春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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2014年7月目次

2014-07-31 06:12:10 | エッセイ、コラム


20140731
ぽかぽか春庭 2014年7月 目次

07/01 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(1)同音異義語について
07/02 質問に答えて(2)あなたは、かわいそうです
07/03 質問に答えて(3)スープを飲む薬を飲む息をのむ
07/05 質問に答えて(4)ぜんぜんいい
07/06 質問に答えて(5)ろりめく・ラ行の和語
07/07 質問に答えて(6)桃太郎のお話を話して
07/09 質問に答えて(7)ひらがなカタカナと変体仮名
07/10 質問に答えて(8)白米ごはんライス
07/12 質問に答えて(9)教えられつつ

07/12 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ユリーカ!!(1)マロニエの花とドーパミン
07/15 ユリーカ!!(2)イスカンダルへ
07/16 ユリーカ!!(3)コロンブスの卵につけるめりはり
07/17 ユリーカ!!(4)かき氷

07/17 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>人形愛(1)私のにんぎょうはよい人形
07/20 人形愛(2)四谷シモン人形展
07/22 人形愛(3)her/世界にたったひとつの彼女vs南極1号そして、バッテリーはビンビンな雨上がりの夜
07/23 人形愛(4)生人形その他
07/25 人形愛(5)土偶、人形、フィギュア

07/26 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(1)おひとり様花火
07/27 十四事日記7月(2)猛暑日散歩in六義園
07/29 十四事日記7月(3)打ち上げアジア料理in井の頭公園
07/30 十四事日記7月(4)日本フィル&ダンスinサントリーホール
07/31 十四事日記7月(5)買い物ランチ&チョコレートフォンデュ
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ぽかぽか春庭「買い物ランチ&チョコレートフォンデュ」

2014-07-31 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/31
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(6)買い物ランチ&チョコレートフォンデュ

 7月30日31日 は、もう授業はなくて、仕事は午前中の教科書編集ミーティングのみですから、午後の気分は夏休み。
 30日午後は、家電量販店で買い物をすることになりました。

 娘と息子が「おばあちゃんがようやく説得に応じて、二槽式の洗濯機を全自動に買い換える気分になったので、どの機種をおばあちゃんに選んでもらうか、下見に行く」というのです。そして、我が家の洗濯機も買い換えなければ、という案が浮上しました。

  10年くらい使っているいる洗濯機、洗濯槽は動いているのに、ふたと本体のつなぎ目のところが割れてしまいました。ふたをしめることでスイッチが入る仕組みになっているため、洗濯の途中で「ふたがあいたままなので、選択続行できません」モードになってしまうのです。ふたを何度もあけしめして、ようやく「ふたがきちんとしまったので、洗濯続行します」モードになるのですが、息子が開け閉めするということを聞くのに、私が開け閉めしても「ふたがあいたままなので、、、、」と、言うことを聞いてくれません。
 洗濯槽が動くので私はまだ続けて使いたかったのですが、娘と息子は「世間では、こういう状態の洗濯機は、こわれているとみなす」と主張するのです。

 池袋で待ち合わせ、量販店の7階でランチ。ピザや魚料理を一品ずつ注文して、サラダバーとドリンクバー、デザートバーがつきます。
 私は「鯛のグリル」、娘はチキンソテー、息子はタンドリーチキンピザ。料理は、まあ、普通。可もなく不可もなし。

 娘と息子が喜んだのは、デザートバーのチョコレートフォンデュ。ふたりが言うには、10年くらい前に、お台場に遊びに行ったときのカフェで、はじめてチョコレートフォンデュというデザートを目にしたのだそうです。食べてみたいと思って店に入ったのだけれど、禁煙席にも喫煙席の煙が流れてくるような造りの店だったので、煙くて出てきてしまい、チョコレートフォンデユを食べ損ねてしまった、その後は、チョコレートフォンデュも特別「最新デザート」ということでもなくなってしまい、わざわざ食べる気もなくなって、今回10年ぶりに、チョコレートフォンデュ、リベンジをするのだと。

 マシュマロやミニシュークリームに上から流れ落ちるチョコレートをかけて、デザートを手作りした気分を味わい、自分でソフトクリームのねじりを作って、そこにもチョコをかける。特別味がいいソフトクリームでもなかったですが、自分で渦巻き型をつくれるところが楽しくて、なんだか、おいしい気分になりました。

 洗濯機は、型落ちの特価品を選びました。来週配達の手配をして、おばあちゃんの家によさそうな機種のめあてもして、帰りました。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「日本フィル&ダンスinサントリーホール」

2014-07-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/30
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(5)日本フィル&ダンスinサントリーホール

 知人から招待券をいただき、日本なフィルの夏休みコンサートに行ってきました。7月28日サントリーホール。ダンス仲間のクーさんといっしょです。

 クーさんは、長年介護にあたったお姑さんを見送り、お嬢さんふたりをそれぞれ嫁がせて、ひとりずつ孫を得て、今はご主人とふたりの静かな生活。体を動かすことが楽しくて、ついつい、週に2回のジャズダンス練習のほか、昔やったことのあるバドミントンのサークルにも加わりました。しかし、昨年そのバドミントンの練習中にけがをして、もう1年以上ダンス練習も休んでいます。ときどき見学に来て「私も早く踊りたいなあ」と言うのですが、けがを完全に直してからでないと、次に大きいけがをしたら、歩けなる結果にもなりかねません。

 私も、学生の落とし物を拾おうとして、大学の長机を持ち上げて足の上に落としてしまい、足の親指を骨折したことがありました。たかが足の指だけと思ったのに、思った以上に不自由でしたから、クーさんにも「すっかり回復するまで大事にしてほしい」と思います。
 ダンスはまだ無理だけれど、普通に歩くには不自由がなくなった、というので、コンサートにご一緒しました。

 六本木一丁目からサントリーホールへ。
 コンサートは、夏休みに入った親子のための企画で、パパママといっしょだったり、お孫さんを連れた人でいっぱい。私たちのようなバーサンふたり連れというのは、あまりいなかったのですが、「将来孫がコンサート楽しめるようになるための下見」という顔で1階まんなかへんの席につきました。

 第1部は、ブリテン「青少年のために管弦楽入門」で、子供達がオーケストラの楽器に親しめる曲。第2部は、私たちのめあてのダンスつきコンサート。
 美しき青きドナウ、くるみ割人形よりトレパック、アルルの女間奏曲、ベートーベン7番第4楽章の曲に合わせて、日本女子体育大学のダンスプロデュース研究部と新体操部が、踊りました。

 ジャスダンス公演やモダンバレエ公演など、私がときどき見に行くダンス演技に比べ、バック転タンブリングなど新体操の技が連続し、迫力ある振り付けになっていました。振り付けは山田うんさん。

 第3部は、お客さんといっしょに歌うコーナーで、私も知っている曲でしたから、大きな声で歌いました。トトロのさんぽ、夏の思い出、てのひらを太陽に、森のくまさん、気球に乗ってどこまでも、歌えばんばん、勇気100%。どの曲もおなじみだったりなつかしかったり、久しぶりに大きな声で歌えて楽しかったです。
 ただし、新しい歌はまだ歌えません。でもちびっこたち特に女の子は、アナ雪「レットイットゴーあるがままに」を、みんな歌えるので、なるほど評判通りと、思いました。

