、、、、、将来の不安も、現在の生きにくさも、がまんがまんですごすお国柄が、わが祖国なのでしょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のスーパー接客マニュアル」

2016-01-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160124
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年三色七味日記1月(4)2003年のスーパー接客マニュアル

 2003年三色七味日記1月の再録です。
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2003/01/16 木 晴れ 
日常茶飯事典>スーパー接客マニュアル

 Cマートによって、兎の干し草などを買う。
 買い物をするたびにCマート店員の質の悪さに腹が立ち、気分良く買い物ができない。Cマートも、平日の客足は極端に少ない。

 今時の客はどこで何が安いかよく知っているし、100円200円の安さの差なら、サービスのよい方、店員の感じのよい方を選ぶ。
 Cマートの店員はいつみても「よその店では雇ってくれないだろうなあ」と、感じさせる「気のきかなさ感」たっぷりの人たちばかりだ。人件費を抑えているとしか思えない人揃えの悪さ。

 品揃え以上に、人揃えが販売業には必要だと思う。買い物が、飢えを満たすためや必要最低限の日常品を買うためなら、とりあえず近い店安い店に行くけれど、一通りのものは家庭に備わっている今、流通販売業がどのような方向に向かっているのか、Cマート経営陣は考えていないのだろうか。

 100円ショップが大流行したのは、単に安いからはやったのではなく、「え!100円でこんなものまで買えるの?」という「発見おどろき感」を、客に与えることができたからではなかったか。

 うさぎの干し草ひとつ買うにも、最初に買ったイタリアングラスと同じメーカーのものが欲しいからCマートに来るのだが、チモシー種のほうは商店街のホームセンターで買う。Cマートにもチモシーがあるのだろうが、よそにあるなら、Cマートでは買わない。

 レジの前に立ったが、店員は電話中。上司からの電話であろうと、客からの問い合わせ電話であろうと、店員は電話口を手で押さえて、レジ前の客に対して「申し訳御座いません、少々お待ちください」と言うべきだろう。どうしても電話で続けなければならない話であるのなら、他の店員に「すみません、○番レジおねがいします」などの声をかけるべきだろう。それが、Cマート店員は、客に背を向け、下にかがみ込んで話し始めた。聞かれたくない電話だったのかもしれないが、かがみ込むのは「目の前にたった客への拒否反応」を示す姿勢になる。これくらいの想像力もないような、ぼうっとした表情の店員だったから、まあ、どうなることかと思ってそのまま待っていた。
 5分も話し続け、やっと他の店員がレジに来てから電話を切った。客の前ではかがみ込んで話すが、他の店員のいるところでは話せないというのは、私用電話だったのかもしれない。

 マニュアル通りの接客も時に気分悪いことがあるが、マニュアルもこなせない、あるいは接客マニュアル教育もできないところよりマシ。

 娘はスーパーで100円玉ひとつのおつりをもらい「おかえし100円です。お確かめください」とマニュアル通りに言われた。「100円玉を裏表見て、偽100円じゃないか確かめろとでも言うのか」と、おもしろがっていた。そういうときは100円玉を歯で噛んで見せて「はい、確かめました。本物の100円です」と答えてあげるのが客のマニュアル?

本日のうらみ:接客マニュアルも教育できない販売業

2003/01/17 金 晴れ
日常茶飯事典>Lサイズ着物

 娘と人形町へ。たんす屋バーゲンで娘の着物が見つかるかと出かけたのだが、太めの娘にあうサイズがなかった。どの着物も前身頃が足りない。娘がっかり。
 娘は成人式にともだちといっしょに着物を着てみたいのだが、貸衣装でも相当な値段になるのを気にしていて「リサイクルの着物でも自分に似合って気に入ったものなら気にしないで着る」と言っていた。しかし、気に入るもいらないも、まず自分が太すぎるのがわかってがっかり。

 中2のとき、入院して50キロを切ったのが一番細いときで、それ以来体重増える一方。それでも、やせすぎよりいいと思って、おやつの二度食いも夕食の「好きなものだけ大食い」も何も言わずに来た。
 さて、じぶんのサイズがないとわかって、来年までにやせる気になるのやら。来週の土曜日にスモモさんの紹介で来年の晴れ着予約展示会にいくことになっているが。「スモモさんはLサイズもあるって言ってたけど、Lサイズでも横幅が足りなかったらどうしよう」と今から心配している。

 サイズのない着物はがっかりだったけど、下町散歩ということにして、水天宮へ。てんぷら屋でお昼を食べて水天宮で初詣。菓子屋で水天宮最中を息子へのおみやげに買って帰る。

本日のひがみ:和服のLサイズは数が少ない


2003/01/18 土 晴れ 
日常茶飯事典>ファミレスランチ

 娘息子とファミレスでランチ。
 昔息子と私が並び、娘と夫が並んで4人で食事をした頃のなごりで、3人になっても私と息子が並び、娘が向かい側にすわることが多かった。

 最近、この前の焼き肉ときも、私が一人で座り、向かい側に娘と息子が並ぶほうが多くなった。二人が冗談を言い合いながら、おいしそうに食べている姿を向かい側から見ていると、しみじみ「子を持つ母の幸せ」を感じてしまって、ふうむ老化か。
 「子供がおいしそうに楽しそうにものを食べるのを、うれしそうに見ている母親」という図柄にぴったりはまってしまう自分を素直に「うん、いいね。やっと母親らしい安定した気分になれたね」と喜んであげたいのだが、やはり、ちょいと斜に構えて「ふふん、ファミレス割引クーポン券でデザート食べてんのよ。悪い?」いや、別段どこも悪くない。

 娘は情報基礎論の最終課題は、ホームページ作成。1時から大学のパソコンで仕上げると登校。我が家のパソコンは、MDがうまく接続しないので作れないというのだ。

本日のつらみ:クーポン券ないと、頼まないデザート


2003/01/19 日 晴れ
日常茶飯事典>演劇関東大会リハーサル

 息子は演劇部の手伝いスタッフとして区民会館へ。
 高校演劇部が関東大会に出場することになり、部員が少なくて人手が足りない。これまでは出演者がスタッフ兼任で大道具出し入れなども自分たちでやっていたのだが、関東大会ともなると準備10分片づけ5分でこなすことが必須で、違反すると減点対象になり、入賞が望めない。それで演劇顧問の先生から、担任学年の中2に臨時スタッフ募集がかかり、息子もいくことになった。

 「関東大会にでられるなんて、すごいんだよ。息子が6年間在学中に、これ一度だけかもしれないから、参加しなさいよ」と言うと、すすめるまでもなく行く気になっていた。

 今日はリハーサルのリハーサル。21日が本番会場でリハーサル。26日が本番。

本日の負け惜しみ:がんばれ野田秀樹の後輩たち、夢の遊民めざすか

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20160124
 3日たっても水道が復旧しないので、さすがにあれ?と思いました。私はおとなしく「ヤンゴンのインフラ事情、断水が日常茶飯事ってわかってます。がまんがまん」と思っていたのですが、こういうことに我慢などせず自己主張しっかとやりとげる欧米系住人がだまっているのはおかしい。ギャーギャーわめきたてるはずだ、と気づきました。

 洗濯場をのぞいてみると、ちゃんと洗濯機が動いているではないか。あららと、洗濯場の水道をひねってみると、水が出ている!!なんと断水は私のへやだけなのでした。なんてこった。
 管理人のTuntunに連絡をとり、私の部屋だけ水がこない、ということを訴えました。カタコト英語が話せる故に管理人の職を得ているTuntunが、夜間守衛に連絡したらしく、宿舎に帰って守衛に「イェ(水)ペーバー(ください)」と、言って見ると、「OK」と言って、管理小屋に行く。部屋に戻ると、守衛が「水を出してみろ」とジェスチャーするので、水道をひねると、水が出ました。

 どうやら、なにかの工事で宿舎各室の水道栓を閉めて、工事終了後に給水栓を開けたときに、私の部屋の給水栓は忘れられたらしい。こんなとき、日本なら全室の給水栓が確実に開いているか点検を欠かさないのですが、そこはミャンマー方式。点検など、しません。どこか一室くらい忘れたって、その部屋の住人が水が出ないと訴えてきたとき対処すれば、全室点検なんぞという無駄なことをやらずにすむ。

