春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2022年1月目次」

2022-01-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220130
ぽかぽか春庭>2022年1月目次

0101 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記新年(1)謹賀新年
0102 2022ふたふた日記新年(2)暮れなずまないままふたふたふた
0104 2022ふたふた日記新年(3)新年正月恒例江戸東京博物館
0106 2022ふたふた日記新年(4)ディズニーファンタジアコンサート in 有楽町フォーラム
0108 2022ふたふた日記新年(5)蘭と雪

0108 ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽん語教師日誌>日本語教師養成講座(3)音読み訓読み

0109 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩新年(1)モーゼスおばあさんの絵 in 世田谷美術館
0111 2022アート散歩新年(2)イスラエル博物館所蔵印象派光の系譜展 in 三菱一号館
0113 2022アート散歩新年(3)平松礼二の世界展 in 郷さくら美術館
0115 2022アート散歩新年(4)タイガー立石展 in 埼玉県立近代美術館

0116 2022アート散歩絵本の世界(1)かこさとしの世界
0118 2022アート散歩絵本の世界(2)ムーミン展
0120 2022アート散歩絵本の世界(3)和田誠の世界

0122 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021ふたふた日記1月(1)水天宮甘酒横丁と東洋文庫 
0123 2021ふたふた日記1月(2)一葉記念館&鷗外記念館
0125 2022ふたふた日記1月(3)暖炉でランチ 
0127 2022ふたふた日記1月(4)古代オリエント博物館

0129 ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺(1)古代エジプト展in富士美術館
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ぽかぽか春庭「古代エジプト展 in 富士美術館」

2022-01-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220128
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩2021拾遺冬(1)古代エジプト展 in 富士美術館

 2021年12月18日に、かこさとしの世界展を見に行く前に、先に富士美術館に足を延ばし、「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」を観覧しました。
 会期:2021年9月19日(日)〜2022年1月16日(日) 

  富士美術館の口上
 古代エジプトの神話には壮大な生と死のサイクルが描かれていることをご存知でしょうか。たとえば黄金の《ミイラ・マスク》には不滅への祈りが秘められています。
 本展では、そんな古代エジプトの人たちの「天地創造と終焉の物語」を、ドイツにあるベルリン国立博物館群エジプト博物館のコレクションの中から選りすぐった約130点の作品で展覧いたします。知られざる古代エジプトの神話の世界を、アニメーションも駆使しながら解き明かします。

 私鉄&地下鉄&JR&バスと乗り継いで2時間近くかかって富士美術館にたどり着いた疲れをとるためにも、はじめに、ビデオの「展覧会解説」を見ました。座れたので。
 エジプトの生死観、展示物の解説など10数分のビデオを見てから観覧開始。

 アビヌス神がエジプトの信仰や人々の生活について、展示の章ごとに解説してくれます。 


 エジプトの地に3000年に渡って人々の精神を司ってきた「生と死」の考え方。基本は、亡くなった人の内臓と体を保存しておけば、神々の審理を経て、またこの世によみがえる。太陽が毎夜沈み翌朝にはよみがえって東の空に上がるように。う~ん、私は自分の体と内臓をべつべつに保存したくないけれど。死後の考え方は人それぞれであり、時と場所によってそれぞれ。



 山犬の姿であらわされたアビヌス神
 

 トキの姿をしたトト神、2匹のヒヒとマアト神(太陽神ラーの娘)(末期王朝時代)    
猫の姿のパテスト神(末期王朝時代)
 

 授乳する猫


 スカラベ(創造の卵をおなかに抱えている)として表現された原初の神ブタハ(第25王朝時代)


 アテフ冠をかぶったオリシス神(冥界の王であるオリシス神は死者の復活を司る)末期王朝時代    ネフェルテム神(蓮花の女神)
  

 ディモティック銘文のあるパレメシグの母マスク(ローマ支配時代)


 供物をささげるナイルのハピ神レリーフ(第25王朝時代)


 ハトシェプスト女王像といっしょに。
 

 ベルリン博物館が太っ腹なのか、富士美術館が寛大なのか、会場内はほとんどの展示が撮影許可。
 1000年前から3000年前の展示物ですから、著作権が消滅していることは当然ですが、博物館などでは所蔵権を主張したり、美術館側の「他の観覧者が写り込むなどした映像をネット公開されてしまう、というトラブル」を避けたいという「トラブル回避優先」のために「撮影不可」にしてしまうことが多いのです。
 富士美術館の撮影OKに、さすが美術館創立者の大作先生はケチケチしたことしない!と、思います。
 
 美術館が所蔵するお高そうな美術品。世界各地からの寄贈なのか信者の寄付金がっぽりで買い集めたのか。なにしろ日本政策金融公庫の融資仲介を無登録で行い、口利き料をたんまりもらっている国会議員が在籍していたってのは、本当らしいから、みなさんお金もうけには不自由していない。与党の権力ってかくも絶大なんだろな、と感心するばかり。
 (この発言は、たんなる貧乏人のひがみ感情によるものなので、おとがめなきよう、、、といいつつ、どこからか石がとんでくるんじゃないかと身を小さくしている肝っ玉極小人間。じゃ、書かなきゃいいのに、口利き料なんぞには縁のない貧乏人はひがみねたみで生きています)

 雄大なナイルの神々に比べて、ひがみねたみで生きるわたくし、なんとせせこましい「生と死」の中に生きていることでしょう。極小人間は、「ミイラにしてもらう莫大な費用なんぞ出せなかったエジプトの人々」に思いを寄せついつ、オミクロンを憂いながら通勤します。
ミイラにしてもらったエジプトの金持ちたちはちゃんと復活できたんでしょうね。知らんけど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「古代オリエント博物館」

2022-01-27 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220213
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記1月(3)古代オリエント博物館

 1月6日、池袋サンシャイン文化会館の古代オリエント博物館を観覧。年中無休の古代オリエント博物館へひとり散歩。
何度も訪問しているし、常設展の展示には大きな展示替えがないので、しばらく訪問していませんでした。

展示室内


 久しぶりに訪れた古代オリエント博物館ですが、今まで見たことがなかった展示は、北イラクの少数民族を写した写真展でした。
 イラクの民族問題については、独立を訴えて武力闘争をしているクルド族の事例はしばしば報道されてきました。
 しかし、独特の宗教を維持しているヤズィーディーという少数民族が暮らしていることを、私はまったく知りませんでした。

 ヤズィーディーの新年の祭り。生命の死と生の復活を祝う。

 民族衣装のヤズィーディーの少女

 難民となり、歩き続けてドイツへたどり着いたヤズィーディーの家族

 
 世界では、さまざまな少数民族がそれぞれの文化やことばを守って暮らしていることはわかっていましたが、どの国でどんな少数民族が迫害されて、難民となってさまよっているのか、大きな戦乱などのあとに難民発生を具体的に知ることが多く、日常的に迫害されている少数民族を知る機会はごく少ない。
 ヤズィーディーのことも日本で報道されたこと、あったでしょうか。私の目には入っていませんでした。

 この先も難民問題に直接かかわって、私が彼らのためにできることはあるのか、自分の非力を感じるばかりですが、なによりも、事実を知ること、ここからはじめなければ。

 ミャンマーのロヒンギャ問題をはじめ、多数派から迫害を受けている少数民族は、地球上からなくなりません。難民となり他国へ脱出できれば解決、と言うことではないでしょう。
 日本は世界の中でも難民を引き受ける数が極端に少ないことで知られています。法務省に難民の申請を出しても、認められるのはごく少数。
 日本は同調性を重要視する国ですから、言葉も宗教観も習俗習慣も違う人々が日本社会に受け入れられるには相当な苦労があると思います。すべての人が、苦しむことのない世にしていくための道はまだまだ開通未だし。

 ヘラクレス像といっしょに。

 
<おわり

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ぽかぽか春庭「暖炉でランチ」

2022-01-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220125
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2022ふたふた日記冬夜(3)暖炉でランチ