 子供たちの間で、これほど「全員が歌える」という歌は、泳げタイヤキ君以来じゃないかしら。歌いこなすのはちょっとむずかしいメロディなのに、みな声を合わせてじょうずに歌っていました。

 最後の曲はウィリアム・テルの「スイス軍の行進」。私の世代にとっては「ハイヨー、シルバー」の曲です。アンコールはラディッキー行進曲。
 たのしいコンサートでした。

 クーさんと、オーガニックカフェでランチ。サラダや煮物など野菜中心のメニューの中から好きなものをトレイに載せ、量り売りでお金を払う方式です。私は、ほっそりしたクーさんの2倍以上食べました。
 食べながら、クーさんのダンスのほかの楽しみ「くじらウォッチング」の話などうかがいました。今年はけがのために行けなかったけれど、クジラを見るには座間味が一番だという話など聞いて、私も行きたくなりました。

 私も、妹といっしょに見る予定の八ヶ岳野外バレエの話などしました。娘さんふたりが結婚してそれぞれにお孫さんができて孫のお世話も楽しんでいるクーさんに、「うちは娘も息子も結婚できそうにないから、孫はあきらめてるんだけど」と、愚痴を聞いてもらいました。

 孫がいなくても、親子の夏休みコンサート楽しかったです。
 おじいちゃんおばあちゃんに連れられて参加したお孫さんにも、いい夏休みになったことでしょう。
 あと、教科書編集の仕事は夏の間もありますが、私の受け持ち授業は、7月29日が今期最後の授業。さあ、8月は夏休み。のんびりします。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「打ち上げアジア料理in井の頭公園」

2014-07-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/29
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(4)打ち上げアジア料理in井の頭公園

 おおかたの小中学校は7月18日に一学期終業式をして通信簿をもらい、通信簿が良くても悪くても、19日土曜日からは夏休み、という学校が多いのに、大学は、文科省が「大学では1学期の授業数、15週確保せよ」というお達しを出したために、7月いっぱい授業するという大学も増えました。私は29日火曜日が授業の最終日ですが、8月に入っても勤務しなければならない非常勤講師もいます。来期は首を切られるかもしれない非常勤講師たちは、「夏休みが短い」なんていう文句を言ったりしませんけれど。仕事があるだけましと思って働いています。はい。

 女性の活用云々を言うなら、パートや非常勤で不安定な勤務を続けている女性に定職を与えてほしい。と、愚痴を言いつつも、非常勤講師打ち上げの食事会に参加しました。

 28日月曜日は、午前中初級日本語教科書編集ミーティング。午後、日本語音声学イントネーション&アクセントの指導法講習会。
 OJAD(Online Japanese Accent Dictionary)というネット上のアクセントイントネーション音声辞書サイトを使って、留学生に日本語の指導をしていく方法について講習を受けました。私も、日本語音声学の授業を受け持ってから早10年がたちますが、インターネットを利用した指導というのは、今回初めて体験して、とても参考になりました。さっそく秋にスタートする日本語音声学や日本語教授法の授業で、利用してみようと思っています。

 講習会が終わってから、吉祥寺井の頭公園へ。公園の中のカフェで打ち上げ食事会です。
 メニューは、アジアンエスニック。ベトナム、タイ、インドなどアジアの料理がいろいろ楽しめます。
 料理と生ビールで3300円。マグロカルパッチョ、生春巻き、春雨サラダ、トムヤムクン、ビーフのタイ風炒め物、ココナツグリーンカレー、シャーベット、というコースでした。本場の味を知っている人たちのグループなので、「このグリーンカレーはもうちょっと辛い方がおいしかった」と言っていましたが、私には十分辛かった。普段娘の作るまったく辛くないシーフードカレーなどを食べているので、辛いのには弱くなっているのです。

 夜の井の頭公園を通るのは初めてのこと。女性10人のグループでわいわいおしゃべりしながら池の橋を渡ったのでこわくもなんともなかったけれど、お一人様散歩だと、ちょっと夜の公園はパス。たまには団体でわいわいももいいものです。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「猛暑日散歩in六義園」

2014-07-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

真夏の六義園

014/07/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(2)猛暑日散歩in六義園

 猛暑日の7月26日土曜日。東洋文庫へ出かける途中、駒込駅と東洋文庫の間にある六義園に立ち寄りました。
 ふと、「六義園に入るのは春のしだれ桜、初夏のツツジ、秋の紅葉。毎年同じ時期になっており、そういえば、真夏の六義園に入ったことなかったなあ」と、思ったので、ふらりと中に入ってみたのです。

 柳沢吉保以来の木々が生い茂る六義園の中は、ちょうどよい木陰ができており、周囲よりは体感気温は数度低い。さらに、お手洗いによって、ジーンズの足に水をぶっかけて濡らしました。Tシャツの上半分を水で濡らして、UVカット帽子の中には濡らしたタオルを入れ、これで準備OK。気化熱で数度は体感気温が下がるはず。
 ペットボトルの水(東京の水道水)も持っているし、これで「六義園散歩中のオババ、熱中症で倒れる」なんてことにはならないでしょう。いざ、猛暑日の散歩です。

 真夏の光がふり注ぐ梢。葉っぱが光を受け止め、木漏れ日を園内の散歩道に散らしています。光と影のモザイクがとても美しい。


 いつもは、しだれ桜を見たり、ツツジを見たりするのに忙しいから、ゆっくり見たことがなかった茶屋、四阿にも寄ってみました。
 これらの建物は、柳沢家由来ではなく、維新後、都内の大名屋敷を明治政府から払い下げられた岩崎家由来のものでした。荒れ果てていた六義園に相当な私財をつぎ込んで庭園として復興させ、東京都に寄付したということです。「この建物は文化財です」という注意書きがあり、柱はツツジやサルスベリの木を使っていて、成長の遅いツツジを柱に使うなど、贅を尽くしたものなのだという説明です。
 腰を下ろして休むのも、遠慮しいしい。


つつじ茶屋の天井


 池の亀だか鯉だかを夢中になって見ている三人組。

 日本人の男の子だったら、真夏の日本庭園に連れだって来ることはないような、気がする。中国または韓国などアジア圏からの観光客か留学生かな。

 一休みするのにちょうどいい六義園でしたが、休憩した滝の茶屋は池の横にありました。滝は涼しげでしたが、池はボウフラ天国のようで、蚊に襲撃されました。ふらりとよったので、蚊よけスプレーなど用意していなかった。悔しいので、「私の血を吸うなんていう不埒な蚊は、きっと食中毒を起こして腹痛に苦しむであろう」と思うことにします。私の血なんだから、毒にきまっているでしょ。猛暑日だし、血液どろどろです。

蚊の襲撃にもめげず一休み中


 六義園の夏の花。名残のあじさい、サルスベリなど。




<つづく>
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ぽかぽか春庭「おひとり様花火」

2014-07-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

葛飾花火大会

2014/07/26
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記7月(1)おひとり様花火

 7月22日火曜日。授業では、父親は韓国人で母親は日本人の家庭で、9歳までは韓国で育った日本人女子学生が、外食文化の違いについて発表。日本で無料になるのは、カレーライスの付け合わせの福神漬けとか、牛丼の横のたくわん2きれくらいですが、韓国の食堂ではテーブルに何種類も出ている付け合わせのおかずは、何品でも何回でもおかわりができます。そのかわり、食後のお茶が日本では無料サービス。韓国ではほとんどが有料で、無料のお茶はまれ。