 まぬけな私は、断水が自分の部屋だけだ、ということに気づくまで3日もかかり、その間シャワーもせず、トイレにも不自由してがまんがまんの日々をすごしていたのでした。断水停電は日常的ということに慣れてきたがゆえの、マヌケさでした。
 ヤンゴンのインフラ不自由さも、道路渋滞のひどさも、慣れてしまえばそれなりに暮らせるようになる、、、、、、ともあれ、水が復活し、ほっと一息。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のGo」

2016-01-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160123
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(3)2003年のGo

 2003年三色七味日記1月再録です。
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2003/01/10 金 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『GO』
 ビデオ会話3コマ。

 娘息子と年末にビデオをとっておいた『GO』を見た。男の子ビルドゥングスとしては型どおりで物足りない面もあるのだが、在日の男の子が主人公として描かれるのをみるのはたぶん初めてだから、とても面白かった。

 民族学校の行進練習のシーンなどとても笑えるんだけど、北朝鮮のマスゲームは笑って見られるのに、在日民族学校がやってると、子供の前で大笑いしちゃいけないような気分になるのはなぜだろう。北朝鮮でやっていることは、客観的に中国や韓国を見るのと同じ視線で見られるのに、在日民族学校でやっていることに対しては、加害者としての罪悪感と共に見なくてはならないようなスリコミがあるからだろうか。

 窪塚洋介ブレイクの映画。GTOに出てたときから「とにかく若くてきれいな子は好き!」のミーハーとしては、彼がやたらと演技派づかないで、はちゃめちゃやっていて欲しい。叶姉妹とお泊まり愛とか、バカやっていてくれ。

 GTOのときは「ビッグバンになってやる池内博之」のほうが伸びると思ってた。前田愛と共演した少年少女ビルドゥングス長野田舎編もとてもよかった。しかし、その後のビューティフルライフで、キムタクの弟分で出演した美容師役も、ファーストラブでのフカキョンの恋人国語教師役もあまり良くなかった。ロックンロールミシンを見てみるか。

本日のいたみ:ボクサーアボジが息子を鍛えるところ、痛そう

2003/01/11 土 晴れ
日常茶飯事典>ホームページ作りたい

 掃除、洗濯、お茶碗洗いで一日終わり。娘は情報科目でホームページを作るのだという。娘に教わって、春休みには自分のページを作りたいなあ。

本日のつらみ:パソコンわっかりませ~ん


2003/01/12 日 晴れ
日常茶飯事典>焼き肉ランチ

 午後、ゲームを買いに行った娘、息子と合流して、焼き肉安売り亭で昼食。クーポン券が新聞チラシで入ってきたあとはいいけど、クーポン券がないときは、どんなに「焼き肉気分」でも、行かない我が家。

本日のはらみ:ロース、カルビ、はらみを注文


2003/01/13 月 晴れ 
日常茶飯事典>貸し主

 息子は9時半から、夫の事務所引っ越し手伝い。ハイタウンへ机など運び入れる手伝い。娘はレースのカーテンを買って届けに行く。「お父さんは、カーテンをどうやって窓につけるかも知らない」と家事いっさいダメ父を嘆きつつ。

 夜、あいちゃんが来て、いっしょに夕食を食べていく。娘は奨学金をほとんど使わずに貯めて、お父さんの事務所引っ越し費用に貸したが、残りはあいちゃんに「大学入試受験料」として貸してあげたのだ。
 あいちゃんは母一人子一人で、お母さんは浪人に反対していたから、本命のひとつの分しか受験料を出してくれない。それで娘が滑り止めの分の受験料を貸してあげることにしたのだ。
 
未成年の子供がお金を貸し借りすることに口を出すべきかどうか悩んだが、「あいちゃんを助けてあげたい」という娘の気持ちを尊重して、黙っていた。万が一、あいちゃんに返済能力がないとしても、娘が自分で決めたことなので覚悟していることだろう。
 娘が不登校のとき、あいちゃんやゆりちゃんの友情に助けられたことを思えば、本当なら私が貸してあげるべきなのかもしれない。

 去年薬学部一本にしぼって浪人したので、今年は薬学以外にもいくつかの理系学部を受けるという。

本日のなやみ:受験生に「がんばれ」は禁句というけれど、18日19日のセンター試験がんばってほしい。「がんばれ」と声かけていいものやら、なやむ


2003/01/14 火 晴れ温かい一日 
ニッポニア教師日誌>専任ゲットの同僚

 漢字、会話2コマ。

 スディさん、ついに専任ゲット。沖縄へ単身赴任だって。いいな、おきなわ。
 彼は、非常勤をつづけながら、博士号を取得。中国へ行ったときには、お嬢さんと韓国人の奥さんを連れての赴任だったが、今回は単身。たぶんお嬢さんの中学受験あたりが問題なのかも。
 開成出身の博士が平均偏差値40の大学で教えていくのは大変だろうが、学究派スディさんは研究第一主義、授業はそこそこ切り抜けていくしかないだろう。ドクターもとったし、ひとつ専任を得ることができれば、そこからはい上がれる。
 彼は、非常勤を続けていた大学の専任ポスト争奪戦をひとつ落とした。業績と博士号を持ち、人柄も知られている大学でも、ポストゲットは難しい。結局コネに頼って、沖縄へ。

 ネットの院生ポスドク愚痴こぼし掲示板とか、院生替え歌コーナーを見ると笑えるけれど、わが身を振り返れば、まったく非常勤というのは「非情な勤務」であり、人に勧められる業界ではない。ま、私はこれ以外にできないんだから仕方ないけど。

本日のひがみ:どこであれ、専任ゲットで浮かぶ瀬もあれ

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20160123
 20日からの断水が、22日朝になっても復旧していません。ヤンゴンのインフラ、あれもこれも整っていないことばかりですが、さすがに水なし3日間は、困りました。飲み水は20リットルボトルを買い置きしてあるので、困らないのが救い。
 いつもは水道水ですませる歯磨き用の水も、ボトルから。トイレがいちばん困ります。

 管理人に訴えてもムダ。管理人は宿舎内に住んでおらず、月に3回くら回ってくるだけ。
 大学にも「施設管理」だの「事務分掌」だのという組織はいっさいありません。宿舎管理の部署もいったいどこなのか、さっぱりわかりません。大学ではなく、教育省の管轄だということがわかっているけれど、教育省は新首都のネピドーにあり、話がネピドーにいくまでに数ヶ月かかる。

 大学で、なにか困ったったことがおこったら、学部長に訴え、学部長がそれを覚えていて、部下の先生に「なんとかしてやれ」と、命じて、その部下先生がやる気になったら解決する。
 留学生の滞在ビザが切れて困っていたときも、3ヶ月もビザなしのまま放って置かれたとか。学生が学部長に訴えても「わかった、わかった、なんとかなるだろう」という返事だけでいっこうになんとかはならず。結局、大使館員と懇意のボスが解決に乗りだすまで進展しなかった、ということがありました。

 ボスの解説によると。
 軍幹部が、すべてのことを一手に権力掌握するために、植民地時代の官僚組織をすべてこわしました。軍人が直接にすべての部署を管轄し、軍が命令したことだけを末端が行う方式にしたため、軍の組織のほかは機能しなくなった、ということです。自主的になにかしようとしても軍ににらまれるだけですから、命じられたことだけやる。命じられたことをこなせば自分の業績になるけれど、そうでないことにはいっさい手を出さない。

 選挙で民主化を勝ち取ったこの国ですが、すぐすぐ民主化が進展するかというと、そうではない。宿舎の断水つづきが、民主化によっては解決しないのと同じように、解決しない問題があまりにたくさんあることに、生活者の視点から見ても案じられます。
 どうなるミャンマー。っていうか、どうしてくれるんだ、断水。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の古本と印税」

2016-01-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160121
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(2)2003年の古本と印税

 2003年の三色七味日記1月再録です。
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2003/01/06 月 晴れ 
 午前中漢字作文2コマ。タイのギーは雪見にはまり、北海道へ行っていて、まだ戻ってこない。「先生、タイには雪がないんです。日本に留学している間に、いっぱいいっぱい雪がみたい」と冬休み前に言っていたギー。「授業を休むな」とは言えなかった。一生分、たっぷり雪を見ておいで。