 昨年2021年に、すてきなレストランを知り、ランチに訪れました。
2,021年5月18日の春庭コラム

 しかし、5月に訪れて以来ずっとコロナ休業を続けていて、何度立ち寄っても「OPEN」になっていませんでした。
 仕事先から歩くにはちょっと遠いので、車で連れて行ってもらわなければ食べに行けないのが難点ですが、雰囲気がよかったので、何度か車でランチに出るたびに回ってみたのですが、クレアホーム&ガーデンの門はしまっていました。

 2022年の1月になって、ようやく「OPEN」となったので、さっそくランチに。
 1月20日の再訪でしたが、19日からの再開だったのだとか。
 室内は、イギリスから輸入の小物雑貨がところせましと並んでいます。素敵な小物ばかり。ごいっしょしたダンディな上司は、奥様へのおみやげとして、イギリスから輸入のハーブティを買っていました。

 生活雑貨が並んでいるテーブル


 なによりごちそうだったのは、冬に薪ストーブをたいてくれること。
 エアコンの暖かさなどに比べれば暖房効率は悪いのかもしれませんが、景気よく燃える薪の火は、外の寒さを忘れる炎の色です。心もぽかぽかに温まる気分になりました。



 ランチ、私は「タラとポテトのクリームグランタン」をチョイス。サラダとコーヒー付きで1200円。
 
 トマトクリームもおいしそうでした。

 せっかく久しぶりにクレアホーム&ガーデンがオープンしたと思ったら、オミクロン感染の爆発で、東京にふたたび蔓延防止の条例が発出されました。また休業してしまうのか、心配です。
 暖炉が燃えているうちにまたランチに寄りたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「一葉・鷗外」

2022-01-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220122
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2022ふたふた日記冬夜(2)一葉&鷗外

 わたしは、50年前の専攻は日本文学でしたから、一葉も鷗外もそれなりに読んできました。しかし地理学専攻の娘は、高校国語教科書に一葉の「たけくらべ」下駄の鼻緒シーンが出てきたかも、という程度。鷗外の山椒太夫は?ほら安寿と厨子王の話、と聞くとああ安寿厨子王の話は絵本で読んだかなあ、という近代文学に縁薄い娘。そんな娘が、ぐるっとパス使い倒しのために、娘がまだいったことのない一葉記念館と鴎外記念館を観覧してみようといいます。私も、一葉記念館は新しい建物になってから一度も行っていないし、鴎外記念館は鴎外記念図書館の時代から一度もいったことがなかったです。

 最初は、墨田区竜泉の一葉記念館へ。
 先日和田誠展を見にいったオペラシティを設計した柳澤孝彦の設計した近代的なビル建物で、娘は「あまり明治文学の香りがしない建物だなあ。もうちょっと明治の雰囲気がしてもいいかも」という感想。台東区が市民文化センターとしても集会所などを利用するための建物ですから、2006年の最新設備になったのでしょう。

 一葉記念館


 館内の展示は、一様の自筆原稿レプリカなど。
 写真をとりたいなあと、思う展示物には撮影禁止マークがでています。

 一葉が最初に世に問うた小説「闇桜」の自筆原稿レプリカ


 真多呂人形制作による一葉執筆人形

一葉は、生活に困窮し借金を重ねます。生活を仕切りなおそうと、「士族」の誇りを捨てて下町竜泉で開業した駄菓子雑貨の店。その当時の竜泉の模型が展示されていました。
 

 竜泉に住んだのは、満9か月。1年足らずの下町暮らしで、一葉はまた元の本郷に戻りましたが、この竜泉の暮らしが一葉の文学を深化させたのです。

 一葉の小説第8作「雪の日」をモチーフにした絵「雪晴れの朝」

 竜泉のの一葉駄菓子屋に雪がふった朝の光景です。

 「雪の日」は、師を慕う恋の物語。
小説の師であり心の中で慕う半井桃水に師事することを、和歌塾の師匠中島歌子に禁じられたことを執筆動機にしたと思われる小説です。
田舎娘の珠が、伯母に禁じられても師の桂木を慕い、ついに出奔。東京で桂木の妻となったあと、決して幸せな結婚ではなかったことを悔いる、という物語。多くの人が指摘しているように、桃水の妻になっても決して幸福にはなれない、と、自分に言い聞かせるために書いたように思われる短編です。

 生活のためになら、あやしげな相場師を単身でたずねて借金を申し込む、というような大胆な行動もとれた一葉ですから、奇跡の14か月といわれる短い執筆時期のあと、24歳で結核に倒れていなければ、どんな作品を残したでしょうか。
 擬古文で書いた一葉なので、漱石鴎外らが近代文体を確立したあとには、新しい作品はだせなかっただろう、という評もあります。流れ星のように光り輝きつつ消えていったからこそ、後世にこれほどたたえられる作品を残せたのであり、たとえ長生きできたとしても、14か月にのこした作品以上のものは書けなかっただろうと。

 それでも、後世に5000円札の肖像に採用されたことがいっそう哀れに思われます。一か月7円の生活費が工面できなかった一葉一家。女戸主としてせいいっぱい胸を張って生き抜いた生涯を思い、作品を読み継ぐことで一葉をしのぶことになるでしょう。
 娘は、「たけくらべ」のお話を、「鼻緒が切れて困っている信如に、緋ちりめんの布を差し出すこともできないでいたみどり」という場面のみ覚えていたのですが、ロビーのビデオアニメで鑑賞して「こういうお話だったのか」と納得していました。

 私がいちばん好ましく思った展示物。「一葉愛用の紅入れ」
 生活に追われ、着物を新調することもなかった一葉が、文学の師半井桃水を訪ねるようなおりには、そっと紅をさして出かけたのかもしれない、と、一葉の密かな恋心が詰まっているようなかわいらしい紅入れでした。


 一葉の旧居あとに建てられた石碑

 一葉が文壇に綺羅星のごとく現れた時「一葉崇拝者のそしりを受けようともかまわない」と評価を公にしたのが森鴎外でした。

 鴎外記念館は、森鴎外が後半生に住んだ千駄木の家「観潮楼」のあった場所に建てられた文学館です。
 一葉記念館を出た後、バスで鴎外記念館へ向かいました。団子坂を上り、鴎外記念館前で降りると、「本日、鴎外誕生日につき入館無料」という案内がでていました。ぐるっとパスで入館する予定だったので、「あらま、今日は無料だって、混んでるかな」と心配しながら入館しましたが、それほど混んではいませんでした。

 「鴎外の生涯をたどる写真展」ということで、津和野にいたころから東京に出てきたころの鴎外、ドイツ留学中の鴎外、軍医として勤務を続けた鴎外、さまざまな時代の鴎外の姿を見ることができました。

 軍医姿の鴎外と

 鴎外は、文学者としても軍医としても、の他の文学者のなかで誰よりも恵まれた生活を送った明治時代人と感じます。自分自身の文学でも、他の人の才能を見出すことにかけても、たぐいまれな才能を生かした鴎外。息子娘もそれぞれ文学の道でそれなりの成功を収めたのですから、「功成り名遂げた」一生といえるでしょう。
 そのために、軍医としての鴎外に対し、後世の評価はきびしい。最後まで鴎外が「脚気の原因は細菌」説を曲げなかったことは糾弾されてしかるべきかもしれません。海軍は、ビタミンB補給の食事すなわち麦飯をとりいれることで脚気を克服したのに比べ、鴎外の陸軍は、日清日露の戦死者以上に脚気による死者をだしたのです。

 鴎外記念館でも「鴎外を語る3人の文学者」などがビデオ上映されていました。
 娘はカフェで一休みして一葉館の疲れも復活したので、「今日もおもしろかった」と満足して帰宅しました。

 カフェのプレッツェルセット

 鴎外が評論を共にした幸田露伴、斎藤緑雨の「三人冗語」は、明治文学を縦横に論じ、一葉の名声を確実にしました。この3人がいっしょに写真をとったときに鷗外が腰掛けていた庭石が「三人冗語の石」として、鴎外記念館の庭に残されています。