 また、韓国では外食と言えば、家族や仲間でわいわいと大勢で行くのが外食であって、ひとりでレストランや食堂に入ることはない、ということを言っていました。日本ではサラリーマンの「孤独のグルメ」とか、学生の「ぼっちメシ(ひとりぼっちで昼食をとる学生の食事形体)」も存在しますが、韓国でぼっちメシをやったら、異常な人と思われてしまうし、田舎の食堂などでは、一人でふらりと入店すると、席がいっぱい空いていても「予約がいっぱいなので、よそへいってくれ」なんていう店主もいて、おひとり様は歓迎されない。

 韓国から日本に来た留学生にとって、おひとり様文化が日本に広がっていることを「気楽でよい」と受け止められるか「一人ですごすなんて、いたたまれない」と感じるかで、日本滞在の居心地よさが変わってくるようです。

 「日本では、ひとりカラオケもあるし、女性一人旅のための旅館などもでてきました。私は、今夜はひとり花火です」と、言ったら、中国人学生も日本人学生も「花火でひとりはムリ」と言いました。なにが無理なんでしょう、私はときどきひとりで花火を楽しみっます。

 夏の夜の楽しみ。ピール片手に縁台将棋が一番、という人もいるでしょうし、蛍見物をする、という人もいるでしょう。私は、この夏、区民プールが夜間オープンする日に、星空ながめて背泳ぎ三昧もやってみたい。
 でも、ど~んと大きな楽しみは、ど~と鳴った花火、きれいだな、です。私の夏の楽しみの第一番です。

 2013年娘と東京湾花火、2012年一人で葛飾区柴又花火、2011年娘と東京湾花火。なんだかんだで、毎年花火大会を楽しんでいます。去年も葛飾柴又の花火をひとりで見に行くつもりでいたのですが、雨で中止でした。
 2014年7月22日、、仕事帰りのひとり花火見物、行ってきました。葛飾花火大会。



 柴又駅から帝釈天通り抜けて、江戸川河川敷へ。土手の斜面に腰を下ろすと、周りはカップルばかり。ま、いいか。

 7時半から8時半まで、14000発の花火を楽しみました。
 一番よかったのは、コンピュータ制御花火ならではの、ベートーベン第九の合唱に合わせた花火打ち上げです。曲にぴったりあわせて、様々なリズムでクレッシェンドだったりフォルテッシモになったり。見事でした。

 おひとり様でも花火はたのしい。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「生人形その他」

2014-07-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/23
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>人形愛(4)生人形その他

 生人形(いきにんぎょう)については、下記URLに書きました。
 http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/5866870bc6a05751e3d5a9f948a972d5

 また、日本画か松岡映丘をモデルとした生人形。現物は保存されていないですけれど、撮影されたものが残っていて、松岡映丘展を練馬美術館に見にいった際に、展示されていました。


 日本に残されていた生人形はほとんどが、戦火により焼失、または散逸廃棄されてしまったそうです。アートとして扱われていなかったために、人体模型として古くなれば、そのまま捨てられてしまった。
 世界のどこかの博物館美術館、大学医学部の人体標本室などに埋もれている可能性もあります。見つけ出して、まとめて保存したいです。

 生人形の展覧会、熊本や大阪で何度か開かれていたのですが、見ていません。東京でやってくれないかなあ。
 松本喜三郎(1825-1891)、初代安本亀八(やすもと かめはち1826-1900)らの作品画像はこちらに。(現代作品の画像もまざっています)
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%9F%E4%BA%BA%E5%BD%A2&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP550JP550&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=iqnNU4a0OM668gWcwYKIDQ&ved=0CB0QsAQ&biw=688&bih=371

 現代の生人形。大阪大学の石黒浩教授によって制作されたアンドロイドが、落語を語るのを、昨年2013年8月に書いた現代美術のリポートで紹介しました。
 NTTコミュニケーションセンターで開催された「アノニマス名を明かさない生命」展(展示期間:2012年11月17日~2013年1月14日)に展示されていた「落語を語る米朝アンドロイド」です。展示されているアンドロイドは動かなかった。テレビモニターで落語を演じている米朝を映していました。落語を全部聞きたかったのですが、「アノニマス名を明かさない生命」を見た日は、ほかの展覧会もはしごで回ったので、立ち止まって聞いていたのは、10分ほどでした。観客は私一人でした。

 まだ一体8000万もするというので、AIラブドールにして利用するのは無理でしょうが、昨今の急速なロボット産業の進展によれば、何年かのちには。きっと。

米朝アンドロイド 

 人形好き。最近見たのは、東京都美術館で開催していたグループ展。『21世紀アート・ボーダレス展』私の知らない人形作家の作品がいろいろ出ていました。

 与左右衛門(1953~)「SAKURA」


小峰恵子「夏の夜の夢」私の身長より大きな人形です。


中西京子「トゥランドット姫」


さかもとえつこ「レースドール」



<つづく>
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ぽかぽか春庭「her/世界にたったひとつの彼女vs南極1号そして、バッテリーはビンビンな雨上がりの夜」

2014-07-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140722
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>人形愛(3)her/世界にたったひとつの彼女vs南極1号そして、バッテリーはビンビンな雨上がりの夜

 最近の若者は、アニメや漫画などの平面に現れる画像に「萌える」、さらには2次元の彼女を相手に本気で恋をする、という話題は、すでにニュースにもならない。
 しかし、この夏、モニターの中のAI(人工知能)との恋を描いた「her/世界にたったひとつの彼女」がヒットしたというのは、ニュースになっています。スパイク・ジョーンズ監督はインタビューに答えて「恋人の設定が人工知能なだけで、これは恋愛映画」と述べた由。

 私は未見ですが、予告編によると。
 主人公セオドアは離婚後も傷ついた心を癒やせないままでいましたが、人工知能型OS(AI)であるサマンサ(声:スカーレット・ヨハンソン)と、言葉を交わすようになってから、生気をとりもどし、生き生きとした生活ができるようになります。やがてモニターの中から声だけを伝えてくる彼女に恋愛感情を持つようになります。
 身体なきサマンサを恋する気持ちは、どうなっていくのか。AIサマンサが恋人として相手にしているのは、セオドアだけではない、という当然の事実を知ったあとは、、、、

 体を持たないAIとの恋との対極にあるのが、心を持たない(言葉での応対をしない)人形を愛するお話です。
 ギリシャ神話に登場するキプロス島のピュグマリオーン王は、この世の現実の女性に失望していました。王は自ら理想の女性ガラテアを彫刻し、朝夕眺めて暮らすようになります。最初は裸体で掘りましたが、ガラテアに感情移入すると、服を着ていないことに恥ずかしさを覚え、服を彫り入れます。そしてピグマリオン王はガラテアに恋をするのです。