 古本屋「たらの芽書店」で「海辺のカフカ上下」と「憂い顔の童子」を半額で買う。3冊で3700円。海辺のカフカは売れているから古本でいいけど、「憂い顔」にはちょっと気がとがめる。去年聞きに行った講演会で、「売れていない」と大江が言っていたから、ちゃんと大江が印税もらえるように新刊で買おうと思っていたのだ。
 でも、大江だって私が印税分払わなかったら生活できないような人じゃないからいいか。花崎皐平は、次こそ新刊を買おう。こういう人にこそちゃんと印税払わなくちゃ。

本日のそねみ:ハルキの印税生活


2003/01/07 火 晴れ
ニッポニア教師日誌>寒中見舞いハガキ

 漢字会話2コマ。

 蟹麿、私の寒中見舞いカードをとても喜んでくれた。
 蟹麿に送ったのは、NHKで何年も前にもらった「徳川慶喜」の番宣葉書。もらったまま使い道がないからどうしようと思っていた。国際関係論専攻の蟹麿は江戸時代の日本海外交流史に興味があり、「サムライ」大好きと言っていたのを思い出し、侍や街娘の扮装の出演者が並ぶ葉書を喜ぶだろうと送ったのだ。
 3組の人へは文楽切り絵葉書、1組と2組の人へは日本の冬景色絵はがき。

本日のすみ:一応、宛名は墨の文字。筆ペンですが


2003/01/08 水 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ロイヤル・テンネンバウム』

 午前中Aダンス。自習。
 午後娘メといっしょに行って、ハイタウンマンション4階、夫の事務所引っ越し先を見た。これまでの事務所よりは格段にレベルアップの部屋だが、家賃も大幅アップ。事務所維持ができるのかという心配もある。ま、年中無休の「父さんは倒産しそう」会社だから、倒れたらそのときのこと。

 娘は「お父さんは、口で言えないけれど、お母さんが大好きなんだよ、それはわかってあげて」と父親を弁護する。娘は父をわかってあげてもいいけれど、私には夫がわからん。一度胸の中にできあがった氷山は解けない。タイタニックが衝突して、氷山を粉砕してくれる?

 娘と『このすばらしき世界』『ロイヤル・テンネンバウム』を見た。
 ロイヤルは、家族再生物語のひとつ。アメリカなら、よくあるかもしれない家族崩壊と再生。長男も次男も養女もそれぞれに立ち直ってよかったね、で終わる。

 ロイヤルは10年前に別居して、7年音信不通だった妻にむかって「ずっと愛していた」などとぬけぬけと言う。こういうところは「言葉で表現しなければ、愛していることにはならない」国なんだろうなあと思う。

本日のうらみ:私は結婚以来、その手の言葉をきいたことがない。ぬけぬけとでもいいから、言ってごらんなさい!


2003/01/09 木 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『このすばらしき世界』

 日本事情作文2コマ。期末テスト実施。

 期末テストの監督をしながら、昨日見た映画をぼうっと思い出す
 『このすばらしき世界』は、岩波ホールでやっていたとき見逃した。高野悦子のめがねにかなった映画なら、見ておいてもいい、というミーハー感覚でみたが、とてもいい映画だった。戦時下のチェコの人々の生活を初めて知った。

 第二次世界大戦の終末に近い、チェコの小さな町。ヨゼフ(ボレスラフ・ポリープカ)とマリエ(アンナ・シィシェコヴァー)の夫婦は子供に恵まれず、ヨゼフは寂しい毎日をおくっていた。
 そんな時、ポーランドの収容所を脱走した、ダヴィドがヨゼフの家に助けを求めてあらわれた。ユダヤ人ダヴィド(チョンゴル・カッシャイ)はヨゼフの元上司の息子。ヨゼフが匿わなければ、確実に彼はナチに殺される。

 秘密を抱え込んだヨゼフとマリエは、近所の目を誤魔化そうとして、ドイツ人の仕事を手伝う。しかし、マリエに横恋慕しているドイツ系チェコ人のホルスト(ヤロスラフ・ドゥシニク)がたびたび家に出入りし、隠し事をしているのではないかと疑われる。

 今までのユダヤ人の虐殺を語る映画とは違う点。今までの映画はドイツ人は加害者、ユダヤ人は被害者、そして周辺諸国の人々も巻き込まれたかわいそうな人たち、として型ができていた。しかし、『このすばらしき世界』で描かれている人々は、立場が変わればみんな悪魔になってしまう弱い人間。加害側も被害側も双方の姿を含めて、戦時下の悲惨さが描かれている。

 ユダヤ人収容所で、ダビィドの妹は「両親を殴り殺せ」と命じられる。「両親を殺せばおまえの命は助けよう」と。親は目で「殺していいよ」と娘に呼びかける。しかし、親を殺した後、娘が助けてもらえるという保証はない。娘は加害を命じられた被害者。殺す側と殺される側が同じ立場なのだ。

 ドイツ人が力を持っている時、ドイツ人は威張り、人々はへつらったり、自分が助かる為に黙っていたり、隣人を密告したりする。ドイツ人が負けると、チェコ人は一転して、軍人だけではなく、ドイツ人の障害者、女性、子供達にまで、殴る蹴る投獄する。被害を受けた側は、自分の受けた仕打ちを繰り返す。自分が酷い目にあったことを反転させ、自分が強くなれば、弱くなった人に復讐するのだ。
 ダビットの家を接収して住んでいたドイツ人将校の家族も末路は悲惨。対独協力者が一夜にして国賊として告発される側にまわる。
 中国や朝鮮でも同じ事が行われたのだろうと思う。対日協力者は日本敗戦となるや、漢姦として裁かれた。

 過ちをおかさない人間はいない。また、人間は、立場状況が変わると、被害者にもなり加害者になる。そんな弱い人間を、弱いままに、英雄にもなれば卑屈なへつらい人間にもなる存在として、描いていく。加害者と被害者は、表裏一体のもの。
 そんな弱さをかかえた人間達が、弱い中で助け合って生きていく姿。弱い人間でも、弱いなりに助け合い励まし合い影響しあっていくものなのだ。映画の原題はチェコ語で「私たちは共に助けあわねば」

 ラストシーン、ダビィドを匿っていたことが、明らかにされる。「ドイツ協力者として裁かれる」から一転して、「ドイツに抵抗した善良な市民」として讃えられ、ヨゼフ夫婦は助かる。

 ヨゼフは自分では妻に与えてやれなかった「神からのさずかり子」をだいて、街を歩く。ラストに流れる音楽は、バッハの『マタイ受難曲』のアリア「神よ、憐れみたまえ」。

本日のひがみ:団地2DKの住まいに「助け合うご近所さん」は、いない

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20160121
 20日夕方、大学が停電になってしまい、パソコンはバッテリーで動かせるが、手元の教科書を見てキーボードつかうのが不自由。タッチタイピングできるが、モト原稿みえないのじゃ、試験問題作りようもなく、中間試験問題の作成を中断する。
 
 大学が停電の夕方に帰宅するとたいてい宿舎も停電中なのだけれど、20日夜は宿舎の電気はついていました。お、めずらし。ありがたや。しかし、断水。夕食つくるのもめんどうだし、タンランバス停で買った焼きトウモロコシをほおばる。前にふかしトウモロコシにあたったので、ずっと買わないでいたのだけれど、目の前の炭火コンロで焼いているので、こんがり焼けたトウモロコシを1本買ってみました。家で醤油を少したらして食べたら、とてもおいしかったです。

 20日のランチは、日本の商社なんぞの社用族がご贔屓にしている神戸屋という焼き肉屋の新春スペシャルランチ大サービス、というのを留学生におごりました。ひごろ大学食堂の1500チャット150円のミャンマーランチですませているのですが、たまには日本食の店にでも、と。
 さすが商社接待用の店だけに、中はミャンマーめしやとは大ちがいの小ぎれいなインテリア。個室でのお食事。7ドル9100チャット840円のランチは商社員たちにしてみれば、格安でしょうけど、大学食堂150円ランチからしたら5倍以上の価格。

 サラダと肉、ごはん味噌汁セット。炭火こんろで薄切りのタンやロース肉を焼いて、ひさしぶりにちゃんとかみ切れる肉を食べました。3人分の支払い、32000チャット。3200円。日本じゃ一人前千円くらいのランチじゃおごったことにもならんけれど、当地ではおおごちそうの気分。