 「三人冗語の石」

 本郷には一葉が通った質屋も残り、「一葉の井戸」も残されて文京区の文学名所になっています。一葉死して質屋「伊勢屋」を残し、鴎外死して「観潮楼」を残す。どちらも、文京区台東区の文学散歩のためには大きな足跡です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「水天宮甘酒横丁と東洋文庫」

2022-01-22 00:00:01 | エッセイ、コラム



20220122
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記冬(1)水天宮甘酒横丁と東洋文庫

 家の近所に長いこと鎮座していた小さな神社。
 毎年、有名神社の初詣は混み混みだからと、駅へ行く途中のこのミニ神社でパンパンとかしわ手打って手軽にすませていました。

 地主の代替わりなどの理由でしょうが、神社をほかに移転させたかして、昨年神社の土地が更地になってしまいました。
 駅まで徒歩1分。駅に着くまでに、コンビニ2軒ミニスーパー1軒あるという住宅地ですから更地になったらすぐ買い手がつくかと思ったら、半年たっても更地のままです。「神様追い出した更地」というのは、買うのに勇気がいるのかしら。たぶん、買い手がつくとしたら、神社も寺も関係ない中国などの富裕層か。

 とにかく今までの初詣場所がなくなってしまったので、今年は神社初詣はなしかなあとおもっていました。「神様は神社で拝まなくても、私がかしわ手うったのは、どこでやってもちゃんと聞いてくれる」と、都合のよい神信心でしたから、別段初詣に出かける気もなかったのですが、水天宮近くの「ミュゼ浜口陽三」で版画を見るついでに、水天宮でお参りしようかと言うことになりました。

人形町の通りにたつからくり時計


 「この前来たのは、もう20年だか年だ15年前のことだよね」と娘が言いますが、私もいつのことだったかはっきり覚えていない。
 たしか、昔むかしの娘との下町散策。芭蕉記念館を見て新大橋を渡って天婦羅屋で一息ついたあと、水天宮参拝したのです。
 水天宮は2013-2016年に改築工事を行ったので、それより前のことは確か。

 耐震設備を整え新しくなった水天宮は、記憶の中のものより狭い感じでしたが、エレベーターが設置されていたので、コンクリの箱2階に上ってお参りするのは楽になった。
 境内は安産祈願の若いふたりや、初宮もうでの一家一族総出などでにぎわっていました。

 江戸時代から安産祈願で有名ということですが、祭神が安徳天皇、建礼門院(平徳子)、二位尼(平時子)と聞くと、壇ノ浦で海に沈んだお三方がどうして安産の神に?と不思議です。建礼門院が生き残って幼くして海の底のお宮に行った子のために祈ったご利益があるのかしら。
 主神の天御中主神だって、一人神だし、たかみむすびの神やかみみすびの神に比べて、生産性感じられない神名だから、どうやって安産と結びついたのやら。まあ、イワシの頭も信心です。
 ともあれ1月15日小正月の初詣。

 水天宮お参りの行きかえり、人形町下町散歩。
 重盛永信堂で人形焼きのセットのほか、食べ歩き用に粒あんと漉し餡2個買いました。72歳38歳の母娘コンビは、ベンチでもあったら座って食べたいと持ち歩いているうち食べる機会をのがしました。ひとつだけ見つけた石のベンチ、傾いていました。人形町にまともに座れるベンチを作る件、墨田区に提案したい。

 前に来たときは「原宿や自由が丘などの若者でにぎわうところからは一歩しりぞいた昔の町」の印象があったのですが、2022年の人形町は、タイ焼きなどを食べ歩きしている若いカップルも多い。
 人形町は阿部寛の新参者シリーズで人気のロケ地になった地域ですから、今でも聖地巡りしている人たちも。新参者で下町人気復活したのでした。

 おのぼりさん母娘は、創業100年の柳屋でタイ焼きを買い、ほうじ茶専門店森乃園2階でほうじ茶あんみつセット、おしるこセットをはんぶんずつ分け合って食べる。棒ほうじ茶をお土産に買い、下町散歩を舌で堪能。
 どこも大正4年創業など、100年以上の歴史ある店ばかり。佃煮の酒悦にいたっては、1675(延宝3)年創業というので、ひぇ~、古さに脱帽。

森乃園のおしることあんみつ


 幸いそれほど冷たい北風でもなく、下町散歩を終えました。老舗350年の歴史に比べれば、母娘たして110歳なんざ、まだまだ青二才。2022年もコロナに負けずにがんばります。

 姪っ子43歳が高齢で第3子を産むというので、とりあえず水天宮にパンパンとかしわ手打って安産祈願をしたのですが、自分用には学業成就がいいなあ、でも湯島天神には近くにいく用事もなし、と、東洋文庫のモリソン文庫前のソファで学業成就をお祈りしておきました。

 モリソン文庫の本の棚を眺める


 モリソン文庫の3階までぎっしりの本を眺めると、知恵を求める人類の本の神様が宿っていると感じられます。東洋文庫秘蔵の国宝「文選集中(もんぜんしっちゅう)」も、漢字見ても意味わからないけれど、心の中でパンパンかしわ手。きっとご利益あって、漢字に強くなれるはず。

 東洋文庫「文選集中」

 さて、安産も学業成就もOKと思ったのですが、1月16日には津波が来襲。體の弱い娘は、強く影響を受けました。海底地震の衝撃波による「空振」と言う現象が日本まで到達し、強い頭痛を起こす人が続出。急激な気圧の変化。その気圧の急変をもたらしたのが衝撃波の一種で、「空振」と呼ばれる現象です。
 娘も「低気圧の影響で天気痛が起きるのはしょっちゅうだけれど、こんなに晴れているのに、どうして頭がガンガン痛くなったのだろう」と、「原因不明の悪い症状が起きたのか」と心配してしまいました。
 「空振」という初めて体験する地球の力の大きさ。

 水天宮では、安産といっしょに「災害撲滅悪疫退散コロナ終息家内安全世界平和」も祈ったのですが、どうもお賽銭ケチったのが悪かったか。「ご縁(5円)が10倍あるように」と、50円を2個。2人分のお賽銭、、、、。ケチです。

 文選の本の神様モリソン文庫の本の神様はちゃんと我が願いを聞き届けてく
れるはず、、、、お賽銭あげなかったけど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「和田誠展 in オペラシティギャラリー」

2022-01-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220118
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺絵本の世界(3)和田誠展 in オペラシティギャラリー」

 和田誠(1936-2019)は、主な仕事の分野だけでも、イラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。マンガも小説も、クリエイトする仕事はすべてに手を広げ、それぞれ成果を上げてきました。
 和田誠展は、そんな和田の仕事の全貌を展示する大規模な回顧展です。一部を除いて撮影OK。

会期:2021年10月9日-12月19日

 オペラシティギャラリーの口上
 和田誠(1936–2019)はイラストレーター、グラフィックデザイナーとして広く知られています。そのほかにも装丁家や映画監督、エッセイスト、作曲家、アニメーション作家、アートディレクターなどさまざまな顔を持ち、その創作の広がりはとどまるところを知りません。
 本展は、和田誠の膨大で多岐にわたる仕事の全貌に迫る初めての展覧会です。和田誠を知るうえで欠かせないトピックを軸に、83年の生涯で制作した多彩な作品を紹介します。きっとこれまで知らなかった和田誠の新たな一面に出会えることでしょう。

 週刊新潮の表紙絵などではよく目にしてきましたし、麻雀放浪記などの映画が発表された時など、さかんにマスコミも取り上げ話題になりましが、多彩な和田誠の仕事の中で、私が一番知るところがなかったのが、絵本作家としての和田誠でした。

 このポスターの絵も「ことばのこばこ」という絵本の表紙の絵です。


 和田誠は、絵本専門の画家よりもたくさんの絵本を出版している絵本作家だったということ、和田誠展を見るまであまり意識したことがありませんでした。そういえば、絵本コーナーで見たあの絵もこの絵も、たしかに目にしたことがあったのに、和田誠のあまりに多彩な仕事のなかで、ポスターなどのグラフィックデザインやみんなのうたのアニメーションのほか、絵本作家という顔があったこと、気づかずにいたのです。

谷川俊太郎訳のマザーグースシリーズの絵も和田誠でした。


 とにかく膨大な仕事量。
まだ 週刊文春の表紙絵を飾った壁を眺めているだけでも一日かかりそうな膨大な仕事量です。

 文春表紙絵は、壁一面に展示。


 1年ごとに、どんな絵を書いていたか、どんな仕事をしていたか、まとめて展示してありました。
 幼いころからの1年ごとの絵を見ていき、和田誠の知らなかった一面も知ることができました。
 小学生のころからの絵もとても上手で、才能あふれている子供だったことがわかりました。学校の時間割が科目名でなく先生の似顔絵で書かれており、機知とユーモアは幼い時から発揮されていたのです。

 1957年。大学3年生はじめて賞を受け、一人前のイラストレーターとして世の認知をえた「夜のマルグリット」

 最後の週刊文春の表紙絵となった2017年


 似顔絵のまとめ展示

 映画ポスターの仕事の中からイージーライダーとシェルブールの雨傘のスケッチとポスター原画

 購入した絵ハガキのネコ(ヒョウ?)