 以来、人形を愛する話はいろいろ作られました。バレエ作品なら「コッペリア」とか。
 映画『空気人形』は、空気を入れて膨らませて使うタイプのラブドールが、人の心を持つというストーリー。
 私はダッチワイフというほうに耳が慣れていますが、ダッチとはオランダのことなので、今はトルコ風呂をソープランドって言うみたいに、国名関係を風俗ものの名につかうのはNGみたいです)

 単純な射精欲だけを満たすものなら、シリコン製のラブドールだのアンドロイドだの、南極1号以来、さまざまなタイプが進化開発されているのでしょう。
 けれど、ラブドールだけでは、人の欲望のもうひとつのもの、認証欲を満たせない。

 「自分の存在をかけがえのないものとして認め、自分のよい点を褒め、励ましてくれる」という、従来は親とか神とか世間とかが担ってきた役割。
 はたしてAIによる代行で人は認証欲が満たされるのだろうか。セオドアにとってサマンサは唯一の「自分をわかってくれる存在」であっても、サマンサにとってはそうではない。まあ人間同士なら一方にとっては恋で、他方にとっては「その他大勢」の片思い。片思いも恋はこいなんだろうけどね。という興味で映画を見てみます。

 サマンサタイプのAI、もうちょっとモバイル性能を向上させれば、ラブドールに組み込むことができて、会話しながら使用するのも可能じゃね?日本のすぐれたロボット技術なら、もうそこまで研究はきていると思います。

 で、形而上的なほうでは、身体性の問題とか「間身体性」とか「間主観性」とかを哲学者とか社会学者があれこれ云々するに違いない。
 形而下のほうだと、ラブドールをめぐる三角関係とか起こって、殺し合い事件などが起こり、最愛のラブドールを破壊してしまった罪への慰謝料は、ペット殺しの場合に相当するのか、単なる器物損壊かなどをめぐって、司法見解も分かれるだろうし。家族同然に愛していたんだから、器物損壊への罪だけじゃ足りない、じゃ、法の整備もせねば、、、、

 そこで問題になるのは、壊れたラブドールの記憶媒体をそっくり同じタイプの新品ラブドールに組み込んだものは、もとのラブドールと同一と言っていいのかどうか。そうなると唯一無二性の定義も変わってしまうし。「私」と「他者」の定義でまたいろいろたいへんだ。というわけで、ラブドール問題とは、「間身体性」とか「間主観性」とか、めんどくさいのであります。

 私が考えてもわかんないんで、ここはひとつ忌野清志郎「雨上がりの夜に」でも聞きながら、お過ごしください。あ~、特に選曲に意味はありません。「今夜のおかずはなんだよー」と思いながら牛乳を買っていたら、スーパーの店内に流れていた曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=AW4MiYudAJI

 7月22日の朝刊によると、倉敷の女児誘拐事件。藤原武容疑者は、「防音装置の部屋の中で女児を好みの女性に育てたかった」と、誘拐動機を供述しています。
 う~ん、日本文学には、『源氏物語』から『痴人の愛』『東京doll』までの、「少女を好みの女性に育てたい」願望文学があります。

 私の勝手な解釈によれば、これはマザコンの裏返し現象であり、成熟した一人前の女性と対峙できない、弱っちい男のコンプレックスの表れです。(ここで用いているマザコンは、現代日本語の四音節省略語としての俗用マザコンであって、フロイトのいうエディプス複合の俗流翻訳としての用語ではありません。為念)

 数え年10歳の女児「若紫」を誘拐して好みの女性に育て上げた光源氏以来の「人形愛」があるので、ときどき現実に妄想してしまうこういうおばかな男が出てくるのですが、妄想は文学に昇華してほしい。谷崎もナオミの成熟成長を描き、紫式部も「若紫」が人形のよう愛らしい少女から自立する過程もきちっと描いているのはさすがです。

 現代日本の俗用の「人形愛」には、人形を人間のように愛する、という用いられ方と、人間を人形のように愛する、という用いられ方があるのですが、光源氏や藤原容疑者のは後者。私の今回のシリーズは、前者ですから、人間を人形のように扱うほうは、論外と考えます。

 人形を恋愛の相手にして愛するのは、趣味嗜癖の範囲として認めますが、人間の女性、少女を人形のように扱うことは、断じて許しません。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「四谷シモン人形展」

2014-07-20 06:01:58 | エッセイ、コラム


20140720
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>人形愛(2)四谷シモン人形展

♪わたしの人形はよい人形。
目はぱっちりといろじろで、
小さい口もと愛らしい。
わたしの人形はよい人形。

♫わたしの人形はよい人形。
歌をうたえばねんねして、
ひとりでおいても泣きません。
わたしの人形はよい人形。

 歌いながら人形遊びをした日々、姉や妹とすごした少女のころを思い出します。
 私は、人形遊びも好きでしたが、人形を見るのも好きです。しかし、娘は、「自分が手に持って遊ぶなら人形もかわいいけれど、ただ部屋において眺めたりする人形はこわい」というのです。

 娘が幼いころは、狭い部屋に雛壇は飾れないまでも内裏雛だけでも部屋に飾ったのに、娘が「人形を飾ると、人形の目に見据えられてしまうようでこわい」と言うのです。いつのまにか、3月に内裏雛も飾らなくなりました。
 娘の人形嫌いは、人形がなにか悪さをするホラーを見てのトラウマらしいです。私はホラーが怖くて大嫌いなので、娘に見せたことはないので、いったいどこで人形が出てくるホラーを見たのかは、わかりませんが。

 娘はぜったいに「こわくて見ていられない」というだろうから、ひとりで見にいった展覧会。四谷シモン人形展。って、アート散歩はいつも一人なんですけれど。

 6月9日、仕事が終わってから横浜に行きました。横浜そごうで開催されていた「四谷シモン人形展」を見るためです。招待券をもらったので。
 私にとって四谷シモン(1944~)は、状況劇場の舞台写真で女形として活躍するのを見たのが強い印象に残っていましたから、舞台人かと思っていたのですが、実は人形作りのキャリアのほうが先で、役者のほうが「わきの仕事」だったのだと、後年知りました。
(乱闘事件などもおこした唐十郎の状況劇場と寺山修司の天井桟敷のうち、私は寺山派でしたから、天井桟敷の芝居は見ましたが、寺山に義理立てして、唐十郎は生でみたことなかった。四谷シモンの舞台見ておくんだった)

 竹橋の近代美術館工芸館の建物が好きでよくでかけます。四谷シモンの「解剖学の少年」が常設ではありませんが、ときどき展示されていて、若者用語でいうところの「こわかわいい=怖いけれどもかわいい」思いで見てきました。でも、今回のようにまとめてシモン人形を見るのははじめてでした。

解剖学の少年(1983)近代美術館工芸展所蔵


 怖かわいい人形がたくさん並んでいました。怖かわいいというか、グロ怖かわいい(グロテスクで怖いけれどかわいい)のも多かったです。
 「写真撮影していいですよ」のコーナーもありましたが、展示作品は撮影不可。次の写真は、許可なし撮影です。




 シモンの工房再現は、撮影OKのコーナーでした。






工房テーブルの上には、制作途中という風情の首


 仕事帰り、デパート閉店までの間の短い時間でしたが、四谷シモン作品の全容を知ることができて、よかったです。買うお金があるなら。ひ弱な私は、上より下を買うかな。

慎み深さのない人形8(1975) 