 おいしかったので、サービスランチやっているうちに、もう一度食べにこようっと。
 留学生が言うには、大学食堂のランチだってじゅうぶんにうまいと思って食べているのだけれど、たまにはそれなりの値段の和食や韓国料理も食べたいね、と。いやいや学生は贅沢しちゃいけません。貧乏生活してこその海外留学、、、、イマドキはそんなことないのか。 

 断水、ついに20日深夜から21日朝まで連続24時間以上。20日の日中ちょっと復活していたみたいだけれど、仕事にいっていたから、部屋の水を溜めておくことができませんでした。飲み水はボトルの水がまだあるからいいけれど、トイレは流せないし、シャワーもできず、お茶碗洗えない。人々は、家に大きなカメを持っていて、くみ置きはしてあるのだろうけれど、私のくみ置きバケツ一杯はすぐになくなってしまいました。水のない生活、不自由です。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の元旦」

2016-01-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160120
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記1月(1)2003年の元旦

 2003年三色七味日記1月を再録します。
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2003/01/01 水 曇り
日常茶飯事典>元旦

 娘と息子は、徹夜でテレビとゲームをしていて、「初日の出を見てから寝る」と言っていたが、日の出のころになってもお日様顔出さず、曇り空が晴れない。どうやら日本の景気は今年も曇り空らしい。でも、私は景気も不景気も関係なく、晴れ女で行きます。「なんだ、初日の出見られないなら寝よう」と二人は朝7時になって、ふとんに入る。今年も寝正月。
 今まで苦労ばかりしてきた分、きっと今年こそはいいことがあるだろうと、毎年元旦には思うけれど、毎年大晦日には、今年も苦労続きの1年だったと振り返る、まあ、人生はそんなもんだろう。

本日の新こよみ:初日の出は見られなかったが、きっと今年はよい1年!たぶん、、、おそらく、、、もしかしたら、、と日めくりをめくっていく


2003/01/02 木 晴れ
日常茶飯事典>寝正月

 昨日の曇り空から、一転お日様いっぱいの晴れ。でも、昼夜逆転生活を続ける娘と息子とはすれちがいなので、どこにも行かず部屋の中ですごすのみ。

本日のつらみ:昼夜逆転用の真夜中初詣はいかに?わら人形でも持っているかと思われる

 
2003/01/03 金 曇りのち雪
日常茶飯事典>箱根駅伝

 朝から箱根駅伝中継を見る。雪の中、見ている人たちもたいへん。
 夫は母校が2連覇するというので、気合いを入れて応援している。去年までは舅がいっしょに駅伝を楽しむ仲間だったのに、今年はいない。
 娘がお義理仲間になってあげて、12時まで見ていたが、夫ほど駅伝好きではないので、10区で独走になってもう優勝が確実だからいいやと寝てしまった。せっかくの1位ゴールなのに、夫は声をかける相手がいなくて、所在なさそうにひとりでインタビューやハイライトまで見ている。

 夕方、スーパーまで買い物に行き、夜、寒中見舞いを書く。喪中葉書を出さずに、年賀状をくれた人にだけ、寒中見舞いをだす作戦だったが、まあ、めんどうなことにはかわりがなかった。表裏ワープロ仕上げだが、それでも面倒。たぶん、もっと能率のよいプリント方法があるのだろうが、やり方が分からないので、住所録から一枚一枚表書きを選択して一枚ずつプリントしているので、面倒なんだと思う。

本日の雪み:雪の中を走る人、応援する人、一人寂しくテレビ観戦する人


2003/01/04 土 曇り 
日常茶飯事典>うさぎタイムの本年初齧り

 学生がよこした分へは、手書きで書く。学生は、ちゃんと手書きで書いてくるのもあるし、印刷の賀詞のほか何も書いてないのもあるし。

 切手を買いに本局へ。ついでにスーパーでビニールブーツと、トートバックをふたつ買った。初売りセールで安かったから。今持っている学校別通勤トートバッグは、全部うさぎのタイムにかじられて穴が空いてしまった。しばらく穴あきのまま通勤していたが、やっと買えた。

 買って帰ったバッグをテーブルの上において娘に披露する。しかし、ブーツをテーブルにのせるのは、はばかられたので床においたら、さっそくタイムにかじられた。一度もはいていないのに、穴あきブーツになった。
 「何でも齧るってわかっているんだから、下に置いたお母さんが悪い。タイムは悪くないからね」とタイムをかばう娘。自分のものが囓られると大騒ぎだが。

本日のうらみ:本、バッグ、服に続き、ブーツまでも齧られた。うさぎの歯磨き、何でも齧るのが好き


2003/01/05 日 晴れ 
ネット読書>無痛文明論

 森岡正博の「生命学に何ができるか」を文教堂で見て、買おうかどうしようか迷ったけれど、3500円なので、やめた。文庫は新刊でも買えるようになったけれど、単行本はまだ、ぱっぱと目についた物を買うところまで豪勢になれない。
 毎日働いているんだから、自分の欲しい本くらい買ってもいいんだろうけど、夫の会社はいつまた倒産さわぎになるかも知れない。ぜいたくはできない。今年も貧乏性で行く。

 それで、家に帰ってネット公開の「無痛文明論」を全文読んだ。このネット公開分1~6章に7,8章を付け足して発行するそう。この長さの文章を一気にネットで読んだのははじめて。とても読みづらくて、やはり私の世代には紙に印刷してある文字でないと、頭に入りにくいなあと思う。小学校時代からケータイメールで液晶文字を読み慣れている世代は、将来紙なんか必要としないのだろうか。

 無痛文明論は現代文明批判として、特別変わったことを言っているわけではなくて、「快適快楽」のみを追求してきた現代文明への批判。

 出生前診断の可否についてはっきりノーと言っているところ、納得。
 「じゃ、あんたは障害があることがはっきりしている子供を育てる気があるのか」と問われたとき、「息子に知能障害が出てくるかもしれないと、1歳半の検診のとき医者に言われたけれど、どんな障害があろうと、この子がいとしい、がんばって育てていこう、と思った」と言える。1歳半の息子はとてもとてもかわいかったから。
 でも、生まれる前、おなかに入ったばかりだったらどうだったろう。初めての妊娠だったら考え込むかも知れない。だから、「障害があるんだったら、この子いらない」と、中絶を選ぶカップルに強いことは言えない。

 息子を生んだとき、39歳。前置胎盤出血多量早産仮死状態という最悪条件で生まれた息子、生きているだけでありがたい。薬害裁判の安部英が副学長をしていた大学病院での出産だったが、医師や看護婦さんは親切だった。