 かなり広い会場でしたが、入場者も平日にしては大勢で、土日にこなくてよかったと思いました。ほんとうはもっとゆっくり1枚1枚見入る時間がほしかったですが、あまりに膨大な作品数なので、ささっと見て過ぎてしまったところもありました。

 麻雀放浪記など和田誠監督の映画の一部をビデオでながしていたので、映画のほんの一部ですが見ることができたし、和田誠の才能の360度のマルチぶりを改めて感じました。
奥さん料理家のレミさん、息子トリケラトプス、嫁上野樹里、という家族。レミさんは誠亡き後、相当落ち込んだそうですが、今では前に変わりなく元気な料理姿をテレビで見られます。誠さんが見守っているのだろうと思います。

 マザーグースの猫と



<つづく>
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ぽかぽか春庭「ムーミンコミックス展 in そごう美術館」

2022-01-18 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220118
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺絵本の世界(2)ムーミンコミックス展 in そごう美術館

 2021年最後のお出かけは、ムーミンコミックス展。横浜そごうで観覧しました。
 たいていの美術館は12月26日が2021年最後開館で、27日月曜日から正月明けまで閉館になるところが多い。そんな中、そごうデパートは年末年始無休だったので、母娘で楽しむ「ぐるっとパス」の年内最後はそごうのムーミンコミックス展になりました。

 ムーミン大好き母娘が、埼玉県飯能市のテーマ―パーク「ムーミンバレー」へ出かけたのは、2020年7月のことでした。エンマの劇場「(姿の見えない女の子)ニンニの物語」を見たり、ムーミンの家を訪問したり、楽しい一日でした
 この日以来、私が毎日しょって通勤に持っていくリュックサックに貼りついている「ムーミンのご先祖様」


 ムーミンの原作物語は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの作品であることはよく知られていますが、イギリスの新聞連載コミックスをトーベから引き継いだのが12歳年下の弟ラルスであったこと、私はムーミンバレーに行くまで知りませんでした。日本でもコミックス版は出版されていましたが、私も娘も絵本やアニメ、単行本のムーミンしか知らず、漫画版をしらなかったからです。

 今回のムーミンコミックス展は、漫画版のムーミンをたっぷり知ることができました。
 展示されている原画や漫画は、トーベはスエーデン語、ラルスは英語でセリフを書いていますから、展示では絵だけながめて、セリフを理解するのは、娘が買った図録(黄色いコミックス展図録と青いラルスの漫画の2冊)であとで見ることにして、展示では絵だけを見て会場を歩きました。

 トートバックつき、図録を買いました。

 第62話「古代エジプトへの道」など、日本語では翻訳されていないお話は、今回はじめて目にするものです。


 ラルス・ヤンソン(Lars Jansson、1926 - 2000)は、姉トーベ、写真家とし活躍した兄ペル・ウーロフの末の弟としてフィンランドのヘルシンキに生まれました。フィンランドでは少数派のスエーデン語を話す家庭で育ち、15歳で最初に書いた小説『トルツゥーガの宝』をふくめて小説8冊を出版しましたが、トーベから引き継いだムーミンコミックスの漫画家として名を残しました。

 英紙のコミックス連載にあたって、最初は、トーベがスエーデン語で書いた漫画を英語に翻訳する訳者として関わりはじめ、姉が手がけた漫画全21作のうち8作で構成のアイデアを手伝いました。やがてトーベは漫画の仕事を完全にラルスに託し、本来の仕事と思っていた絵画の仕事に打ち込むようになりました。1960年から1975年まで15年間、漫画の制作すべてをラルスが単独でこなしたのです。

 トーベの描いたコミックス版のムーミン

 ラルスの娘ソフィア・ヤンソン(Sophia Jansson1962年 ~)は、ムーミンの著作権管理会社であるムーミンキャラクターズ社(Oy Moomin Characters, Ltd.)のクリエイティブディレクター兼会長で、今回の展覧会の「ごあいさつ」もソフィアのことばでした。

 ムーミンコミックスは、1954年からイギリスの大衆紙「イブニング・ニューズ」に載った新聞漫画です。
 トーベが描いたキャラクターたち


 第1話から18話まではトーベが絵とストーリーを担当し、ラルスは翻訳を担当。19話20話21話(1957-1960)は、ストーリーをラルスが担当し、絵をトーベが描く共作。1961年から1974年の連載終了まではラルスが単独でストーリーと絵を手がけています。

 娘は、ラルス作「10個の豚の貯金箱Ten Piggy Banks」が気に入り、ラルスの絵をそのまま小皿にしたグッズを買いました。
  

 会場内のフォトスポットで、ムーミン&スノークのお嬢さんのフィギュアと。


 入口で。
 

 <つづく>
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ぽかぽか春庭「かこさとしの世界展 in 八王子夢美術館」

2022-01-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220116
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺絵本の世界(1)かこさとし展 in 八王子夢美術館

 2021年12月18日、八王子夢美術館で「かこさとしの世界展」を観覧。
 2020年に、コロナのためにいったん中止となった展覧会の再開です。
 会期:2021/12/3(金)〜2022/1/23(日)」

 「からすのパン屋さん」などの絵本を楽しんだこと、娘が保育園の学芸会で「どろぼう学校」を上演したことなど、なつかしくて、娘が「八王子は遠いけれど、行きたい」と、希望したのです。
 八王子駅からバスで富士美術館へ行き、エジプト展を見てから八王子夢美術館へ。

 

 かこさとし(1926- 2018 )についての八王子夢美術館口上
 2018年、日本を代表する絵本作家かこさとし(加古里子)が92歳でこの世を去りました。かこは、32歳の時に最初の絵本『だむのおじさんたち』(1959年/福音館書店)を出版して以来、「だるまちゃん」シリーズ、「からすのパンやさん」シリーズといった物語絵本から『かわ』、『地球』、『海』といった科学絵本、絵画や歴史、健康にいたるまで、その多岐にわたる著作は生涯600冊を超え、現在でも子どもたちをはじめ多くの人々に親しまれています。
 かこの創作の出発点には、子どもたちに自らの未来を切り開く力を持ってほしいとの願いが常にあります。かこは、青春時代に戦争を経験し、戦後、自らの生きる意味を失いますが、児童演劇へ関わる機会を得て子どもたちとふれあい、これからを生きる子どもたちの役に立てるのであれば、生きていく意味もあるのかもしれないと希望を見出します。そして、ボランティア福祉活動(セツルメント活動)として子ども会に参加、紙芝居や幻灯などの創作を始めたことが、後の絵本制作で活かされることになります。こうした「子どもたちのために」という姿勢は、かこの長きにわたる絵本制作の原動力になりました。
 本展では、かこの代表作をはじめ、少年時代に描いたスケッチや絵日記、子ども会での紙芝居、これまで発表されることのなかった絵本の原画や下絵なども公開、八王子ゆかりの医師・肥沼信次を描いた『ドイツ人に敬愛された医師・肥沼信次』(2003年/瑞雲舎)も交え、貴重な作品や資料が一堂に会します。展示では、その創作の軌跡をたどりながら、かこがどんな想いで子どもたちと向き合い、絵を描き、絵本を作ってきたのかをひもときます。発見とときめき、驚きと喜びに満ちたかこさとしの世界をお楽しみください。