     

<つづく>
 
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ぽかぽか春庭「私のにんぎょうはよい人形」

2014-07-19 11:11:11 | エッセイ、コラム

名古屋市に現存する青い目の人形

20140717
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>人形愛(1)私のにんぎょうはよい人形

 先日、リカちゃんハウスの記事が新聞に載っていました。娘は新聞の写真を見て「わぁ、なつかしい。わたし、これ持っていたんだよね」と言いました。「買ってもらったとき、チョーうれしかったんだ」
 私が買ってあげたのではありません。

 最初に私が中国に単身赴任したとき、20年前のことです。9歳だった娘と5歳だった息子を、妹のモモ一家に半年間預けて、単身が条件だった仕事を引き受けました。
 舅姑の親族は、夫に収入がないことを知らず、「子供を捨ててまで自分のしたい仕事をする母親」と暗に非難していたことは知っていましたが、そんなこと気にする暇もないほど追い詰められていました。この仕事がなければ、一家心中でもしなければならないところでした。

 モモは、息子の保育園お遊戯会の衣装を手作りするやら大わらわだったことを、今でも「大変だったんだからぁ」と言いますが、もちろん、感謝し続けています。モモは娘にやくそくしました。「お母さんがいない間、がんばって弟くんのお世話をちゃんとできたら、リカちゃんハウスを買ってあげる」
 夏休みになって、モモが娘息子を中国に連れてきてくれました。娘の第一番の報告は、「リカちゃんハウスを買ってもらった」でした。

 極貧生活の我が家、娘が着る服もおもちゃも、すべて娘の従姉たち(私の姉の娘ふたり、妹の娘ふたり)のお下がりでまかなっていました。私が新しいものを買ってあげたことはほとんどなかったので、買い物大好きのモモが、その半年の間に新しい服を次々に買ってくれたこと、娘にとっては、「服って、お店で買うものなんだ」と、新世界だったようです
 そしてついに「リカちゃんハウス」を買ってもらいました。

 広げると畳半畳くらいの大きさになる「豪華人形の家」でした。4人の従姉からのお下がりバービーやらリカちゃんやらが10体も暮らしている家。残念ながら、2DKの我が家では、広げると寝るところがなくなってしまうため、めったにフルオープンはできませんでしたけれど。

 私が育った実家はお金持ちではなく、ごく普通の会社員の生活でしたが、私の姉は独身の伯母に金銭つぎ込まれて育ち、人形でも服でも靴でも「あれがほしい」と、ねだって買ってもらえなかったことがありませんでした。一方私は、毎月母がこども雑誌を買ってくれることで満足していたので、ほかのものを「ほしい」と思ったことはありませんでした。
 子供の頃、私が父にねだった唯一のこと。「家には、犬と猫がいるけれど、わたし、ほんとうは馬、飼いたい」というのが、一番のおねだり。速攻却下されましたが。

 そのほかで、「ほしい」とねだって買ったもので思い出に残っているのは、東京の三越本店で買ってもらった「ミルク飲み人形」です。小さな哺乳瓶の水を口に当てると、人形の口に入っていき、ビニールのクダを通っておしめがぬれる、ただそれだけの人形なのですが、当時としては最新式。
 5歳年下の妹が人形をほしがるころには、もう当たり前になっていて、田舎町のおもちゃ屋でも売っていましたが、私が三越で買ってもらったときは、田舎のおもちゃ屋には売っていない「ハイカラ」人形だったのです。

 姉とのままごと遊びや人形遊び。田舎の家の縁側で、母に端切れをもらって、手縫いで人形の服を作りました。姉はミシンが使えるようになると、ミシンを使ってと
ても器用にフリルのついたスカートやフレアースカートを作りました。私は、いつも直線裁ちの、昔でいう「アッパッパ」というズドンとしたワンピース一本やり。脇を縫って裾をまつればできあがり。人形が裸でなければそれでいいのです。

 長じて、私のファッション感覚「冬は寒くなければいい。夏は裸でなければいい」となり、姉は中学生になるとファッション雑誌を毎月定期購読するおしゃれ少女になって、高校生になるとファッション雑誌についている付録の型紙をつかって、自分のスカートなどを作っていました。私は中学家庭科の課題で、パジャマを作らされたとき、右前身頃を2枚作ってしまい、布地を買い足さなければならなくなって、それ以来洋裁には縁なく暮らしてきました。

 でも、後年、娘のリカちゃんたちのためには、人形の服作りも、けっこうがんばったのです。下手でしたけれど。
 娘は、「おばあちゃんに、リカちゃんの浴衣とウェディングドレスを作ってもらって、うれしかったなあ」と言います。
 娘は、その恩に報いるべく、嫁にもいかず、卒寿ばあちゃんのお世話に励んでいます。
 娘のリカちゃんハウスは、妹が運営に携わっていたNPO「学校に行かない子供のための居場所、Sハウス」に寄付して、低学年の女の子たちのためには、役立ってきたのではないかと思います。

 思い出の人形。私のミルク飲み人形、娘のリカちゃんバービーたち。
 生きていれば今年97歳になるはずの私の母にも、思い出の人形がありました。(母の年は54歳でとまっていますけれど)
 母が折りにふれて語ってくれた、小学校時代の思い出の人形。学校代表として朝礼台の上で校長先生から手渡された「青い目の人形」です。

 全国で12,739体の人形がアメリカから友好のあかしとして日本の小学校幼稚園に贈られたそうです。
 小学生だった母、どれほど晴れがましい思いで人形を抱きしめたことでしょう。残念ながら、母がだっこした青い目の人形は、現存の記録にはありません。戦時中に「敵国のもの」として廃棄してしまった校長先生もいたとか。
現存している「青い目の人形」は、今年で87歳になるんですね。

 昔、女の子だった人、みな心の中に「わたしのにんぎょう」がいるんではないかと思います 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「かき氷」

2014-07-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140717
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ユリーカ!!(4)かき氷

 学生の発表からも、新たに知ることがたくさんあります。
 毎期、学生に伝えていること。
 教室で講師の講義を聞いているなんていうのは、勉学のほんの一部にすぎない、自分で日本語について不思議に感じたこと、日本文化について知りたいと思ったこと、それを見つけるお手伝いをしているのが講師の講義であって、自分から日本語に向かい合う気持ちが養成できれば、講師の仕事は半ば終了、と学生に伝えています。

 学生が自分で疑問を探し出すこと、自分で調べること、それが一番いい教育だと信じています。どんなことも調べればたいていの疑問質問の解答が見つかるご時世になったとはいえ、何も疑問を感じなければ、ことばに立ち向かう姿勢は生まれません。

 学生発表の一例。
 今期「かき氷」を発表テーマにした学生がいました。
 おいしい「天然氷」の店の評判を聞いて、友達といっしょに食べに行った。天然氷は、人造氷と異なって、薄くうすく削ることができるので、かき氷はフワフワの状態に仕上がる。とてもおいしかったけれど、友達と話していて、「いつごろからかき氷って食べるようになったのか」という疑問を感じたのですって。