本日のつらみ:日頃「生きていてくれるだけでいい」と言っているせいで、まったく家庭学習をしない息子に小言がいえない

~~~~~~~~~~~~~~

20160119
 18日、東京の朝は大雪のため交通マヒというネットニュースをみました。
 日本の冬のさなか、当地もだいぶ涼しくなっています。1月に入ってからエアコンを使うことなく、朝方はタオルケットではなく、毛布が必要。日中は30度になるけれど、長袖シャツと半袖シャツが半々の街中。セーター着ている人もいて「そこまでじゃないだろう」と思うのですが、こういうときでないとセーターも着る機会がないので、「私はセーターだったもっているんだよ」とみせたいのかもしれません。

 朝、バス停まで10分間歩くのに、汗ばむ前に到着。おんぼろがたがたのバスはゼイゼイヒーヒーとエンジンふかしながら汗ばむ走行するのは相変わらずですが、当地、1年でいちばん快適なシーズンのようです。

<つづく>
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ミンガラ春庭「ヤンゴンのかるたとり」

2016-01-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160116
ミンガラ春庭ニッポニアニッポンご教師日誌>ヤンゴン教室だより1月(1)ヤンゴンのカルタとり

 日本の皆様方が、ゆったりとかあわただしくかは存じませねど、12月31日のおおみそか、1月1日の元日、春庭は現地カレンダーに従って、大みそかも元日もなしに、平日勤務でした。国中が平日なので、代休なんてもんもなし。
 
 大みそかの12月31日、やれやれ、国中が平日なのだから、働かにゃあしゃあない、と思って出勤。きのう、きょうと、学生がオフィスに現れて、「先生、31日の授業はありますか」とたずねる。平日と言われているんだから、授業するしかあるまいと「はい、初級1の授業があります」と答える。

 当地には、大学暦もシラバスもないので、その日その日の授業あるなしは、直接教師に聞かないと確認できない、というシステムなので、いちいち学生が「授業がありますか」と尋ねてくる。31日はやけに多くの学生が同じ質問するので、「ええい、31日に授業があると、前回授業でも言ったろうがっ」と思っていましたが、、、、理由判明。

 階段踊り場ですれ違った学科長が言う。「今日は、3時から文学科新入生歓迎会があるから、日本語の先生も出席してください」
 ええっ、それって、今日になって言うことなのか。はい、そういう慣習なのです。
 「3時半から授業を実施すると学生に言ってしまったので、授業が終わってから出席します」と、学科長に返事しました。文学科の学生にとっては、歓迎会に出席するべきか授業に出席すべきかわからないので、授業担当者に「授業があるかどうか」尋ねていた、というわけでした。

 文学科以外の学生にとっては、歓迎会カンケーない、ので、授業にきます。でも文学科1年生にとっては、1生1度の「新入生として歓迎される機会」なので、出席したほうがいい。なので、授業をすすめてしまえば歓迎会に出席した1年生には不利になる。他学科の学生は、せっかく授業に出席したのに、授業が実施されないのなら不満。

 そこで、これまでの復習と、ひらがな復習としてカルタとり大会をすることにしました。
 かるたといっても、ひらがな五十音をならったばかりの学生たちですから、ことばがわかりません。
 机の上にひらがなカードを5組用意しました。52人登録のうち、35人が出席してきたので、7人ずつ5組に分ける。教師が「飴、あめ、あ、あ、あ」と言ったら、「あ」の字をさがして、札をとる。「犬、いぬ、い、い、い」と言ったら、「い」の札をとる、という方法で、文字カードを取り合うことにしました。
 まだひらがなが定着していないクラスなので、「め」と言っても「ぬ」をとってしまうし、「わ」と言っても「れ」を「はい」と取っている。
 てんやわんやのカルタとりになりましたが、2015年最後の授業、学生も楽しめたし、私も一応授業をしたことになったので、めでたしめでたしで終了しました。

 5時に授業終了のところ、4時半におわりにしたので、30分は文学科新入生歓迎会を見ていました。学科長の演説が終わって、寸劇のあたりでした。寸劇が終わるとカラオケ大会になったので、退散しました。みなカラオケが大好きですが、上手な人はまれ。
 ナッツやレーズンの入った炊き込みご飯の上にフライドチキンがのったお弁当パックを渡されたので、ありがたく頂戴し、夕食にしました。ミャンマー飯、とにかく油分がおおいので、おかずなどを買って帰ると、家ですべて茹でなおします。フライドチキンも茹でなおして油抜きにし、ご飯も湯通ししてから雑炊にしました。フライドチキン、茹でたらフライじゃなくなるけど、おいしけりゃいいの。

 突然の「今日は新入生歓迎会」というお知らせに、急遽のカルタ大会になりましたが、油抜きチキンもおいしかったので、よい大みそかだった、ということにして2015年をおひらきにしました。

<おわり>
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ミンガラ春庭「ヤンゴンの漢字」

2016-01-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160117
ミンガラ春庭ニッポニアニッポンご教師日誌>2016ヤンゴン教室だより(1)ヤンゴンの漢字

 ヤンゴンでの日本語授業、テキストは「みんなの日本語」という初級教科書を使っています。2015年の6-8月、四つのクラスを作ってどのクラスも週一回だけの授業という、私からみたら無謀と思えるカリキュラムを前任者が組みました。
 最初の登録者が100人を越えたので、クラスを4つに分けた、というのも、経験のない前任者にとって仕方のないクラス編成だったのでしょうが、私が8月に引き継いだとき、最初100人を越えていたという初級ゼロスタート登録者も30名に減っていました。
 無料の日本語教室だから、ちょこっとのぞいて見ようという興味本位の学習者が毎週ごとに抜けていって、本気で日本語を学びたい学生だけが残っていました。

 私は12月新学期にあたって、90分授業を週1回しかしない、なんてのはナンセンス。定着もしない。前週やったことを忘れているから、復習するだけで少しも前進しない、と主張しました。
 一般的な日本国内日本語学校では、『みんなの日本語』をテキストにする場合、「一つの課を50分授業6コマですすむ」という教科書の指定に対して、50分授業を一日4コマ。週5日で合計週に20コマ。1週間に2課~3課進みます。1学期4月~7月で初級前半を修了するというカリキュラムで進んでいます。
 初級を終えるには、どの言語でも300時間ほどは学習時間が必要だ、ということも、学科長はしらないまま、日本の日本語学校では、一学期で「みんなの日本語」を修了する、というのを聞きかじってきたらしく、自分の大学でも同じように進んでいると思い込んだようです。

 2015年度に1年間勉強した学生に対して、中級クラスを作れ、と命じられました。冗談じゃない。昨年度日本語を学習したクラスは、中級クラスどころか、初級前半25課のうち、9課までしか進んでいませんでした。
 日本語教育がどのように行われているのかを縷々説明し、週1回しか日本語授業をもうけていないこの大学で中級クラスをはじめるには、5年はかかる、ということを理解してもらいました。
 
 12月からは、初級ゼロスタートレベル1クラスも、既習組レベル2クラスも、週に2回授業を受けられるようにしたい。そのためには、100人の登録者を全員受け入れて、パラパラと抜け落ちていくのを放置した前学期の轍を踏まないよう、最初からやる気のある学生だけを選抜したい、と、学科長に強調しました。学科長は、120名まで登録を受け付ける。選抜試験を行って50名~60名のクラスにする、ということで了解しました。

 まず。最初の時間に「ビルマ語作文」を2日後に提出せよ、と申し渡しました。「私がもつ日本への関心」という題のビルマ語作文、2日後に提出した登録者は、120名のうち80名でした。40名は母語で作文を書くことができず脱落。
 次ぎに、カタカナ授業を2回実施しました。独自テキストを作成し、次週カタカナテストによって選抜すると予告。土日の週末、本気で日本語授業を受けたい学生は必至に勉強したことでしょう。暗記は得意な当地の学生。英語でも中国語でも、丸暗記が当地の語学学習の基本です。

 カタカナ試験を受験した学生は、65名でした。作文を出した80名から15名が脱落。作文を提出し、試験を受験した学生は全員合格としましたが、点数の低かった学生には、再受験を申しつけました。12名の再受験者のうち、2度目に同じ試験問題を受けに来た学生は4名のみ。他の学生は「日本語めんどくさそうだから、簡単そうな中国語を登録した」などの理由で来ませんでした。結局ゼロスタートレベル1は、50名で出発。当初の予定通りの人数に収まりました。これでもう脱落者はいないかというと、そうでもなく、中間試験も期末試験も実施すると予告してあるので、試験のたびに脱落するだろうと思います。