  子どもたちが絵本を読まなくなったあと、ほとんどの絵本は、娘息子がお世話になった学童保育に寄贈したのですが、かこさとしの絵本「からすのパン屋さん」は、娘の希望でとってあります。
 だるまちゃんシリーズは、娘は学校図書館で読み、私は読んでいませんでした。
 私はかこさとしについて、ただ絵本作家として認識していただけだったのですが、東京大学工学部応用化学科卒業の工学博士であり、化学技術士という肩書もある科学者でもあったこと、まるで知りませんでした。こどもへの対し方として、セツルメントでふれあった恵まれない子どもたちとの出会いがあることも展示のなかでわかりました。

 展示室内


 かこさとしが1938年に12歳で描いた小学校卒業の「過去6年間を顧みて」表紙をみても、その画才は幼い時から発揮されていたことがわかります。


 1959年、最初の刊行作品でる『だむのおじさんたち』の原画や、私が見たことなかった作品『出発進行!里山トロッコ列車』など、貴重な絵や解説によって、かこさとしの世界全体を見ることができ、よいひとときとなりました。




 家のどこかにあるはずだけど、久しく本を開けていない「からすのパン屋さん」など、もう一度楽しんでみようと思います。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「大・タイガー立石展 in さいたま近代美術館」

2022-01-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220115
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩新年(4)大・タイガー立石展 in さいたま近代美術館」

 現代美術に弱いので、タイガー立石、まったく知らない画家でした。
 日曜美術館で特集されていたので、ぐるっとパス利用して埼玉県立近代美術館に出かけました。娘は「現代美術の強い色彩と自然界にはない構図だと脳が混乱して頭痛がしてくる」というのでパス。

 あまり知られてこなかった画家のせいだと思いますが、さいたま近代美術館の口上はものすごく長い、、、、ですからタイガー立石がどんな画家なのか、ご存じの方や知りたくもない方、すっとばしてください。

 この画家の展覧会実現して意気込む学芸員の気持ちもわかりますが、もうちょっと短くまとめるのも、学芸員の芸のうち、、、。と、勝手な見方で絵を楽しむ素人ですみません。
 立石があまりに変幻自在融通無碍の画家だけに、全貌を知らしめようとするとこの長さになるのだと思い、心して読みました。私自身は、タイガー立石のことをまったく知らなかったので、美術館の長い説明が参考になりました。

 埼玉県立近代美術館の口上
 絵画、漫画、イラストレーション、絵本・・・。タイガー立石(本名・立石紘一/1941~98年)は、様々なジャンルで活躍したアーティストです。縦横無尽にジャンルをまたぐそのスタイルは、世代を越えて今日の若いアーティストにも刺激を与え続けています。
 立石は太平洋戦争の始まった1941年に、筑豊の炭鉱の街・伊田町(現・福岡県田川市)で生まれました。戦後は漫画や映画を愛する少年として育ち、1961年に大学進学のために上京。1963年に前衛芸術の牙城であった読売アンデパンダン展で、玩具や流木などを大画面に貼り付けた作品を発表し、頭角を現します。その後、時代や社会のアイコンを大胆に引用した絵画を制作し、和製ポップ・アートの先駆けとして高く評価されます。1965年からは漫画も描きはじめ、「タイガー立石」の筆名を用いて漫画の連載を手がけます。台詞のないナンセンス漫画は国境を越え、海外の雑誌でも紹介されました。
 日本での活躍が期待されていたさなか、立石は突如イタリアに移住。   
 1969年から13年間にわたりミラノを中心に活動します。イタリアでは漫画を応用し、画面をコマ割りにした絵画を精力的に描きます。そのSF的な世界や独特の画風はイタリアの美術界だけでなく、建築・デザインの世界からも注目されます。当時、ラジカルな建築・デザイン運動を先導していたエットレ・ソットサスやアレッサンドロ・メンディーニらと協働し、卓越したイラストレーションの仕事を残しました。
 1982年に帰国すると、自作の漫画を編纂した『虎の巻』を刊行する一方、絵本の制作にも着手し、視覚的な遊びを盛り込んだ絵本を多数手がけ、好評を博します。絵画では、大衆的なイメージや、明治・大正・昭和といった歴史を振り返るモチーフをとりあげ、パロディにみちた大作も描きました。また、軸物や巻物など伝統的な絵画形式にも挑戦し、多彩な才能を発揮しています。
 立石の作品では、芸術とサブカルチャー、西洋/東洋、過去/現在/未来といった区別は無効になり、世界のヒエラルキーが徹底的に解体されています。目にしたありとあらゆる世界を、作者の画力によって奇想天外な時空間の中に繰り返し引用、再編し、多次元的なものへと拡張していくのが、まさに「立石ワールド」なのです。
 1998年に立石は56歳でこの世を去りましたが、2021年は生誕80年を迎える記念の年となります。この節目に、埼玉県立近代美術館とうらわ美術館は本展を共同で開催し、タイガー立石という特異なアーティストを大規模に振り返ります。

 埼玉県立近代美術館はぐるっとパスでの入場可能ですが、うらわ美術館はチケット買わないと入館できないので、立石画業の3分の2くらいした見ていないのだと思いますが、ほんとうにすごい画業40年です。
 うらわ美術館は、タイガー画業のうち、絵本や漫画作品の展示に力を入れて開催しているそうなので、行ける日があったら行ってみたいけれど。ぐるっとパス使えないので行かないかもしれない。 

 読売アンデパンダンに出品した「共同社会」1963
 6分割の画面のうち3つに流木が3つに壊れたブリキのおもちゃが張り付けてあります。

 一部の拡大画面


 タイガー立石は、自分の作品をスパッと投げ捨てる人。この流木や壊れたおもちゃを張り付けるという技法はこの「共同社会」一度だけで、2度と試みてはいません。

 私はどんどんくるくると変わる人のほうが好きなのかも。常に自己変革をめざし、「革命」を目指す人が好み。
 タイガー立石が日本を出ていった理由も、イタリアから戻った理由も、売れっ子になってしまって「売れるようになったら立石じゃない」ということだったようです。売れっ子は、出版社や画商の注文通りに「自己模倣」もこなさなければなりませんが、タイガーは「今思いついた、今自分が描きたいことをかく絵」でありたかったのだろうと、思います。

 名前も、本名の立石紘一→タイガー立石→立石大河亜と変えています。売れるようになり、「何とか賞」に輝き功成り名遂げることなどを到達点にはしなかった立石の生き方が、私には魅力的です。

 自作フィギュアを11億円でアメリカの成金に売り抜け、バッグ屋さんとコラボし、大金稼ぎまくる画家も存在しています。教え子たちに「現代の画家は、どう描くかが問題じゃないんだ。どう画商に売り込みどう高値をつけさせるかのプレゼンテーション能力を身につけなけらばならない」と教え諭していた「美術界の寵児」は、どうも好きになれない。「金稼ぐ奴へのねたみひがみそねみ」なのだとわかっちゃいるが。」

 タイガー立石とて、なにも極貧の中で絵をかいていたわけではなく、漫画家として十分に稼げるようになったり、イタリアに渡ったのちもオリベッティ社のイラストレーターとなったり、食うに困らない生活はできていたのだけれど、56歳での早世(肺癌死)というイメージもあってのことか、「画家の才能とは何を描くかということではなく、何を売るかという自己プロデュース力」と教える大家とは一線を画しているように思います。
 タイガー立石にとっては、1点1点に自分を注ぎ込み、何を描くか、が問題だったのだろうと思います。

 そのパロディ力というか、引用オマージュ力というか、さまざまなモチーフを寄せ集めて、圧倒的な個性を生み出す力、天才と思います。
 立体作品、大画面の歴史画、さいたま近代美術館所蔵のリトグラフ作品は撮影許可でした。