 学生のレポートは、「枕草子四十段」から始まりました。(写本のちがいで、39段に数える本もあり)
 そうそう、清少納言も「かき氷、高貴な味よね~!」って書いています。かき氷について知りたい日本語日本文学専攻学生なら、まず、ここから始めるのは、妥当ね、と、講師はだまって発表に聞き入りました。

 あてなるもの 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。雁の子。
 削り氷(ひ)に甘葛(あまづら)入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。
 水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。
 いみじううつくしき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。
 by清少納言

 新しい銀の器に、薄く削った氷をいれて、甘葛(あまづら)をかけたものが、清少納言にとって、なによりも高貴で上品なもの、と記されています。

 古代、氷は、貴重なものでした。冬に凍った氷を夏まで氷室で保管し、京の都まで牛車などで運んだのでしょうから、中宮定子であっても、夏のあいだそうそう何度も食べられない高価な食べ物だったことでしょう。定子お気に入りの清少納言も、どれほどお相伴にあずかることができたやら。高嶺の花の「削り氷」、あこがれだったことでしょう。

 学生の発表は、昔なら庶民の口にはとうてい入らなかったかき氷を、今は学生の身分でも手軽に食べられる幸せを述べ、かき氷に興味を持って調べたおかげで、高校のとき古典の時間に読んだきり大学生になって読み返していなかった枕草紙に再びめぐりあったことを喜んでいると、結ばれました。

 ちなみに、天然氷天然蜜のかき氷は、東京は日暮里の「ひみつ堂」で900円だったよし。う~ん、やはり人造氷の2倍はしますな。私の子供の頃、かき氷は一杯5円でしたが。

 枕草子の「削り氷」は、知っていましたが、鎌倉時代の文献にはかき氷のたぐいは出てこなくなるのだということ、学生の発表によって知りました。私の専攻は古代文学だったので、中世のかき氷の知識が不足していました。

 学生の発表では、アマヅラとは、ツタの樹液を煮詰めて作る古代の甘味料、と紹介されていました。
 さらに調べてみると。奈良時代に鑑真が唐より砂糖をもたらしたと伝わっていますが、平安時代には砂糖の普及はまだまだ。干し柿の白い粉や、アマヅラが最高の甘味でした。
 しかし、砂糖が広まって以後は、あまづらは忘れ去られていました。近年アマヅラを復元した人がいます。ツタの樹液を煮詰めると十分な糖度が得られるけれど、おそろしく人手がかかる作業で、とてつもなく高くつく甘味料なのだそうです

 以下は、学生発表にはなかったことですが、講師補足として付け加えた古代の氷についての解説。

 中宮定子が「削り氷」を食べるのを目撃して、清少納言は「なんと高貴な食べ物か」と感激したようなのですが、残念ながら、紫式部は「削り氷」を見たこと食べたことはなかったようです。『源氏物語』にも、『紫式部日記』にも、削り氷は登場しないのです。

 『源氏物語』蜻蛉(かげろう)の巻」。夕暮れの宮中のシーンに氷が出てきます。
 薄絹の着物をまとった女性たちが、氷室から取り出した氷を「かち割り」にして紙に包み、胸や額などに押し当てて涼をとっていると、紫式部は描いています。

 また、平安時代の氷の利用法として、夏に氷水をご飯にかける「水飯(すいはん)」という食べ方がありました。冬のお茶漬け、京のぶぶ漬けの夏バージョン。
 源氏物語「常夏(とこなつ)の巻」には、光源氏の息子夕霧が友達たちと水飯をかき込んでいるというシーンがあります。光源氏は、息子たちが水飯かきこんでいる隣で、お酒を飲んでいます。
 このように、紫式部も氷は知っていたのですが、ついに「削り氷」は『源氏物語』に登場しません。

 「氷室から取り出される貴重な氷」は知っていた紫式部も、一条天皇や中宮彰子が食べたのかもしれない削り氷を、見たりお相伴したりするチャンスがなかったのではないか、とも思えます。中宮彰子の父は、並ぶ者なき権勢を誇った藤原道長ですから、削り氷を天皇と愛娘に献上する資力は十分にあったはず。

 自分の見聞を作品中に生かしたいのが小説作者でしょうから、長い「源氏物語」のどこにも削り氷に甘葛をかけた食べ物が登場しないのは、さすがの紫式部も、かき氷には無縁の一生だったのかと。

 古代の文献で、さらに古くは。
 古墳時代、紀元後400年頃。「日本書紀」仁徳天皇62年の条に、氷室(ひむろ)の氷が出てきます。
 額田大中皇子 (ぬかたのおおなかつひこのかみ、父は応神天皇) が、現在の奈良県天理市で鷹狩りの最中に氷室を発見し、その氷を天皇に献上した、という記述があるのです。

 日本書紀は、ある説にいわく、として、さまざまな伝説が併設記載されています。仁徳天皇の事跡であるとして付け加えられている伝説なのですが、実際に仁徳天皇の時代のことであったかどうかは、わかりません。でも、古墳時代にも氷室はあったのだろうと推測できます。暑い時期には、お酒に氷を入れて飲むのが古代の消夏法でした。

(仁徳天皇62年》原文は漢文。
 仁徳天皇の異母弟、額田大中彦皇子が、闘鶏(つげ=現在の奈良県天理市福住町)で狩りをした。皇子が山の上から野の中を見ると、室があった。使者を遣わして確かめると、「たしかに窟(むろ)です」と言う。闘鶏稲置大山主(つげのいなぎおおやまのぬし)を呼んで「あの野の中にあるのは何の窟だ」と問うと、「氷室です」と答えた。皇子が「その納めたは様子はどうなっているのか。またどのように使うのか」と言うと、「土を掘ること一丈余。萱をその上に葺き、厚く茅すすきを敷いて、氷を取ってその上に置きます。夏を越しても消えません。熱い時期に水酒に浸して使います」と言った。皇子はその氷を持っきて御所に献上すると天皇は喜んだ。これ以後、師走になるたびに必ず氷を納め、春分になると氷を配った。by日本書紀 仁徳天皇六十二年是歳条

 伝説の時代から歴史時代に入ると。
 近年発掘研究が著しい木簡に、氷の記述がありました。
 奈良時代の長屋王の館あとから、多数の木簡が発見されましたが、そのひとつの木簡には「都祁氷室(つげのひむろ)」と書かれたものも見つかっています。奈良時代、現代の天理市つげの山中には、天皇家や貴族たち御用達の氷室が多数できていたのでしょう。毎年、つげの人々は、氷を奈良の都まで運んでおり、氷室のはじめを問われると、伝説の仁徳天皇に寄せて氷献上のはじまりが語られてきた、というところかと思います。

 学生が、「かき氷がおいしかったので、思いがけず枕草子を読み返すことになり、日本文化の奥深さを再認識した」と発表の感想をレポートにかいているのを見て、私も、学生に、「ユリーカ!わかったぞ」という気持ちを味わってもらうことができたかと、うれしく思います。

 高校時代までのように、先生の教えたことをせっせと暗記して期末試験でいい成績をとる、というのと、大学で勉学するのは、ちがうのだ、大学では自ら問題を見つけ出して自ら答えを探し出す、ということを、学生に伝えられたら、今学期の授業も成功です。ユリーカ!の喜びは、それが就活に直結せずとも、金儲けにはならなくとも、一生の宝物になると信じています。