 最後まで残った学生は、次の学期に継続してレベル2のクラスに進級できるという特典。レベル2学生にも特典があります。2年間日本語を学んだ学生のうち、優秀者を2~3名学科長が選び、日本との交換留学生候補とする、という学科長のお達しを学生に伝えました。

 昨年度は日本語教育がはじまったばかりで、日本語能力で日本留学者を選ぶほどレベルが上がっていなかったので、学科長は英語の成績をもとに交換留学生を選びました。3人の女子学生が、昨年から今年9月まで、日本で留学生活を送っています。

 学科長のお達しその2.日本語能力を知るために、日本語能力試験を学生に受験させたい。またまた、日本語教育を知らない学科長からの無理難題。日本語能力試験を受験するには漢字学習が必須。しかし、週に90分授業を2コマ。(60分授業に換算すれば3コマ)の日本語授業では、漢字学習をする時間などとれません。日本語能力試験(Nテスト)受験には漢字もリスニングも必要と強調したところ、課外授業時間帯に設置されている日本語授業に加えて、60分の漢字授業時間を設けることになりました。
 
 レベル2の学生達、60分の漢字授業で10~15の漢字を詰め込む、という詰め込み授業に、「にほんごはむずかしいですが、おもしろいです」という定番の日本語文型を口にしながら学習しています。最初の日は、一~万、円。2回目は、日月火~土、3回目は象形文字の基本。山や川など。という具合に進んできました。

 春庭お得意の、身体文字。大や小、女を身全体で表現するジェスチャー漢字は、ヤンゴンでもうけました。
 女子学生達、欧米系の学生に比べて、漢字字形の認識力が優れていて、書き文字の形もとてもきれいです。ミャンマー文字の複雑な形に目がなれているせいだろうと思います。
 アルファベット一本槍ですごしてきた欧米系学生、「生」と「先」の字形区別がなかなかできなくて、「先生」が「生先」になったり「生生」になったりしていたのに比べると、「大」と「犬」と「太」は違う、という説明にもにこにこうなずいています。ミャンマー文字も、一点くわわるだけで別の文字になるからです。

 私など、以下のビルマ文字表を見ただけで脳がパニック。老化した脳が拒絶反応起こしたというのに、若い脳細胞はどんどん吸収していきます。


 最後の授業では、記念のお習字大会をやるつもりなので、筆や墨汁、半紙を日本から調達する予定です。

<つづく>
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ミンガラ春庭「わ~い!ヤンゴンから短歌初投稿初入選」

2016-01-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

佐佐木幸綱選

20160116
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ヤンゴン暮らし1月(2)わ~い!ヤンゴンから短歌初投稿初入選

 12月に再来緬以来、いいことは何一つなかった春庭のヤンゴン暮らし。階段を滑り落ちるわ、アボガドの種とろうとして手にナイフ刺してしまうわ、ほんとよくないことが続きました。
 家族にとってほんとうにたいへんな出来事もあった中、たったひとつ、私にとっていいことがありました。

 1週間メール不通だった間に届いていたメール一通。新聞社からの連絡でした。9日づけのメールでしたが、私がメール読んだのは13日。

 「はじめまして。このたびはご投稿ありがとうございました。
じつは「やはらかき口笛のやうに家守鳴く……」の歌が入選となり、11日朝刊に掲載されます。おめでとうございます。」

 私の母は、俳句や短歌を作るのを趣味としていました。月に1度の句会に出席するにも、夕食を準備し、父の晩酌のつまみの用意怠りなく、長女に「みなの世話を頼む」と言いおいて、遠慮しいしい出かけていきました。毎月、新聞の俳句欄短歌欄に投稿して、掲載されるのを楽しみにしていました。
 新聞に載ると「ほら、お母さんの名前が出ているよ」と、うれしそうに見せてくれました。娘3人(姉、私、妹)にとっても、母親の名前を天下の新聞上に見るのは誇らしい気持ちでした。全国版に載ったのは一度だけでしたが、地方版にはときどき掲載されていました。
 孫をひとりも見ることなく、医者の誤診で55歳で死んでしまった母。今の私は、母より年上になっています。

 私も母のマネをして、子供の頃から五七五に親しみ、テキトーな言葉遊びとして楽しんできました。自分が子供を持ってからも折に触れて俳句や短歌を作ってきました。
 「おかあさん、きいて。また一首できました。気に入ってくれるかな」と、空に向かって言うと、母がほほえんでくれるような気がしてきたのでした。
 母に伝えるだけで書き留めてこなかったので、娘が生まれた喜び、息子が仮死産となり生死不明であった不安など、「子育て短歌」の多くは、空に書いただけでした。

 作った歌を書き留めるようになったのは、2003年にブログを初めてからです。ブログのかたすみに、そのときそのときの三十一文字を書き留めました。ヘタの横好きですから、どこに発表するとか投稿するとかもなしでした。母に語りかけるように、心の中でつぶやけば満足だったのです。

 が、今回、ヤンゴン生活のつれづれ、部屋にテレビもない、町に美術館もない、映画館の映画はミャンマー映画とか、インド映画にミャンマー文字の字幕がついたものとか。
 日本での趣味であるジャズダンスは、当地にレッスンできる場も見つからないし、少しは自分の楽しみになる趣味を持たなければ、と、思いました。

 12月、ヤンゴンから新聞短歌欄に初投稿。
 ビギナーズラック!初投稿初入選となりました。
 毎週1000首、2000首にのぼる投稿作品があるという中、採用数は4人の選者10首ずつの40首。まあ、宝くじにあたるようなものかな、と思っていたところ、思いがけず入選のお知らせをもらって、なにも楽しみがないヤンゴン生活が、にわかに輝いたかのごとく感じました。ゲンキンなものです。いやいや、わたし、宝くじでゲンキン10億円当たったほうがうれしいけれど。

 さっそく、娘にメールしました。イマドキの若者にしては新聞を熱心に読む娘と息子ですが、短歌欄など眺めたこともない。
 「1月11日の新聞に載るってメールが来た」という母からのメールに、3日前の新聞を探して、短歌欄を確認してくれました。「母の短歌あったよ」というメールと、ケータイでとった新聞の短歌欄を添付してくれました。

 4人の選者のうちふたりの共選となり、選評も書いていただいた、すごいビギナーズラック。ビギナーといっても、投稿がはじめてなのであって、自己流作歌歴は60年です。グループ活動のできない人間なので、短歌結社に入るとか、先生につくとかしないまま、歌が磨かれず、ヘタの横好きのままの60年でしたが。
 春庭の「ヘタの横好き短歌」も、「全国版」にのったなら、なかなかのもんでしょう、と母に報告したいです。

 えらい先生達は「自作解題」ってのをやるんだけれど、ビギナーなのに、自作解題をやります。
「やはらかき口笛のやうに家守鳴くヤンゴン教員宿舎の夜に」
 やわらかき、ように、やもり、やんごん、よる、、、って具合に、Y音、ヤ行音を並べたんです。頭韻ってやつです。
 沖縄のヤモリはゲッゲッと鳴くし、トッケイトッケイと鳴くと言う地方もあるなか、我が部屋に住みついているヤモリは、寂しそうにピューヒューと鳴くのです。家族と離れてひとりすごす夜に、仲間のようなヤモリくん。ときどき天井や壁を這っているのを見かけます。

 ビギナーズラックのあとは続かない、というジンクスがありますが、短歌投稿続けていきたいです。なにしろ、ネット投稿ならタダ、ヤンゴンから日本へ葉書送っても、500チャット50円の切手で届く、超お安いお楽しみ。タダと招待券と「ご自由にお持ち帰りください」が大好きな春庭にぴったりの趣味です。

 おかあさん、三十一文字趣味を残してくれてありがとう。わたし、おかあさんの趣味を受け継ぎましたよ。66歳にして初投稿。おかあさんが新聞に載った自作の句や歌を子供達に見せてくれたこと、思い出しました。

 三十一(みそひと)の文字の下なる母の名を新聞に見る朝のうれしさ<春庭

 娘も「短歌のこと、わからないけれど、いい歌だと思う」と、メールくれました。息子も「おめでとう」と言ってくれました。夫は「原稿料もらえないのに文字書く奴の、気がしれない」と言うだろうと思いますが、そんな評は気にしない!66歳のビンボーバーサンが、お金かからない趣味を見つけてルンルンしているんです。なにもいいことがなかった日々に、宝くじ10億円ほどではなくとも、町内会の福引きに当たったくらいの喜び方をしてもいいんじゃない?と、夫には言っておきましょう 。
 

馬場あき子選

<おわり>
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ミンガラ春庭「モデムこわれた」