 歴史のさまざまなモチーフアイコンを計算しつくしたうえで画面に散らしている。
「明治青雲高雲」


「大正伍萬浪漫

 「昭和素敵大敵」

 竹橋の近代美術館にあるアンリ・ルソー「 第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」ほかを引用した作品。

 税官吏ルソー1998 
 

 リトグラフ、シルクスクリーン作品





立体作品
GUENICA1996         


 ポップカルチャーがもてはやされるようになり、現代美術に弱い私も、アンディ・ウォホールの名くらいは知っていますが、日本とイタリアをまたにかけて戦後社会を突っ走ったタイガー立石の56年の画業を目にできて、いつもの現代美術嫌いを忘れて作品に見入りました。

 最後の展示室は、最後の作品「水の巻」を映像展示していました。1-4巻が左から右へと流れていました。たしか12巻作成されたのではなかったか。いつか全部を見てみたいです。



年譜メモ
1941年 12月20日福岡県田川市に生まれる(本名:立石紘一)
1963年 武蔵野美術短期大学芸能デザイン科卒業。第15回読売アンデパンダン展に出品。
1964年 中村宏とともに「観光芸術研究所」設立。
1968年 タイガー立石に改名。この頃から漫画家として活動。
1969年 イタリア・ミラノへ渡る。漫画のコマ割を応用した絵画を制作。
1971年 オリベッティ社のエットレ・ソットサス事務所で、イラストレーションの仕事を始める。
1982年 帰国、漫画作品集の刊行や絵本の出版、個展の開催など精力的に活動。
1990年 立石大河亞に改名。
1994年 初の回顧展が郷里の田川市美術館(福岡)で開催。
1998年 4月17日死去(享年56歳)

<おわり>
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ぽかぽか春庭「平松礼二の世界展 in 郷さくら美術館」

2022-01-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220113
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩新年(4)平松礼二の世界展 in 郷さくら美術館

 「ぐるっとパス」一冊の中、100館の美術館博物館の入館券割引券が入っています。私と娘は、割引だけの館は行かない。ぐるっとパスだけで企画展特別展まで見ることができる館に行きます。100館分あっても、ぜんぜん行かない館とぐるっとパスを買うたびに必ず行く館ができます。

 郷さくら美術館は家から近くて、企画展もパスだけで入れる、という私の「ケチケチ美術館巡り」志向にあう美術館です。

こじんまりとした私立美術館ですが、若手日本画家の育成をはかっており、館主催の公募展に入賞した若い画家の絵を買い上げ、それらをテーマごとに展示公開しています。
 展示テーマのひとつは、館の名前になっている「さくら」の絵ですが、それ以外の特集企画も、これまでいろいろ見ることができました。

 1月9日日曜日、娘と「ぐるっとパス美術館めぐり」に出かけたのは、郷さくら美術館の「平松礼二の世界展」
 日本画をまとめてみることが少なかった私も、平松礼二の絵を本屋で気づかず目にしてきたはず。しかし、平松礼二という画家名はまったく頭に残っていませんでした。文芸春秋の表紙を毎月1枚、2000年から2010年まで120枚を描いていたのですから、その中の一枚くらい、気に入った作品もあったかもしれないのに。
 雑誌の表紙絵というのは、できるだけ多くの人の目にふれて、だれにも心地良く、だれにも好きすかれることが肝心。「この絵、きらい」という感情を雑誌読者に持たせることはご法度。
 だれにも心地よく、だれにも好かれる絵であること。「だれにも嫌われない平穏無事な美しい絵」は、しかし私の心に残ることがなかった。

 今回、平松礼二の初期作品から最新作までまとめてみる機会となりました。
 郷さくら美術館の口上
 このたび郷さくら美術館では、郷さくら美術館特別展「平松礼二の世界-日本美の在り処を訪ねて-」を開催いたします。 日本のみならずドイツやフランスなど世界的に評価を受けている日本画家・平松礼二。本年、フランスでの個展や精力的な「ジャポニスムシリーズ」の発表など、長年の印象派・ジャポニスム研究やフランスでの活動及び日本画による文化交流の功績が高く評価され、フランス共和国芸術文化勲章を受章されました。
本展は、ライフワークとして生まれた「路シリーズ」や「ニューヨークシリーズ」、クロード=モネの睡蓮からインスピレーションを受けた「ジャポニスムシリーズ」など、精力的に創作活動を続ける平松礼二の作品をご堪能いただける回顧展となります。
伝統的な日本画を継承しながらも常に新しい画風への挑戦を試み、国内外で「現代の琳派」と称され高く評価されている平松礼二。その独自の画風を心ゆくまでお楽しみください。

 第1室に入って、私と娘の最初の感想が一致しました。「とっても、きれい。これもあっちのも、着物の柄にしたらすごくいいと思う」
 布地のテキスタイルデザインに興味がある娘と私が、一目見て「着物の柄にいい」と思ったのは、文芸雑誌の表紙絵として10年間毎月1枚世間に出しつづけてきたことと同じ。美しく平穏無事で、なんの苦みもいやみもない。

 第1室の「日本の祈り花が咲く20018」も、「紅白梅・月図」「路・野菊讃」も大きな屏風絵ですが、菊も梅も、細かい筆遣いでぎっしりと描き込まれています。全体の構図もここちよく、きれいです。

 






 
 





 現代の琳派とも讃えられ、かずかずの絵の賞も得ている平松。美術大学の教授も学長も勤め、フランスから栄誉ある勲章も受けた功成り名遂げた平松。

 立派な画家と思いますし美しい絵だと思う。たぶん私の感性の貧しさが邪魔をするのだろうが、きれいだね、以上の思いは湧き出てこない。
美しく心地良い絵がこの世には必要です。美しい絵に心奪われるひとときも大事。

 絵にそれ以上のものを感じたい思う私が、たぶん貧乏性なんだとわかっちゃいるが。

 展示中、ああ画集などでなく、直接美術館に来て観覧できてよかったと思ったのは、画家へのインタビューが十数分のビデオになって上映されていたこと。
 母親の故郷岐阜を訪ねたことから「路シリーズがはじまったこと」、50歳になってはじめてフランスを訪れ、どこの何とも知らずにオランジュリー美術館に飛び込み、楕円の部屋いっぱいに広がるモネの睡蓮を見て、足ががくがく震えるほどに感激したこと、などが、やわらかい語調で語られていました。

 モネの睡蓮の絵を、50歳で初めて見た、というのは言葉通りのことかもしれないし、足が震えるほどの感激を得たのが50歳だった、ということなのかもしれないけれど、頭だけでジャポニズムを理解したつもりになって印象派を眺める昨今の美術好き高齢者などにはできない真の美術体験であったことだろうと思います。

 
 『道』が道徳であったり同郷であったり茶道や剣道など、ものごとを極める道になるのと違い、「路」ということばは、路上も街路も、小さな通り道、人が行きかい触れ合う狭い路地の意味合いを持つところが好ましい、という画家の説明に「道シリーズ」ではなく「路シリーズ」でなくてはならなかった理由がわかりました。

 功成り名遂げた画家よりも、「志半ばで人生を終える結果となった早世の絵描きのほうが好き」という私の好みではありますが、平松礼二の絵、モネに啓発された睡蓮シリーズも、日本の花鳥風月の絵も、どの絵もここちよくきれいで、こころなごみました。

 次回、心地悪い絵もあり、こころがザワザワしてしまうタイガー立石展の報告。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「イスラエル博物館所蔵印象派展 in 三菱一号館」

2022-01-11 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220109
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩新年(2)イスラエル博物館所蔵印象派光の系譜展 in   三菱一号館

 ディズニーファンタジアコンサートを聞きに有楽町フォーラムへ行く前に、三菱一号館に立ち寄りました。「イスラエル博物館所蔵印象派・光の系譜展」を観覧。 

 三菱一号館の口上
 約50万点の文化財を所蔵するエルサレムのイスラエル博物館は、印象派も珠玉のコレクションを誇ります。本展は同館から、印象派に先駆けたクールベ、コロー、ブーダン、そしてモネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、この流れを発展させたポスト印象派のセザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーガン、さらに印象派の光と色彩の表現を独特の親密な世界に移し変えたナビ派のボナールやヴュイヤールの作品69点を厳選、うち59点が初来日の名品の数々とともに、印象派の光の系譜をたどります。
 なかでも、睡蓮の連作で有名なモネの《睡蓮の池》は、特に「当たり年」と評される1907年に描かれたものです。この画家全盛期の作品を含めた出品作の大半が、日本初公開となります。