 さて、かき氷でも食べにいくか。今学期がんばって仕事をしたごほうびに、900 円の天然氷天然蜜のおいしいかき氷を。

 映画「めがね」に登場するサクラさんのかき氷
  今まで見た中でいちばんおいしそうだった


<おわり>
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ぽかぽか春庭「コロンブスの卵につけるめりはり」

2014-07-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140716
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ユリーカ!!(3)コロンブスの卵につけるめりはり

 日本語講師室の先生たちのおしゃべりを聞いていても、そうだったのか!と教えられること多々あり、私の乏しい脳の襞がちょっとは深く刻まれたかな、と感謝しております。
 先生たちのおしゃべりで愉快なのは、留学生による日本語の誤用勘違い編。漢字でも慣用句でも、日本語母語話者の思いもよらぬ発想で、さまざまな誤解を披露してくれる留学生たちの「愉快な日本語」を教えあって、みなでおもしろがります。

 7月14日の講師室で。
 「コロンブスは新大陸を発見して、そこがインドであると信じていた」という文章にかなをふる漢字のテスト。
 ある留学生の解答。ハッケン、シンじる、は合っていたのに、新大陸には「しんおおさか」というふりがな。

 留学生の思考回路をたどると。
 「新」と「大」までは「見たことある漢字」と思い出したけれど、「阝」の漢字、なんだったけな。「新大○」に当てはまる漢字の中で思い出したのが、関西旅行に行ったときの駅名「新大阪」。そうだ、「阝」があったよな。これはきっと「しんおおさか」に違いない、と沈思黙考推理推測の結果のふりがな。

 いっしょうけんめい考えたんだろうなあ。でも、「どうしてコロンブスが新大阪をハッケンするんだよっ!」なんていう突っ込みをする余裕はなかったのでしょうね。

 日本語スピーチの練習をさせていた先生の話。「ずっと一本調子でスピーチしているので、もっとメリハリをつけなさいって言ったら、めりはりって何ですかって逆にきかれちゃって。もっと強弱をはっきりさせて、盛り上げるところと、そうでもないところを分けなさい、って答えたのだけれど。あれ、なんでめりはりっていうのかなって、自分でも気になっちゃって、そのあとのスピーチ指導は上の空」

 講師の先生方、すぐに電子辞書やiフォンのネットサイトで検索。
 メリハリは、「メリカリ」が転じた言葉である。
 「メリカリ」とは、低い音を「減り(めり)」、高い音を「上り・甲(かり)」と呼んでいた邦楽用語のひとつで、現代では、主に尺八などの管楽器で「浮り(かり)」が使われている。
「減り(めり)」は、「めり込む」など一般的にも使われていた語であるが、「上り・甲」は、邦楽以外で使われることがなかったため、一般では近世頃より「張り」が使われ、「減り張り(めりはり)」になり、「仕事にメリハリをつける」など、比喩的にも用いられるようになった。
by語源由来辞典

 という語源を教えてくれました。なあるほど。またひとつ脳の襞が、、、
 日頃気にせず話している日本語。留学生に教えるという仕事のおかげで、毎学期、留学生からも先生方からも、教えてもらうことがたくさんあって、ずいぶんと「新大陸発見!」のひとときがありました。

 コロンブスが発見したのは大陸ではなくて、カリブ海の小さな島にすぎなかったということで、大陸にはアメリゴ・ベスプッチの名にちなむ「アメリカ」がつけられてしまいましたが、うん、何事もコロンブスの卵。めりはりの効いた卵というのもあるにちがいない。私も、新大陸到達とまではいかなくても、新大阪までくらいには行き着かなくては。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「イスカンダルへ」

2014-07-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140715
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ユリーカ!!(2)イスカンダルへ

 好奇心満々の調べたがり屋、わかったときは、「ユリーカ!」と叫んで幸福達成なのですが、思い違いや思い込みがあることも多い。マロニエの花は白い、という思い込みもそうでしたが、ほかにもたくさんあって、ときに赤面ものです。
 漢字の読み違いなどは、もう数え切れないくらい。若い頃、「順風満帆」は、「帆布」「ほぬの」だから「ホ」だろうと思って「順風まんぽ」と読んでいたし、同人雑誌は、ドウニン雑誌と読んでいました。

 筒井道隆のこと、ずっと筒井康隆の息子だと思い込んでいました。父親が誰かを知らなくても、ファンになることはできるので、問題ないですが。筒井康隆の息子が画家で、新聞連載の筒井康隆の小説「聖痕」に挿絵を描いていたので、「あらら、息子は俳優だけじゃなくて、画家もいたんだな」と思っていたのです。でも、ウェブ友まっき~さんの男優紹介コラムを見たら、道隆さんは格闘家の息子ということで、なんと長いこと思い違いをしていたことかと、思いました。

 「宇宙戦艦大和」がめざす宇宙のかなたは、イスカンダル。お話の中の架空の名前だと思っていて、調べたこともありませんでした。
 イスカンダルとは、アレキサンダー大王のアラビア語名であると、今月、はじめて知りました。

 アラブ語では、英語のTheに当たる定冠詞は「Al」です。言語学でいうところの誤分析により、アレキサンダー(アレクサンダル)は、Al+イスカンダルと分けて考えられ、マケドニアの大王を呼ぶとき、イスカンダルと、呼ぶようになった、ということです。
 たぶん、戦艦大和ファン、イスカンダルファンには周知のことだったのでしょうけれど。
 イスカンダルということばを松本零士によって知りましたが、アレキサンダーなのだと今のいままで知らなかった。

 むろん、知ったからといって、人生が変わるわけでもなし。だから何なんだ、と突っ込まれれば、何事もなし、というよりほかないけれど。
 今まで知らなかったことを知った、というそのことだけで、私はうれしいのです。

地球から16万光年のかなたにあるというイスカンダル

(画像お借りしました、ありがとうございます)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「マロニエの花とドーパミン」

2014-07-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20140720
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ユリーカ!!(1)マロニエの花とドーパミン

 近年発達解明著しい分野のひとつが、脳科学です。これまでわからなかった「心」について、脳科学がさまざまな解明をしてきました。なぜ、人は悲しくなるのか、うれしくなるのか。感情と呼ばれていたことの多くが、脳内伝達物質の作用であることがわかってきました。
 不安とか恐怖を感じるのも、この脳内伝達物物質の作用、達成感、幸福感なども同様です。

 脳内伝達物質、さまざまな種類があります。人の快感を左右する物質として、たとえば、ドーパミンやエンドルフィン。ギャンブル依存症パチンコ依存症になる確率が高い人とは、ギャンブルで勝った時の快感物質に対する反応が強い人、という研究結果があるそうです。

 脳内物質のひとつアナンダミド (anandamide) は、他者から褒められたときに脳内に出てくる伝達物質です。人は他者に認められ、褒められるとこのアナンダミドの快感によって幸福感を得て、さらにがんばろうと思うのです。「人は褒められて育つ」というのも、科学的にほんとうのことだったのですね。