2016-01-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160114
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ヤンゴン暮らし1月(1)モデムこわれた

 1月5日にワイファイモデムがこわれてしまい、通信途絶。
不安な1週間。情報難民となってヤンゴンの停電の町を流浪民となっておりました。
 今、書いている日本時間13日午前1時半。すでに60分、停電がつづいている中、パソコンバッテリー頼みで書いております。

 モデムがつかえなくなり、東京のモデムレンタルトラブルシューティングに電話しました。電話してすぐに、電話が通じなくなりました。料金チャージが終わってしまったのです。
 留学生らは、無料のスカイプとかで家族と話をしている時代に、電話代がなくなったので連絡できないなんて、まぬけな話です。でも、ミャンマー語不如意な春庭、ひとりでは町の電話屋に行って料金チャージすることすらできない。こちらでは、電話屋でチャージカードを買いもとめ、コインでカードを削って、出てきた暗証番号を電話に打ち込むと、チャージ完成。そんなこともできずに暮らしているのです。

 メール連絡だけで日本とつながっていたので、メールができないと、残してきた留守宅のようすもわからず、家族はどうしているだろうと、心配ばかりがつのります。
 体調十分でない娘は、大丈夫か、博士課程3年目の今年、論文を提出をしないことにして心理的に追い詰められてしまっている息子は大丈夫か、夫は、、、、、夫はまあ、生きていればよし。
 娘と交わすメールは、わたしにとっても大事な心身安定剤であったので、1週間の通信途絶はこたえました。

 ブログUPは、いつも予定稿準備怠りない春庭なので、順調にUPされているでしょうが、毎回読みに行ってコメントを残してくる方々のブログ日記を読めないのも寂しい。ブログ仲間とは、文字のつながりですが、わたしにとっては、遠くの親戚より近くのウェブ友。ことばを交わせないのは残念なことです。1週間のこぶさたで、ブログ開いてみれば、返信しなければならないコメント、8日の1通に返信。4日に書き込まれていた新年ご挨拶にも返信。

 1週間ぶりのメールを開いてみれば、仕事の派遣元大学からは、ボスが持ち帰った現地購入の代金たてかえ分領収書についてのメール。確かに買った、という証拠として、購入物品の写真を撮影し、メール添付にして送信せよという指令が1週間前に入っていました。ま、緊急の連絡事項でもなかったので、返信遅れも問題なし。

 1月の朝夕は人々がセーターを着ているのを見かけるくらいに涼しい。たぶん、1年でいちばん涼しい季節です。日中は30度までなるけれど。
 停電断水は、相変わらず。宿舎での断水停電の困る点。シャワーしている途中での断水。バケツに水を汲みおいて、トイレを流すようにひしゃくを用意してあるのですが、洗髪中の断水などだと、ちと困る。
 停電は日に数度はあるので、宿舎の冷蔵庫に生ものを入れるのは危険。冷蔵庫はただの食品置き場です。(冷凍庫はなし)
 職場で、コピー途中の停電などが困るけれど、まあ、電気がないとき、マイクが使えない場合は大声をだすとか、なんとか仕事はしています。

 不自由な生活なりに、いろいろ慣れてきて、メールできなかったほかに困ったことはなかったです。
 最近、通勤はバスです。バスもタクシーも渋滞に巻き込まれる度合いはいっしょです。バスにしたのは、昨年12月に階段ですべっておしりを打ち、座ってタクシーにのっているより、立ちっぱなしのバスで立っているほうが楽だったから。それ以来、行き帰りバス通勤になりました。宿舎からバス停まで5~10分歩く。バス、3km移動に20分の日もあれば、30分かかるときもあり、渋滞のひどさ具合による。レーダン下車で、大学事務室まで5分歩く。雨期のころ、雨の中歩くのはたいへんでしたが、今は乾期なので、歩くのも苦になりません。

 食事は、昼は大学のカンティーン(食堂)ですが、朝晩は自炊です。日本の米を炊き、梅干しふりかけ海苔佃煮。ゆでキャベツやカリフラワーにポン酢。ああ、おいしい。間食にバナナやパパイヤ。カシューナッツ。

 ヤンゴン生活それなりに楽しく暮らしていますので、メール連絡コメント返信などしない場合も、たぶん、生きている。だれも心配などしていないでしょうけれど、ご心配なく。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「モネ展」

2016-01-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20160113
ぽかぽか春庭@アート散歩>2015秋のアート散歩(4)モネ展

 11月18日水曜日。東京都美術館でモネ展を見ました。
 最初、東京都美術館内、モネ展一巡。ワイワイと押しかけてきているバーサンジーサンの頭越しに、どんな絵があるのかを、確認する。
 第3水曜日、65歳以上は無料鑑賞できる日なのです。無料だから、お暇なバーサンはグループで連れ立って、おひまなジーサンはおつれあいに担ぎ出されて見にきています。

 もうちょっとすいてからにしようかと、西洋美術館新館へ。西洋美術館の常設展は、65歳以上いつでも無料なのです。
 常設展の一部屋はモネの部屋。モネが十数点並んでいます。いつでも見られるのだけれど、いつでも空いています。モネが好きでゆっくり見たいなら、こちらにくるべきなのですが、東京都美術館に押しかけている善男善女は、別段モネが好きで美術館に押しかけているわけじゃない。テレビで話題にしているから見に来たのです。第3水曜日、タダだし。
 モネが好きなら、西洋美術館でゆっくり鑑賞できますよ、なんて教えても、見向きもされない。テレビでやっていないから。

 西洋美術館モネの部屋では、数点の特別委託作品は写真をとれませんが、西洋美術館所蔵品は写真を撮るのも自由です。
 以下は、西洋美術館、「モネの部屋」の作品。

「雪のアルジャントゥイユ 」1975


「しゃくやくの花園」1887


「セーヌ河の朝」1898


「ヴェトゥイユ」1902


 「睡蓮」1916


 原田マハの『ジヴェルニーの食卓」を読んだあと、じっくりモネの睡蓮や黄色いアイリスと向かい合っていると、モネがいっそう身近な画家に思えます。
 モネが浮世絵その他日本の絵画の影響を受けているからでしょうが、私たち日本人にとっては、モネの感性、自然を見つめる目がとてもすんなり受け止められ、心に響いてきます。

 さて、東京都美術館も少しは空いてきたかな、と、もう一度入館しました。年齢証明証があれば、何度でもただ。(「再入場はお断りします」という札がでていますが)
 1度目よりはよほど空いていました。雨の水曜日。どうしてこんなに人が集まるのか、というくらいにギューギューに折り重なっていた人の列も、二重の人垣くらいになっていましたから、さきほど当たりをつけておいた「ゆっくり見たい絵」の前にいき、人が少ないときを選んで前に立ちます。順番に見るのではなく「人が少ない順」に回るので、何度も行ったり来たりして、地階、1階、2階をあがったり下がったりしながら、好みの作品と向かい合いました。

 マルモッタン美術館より貸与のモネ。写真撮影は禁止ですので、以下は借り物画像です。モネが売りに出さず最後までジェヴェルニーの自宅に残して置いた作品は、次男ミッシェルが相続し、マルモッタン美術館がそれを受け継ぎました。

「幼いミシェル・モネの肖像」 1878-79


「雪の効果、日没」1875


「オランダのチューリップ畑」1886


「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」1877


 今回の展示で特に良かったのは、最晩年の作品群です。
 ジヴェルニーの庭を描いた作品が並んでいました。写実から抽象に向かっているかのようなモネ。バラも、池にかかる太鼓橋(日本の橋)も、柳も、目を患ったためとは思いますが、ひとつの具象をなすのではなく、色彩の乱舞として絵になっています。





 残念だったのは、期間限定展示の「印象日の出」が、私が見に行った日にはすでになかったこと。でも、最晩年のモネをたくさん見ることができて、眼福の至りでした。

 眼福もらって、おなかもいっそう福々しい鑑賞者

 着ているのは、胸に金色に輝くかぼちゃのTシャツ。草間彌生の「かぼちゃ」がユニクロとのコラボ製品になりました。
 たったひとり、上野公園のスタバの女性店員さんが「あっ、それ草間先生のですね」と気づいてくれました。草間ファンに会えてよかった。モネ展なのに。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「藤田嗣治特集ほか」

2016-01-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

藤田嗣治自画像1929

20160112
ぽかぽか春庭@アート散歩>2015秋のアート散歩(3)藤田嗣治特集ほか