 三菱一号館、明治時代のコンドル設計の三菱オフィスビルの復元です。コンドルの建物好きな私は何度か展覧会に来ていましたが、娘ははじめてでした。本当は、復元でも、ゆっくり建物についても見たい来たかったのですが、観覧する予定ではなく、17時のディズニーファンタジアコンサート開演時間が迫っていたので、絵だけを見て、建物はまた今度、ということにしました。

 3階の風景画、2階の静物と人物。コンサートの開演時間があるので、いつものように展示室内のベンチでゆっくり座って休みつつ見る、ということはできませんでしたが、全展示室を見て回り、中でも「この展示室内写真撮影可能」というコーナーでは、好きな絵を撮影することができました。
 気に入った絵なのに、絵ハガキやクリアファイルにその図柄がないとがっかりしますが、写真があればいつでも眺められる。(図録を毎回買えるくらいのお金持ちになりたいです。チケットが自腹だったときは図録がまん、という貧乏人ルール)

 印象派を中心とした展示、娘はコローや印象派の風景画が好きです。
 コロー「モント・フォンテーヌ、小さな柵へと続く道」1850年代


 ドービニー「花咲くリンゴの木」1860-1862
 

 娘は展覧会を見た後、気に入った図柄があるとクリアファイルを買いますが、今回の展示では、この「花咲くリンゴの木」にしました。

 私のお気に入りは、やはりゴッホとセザンヌ。
 ゴッホ「プロヴァンスの収穫期」1888


 この絵は、絵ハガキが買えたので、秋に青い鳥さんに送るはがきの1枚にします。青い鳥さんへの絵ハガキプロジェクト、今月末に1300枚目を送る予定。2022年のテーマカラーは黄色です。

 ゴッホ「麦畑とポピー」1888
 

 私が好きなゴッホ「アニエールのヴォワイエ=ダルジャンソン公園の入り口」と、娘が好きなシスレー「ロワン川のほとり・秋の効果」は、撮影不可でしたので、複製画のコピーを。

 ゴッホ「アニエールのヴォワイエ=ダルジャンソン公園の入り口」1887


 シスレー「ロワン川のほとり・秋の効果」1887


 今回三菱一号館を訪問したのは、次の企画展示「上野リチテキスタイル展」の前売り券を買うことができるか、たずねようと思ったから。私も娘も布地を見るのが好きなので、フィンランド出身リチのデザインを見たくて、2月からの前売り券を買っておこうと思ったのです。

 残念ながら、紙の前売り券はチケットブースでは扱っておらず、ネットでのデジタル購入のみになったのだとか。しかたがないので、娘と相談して年間パス2人用というのを購入しました。1年間2人がいつでも何度でも展覧会を見ることができるチケットです。私の顔写真を登録。

 娘は印象派が好きなので「イスラエル博物館所蔵印象派光の系譜」展を見たかったのですが、チケットは1900円で「高い」と感じました。見るか見ないか決めかねているうち、会期終了がせまりました。
 年間パスをかえば、上野リチも印象派も、リチの次の「ココ・シャネル展」も見ることができてお得!お正月気分のお年玉です。

 2022年も、招待券、ぐるっとパスや年間パスなどを利用して美術館博物館めぐりを楽しもうと思います。娘と私のなによりの娯楽です。

 セザンヌ「湾曲した道にたつ木」1881-1882

 カミーユ・ピサロ「エラニーの日没」1890年代  


 カミーユ・ピサロ「豊作」1880年代


 カミーユ・コロー「モントフォンテーヌ小さな柵へ続く道」1850年代



 ピサロ「朝、陽光の効果、エラニー」1899


 モネ「睡蓮の池」1904 

 
 スイレンの連作を続けてきたクロード・モネ、3つの絵が、光の具合を変えた作品が同じ構図で残されています。今回イスラエル博物館の睡蓮と同じ部屋に富士美術館の睡蓮、川村美術館の睡蓮が展示されていて、3つを比べて見ることができました。しょうも無い鑑賞眼しかもたぬ私は、ここに中国で贋作制作をしている村で描かれたものがまじっていてもわからんなあ、という感想で、ホンにしょうもない。

「何でも鑑定」の正月特番を娘と見ていて、真っ赤な偽物と鑑定された人を見て、ワハハと笑っているくらいがちょうどいい、我が家の美術鑑賞法です。

 

<つづく>

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ぽかぽか春庭「モーゼスおばあさんの絵 in 世田谷美術館」

2022-01-09 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220109
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩新年(1)モーゼスおばあさんの絵 in 世田谷美術館

 2022年最初の美術館訪問は、世田谷美術館で開催されているモーゼスおばあさんの絵を見ることにしました。
 ぐるっとパスだけでは入場できないので、見るか見ないかしばし悩みましたが、正月くらいケチケチせずに、、、、といっても、私はシルバー券1300円、娘はぐるっとパス割引を使ってやはり1300円。ふたり合わせて2600円の出費.
我が家にとっては「正月の大盤振る舞い」です。

会期:2021.11.20 - 2022.02.27 
「生誕160年記念 グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生」

 85歳のときのモーゼスおばあさん。
 世田谷美術館エントランスロビーの肖像画は撮影自由


 世田谷美術館の口上
 絵を描くおばあさんとして知られ、アメリカの国民的画家といわれるグランマ・モーゼス ことアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860–1961)。農場の主婦であった彼女が絵筆をとったのは、70歳を過ぎてから。農場をとりまく風景や生活を素朴な筆致で描いた作品により人気作家となりますが、生涯、農家の主婦としての暮らしをまもり、101歳で亡くなる年まで描き続けました。「始めるのに遅すぎることはない」ということばに象徴されるその生き方を紹介します。

 アップルバター作り1947


 村中が集まって、収穫したりんごを煮詰めて絞り、アップルバターを作る。村の食糧確保の仕事ではあるが、お祭りのように楽しいコミュニティの行事です。

 アメリカに生まれ育った画家の中でも抜群の知名度と人気を誇るモーゼスおばあさん。専門的な美術教育を受けたことのない「素朴派」にくくられる画家のひとりです。モーゼスおばあさんが1960年に101歳で天に召されてから60年たち、その人気はますます高まっています。
 私は新宿の損保美術館で何枚かのモーゼス作品を見てきて、いつかはまとまった展示を見たいと念じてきましたが、モーゼスおばあさんが70歳になって絵を書き始めた年齢においついて、ようやく画業の全貌といえる展覧会にやってきました。

 シュガリングオフ


 メープルの木の樹液を集め、村中総出で大鍋で煮る。冬の終わりに春を待つ楽しいイベント。

 同じ世田谷美術館で昨年末に見た素朴派の塔本シスコの作品は、その原色鮮やかな色遣いが娘の感性には合わなかったのですが、今回のモーゼスおばあさんの色遣いは娘も気に入り、「チケット代1300円かかったけれど、きてよかった」というので、私も娘を誘ってよかった。

展示室内


 娘が特に気に入ったのは、モーゼスおばあさんが長年続けてきた「毛糸刺繍画」の展示です。おばあさんは、家族のセーターなどを編んだ余り毛糸を大切に保存し、その毛糸を布に刺繍した絵を制作してきたのです。この毛糸絵はことあるごとに友人や世話になった人にプレゼントしてきたということで、残されている作品は少ないのですが、何点か見ることができました。

 毛糸刺繍画「海辺のコテージ」1941


 毛糸のひと刺しひと刺しの丁寧な針によって、出来上がった刺繍画です。
 モーゼスおばあさんは70歳すぎて手が不自由になり針仕事が難しくなりました。そのため、針を絵筆に持ち替えてはじめたのが絵画だったのです。