 おいしいものを食べて満足したときの脳内物質とか、いろいろな快感物質がわかってきています。
 マラソンランナーが、苦しい時期を超えて走り続けると気分が高揚し、幸福な達成感を得られるというのも、性行為の絶頂快感も、エンドルフィンと呼ばれる快感物質が脳内に放出されるのだそうです。私は、長時間走ったことないからわからないのですけれど。

 自分で自分を傷つける自傷行為、リストカットなどを繰り返す人。痛いだろうに、なんで自分を痛めつけるのかと不思議でした。リストカット者の脳内には、自分を切り刻んだ瞬間、臨終時に動物の脳内に出てくるオピオイドと同様の物質が出ており、現実を忘れさせる感覚になれるのだと知りました。リストカット者が、やめようと思っても手首足首にカミソリを当ててしまうのは、こういうことだったのかと納得。

 人は、さまざまな脳内快感物質によって生かされているのです。おいしい食べ物によって得る快感こそ生き物にとって最高のもの、と思う人もいるでしょうし、ギャンブルに勝った時が最高の幸福と感じる人もいるでしょう。

 で、私にとっては、何が最高の快感か。
 なにかわからなったこと、知らなかったことについて、「そうなのか、そうだったのか」と、わかった瞬間の脳内物質が、一番の快感であったのだろう、とわかってきました。好奇心の強い人というのは、つねに何か知らないことをわかろうとしていて、不思議なこと、おもしろそうなことを見つけ出します。わかった瞬間に幸福感を感じるのです。

 水曜日に出講している大学のキャンパス。スクールバスを降りて、「大学創設者胸像」というのを横目で見ながら通り抜けて、4号館104教室へ向かいます。何年か前にスクールバス乗り場と4号館の間に木が植えられました。細かった木もだいぶ太くなってきたなあと思ったら、見事な赤い花房をつけるようになりました。
 5月に咲く花を目にするたびに、何の木だろうと思うようになり、花のあとにトゲトゲのある小さな実がなるのに気づいて、ますます何の木だろうと思っていました。



 「5月 木の花、赤い」などのキーワードで検索をかけても、なかなかこれはと思う花の画像に行き当たりません。樹木検索のサイトなどを覗いて、探したのですが、似たような花房の木でも、白い花だったりして、私が見たのとは異なります。なかなか5月に赤い花をつける木の画像に行き当たりませんでした。

 ようやく私が見たとおりの花の画像を見つけました。
 西洋栃の木=マロニエ。

 シャンソンの歌詞かなんかで耳にしておなじみになったマロニエ。マロニエ通りとか、マロニエ広場とか、商店街などでよく目にするマロニエだったのに。
 栃木県は、県の木が「栃の木」であり、マロニエ何とか、というネーミングの場所もたくさんあるということなので、栃木出身の人なら、木を一目見て「西洋栃の木」とわかったのでしょう。私は樹木の種類や花の名にうといので、ひらめきませんでした。

 これまで、キャンパスに咲く花と、私もその名を知っていた栃の木を結び付けて考えたことがなかったのは、私の思い込みによります。私のイメージでは、西洋栃の木は、パリの並木道で白い花をが咲かせていたのです。赤い花とマロニエという木の名前と結びつけることができませんでした。
 ネットの検索でマロニエには、白い花だけではなく、ピンクも赤もあることを知りました。
 

(花、実とも借り物画像です)

 木の名がわかって、すっきり気分。こういう「わかった!」と、感じたとき、脳内伝達物質が私の脳に分泌され、幸福になる。ランナーズ・ハイでも、リスカ・ハイでも、ユリーカ(わかったぞ!)ハイでも、人にとっては大切な時間。

 今まで知らなかったこと、新しいことがわかったときの喜び。
 浮力について初めて気づき、「エウレカ、エウレカ、(ユリーカ)わかったぞ」と叫んで風呂桶から飛び出していったアルキメデスの幸福感が、私にとっては一番の快感物質であるということです。まあ、走るのは嫌いなので、ランナーズハイは得られないし。

 5月のひととき花を楽しんだ、その樹木がマロニエだとわかった、その瞬間がうれしいのです。「ユリーカ、ユリーカ、マロニエ、マロニエ」と叫んで、素っ裸で風呂場から飛び出したい気持ち。いや、風呂場で分かったのではないので、素っ裸にならんでもよいのけれど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「教えられつつ」

2014-07-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/07/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>質問に答えて(9)教えられつつ

 「日本語学」「日本語教授法」の学生たちから、毎年同じような定番の質問がでますが、「自分で調べなさい」で済ませられることもあるし、毎年同じ回答を繰り返すことになる項目もあります。無意識のうちに使い慣れている日本語も、一歩違ったところから眺めると、おもしろい表現や他の言語とは異なる表現がたくさんみつかります。
 学生に「あたりまえと思って使っている日本語も、知ってみると奥が深いなあ」と、思ってもらえればうれしいのですが。

 定番質問はまだまだ続くのですが、今回は、これにておひらき。結婚式などでは「おわり」「おしまい」とはいわず、「おひらき」というんですよ、という忌み言葉の話など、まだまだ日本語の話、学生に知っておいてほしいことはたくさんあります。

 また、毎期、学生に教えられることもあり、授業は私にとってフィールドワークの現場でもあります。
 「ろりめく」を教わったほかにも、たとえば、「イカ東」という略語は、だいぶ前から若者の間、ネット用語などでは流通していたらしいのに、私のアンテナにはひっかかっていませんでした。「いかにも東大生」の略語だろうという検討はついたんだけれど。

 「知的」とか「まじめそう」という+イメージではなく、「勉強ばかりしてきて、ファッションにうとく、ださいかっこうをしていても東大生だから許されると思っている」というマイナスイメージに使われる方が多いことを学生に教わりました。なるほど。
 「いか慶」とか「いかワセ」という略語はまだ通用していないところをみると、やはりトーダイは別格扱いなのだなあと、イカ東の大学生には優越感を持たれてしまいそうなところが難点の若者用語です。

 そのほかにも、「うちの小学校では計算ドリルをケイドリと言っていた」とか、「私の高校では、近くのケンターキーでフライドチキンを食べながらおしゃべりすることを、トリる、と言っていた」などのように、地域限定かもしれない略語など、いろいろ教えてもらいました。
 『舟を編む』の中で、辞書編集主幹の老先生が若者が集まる店に行き、若者言葉に耳をそばだたせているシーンがありました。私もマックにも行きますが、それは120円だか140円のコーヒーのむためであり、マックやケンタにいかなくても、授業をしながら若者言葉採集ができるんてす。

 昔教わった先生が「授業に出るのがいやだという研究者が多いけれど、研究室にこもって研究だけしていたら、だめなんだ。研究を研究室にこもるだけでやっている人の研究は、古びて、干物になるんだよ」と言っていたのを思い出します。現代語研究ではなくて、古典語研究であっても、やはり「生きた日本語の現場」に身をおくことが大切なのだと。

 私は、通勤の電車のなかで高校生大学生がしゃべっていることば、おばさん同士のおしゃべりに耳を傾けるのが好きです。今、どんなことが話題になっているのか、どんな言葉遣いでハナされているのか、日本語文法研究をやめてしまった私ですが、ことばのウォッチングは今でも楽しいです。

 では、今日もこれから、若者日本語の現場へ行ってきます。
 変体仮名を教えに

<おわり>
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