・11月1日 合唱祭
 飯田橋ギンレイでオールナイトの森田芳光特集を見て朝帰り。仮眠後、お昼から友人が出演している合唱祭に出かけました。合唱グループがひとつの区に40団体もあって、12時から6時まで10分弱の持ち時間に数曲を発表します。全国的な合唱コンクールに出場するような実力派もあるし、「腹式呼吸して声を出せばボケ防止にいいよね」的なところもあったけれど、みな楽しそうに歌っていました。ジャズダンス仲間が参加しているグループの歌をきき、ロビーに出て、「とてもすてきな歌声でした」と、感想を述べて帰宅。

・11月14日 日本橋公会堂アンサンブル・アミーチ
 桐朋学園の卒業生5人に上野学園卒のひとりが加わった、アンサンブルアミーチというプロ音楽集団。ボーカル2人。フルート、ギター、チェロ、ピアノ。知り合いが行けなくなったので、チケットもったいないから、あげる、というので行ってきました。

 曲目第一部は、オーソレミオやフニクリフニクラのようなポピュラー曲から、ヒナステラ作曲『ウェイノ・カルナヴァリート:プネーニャ第2番作品45 パウル・ザッヒャーへのオマージュ』というはじめて聞くチェロ曲まで、バラエティに富む選曲。別のことばで言えば、ソリストがそれぞれに選んだ曲の寄せ集めで統一感ゼロですが、ポピュラー曲は楽しいし、初めて聴く曲は新鮮で、それぞれによかったです。 

 第2部のメインはボーカル2人の『夕鶴』よりの抜粋。私は、山本安英のおつうが最高と思っていて、オペラはあまり好きではない。山本安英のおつうのセリフ回し、音符で歌うより音楽的です。さいごに力を振り絞って去っていく場面、何度見ても山本の姿に泣けた。(ものすごく画質の粗い、テレビ録画ですけれど)

 アミーチのおつう役の香川美智子は、声量はあったけれど、高音に伸びがなく、高い音域が聞きづらかったし、与ひょう役の櫻井淳は声量が足りなかった。でも、私が「夕鶴」をテレビでなく生で聴いたのは初めてのことだったので、興味深く見ることができました。二期会所属の若いふたり、これからオペラ歌手として羽ばたいていってほしい。

・11月14日 竹橋近代美術館 藤田嗣治特集
 夕方からの日本橋公会堂アンサンブル・アミーチコンサートに出かける前、近代美術館に寄りました。藤田嗣治特集をやっていたので。
 2006年に近代美術館で開催された『生誕120年藤田嗣治展』を見たときは、110点が展示された大規模な展示でした。私は2006年4月20日(木)に見て、なぜか4月22日(土)にもう一度見にいっています。たぶん、招待券が2枚セットで来たのに、いっしょに行く人も、招待券をもらってくれる人も見つからなくて、ひとりで2回見たのだと思います。いつも、おひとり様バーサンです。

 今回、25点の東京近代美術館所蔵作品、全部展示。1点だけ京都近代美術館所蔵作品がありました。

 「タピスリーの裸婦1923」京都近代美術館所蔵


 今回の、近代美術館が所蔵作品だけを並べた25点のうち、戦争画が14点。アメリカが接収した戦争画。返還ではなく「無期限貸与」という名目で近代美術館が所蔵しています。つまり所有者はあくまで戦勝国アメリカです。
 藤田の戦争画が全部一度に展示されるのは初めてなので、これはなかなかの企画。

 これまで、藤田の描いた「戦争の悲惨を描いた反戦画」のような戦争画は何度か展示され、私も見てきました。『アッツ島玉砕』『サイパン島同胞臣節を全うす』など。
 しかし、陸軍委嘱の戦争画のうち、初期の戦意高揚に役だったであろう大画面の戦争画は、これまで、何度か展示替えがあったのに、展示されたのを見たことがなかった。今回、その全容をみることができました。
 
 雑誌に掲載された戦意高揚のための藤田の文章も、展示されていました。
 藤田は、8月15日の玉音放送を聞くまで、「日本は最後は絶対に勝つ」と信じていた国民のひとりでした。
 『旬刊美術新報』25号(1942年5月)藤田が高らかに「聖戦」の遂行と勝利を語る文章も展示されていました。
「戦争画の写実とは?―現地で語る戦争画問題―」「戦争画の写実とは?―現地で語る戦争画問題―」『旬刊美術新報』25号(1942年5月)、「南方戦線の感激を山口蓬春藤田嗣両氏の消息に聴く」『旬刊美術新報』29号(1942年7月)」
 藤田は、美術家協会理事長として、意気揚々と戦争遂行に美術界が貢献しうることを語っています。

 初期の戦争画「南昌飛行場の焼打」


 後期の「サイパン島同胞臣節を全うす1945」などが反戦画とも見えるような描き方になっているのに比べると、「南昌飛行場の焼打」は、飛行機のおもちゃを与えられた男の子のようなはしゃぎっぷりに見えます。中国での戦線拡大が「連戦の勝利」「皇軍大活躍」などと報じられていた国内では、人々はこの「南昌飛行場の焼打」を描く藤田のように、うきうきしていたのではないでしょうか。

 日本全体が戦争に浮かれていました。なにせ、正義の聖戦でしたから。次ぎに国民が戦争に巻き込まれるとしても、やっぱりそれは「世界平和維持のための正義の戦い」だろうと思います。飛行機のおもちゃを手にしてはしゃいでいるシンちゃんたちの姿が思い浮かびます。あ、いまどきはヒコーキなんてもんじゃなくて、「国産ステルス戦闘機心神」ですかね。なにしろ、「心神」ですから、はしゃぎっぷりもわかろうもん。

 戦後、藤田は戦中の「戦争協力」を非難され、憮然として日本を去ります。「日本に捨てられた」ということばを残して。
 美術界は、協会理事長だった藤田ひとりをスケープゴートにすることで、協会全体を守ろうとしたのだろうと思います。藤田は陸軍幹部の子として生まれ、親族にも軍人が多かったので、スケープゴートにしやすかったのではないでしょうか。

 戦争協力詩を書いたことを恥じ、東北の山奥に隠棲した高村光太郎のような芸術家もいたけれど、ほとんどは「あれは軍部にだまされてやったこと。ほんとうは平和な日本を望んでいた」というような弁明をもって戦中の言動を否定し、うまく立ち回って戦後を泳いだ芸術家がほとんどでした。みな、フジタひとりに戦争協力の責任をおっかぶせて口をつぐんだのでした。
 おそらく、藤田は、そのような祖国の状況に絶望したのだろうと思います。
 藤田は、フランス国籍を取得し、以後、レオナール・フジタと名乗ります。25歳年下の君代夫人とともに、静かにフランスでまたスイスで生活し1950年のフランス移住から1968年81歳での死去まで、1度も日本に足を向けませんでした、戦後の自分への扱いがよほど身にこたえたのでしょう。

 君代夫人は、フジタの死後、40年間遺作を守り続け、フジタ作品が日本で再び評価される日を待ちました。関連資料や作品は、出身校の東京芸大やポーラ美術館などに残されています。

動物宴1949-1960


 今回の企画、たぶん映画『Foujita』との相乗り企画だろうと思います。なにせ、映画の半券があれば、図録は100円引きサービスだって。
 小栗康平×オダギリジョーだから、来年あたりギンレイに来たら見に行きます。伝記映画として撮ったのではない、と小栗が述べているそうですが、どんなFoujita像なのか、楽しみです。

フジタとオダギリジョーフジタ


(資料:出品リスト)
[油彩]
「パリ風景」(1918年)
「五人の裸婦」(1923年)
「自画像」(1929年)
「猫」(1940年)
「ラ・フォンテーヌ頌」(1949-60年)
「動物宴」(1949-60年)
「少女」(1956年)
「タピスリーの裸婦」(1923年、京都国立近代美術館蔵)
[水彩・素描]
「自画像」(1929年)
「ラパスの老婆」(1932年)
「リオの人々」(1932年)
[映画]
藤田嗣治監督「現代日本 子供篇」(1937年、東京国立近代美術館フィルムセンター蔵)
[戦争画] 14点
「南昌飛行場の焼打」(1938-39年)
「武漢進撃」(1938-40年)
「哈爾哈河畔之戦闘」(1941年)
「十二月八日の真珠湾」(1942年)
「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」(1942年)
「アッツ島玉砕」(1943年)
「ソロモン海域に於ける米兵の末路」(1943年)
「○○部隊の死闘−ニューギニア戦線」(1943年)
「血戦ガダルカナル」(1944年)
「神兵の救出到る」(1944年)
「ブキテマの夜戦」(1944年)
「大柿部隊の奮戦」(1944年)
「薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す」(1945年)
「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945年)
[藤田嗣治旧蔵 挿絵本・装丁本]
ミシェル・ヴォケール著 藤田嗣治挿画『平行棒』(1927年)/藤田嗣治著・挿画『日本昔噺』(1923年)/藤田嗣治著・挿画『巴里の横顔』(1929年) 他


<つづく>
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