 村のドラッグストアに飾られた絵に画商が目を止め、あれよあれよという間に個展が開かれ、美術館に買い取られ、大統領に招待されるまでになって、モーゼスおばあさんはアメリカで一番有名な高齢者になりました。

 キルティング・ビー1950


 キルティング・ビーは、小さな布の切れ端をつなぐキルティングを皆で共同して作り上げ、仕事の終わりにはみなでいっしょにごちそうを食べる楽しい集まり。

 しかし、有名になってもモーゼスおばあさんはこれまで通り、りんごを絞ってジュースを作り、蜜蝋からろうそくを作り、孫のワンピースを縫い、日々の農家の主婦の生活を変えませんでした。孫のために作った服やポーチが展示されていました。きっと家族が大切にとっておいたものなのでしょう。

 そうして101歳のときまで絵筆を持ち続け、描きたいことをかいて大往生。ほんとうに見事な一生です。

 絵ハガキを買った一枚。「魔女」1950


 ハロウィーンのとき現れるという魔女を描いています。小屋のには前には、とりいれられたカボチャが積まれ、魔女への備えも万全。

 世田谷美術館には、絵筆をとる前の毛糸刺繍画から、70歳代の作品、100歳の作品までたくさんの絵が展示されていました。
 おばあさんが生きた時代の農家の暮らし、お祭り、家族の集まり、さまざまな出来事が生き生きとした表現の中に現れています。

第1章「アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス」
第2章「仕事と幸せと」
第3章「季節ごとのお祝い」
第4章「美しき世界」 

 素朴派の特徴ともいえる、細かいモチーフを丹念に描き込み、鶏も牛も馬車も、人々の暮らしの中で精いっぱいの生を謳歌しているようでした。構図としては、手前に動物や人物、なかほどに田畑、遠景に山、というモチーフが多く、美術学校などで遠近法とかを学んだ人の目からみると、手前と奥の動物や人物の尺度がちぐはぐなこともあるのでしょうが、おばあさんの目にはそのように見えて、そのように描きたかったのだから、いいんだと思います。


 娘はいつものようにクリアファイルを買い、私は絵ハガキを数枚買いました。モーゼスおばあさんのおかげで、よい正月になりました。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「音読み訓読み月一君宇」

2022-01-08 14:19:55 | エッセイ、コラム

20210926

ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽん語教師日誌>日本語教師養成講座(3)音読み訓読み

 日本語教師志望者に、春庭老師が伝授する中国語母語話者学習者への漢字教育。
 音読み訓読みの区別について、中国人学習者は、「少し中国語に近い読み方、訓読みは全然違う読み方」という理解をしていることが多い。
 「中」はチュン>チュウ、だから音読み。でも「なか」は「チュン」と全然ちがう発音だから、訓読み。漢字ひとつのときは訓読みだから「へやの中へどうぞ」は、「へやのチュン」ではなくて「へやのなか」。でも、「7月の中頃」は、漢字がふたつあるけれど、「チュウごろ」ではなく、「なかごろ」

 やはり、漢字の読み方は難問です。日本語母語話者は、小学校中学校の漢字教育で、音読み訓読みを叩き込まれてきます。「小学校」の小はショウで「小さい」のときは「しょうさい」ではなく、「ちいさい」となることは、義務教育修了者は学習してきます。
 しかし、「音読み」は「おんよみ」と読むのか「おとよみ」なのか、日本語学習者は迷います。なかには、「漢字がふたつあるから、オンドクみ、かな」と思う学習者も。「み」がつかない「音読」だったら「オンドク」なんですけれど。

 音。「オン」「オト」どちらが音読みで、どちらが訓読みか。区別の仕方があります。日本語教師志望者のほとんどは、音読みと訓読みの区別方法をしりません。ひとつひとつの漢字を習うときに音読み訓読みふたつ同時に学習するので、身についており、ひとつひとつの漢字について、音読みなのか訓読みなのか、迷ったことがないのです。では、日本語学習者に「音」の訓読みは「オト」で音読みは「オン」であると、どのように区別させたらよいのでしょうか。

 区別の方法、春庭の日本語コラムでは何度も書いてきたことです。
「ツキイチクンウ 月一君宇」が、音読みの2つめの発音です。「オン」の二つ目「ン」は、「ツキイチクンウ」にあるから、音読み、しかし「オト」の二つ目は「ト」ですから、訓読みです。

 ただし、例外がいくつか。「月」は「ゲツ」「ガツ」も二つ目は「ツ」ですから音読み。しかし、訓読みの「つき」も二つ目が「キ」です。「つき」は訓読みとおぼえてしまうしかない。

 「毎日、かわりないですが、今日は 特別な日、たんじょう日です。わたしにとって、祝日です」
 「日」ひとつでも、「にち、(きょう)、ひ、び、じつ」と、読み分けること、いとも簡単にできている日本語母語話者って、どれだけ小学校中学校の漢字テストで叩き込まれてきたのか、すごいなあと思います。

 ひとつの文字の発音が、文脈によって変わっていくこと、当たり前に思っていることが、世界の文字教育のなかでは特殊なことであり、このような日本語の読み方ができることは、すごいこと、ひるがえれば、日本語学習者にとっては、学習が困難な点なのだ、と、日本語教師志望者にもわかってもらうことが漢字教育の第一歩。

 2021年7月の授業中。
 
 2009年の授業中写真と、2021年授業中写真、自分では見た目変わりなく授業を進めていると思えるのですが、さて、11年の差はどこにでているのか。
 中国では中国語の意味の「老師ラオシー」でした。現在は日本語の文字通りの「老師ろうし」であるのは確かですが、声のでかさは変わっていないと思います。

 このクラスの学生に「思いのほか」という語で短文を作らせたら、「最初にハル先生を見た時は、厳しい先生かと思ったけど、思いのほかやさしい先生だった」と「お世辞交じり」の文を作った学生がいました。この程度の「思いやり」を授業で発揮できるのも、中級の学生ならでは。いえいえ、老師の指導がよろしいのです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「蘭と雪」

2022-01-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

  坪庭の降雪は翌朝もまだのこっていた
20220108
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記新年(5)蘭と雪

 世間様の正月休みも終わりになるころの6日木曜日。池袋サンシャインビル文化会館の7階の古代オリエント博物館にでかけて、帰りに2階で「世界蘭展」という催しを見ました。

 会期:2022/01/06(木)~2022/01/10(月) 

 入口に飾られた寄せ植え


 洋ラン愛好団体による出品の中、優秀作品に賞が贈られ展示されているほか、特別展示として「リカステへの誘い ~その魅力と日本の育種~」というコーナーで南米原産の蘭が、日本の蘭育種家によって美しい花を開かせるようになったことを見せていました。

 元首のリカステからさまざまな育種家が改良し、世界蘭展日本大賞なども受賞するようになった蘭


 香りを楽しむ蘭のコーナーを楽しんだり、関東を中心とした蘭園芸店の出品している即売会のコーナーをひやかしたり。

 華やかな蘭といえば、やはりカトレア


 美しい蘭を楽しんでサンシャインから地下道を通って東池袋に出ると、駅の前は、雪降りしきる冬景色でした。

 東京に雪が降るのは、1年に1度か2度なのですから雪景色を楽しむ余裕があればいいのですが、とびきりの冷気をかんじたので、大慌てで地下鉄乗車。
 雪に弱い東京の交通網。帰りの私鉄はさっそくに遅延が出ていました。早めの帰宅だったので、それほど雪が積もらないうちに帰れました。

 雪の中帰宅。まだあまり積もっていない。一夜の東京都心降雪は9cm


 7日は七草がゆを食べてお正月気分も終わりですが、私の今季授業始めは13日になりました。あとちょっと美術館や映画を楽しみます。

 映画や美術館観覧報告が続きます。絵に興味がない方には御退屈様、となりますが、ご容赦を。もともと世のため人のために書いているんじゃない駄文サイトですから、私自身のメモ用紙がわりのサイト。
 読んでくださる方には、感謝感謝ですが、2022年も世のために役立つことはないながら、細々と歩んでまいります。

<おわり>
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